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2024/06/30

「善惡報はなし」正規表現オリジナル注 卷三 㐧四 虵女をおかす事

[やぶちゃん注:底本・凡例等は初回を参照されたい。]

 

 㐧四 虵(へび)、女をおかす事

 

 其比、寬永元年[やぶちゃん注:一六二四年。]に、河内(かはち)の「しき」と云《いふ》所の山里に、五八郞と申《まうす》もの、ありけり。

[やぶちゃん注:『河内の「しき」』河内国(かわちのくに)志紀郡(しきのこおり)。現在の大阪府八尾(やお)市志紀町(しきちょう)はここだが(グーグル・マップ・データ)、「山里」と言っているから、ここ近辺ではあり得ず、旧志紀郡の内、明らかな山間部は、ずっと東の奈良県に接する八尾市の一部、及び、その南に接する柏原(かしわら)市が該当する。この中央の南北附近である(グーグル・マップ・データ航空写真)。]

 かれが他行《たぎやう》のひまに、妻、ひるねして、ひさしく、おきも、あがらず。

 其間《そのあひだ》に、をつと、かへり、「ねや」へ、入《いり》て見ければ、五、六尺ばかりなる虵、まとはりて、口さし付《つけ》て、臥したり。

 夫(をつと)、大きに驚きて、つえ[やぶちゃん注:ママ。以下同じ。]を持(もち)て、うちはなちて、申《まうし》けるは、

「『おやのてき』『宿世(しゆくせ)のてき』と、いひつれば、しさいにおよばず、せつがい[やぶちゃん注:「殺害」。]すべきなれども、今度ばかりはゆるす也。かさねて來《きた》る事あらば、命をたつべし。」

と、いひて、つえにて、すこし、うちなやまして、すてける。

[やぶちゃん注:岩波文庫の高田氏の脚注に、『不詳。女親(子をなした妻)を犯した敵は終生かけての敵、の意のことわざか。』とあった。]

 

Hebi_20240630073101

[やぶちゃん注:第一参考底本はここ第二参考底本はここ。後者は、這い上がり、鼻先に鎌首を接しかけている蛇が、明確に視認出来る。夫がその蛇を杖で引っ掛けて、今しも、払いのける瞬間を、スカルプティングした瞬間を描いてある。

 

 其の後《のち》、五、六日ありて、家内(かない)の男女(なんによ)、おどろき、さはぐ。

「何事やらん。」

と、とへば、

「虵の、おほくきたり候。」

と云《いふ》を、

「つ」

と、出《いで》て見ければ、一、二尺ばかりの虵、かしらをならべ、すきまもなく、四方《しはう》をかこみて、庭のきはまで、來《きた》る。

 それより、少《すこし》づゝ、大き成《なる》虵、次㐧次㐧に、つゞき、いき千万といふ數(かず)を、しらず。

 はてには、一丈二、三尺もあるらんとおぼしき虵、左右(さう)に、五、六尺ばかりなる虵、十ばかり、具して來《きた》る。皆、かしらをあげ、舌をうごかし、物いはざるばかり也。

[やぶちゃん注:「一丈二、三尺」三・〇六~三・六四メートル。本邦の最大種である青大将(爬虫綱有鱗目ヘビ亜目ナミヘビ科ナミヘビ亜科ナメラ属アオダイショウ Elaphe climacophora )で間違いない。全長で三メートル超は稀れであるが、生体で這っている際の伸長で、そう見えたのであろう。私の家にも、このところ、よく出現する。連れ合いや、向かいの奥方が、遭遇して、驚愕しているから、二メートルは優にある個体らしい。私は大の蛇好きなのだが、残念ながら、未だ、そ奴には出逢っていない。]

 女房は、「きもだましゐ[やぶちゃん注:ママ。「膽魂(きもだましひ)」。]」もなきていにて、『今は、こうよ。』とみえし所に、夫、申《まうし》けるは、[やぶちゃん注:「『今は、こうよ。』とみえし所」同じく、高田氏の「今は、こうよ」の注に、『今は命もたえるかと。』とある。]

「なんぢらは、何として、かく、あつまり來《きた》るぞ。女のふしてゐけるを、虵のおかしたる事、まのあたり、見しが、宿世(しゆくせ)の『てき』なるうへ、命をたつベかりしを、『じひ』をもつてたすけて、『かさねて來らば、命をたつべし。』とて、つえにて、すこし、うちなやめ、すてたる事、侍りき。此《この》『事はり[やぶちゃん注:ママ。]』を、めんめん、よく、ききわけ、それがしがひが事とばし[やぶちゃん注:「ばし」は副助詞で強調。]、思ひて來《きた》るか。『人畜、ことなり。』といへども、物の道理は、よも、かはり侍らじ。妻を、おかされて、はぢがましき事にあひぬれども、『なさけ』ありて、命をたすけながら、猶、ひが事に成《なし》て、よこさまに損ぜられん事こそ、むざん成《なる》次㐧にて侍れ。此《この》事、「めうしゆ三ぼう[やぶちゃん注:ママ。「冥衆三寶」。]」も、ちけん[やぶちゃん注:「知見」。]をたれ、天神地祇(てんじんちぎ)・ぼんわう・たいしやく[やぶちゃん注:「梵王・帝釋」。]、四大(しだい)天わう・日月《じつげつ》せいしゆく[やぶちゃん注:「星宿」。]も、御《ご》せうらん[やぶちゃん注:ママ。「照覽(しやうらん)」。]あるべし。一事《ひとこと》も、きよげん[やぶちゃん注:「虛言」。]、なし。」[やぶちゃん注:以下、私にはいらないが、若い読者のために、高田氏の脚注を纏めて示しておく。『冥衆 梵天・帝釈・閣魔王のような目に見えない神々』・『梵王帝釈 梵天王と帝釈天』・『四大天王 持國天・增長天・広目天・多聞天、いわゆる四天王』・『日月星宿 太陽や月や星など、廣く宇宙に散らばっています神々』。]

と、只、人に向つて申《まうす》やうに、いひければ、大虵をはじめ、かしらを、一度(ど)に下げて、大虵のそばにい[やぶちゃん注:ママ。]たる、くだんの虵とおぼしきを、一かみ、かみて、引《ひき》かへる。

 是をみて、殘る虵共、一口づゝ、かみて、

「みそみそ」[やぶちゃん注:めちゃくちゃ。ぐちゃぐちゃ。]

と、かみなして、山のかたへ、みな、かくれぬ。

 其後《そののち》は、別のしさいも、なかりけり。

 さかさかしく[やぶちゃん注:「賢賢しく」。賢いさま。高田氏は『理性的に』と脚注する。]、道理を申《まうし》のべて、わざわい[やぶちゃん注:ママ。後も同じ。]をのがれけるこそ、かしこくも、おぼえけれ。道理をも申のべずして、とかく、ふせがん、とするならば、ゆゆしきわざわいなるべし。そうじて[やぶちゃん注:ママ。]、物の命を、さうなく[やぶちゃん注:無造作に。]がいする事、よくよく、つゝしむべし、つゝしむべし。

 此のはなし、河内より來《きたる》る商人《あきびと》、僞りなきよし、大せいごんをもつて、かたり侍る。

[やぶちゃん注:「商人《あきびと》」読みは、本書の前例に従った。

「大せいごん」「大誓言」。既出既注の「大せいもん」(「大誓文」)に同じ。神仏に誓って間違いないという証文のこと。]

「善惡報はなし」正規表現オリジナル注 卷三 㐧三 女房女のはらみたる腹をやき破事

[やぶちゃん注:底本・凡例等は初回を参照されたい。標題「㚑(れう)」の読みはママ。]

 

 㐧三 女房、女の、はらみたる腹を、やき破(やぶる)事

 攝刕大坂にをゐて[やぶちゃん注:ママ。]、ある「うとく」[やぶちゃん注:「有德」。ここは「裕福」の意。]成《なる》ものあり。

 かれが、おもひ入《いれ》たる女、ありけり。はらみけるに、女房、夫(をつと)のるすをうかゞひ、外にありけるを、たばかり、むかひよせ、一間成《なる》所へ、をし[やぶちゃん注:ママ。]こめて、二、三人、下部の男を、めして、手、とり、あし、とらせて、「火のし」[やぶちゃん注:熨(ひのし)。炭火の熱で皺をのばす柄杓形の道具。現在のアイロン相当。]をもつて、かの、はらみたるはらを、のしける。

 ふくれ、ひわれて[やぶちゃん注:「乾割れて」。]、しゝむら[やぶちゃん注:「肉」。]、どろけきれて[やぶちゃん注:焼け爛れ溶(とろ)け、破れて。]、見へ[やぶちゃん注:ママ。]けり。

 わづかに、いきばかり、かよひける時、母のもとへ、かへしつかはす。

 のり物より、いだきおろしけるに、其《その》まゝ、いき、たへ[やぶちゃん注:ママ。]にけり。

 母、是を見(《み》る)より、大きになげきて、心のあらぬまゝに、やがて、はしりまはり、もろもろの「やしろ」にまうでゝ、おめき、さけび、「やしろ」を、たゝき、をどりあがり、をどりあがりて、

「我が子のかたきを、とりて給はれ。」

と、いのり、あるひは[やぶちゃん注:ママ。]、神前の「いき木」[やぶちゃん注:「生き木」。]に、釘(くぎ)を、うちなどして、さまざま、のろひ、母も、つゐに[やぶちゃん注:ママ。]、おもひ死(じに)に、しけり。

 ほどなく、二人の㚑(れう[やぶちゃん注:ママ。])、日〻に、きたりて、彼(かの)女房を、せむる事、いふばかりなし。

 やがて、やみつき、さまざま、口ばしり、身躰(しんたい)、やすからずして、「かみそり」をもつて、をのれ[やぶちゃん注:ママ。]がはらを、きりやぶり、そくじ[やぶちゃん注:「卽時」。]に、死(しに)うせぬ。

「それよりして、其家、代〻、㚑、たへ[やぶちゃん注:ママ。]ず。」

と、聞ゆ。

 しかるべきものゝ身のうへなれば、くはしくは、しるさず。

 とかく子細をしらぬ身なれば、中〻《なかなか》[やぶちゃん注:呼応の不可能の副詞。「とても・決して(~ない)」。]、其《その》とが[やぶちゃん注:「咎」。]あるべからず。たゞ、人に、因果の道理を、しらしめんがためなり。人のとがを、しるさんには、あらず。されば、人をそんずるは、我身をそんずる事をしらずして、自他の分別、かたく[やぶちゃん注:いっかな、出来ず。]、愛執(あいしふ)の念りよ、ふかきならひは、かへすがへす、をろかに[やぶちゃん注:ママ。]まよへる、心成《なる》べし。

 [やぶちゃん注:なお、次の話の冒頭が、「其比、寬永元年に、河内の……」となっていることから、この話は寛永元(一六二四)年の出来事と読める。]

2024/06/29

「善惡報はなし」正規表現オリジナル注 卷三 㐧二 無益の殺生の事幷㚑來りて敵を取事

[やぶちゃん注:底本・凡例等は初回を参照されたい。標題「㚑(れう)」の読みはママ。]

 

 㐧二 無益(むやく)の殺生の事靈(れう)來りて敵(かたき)を取(とる)事

○慶安年中、春の比、「さが」の邊(へん)に、さる牢人、あり。

 下人、とりにげしけれども、少分《しやうぶん》の事なるがゆへ[やぶちゃん注:ママ。]、尋(たづぬ)る事もなく、其のぶんにて、うち過ぎぬ。

[やぶちゃん注:「慶安年中」一六四八年~一六五二年。徳川家光・家綱の治世。

「牢人」浪人に同じ。岩波文庫の高田氏の脚注に、『主を持たぬ武士。中には私領を持つ土豪もいた』とある。

「さが」京都の嵯峨野。現在の京都府京都市右京区の、この附近(グーグル・マップ・データ)。

「とりにげ」同じく高田氏のそれに、『何らかの物を無断で持ちさること』とある。

「少分]同前で、『些細なこと。「小部分、またはわずかな物」(『日葡辞書』)』とある。]

 一兩年[やぶちゃん注:一、二年。]ほども過ぎて、「とうじ」に居(ゐ)けるよし、「さが」へ聞え、やがて、家老の心得にて、

「かさねての爲もあり。」

とて、からめ取りて來り、主人へ、此のよし、うつたへければ、主人のいはく、

「よしよし。少分の事也。其上、年數(ねんす)へし事なれば、はなちやるべし。」

と仰せらるるを、家老、

『わたくしに、殺さん。』

とや、思ひけん、二、三日も、からめをき[やぶちゃん注:ママ。]て、ひそかに、かくして、害(がい)しけり。

[やぶちゃん注:「とうじ」「東寺」。ここ(グーグル・マップ・データ)。]

高田氏脚注に、『京都市の南部にある真言宗の大寺院。犯罪者が逃げ込めば俗権力の手はおよばないのが普通であった。』とあった。

「かさねての爲もあり」同前で、『今後のこともあり、みせしめに、の意。』とあった。されば、家老は忖度をし、彼の言を、そのままには受け取らず、『お前の判断で如何ようにも処分致せ。私は関知せぬぞ。』という含みとして受け取ったのである。]

 此もの、さいご[やぶちゃん注:「最期」。]に申《まうす》やう、

「さてさて、うらめしや。上(かみ)よりは、御じひ、ましましてたすけ給ふに、なんぞや、家老の、わたくしにころし給ふ事、いはれなし。ぜひ、我、三日の内にはをんれう[やぶちゃん注:ママ。「怨靈(をんりやう)」。]となつて來り、おもひしらせん物を。」

とをどりあがり、

「あら、口おしや[やぶちゃん注:ママ。]。」

と、いひ、齒をならし、ねぢかへり[やぶちゃん注:怒りに、体をはげしく捩じ曲げて。]、

「はた」

と、睨みしまなこ、さながら、すさまじくおぼえけり。

[やぶちゃん注:家老は、忖度であることをおくびにも出さず、あくまで「御君は、許してやれと仰せになった。しかし、それでは、示しがつかぬ。おのれの処断として、不届き千万なれば、お前を殺すのだ。」と言い放ったことが判る。]

 うたれて後《のり》、其《その》にらみしまなこ、家老の、おもかげに立《たち》、起おきふに見えて、すさまじき事、かぎりなし。

 ある時は、そら[やぶちゃん注:「上」の意。]を見れば、天井にうつりてみへ[やぶちゃん注:ママ。以下同じ。]、したには、「たゝみ」にあるやうにみへ、まどろめば、夢中(むちう)に來りて、せめけり。

 としても、かくしても[やぶちゃん注:高田氏脚注に『どんな事をしても』と注する。]此《この》おもかげの、はなれざれば、或は、みこ・かんなぎをめして、さまざま、きたうなどしけれども、其《その》しるし、なし。

 ほどなく、やみつき、うつゝにも、

「あれ、あれ、見よ、又、來《きた》れり。」

などゝ、いひては、其まま、をどり出《いづ》る事、三十日ばかり、なやみ、つゐに[やぶちゃん注:ママ。]、狂死(くるひじ)に、しけり。

「一たび、上(かみ)より、情(なさけ)ありて、たすかりけるを、をのれ[やぶちゃん注:ママ。]が、わたくしをもつて、殺す事は、何事ぞや。にくしと思ふ一念、來りて、とりころしける。はやくも、むくひのきたる物かな。」

と、人、口々(くちぐち)に申《まうし》あへり。

[やぶちゃん注:さて。真相はどちらであったか、これは、断定出来ない。字面上だけを見るなら、この「牢人」である主君は、あっさりしており、僅かな横領であったから、実際に、許してやれ、と言ったようには、確かに、見える。事実、下人の怨霊の恨みは、主君に向いては、全く発動していない。しかし、翻って、家老の死罪執行の後の重い精神障害と狂死を考えると、実は、この主人を家老は、長年、相応に捩じれた精神の持ち主と考えており、常に、『その言葉の裏の裏まで見通さぬと、いけない、いや、自分もどうなるか判らないという点でも、危ない。』と思い込んで来た、いや、事実、主人は、そうした異常性格者であった可能性も否定出来ないからである。寧ろ、斟酌と忖度の結果として、狂死した、家老こそが、フラットに考えた際、最も哀れであるように、私には感じられるのである。

「善惡報はなし」正規表現オリジナル注 卷三 「目錄」・㐧一 不淨の者あたご山にて鹿にかけらるゝ事

[やぶちゃん注:底本・凡例等は初回を参照されたい。]

 

 

善惡報はなし三之目錄

 

㐧 一 不淨(ふじやう)の者(もの)あたご山(さん)にて鹿(しゝ)にかけらるゝ事

㐧 二 無益(むやく)の殺生(せつしやう)の事㚑(れう)來(きたつ)てかたきをとる事

[やぶちゃん注:「れう」はママ。]

㐧 三 女房(によばう)はらみ女の腹を(はら)を燒破(やきやぶる)事

㐧 四 虵(へび)來て女を犯(をかす)事

[やぶちゃん注:「をかす」はママ。]

㐧 五 身をうり母を養(やしなふ)事

㐧 六 庭鳥(にはとり)の玉(たま)子をとりてひくふ事

㐧 七 房主(ばうず)の一念(ねん)虵(へび)に成木(き)をまとふ事

㐧 八 慈悲(じひ)ある人海上(かいしやう)にてかめにたすけららるゝ事

㐧 九 馬(むま)をとらんとて人を殺(ころし)むくふ事

㐧 十 三賢人(さんけんじん)の事

㐧十一 繼母(けいぼ)まゝ子(こ)を殺(ころし)土(つち)に埋(うづみ)あらはるゝ事

㐧十二 生(いき)ながらうしとなりて死(しぬる)事

㐧十三 死(しゝ)て犬(いぬ)に生(うま)るゝ事

㐧十四 女の愛執(あいしう)虵となる事

[やぶちゃん注:第二参考底本では、この後に『㐧十五』と「第十六」の項があるが(それぞれ下に標題あり)、これ、明らかに、例の落書野郎が書き加えたもので、位置もおかしく、字も汚い。無論、本文に当該話はないので、カットする。]

 

 

善惡報はなし卷三

 

 㐧一 ふじやうのものあたご參詣し坂にて鹿(しゝ)にかけらるゝ事

○都のほとり、ふかくさの近邊に、三平と申《まうす》もの、あり。

 しゝを、にて、くらひしかまにて、食(めし)をたかせ、くふて、あたごへ、まいりけるが、

『坂、三、四町ほども、あがらん。』

とおもふ程にて、俄に、まなこ、かすみて、あしもと、くらく成て、身、えわかず。

[やぶちゃん注:「ふかくさ」「深草」。この附近(グーグル・マップ・データ)。

「鹿(しゝ)」これは鹿(シカ)ではなく、猪(イノシシ)である。挿絵でも、そうなっている。終りのカタストロフからも、シカではない。

「あたご」愛宕山。現在の京都府京都市右京区嵯峨愛宕町にある山及び愛宕神社。ここ(グーグル・マップ・データ)。古くから信仰の山であった。私は山麓の参道入口にある「鮎茶屋平野屋」が大のお気に入りで、二度、行っている。「怪奇大作戦」の実相寺昭雄監督の名作「京都売ります」以来、ずっと訪ねたかった料理屋である。]

 しかれども、我身のふじやう成《なる》事を、夢ほども、おぼえず、ひたと、ふしぎをたてゝ[やぶちゃん注:「ただ、ひたすら、『不思議じゃ。』という思いをしつつも、」の意か。]、あがるほどに、とび、一つ、來つて、かれがあたまを、けて[やぶちゃん注:「蹴て」。]ゆきぬ。

[やぶちゃん注:「とび」「鳶」。タカ目タカ科トビ亜科トビ属トビ亜種トビ Milvus migrans lineatus「和漢三才圖會卷第四十四 山禽類 鳶(とび) (トビ)」の私の注を、是非、読んでいただきたいのだが、実は、愛宕神社の神使は、猪なのである。そして、その後、鳶も神使として加わったのだが、私は鳶の参入は、戦国時代以前に遡れるかどうかには、疑問を持っている。ともかくも、この話では、その二つの神使が、ともに撃退に活躍している点が、甚だ面白いのである。]

 此男、

『あら、ふしぎや。今の、けてゆきしは、正(まさ)しく「とび」と、おぼゆ。いな事を、しつる物かな。』

と、おもふばかり、くにもならずして、ひたあがりに、あがる。

 又、うしろより、一つ、來りて、けてゆく。

『是は、いかに。』

と、ふりかへり見る所に、さながら、目には見えずして、いづくより來《きた》るともなく、とび、二、三十ばかり、きたつて、八方より、ける。

 

[やぶちゃん注:挿絵は、第一参考底本はここ、第二参考底本はここ。後者がよい。但し、後者で二羽の鳶が刺されて、血を吹き出しているように見えるのは、例の落書である。第一参考底本と比較すれば、一目瞭然である。そもそも、原画では三平は、刀を抜いていないのだ! そう、左手が突き出している刀自体も、奴(きゃつ)が書き足したものなのだ!

 

 此男、さきへも、あとへも、ゆきやらずして、其まゝ、そこにとゞまりゐて、つえをもつて、とびを、はらはんとしけるうちに、むかふより、大の鹿《しゝ》、一つ、かけ來《きたつ》て、此男を、ひつかけ、おとしける。

 なにかは、たまるべき、すせんじやう[やぶちゃん注:「數千丈」。言うまでもなく、誇張表現。]の、はるかの谷へ、かけおとしけるが、みぢんになつてぞ、はてにけり。

 あはれといふも、をろか[やぶちゃん注:ママ。]也。

 つたへきくにも、魔山(まさん)なれば、淸淨《しやうじやう》のうへにも、しやうじやうにあるべきに、なんぞや、しゝを、にたるなべにて、三日も立(たゝ)ざるうちに、ふじやうの食(じき)をして、まいる[やぶちゃん注:ママ。]くせものなれば、たちまち、けころされしは、ことはり[やぶちゃん注:ママ。]なり、と申ける。

 されば、佛神へ參らざるばつは、あたらずして、參りて、ばつをうくるもの、世に、おほし。

 とかく、しん・不信心の二つに、よるべし。よくよく、つゝしむべし。おそるべし、おそるべし。

「善惡報はなし」正規表現オリジナル注 卷二 㐧十二 れうし虵をがいし頓死する事 / 卷二~了

[やぶちゃん注:底本・凡例等は初回を参照されたい。]

 

 㐧十二 れうし、虵(へび)をがいし、頓死(とんし)する事

○下野(しもつけの)國さむ川と云《いふ》所の近鄕(きんがう)に、大小の「うつぼ」あり。

[やぶちゃん注:「下野(しもつけの)國さむ川」旧下野国にあった舊寒川郡(さむかはのこおり)。現在の小山(おやま)市の一部で、ここの、同市を南北に貫流する「思川」(おもいがわ)の西岸に相当する(グーグル・マップ・データ)。

「うつぼ」半ば枯れた木の洞(ほら)のこと。]

 此中より、大虵《おほへび》の、「かしら」を、さし出《いだ》したるをみて。れうし、矢をもつて、木に、いつけて、行《ゆき》けり。

 ぬまの邊(ほとり)を、とをり[やぶちゃん注:ママ。]ける。

 水(みづ)の上に、およぐ物、有《あり》。

 みれば、大虵の、一丈ばかり成《なる》が、くびに矢をおひ、水の上を、およぎ來《きた》るを、待《まち》うけて、終(つゐ)に[やぶちゃん注:ママ。]、いころしけり。

 其まゝ、家へ、かへらずして、狂死(くるひじに)に、しけり。[やぶちゃん注:この後の助詞「に」は、ない方が躓かない気がするのだが、以降、しばしば見られるので、筆者の癖と思われる。

 よくきけば、

「何のやしろとかやの、神にて、まします。」

よし也。所の名(な)も、宮の名も、失念し侍り。

 かやうに、せんなき事、世に、多し。

 おそるべし。

「善惡報はなし」二之終

[やぶちゃん注:最後はママ。改題本で「續御伽ばなし」の筈が、初版本の書名のままになっている。版木の使い回しが、はっきりバレでいる。

 因みに、第二参考底本では、ここが最後だが、第二巻の裏表紙裏に、例の落書が、この最終篇を考えて、おどろおどろしく描かれている。これ、ちょっと意想外のボーナスを貰った感じで、正直、「落書野郎奴(め)、やって呉れたじゃあ、ねえか!」と、褒めたくなったこと、頻り。

「善惡報はなし」正規表現オリジナル注 卷二 㐧十一 盲目の母をやしなふ事

[やぶちゃん注:底本・凡例等は初回を参照されたい。]

 

 㐧十一 盲目の母をやしなふ事

○津国(つのくに)、「多田(たゞ)のまんぢう」のしやたう[やぶちゃん注:ママ。「社頭」。]ぞうりうの時、人夫、食物《しよくもつ》、たはら、おほく、つみかさねてをきけり。

[やぶちゃん注:『「多田(たゞ)のまんぢう」の』「しや」は、現在の  兵庫県川西(かわにし)市多田院多田所町(ただどころちょう)にある多田神社のこと(グーグル・マップ・データ)。清和源氏興隆の礎を築いた源満仲を筆頭に源頼光・源頼信・源頼義・源義家を祀る。「まんぢう」は「滿仲」を敬意を込めて音読みしたものである。]

 ある時、たはらを、一つ、ぬすみ取《とり》て、にげゝるを、とらへてみれば、十六、七ばかり成《なる》わつばなり。

[やぶちゃん注:「わつば」現在、当たり前のものとして半濁音の「」表記法は、江戸時代には、必ずしも一般的であったとは言えない。ウィキの「半濁音」によれば、『ポルトガル人宣教師によりキリシタン文献に導入されたのが最初とされる』とある。但し、江戸時代の口語としては、臨機応変に半濁音の発音をちゃんとしていたであろうから、ここも半濁音で読み替えてよい。]

 奉行、是をみて、

「なんぢは、いか成《なる》ものぞ。」

と、とはれければ、わつば、こたへて、いはく、

「それがしは、あれにみへたる山のふもとに、まかりあるものにて候が、まづしく、かひなきものにて、殊に盲目の母を、一人、持て候が、たきゞを取て、はるか成《なる》里に出《いで》て、かへりて、母を、やしない[やぶちゃん注:ママ。]はぐゝみ候へば、身もつかれ、ちからも、つきて。はかばかしくたすけ、心やすくすぐるほども侍らねば、『此たはらを取て、はゝをたすけばや。』と、おもふばかりにて、かゝる「ふたう」を、つかまつりて、はぢをさらし候こそ、先業(せんごう)[やぶちゃん注:ママ。前世(ぜんせ)の業(ごう)で盲目になったという意で、歴史的仮名遣は「せんごふ」が正しい。]までも、今更、はづかしく、口おしく候。」

と申《まうし》て、

「さめざめ」

と、なきければ、奉行も、ことのしさいをきゝ、あはれにおもはれけれども、實否(じふふ[やぶちゃん注:ママ。])をしらんがために、此わつばが申狀《まうしじやう》につきて、母が居所を、たづねにつかはすに、つかい[やぶちゃん注:ママ。]、尋ねゆき、見ければ、山のふもとに、ちいさき「いほり」あり。

 人をとしければ[やぶちゃん注:「人音(ひとおと)しければ」(人がいるような音がしたので)の誤りか。]、たちより、

「何成《いかなる》人ぞ。」

と問《とふ》に、うちに、こたへけるを見るに、盲目也。

 かれが、いはく、

「すみわびて、此山のふもとにゐて、たきゞを取《とり》て、里に出《いで》て、はぐゝむしそく[やぶちゃん注:「子族(しぞく)」か。]、わらはの候を、たのみて、露の命を、おくり侍る也。きのふ、いでて、今日《けふ》も、かへらず、いかゞしける、おぼつかなく待《まち》くらす也。」

と、かたるを聞《きき》て、使《つかひ》、かへりて、有《あり》のまゝに、申上《まうしあぐ》る。

 奉行、

「扨は。僞り、なし。なんぢ、かさねての、しをき[やぶちゃん注:「仕置き」。]のために[やぶちゃん注:処罰するための詮議のために。]、大小によらず、くせ事にも行《おこなは》んずれども[やぶちゃん注:「安易に罪の軽重を斟酌することなく、不正行為を致さんしたことは明白であるが故に、御政道に則り、厳しく断罪するところであるが」。]、おやに孝あるもの。其上、盲目のはゝを、やしなふ上は、命(いのち)を、たすくるなり。」

とて、あまさへ、五、六年もすぐるほど、はうびを、もらい[やぶちゃん注:ママ。]、かへりけり。

「孝行の心ざし、まことなれば、天のめぐみ、有て、命までも、たすかりけるこそ、ありがたき次㐧也。」

と、皆、きく人ごとに、かんじける。

 

「善惡報はなし」正規表現オリジナル注 卷二 㐧十 与四郞の宮をうちたやす事

 

[やぶちゃん注:底本・凡例等は初回を参照されたい。流石に、改題本では、総て確実に「与」であったので、「與」の字では表示しなかった。]

 

 㐧十 与四郞の宮(みや)を、うちたやす事

○關東の内に、「与四郞のみや」と申《まうし》て、あり。

[やぶちゃん注:「与四郞の宮」不詳。]

 每年(まいねん)、夏の比、此みやの神事なり。當番にあたるもの、たいこを、になふやくなり。

 あるもの、やくにあたりしかども、何かといひて、其やくをも、つとめず、あまさへ、をのれ[やぶちゃん注:ママ。]が家に引《ひき》こもり、出《いで》ざれば、せんかたなくて、わきより[やぶちゃん注:別の者が。]、つとめ、漸〻(やうやう)、神事を、すましける。

 

[やぶちゃん注:挿絵がある。第一参考底本はここ第二参考底本はここ。後者を見られたい。但し、遠景の山の眉毛・目・鼻・口や、障子のそれは、例の旧蔵者による落書であるので注意。

 

 其あくる夜、かれがまくらもとへ、五、六尺ばかりの虵(へび)、五、六十ばかり、來(きた)つて、「かしら」をならべ、なみい[やぶちゃん注:ママ。後も同じ。]たり。

 此おとこ、もとより、邪見のものなれば、

「扨《さて》は、きなふ[やぶちゃん注:ママ。]、我、神事をつとめざるゆへ[やぶちゃん注:ママ。]、与四郞めが、ともを、かたらひ、我に、あだをせんがために來《きた》ると、おぼゆ。やすからぬ事かな。」

とて、みな、一〻《いちいち》に、うちころしてぞ、すてけり。

 又、次の夜も、同じほど來《きたつ》て、まへの夜のごとく、なみいけるを、一つも、のこさず、うちころすに、同じごとくに來《きた》る事、三日三やが間に、ころすところの虵、をよそ[やぶちゃん注:ママ。]、五、六百もあるらん。

 此男、つゐに[やぶちゃん注:ママ。]、四日目に、くるひじにゝ[やぶちゃん注:ママ。]しける。

 其後《そののち》、此みやへ、「ゆ」を、たびたび、參らするに、つゐに[やぶちゃん注:ママ。]、有無のへんたふ[やぶちゃん注:ママ。]なければ、

「さては。かのばかものが、うちたやしけるか。」

と、皆人《みなひと》ごとに、いひあへり。

[やぶちゃん注:「ゆ」不詳。小学館「日本国語大辞典」に接頭語として「神聖な」「正常な」の意が挙げられてあるので(そういえば、「ゆつ玉串」という用法があるな)、神に捧げる供物、或いは、神託を乞い願うためのそれを言っているようである。]

「和漢三才圖會」植物部 卷第八十三 楝

 

Ourennjyu

 

わうれんじゆ

 

黃楝樹

 

 

農政全書云黃楝樹生山野中葉似初生椿樹葉而極小

又似楝葉色微𭘧黃開花紫赤色結子如碗豆大生青熟

亦紫赤色葉味苦

 

   *

 

わうれんじゆ

 

黃楝樹

 

 

「農政全書」に云はく、『黃楝樹、山野の中に生ず。葉、初生の椿樹(ヒヤンチユン)の葉に似て、極小。又、楝《あふち》の葉に似、色、微《やや》黃を𭘧ぶ。花を開≪けば≫、紫赤色。子《み》を結≪べば≫、碗豆《ゑんどう》の大いさのごとし。生《わかき》は、青く、熟せば、亦、紫赤色≪たり≫。葉の味、苦し。』≪と≫。

 

[やぶちゃん注:「黃楝樹」は、

双子葉植物綱ムクロジ目ウルシ科カイノキ属カイノキ Pistacia chinensis

である。「維基百科」の当該種「黃連木」には、別漢名として、『腦心木・爛心木・楷木・黃連茶・孔木・楷樹』が挙げられているばかりだが、中文繁体字のサイト「A+醫學百科」のここに、

「黃楝樹」があり、そこでは、別名を「黃連木」として、「來源」にPistacia chinensis の学名を明記している

から、間違いない。なお、東洋文庫では、どこにも本種を掲げていない。何度も言うが、百科事典の訳で、当該種を比定同定せずに済ますのは、一発退場レッド・カードである。「何、考えてんの?」と呆れるばかりである(さればこそ、植物ド素人の私が、このプロジェクトをやることの僅かな意義があろうかとも言えるのであるが)。以下、当該ウィキから引く(注記号はカットした)。『カイノキ』(『楷樹、楷の木』)は、『同じウルシ科のピスタチオ』(カイノキ属ピスタチオ Pistacia vera )『とは同属で近縁。別名カイジュ、ランシンボク(爛心木)、トネリバハゼノキ、ナンバンハゼ(南蛮櫨)、クシノキ(孔子の木)、オウレンボク、トネリコバハゼ』。『カイノキは、直角に枝分かれすることや小葉がきれいに揃っていることから、楷書にちなんで名付けられたとされる。別名のクシノキは、山東省曲阜にある孔子の墓所「孔林」に弟子の子貢が植えたこの木が』、『代々』、『植え継がれていることに由来する。また、各地の孔子廟にも植えられている。このように孔子と縁が深いことから、学問の聖木とされる』。『また、科挙の進士に合格したものに楷の笏を送ったことから、その合格祈願木とされていた』。『落葉広葉樹の高木。雌雄異株で、樹高は』二十~三十『メートル』、『幹の直径は』一メートル『ほどになる』。『葉は互生し、偶数羽状複葉だが、奇数の葉が混じることがある』とも言われるらしい。『小葉は』五~九『対で、倒卵披針形で、濃い緑色をしている。秋には美しく紅葉し、透き通るような赤色から橙色、しばしば黄色が入り』、『グラデーションになる』。『花は円錐花序で』、四~五『月に葉に先立って花を咲かせる。雄花は淡黄色、雌花は紅色を呈する』。『秋には』五、六『ミリメートル』『 の赤い球形の果実を房状につける。果実は熟すると紫色になる』。『中国原産。東アジアの温暖な地域に自生する。日本には』、大正四(一九一五)『年に孔林で採られた種子が伝えられ、東京都目黒区の林業試験場(現在の林試の森公園)に植えられた』(ということは、良安は原木を知らないということである)。『夏には大きな木陰を提供し、秋には美しく紅葉することから、街路樹、公園や庭園などに植えられる。俗に「学問の木」とされ、稀に学校に植えられたり、盆栽にされる』。『若葉には特異な芳香があり、茶の代用にされるほか、野菜としても食用にされる』。『材質は堅く、心材は鮮黄色で木目が美しい。優良な家具材であり、船材、杖、碁盤などに用いられる』。『種子の』四十二・二六『%が油からなっており(仁部分の油含有率は』五十六・五『%)で、燃料やバイオディーゼル燃料に使用するため栽培されている』とあり、以下、「カイノキ属」として、カイノキを含む十五種が挙げられてある。但し、中文でざっと調べたところでは、中国に同属の異種が自生する記載は、見当たらなかったから、複数種を掲げる必要はないように思われた。

「農政全書」明代の暦数学者でダ・ヴィンチばりの碩学徐光啓が編纂した農業書。当該ウィキによれば、『農業のみでなく、製糸・棉業・水利などについても扱っている。当時の明は、イエズス会の宣教師が来訪するなど、西洋世界との交流が盛んになっていたほか、スペイン商人の仲介でアメリカ大陸の物産も流入していた。こうしたことを反映して、農政全書ではアメリカ大陸から伝来したサツマイモについて詳細な記述があるほか、西洋(インド洋の西、オスマン帝国)の技術を踏まえた水利についての言及もなされている。徐光啓の死後の崇禎』十二『年』(一六三九年)『に刊行された』とある。光啓は一六〇三年にポルトガルの宣教師によって洗礼を受け、キリスト教徒(洗礼名パウルス(Paulus))となっている。以下は、同書の「第五十四 荒政」(「荒政」は「救荒時の利用植物群」を指す)「木部」にある。「漢籍リポジトリ」のここの、ガイド・ナンバー[054-13b] に、

   *

黄棟樹 生鄭州南山野中葉似初生椿樹葉而極小又似楝葉色㣲帶黄開花紫赤色結子如豌豆大生青熟亦紫赤色葉味苦

  救飢 採嫩芽葉煠熟換水浸去苦味油鹽調食蒸芽曝乾亦可作茶煮飲

   *

とあった(附帯する影印本画像を確認して、表記が正しいことを確認したので、そのままコピー・ペーストした)。

「椿樹(ヒヤンチユン)」良安が中国音を、わざわざ附していることに安堵する。先行する「椿」で見た通り、双子葉植物綱ムクロジ目センダン科Toona属チャンチン Toona sinensis である。

「楝」詳しくは、前項「楝」の私の注を見られたいが、双子葉植物綱ムクロジ目センダン科センダン属センダン Melia azedarach var. subtripinnata、及び、トウセンダン  Melia toosendan を指す。

「碗豆《ゑんどう》」マメ目マメ科マメ亜科エンドウ属エンドウ Pisum sativum 。中国語でも同一種を指すので、安心してルビを振った。]

「善惡報はなし」正規表現オリジナル注 卷二 㐧九 じひある人とくを得る事

[やぶちゃん注:底本・凡例等は初回を参照されたい。挿絵はない。]

 

 㐧九 じひある人、とくを得る事

○正保元年六月中旬の事成《なる》に、東寺(とうじ)に、さる、「うりつくり」あり。

[やぶちゃん注:「正保元年六月中旬」グレゴリオ暦一六四四年七月十三日から二十二日までに相当する。

「東寺」寺はここ(グーグル・マップ・データ)。]

 其日、うりばたけへ見𢌞けるに、三十ばかりの男、かね袋(ふぐろ[やぶちゃん注:ママ。])を、一つ、持(もち)て來り、うりを、一つ、二つ、所望し、くふて、たちざまに、かのふくろを、わすれ、ゆきぬ。

 うりつくり、其ふくろを取《とり》て、

「是は、最前(さい《ぜん》)の人の、おとしてや、ゆきつらん。我、是を取てかへりなば、おとしたる人、さぞ、うらめしかるべし。人のなげきの、こもれるかねをとりて、何かせん。かへしあたへんには、しかじ。」

と、おもひて、かしこを見れば、此おとこ、いきをきつて、かけ來り、うりぬしに、むかつて、

「しかじかの事あるゆへ[やぶちゃん注:ママ。]、道より、おもひ付《つき》、參り候。それにあらば、給はれ。」

といふ。

 「うり」ぬし、

「さればこそ、其方のかね成《なる》か。『さだめて、とりに來られん。』と、最前より、是《ここ》に、ひかへ候。」

とて、くだんの袋(ふくろ)を、わたしける。

 此男(おとこ[やぶちゃん注:ママ。])、申やう、

「あまり、御心ざしの過分、云《いふ》ばかりなく覺え申候。則《すなはち》、此ふくろの内を、すこしにても、御禮のために、しんじ參らすべけれども、是は、これ、人にわたすかね也。御宿(《おん》やど)を見置《みおき》て、追付(をつつけ[やぶちゃん注:ママ。])、御禮申さん。」

と、よろこびてこそ、かへりけれ。

 扨《さて》、四、五日もありて、うりぬしが宿(やど)を、たづね、たいめんし、

「此比《このごろ》の御れいに參りて候。すこしにて、はづかしく候へども、心ざしばかりに參らする。」

とて、錢(ぜに)五百文、さし出す。

 亭主、申《まうす》やう、

「さればこそ。此れいを申うくるほどならば、何《なん》とて、みぎのかねを、かへすべきや。おもひもよらず候。とくとく、取《とり》て、かへられよ。」

とて、

「ずん」

と、立《たつ》て、のきけるが、此男も、をんどく[やぶちゃん注:ママ。「恩德(おんどく)」。]のためを思ひ、二百文、「むしろ」[やぶちゃん注:「莚」。]のしたへ、さし入て、かへるに、ほどへて、女房、見付《みつけ》、取出《とりいだ》す。

 夫、もとより、ひよく[やぶちゃん注:「非欲」。]のものなるがゆへ[やぶちゃん注:ママ。]、かやうのぜにを、一せんにても、身に付(つく)る事を、めいわくにおもひ、其錢を、のこらず、持《もち》て、寺〻へ、まいり、佛前へ、まき、或は、非人(ひんん)に、くれ、漸〻(やうやう)、あまりたる錢廿文、ありけるが、あるふるかねみせ[やぶちゃん注:「古鐵店」。金物屋。]に、「ふるわきざし」[やぶちゃん注:「古脇差」。]のありしを、まきあまれる廿文にて、かいとり、是は、孫(まご)のかたへ、とらせ、

「木(き)わりにも、させん。」

と、おもひ、取《とり》てかへりしを、かれが一子、「ほんあみ」に奉公しける。

[やぶちゃん注:「ほんあみ」数寄者光悦が一般には知られるが、元来、本阿弥家は刀剣の鑑定と研磨を業とした。その初祖は妙本。生没年から、正保ならば、本阿弥光甫である。]

 さる時、來り、此「木わりわきざし」を取《とり》てかへり、こしらへて、金廿枚にうり、其かね、親がもとへ、もち來り、

「此ほどの木わり、是ほどのかねになり候。」

とて、おやに、わたす。

 おやども、きもをけし、さらに誠《まこと》とは、おもはざりしかども、まぎれなければ、其ぶんにて、うちすぎぬ[やぶちゃん注:その徳分を是(ぜ)として受け取って、暮らした。]。

 さればこそ、「しんあれば、とくあり。」[やぶちゃん注:「『信』あれば、『德』あり。」。信仰の心を持つ者は行いに徳がある。また、信仰する人には神仏の加護により御利益があるの意。]とは、かやう事をや、いふらん。其身は田夫野人(でんぶやじん)なれども、正直(しやうじき)の一念あるゆへ[やぶちゃん注:ママ。]に、天道(てんだう)より、ふくぶんを、あたへ給ふ。うら山しき心ならん。

2024/06/28

「和漢三才圖會」植物部 卷第八十三 楝

 

Outi

 

あふち    苦楝

       實名金鈴子

       俗云雲見艸

【音練】

 

俗云

 せんたん

 

本綱楝髙丈餘其長甚速三五年卽可作椽葉宻如槐而

長三四月開花紅紫色芬香滿庭有雌雄雄者無子根赤

有毒服之使人吐不能止時有至死者雌者有子根白微

毒其子正如圓棗又小鈴生青熟黃色

 歳時記言蛟龍畏楝故端午以葉包粽投江中𮁨屈原

[やぶちゃん字注:「𮁨は「祭」の異体字。」]

 今俗五月五日取葉佩之辟惡也

川楝子【苦寒有小毒】 導小腸膀胱之熱因引心包相火下行

 故熱厥心腹痛及疝氣爲要藥

苦楝根皮【苦微寒微毒】 宜用雌者治蚘蟲利大腸治小兒諸

 瘡燒灰傅之

△按楝其子入藥中𬜻四川產佳故名川楝子如川芎

 川鳥頭之類亦然其材微赤色有橒比於桐比於欅

 軟可以旋箱此樹昜生昜長故多栽塘堤

  新古今あふちさく外面の木陰露落て五月晴るゝ風渡る也忠良

  藻鹽山遠き軒端にかゝる雲見草雨とはならてとくそ暮ぬる

[やぶちゃん注:最初の一首は第四句目が「五月雨晴るゝ」の脱字である。訓読では訂しておいた。]

 

   *

 

あふち    苦楝《くれん》

       實《み》を「金鈴子《きんれいし》」と名づく。

       俗に云ふ、「雲見艸(くもみぐさ)」。

【音「練」。】 

 

俗に云ふ、

「せんだん」。

 

「本綱」に曰はく、『楝《れん》、髙さ、丈餘。其の長ずること、甚だ速《はやき》なり。三、五年にして、卽ち、椽(たるき)に作るべし。葉、宻《みつ》にして、槐《えんじゆ》のごとくにして、長し。三、四月、花を開く。紅紫色、芬香《ふんかう》、庭に滿つ。雌雄、有り。雄なり者、子《み》、無く、根、赤く、毒、有り。之れを服すれば、人をして吐かせ、止むること能はざる時、死に至る者、有り。雌なる者、子、有り、根、白く、微《やや》、毒あり。其の子、正《まさ》に圓《ま》るき棗《なつめ》のごとし。又、小鈴(《こ》すゞ)のごとく、生《わかき》は、青く、熟すれば、黃色。』≪と≫。

『「歳時記」に言《いは》く、『蛟龍《かうりゆう》、楝を畏る。故に、端午に、葉を以つて、粽《ちまき》に包み、江中《こうちゆう》に投じて、屈原を𮁨《まつ》る。今、俗、五月五日、葉を取り、之れを佩(お)びて、惡を辟《さ》く、となり。』≪と≫。』≪と≫。

『川楝子(せんれんし)【苦、寒。小毒、有り。】 小腸・膀胱の熱を導(みちび)き、因つて、心包《しんはう》の相火《さうくわ》を引く。下行する故、熱厥《ねつけつ》・心腹痛、及び、疝氣、要藥と爲《な》す。』≪と≫。

『苦楝根皮《くれんこんぴ》【苦、微寒。微毒。】 宜しく雌の者を用ふべし。蚘蟲《くわいちゆう》を治し、大腸を利し、小兒の諸瘡に《✕→を》治す。灰に燒きて、之れを、傅《つく》。』≪と≫。

△按ずるに、楝、其の子、藥に入《いるる》。中𬜻(もろこし)の四川の產、佳《よ》し。故に、「川楝子《せんれんし》」と名づく。「川芎《せんきゆう》」・「川鳥頭《せんうず》」の類《るゐ》のごときも、亦、然《しか》り。其の材、微《やや》赤色、橒(もく≪め≫)、有り。桐に比すれば、堅く、欅(けやき)に比すれば、軟(やはら)かにして、箱に旋(さ)すべし。此の樹、生(は)へ昜《やす》く、長じ昜し。故《ゆゑ》、多く、塘-堤《つつみ》に栽《う》ふ。

  「新古今」

    あふちさく

      外面《そとも》の木陰

     露落《おち》て

         五月雨《さみだれ》晴るゝ

        風渡る也

               忠良

  「藻鹽」

    山遠き

      軒端にかゝる

     雲見草《くもみぐさ》

         雨とはならで

        とくぞ暮《くれ》ぬる

 

[やぶちゃん注:「楝」「おうち」は、日中ともに、

双子葉植物綱ムクロジ目センダン科センダン属センダン Melia azedarach var. subtripinnata

である。

但し、中国では、漢方薬の基原植物としては、同属の、

トウセンダン  Melia toosendan

も挙げられてあるので(終りの方の注で後述する)、「本草綱目」の方では、そちらも挙げておく必要がある。以下、当該ウィキの「センダン」を引く(注記号はカットした)。『別名としてアフチ、オオチ、オウチ、アミノキなどがある。薬用植物の一つとしても知られ、果実はしもやけ、樹皮は虫下し、葉は虫除けにするなど、薬用に重宝された』。なお、『香木の栴檀はインドネシア原産のビャクダン』(双子葉植物綱ビャクダン目ビャクダン科ビャクダン属ビャクダン Santalum album )『のことを指し、センダンのほうは特別な香りを持たない』。『順応性の高い種であり、原産地のヒマラヤ山麓のほか、中国・台湾・朝鮮半島南部』及び『日本などの乾燥した熱帯から温帯域に分布する。日本では、本州(伊豆半島以西)、伊豆諸島、四国、九州、沖縄に分布する』。『温暖な地域の、海岸近くや』、『森林辺縁に多く自生する。庭木や公園、寺院、街路樹にも植えられていて、しばしば植えられたものが野生化もしている』。『落葉高木で、樹高は』五~二十『メートル』『ほどで、成長が早い。枝は太い方で、四方に広がって伸び、傘状あるいは、エノキに雰囲気が似た丸い樹形の大木になる。成木の幹は目通り径で約』二十五『センチメートル』『ほどになる。若い樹皮は暗緑色で楕円形の白っぽい皮目が多くよく目立つが、太い幹は黒褐色で樹皮は縦に裂け、顕著な凹凸ができる。夏の日の午後は梢にクマゼミが多数止まり、樹液を吸う様子が見られる』。『葉は』二『回奇数羽状複葉で互生し、一枚の葉全体の長さは』五十センチメートル『以上ある。小葉は』三~六センチメートルの『長さがあり、葉身は先が尖った卵状楕円形で革質で薄い。葉縁に浅い鋸歯があり、さらに大きく切れ込むことがある』。『花期は初夏(』五~六『月頃)で、本年枝の葉腋から花序を出して、淡紫色の』五『弁の花を多数、円錐状につける。花序の長さは』十~二十センチメートルで『花弁は長さ』八~九『ミリメートル』『で、表が白色、裏が薄紫色で』、十『個ある雄しべは濃紫色をしている。花は美しさが感じられ、アゲハチョウ類がよく訪れる。なお、南方熊楠が死の直前に「紫の花が見える」と言ったのはセンダンのことだったと言われている』。『果期は秋』十月頃で、『果実は長径』十七ミリメートル『ほどの楕円形の核果で、晩秋』(十~十二月頃)に『黄褐色に熟す。秋が深まり』、『落葉しても、しばらくは梢に果実がぶら下がって残るため』、『目立つ。果実は果肉が少なく核が』一センチメートル『前後と大きく、上から見ると星形をしている。果実はヒヨドリやカラスなどの鳥が食べに訪れ、種が運ばれて空き地や道端に野生化することもある。しかし』、界面活性作用が細胞膜を破壊し、赤血球を破壊する溶血作用を持つ『サポニン』(saponin)『を多く含むため、人や犬が食べると』、『食中毒を起こし、摂取量が多いと死亡する』。』『冬芽は落葉後の葉腋に互生し、半球状で細かい毛で覆われている。葉痕は倒松形やT字形で、維管束痕は』三『個あり、白くて大きいので』、『よく目立つ。冬芽がついた枝先には、星状毛が残ることもある』。『葉や木材には弱い芳香がある。背が高い上に、新芽・開花・実生・落葉と季節ごとの見かけの変化も大きく、森林内でも目立ちやすい』。『樹木は、街路樹、庭木、公園樹に植えられている。枝は横に大きく被さるように出ることから、街路樹としての機能性に優れている。材は建築・器具用材、家具にもなり、下駄の材や、仏像彫刻に使われたこともある。ミンディ』(Mindi)『材と書かれているのはこのセンダンのこと。ケヤキの模擬材として使われることもある。また核(種子)は数珠の珠にする』。『材を林業として利用する場合は、苗を植えて』十五~二十『年で木材に製材できる。このため』、『日本の熊本県天草市では、中山間地域にある耕作放棄地の活用策として植林されている』、『果実は生薬の』「苦楝子(くれんし)」、若しくは、「川楝子(せんれんし)」と『称して、ひび、あかぎれ、しもやけに外用し、整腸薬、鎮痛剤として煎じて内服した。樹皮は生薬の苦楝皮(くれんぴ)と称して、駆虫剤(虫下し)として煎液を内服した。樹皮には苦味成分があり、漁に使う魚毒にも使われた。葉は強い除虫効果を持つため、かつては農家において除虫に用いられていた』。『沖縄県に自生するセンダンの抽出成分が、インフルエンザウイルスを不活化させることが報告された』。また、『同成分ががん細胞のオートファジー(自食作用)を促進させ、死滅させること』が判っており、現在、七十『種類の』癌で『センダンの抗』癌『作用』が『確認』されている。本種の、その効『用は、マウス実験、犬への投与で実証され』ている、とあった。

 良安の「本草綱目」のパッチワーク引用は、「卷三十五上」の「木之二」「喬木類」(「漢籍リポジトリ」)の「(ガイド・ナンバー[085-30b]以下)からである。

「苦楝」センダンの中文の「維基百科」のタイトルが「苦楝」である。

「金鈴子」同前の中国語の異名の中に「金鈴子」がある。因みに、中国語の音写をすると、「ヂィンリィンヅゥ」。

「雲見艸(くもみくさ)」すたこら氏のブログ「すたこらの雁書」の「雲見草(クモミグサ)・・栴檀(センダン)」によれば、『遠目には紫雲がたなびいているように見えることに由来します』とあった。因みに、その前に、センダンの和名について、『名前は果実が丸く数が多いことから千珠(センダマ)の意味で、転訛したものです』と記しておられ、目から鱗であった。

「椽(たるき)」「垂木」とも書く。棟から軒に渡して屋根面を構成する材料。下から見えるものを「化粧垂木」。見えないものを「野垂木」と称する。社寺では二重に用いることが多く,上のものを「飛檐(ひえん)垂木」、下のものを「地垂木」と呼ぶ。

「槐《えんじゆ》」マメ目マメ科マメ亜科エンジュ属エンジュ Styphnolobium japonicum 。中国原産で、当地では神聖にして霊の宿る木として志怪小説にもよく出る。日本へは、早く八世紀には渡来していたとみられ、現在の和名は古名の「えにす」が転化したもの。因みに、次の次の項が「槐」である。

「棗《なつめ》」バラ目クロウメモドキ科ナツメ属ナツメ Ziziphus jujuba var. inermis (南ヨーロッパ原産、或いは、中国北部の原産とも言われる。伝来は、奈良時代以前とされている。

「歳時記」「荊楚歲時記」。南朝梁(六世紀)時に、江陵(湖北省)の宗懍(そうりん)によって著された荊楚地方(揚子江中流域の現在の湖北省・湖南省一帯)の年中行事記。原名は「荊楚記」であったともされる。七世紀になって、隋の杜公瞻(とこうせん)が注釈を附し、「荊楚俊時記」という書名とされるとともに、原書の内容が補足された。その内容は、正月年始の行事に始まり、「競舟」(けいしゅう)などの民俗行事、灌仏会(かんぶつえ)などの仏教関連の行事や諸種の風俗・習慣・民間信仰に至るまでのさまざまな範囲に及ぶ(小学館「日本大百科全書」に拠った)。

「蛟龍」中国古代以降の想像上のポスト龍の一種。水中に潜み、機縁を得て、雲雨に逢うと、それに乗じて、天上に昇って龍になるとされる。「蛟」は和訓では、「みづち」と読む。

「屈原を𮁨《まつ》る」戦国時代の楚の憂国の政治家にして詩人の屈原(紀元前三四三年頃~紀元前二七八年の旧暦五月五日頃)。秦の張儀の謀略を見抜き、踊らされようとしている懐王を必死で諫めたが、受け入れられず、楚の将来に絶望し、洞庭湖に注ぐ長江右岸の支流汨羅(べきら)で入水自殺した。懐かしいね、私の好きな「楚辭」の「漁父(ぎよほ)の辭」だ。サイト「WIKIBOOKS」の「高等学校古文/散文・説話/漁父辞」をリンクさせておく。ただ、屈原というと、反射的に私が直ぐに思い出すのは、決まって大学時代に故吹野安先生の漢文学演習で屈原の「漁父之辞」を習った際、先生が紹介してくれた、この大田蜀山人の、

 死なずともよかる汨羅に身を投げて

          偏屈原の名を殘しけり

である(第五句は「と人は言ふなり」とするものが多いが、私は吹野先生の仰ったものを確かに書き取ったものの方で示す。私は先生の講義録だけは今も大事に持っているのである)。東洋文庫の後注では、『楚の忠節な政治家屈原は讒言(ざんげん)に遭って流謫(るたく)され、国を憂えて五月五日、汨羅(べきら)に入水自殺した。人々は彼を哀れんで、この日になると粽を江中に投げて屈原を祭ったが、水中の蛟竜がそれを取って食べてしまう。そこで蛟竜に奪われないように、蛟竜の恐れる楝の葉を、粽を入れた筒に挿して水に投ずるようになったという話。』とある。

「心包《しんはう》の相火《さうくわ》」同前で、『心包は心を包んでまもるもの。心を君主とすると心包はそれをまもる宰相にあたる。心・心包ともに五行説では火に配当される。それで心の君火・心包の相火という。』とある。

「熱厥《ねつけつ》」東洋文庫訳の割注に、『四肢』が『冷え、体』に『は熱があり』、『口がかわく病症』とある。

「疝氣」漢方で「疝」は「痛」の意で、主として下腹痛を指す。「あたばら」などとも言う。

「苦楝根皮《くれんこんぴ》」「株式会社 ウチダ和漢薬」公式サイト内の「生薬の玉手箱 」の「クレンシ・クレンピ(苦楝子・苦楝皮)」に詳しいので、見られたい。なお、冒頭で私がトウセンダンを挙げたのは、東洋文庫訳の割注で、本「楝」を『トウセンダン』と同定比定していることから、このページを見出し、センダンと並べた次第である。

「蚘蟲《くわいちゆう》」前注で示したリンク先には、『現在の『中華人民共和国薬典』には、「川楝子」としてトウセンダンの成熟果実が、「苦楝皮」としてトウセンダンあるいはセンダンの樹皮および根皮が収載されています。果実は駆虫、鎮痛薬として、疝痛、脘腹脹痛、回虫症による腹痛などに応用し、樹皮および根皮は駆虫薬として内服し、また疥癬などの皮膚疾患に外用されます。回虫駆除効果は樹皮より根皮の方が高く、採集時期は冬もしくは春の発芽前がよいとする報告があります。一方、苦楝皮には毒性があり、めまい、頭痛、睡気、むかつき、腹痛などを引き起こします。重い中毒の場合には、呼吸中枢の麻痺、内臓出血、中毒性肝炎、精神異常、視力障害などがあらわれることがあります。また、苦楝子にはより強い毒性があるとされ、これらの服用には慎重な注意が必要です』。『日本では民間的にセンダンの果実、樹皮、根皮などが利用され、ひび、あかぎれ、しもやけに果実をすりつぶした汁あるいは酒で煎じた汁をつける、耳が腫れて痛む場合に果実をすりつぶして綿に包んで耳の中へ入れる、回虫の駆除に樹皮を煎じて飲む、口内炎に根皮を煎じた汁でうがいをする、疥癬に根皮を酒で煎じて塗るなどの方法が知られています』。『また、インド伝統医学アーユルヴェーダでは、同属のMelia azadirachta L.(英名:Neem)の樹皮、葉、果実などあらゆる部位を薬用にし、皮膚病、泌尿障害の治療や、解熱剤、駆虫剤として用いられています。インドでは、Neemは日常の生活衛生にも取り入れられ、やわらかい小枝は歯ブラシとして利用されます。その他、歯磨き粉や石鹸などにも利用されています。また、『ネパール・インドの聖なる植物』によれば、Neem には悪霊を追い払う力があるとされ、産屋の戸口の外でNeem の葉や枝を焚き、煙で悪霊が部屋に入り込むのを防ぐ風習のあることが記されています』。『厄除けに関しては、陶弘景が「五月五日に葉を取っておび、悪を避ける」と記しているように、中国でもセンダンの仲間に邪気を払う力があると信じられていました。日本でも端午の節句にセンダンの葉を菖蒲のように軒に挿したりしたと伝えられています』。『このように日本、中国、インドで、センダンの仲間が同じように駆虫薬また厄除けに利用されてきたことは、伝承医学の起源や伝播を考えるとき、たいへん興味深く思われます』とあり、回虫を始めとするヒト寄生虫の駆除薬としての、非常に古い歴史があること、さらに、民俗社会での霊薬とする古代からの風習があったことが判り、非常に興味深かった。

「川芎《せんきゆう》」センキュウ。セリ科の草木。その根茎が頭痛などの薬剤になる。薬用として栽培された』とある。当該ウィキによれば、『中国北部原産で秋に白い花をつける』『多年草』(セリ目セリ科ハマゼリ属)『センキュウCnidium officinaleの根茎を、通例、湯通しして乾燥したもので』、『本来は芎窮(きゅうきゅう)と呼ばれていたが、四川省のものが優良品であったため、この名称になったという。日本では主に北海道で栽培される。断面が淡黄色または黄褐色で、刺激性のある辛みと、セロリに似た強いにおいがある。主要成分としてリグスチリド』(Ligustilide)『などがあげられる』。『現在の分析では鎮痙剤・鎮痛剤・鎮静剤としての効能が認められ、貧血や月経不順、冷え性、生理痛、頭痛などに処方されて』おり、『漢方では』「当帰芍薬散」に『配合され』、『婦人病』、所謂「血の道」の『薬として』、『よく用いられる』とあった。

「川鳥頭《せんうず》」猛毒植物として知られるキンポウゲ目キンポウゲ科トリカブト属ハナトリカブト Aconitum carmichaelii を基原とする古い漢方生薬名と思われる。同種は「カラトリカブト」の異名がある。当該ウィキによれば、『ハナトリカブトの各部分には非常に強い有毒成分が含まれており、歴史的には矢に塗る毒として用いられ、塊根を加熱して毒性を減らしたものは「附子(ぶし)」や「烏頭(うず)」として鎮痛や強精などの目的で生薬として用いられてきた』とある。

「新古今」「あふちさく外面《とのも》の木陰露落《おち》て五月雨《さみだれ》晴るゝ風渡る也」「忠良」「新古今和歌集」の「卷第三 夏歌」の前大納言粟田口忠良(ただよし)の一首(二三四番。「をちて」はママ)、

   *

  百首歌たてまつりし時

 あふちさくそともの木(こ)かげ露をちて

   五月雨(さみだれ)はるゝ風わたるなり

   *

前書の「百首歌」は「五十首歌」の誤りで、建仁元(一二〇一)年二月の「老若五十首歌合」である(以上は所持する「新日本古典文学大系」版の本文と脚注を参考にした)。

「藻鹽」「山遠き軒端にかゝる雲見草《くもみぐさ》雨とはならでとくぞ暮《くれ》ぬる」「藻鹽」は「藻鹽草」で、室町時代の連歌用語辞書。二十巻。連歌師宗碩(そうせき 文明六(一四七四)年~天文二(一五三三)年)の著。永正一〇(一五一三)年頃の成立。連歌を詠むための手引として、天象・時節・地儀・山類・水辺・居所・国世界・草部・木部・鳥類・獣類・虫類・魚類・気形・人倫并異名・人事・雑物調度・衣類・食物・言詞の二十項目に分類して、歌語などを集めたもの。国立国会図書館デジタルコレクションの「藻しほ草」(室松岩雄校訂・明治四四(一九一一)年一致堂書店刊)のここ(左ページ下段の「樗十九」(「あふち」の別字)の五行目「雲見草」で、

   *

 山遠き軒はにかゝる雲見草雨とはならてとくそくれぬる

   *

と、視認出来る。]

「善惡報はなし」正規表現オリジナル注 卷二 㐧八 あくぎやくの人うみへしづめらるゝ事

[やぶちゃん注:底本・凡例等は初回を参照されたい。]

 

 㐧八 あくぎやくの人、うみへしづめらるゝ事

○寬文元年、秋の中ばに、「かゝの浦」より、北國へ、くだるふね、あり。

[やぶちゃん注:「寬文元年」は閏八月があるので、秋の半ばとなると、グレゴリオ暦では、一六六一年の七月二十六日から十月二十二日までが「秋」となるので、中秋は、八月四日から九月十四日辺りに相当する。

「かゞの浦」岩波文庫の高田氏の脚注に、『不詳。若狭湾の加尾の浦か。』とある。確かに、私も「加賀」では、既に「北國」であるから、漠然と、ずっと南の地域を感じていた。高田氏の指示されるのは、現在の福井県小浜市加尾(かお)浦で、宇久(うぐ)浦の東にあり、北は西小川(にしおがわ)浦で、西は若狭湾に面する漁村である。ここ(グーグル・マップ・データ)。

 舟中に、をよそ[やぶちゃん注:ママ。]、三、四十人ばかり、のりけり。

 二、三里もいづべきとおもふ折ふし、此ふね、俄に、すはりて、跡へも、先へも、ゆきやらず。

 かこ[やぶちゃん注:「水手(かこ)」。船頭。]をはじめ、舟中の人〻、

「こは、いかなる事やらん。」

と、あはて、ふためく所に、しばらくありて、かしこを見れば、其長(たけ)、五ひろ[やぶちゃん注:「五尋」。ここは海上であり、通常の「一尋」(両手を広げた人体尺で一・八メートル)よりも、短い漁業で使う一・五メートルで換算すると、七・五メートル。]ばかりもあるらんとおぼしき、鰐(わに)[やぶちゃん注:サメ。]と云《いふ》物、五、六十ばかり、ふねの前後(ぜんご)を、うちかこみてぞ、みへ[やぶちゃん注:ママ。]にける。

 人〻、大きにおどろき、手に手に、ろ・かい[やぶちゃん注:ママ。「櫓・櫂」。]を、ひつさげ、

「うちちらさん。[やぶちゃん注:「打ち散らさん」。]」

と、ひしめく所に、かこ、一人、すゝみ出《いで》て、申《まうす》やう、

「いやいや、をのをの[やぶちゃん注:ママ。]、ちからわざには、叶《かなふ》まじ。是は、別(べち)の「ぎ」[やぶちゃん注:「義」。]にては、あるまじ。むかしも、此のうらにて、鰐、人を見入《みいり》、其《その》舟、何としても、うごかず、七日七夜《なにぬかななよ》、すはりけるに、舟中に、五、六十人も、ありつる中《うち》、物に、よく心得たる人、ありて、云《いふ》やうは、

『是は、定而《さだめて》、此舟中の人々の中に、鰐の見入ある人、あるべし。たれといひては、名(な)ざゝれず。とかく、めんめんのはながみを、うみへ、おとして見給へ。其かみを、わにの取りたるを、しるべにして、其の人を、うみへ、おろし、「わに」に、とらせん。』

『尤《もつとも》。』

とて、一人づゝ、かみを、おとしけるに、十四番目にあたりて、津国(つのくに)[やぶちゃん注:摂津の国。]の「なにがし」といひし人のかみを、取《とり》けり。

『扨は。』

とて、いたはしながら、うみへ入《いれ》ければ、舟は、つゝがなく、はしりける、と、ふるき人のはなしを聞をけば、定而(さだめて)、是も、さやうの「ぎ」なるべし。めんめんの、はながみを、入《いれ》てみ給へ。」

といふ。

「さらば。」

とて、めんめんに、おとしける中にも、一人は、かみをも、おとさず、只、よそごとのやうにして、うそぶいて、い[やぶちゃん注:ママ。]ける。

 人〻、申《まうす》やう、

「何《いづ》れも、かく、なんぎに、あひ、身命(しんみやう)あやうき時節なるに、其方《そのはう》は、何と、おもひ入れ給ふぞ。何れも、のこらず、かみをおとしけるに、其方ばかり也《なり》。はやはや、おとし給へ。」

と、せめける時、せんかたなく、おとしけるに、おつるよりも、はやく、引《ひき》こみける。

 

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[やぶちゃん注:岩波文庫の挿絵は、同書の挿絵の中では、状態が良い方である。三尾の「鰐」が描かれているが、この担当した絵師、実際のサメを見たことがなかったと思われ、想像で描いた結果、ナマズみたような奇怪な触手が口の左右に生えており、サメには認められないビラビラの胸鰭も附いていて、これ、怪奇感を、いやさかに煽って、甚だ面白い。いやいや、こんなのが、六十匹もおったら、こりゃ、「おとろしけない! でぇ! 第一参考底本はここ第二参考底本はここ。でも、やっぱり、後者がいいね。

 

「扨は。いたはしく候へども、其方を、うみへ、おろし申さん。一人に大勢は、かへがたし。かくご、あれ。」

と、口〻(くち《ぐち》)に申せば、此男、大きに、いかり、

「中〻《なかなか》。我に、『うみへ入れ。』とや。何のしさいに、入《いる》べき。おもひもよらず候。『ぜひに、いれん。』と思ふ人あらば、すゝみて、是へ、出《いで》給へ。」

とて、「わきざし」に、手を、かくる。

[やぶちゃん注:「中〻《なかなか》」同じく高田氏の脚注に、『他人の言葉を反発的に受ける語。何だと。何を。』とある。古語辞典では、「なかなか」、ここまで明快な解説は、ないぞ! こね野郎!]

 人〻、大ぜい、おりかさなつて、

「何といふとも、いはせまじ。」

と、手取《てとり》、あしとり、なんなく、うみへ、しづめけるが、其のまゝ、舟は、ゆるぎ出《いで》、じゆんぷうに、「ほ」を、さしあげ、ゆくほどに、舟中の人〻、死のなんを、のがれつゝ、皆、一同に、喜び、うたをぞ、うたひける。

 中にも、かのうみへ、しづみしものゝゆくゑ[やぶちゃん注:ここは「過去の素性」の意。]を、よく、しりたる人、ありていはく、

「かれは、あくぎやくのものにて、おほくの人を、ころし、或は、女・わらんべを、たばかりては、他国へ、うりなどせしむくひ、今日《こんにち》、來(きたつ)て、うみにしづみしなり。」

と、かたれば、きく人、にくまざるは、なし。

「『このはなし、いつはりなき。』よし、『大せいもん』[やぶちゃん注:「大誓文」。神仏に誓って間違いないという証文。]を入《いれ》、同じ舟に、のり合《あひ》て、見申《まうす》。」

よし、越後の人の、かたられける。

 

「善惡報はなし」正規表現オリジナル注 卷二 㐧七 ごりんより血の出る事

[やぶちゃん注:底本・凡例等は初回を参照されたい。「ごりん」は言わずもがな、「五輪塔」のこと。挿絵はない。]

 

 㐧七 ごりんより血(ち)の出《いづ》る事

 越前つるがのきんがうに、じやうど寺(でら)あり。

 ある時、はかの、ごりんのだいの、あはせ目より、血のながるゝ事、おびたゞし。

 此の妄者(まうじや)[やぶちゃん注:「亡者」。]を、いかなるものぞといふに、難產にて、死せる女の「はか」なりと、知れり。

 此事、かくれなければ、見物、寺内にぐんじゆ[やぶちゃん注:「群衆」。]す。

 後《のち》には、門をとぢて、出入《でいり》、なかりけり。

「血の出《いづ》る事、つねは、いでずして、其妄者の名日[やぶちゃん注:二種の参考底本ともにママ。「命日」。]ごとに出る。」

と、いひあへり。

 住持も、是に迷惑し、其比《そのころ》、「たいをう」、修行し、其《その》近鄕にましましけるを、住持、いそぎ、しやうじ申《まうし》て、くだんのとをり[やぶちゃん注:ママ。]を語り給へば、「たいをう」、

「いとやすき事也。」

とて、そくじに止め給ふと、聞ゆ。

 それより、かさねて別(べち)の子細、なかりし、となり。

 かやうのはなしは、前代未聞、ためしなき事也。

 比は、明曆(めいりやく)元年の事也。

 此の事は、深く愼しむ事なるがゆへ[やぶちゃん注:ママ。]に、くはしくは、しるさず。

[やぶちゃん注:「たいをう」「卷二 㐧一 𢙣念の藏主火炎をふく事」に登場した、法力ある僧である。

「明曆元年」一八五五年。]

「善惡報はなし」正規表現オリジナル注 卷二 㐧六 れうし、虵に命をとらるゝ事

[やぶちゃん注:底本・凡例等は初回を参照されたい。挿絵はない。]

 

 㐧六 れうし、虵(へび)に命(いのち)をとらるゝ事

 正保元年六月中旬の事なるに、西近江、高嶋近き在所(ざいしよ)に、れうし[やぶちゃん注:「獵師」。]あり。

[やぶちゃん注:「正保元年六月中旬」グレゴリオ暦一六四四年八月十三日から二十三日相当。

「西近江、高嶋」琵琶湖西北岸一帯の旧郡名。現在の滋賀県高島市の大部分(旧滋賀郡志賀町の一部であった琵琶湖西岸高島市南端に当たる鵜川は除く)(孰れもグーグル・マップ・データ)。]

 山より、道に、死《しし》たる「きじ」一つ、あり。

 取《とり》てかへり、やがて。料理(れうり)[やぶちゃん注:動詞「れうる」の連用形。]、火鉢ヘかけてやきけるが、いつのまにか來《きた》るらん、五、六尺もあるらん虵、一すぢ、來つて、「ひばち」の向ふに、くび、もつたて[やぶちゃん注:「持つ立て」。持ち上げるようにして立てて。]、やきける鳥を、目がけ、ゐける。

 れうし、是を見て、

『殺すも、いかが。』

と、おもひ、二、三度ばかり、取《とり》て、すてけるが、また、きたつて、右のごとくにし、此の度(たび)は、火鉢のまはりを、ひためぐりに、めぐりけり。

 れうしも、ふしぎにおもひ、

『きやつは、いかさま、此《この》鳥にしうしん[やぶちゃん注:「執心」。]や、ありて、來るか、やすからぬやつかな。』

とて、やがて、ひつ取《とり》て、二つに引《ひつ》さき、

「ずんずん」

に、きつて、是をも、ともに、やく時に、何とかしたりけん、火鉢の火、飛んで、れうしがふところへ、火、一つ、とび入《いる》。

 獵師、

「はつ。」

と、おどろき、はらはんとするまに、此火、五ざう[やぶちゃん注:「五臟」。]へかけこみ、其のまま。絕入《ぜつじゆ》しけるが、其のあと、大きに、ひろくなりて、三十日ばかり、なやみ、つゐに[やぶちゃん注:ママ。以下同じ。]死《しし》けり。

「虵のとりたるきじを、れうし、知らずして、取《とり》て來りしが、其鳥に、しうしん、はなれず、れうしのあとを、をふ[やぶちゃん注:ママ。]てゆき、つゐには、獵師、虵に命をとられけるか。」

と、みな人ごとにぞ、いひあへり。

 名も所も、失念ゆへ[やぶちゃん注:ママ。]、しるさず。

 

「善惡報はなし」正規表現オリジナル注 卷二 㐧五 人をころしかね取むくひをうくる事

[やぶちゃん注:底本・凡例等は初回を参照されたい。挿絵はない。]

 

 㐧五 人をころし、かね取《とり》、むくひをうくる事

〇下總国(しもうさのくに)「ちば」といふ所に、賣買(ばいばい)しける者、有、他所《よそ》より、日〻《ひび》に、かねを取《とり》に來《きた》るもの、あり。[やぶちゃん注:「ちば」言わずもがな、現在の千葉市。]

 亭主、内〻、

『かれをころし、かねを取《とる》べき。』

と、おもふ心、いでき、或時、かの男、かね三、四十兩、もちて、きたる。

 ていしゆ、よろこび、いつならぬ奧へ、しやうじ、大きに、さけをしゐて、ゑひふさせ、ひそかに、しめころし、其夜に、「しがい」をかくし、

「おもひのまゝに、しすましたり。」

と、よろこび、いさみしが、ほどなく、のどけ[やぶちゃん注:「喉氣」。]を、わづらひ、くつう、ひつぱくする事、いふばかりなし。

 醫者を、よび、れうぢ[やぶちゃん注:「療治」。]しけるが、ある時、いしやばかり、座敷に、只一人ゐけるが、いづくより來《きた》るともしらず、いろ、あをざめたるやせ男、一人、きたり、醫者にむかつて、申《まうす》やう、

「我は、これの亭主に、しめころされしものなるが、かたきをとらんため、のどをふさぐなり。むくひの病《やまひ》なれば、其いじゆつ、せんなき事にて、あるべし。只、いそぎ、かへり給へかし。」

と云《いふ》。

 いしや、こたへていはく、

「それは、もつともなり。さやうにあらば、ともかくも、其方のことばに、したがふべし。さりながら、めいどの事は、いかに。」

と、尋ねければ、

「さればこそ、ぢごく、りんゑ[やぶちゃん注:ママ。「輪𢌞(りんね)」。]のさた、すこしも、いつはり、なし。」

と云。

 醫者、また、問《とひ》て、いはく、

「我等、かやうに、ひんなるは、いかなるゆへ[やぶちゃん注:ママ。]にや。」

といふ。

 㚑(れい)、こたへていはく、

「其方、前世(ぜんせ)にて、とんよく、ふかくして、人の物を、かすめ取、くれべき事[やぶちゃん注:相手に与えるべき場合も。]にも、『我物。』とて、人に遣《つかは》し[やぶちゃん注:対処し。]、一りう[やぶちゃん注:「一兩(いちりやう)」の誤刻であろう。]にても、ほどこすといふ事なくて、たゞ、けんどん[やぶちゃん注:「慳貪」。]の業力《がふりき》にひかるゝゆへ[やぶちゃん注:ママ。]なり。」

と、かたりて、きへ[やぶちゃん注:ママ。]うせぬ。

 されば、人を、がいして、をのれ[やぶちゃん注:ママ。]が、ためにせんと、おもふといへども、ふと[やぶちゃん注:第一参考底本では『布面』とするが、第二参考底本を見るに、字面(じづら)は「布図」と判読できることから、かく読んだ。]、其身のそこなひと成《なる》ときは、我身を、おもはざる也。いにしへより、今にいたるまで、人のたからを我物にせんと思ふやから、其身の害とならぬは、なし。よくよく、おもひしりて、おそるべし、おそるべし。

[やぶちゃん注:この一話、標題と内容が、なにやらん、医者の方に、ズレてしまっている。]

2024/06/27

「善惡報はなし」正規表現オリジナル注 卷二 㐧四 れんちよくの女冨貴に成事

 

[やぶちゃん注:底本・凡例等は初回を参照されたい。挿絵は、第一参考底本はここ第二参考底本はここ。無論、後者を見られたい。手前の嫁の前にある舛が大舛、舅の方にあるものが、小さな舛であろう。

  㐧四 れんちよくの女冨貴(ふうき)に成《なる》事

○洛陽(らくやう)に、さる商買人《しやうばいにん》、あり。[やぶちゃん注:「洛陽」ここは「京都」の意。]

 子に家をわたし、我は、ゐんきよぜんとしたくして[やぶちゃん注:「隱居然と仕度して」。]、舛(ます)を、二つ、取出《とりいだ》して、よめに、むかつて、いはく、

「なんぢ、今日《けふ》よりして、家を、わたす也。然《さ》れば、此《この》ちいさき舛にては、人に、わたし、大きなるますにては、おさむ[やぶちゃん注:ママ。]べし。」

とて、其「うけとり」・「わたし」のやう、くはしく、をしへければ、よめ、つくづく、聞《きき》て、いはく、

「さやうに、むつかしき所帶(しよたい)ならば 我、『さいばん』[やぶちゃん注:「裁判」。一般の商売に於ける正・不正の認識・判断を指す。]いたす事、かつて成《なし》がたかるべし。さあらば、我には、いとまを給はりて、家にかへらん。」

と、申《まうす》。

 舅《しうと》、おどろき、

「なんぢ、さやうにいひし心ねは、いかに。」

と、問《とふ》。

 よめ、こたへ、いはく、

「さればこそ、其方の兩舛をつかひ給ふ所、さりとては、天道にそむきぬれば、かならず、天のせめ、のがれがたくして、つゐに[やぶちゃん注:ママ。]は、此家、やぶるゝのみならず、子孫までも、其むくひ、のがれがたかるべし。ぜひ、われに、さいばんさせんと、おぼしめさば、向後《かうご》、兩舛を、やぶり給へ。」

と。

 「しうと」の、いはく、

「扨も。女のちゑうすき事の、はかなさよ。『とくぶん』を得る事をしらずして、『いな。』といふ。然らば、なんぢ、はからひに、まかせをく[やぶちゃん注:ママ。]。ともかくも。」

と云《いふ》。

 よめの、いはく、

「さ候はゞ、其兩ます、つかひ給ふ年數(ねんす)は、いくばく成《なる》ぞや。」

 舅、こたへて、

「されば、廿四、五年余(よ)。」

と申。

 よめ、申けるは、

「今より二十四五年の間、ちいさな舛にて取《とり》、大きなる舛にて出《いだ》し、今までの『とが』を、つぐのひてのち、舛一つに、し給はゞ、とゞまりて、家を、うけ取《とる》べし。」

と云。

 しうと、聞て、

「それは、なんぢが『さいばん』にまかするうへは、ともかくも。」

と云て、家を、わたしける。

 よめ、うけ收《をさめ》て、「れんちよく」して、家を、おさめ[やぶちゃん注:ママ。]ぬれば、其家、日〻《ひび》に、さかへ、男女《なんいよ》、六人まで、うめり。

 子共、成人(せいじん)するにまかせ、次第次第に、それぞれの「かとく」、つぎ、一つとして、何事につきても、ふそくなくして、子孫の「はんじやう」、いふばかりなし。

 されば、よのつねの人の「こゝろへ」には、

『むさぼる時は、財、あつまる。むさぼらざれば、財、あつまりがたし。』

とおもふもの、世に、おほし。「むさぼる」といふとも、財、あつまりがたし。たゞ、「れんちよく」は、かならず、財を、うしなはず。「とんよく」には、「がき」のむくひ、あるべし。「れんちよく」には、ふうきの報《むくひ》あり、となん。たれも、「とんよく」のけがれ、あるまじ[やぶちゃん注:「廉直に生きる者には」という条件文。]。舅、はじめは、兩舛の「とんよく」によつて、たから、あつまるとも、つゐに[やぶちゃん注:ママ。]は、まどはんずれども、よめの、「れんちよく」にして、家の、いよいよ、とめるをみる時は、兩ますの「とんよく」によつて、ふくぶんのおとれる事を、くゐ[やぶちゃん注:ママ。]ぬべし。されば、

『「とんよく」の人は、ひん[やぶちゃん注:「貧」。]のもとひ[やぶちゃん注:ママ。以下同じ。「基(もとゐ)」。]也。「れんちよく」の人は、ふつきのもとひなり。』

と、古人のことばを、守るべし。

 此はなし、今(いま)、世にすめる人のうへなれば、くはしくは、のべがたし。

 

「善惡報はなし」正規表現オリジナル注 卷二 㐧三 馬のむくひ來りて死事

[やぶちゃん注:底本・凡例等は初回を参照されたい。挿絵はない。]

 

  㐧三 馬《むま》のむくひ來りて死(しする)事

○江州大津邊に、平作と云《いひ》て、馬をつかひ、世をわたるもの、あり。

 年比(としごろ)、つかひし馬をしなせて、せんかたなく、野邊(のべ)に、すてけり。

 其次のとし、かの馬を、すてしのべを、とをる[やぶちゃん注:ママ。]に、されたるほねを、あしにて、けまはして[やぶちゃん注:「蹴𢌞して」。]いふやう、[やぶちゃん注:「されたる」「曝(さ)れたる」で、「長い間、風雨や太陽に曝(さら)されて、色褪せたり、朽ちたりする」ことを言う。]

「扨〻、きやつに、數年(すねん)、なんまんの『まぐさ』を、くはれ、おもふやうにも、つかはず、にくきやつが、『しかばね』かな。」

と、いひて、ひた物《もの》[やぶちゃん注:「直(頓)物」で副詞。「むやみに」の意。]、けちらしけるが、何とかしたりけん、「むかふずね」に、ほね、一つ、けたて[やぶちゃん注:「蹴立て」。誤って蹴りたてて、自分の向こう臑(ずね)にしたたか、ぶつけてしまったのである。]、そくじ[やぶちゃん注:「卽時」。]に、たふれ、絕入(たへいり[やぶちゃん注:ママ。])けるが、しばらくありて、やうやう、いきつき、やどにかへり、さまざま、れうぢ[やぶちゃん注:「療治」。]するに、叶(かなは)ず、次㐧次㐧に、疵(きず)、くさり入《いり》、いくほどなくて、死(しに)けり。

 きく人ごとに、

「むまの報《むくひ》か。」

と、いひあへり。

[やぶちゃん注:現実的に言えば、この男の感染したのは、明らかに破傷風である。家畜類では、馬が最も感受性が高く、よく発症することが知られている。病原体は、細菌ドメインのフィルミクテス門Firmicutesクロストリジウム綱Clostridiaクロストリジウム目クロストリジウム科クロストリジウム属クロストジウム・テタニ Clostridium tetani という嫌気性大型桿菌で、傷口から侵入すると、空気に触れない体内に入ることで増殖し、その排出毒素は、世界最強の毒素の一つとして知られ、各種シナプスを遮断し、重い痙性麻痺によって筋肉拘縮が起こり、死に至る。ワクチン接種以外には予防法は難しく、治療法も破傷風免疫グロブリンの投与による毒素中和の対症療法しかなく、致死率は十~三十%と高い。]

「善惡報はなし」正規表現オリジナル注 卷二 㐧二 女房死て馬に生るゝ事

[やぶちゃん注:底本・凡例等は初回を参照されたい。挿絵はない。]

 

 㐧二 女房死《しし》て馬《むま》に生《うま》るゝ事

〇正保年中の比、三州、衣(ころも)と云《いふ》所に、ある商人(あきびと)あり。

[やぶちゃん注:一六四四年から一六四八年まで。徳川家光の治世。

「三州、衣(ころも)」現在の愛知県豊田市挙母町(ころもちょう)か(グーグル・マップ・データ)。]

 母、死《しし》て、ある夜の夢に、其子に、つげていはく、

「我、存生(ぞんしやう)にありし時、米やのかねを、負(をい[やぶちゃん注:ママ。])すまさゞるが、いま、其家の『ろば』となりて、是を、つぐなふ事、數年《すねん》也。我を買ふものあらば、うりなんと云《いふ》。なんぢ、母を、おもはゞ、すみやかに來りて、命を、たすけよ。所は、何といふ所の町の米やなり。」[やぶちゃん注:「何といふ所」作者が意識的に特定出来ないようにぼかした表現。]

と、さだかに、かたる、と、おもへば、夢、さめぬ。 

 其子、

「何(なに)、ゆめの事也。」

と、いひて、うちすてぬ。

 又、次の夜も、くだんのとをり[やぶちゃん注:ママ。]、ありありと告(つげ)けるに、

「扨は。ふしぎ也。」

とて、おどろき、其米屋を、たづねゆきて、何となく、とふに、夢に露もたがはずして、

「此ろば、一兩四錢に、ねなつて[やぶちゃん注:「價(ね)」に「成つて」。]、すでに、わたすべきに、きわまりぬ。」

と云(いふ)。折ふし、子の手まへに[やぶちゃん注:手元には。]、わづか五錢ならでは、なし。

「とやせん、かくや、」

と、あんじ、かへりて、親類に、夢のありさまを、かたるに、

「扨は。あはれ成《なる》ことなり。何《いか》ほどにても、用次第に參(まいら[やぶちゃん注:ママ。])せん。其馬《むま》を、もとめ給へ。」

と、すゝむる。

 子、うれしくおもひ、又、米やがかたへゆき、かれが云《いひ》けるほどに、ねを、きはめをきて、扨、ろばのもとへ、ゆきみれば、ろ馬《ば》、此ものをみるとひとしく、なみだをながし、なつかしげなる風情(ふぜい)にて、物をいはぬばかりなり。

 みる人、あはれにおもはざるもの、なし。

 扨、一兩四錢に、かい[やぶちゃん注:ママ。]取《とり》てかへり、やしなひ、ころしけり。[やぶちゃん注:「ころしてけり」は言うまでもなく、「亡くなるまで、世話をし、看取ってやった」の意である。]

 とかく、人は、男女(なんによ)ともに、「とんよく」[やぶちゃん注:「貪欲」。仏教用語の清音を採った。]ふかきものは、かく、「ちくしやう」の躰(あい)にうまれ、報(むくい)のほどを、あらはすと、みへ[やぶちゃん注:ママ。]たり。「れんちよく」[やぶちゃん注:「廉直」。心が清らかで私欲がなく、正直なこと。]の人には、かくのごときの果《くわ》をあらはす事、あるべからず。たとへば、よき「ち」に、よき「たね」を、まくがごとし。かやうの道理を、ごく、分別、あらんかし。

 此はなしは、三州の人の、かたらるゝ、いつはりなき、よし。

[やぶちゃん注:米屋主人は、生前の母が残してしまった未払いの代金を負っているのであるから、当然以上に、決していた馬(驢馬)代以上に請求してもよい筈であるが、この息子の夢の話を聴いて、同じ値段でよいと申し出たのであろう。この話には、悪しき心の持ち主がいない、清々しい怪談と言える。先行する酷似する話(使用表現もほぼそっくり)「卷一 㐧十 𢙣念のものうしに生るゝ事」の二番煎じ感を持たないのは、その徹底した全体の映像の清涼感ゆえと言えると私は思う。]

「和漢三才圖會」植物部 卷第八十三 菜盛葉

 

Saimorinba

 

さいもりは 五菜菜

       正字未詳

菜盛葉 【俗云左以毛利波】

 

△按木葉似桐而小髙一二丈五月出花穗似麹六月結

 實有毛似麹而攅生秋黃熟山人用葉盛食物代噐皿

 故名菜盛葉其木不堪材用鳥啣其子遺屎昜生

 葉【苦甘】 治小兒胎毒草瘡入五香湯用又煎葉汁染皂色

 

   *

 

さいもりば 五菜菜《ごさいさい》

       正字、未だ詳かならず。

菜盛葉 【俗、云ふ、「左以毛利波」。】

 

△按ずるに、木・葉、桐《きり》に似て、小さく、髙さ、一、二丈。五月、花穗を出だし、麹に似、六月、實《み》を結び、毛、有り、≪これも、又、≫麹《かうぢ》に似て、攅(こゞな)り≪に≫生《しやう》じ、秋、黃(きば)み、熟す。山人《さんじん》、葉を用ひて、食物を盛る。噐《うつは》・皿に代《か》ふ。故《ゆゑ》、「菜盛葉(さいもり《ば》)」と名づく。其の木、材用に堪へず。鳥、其の子《み》を啣(ふく)んで、屎《くそ》を遺《のこし》、生(は)へ昜《やす》し。

 葉【苦、甘。】 小兒の胎毒・草-瘡《くさ》を治す。「五香湯《ごかうたう》」に入れて用ひ、又、葉を煎じて、汁≪となし≫、皂(くろ)色を染《そむ》る。

 

[やぶちゃん注:これは、

キントラノオ目トウダイグサ科エノキグサ亜科エノキグサ連アカメガシワ属アカメガシワ Mallotus japonicus の別称

である。当該ウィキを引く(注記号はカットした)。『主に山野に生え』、『葉と種子は染料、樹皮は健胃の生薬になる。別名ゴサイバ(五菜葉)』。『和名「アカメガシワ」の由来は』、『春にでる若葉が』『鮮紅色であること』と、『葉がカシワのように大きくなることから命名されたといわれる。「カシワ」の語源は、葉を食べ物を蒸すときに使ったことから「炊(かし)ぐ葉」が転訛したものである』。『カシワが生育していない地域では、この木の葉をカシワの葉の代用として柏餅を作ったことからアカメガシワと呼ぶようになったとの説もある。地方によって、ゴサイバ、アカガシワなどともよばれている。別名のゴサイバ(五菜葉)は、この植物の葉で食べ物を持ったことがその由来である。古名は楸(ひさぎ)。中国植物名(漢名)は、野梧桐(やごどう)という』。『日本の本州の岩手・秋田県以南、四国、九州、沖縄、国外のアジアでは』、『朝鮮半島、台湾、中国の南部に分布する。日本では二次林に多く、山野、平地、川の土手に自生し、山野の林縁、道端、ヤブなど明るいところによく生えている、典型的なパイオニア植物である。暖帯から亜熱帯産の植物であるため寒さに弱く、日当たりを好み生長が早い。古来は熱帯性植物であり、落葉性を身につけることで温帯への進出を果たしたものと見られる』。『落葉広葉樹の小高木から高木。樹高は』五~十『メートル』『に達する。幹は黄褐色から暗灰色で』、『やや赤みを帯びる。樹皮は灰褐色で若木は縦方向に裂け目が入り、のちに網目状に裂ける。若い枝は、淡灰褐色で太く、星状毛が密生する。春の芽吹きや若葉は、鮮やかな紅色をしており』、『美しく、星状毛が密生する』。『葉は赤く長い葉柄をつけて互生し、形は倒卵状円形から菱型状卵円形で先端は尖り、若い木では浅く』二、三『裂する。葉身の長さは大きいもので』二十『センチメートル』『ほどあり、葉柄を含めると葉の長さは』三十センチメートル『ほどになる』。三つの『大葉脈があり、分岐点に腺体がある。裏に黄色の腺点があってアリが集まることもある。葉が茂る初夏のころでも、枝先には芽吹いたばかりの赤い葉がある。秋には鮮やかな黄色に黄葉して』、『よく目立ち、葉柄だけ赤色に染まる』。『花期は初夏』六~七月で、『雌雄異株。枝先の円錐花序に白色の小さな花を多数つけ、雄株の雄花には黄色の葯が目立つ。雌株の雌花序は、雄花序よりも小さくて花数が少なく、花弁はなく』、『赤い花柱が見える。果実は蒴果で、軟針がある三角状偏球形で径』八『ミリメートル』『ほどの大きさがあり、花序に多数つく。果実には』、『やわらかいトゲが生えており、秋』、九~十月頃に『褐色に熟すと』、三、四『裂して』、同数『個の黒紫色の種子を出し、冬でも枝に残っていたり、果序ごと木の下に落ちていることもある。種子はほぼ球形で、光沢がある黒色をしており、種皮は薄くて剥がれやすい』。『冬芽は淡褐色の星状毛が密生する裸芽で、頂芽は大きく幼い葉が集まり、互生する側芽は卵形で小さい。葉痕は大きく、ほぼ円形で、維管束痕が多数輪状やU字形に並ぶ』。『木の根は生命力が強く、シュート』(Shoot:茎と、その上にできる多数の葉からなる単位で、維管束植物の地上部をなす主要器官。「苗条」(びょうじょう)「芽条」「葉条」「枝条」とも呼ばれる)『を生じて繁殖する。また、種子は高温にさらされると』、『発芽しやすくなり、伐採や森林火災により』、『森林が破壊されると』、『一気に繁殖する』。『成分』として、『苦味質(ベルゲニン、ルチン)、タンニン(ゲラニイン)、マロツシン酸、マロチン酸が含まれている』。『材は軟らかく、床柱・下駄・薪炭に用いる。種子と葉は染料になる』。「日本薬局方」に『記載の生薬で、樹皮は野梧桐(やごどう)、葉は野梧桐葉(やごどうよう)と称する健胃剤となる。葉は夏に採取して水洗いし』、『後に天日乾燥させ、樹皮は秋に採取して細かく刻んで乾燥させることにより、調製される。樹皮を煎じたものは初期の胃潰瘍、十二指腸潰瘍、胃酸過多症に効果があるとされるほか、葉の乾燥品を風呂に入れて入浴すると、あせもに効能があるとされる。民間療法では、葉・樹皮』を『水』『煎じて』、『服用する用法が知られている。また、果実の軟針は駆虫剤に用いる。若葉は食用となり、和え物や』、『おひたしとする』。『同属のものとしては』、『八重山諸島以南に分布するウラジロアカメガシワ M. paniculatus があり、外見は似ているが、葉の裏が真っ白である。この種は東南アジアからオーストラリアに渡る分布を持つ。またより北(トカラ列島以南)まで見られるクスノハガシワ M. philippensis は、葉が硬くて細長く、毛も少ないため見た目はかなり違う印象である。また、沖縄にはヤンバルアカメガシワ Melanolepis multiglandulosa がある。一見はアカメガシワに似るが、より大きく膜質の葉を持つ。果実の穂をぶら下げる姿は独特』である。同科の『別属だが』、『一見似た樹種にオオバベニガシワ Alchornea davidii がある。中国原産の落葉低木で、若葉が鮮紅色で美しく、庭木にされる。葉は網状の葉脈が目立つ。また』、『これと同属のアミガサギリ A. liukiuensis が南西諸島に自生する』とあった。

「攅(こゞな)り≪に≫生《しやう》じ」「攅」の字は「集める・集まる・群がる」の意。東洋文庫訳では、『群生し』とある。

「小兒の胎毒」乳幼児の頭や顔にできる皮膚病の俗称。母体内で受けた毒が原因と思われていた。現代医学では、「脂漏性湿疹」・「急性湿疹」・「膿痂疹(のうかしん)性湿疹」などに当たる。

「草-瘡《くさ》」皮膚に発症する「できもの」・「爛れ」などの総称であるが、特に乳児の頭や顔にできる湿疹・「かさ」を指すことが多い。

「五香湯《ごかうたう》」不詳。漢方の正規の配剤名ではないように思われる。それは、既定の処方に安易に「入れて用いたりする」というのは、医師の良安のらしからぬ謂いとなるからである。寧ろ、民間の薬湯の通名ではなかろうか。]

「善惡報はなし」正規表現オリジナル注 卷二 目錄・㐧一 𢙣念の藏主火炎をふく事

[やぶちゃん注:底本・凡例等は初回を参照されたい。]

 

善惡報はなし二之目錄

 

㐧 一 𢙣念(あくねん)の藏主(ざうず)火炎(くわゑん)をふく事[やぶちゃん注:「藏主(ざうず)」本来は、寺院にあって「経蔵」(きょうぞう)を管理する僧を指すが、ここは普通に一般の「出家した者・僧」の意。]

㐧 二 女死(しゝ)て馬(むま)に生(うま)るゝ事

㐧 三 馬(むま)のむくひ來(きた)りて死(しす)事

㐧 四 れんちよくの女冨(とみ)栄(さかえ)る事

㐧 五 人をころし金銀(きんぎん)を取(とり)報(むくひ)をうくる事

㐧 六 獵師(れうし)虵(へび)にころさるゝ事

㐧 七 五りんより血(ち)の出《いづ》る事

㐧 八 あくぎやくの人うみへしづむ事鰐(わに)といふ𩵋(うを)にとらるゝ事

㐧 九 慈悲ある人利生(りしやう)ある事

㐧 十 与四郞の宮(みや)うちたへす事[やぶちゃん注:これは、二種の参考底本ともに、本文の標題は「与四郞の宮(みや)うちたやす事」となっており、内容からも「たやす」が正しいので、これは誤刻である。改題本でも同じということは、改題本刊行に際して、原版木をそ題名の部分のみ新刻しただけであることが、これで判明する。

㐧十一 盲目(もうもく)の母(はゝ)をやしなふ事

㐧十二 れうし虵(へび)をがいし忽(たちまち)頓死(とんし)する事

 

 

善惡報はなし卷二

 

 㐧一 𢙣念ある藏主火炎をふく事

〇明曆の比、らくぐわい[やぶちゃん注:「洛外」。]に「たいをう」と云《いふ》僧あり。諸國を修行し給ふが、或時、たんばぢ[やぶちゃん注:「丹波路」。]を通(とを[やぶちゃん注:ママ。])り給ふに、折ふし、行(ゆき)くれ、道もなき、「人ざと」とをき山中なれば、宿(やど)をとるべきもなくて、

「とやせん。」

と、しばらく立《たち》やすらふ所に、はるかむかふの山ぎはにあたつて、ともし火、かすかに見ゆる。

 かしこにゆきて、戶を、

「ほとほと」

と、おとづれ給ふ。

 あるじのぢい[やぶちゃん注:「爺」。]が、たち出《いで》、

「いかなる人やらん。」

と云《いふ》。

 そうのいはく、

「されば、それがしは、旅のざうずなるが ゆき暮(くれ)て候《さうらえ》ば、一夜をあかさせてたべ。」

 ぢい、聞《きき》て、

「やすきほどの事に候ヘども、此屋には、こよいかぎりの病人の候。物やかましく候とも、かんにん[やぶちゃん注:「堪忍」。]あらば、入《いり》給へ。」

とて、庭(にわ[やぶちゃん注:ママ。])のかたすみを、かしけり。

 たいをう、物さびしさに、念珠をくりてましますが、

『よゐ[やぶちゃん注:ママ。「宵(よひ)」。]の病人は何ものぞ。』

と見る所に[やぶちゃん注:見てみたところが。]、七十ばかりのばゝなるが 夜半すぎに、つゐ[やぶちゃん注:ママ。]に死(しゝ)けり たゞ、夫婦の事なれば、たれあつて、なにかと申《まうす》人も、なし。

 しばらくして、ぢい、申《まうし》けるは、

「それにましますしゆぎやうじや[やぶちゃん注:「修行者」。]、さいぜん、申たる病人は、それがしが女(つま)にて候が、只今、はてゝ候。御らんじ候ごとく 此山中に、夫婦ならでは、又、むつまじきものもなく候。『あはれ』と、とはせ給へ。此山のあなたにこそ、子共、あまた、もちて候。かれらにしらせたく候。御そうるすをたのみ申《まうす》。」

と、いひて、其身は、うらみちさして、ゆくほどに、

『はや、じこくも、うつりぬ。』

と、おもふ時分に、いづくより來《きた》るともしれず、其長(たけ)、六尺あまりもあるらんとおぼしき入道、來りて、かの死人のふしける所へ、

「つつ」

と、より、火(くわ)ゑんを、ふきかけ、食(くは)んとする事、度〻《たびたび》也。

 

[やぶちゃん注:挿絵は、第一参考底本はここ第二参考底本はここ。例によって、断然、後者がよい。

 

 たいをう、見給ひて、

『きやつは、房主(ばうず)の、よろこぶ一念の、來《きた》るぞ。』

と、おもひて、

「つつ」

と、より給ひ、死人《しびと》を、おさへ、「じゆず」をもつて、かの入道を、二つ、三つ、うち、佛號をとなへ給へば、かきけすやうに、うせぬ。

 其後《そののち》、ぢいと、同道して來《きた》る房主をみれば、さいぜん來る「ばうず」也。

 たいをう、ふびんに思ひ給ひ、かの「ばうず」を、ひそかに、かたはらヘ、よびて、くだんのむねを、具(つぶさ)に、かたり給ふ。

 此房主、さんげして、いはく、

「扨は。さやうの事の、ありつるこそ、はづかしくは候ヘ。今夜(こんや)、此死人の事を申來《まうしきた》るを、よろこび、『扨は、斎(とき)ふせを、たぶべき、うれしさよ。』と、おもふ一念、候へつるが、さだめて、其心の、きたりつらん。あら、あさましの我心《わがこころ》や。」

と、なみだを、

「はらはら」

と、ながし、

「扨〻、御そうは、佛のさいたん[やぶちゃん注:「再誕」であろう。]にてありつらん。かやうのわざを見給ふうへは、貴(たうと)き御心入《おんこころいれ》とぞんじ候。しからば、今日《こんにち》より御そうの弟子に、まかり成(なり)、ともに『しゆぎやう』いたさん。」

と、やがて師㐧(してい)のけいやくをぞ、しける。

 是は、正《まさ》しき、たいをう、かたり給ふ。

 名所(などころ)を、ふかくつゝみ給ふゆへ[やぶちゃん注:ママ。]、かくのごとく也。

[やぶちゃん注:「たいをう」不詳。彼は後の「卷二 㐧七 ごりんより血の出る事」にも登場するが、岩波文庫の高田氏の注でも、『不詳』とする。漢字表記も宗派も不明である。

「斎(とき)ふせ」僧侶に布施として捧げる食物や物品・金銭を広く「齋料(ときれう)」と呼ぶ。それであろう。但し、「斎(齋)布施」という熟語は、畳語であり、まあ、あってもおかしくはないが(泉鏡花の「草迷宮」の「十五」の終りにある)、あまり見かけない。]

2024/06/26

「和漢三才圖會」植物部 卷第八十三 目録・喬木類 赬桐

 

Higiri

 

たうぎり  赬【音稱】

       【赤色再染也

        今云唐桐】

赬桐

 

ひきり

 

本綱赬桐生江南身青葉圓大而長髙三四尺便有花成

朶而繁紅色如火無實爲夏秋榮覌

[やぶちゃん字注:「覌」は、底本では、「グリフウィキ」のこれであるが、表示出来ないので、これを用いた。而して、この字は「觀」の異体字である。]

△按赬桐近年來於薩州屋玖島植庭園愛之葉大五六

 寸許而微皺其花深紅色有臭樹之花樣性甚畏寒故

 冬則藏根株包藁至春移栽于地或植於盆賞花

 

   *

 

たうぎり  赬《てい/ちやう》【音「稱」。】

       【赤色の「再染(やしほぞめ)」なり。

        今、云ふ「唐桐《たうぎり》」。】

赬桐

 

ひぎり

 

「本綱」に曰はく、『赬桐《ていとう》は、江南に生ず。身、青く、葉、圓《まろ》く、大にして長し。髙さ、三、四尺。便《すなはち》、花、有り、朶《はなぶさ》≪を≫成して、繁《しげ》く、紅色。火のごとく、實《み》、無し。夏秋の榮覌《えいくわん》と爲《せ》り。』≪と≫。

[やぶちゃん字注:「覌」は、底本では、「グリフウィキ」のこれであるが、表示出来ないので、これを用いた。而して、この字は「觀」の異体字である。]

△按ずるに、赬桐、近年、薩州の屋玖(やく)の島より、來《きた》り、庭園に植《うゑ》て、之れを愛す。葉の大いさ、五、六寸許《ばかり》にして、微《やや》皺(しわ)あり。其の花、深紅色。「臭樹(くさぎ)」の花の樣(ありさま)、有り。性、甚だ、寒を畏《おそ》る。故《ゆゑ》、冬は、則ち、根株を藏(かく)し、藁に包む。春に至りて、地に移し栽《う》ふ。或《あるいは》、盆に植《うゑ》て、花を賞《しやう》す。

 

[やぶちゃん注:「赬桐」は、

シソ目シソ科キランソウ亜科クサギ属ヒギリ Clerodendrum japonicum

である。「維基百科」の「赬桐」も同種である。良安の示す漢字音には、ちょっと問題がある。「廣漢和辭典」を見るに、音は『テイ』と『チョウ(チャウ)』であり、「稱」(ショウ)とは音通でない。現代中国音では「赬」は「チァン」であり、「稱」は「チェン」で、やはり音通でない。そして、「赬」の意味は、単に「赤い・赤色・薄い赤」の意しかない。而して、同辞典では、「爾雅」の「釋器」を引き、そこに、良安が標題下で割注した『再ムル。』が引かれている。

 ヒギリの当該ウィキを引いておく。『花が美しいことから古くから栽培されてきた』。『落葉性の小低木』『背丈は』一メートル『程度になる。葉は対生で長い葉柄があり、葉身は卵円形で先端が尖り、基部は心臓形となり、その形はキリに似る。葉の長さは』十七~三十センチメートルで、『縁には細かい鋸歯が並び、葉表は深緑色で裏面には黄色い短い腺毛を密生する』。『花期は夏から秋で、枝先に大きな円錐花序を伸ばし、赤い花を多数つける。花序は長さ』三十~五十センチメートルに『なるが、その花軸から花柄、萼や花冠と全てが赤い』。『萼は卵円形で』五『裂し、花冠と同じ赤色。花筒は長さ』二センチメートル、『先端は』五『裂して平らに開き、やはり真っ赤。雄蘂は』四『本、柱頭と共に花筒から突き出し、伸びて先端が上を向く』。『和名は緋桐で、別名にトウギリ(唐桐)がある』。『原産地は東南アジア』で、『中国南部からインド北部にかけて自生している』。『九州南部で植栽され、時に野生化してみられる』。『古くから栽培され、暖地では庭園に植えられることもある』。『日本への渡来は古く』、「花壇地錦抄」(植木屋伊藤伊兵衛(三之丞)著の草花図譜。元禄八(一六九五)年刊)に『出ている。恐らくその渡来は延宝年間』(一六七三年~一六八一年)『と言われる。耐寒性は強くないので』、『栽培は暖地に限られるものの、東京でも暖かい場所では藁囲い程度で冬越し出来る例もある』。『繁殖には根伏せが利用出来る。根を』二十センチメートル『程度切り取って』、『土をかけておくと』、『発根し』、『芽が出る。これは自然な状態でも起きるもので、暖地では親株の周囲に伸びた根から不定芽が生じて集団を作るのが見られるという』と、以上の記載と、完全に一致する。

 良安の「本草綱目」のパッチワーク引用は、「卷三十五上」の「木之二」「喬木類」(「漢籍リポジトリ」)の「海桐」(ガイド・ナンバー[085-29b]以下)の「集解」の後半から、ほぼ忠実に引いている。

「榮覌《えいくわん》と爲《せ》り」「榮觀」。東洋文庫訳では、『見事な眺望となる』とある。

「屋玖(やく)の島」屋久島。連れ合いが足が悪かったので、ウィルソン株は断念したが、三十代の時、二泊した。いい島である。

「臭樹(くさぎ)」クサギ属クサギ変種クサギ Clerodendrum trichotomum var. trichotomum 。委しくは、当該ウィキを見られたい。]

「善惡報はなし」正規表現オリジナル注 卷一 㐧十三 女房下女をころす事幷大鳥來りてつかみころす事 / 卷一~了

[やぶちゃん注:底本・凡例等は初回を参照されたい。本篇を以って「卷一」は終っている。]

 

 㐧十三 女房、下女をころす事幷《ならびに》大鳥(だいてう)來りて、つかみころす事

○同年の比、江州、北の郡(こほり)に、さるもの、有(あり)。

[やぶちゃん注:「江州、北の郡」最後に注意書きするように、単に近江の国の北にあった某「郡」とぼかしてあるのである。]

 田畠(たはた)・山、おほく、もち、下人、あまたあり、何《いづ》れも、かれを、うら山《やま》ざらんもの、なし。

 或時、京より、妻(つま)、むかへけるが、下女を、一人、つれ來《きた》る。

 ことに、此女房、すぐれて「ねたみ」ふかき、邪見のもの也。

 夫(をつと)、かの下女に、つねに、情(なさけ)らしくありけるを、女房、大きに、下女を、にくみ むちうち、なやましけり。

 としへて、かの下女、はらみけるけしき、見へ[やぶちゃん注:ママ。]ければ、

「さればこそ。かく、おもひつれ。」

とて、かの下女を、はだかになして、地に、あをのけ、はらみたる「はら」を、下人どもに、いひ付《つけ》て、ひた物[やぶちゃん注:副詞。「無暗に」。]、ふませける。

 下人どもも、いたはしく思ひながら、主人の仰《おほせ》なれば、是非なくして、ふむほどに、四、五日ありて、終(つゐ[やぶちゃん注:ママ。])に、ふみころせり。

 其後《そののち》、一年ほどありて、女房、「くわいにん」しけるが、何となく、なやみて、次第に、おもく成《なり》ぬ。

 其折から、かの女の㚑《れい》、來りて、おもかげに立《たち》て[やぶちゃん注:目の前に姿が浮んで。]、なきさけび、近付(ちかづき)よつて、手をもつて、女房の「はら」を、つく、と、おぼゆるに、其まゝ、「はら」、しきりに、いたくなりて、やがて、「さん」を、しける。

 「石がめ」のやう成《なる》物を、五つ、うめり。

[やぶちゃん注:「石がめ」日本固有種の、爬虫綱カメ目イシガメ科イシガメ属ニホンイシガメ Mauremys japonica 。挿絵の左下方に、五匹、描かれてある。ヴィジュアルに、私の『毛利梅園「梅園介譜」 龜鼈類  龜(亀の総説と一個体) / ニホンイシガメ』をリンクさせておく。]

 

[やぶちゃん注:本篇には挿絵がある。第一参考底本はここ第二参考底本はここである。後者は、またまた落書があるが、出生した異形の五体のカメ型胎児(というより、そのまんま)が描かれ、細部もよく見える。

 

 そばにありける人〻、大きに、おどろき、さはぎ、

「こは、いかに。」

と、ひしめく所へ、何くともなく、大鳥、七、八つ、「さん」[やぶちゃん注:「棧」。]のあたりへ來り、「は」[やぶちゃん注:「羽」。]を、たゝき、とびまはる。

 人〻、おどろき、

「わつ。」

と、いひて、にげさりけり。

 時に此鳥、女ばうを、ひつつかみ、「こくう」に、あがり、はるかのそらより、おとしけるに、みぢんになつて、うせにけり。

 されば、「しつと」の邪見、世に品〻(しなじな)ありといへども、かゝる「あくぎやく」[やぶちゃん注:「惡虐・惡逆」。]は、又、ためしなき事也。

 めづらしき事なれば、又、報《むくい》も、かくのごとし。

 此はなしは、今、世に、すむ人の身うへなれば、名所(などころ)を、わざと、しるさず。

 

「善惡報はなし」正規表現オリジナル注 卷一 㐧十二 死したる子來り繼母をころす事

[やぶちゃん注:底本・凡例等は初回を参照されたい。本篇には挿絵はない。]

 

 㐧十二 死したる子來り、繼母(けいぼ)をころす事

 ちくごの山下(やました)と云《いふ》所に、舛屋安兵衞と云《いh》もの、あり。

[やぶちゃん注:岩波文庫の高田氏の脚注に、『現熊本県玉名郡岱明町山下のあたり』とある。現在は熊本県玉名市岱明町(たいめいまち)山下。ここ(グーグル・マップ・データ)。]

 はじめの妻(つま)の子を「五郞助」と云ひ、のちの妻の子を「四郞三郞」と、いひけり。此の繼母、あくまで邪見(じやけん)の者にて、我子は、いとをしみ[やぶちゃん注:ママ。]、まゝ子を、にくみ、そねみ、つらくあたる事、いふに、おろか也。

[やぶちゃん注:「四郞三郞」知ってる人には五月蠅いだけだが、これで一人の名前である。説明するのも阿呆くさいので、Q&Aサイト「Yahoo!JAPAN知恵袋」の高武蔵守師直氏の回答をリンクさせておく。]

 もとより、此安兵衞、「ちゑ」、くらく、氣よはきものなれば、繼母、はゞかる所もなく、心にまかせて、「ざんあく」[やぶちゃん注:「慘惡」。]を、はたらきぬるに、まゝ子の五郞助を、さいなむ事、あげて、かぞへがたし。

 かく、さいなむ事、年(とし)久しくあり。

 五郞助、十七のとし、終(つゐ[やぶちゃん注:ママ。])に、かつやかし[やぶちゃん注:「渴つやかし」。高田氏脚注に『飢死にさせ。』とある。]、ころしてけり。

 母、大きによろこび、

「今は、思ひのまゝなる世中《よのなか》なり。」

と、よろこぶ所に、五郞助、死《しし》て、廿日あまりして、俄に、家の内に、聲(こゑ)、ありて、いはく、

「我は、是《これ》、五郞助が怨㚑(をんれう[やぶちゃん注:ママ。])也。われ、罪なきに、繼母に、がいせられぬれば、此《この》むねん、終《つひ》に晴れやらず。我を、さいなむごとくに、汝と子とを、なやまし、ころすべし。いかに、まゝ母、思ひしれ。」

と云《いふ》聲、まさしく、五郞助、世にありし時の物ごしに、露(つゆ)も、たがはず。

 家内のものども、おどろき見れども、其のすがたは、見へず。

 かやうに、いひし事、たびたび也。

 まゝ母、きもをけし、みこ・かんなぎ、或は、僧を、あつめ、さまざまのそなへ物などをして、わびぬれども、あざわらふ聲のみして、あるひは[やぶちゃん注:ママ。]、「家なり[やぶちゃん注:「家鳴(やな)り」。]」、おびたゞしくして、たちまち、家をくつがへすかと、うたがはる時も、あり。

[やぶちゃん注:「みこ・かんなぎ」孰れも「巫女」「巫」と漢字表記する。特に二種に区別はなく、生霊・死霊(しりょう)と交感し、その意中を伝えることを職業とする、特定寺院や神社に所属しない民間の呪術者を指す。特にこの二つで呼称されるのは、その殆んどが女性である(男性の場合は区別して「覡」(げき)とする場合がある)。恐らくは、神社に付属していた神前で神楽を奏する処女の舞姫である「神巫(いちこ)」からきた呼称とされている。

 また、或時は、

「家を、やき、ほろぼさん。」

と、いひて、火を出《いだ》し、家を一塵(《いち》ぢん)となさんとする事も、あり。

[やぶちゃん注:「一塵」同じく高田氏の脚注に『一摑みの灰。』とある。]

 大をん[やぶちゃん注:「大音」。]にて、

「我を、ころして、をのれ[やぶちゃん注:ママ。]が子を世にたてんとおもふとも、只今、おや子もろともに、とりころさん。」

といふこゑ、しきりにして、終(つゐ[やぶちゃん注:ママ。])に、四郞三郞、六才にて、死《しし》けり。

 母は、

『怨㚑、來りて、たゝく。』

と見へしが、一月ほどして、「うら口(ぐち)」にて、ころび、血を、はきて、死《しし》けり。

 かなしきかな、報《むくい》、れきぜん、あらはれ、親子ともに、ほどなく、取《とり》ころされし事、おそれても、おそれ、有《あり》。

 此《この》はなしは、正保(しやうはう)年中の事也。

[やぶちゃん注:「正保年中」一六四四年から一六四八年まで。徳川家光の治世。]

「和漢三才圖會」植物部 卷第八十三 目録・喬木類 海桐

 

Simagiri

 

しまぎり  刺桐

      【今云島桐】

海桐

 

本綱海桐生南海山谷中葉大如手作三花尖皮若梓皮

黃白色而堅靭可作繩入水不爛其木有巨刺如欓樹文

理細緊而性喜折裂三月開花赤色照映三五房凋則三

五復發其實如楓子

△按海桐工匠以旋箱僞白桐然木理縱文微似椹木理

 劣於白桐矣畫譜云海桐花細白如丁香而嗅味甚惡

 遠觀可也據此則花色白蓋有赤白二種乎

 

   *

 

しまぎり  刺桐《しとう》

      【今、云ふ、「島桐」。】

海桐

 

「本綱」に曰はく、『海桐《かいとう》は、南海の山谷の中に生ず。葉の大いさ、手のごとし。三花《さんくわ》≪の≫尖《とがり》を作《な》す。皮、「梓《し》」のごとく、皮は、黃白色にして、堅く、靭(しな)へて、繩に作るべし。水に入れて、爛(たゞ)れず。其の木、巨《おほき》なる刺(はり)、有りて、欓樹《たうじゆ》のごとく、文-理(きめ)、細く緊《しまり》て、性、喜んで、折れ、裂く。三月、花を開く。赤色。照(て)り映(かゝや)く、三、五房≪あり≫。凋(しぼ)む時は[やぶちゃん注:「時」は送り仮名にある。]、則ち、三、五、復た、發(ひら)く。其の實《み》、「楓子《ふうし》」のごとし。』≪と≫。

△按ずるに、海桐(しまぎり)、工匠、以つて、箱に旋(さ)し、「白桐。」と僞る。然《しか》れども、木-理《きめ》、縱文、微《やや》、椹(さはら)の木の理(きめ)に似て、「白桐」に劣れり。「畫譜」に云はく、『海桐の花、細白。「丁香《ちやうかう》」のごとくにして、嗅味《しうみ》、甚だ惡《あ》し。遠く觀て、可《か》≪なる≫べし。』≪と≫。此れに據れば、則ち、花の色、白し。蓋し、赤・白、二種、有るか。

 

[やぶちゃん注:この「海桐」というのは、沖縄で知られる、私の好きな赤い花を咲かすところの、

双子葉植物綱マメ目マメ科マメ亜科デイゴ属デイゴ Erythrina variegate

のことである。当該ウィキを引く(注記号はカットした)。『インド、マレー半島などの熱帯アジア、オーストラリアが原産。日本では沖縄県(あるいは奄美大島)が生育の北限とされている』。『鹿児島県奄美群島でも加計呂麻島の諸鈍海岸で約』八十『本の並木道となっているなど、あちこちでデイゴの大木が見られるが、交易船の航海の目印とするため等で沖縄から植栽されたものといわれる』。『極めて丈夫で、生長がとても早い樹である。花は深紅色の総状花序。花期は沖縄では』三『月から』五『月頃である。ただし、デイゴの開花度は植栽されている場所や植物の個体によって異なり、同一個体の中でも位置や枝によってかなり差異がある』。『葉は全縁の三出複葉。葉身は広卵形ではっきりした葉脈があり、長い葉柄を持つ。落葉樹であり』、『本来は開花に先立って落葉するが、沖縄では落葉しないままのデイゴも多く、北限に近い亜熱帯で湿潤な気象環境などの影響により』、『結果的に落葉しないまま非開花状態となっていると考えられている』。『観賞用や緑化庇蔭樹として利用されるほか、漆器(琉球漆器)の材料としても使われる』。『デイゴの生育に関しては、台湾方面から飛来・帰化したとされるコバチ』(膜翅(ハチ)目細腰(ハチ)亜目コバチ上科ヒメコバチ科Eulophidae)『の一種』Tetrastichinae亜科 Quadrastichus 属『デイゴヒメコバチ ( Quadrastichus erythrinae )による被害が相次いでいる』。『学名の属名 Erythrina(エリスリーナ)はギリシア語の「赤い」という言葉の意味からきており、デイゴの花の明るい赤色に基づく。英名を coral tree(コーラル・ツリー)といい、花の赤色を珊瑚に見立てたものである』。『デイゴの和名の由来はよく分かっておらず、一説には「大空」が訛ってデクと言ったことからの名だという説もある。デイゴの名称(和名や学名)は歴史的に混乱がみられたと指摘されている』。琉球国の本草学者『呉継志の』「質問本草」(天保八(一八三七)年写本)には(但し、作者は別に尚穆・尚温王代の御典医であった島袋憲紀(舌瘡の治療法で知られる島袋憲亮(唐名「晏孟徳」の養子)説の他、実在しない架空の人物とする説もある)、『「梯姑」「デーグ」「デイコ」とあるが、漢字の読み方および方言名の呼び方の文字化については研究者で意見が分かれる。また』、「沖縄物産誌」・「中山物産考」・「質問本草」等、『古書に由来する呼称は、デイグ、デイコ、デーグ、デーゴの』四『つで、デイゴはこれらには含まれていない』。『学名も学者によって同一でなく、園芸書によってまちまちだったと指摘されている』。『なお、海紅豆(かいこうず)が別名とされることが多いが、これは別種のアメリカデイゴ』 Erythrina crista-galli 『(鹿児島県の県木)のことである』とある。『沖縄県外では奄美群島のほか、小笠原諸島にも自生しており、現地ではムニンデイゴやビーデビーデ、南洋桜(なんようざくら)などとも呼ばれる。ただし』、『この小笠原諸島のデイゴを本種とは別のムニンデイゴ( Erythrina boninensis )という固有種であるとする説もかねてより存在している』。『ハワイ産のシロバナデイゴ( Erythrina variegata f. alba )も沖縄県に導入され、デイゴより早く咲くことが知られる』。『沖縄県の県花でもあり』、一九六七年に『県民の投票によって「沖縄県の花」として選定された』。中文の同種のウィキ「刺桐」によれば、福建省泉州市の市の花に選定されているとある。『オオゴチョウ』(マメ目マメ科ジャケツイバラ亜科 Caesalpinia 属オウコチョウ Caesalpinia pulcherrima :中文名「黃胡蝶」)『サンダンカ』(リンドウ目アカネ科サンタンカ亜科 サンタンカ属サンタンカ Ixora chinensis :中文名「仙丹花」)『とともに沖縄県の三大名花に数えられる。沖縄本島の那覇空港を出たところや、那覇市内に続く道筋にはデイゴの並木が続いている』。『デイゴが見事に咲くと、その年は台風の当たり年で、天災(干ばつ)に見舞われるという言い伝えがある(THE BOOMの楽曲「島唄」の歌詞にも書かれている)』(YouTubeの「THE BOOM―島唄(オリジナル・ヴァージョン)」が視聴でき、歌詞はここで視認できる)。『また、県内では「やしきこーさー(屋敷壊さー)」とも呼ばれることもあるが、これは根の力が強く、家の近くに植えると』、『根が伸びて家を傾かせてしまうからであるという』。『琉球大学で学生が配る合格電報の文面は「デイゴサク」となっている』とあった。

 良安の「本草綱目」のパッチワーク引用は、「卷三十五上」の「木之二」「喬木類」(「漢籍リポジトリ」)の「桐」(ガイド・ナンバー[085-29b]以下)から。

 

「欓樹《たうじゆ》」ムクロジ目ミカン科サンショウ属カラスザンショウ変種カラスザンショウ Zanthoxylum ailanthoides var. ailanthoides 。本邦にも自生する。委しくは当該ウィキを見られたいが、そこに『樹皮は灰褐色で、短くて鋭いトゲがあり、老木ではいぼ状になってトゲの痕が残る』。『若い枝は緑色や紅紫色で無毛で、枝にもトゲが多い』とあった。「楓子《ふうし》」ユキノシタ目フウ科フウ属フウ Liquidambar formosana 。本邦の「楓」(かえで)ではないことは、既に「楓」で注した。

「箱に旋(さ)し」「旋」の「廻らす・回す」の意を「加工する」に転用したものであろう。

「白桐」「桐」で既出の双子葉植物綱シソ目キリ科キリ属キリ Paulownia tomentosa

「椹(さはら)」マツ綱ヒノキ目ヒノキ科 ヒノキ属サワラ Chamaecyparis pisifera

「畫譜」既出既注

「丁香《ちやうかう》」Clove。フトモモ目フトモモ科フトモモ属チョウジノキ Syzygium aromaticum

「蓋し、赤・白、二種、有るか」「維基百科」の「刺桐」に『刺桐白花品種』の画像がある。]

「善惡報はなし」正規表現オリジナル注 卷一 㐧十一 人をねたむ女の口より虵出る事

[やぶちゃん注:底本・凡例等は初回を参照されたい。]

 

 㐧十一 人をねたむ女の口より、虵(へび)、出《いづ》る事

 

 江州、「くりもとのこほり」に、松兵衞と申《まうす》もの、あり。

[やぶちゃん注:『江州、「くりもとのこほり」』近江国北部の郡名。滋賀県旧栗太郡で、現在の草津市・栗東市の全域、及び、大津市の一部(瀬田川以東)と守山市の一部に相当する。旧郡域は当該ウィキの地図を参照されたい。]

 かれが女房、ねたみふかき女なり。

 ある時、夫(をつと)、「ぎやうずい」し、下女に、せなかを、ながさせける。

 女房、大きにいかり、男の「るす」を、うかゞい[やぶちゃん注:ママ。]、此下女が兩手のゆび、やきゝり[やぶちゃん注:「燒き切り」。]、おひいだしけり。

 ある時、此女ばう、「ひるね」しけるに、何ともしれず、兩手のゆびを、

「しか」

と、さしける[やぶちゃん注:「刺しける」。]。

 女、おどろき、あたりを、みれども、なにのわざとも、しれず。

 そのゆび、次㐧次㐧に、いたみ、大きにはれ、くさり、たゞれて、おちけり。

 それにも、こりず、今一人の下人・下女、聲、よくて、歌、うたふを、

「夫、おもしがりける。」

とて、「した」を、はさみ出《いだ》して、きりて、けり。

 程へて、此女ばう、俄《にはか》に、「した」、こばりて、物云《いふ》事、かなはず。

 是を、かなしみて、あるたつとき「そう」のかたへゆき、一〻《いちいち》、くだんのとをり[やぶちゃん注:ママ。]を「さむげ[やぶちゃん注:ママ。「さんげ」。「懺悔」。]」して、

「此の『ぜつごん』[やぶちゃん注:「舌言」。]かなひ候やうに、『きたう』して、たべ。」

と、いひける。

 僧のいはく、

「それ、其方《そのはう》の『あくぎやく[やぶちゃん注:「惡逆」。]』により、下人のゆびをきり、したを、ぬき給ふ『むくひ』、すでにあらはれ來り。『しつと』の邪心」(じやしん)、はなはだしく、其《その》『した』、終《つひ》には、きれて、おつべし。」

と申さるれば、此女、ふかくなげき、

「何とぞして、物、いはるゝやうに『きたう』して給はり候へ。」

と、五躰《ごたい》を、「ち[やぶちゃん注:「地」。]」になげて、かなしみける。

 

111

[やぶちゃん注:第一参考底本はここ、第二参考底本はここ後者では、落書がかしこに見られるものの、僧の姿や、女房が口から蛇を半ば出だしているシーンがはっきりと視認出来る。

 

 其時、「そう」、「かんたん[やぶちゃん注:「肝膽」]」をくだき、いのらるゝとき、かの女ばうの口より、あかき虵、一すぢ、はひ出《いで》、なかば、内に、とゞまりぬ。

 僧、こゑを、はげまして、きうに[やぶちゃん注:「急に」。]いのり給へば、くだんの虵、ち[やぶちゃん注:「地」。]に落(おち)、行(ゆき)がたしらず、うせにけり。

 それよりして、此女、今までの「あく心」を、くひ[やぶちゃん注:ママ。]、かへして、「じひ」ふかくぞ、なりたりける。

 此はなしは、明曆年中の事也。

[やぶちゃん注:「明曆年中」一六五五年~一六五八年。第四代徳川家綱の治世。]

 

「善惡報はなし」正規表現オリジナル注 卷一 㐧十 𢙣念のものうしに生るゝ事

[やぶちゃん注:底本・凡例等は初回を参照されたい。本篇には挿絵はない。]

 

  㐧十 𢙣念のもの、「うし」に生《うっま》るゝ事

○尾州に、酒を商《あきなふ》もの、あり。

 しゝて[やぶちゃん注:「死して」。]、むすこの夢に、つげて云《いはく》、

「我は、存生(ぞんしやう)にありし時、ちいさき舛(ます)にて、『さけ』を、うり、大《おほ》き成《なる》舛にて、あたい[やぶちゃん注:ママ。]をとる事、數年(すねん)なり。其報《むくい》により、『うし』に生《うま》れ、同國、春日部(かかべ[やぶちゃん注:ママ。])と云《いふ》所の庄屋、『市助』と申《まうす》ものゝ家につかはれ、田をたがやし、くつうせし事、なゝめならず。」

と、かたると、みて、夢、さめぬ。

 むすこ、まことしくおもはれざれども、さだか成《なる》ゆめのつげなれば、ふかく、なげき、其近所の者に、

「其方《そのはう》のあたりに、かやうかやうのもの、ありや。うしなども、持《もち》けるか。」

と問《とふ》に、

「さも候。」

とて、くはしくかたるをきけば、夢に、すこしも、たがはず。

 むす子[やぶちゃん注:ママ。以下同じ。]、市助が家を尋ね行《ゆき》、

「うしを、もとめ得て、かへらん。」

と請(こふ)。

 庄や、

「やすき事也。」

とて、「うしべや」へ、同道しければ、

「此うし、すぐれたる『人づき』にて、つかふもの、一人ならでは、なかりし。」

[やぶちゃん注:「と云へる」ぐらいを入れておきたい。]が、此むす子を、みて、なれなつくのみならず、淚を、ながしける。

[やぶちゃん注:「人づき」両参考底本ともに「人つき」であるが、濁音で採った。「人付(ひとづき)」で、この場合は、「素直に人間の言いなりになること」の原義を、否定の意に転じた「いっかな、人間に馴れず、使い勝手の劣悪な人嫌いの牛であること。」の意であろう。]

 むす子、立《たち》よりければ いよいよ、此うし、かしらを、うなだれ、ねぶりて、只(たゞ)、ものいはざるばかりのありさまなり。

 むす子、則《すなはち》、あたい[やぶちゃん注:ママ。]を、わたし、買(かい[やぶちゃん注:ママ。])とり、家に、かへり、やしなひ、ころしてけり。[やぶちゃん注:「ころしてけり」は言うまでもなく、「亡くなるまで、世話をし、看取ってやった」の意である。]

 「とんよく[やぶちゃん注:そのまま仏教用語の清音の方を採った。「貪欲」。]」の人、かくのごとし。死《しし》て、ほどなく、「ちくしやう」の身を、うけ來りて、因果のほどをあらはし、むす子につぐる程の「つうりき」は、あるまじけれども、且(かつ)、神明《しんめい》の、かれに告(つげ)給ふと、おぼゆ。何《いづ》れも、世間、「とんよく」の人は、かく、あらはれざるか。二つのうちに、もるゝ事、なし。たゞ、かりにも、非道を、よくよく、「ぎんみ」すべし。

[やぶちゃん注:「二つ」「神明」は神道の神々を指すが、江戸以前の神仏習合にあっては、「神佛」の両義が混淆しているから、それを分けて「神と仏」で「二つ」と言ったものであろう。]

「善惡報はなし」正規表現オリジナル注 卷一 㐧九 商人人の目をくらまし己も盲目に成事

[やぶちゃん注:底本・凡例等は初回を参照されたい。標題の「己(をのれ)」と「盲目(まうまく)」の読みはママ。本篇には挿絵はない。] 

 

  㐧九 商人(あきびと)、人の目をくらまし、己(をのれ)も盲目(まうまく)に成事

〇明曆の比、常州多河(たが)といふ所に、さる商人あり。

 しよ[やぶちゃん注:「諸」。]商物に、いろいろ手苦勞(てぐらう)をし、人の「まなこ」をくらます事、數年(すねん)なり。

 ある時、大分の「にせ物」をして、「ぎんみ」にあひ、すでに「くせ事《ごと》」に、あふべきにきはまりしを、相手、なさけあるものにて、其なむ[やぶちゃん注:「難」。]をの、がれける。

 さる時、下人に、少《すこし》の「とが」ありしが、大分のやうに、いひかけ、引《ひき》よせて、兩眼(りやうがん)を、やきつぶして、おひ出す。

 ある時、女房、「くわいにん」しけるが、程なく、虵(へび)を、うめり。

「こは、いかゞなり。」

と、おどろきさはぎ、みれば、目、しゐ[やぶちゃん注:ママ。「盲(し)ひ」。後も同じ。]たる虵也。

 やがて、うちころして、すてぬ。

 かさねての、「さん」にも、また、かくのごとし。

「いか成《なる》事やらん。」

と、なげき、かなしむ。

 ある夜の夢に、神明(しんめい)、つげて、の給はく、

「なんぢ、商賣につき、人のまなこを、くらまし、或は、とがなき人の、眼(まなこ)を、つぶす事、其うらみ、はなはだ、つくる事、なし。妻のくわいにんをもつて、よく、思ひしるべし。ほどへて、なんぢ、盲目となるべし。」

と、あらたに、つげましましけり。

 然《され》ども、此告(つげ)を、ことゝもせず、猶、罪、ふかくぞ、なりけれ[やぶちゃん注:ママ。]。

 ある時、此男、一里ばかり他行《たぎやう》しけるに、いづくともしらず、「つぶて」、來つて、「ゆんで」[やぶちゃん注:左。]のまなこに、

「ひし」

と、あたる。

 其いたむ事、五たいも、はなるゝばかりに、おぼえて、のちには、終(つゐ[やぶちゃん注:ママ。])に、兩眼(《りやう》がん)ともに、しゐけり。

 それ、人として、善𢙣の道理を、わきまへしらぬは、くちおしき[やぶちゃん注:ママ。後も同じ。]事也。されども、神明は、人を、すて給はずして、あらたに御づけ[やぶちゃん注:両参考底本ともにママ。「御告げ」。]、ましましけるを、しらざる心のほどこそ、口おしけれ。

 

2024/06/25

「善惡報はなし」正規表現オリジナル注 卷一 㐧八 女の口ゆへ夫死罪に行るゝ事

[やぶちゃん注:底本・凡例等は初回を参照されたい。標題の「ゆへ」はママ。「故」で「ゆゑ」でなくては、おかしい。本篇には挿絵はない。]

 

  㐧八 女の口ゆへ、夫(をつと)、死罪に行《おこなは》るゝ事

○關東がたに、さるもの、夫婦(ふうふ)あり。

 飢(うへ[やぶちゃん注:ママ。])に及び、せんかたなく、國境(くにざかひ)へ出《いで》て、「きりはぎ」して、金銀・衣𫌏(いしやう)を、たくさんに取《とり》て、らくらくと、渡世を、をくる[やぶちゃん注:ママ。]。

[やぶちゃん注:「きりはぎ」「切剝」。人を斬りつけて、衣服を剥ぎ取ったり、財物などを奪い取ったりすること。 「強盗」に同じ。]

 ある時、ふうふ、口論し出《いだ》し、互(たがひ)に、うつつ、うたれ、𢙣口(あつこう)のあまりに、女房、申《まふす》やう、

「をのれ[やぶちゃん注:ママ。]は、にくきやつかな。我を、かやうに、ちやうちやくする事、たびたび也。今なりとも、かのことを、いはゞ、たちまち、はりつけに、せん。」[やぶちゃん注:「うつつ、うたれ」これは、思うに、「打つつ、打たれつ」の錯字ではなかろうかと私は疑っている。「はりつけに、せん」は「磔にされん」とあるべきところではあるが、売り言葉に買い言葉で、罵倒し合う状態としては、私には違和感はない。]

と、のゝしるを、折ふし、目付衆(めつけしゆ)、通り合《あひ》、此一言をきゝて、内へ入《いり》、

「なんぢ、只今、かの事といひしことは、いか成《なる》事やらん。まつすぐに申べし。もし僞(いつは)りなば、『がうもん』せん。いかに、いかに。」

とせめ付《つけ》て、とふ。

[やぶちゃん注:「目付衆」この「目付」は、正規の狭義の職名ではなく、恐らく、関八州の治安を担当した「火付盗賊改方」の末端で、犯罪監察のために実動して市街・村落等を見回っていた与力・同心であろうと思われる。「がうもん」言わずもがなだが、「拷問」。]

 此女、何とも返荅(へんたう)に、つまり、さしうつむいて、ゐける。

 しかれども、

「申さねば、ならず。」

して、終(つひ)に、ありのまゝに、申上《まふしあげ》る。

「扨は。くせものは、きやつなり。」

とて、やがて、夫婦ともに、死罪に行《おこなは》れけり。

 報《むくい》とは申ながら、女の一言《ひとこと》にて、あまさへ、我身ともに、うしなはれし事、前代未聞の手本に、女は、きゝをき、かりにも、むさと、したる口を、きくまじき事也。縱(たとへ[やぶちゃん注:ママ。])、何ほど、はらの立(たつ)事ありとも、ふかく、つゝむべき事は、いはざるが、よし。されば、三寸の舌をもつて、五尺の身を、はたす、と云《いふ》事、ある時は、何事も、よくよく、つゝしむべし。

[やぶちゃん注:「きゝをき」「聞(或いは「聽」)き招(を)き」であろう。「聞(聴)かれるのを招き寄せ」(てしまう)の意と思われる。

「むさと」「むざと」と濁点を附してもよい。副詞で、「軽率にことをするさま・うっかりと」の意。

「つゝむ」「包む」。内に隠す。

「はたす」「果たす」。死に果てる。]

「善惡報はなし」正規表現オリジナル注 卷一 㐧七 かに女の命をたすくる事

[やぶちゃん注:底本・凡例等は初回を参照されたい。]

 

  㐧七 「かに」、女の命(いのち)をたすくる事

○寬永年中(ねんぢう)、六月中旬の比、江州、文五郞と申《まうす》ものあり。

 かれが、むすめ、なさけ、ふかく、じひありて、やり水の中に、ちいさき「かに」のありけるを、常に、やしない[やぶちゃん注:ママ。]けり。

 とし久しく、食物を、あたへけり。

 此むすめ、みめかたち、よろしかりけるを、虵(へび)、おもひかけて、或時、男(おとこ[やぶちゃん注:ママ。])にへんじ、來りて、親に、こひて、

「妻(つま)にすべき。」

よしを、いひて、かくす事なく、

「虵なる。」

よしを、ありのまゝに、いひける。

 父、此事をきゝ、返事なくして、たゞ、なげき、かなしみて、むすめに、此やうを、かたる。

 むすめ、心あるものにて、

「ちからおよばぬ事也。我身の『ごう報[やぶちゃん注:ママ。「業報(がうほう)」。]』にてこそ、候らはめ。『かなはじ』と仰《おほせな》らるゝならば、一つは、『親かうかう』のためにて侍る我身の、いたづらにくちはつる事は、うらみとも、さらにおもはず候。」

と、打《うち》くどき、なくなく、申ければ、父、かなしくおもひながら、「ことはり[やぶちゃん注:ママ。]」に、をれて、約束して、日どりまでぞ、しける。

 女、日比《ひごろ》、やしなひし「かに」ゝ、例(れい)の物をくはせて、いひけるは、

「年比(としごろ)、なんぢを、あはれみ、やしなひつるが、今は其日數(ひかず)も、はや、いくほどあるまじきこそ、あはれ也。かゝる『ふしやう』[やぶちゃん注:「不祥」で採る。「不詳」では程度が低過ぎる。]にあひて、虵に思ひかけられて、我は、いづくへ、とられてゆかんずらん。又も、やしなはずして、やみなん事こそ、ふびんなれ。」

とて、さめざめと、なく。人と物がたりするやうにいひけるを聞《きき》て、此《この》「かに」、物も、くはで、はひさりぬ。

 其後、かの「やくそく」の日、虵ども、大小、あまた、家の庭にはひ來りしは、おそろしなんど、いふばかりなし。

 爰(こゝ)に、また、山のかたより、「かに」、大小、いくらといふ數しらず、はひ來り、此虵を、一〻《いちいち》、皆、はさみころし、

「むらむら」

として、はひのきける。

 其後は、何の子細もなかりけり。

 されば、「虫(ちう)るい[やぶちゃん注:ママ。]」なりといへども、「をんどく[やぶちゃん注:ママ。「恩德」。]」のほどを、よく、しりて、おほくの虵共をころし、其なんを、すくふに、人間、なさけしらざるは かにゝは、はるかに、をとれりと、知《しる》べし。

[やぶちゃん注:本篇には挿絵がある。岩波文庫は本篇を採用していない。第一参考底本では、ここにあり、第二参考底本では、ここにあるが、後者は例の落書が激しく、障子の下や、縁側にぐちゃぐちゃ書いており、消した跡もあって、見るに堪えない。ひどいのは、娘の母親の顔(元々、左袖で顔を隠しているのだが)を、明らかに確信犯で塗り潰している。この落書を書いた餓鬼は、きっと母親嫌いだったんだろうなと思ったわい。

 さて。この話は、酷似した先行作品が複数ある。私のものでは、「諸國百物語卷之四 十二 長谷川長左衞門が娘蟹をてうあひせし事」で、挿絵まで、配置がよく似ている。同類話は「日本靈異記」や「日本法華驗記」に遡り、「今昔物語集」他にも、ワンサカ、ある。その辺りも読まれたい方は、私は、「南方熊楠 蟹と蛇」の注で、それらを神経症的に総て、正字正仮名で電子化してあるから、どうぞ、いらっしゃい。かなりの分量なので、心して読まれたいがね。

「和漢三才圖會」植物部 卷第八十三 目録・喬木類 油桐

 

Sinaburagiri

 

あぶらぎり 罌子桐

      虎子桐

油桐

      荏油桐

だま    【阿布良岐利

       又云太末】

 

[やぶちゃん字注:「罌子桐」の「罌」は「グリフウィキ」のこれだが、表示出来ないので、異体字の以上を用いた。東洋文庫でも、この字体を用いている。また、通常、当時の中国音を配してある箇所に、ひらがなで和名の「だま」を配しているのも、本書では、極めて異例である。

 

本綱油桐枝幹花葉並類岡桐而小樹長亦遲花亦微紅

伹其實大而圓毎實中有二子或四子大如大風子其肉

白色味甘食之吐逆【得酒卽解】人多種蒔收子貨之爲油入𣾰

家入艌船用爲時所須其油似荏油有僞者惟以篾圈蘸

起如鼓靣者爲眞

桐子油【甘微辛寒有大毒】 傅惡瘡塗䑕咬處又能辟䑕治酒皶

 赤鼻桐油入黃丹雄黃傅之

△按油桐江州濃州多種之搾油大津油家販之其効同

 荏油煉成代𣾰用名桐油𣾰可以塗五色常𣾰不能塗

 白色也又加松脂塗船槽不水漏名知也牟塗

 造桐油𣾰法 桐油【一合】宻陀僧【二錢】滑石【五分】白礬【三分】以文火煉之竪起燈心不仆爲度其青色【綠青】黃【藤黃】赤【朱或辰砂】白【白粉】黑【油煙煤】加所好者塗之【貯之盛竹筒安水中則不涸乾】

 

   *

 

あぶらぎり 罌子桐《あうしとう》

      虎子桐《こしとう》

油桐

      荏油桐《じんゆとう》

だま    【「阿布良岐利《あぶらぎり》」、

       又、「太末《だま》」と云ふ。】

 

「本綱」に曰はく、『油桐は、枝・幹・花・葉、並《ならび》に岡桐《こうとう》に類す。而して、小なり。樹、長ずること、亦、遲し。花≪も≫亦、微《やや》紅《くれなゐ》なり。伹《ただし》、其の實、大にして、圓《まろ》し。實の中、毎《つね》に、二《ふたつ》≪の≫子《たね》、或いは、四《よつ》≪の≫子、有り。大いさ、「大風子《だいふうし》」のごとし。其の肉、白色。味、甘≪なれども≫、之れを食へば、吐-逆《はきもど》す【酒を得ば、卽ち、解す。】。人、多く、種、蒔≪き≫、子を收めて、之れを貨(う)る。油と爲《な》して、𣾰家(ぬし《や》)に《→の用に》入≪れ、又、≫、艌船《ねんせん》[やぶちゃん注:「艌」は「船の隙間に詰めて水漏れを防ぐ」の意がある。]の用に入≪るる等≫、時に爲めに[やぶちゃん注:時と使用法によって。]、須(もち)ひらる。其の油、「荏《え》の油《あぶら》」に似≪る故に≫、僞る者、有り。惟だ、篾(たけ)の圈(わ)を以つて、蘸(ひた)し起《おこし》≪たる時、≫鼓靣《つづみおもて》のごときなる者を、眞と爲《な》す。』≪と≫。

『桐の子油《たねあぶら》【甘、微辛、寒。大毒、有り。】 惡瘡に傅(つ)け、䑕《ねずみ》、咬《かみ》たる處に塗る。又、能く䑕を辟《さ》け、「酒--赤-鼻(ざくろばな)」を治す。≪その際には[やぶちゃん注:『「酒皶赤鼻」に処理する折りには』の限定条件と思われる。]、≫桐油≪に≫「黃丹《わうたん》」・「雄黃《ゆうわう》」を入れて、之れを傅(つ)く。』≪と≫。

△按ずるに、油桐、江州・濃州、多く、之れを種《う》ゑ、油を搾(しぼ)り、大津の油家(あぶらや)に、之れを販(う)る。其の効、「荏の油」に同じく、煉成《れんせい》≪して≫、𣾰《うるし》に代《か》へ、用ひて、「桐油𣾰(とうゆうるし)」と名づく。以つて、五色《ごしき》に塗るべし。常の𣾰は、白色に塗ること、能はざるなり。又、松脂《まつやに》を加へて、船槽《せんさう》に塗れば、水、漏(も)れず。「知也牟塗(チヤンぬり)」と名づく。

「桐油𣾰」を造る法 桐油【一合。】・宻陀僧(みつだそう)【二錢[やぶちゃん注:江戸時代の一錢は三・七五グラムで、七・五グラム。]。】・滑石【五分《ぶ》。[やぶちゃん注:一分は三十七・五ミリグラムで、十八・七五ミリグラム。]】・白礬《はくばん》【三分。】、文火《とろび》を以つて、之れを煉る。燈心に竪-起(たて)て、仆《たふ》れざるを、度《ど》と爲《な》す[やぶちゃん注:良い製品のそれを作る処理の限度とする。]。其の青色≪とせん時は≫【綠青《ろくしやう》。】、黃≪とせん時は≫【藤黃《きわう》。】、赤≪とせん時は≫【朱、或いは、辰砂。】、白≪とせん時は≫【白粉《はらや》。】、黑≪とせん時は≫【油煙《ゆえん》の煤《すす》。】≪とを以つて≫、好む所の者を加へて、之れに塗る【之れを貯《たくは》ふに、竹の筒に盛り、水中に安《やすん》ずれば、則ち、涸-乾《かは》かず。】。

 

[やぶちゃん注:「油桐」は、中国のそれは、基原植物を中国原産の、

双子葉植物綱キントラノオ目トウダイグサ科ハズ亜科 アブラギリ連アブラギリ属シナアブラギリ(オオアブラギリ)Aleurites fordii

とし、本邦の場合は、江戸前期に中国から渡来した、

同属アブラギリ Vernicia cordata

である。

オオアブラギリは「国立研究開発法人 森林研究・整備機構 森林総合研究所 九州支所」公式サイト内の『樹木園 > 「九州支所樹木園」樹木名索引 > シナアブラギリ』を引用しておく。『落葉高木。樹皮は灰白色でなめらかである。老樹ではいくぶん粗』造『となる。葉は互生し、心臓形または心卵形をなし全緑である。葉柄は長く、やや紅色で葉柄のもとに』二『個の密腺がありこれに柄がない。雌雄異株または同株。集散花序を出し、表面白色、下面紅色の花を開く。果実は球形で』一~三『個つき』、『外皮は』、『初め緑色、のち暗褐色となる。中に』三~五『個の種子がある』。『中国原産で』、『中国では揚子江南部各省で盛んに栽培されている。日本では関東地方南部以西の暖地で栽培されている』。『桐油として優良である。油絵、提灯などに用いるが』、『食用とはならない。材は床板、下駄材などとする』。『和名シナアブラギリは「支那油桐」の意で、油桐(日本油桐)に対しての名である』。『開花時期』は四~五月で、『果実成熟期』は九~十月とある。比較的、記載が豊富な英文の当該種のウィキをリンクせておく。

 本邦のアブラギリは当該ウィキを引く。『落葉高木。種子から桐油(きりゆ、tung oil)と呼ばれる油を採取して塗料などに用いる。東アジア産のアブラギリやシナアブラギリはAleurites 属から分離してVernicia 属とすることもある』。『西日本と中国に自生し、また栽培もされる。葉の形はキリに似る。葉の基部には柄のついた蜜腺が』一『対ある。花は』六『月頃咲き』、五『弁で白く』、『径』三センチメートル『ほど、円錐花序をなし』。『よく目立つ。果実は円い蒴果』(さくか:カプセル:capsule:果実の中で、乾燥して裂けて種子を放出する裂開果の内の一形式。果皮が乾燥して、基部から上に向って裂ける。アサガオ・ホウセンカなどはこの例で、 蒴果の内、果皮が蓋のように上にはずれるものを「蓋果」といい、マツバボタン・スベリヒユ等がそれ。また、角(つの)状に尖っていて、内部が二室に分れているものを「長角果」(アブラナ・クレオメ等)と称し、基本構造は同じであるが、長さの短いものを「短角果」(ナズナ等と呼ぶ。以上は「ブリタニカ国際大百科事典」に拠った)『で』六『個の大きな種子を含み、秋に熟す』。『種子から採れる桐油は不飽和脂肪酸を多く含む乾性油であるため、塗料や印刷インキ、油紙の材料として盛んに使われた』。但し、『エレオステアリン酸』(Eleostearic acid)『など』、『毒性を持つ不飽和脂肪酸を含むため、食用にはできない』。『別名ドクエ(毒荏)といい、これは古くから種子の油を食用や塗料用として用いたエゴマ(荏)と対比した名前である』。『現在は油の原料としてアブラギリでなく』、『中国原産のシナアブラギリ』『を使う。これはアブラギリより大型で、葉の蜜腺には』、『柄がなく』、『直接』、『つく。この油は中国などから多く輸入されて家具の塗料などに使われている』。『近年、バイオディーゼルの供給源として注目されているナンヨウアブラギリ』(ナンヨウアブラギリ属ナンヨウアブラギリ Jatropha curcas )『は本種とは別属の樹木である』。『台湾で『桐』という字はアブラギリを指す。台湾を代表する植物である』。『なお』、『古来』、『中国における桐は主にアオギリ』(アオイ目アオイ科 Sterculioideae亜科アオギリ属アオギリ Firmiana simplex )、『梧桐』『を指し、日本で好まれるキリ(キリ科)』(シソ目キリ科 Paulowniaceae)『のいずれともアブラギリは』、『ごく遠縁の別樹種である』とある。この最後の問題は、先行する「梓」以下、ここまでで、十全に日通の種の違いを含め、注してきたものである。

 良安の「本草綱目」のパッチワーク引用は、「卷三十五上」の「木之二」「喬木類」(「漢籍リポジトリ」)の「罌子桐(ガイド・ナンバー[085-28a]以下)から。因みに、「罌子桐」はアブラギリの中国語の古い呼称である。中文の「シナアブラギリ」(この和名は差別和名として「オオアブラギリ」に変えるべきだろうな)のウィキ(題名は「油桐」だが、書いてあるのはそっち)をリンクさせておく。そこに俗名として「罌子桐」が挙げられてある。因みに、良安は中国音を添えていないので、現代中国語の音写で示しておくと、「油桐」は「イォウトォン」である。

「岡桐《こうとう》」先行する「岡桐」を参照。

「大風子」二回ほど既出既注だが、再掲しておくと、大風子油(だいふうしゆ)のこと。当該ウィキによれば、キントラノオ目『アカリア科(旧イイギリ科)ダイフウシノキ属』 Hydnocarpus 『の植物の種子から作った油脂』で、『古くからハンセン病の治療に使われたが、グルコスルホンナトリウムなどスルフォン剤系のハンセン病に対する有効性が発見されてから、使われなくなった』とあり、『日本においては江戸時代以降』、「本草綱目」『などに書かれていたので、使用されていた。エルヴィン・フォン・ベルツ、土肥慶蔵、遠山郁三、中條資俊などは』、『ある程度の』ハンセン病への『効果を認めていた』とある。

「𣾰家(ぬし《や》)」漆塗り師のこと。現在も特に同加工をする人を、「塗師」で「ぬし」と呼んでいる。

「篾(たけ)」この「篾」は、音は漢音で「 ベツ」、呉音「メチ」。日中辞典には、タケ・アシ・コウリャン殻などの皮を細く割ったもの、とある。

「蘸(ひた)し起《おこし》≪たる時、≫」この漢字は、「さっとつける・まぶす・軽く漬けて取り出す」の意であるから、どっぷりと長く漬けてはいけないのであるからして、訳を「蘸(ひた)し起《おこし》」と、わざと読点を「蘸(ひた)し」を打たなかった。「漬けたら、直ぐに、引き上げ」の意であることに注意しないといけない。

「鼓靣《つづみおもて》のごときなる者」まさしく、前に注した「蒴果」、「カプセル」でんな!

「酒--赤-鼻(ざくろばな)」「石榴鼻」。小学館「日本国語大辞典」から引く。『鼻の頭が赤くふくれ、ぶつぶつで、石榴の実を割ったように見えるもの。皮膚の毛細血管が拡張、潮紅し、毛穴が広がってにきびのようになり、重症の場合は大小のかたまりができる。酒を飲む人に多い。酒鼻(ささばな)。酒皶(しゅさ)。酒皶鼻(しゅさび)。あかはな。にきみばな。』とあった。引用例は家光の頃の作品であるから、江戸前期には、既にあった語である。

「黃丹《わうたん》」漢方で「鉛丹(エンタン)」の別名。鉛を熱して赤褐色に酸化させた生薬。成分は四酸化三鉛(しさんかさんなまり:Pb3O4)効能は明らかでないが、外用薬(塗り薬)で、皮膚の化膿症・湿疹・潰瘍・外傷・蛇による咬傷などに用いると漢方サイトにはあった。

「雄黃《ゆうわう》」「牛黃圓」に同じ。牛の胆嚢に生ずるとされる黄褐色の胆石である牛黄を主剤としたを丸薬。

「荏の油」シソ目シソ科シソ亜科シソ属エゴマ Perilla frutescens の実から得られる「エゴマ油」のこと。当該ウィキによれば、英語“Perilla oil”。『焙煎した荏胡麻の種子から圧搾した油はナッツのような香ばしさがあり、食用油として使用される。焙煎していない荏胡麻の種子を圧搾した物は』、『食用以外の用途、例えば』、『油絵具のバインダーや木製品・革製品のオイルフィニッシュワニスなどの目的で使用される』。『エゴマ油は脂肪酸の豊富な供給源と考えられており、飽和脂肪酸と不飽和脂肪酸の両方を含む。エゴマ油に含まれる飽和脂肪酸は、主にパルミチン酸』『とステアリン酸』、『不飽和脂肪酸は、オレイン酸』・『リノール酸』・『γ-リノレン酸』・『α-リノレン酸』・『アラキジン酸』『となっている』。『エゴマ油はオメガ3脂肪酸』と『オメガ6脂肪酸成分』『が』『他の植物油と比較して多く含まれている』とあった。

「知也牟塗(チヤンぬり)」本来のそれは、狭義には、「瀝青塗」(チャンぬり)と呼ばれ、瀝青(チャン:天然のアスファルト・タール・ピッチなど、黒色の粘着性のある物質の総称。また、石炭を加圧下でベンゼンを用いて抽出したときの抽出物。チャン。ビチューメン。ビチューム)を塗ること。また、その塗り物を指すが、ここは、その色から、広義に本邦で、近世の和船や唐船の船体・綱具などに用いる濃褐色の防腐用塗料で、松脂・油・蜜陀僧(本文の後に出るが、ここで注しておくと、一酸化鉛PbOのこと。普通、黄色の粉末であるが、橙赤(とうせき)色のものもある)・軽粉などを、混ぜ合わせ、熱して作ったそれを指す。

「滑石」珪酸塩鉱物の一種で、フィロケイ酸塩鉱物(Phyllosilicates)に分類される鉱物、或いは、この鉱物を主成分とする岩石の名称。世界的には「タルク(talc:英語)」のほか、「ステアタイト」(Steatite:凍石)・「ソープストーン」(Soapstone:石鹸石)・「フレンチ・チョーク」(French chalk)・「ラバ」(Lava:原義は「溶岩」。本鉱石は変成岩である)とも呼ばれる。Mg3Si4O10OH2。水酸化マグネシウムとケイ酸塩からなる鉱物で、粘土鉱物の一種(当該ウィキ他に拠った)。

「白礬《はくばん》」天然明礬(カリ明礬石製)を温水に溶かして冷やしたもの。

「藤黃《きわう》」「𣾰」でも出ており、注したが、再掲しておくと、「きわう」の読みを含め、不審。東洋文庫訳でも注を附さない。「藤黄」は現代仮名遣で「とうおう」で、サイト「Premium Japan」の「日本の伝統色を知る」の「藤黄」には、『東南アジアを原産とするオトギリソウ科の常緑高木・海藤(ガンボージ)から出る植物性の顔料で染めた、暖かみのある鮮やかな黄色。その歴史は大変古く、奈良の正倉院に収蔵されている出陳宝物「漆金薄箔絵盤(うるしきんぱくえのばん)」にも藤黄色が使われて』おり、『古名として「しおう」とも呼ばれてい』るとあった。この「海藤(ガンボージ)」は英語“gamboge”で(カンボジア由来)、インドシナに分布するキントラノオ目オトギリソウ科 Hypericaceae(新体系APGではフクギ科Clusiaceae)フクギ属ガンボジ Garcinia hanburyi 、及び、その近縁種から採取される、濃い黄色の顔料を指す。日本語ウィキは存在せず、英文当該ウィキ(顔料の方)が詳しい。言わずもがなだが、本邦には自生しない。

「辰砂」」水銀と硫黄とからなる鉱物。深紅色又は褐赤色で、塊状・粒状で産出する。水銀製造の原料、また、赤色顔料の主要材料とされる。漢方では、消炎・鎮静薬などに用いる。「丹砂」「朱砂」とも呼ぶ。

「白粉《はらや》」東洋文庫訳は『おしろい』とルビするが、採らない。少なくとも、この前の添加物は、はっきりとした薬剤基原物だからである。「輕粉(けいふん)」「粉白粉(こなおしろひ)」とも呼ぶ。「伊勢白粉」のこと。白粉以外に顔面の腫れ物・血行不良及び腹痛の内服・全般的な皮膚病外用薬、さらには梅毒や虱の特効薬や利尿剤として広く使用された。伊勢松坂の射和(いざわ)で多く生産された。成分は塩化第一水銀Hg₂Cl₂=甘汞(かんこう)であり、塗布でも中毒の危険性があり、特に吸引した場合、急性の水銀中毒症状を引き起こす可能性がある。現在は使用されていない。]

2024/06/24

「善惡報はなし」正規表現オリジナル注 卷一 㐧六 商人盗人にころさるゝ事幷犬つげしらする事

[やぶちゃん注:底本・凡例等は初回を参照されたい。本篇には挿絵はない。]

 

  㐧六 商人(あきびと)盜人(ぬす《びと》)に殺さるゝ事、幷《ならびに》犬、つげ、しらする事

〇近江、「ちの」と云《いふ》所に商人あり。

 極月(ごく《げつ》)下旬、上方ゟ《より》金銀をとりてかへるに、其《その》鄕内《がうない》に、あぶれもの、二人、有り。此《この》商人の「かね」を取《とり》てかへるをうかゞひ、うばはんために、二人、かたらひ、在所(ざいしよ)はづれに出《いで》て、待《まち》けるが、折ふし、のばら[やぶちゃん注:「野原」。]の事なれば、たとへ聲をたつるとも、在所、ほど遠し。

[やぶちゃん注:「在所(ざいしよ)はづれ」村外れ。]

 かしこに待ちて、歸るを、難なく、双方より、うちよつて、さし殺し、金銀、おもひのまゝに、取《とり》て、則《すなはち》、死骸を、あたりの木の下(した)にうづみ、さらぬていにて、かへりぬ。

 此《この》ころされしものゝ妻(つま)、夫(をつと)、年内(ねんない)かへ歸らざる事、ふしぎにおもひ、

「とやあらん、かくや、しつらん。」

と、あんじ、わづらひしが、爰(こゝ)に、をつと、つねに、犬を飼(かひ)置きけるが、正月五日の夜(よ)、くだんの犬、女房の夢に、告げていはく、

「其方《そのはう》の夫、かへり給はぬ事、ふしんし給ふは、尤《もつとも》也。いつまで待《まち》給ふとも、まちがひ[やぶちゃん注:「待ち甲斐」。]あるまじ。盗賊の手にかゝり、うたれ給ふ。死骸(しがい)は、野はづれの、木の下に、いれて、あり。」[やぶちゃん注:「かへり給はぬ事」実は両参考底本では、孰れも「給はん事」となっている。岩波文庫では、高田氏の『意によって改』とあるのに従って手を加えた。]

と、まさしくつぐるとおもへば、夢、さめぬ。

 妻、不思議に思ひながら、うち過《すぎ》ぬ。

 又、次の夜も、同し夢なり。[やぶちゃん注:「おなし」という読みは、今もあるので、濁点は打たなかった。]

 妻、いよいよ、ふしぎに思ひ、やがて、夢にみし所へゆき、たづね見けるに、土(つち)、かきあげし所、あり。

 ほりかへして見るに、うたがひもなき、夫の「しがい」也。

 妻、ふかくなげゝど、其のかひ[やぶちゃん注:「甲斐」。]、なし。

 程過《ほどすぎ》て、かの盜賊二人の内に、一人、わたくしの押領(をふれう[やぶちゃん注:ママ。])有《あり》て、奉行所にて、「がうもん」[やぶちゃん注:「拷問」。]にあひしが、くだん[やぶちゃん注:「件」。]の事まで、いちいち、白狀しけり。[やぶちゃん注:「押領」他人の物品・所領などを、力ずくで奪い取ること。歴史的仮名遣は「わうりやう」。]

「扨《さて》は。ぢうぢう、『いたづらもの』かな。」

とて、今一人も捕へられ、ともに、死罪に、あひけり。

[やぶちゃん注:「いたづらもの」岩波文庫では、編者が『悪漢(いたづらもの)』と漢字表記に代えてある。しかし、第一参考底本も、第二参考底本(右丁後ろから三行目)ともに、「いたづらもの」というひらがな表記である。]

 「ちくしやう」といへども、かく、「死(し)しよ」を、よく、知りてつぐるに、人間の、物を知らざるこそ、「ちくしやう」にも、をとれり。「因果れきぜん」の「どをり[やぶちゃん注:ママ。]」[やぶちゃん注:「道理」。]、おどろくべし。

[やぶちゃん注:私は、ちょっと不満なのは、飼っている犬を連れて、遺体を見つけるというシークエンスになっていないことである。そうすると、犬の報恩奇談として、映像のリアリズムがよりよく出るのに、惜しいな、と感ずるからである。

「善惡報はなし」正規表現オリジナル注 卷一 㐧五 しやうぢきの人寳を得る事

 

[やぶちゃん注:底本・凡例等は初回を参照されたい。本篇には挿絵はない。]

 

  㐧五 しやうぢきの人寳(たから)を得る事

○河内(かわち)の国いし川と云《いふ》所に、いやしき夫歸あり。餅をうりて、世をわたりけり。

[やぶちゃん注:「河内(かわち)の国いし川」旧河内國石川郡。大阪府南河内郡の全域、及び、富田林市の一部(概ね新堂・富美ケ丘町・寿町・錦ケ丘町・常盤町・富田林町・山中田町・東板持町・佐備・龍泉・甘南備より北東)に相当する。郡域は参照したウィキの「石川郡」の地図を見られたい。]

 有《ある》時、道のほとりに出《いで》て、もちを、うりけるに、袋(ふくろ)を、一つ、ひろひけり。

 みれば、金(きん)六兩あり。

 ふうふ、ともに、むよく成《なる》ものにて、家に取《とり》てかへらず。

「此主(ぬし)、いかばかり、なげき給ふらん。我らは、かしよくあれば、ぜにゝ、ことも、かゝず。いざ、ぬしを尋ねて、かへさん。」

とて、あまねく、ふれければ、やがて、主(ぬし)、出《いで》て、もらいける。

[やぶちゃん注:「かしよく」「家職」家業。生業(なりわい)。「ふれ」「觸れ」。郡衙一帯に「拾い物」の「お触れ」を告げること。]

「扨〻《さてさて》、過分成《なる》心ざし、申《まうす》べきやうもなく候。あまりかたじけなく候まゝ、此内、二兩は其方《そのはう》へ參らせん。」

といふ。

 夫婦、申やう、

「いやいや、其《その》二兩をもらい[やぶちゃん注:ママ。]申《まうす》ほどならば、 此六兩を、何の用に、其方へかへし申さん。」

と云《いふ》。

「いや、あまり、ふうふの人〻、心のせつなるにかんじ、ぜひとも、參らせん。」

とて、取出《とりいだ》ししが、其間《そのあひだ》に、おもひかへし、おしくや、思ひけん、

「扨〻、此金《このかね》は、右(みぎ)、七兩、ありつるに、今、六兩かへし給ふやうは、さては、一兩、かくし給ひつらん。」

と云。

 夫婦、聞《きき》て、

「さる事は、しらず。もとより、六兩、あり。一兩、かくすほどならば、六兩を、皆、其方へ、かへすべきや。」

と。

 互(たがい[やぶちゃん注:ママ。])に、ろんじて 國守(くにのかみ)へ、兩人、出《いで》て、たいけつす[やぶちゃん注:「對決す」。]。

 目代(もくだ)、ちゑ、ふかく、ましまして、仰《おほせ》らるゝには、

「ふうふともに、正直のものにて、あり。一兩をかくすほどならば、六兩ながら、皆、我物(わがものに)こそ、しつらん。今、なんぢが、おとしたるは、七兩ならば、扨は、此かねは、なんぢが、かねには、あらず。其七兩あるを、もとめて、とるべし。さすれば、是は、別(べつ)のかねなり。夫婦のもの、取《とる》べし。」

とて、給はりけり。

 心、なをければ、天のあたへを、かうぶりけり。ふたう成《なる》ものは、をのがたから成《なれ》ども、よこしまなる心をもつて、人を、かすめば、めうのとがめにて、をのれ[やぶちゃん注:ママ。]がたからを、うしなふ事、よく心得べし。おそるべし、おそるべし。

[やぶちゃん注:「ふたう成もの」「太うなる者」。欲が出て、ずうずうしい者。

「めうのとがめ」。「めう」は「みやう」の誤りで、「冥(みやう)の咎め」で、「神仏の咎め」の意である。

 この話、所謂、後の「大岡政談物」の「三方一兩損」の類話と言ってよい。「三方一兩損」と、その当該類話は、私の『小酒井不木「犯罪文學研究」(単行本・正字正仮名版準拠・オリジナル注附) (6ー2) 三比事に書かれた特種の犯罪方法 二』を見られたい。ただ、私は、この話に酷似したものを、過去に電子化している記憶があるのだが、どうしても探し得ない。見つけたら、追記する。]

「和漢三才圖會」植物部 卷第八十三 目録・喬木類 梧桐

 

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ごとうぎり  櫬【音親】

        五同桐

        【以字音呼

梧桐     一名青如狼狸】

 

ウヽトン

 

本綱梧桐似桐而皮青不皵其木無節直生理細而性緊

葉亦似桐而稍小先滑有尖其花細蕋堕下如醭其莢長

三寸許五片合成老則裂開如箕謂之櫜鄂其子綴於櫜

鄂上多者五六少者二三子大如胡椒其皮皺伹晩春生

葉早秋卽凋其木昜生鳥啣子墮輙生其生山石間者用

爲樂噐更鳴響也古稱鳳凰非梧桐不棲豈亦食其實乎

遁甲書曰梧桐可知日月正閏生十二葉一邊有六葉從

下數一葉爲一月至上十二月有閏十三葉其小者爲閏

 百敷や桐の梢に住む鳥の千とせは竹の色もかはらじ 寂蓮

青桐 卽梧桐之無實者又似青桐葉有椏者名𣗐桐

△按梧桐其子大如胡椒正圓故諸書謂丸藥大可如梧

 桐子者是也

 或書云推古帝時參河國山有神代桐木長四十九丈

 太三十二尋枝過半枯中有虛洞本有洞口龍住時發

 雲霧依曰桐生山【又云霧降山】

 

   *

 

ごとうぎり  櫬【音「親」。】

        五同桐《ごとうぎり》

        【字の音を以つて、呼ぶ。

梧桐     一名、「青如狼狸(あをによろり)」。】

 

ウヽトン

 

「本綱」に曰はく、『梧桐、桐に似て、皮、青く、皵(あらかは)あらず。其の木、節《ふし》、無く、直《ちよく》に生ず。理(きめ)、細かにして、性、緊《かた》し。葉も亦、桐に似て、稍《やや》、小なり。先、滑《なめらか》んして、尖《とが》り、有り。其の花、細き蕋《しべ》、堕下《おちさが》りて、醭《かび》[やぶちゃん注:「黴」。]のごとく、其の莢《さや》、長さ、三寸許り。五片、合し、成《な》る。老する時は[やぶちゃん注:「時」は送り仮名にある。]、則ち、裂開《さけひらき》て、箕(みの)のごとし。之れを「櫜鄂(かうがく)」と謂ふ。其の子《み》、「櫜鄂」の上に綴(つゞ)り、多き者、五、六、少なき者、二つ、三つあり。子の大いさ、胡椒のごとく。其の皮、皺(《し》は)む。伹《ただし》、晩春、葉を生じ、早秋、卽ち、凋《しぼ》む。其の木、生《は》へ昜《やす》く、鳥、子《み》を啣(ふく)みて、墮《おと》せば、輙《すなは》ち、生ず。其の山石の間に生ずる者を、用ひて、樂噐と爲《な》す。更に鳴響《めいきやう》≪する≫なり。古《いにし》へに稱す、「鳳凰は、梧桐に非ざれば、棲まず。」と。豈に、亦、其の實を食すか。「遁甲書」に曰はく、『梧桐は日月《じつげつ》・正閏《せいじゆん》を知るべし。十二葉を生じ、一邊に、六葉、有り。下より一葉を數《かぞ》へて、一月と爲し、上、十二月に至る。閏《うるう》有れば、十三葉≪生じ≫、其の小さき者、閏と爲す。』≪と≫。』≪と≫。

 百敷(ももしき)や

       桐の梢に

     住む鳥の

        千とせは竹の

             色もかはらじ 寂蓮

『青桐は、卽ち、梧桐の實の無き者なり。又、青桐に似て、葉に椏《また》の有る者を、「𣗐桐《えいとう》」と名づく。』≪と≫。

[やぶちゃん注:良安の和歌の挿入があるが、以上の「青桐」の一節は、「本草綱目」の引用であり、こうした書き方は、本書では特異点と言える。

△按ずるに、梧桐は、其の子の大いさ、胡椒のごとく、正-圓(まんまる)なり。故に、諸書に、『丸藥の大いさ、梧桐≪の≫子《み》のごとくにす。』と謂ふ≪は≫、是れなり。

 或書に云はく、『推古帝の時、參河國の山に、神代の桐の木、有り。長さ、四十九丈、太さ、三十二尋《ひろ》、枝、過半、枯れ、中に、虛洞《うつろなるほら》、有り。本《ねもと》に、洞の口、有り。龍、住んで、時〻《ときどき》[やぶちゃん注:原本の左下の訓点の踊り字は「〱」。]、雲霧《くもきり》を發す。依りて、「桐生山(きりふ《やま》)」と曰ふ。』と【又、「霧降山《きりふりやま》」と云ふ】。

 

[やぶちゃん注:「梧桐」は、日中ともに、

双子葉植物綱アオイ目アオイ科 Sterculioideae 亜科アオギリ属アオギリ Firmiana simplex

であるので、種同定の問題はない。本邦では「青桐」とも表記する。当該ウィキを引く(注記号はカットした)。『別名ではケナシアオギリともよばれる。和名の由来は、キリ科のキリ(桐)』(キリはシソ目キリ科キリ属キリ Paulownia tomentosa であり、種としては全く近縁性はないので注意)『が「白桐」とよぶのに対して、幹肌が青緑色で大きな葉がつく様子がキリに似ることから名付けられている。中国名の梧桐(ごとう)』中文の音写は「ウートゥン」)『も日本ではよく知られている。公園樹、街路樹に利用される』。『中国南部・東南アジア原産。日本では沖縄、奄美大島に自然分布し、日本国外では中国、台湾、インドシナに分布する。暖かい地域の沿岸地に生える。日本へは極めて古くに渡来し、広く各地に植えられて本州、四国、九州にも分布し、伊豆半島や紀伊半島などの暖地に野生化した状態でみられることもあるが、多くは街路樹や庭木などにして植えられる』。『落葉広葉樹の高木で、樹高は』十~二十『メートル』『になり、幹は直立する。幹や枝の樹皮は緑色で、小枝は太い。若木の樹皮は緑色で滑らかだが、生長と共に灰褐色を帯びて縦に浅い筋が入るようになる。春に芽吹いて、赤色の芽を勢いよく伸ばしていく』。『葉は互生し、大きな葉身に長い葉柄がついて全体の長さは』四十~五十『センチメートル』『にもなり、葉身は薄く卵形で掌状に浅く』三~五裂だが、通常は五裂である。『葉身の基部は心臓形で、縁に鋸歯はない。芽吹きはじめの葉は大きく、幼葉の表面、葉枝に淡い赤茶色の軟らかい毛があり、よく目立つ。秋には黄色に紅葉し、柄つきのまま落葉する。紅葉はやや薄い黄色に色づき、褐色を帯びるのが比較的早い』。『花期は初夏から夏』の五~七月で、『枝先に大形の円錐花序を出して、黄白色の雄花と赤色の雌花が混じり』、五『弁の小花を群生する。がく片は』五『個で、花弁はない』。『果実は蒴果で草質、秋』九~十月頃に『熟すが、完熟前に子房が』五『片に裂開し、それぞれ』一『片の長さが』七~十センチメートル『ほどある舟の形のような裂片(心皮)になる。その葉状の舟形片の縁辺に、まだ緑色のエンドウマメ(グリーンピース)くらいの小球状の種子を』一~五『個ほど付ける。種子は球形で径』四~六『ミリメートル』で、『のちに黄褐色から茶色に変化し、表面に皺があり硬い。冬でも、さやが割れて縁に丸い種子を付けた実を見ることができる』。『冬芽は枝の先端に頂芽を』一『個つけ、側芽は互生する』。『頂芽は径』八~十五ミリメートル『ほどある大きな半球形で、ビロード状の赤茶色の毛が密生した』十~十六『枚の芽鱗に包まれている。側芽は球形で小さく、枝に互生する。葉痕上部に托葉痕がある。葉痕はほぼ円形で大きく、小さな維管束痕が多数ある』。『よく水を吸い上げて、火に強い性質があ』り、『生命力が強く、潮水や潮風などの塩害や、大気汚染にもよく耐える』。『庭木、公園樹、街路樹にする。アオギリが庭木や街路樹によく使われるのは、その耐火性にあり、過去の震災においても』、『火災の延焼を食い止めた例もたくさんあった。樹皮の繊維は強健で、粗布や縄の材料にする。まっすぐな幹は建材などに用いられ、材を楽器、下駄などとするが、耐久性は低い。種子は古くは食用にされ、太平洋戦争中には炒ってコーヒーの代用品にした』。『栽培は、主に春に発芽前の若枝を長さ』三十『センチメートル』『ほどに切って、挿し木して育成される』。『種子は』「梧桐子」(ごとうし/ごどうし[やぶちゃん注:後者がウィキ記載。漢方サイトでは「ごとうし」の方が優勢だが、漢方記事には「ごとうし」の読みも確認出来る。])と『呼ばれる生薬として用いられ、胃痛、下痢の薬効作用がある。葉は浮腫、高血圧、コレステロールの低下などの民間薬として用いられ、初夏に採って洗い、陰干ししたものを』用いる。以下、「文化」の項。『中国の伝説ではアオギリの枝には』十二『枚の葉がつくが、閏月のある年には』十三『枚つくといわれた。また中国では鳳凰が住む樹とされた。伏羲がはじめて桐の木を削って古琴を作ったという伝説がある(ただしアオギリかキリか不明)』。『中国人の季節感と深い関係があり、七十二候のひとつに「桐始華」(清明初候)がある。またアオギリの葉が色づくのは秋の代表的な景色であり、王昌齢「長信秋詞」』の「其一」に『「金井梧桐秋葉黄」の句がある。また白居易「長恨歌」には「秋雨梧桐葉落時」という』。『日本では、広島の「被爆青桐」は有名で、爆心地から』一・三『キロメートルの地点で被爆して半身が焼け焦げたが、再び芽を出して人々に勇気を与えた』。『平和記念公園に移植されて、焼けた傷を包み込むように生長を続け、毎年多くの種子を成し、平和を願う生命力のシンボルとしてその種子が全国に配られる』。以下に「アオギリ属」が本種を除くと、四種が挙げられてある。日中で、それらの違いはあるであろうが、そこまで調べる気は、私には、ない。中文のウィキ「梧桐」をリンクさせておく。

 良安の「本草綱目」のパッチワーク引用は、「卷三十五上」の「木之二」「喬木類」(「漢籍リポジトリ」)の「梧桐(ガイド・ナンバー[085-27a]以下)からだが、最後の「青桐」の記載は、前の「桐」の項の「集解」([085-25a])からの転用である。それもあってか、和歌を挟むという仕儀があったのだと思う。良安の神経症的な一面の精神分析が出来るように私には思われた。

「青如狼狸(あをによろり)」不詳。「本草綱目」には載らない。ネットで上質のイタチ(「狼」は鼬を指す)の毛とアルビノのタヌキの毛を混ぜた、コシのしっかりした筆に「狼狸」があった。

「皵(あらかは)あらず」幹の表面には、ざらついた外皮がない。恐らくは、これ、別種である「桐」の木肌との比較で、時珍が述べたものと思われる。伝統的な博物誌の見かけ上の観察法である。

「櫜鄂(かうがく)」「櫜」は「弓矢や武器を入れておく袋」の意で、「鄂」は恐らくは、この場合、「臺・萼」と同義で「うてな」(花の「がく」)の意であろうと思われる。

「遁甲書」「奇門遁甲」で知られる「遁甲」は方術の一つで、神仙の術や一種の占星術・暦制による吉凶判断をすること。委しくはウィキの「奇門遁甲」を見られたい。

「百敷(ももしき)や桐の梢に住む鳥の千とせは竹の色もかはらじ」「寂蓮」は「夫木和歌抄」の「卷十五 秋六」にある一首。「日文研」の「和歌データベース」のこちらで確認した。ガイド・ナンバー「06085」が、それ。

  *

ももしきや-きりのこすゑに-すむとりの-ちとせはたけの-いろもかはらし

  *

「𣗐桐《えいとう》」「中國哲學書電子化計劃」のこちらで、清の愛新覺羅弘歷の「續通志」に『𣗐桐狀似青桐葉有椏人取皮以漚絲』とあった。

「或書に云はく、『推古帝の時、參河國の山に、神代の桐の木、有り。長さ、四十九丈、太さ、三十二尋《ひろ》、枝、過半、枯れ、中に、虛洞《うつろなるほら》、有り。本《ねもと》に、洞の口、有り。龍、住んで、時〻《ときどき》、雲霧《くもきり》を發す。依りて、「桐生山(きりふ《やま》)」と曰ふ。』と【又、「霧降山《きりふりやま》」と云ふ】」出典不詳。識者の御教授を乞う。「三十二尋」「尋」(ひろ)は、両手を左右に広げた際の幅を基準とする身体尺。当該ウィキによれば、『学術上や換算上など抽象的単位としては』一『尋を』六『尺(約』一・八『メートル)とすることが多いが、網の製造や綱の製作などの具体例では』一『尋を』五『尺(約』一・五『メートル)とする傾向がある』とあり、古代のそれは、当時の一般人の身長から後者を採るべきかと思う。それで換算すると、約四十八メートルになり、それでも現行のアオギリとしては、高過ぎる。上古の神木・大木は伝承上、驚くべき高さであるから、まあ、しょうがない。「桐生山」については、東洋文庫の後注に、『愛知県南設楽郡にある鳳来寺山(煙巌山)のことか』とあった。「声の仏法僧(ブッポウソウ)」=コノハズクで知られる。ここ(グーグル・マップ・データ)。旧名「煙巌山」は「えんがんさん」だが、寺である鳳来寺の山号は「えんごんざん」であるらしい。]

「善惡報はなし」正規表現オリジナル注 卷一 㐧四 親の報子共三人畜生の形をうくる事

[やぶちゃん注:底本・凡例等は初回を参照されたい。]

 

  㐧四 親の報(むくひ)、子共三人、畜生の形(かたち)をうくる事

 

〇慶安年中[やぶちゃん注:一六四八年~一六五二年。]、秋の比《ころ》、西國みまさかの久米(くめ)といふ所の山里に、兄弟三人して、母一人を、まはりまはりに、はごくみけるが、此の三人のものども、あくまで、母に不孝にして、養ふ事を、むやくしく[やぶちゃん注:「無益しく」。「腹立たしく」。]おもひ、或時、三人、一所に、うちよりて、母に「どく」を與へ、殺すべき内談をぞ、しける上(うえ[やぶちゃん注:ママ。])、二人して、「どく」をあたへけるに、母、「うん」、つよくして、死せざりしが、末子(ばつし)が手にて、終に(つゐ)に[やぶちゃん注:ママ。]殺しけり。

[やぶちゃん注:「西國みまさかの久米(くめ)といふ所」美作国の旧久米郡。現在の岡山市・北区の一部(旭川以東のうち建部町福渡以北)・津山市の一部(吉井川以南)・久米南町の全域・美咲町の大部分に相当する。参照したウィキの「久米郡」の旧郡地図を見られたい。]

 三人の者、

「今は、おもひの『ねん』[やぶちゃん注:「念」。]、はれたり。けふ[やぶちゃん注:「今日」。]よりしては、苦に成《なる》もの、一人も、なし。」

と、よろこびけり。

 其後《そののち》、十日ばかりして、白晝(はくちう)、俄(にはか)に、そら、かきくもり、ひとつ、「かみなり」、とゞろきて、「いなづま」、ひかり、「むらさめ」、おびたゞしくして、まなこも、くらむばかりなりけるが、三人のもの共《ども》、「かうべ」は、もとのごとくにて、かたより下は、一人は「牛」と成《なり》、一人は「犬」となり、今一人は「馬」と成《なり》ぬ。

 

14

 

[やぶちゃん注:岩波文庫からトリミング補正した。雷公の顔が認知出来ないが、獣に化した不孝三兄弟はmかなりはっきりと視認出来るので、大判で示した。第一参考底本ではここであるが、以上と同じ画質である。しかし、第二参考底本のここでは、雷公の顔の細部がはっきりと視認出来るので、超お勧めである。

 

 此の事、かくれなければ、見物、ぐんじゆする事、其《その》家に、みてり。

 かく、「はぢ」を、さらす事、月をかさねて、終(つゐ)に[やぶちゃん注:ママ。]命(いのち)さへ、たへにけり。

 かく、親に不孝なるをさへあるに、あまさへ[やぶちゃん注:「剩(あまつさ)へ」に同じ。]、ころす程の「五ぎやく」のもの、誠《まこと》に、今生(こんじやう)にて、「ちくしやう」のかたちを、うくる事こそ、理(ことわり)也。

 まして、未來[やぶちゃん注:「來世」に同じ。]の事は申《まふす》に及《およば》ず。

 しかるに、此の三人、「ちくしやう」の心得、たくましきによつて、上帝(じやうてい)、雷公(らいこう)に「みことのり」して、「かは」を、はぎ取《とり》、「ちくしやう」の本躰(ほんたい)をあらはし、人の「かは」を、はりたる「ちくしやう」どもを、こらしめ給ふ物也。

 それ、不孝のともがらは、今生(こんじやう)にて、畜生のかたちを變ぜずとも、當來(たうらい)、「ちくしやう道(だう)」に、おつべき事、よく、心得べき物也。おそるべし、おそるべし。

[やぶちゃん注:「五ぎやく」「五逆」。この場合は、仏教の正規のそれで、五種の最も重い罪を指す。一般には「父を殺すこと・母を殺すこと・阿羅漢(応供(おうぐ)。尊敬・施しを受けるに値する聖者)を殺すこと・僧の和合を破ること・仏身を傷つけること」を指し、一つでも犯せば、無間地獄に落ちると説かれる。

「上帝」天の神。

「當來」仏語。「当然、来るべきの時」の意で、「来世」(らいせ)を指す。]

「善惡報はなし」正規表現オリジナル注 卷一 㐧三 繼母娘を殺す幷柱に蟲喰ひ歌の事

 

  㐧三 繼母(けいぼ)、娘(むすめ)を殺す幷《ならびに》柱(はしら)に「虫くひ歌」の事

[やぶちゃん注:底本・凡例等は初回を参照されたい。本篇は挿絵はない。]

 

 江刕(がうしう)北郡(きたのこほり)「水《みづ》ほ」と云《いふ》所の近鄕(きんがう)に、理助と申《まふす》者、娘、一人、持ちけるが、繼母にて、朝夕(てうせき)、此の娘に、つらくあたる。

[やぶちゃん注:『江刕(がうしう)北郡(きたのこほり)「水ほ」』岩波文庫の脚注に『近江国野洲』(やす)『郡水保村』とする。ここは、現在の滋賀県守山市水保町(みずほちょう)である(グーグル・マップ・データ)。「琵琶湖大橋」の東岸に細長く東南に伸びる地区である。

「繼母」(第二参考底本では、既に第一回で言った通り、ここでも一貫して「継母」の表記)は標題で「けいぼ」と読んでおり、本文でもルビはないので、硬い音の「けいぼ」と読まざるを得ないが、個人的には私は、心中では自動的に「ままはは」と読みかえてしまう。]

 誠に、世の中の邪見なる事は、色こそかはれ、いか成《なる》遠國遠里《ゑんごくゑんり》までも、「まゝ子」を、ねたみ、さいなむ心、さだまれる所也。

[やぶちゃん注:「邪見」サンスクリット語で「悪しき見解」という意味の語の漢訳。仏教では「見」という語を、しばしば、「特に誤った見解」の意味に使い、根本煩悩の一つに数える。これには「薩迦耶見」・「辺執見」・「邪見」・「見取見」・「戒禁取見」の五つの「五見」があり、孰れも誤った見解であるが、特に因果の道理を否定する見解は最も悪質であることから、それを特に「邪見」と言う(以上は「ブリタニカ国際大百科事典」に拠った)。ただ、本書の中では、文字通り、「邪(よこし)まな心を持った者」に意味で用いることの方が、多い。

 或る日、理助、十日ばかりの用有りて、他鄕(たがう)に有りける内に、かのむすめ、十六の、七月十六日の夜の事なりしに、折ふし。鄕内(がうない)にをどりはじまり、老若男女(らうにやくなんによ)、うちまじはり、をどりける。

 繼母、此のをどりに、ことよせ、さるばかものを、たのみ、むすめを、ひそかに、ころして、山中ふかく、すつる。

 其後《そののち》、夫(をつと)、かへりて、

「むすめは、いかに。」

と問《とふ》。

 妻、答へて云《いふ》やう、

「さればこそ、むすめは、當(たう)十六日の夜、をどりに出《いで》けるが、今に歸らず。うけ給はれば、さる男と、かたらひ、かみみち、さして、行きけるよし、皆、くちぐちに申《まふし》けるが、さもこそあらん、日比《ひごろ》、おもしろきふりあれども、『いかなり。』ともと思ひしが、今、思ひあたり候。」

と誠しやかに申《まふし》ける。

[やぶちゃん注:「かみみち」「上道」。京へ向かう道。

「おもしろきふりあれども」「何とも奇妙・不審な素振りがあったけれども」。]

 夫、

『さも、あるらん。』

とは、思ひながらも、

『繼母の中なれば、何國(いづく)へも、うりけるか、さなくば、追出《おひいだ》して、かく、我をたばかるやらん。』

と、心もとなくおもひ、一子なれば、明暮(あけくれ)、こひしくおもひしが、はや、其の年もくれ、明(あくる)秋の比にもなれば、理助、或《ある》夕ぐれの入《いり》あひばかりの事なるに、寢屋(ね《や》)に入《いり》、すぎにしむすめの事を思ひ出し、淚(なみだ)にしほれ、ゐたりしが、析ふし、柱に、「むしくひ」、あり。ふしぎに思ひ、立ちより、是を、うつし、みるに、歌、なり。

[やぶちゃん注:第二参考底本の「淚」の読みは(右丁下から九字目)、超拡大して見ても、明らかに『みなだ』と誤刻されている。特異的に訂した。

  「朽(くち)はつるつらき繼母(けいぼ)のしわさこそ

    長きなみたのうらみなりけれ」

と、かやうに、「蟲くひ」、あり。

[やぶちゃん注:和歌本文は例式に従い、そのままに、濁点は打たずにおいた。]

 理助、

「扨《さて》は。娘をころしけるに、うたがひなし。」

とて、やがて、女を一間成《なり》所へをし[やぶちゃん注:ママ。]こめ、せめ付《つけ》て、とふに、女、あまりけめとはれ、せんかたなくて、ありのまゝに申《まふし》ける。

 其《その》まま目代(もくだい)[やぶちゃん注:代官。]へ、うつたへ、やがて、死罪(しざい)に行ひけり。

 とかく、『𢙣心をなしても、人はしるまじき。』と思へども、天罰(てんばつ)のがれがたく、つゐには[やぶちゃん注:ママ。]、其身も一年の内に害《がい》にあへり。

 心ある人、たれか、おそれざらんや。

2024/06/23

「和漢三才圖會」植物部 卷第八十三 目録・喬木類 岡桐

 

Okagiri

 

おかぎり     紫花桐

岡桐

 

 

本綱岡桐文理細而體性堅亦生朝陽之地不如白桐昜

長其葉三角而圓大如白桐色青多毛而不光且硬微赤

亦先花後葉花色紫其實亦同白桐而微尖狀如訶子而

粘房中肉黃色與白桐皮色皆一伹花葉小異體性堅慢

不同爾又有冬月復花者

桐葉【苦寒】 治癰疽發背大如盤臭腐不可近者桐葉醋

 蒸貼上退熱止痛漸漸生肉収口極驗秘方

 外面なる桐の廣葉に雨落て朝け凉しき風の音哉爲家

[やぶちゃん注:標題の「おか」はママ。「目録」でも、そうなっていた。]

 

   *

 

おかぎり     紫花桐《しくわとう》

岡桐

 

 

「本綱」に曰はく、『岡桐《こうとう》、文理《もんり》、細《こまやか》にして、體性、堅し。亦、朝陽《てうやう》の地に生ず。白桐《はくとう》の長《ちやう》じ昜《やす》きにしかず。其の葉、三角《みつかど》にして、圓《まろく》、大いさ、白桐のごとく、色、青。毛、多くして、光からず。且(そのう)へ、硬(こは)く、微赤≪たり≫。亦、花を先にし、葉を後《あと》にす。花の色、紫なり。其の實《み》も亦、白桐に同じくして、微《やや》、尖り、狀《かたち》、「訶子《かし》」のごとくして、粘《ねん》す。房中《ふさうち》の肉、黃色なり。白桐と、皮≪の≫色、皆、一《い》つ≪なり≫。伹《ただ》、花・葉、小異《しやうい》≪ありて≫、體性≪の≫堅慢《けんまん》、同じからざるのみ。又、冬月、復た、花さく者、有り。』≪と≫。

『桐葉【苦、寒。】 癰疽(ようそ)、背に發し、大いさ、盤(さら)のごとく、臭-腐(くさ)く≪して≫近づくべからざる者を治す。桐葉≪は≫、醋《す》≪にて≫蒸《む》≪したるを≫、上に貼(は)る。熱を退≪けて≫痛みを止め、漸漸(ぜんぜん)に、肉を生《しやう》じ、口を収《をさむる》。極《きはめ》て、驗《げん》あり。秘方≪なり≫。』≪と≫。

 外面(そとも)なる

   桐の廣葉に

  雨落(おち)て

        朝け凉しき

          風の音哉

                爲家

 

[やぶちゃん注:「岡桐」(こうとう:個人的には、心情として良安が和訓を附している気持ちは判らぬではないが、「本草綱目」のそれであり、ここは「コウトウ」と音読みしておかないと、今までのようにトンデモ異種である可能性を排除出来ないからであるは平凡社「普及版 字通」によれば、種名ではなく、「桐油」(とうゆ/きりあぶら)「を作る桐」とある。ウィキの「桐油」(きりあぶら)によれば、『アブラギリ類の種子(種核)を搾油して得られる油脂。毒性があるため食用に用いられず、主に工業用途に古くから使用されてきた。流通する桐油の大半はシナアブラギリ由来のシナ桐油(tung oil)である』。『乾性油としては優秀な物で、同じ乾性油のアマニ油よりも優れている。桐油そのままの乾燥皮膜は不透明で、粘性や弾性にも乏しく』、『工業用途には向かないため、二酸化マンガンや酸化鉛などの添加剤を加えて加熱処理を行って製品化される』。『原料となるアブラギリの種子は、主にトウダイグサ科』Euphorbiaceae『のアブラギリ、シナアブラギリ、カントンアブラギリの三種。日本のアブラギリから作られる日本桐油は、シナ桐油と比べて比重、屈折率、ヨウ素価などが低い特徴があるが』、既に二〇一〇『年代では』殆んど『生産されていない』。『また、シナアブラギリとカントンアブラギリはほとんど区別されていない』とあった。『江戸時代には燈火油、油紙、雨合羽などに利用され』、『農村では防虫剤として重要な役割を果たした』。文政九(一八二六)年に刊行された農学者大蔵永常の「除蝗錄」(稲の害虫であるウンカ(浮塵子)稲の害虫となる体長五ミリメートルほどの昆虫群を指す。ウィキの「ウンカ」によれば、カメムシ目ヨコバイ亜目 Homoptera に属する種の内、アブラムシ・キジラミ・カイガラムシ・セミ以外の成虫で当該体長の昆虫害虫の典型の一つが「うんか」であるため、この仲間には、「ウンカ」の名を和名内に持つ分類群が非常に多い。但し、『「ウンカ」という標準和名を持つ生物はいない』とある)の防除法(鯨油を水田に流す方法)を述べたもの。文政七年刊の同人の書いた農害虫の防除法を記した「豐稼錄」を修正増補したもの。長谷川雪旦が挿絵を担当している) には、『鯨油を水田に張って害虫を落として駆除するという方法が紹介されているが、鯨油を用意できない地域では』、『桐油を用いることが提案されている』。『明治時代に入ると、石油の輸入活用や近代農法の普及によって、燈明用・農業用の桐油の役割は小さくなるが、工業用塗料としてペンキ、ニス、印刷用のインク等の需要が生じた』が、『太平洋戦争後は、中国産の桐油が大半を占めるようになり、国内生産は下火になっていった』。『島根県の農家では』、十八『世紀終わりから』二十『世紀初頭にかけて、現金収入を得る重要な副業として桐油が位置付けられており、稲作とアブラギリ栽培・販売を組み合わせて生業としていた』とある。とすれば、以上に出た、桐油を採取する、

双子葉植物綱キントラノオ目トウダイグサ科アブラギリ属アブラギリ Vernicia cordata

同属シナアブラギリ Vernicia fordii

の二種で、よいようだ。掲げてある「カントンアブラギリ」というのは、調べてみると、Aleurites montana の学名が記されている記事が、複数、見られるのだが、これは、シナアブラギリのシノニムだからである。

 良安の「本草綱目」からのーク引用は、「卷三十五上」の「木之二」「喬木類」(「漢籍リポジトリ」)の「桐」(ガイド・ナンバー[085-24b]以下)の「集解」に、以下のように「岡桐」がたっぷりと出る(面倒なので、ベタでコピー・ペーストした)。

   *

頌曰桐處處有之陸璣草木疏言白桐宜為琴瑟雲南牂牁人取花中白毳淹漬績以為布似毛服謂之華布椅即梧桐也今江南人作油者即岡桐也有子大于梧子江南有頳桐秋開紅花無實有紫桐花如百合實堪糖煮以噉嶺南有刺桐花色深紅宗奭曰本經桐葉不指定是何桐致難執用但四種各有治療白桐葉三杈開白花不結子無花者為岡桐不中作琴體重荏桐子可作桐油梧桐結子可食時珍曰陶注桐有四種以無子者為青桐岡桐有子者為梧桐白桐冦注言白桐岡桐皆無子蘇注以岡桐為油桐而賈思勰齊民要術言實而皮青者為梧桐華而不實者為白桐白桐冬結似子者乃是明年之華房非子也岡桐即油桐也子大有油其說與陶氏相反以今咨訪互有是否蓋白桐即泡桐也葉大徑尺最易生長皮色粗白其木輕虚不生蟲蛀作器物屋柱甚良二月開花如牽牛花而白色結實大如巨棗長寸餘殻内有子片輕虚如榆莢葵實之狀老則殻裂隨風飄揚其花紫色者名岡桐荏桐即油桐也青桐即梧桐之無實者按陳翥桐譜分别白桐岡桐甚明云白花桐文理粗而體性慢喜生朝陽之地因子而出者一年可起三四尺由根而出者可五七尺其葉圓大而尖長有角光滑而毳先花後葉花白色花心微紅其實大二三寸内為兩房房内有肉肉上有薄片即其子也紫花桐文理細而體性堅亦生朝陽之地不如白桐易長其葉三角而圓大如白桐色青多毛而不光且硬微赤亦先花後葉花色紫其實亦同白桐而微尖狀如訶子而粘房中肉黄色二桐皮色皆一但花葉小異體性堅慢不同爾亦有冬月復花者

   *

而して、本文は最後の太字にした部分であって、意味を明確にするためにちょっと変えているだけである。これは、前半の部分が、複数の先行記事を並べてあるためで、恣意的な改変ではないのだが、結局、良安は、この項を書いているうちに、「岡桐」という種が「桐」とは別項にしたものの、それが独自に存在している可能性が、疑問に思えてきたのであろうと推定する。その結果が、突如として、改行で「桐葉」という、「桐」の項で出すべきものを、ここに出してしまって、一気に、「岡桐」項に相応しからざる(と私は思う)「桐葉」の秘方紹介の記載で終わるという、訳のわからない逆立ちしたような感じで終っているのである。而して、この奇異な部分は、実は「桐」の項のガイド・ナンバー[085-26a] の七行目から始まる「附方」の二つ目に(少しだけ手を加えた)、

   *

癰疽發背【大如盤臭腐不可近桐葉醋蒸貼上退熱止痛漸漸生肉收口極驗秘方也【「醫林正宗」。】。】

   *

とあるのを、持ってきたのである。この「附方」は「岡桐」の桐油の限定効用の部でもなんでもなく、大項目「桐」の「桐葉」の「附方」なのである。

「朝陽《てうやう》の地に生ず」「桐」で既出既注。

「訶子《かし》」双子葉植物綱バラ亜綱フトモモ目シクンシ科モモタマナ属ミロバラン Terminalia chebula 。英語“myrobalan”。別和名カリロク。英文の当該ウィキが詳しい。そこには、『南アジアと東南アジア全域に分布している。中国では雲南省西部を原産とし、福建省・広東省・広西チワン族自治区(南寧)・台湾(南投)で栽培されている』とあった。ミロバランの実の写真もある。う~ん、しかし、画像検索「アブラギリの実」(シナアブラギリの画像も含まれる)と、Terminalia chebula nutsのフレーズ画像検索を比較して見ると……ちょっと……「似ている」とは……私には言い難いがね。

「粘《ねん》す」粘(ねば)りがある。

「房中《ふさうち》」これは実の中の子房部分のことであろう。

「堅慢《けんまん》」桐の木の木質の堅さと、桐と比較すると、アブラギリ類の木質の柔らかさという点の違いを言っているようである。

「癰疽(ようそ)、背に發し、大いさ、盤(さら)のごとく、臭-腐(くさ)く≪して≫近づくべからざる者」これは、進行した重症の背部壊疽、或いは、悪性腫瘍の末期であろう。

「口を収《をさむる》」爛れて決壊した患部が修復されて閉じる。

「外面(そとも)なる桐の廣葉に雨落(おち)て朝け凉しき風の音哉」「爲家」これは、「夫木和歌抄」の「卷十五 秋六」にある一首。「日文研」の「和歌データベース」のこちらで確認した。ガイド・ナンバー「06087」が、それ。

  *

そともなる-きりのひろはに-あめおちて-あさけすすしき-かせのおとかな

  *]

「善惡報はなし」正規表現オリジナル注 卷一 㐧二 殺生人口ばし有子をうむ事幷父せなかに文字すはる事

 

  㐧二 殺生人(せつしやうにん)、口ばし有《ある》子をうむ事父、せなかに、文字(もんじ)、すはる事

[やぶちゃん注:底本・凡例等は初回を参照されたい。]

 

○同比《おなじころ》、丹州に、殺生を家職として、鳥(とり)・獸(けだもの)をころす事、数年《すねん》なり。

[やぶちゃん注:「同比」前話を受けるので、寛永年間。一六二四年から一六四四年までで、徳川家光の治世。「丹州」古代に丹後国、及び、江戸時代の丹波国の総称。現在の京都府北部が前者、後者は京都府中部・兵庫県北東部・大阪府の一部に相当する。]

 其報《むくひ》によりて、鳥のごとく、「口ばし」ある子を、うめり。

 はじめの程は、鼻のやうに見えけるが、次第に、成人するにまかせて、鼻にては、なくて、「口ばし」と、しれり。

 夫婦のもの、

「こは、いかなる事やらん。」

と、

「余所(よそ)の聞《きこ》へ[やぶちゃん注:ママ。]も、いかゞ也《なり》。」

とかく、[やぶちゃん注:ここ、引用の助詞「と、」を頭に附したいところである。]

『ころさん。』

と、おもへども、さもならずして、是非なく、そだてしが、朝夕(てうせき)の食物《しよくもつ》には、粟(あは)・「ひゑ」ならでは、くはず、「はし」をもつてくふ事なく、かの「くちばし」にて、鳥のつゞく[やぶちゃん注:ママ。「突(つ)つく」。]やうにして、くひけり。

 しかりといへども、夫《をつと》、かやう成《なる》子をもつ事、「現在殺生(げんざいせつしやう)」の報《むくひ》とは、露も、おもはず。

 されば、此子、八才の比《ころ》、病付(やみつき)、死《しし》けり。

 其後《そののち》、三年すぎて、或夕暮に、かみなり、おびたゞしく、なりて、かれが家におちけるに、夫婦ともに、半死半生也。

 されども、漸〻《やうやう》、いき出《いで》けり。

 扨《さて》、二、三日ありて、夫、「ぎやうずい」を、せし時、妻(つま)、

「せなかを、ながさん。」

と、しけるに、せなかに、くろく、文字(もんじ)、

「ありあり」

と、すはれり[やぶちゃん注:「据はれり。」。]。

 妻、あやしみ、夫に、

「しかじか。」

と申(まふす)。

 夫も、ふしぎのおもひをなし、此文字を、うつして見るに、

「汝殺生好事大罪難ㇾ遁 死後大地獄堕受ㇾ苦事無疑(なんぢせつしやうをこのむことだいざいのがれがたし しゝてのちだいぢごくにおちてくるしみをうくることうたがひなし)」

といふ、もんじ也。

 夫、大《おほき》に、おどろき、それよりして、やがて、殺生を、やめけり。

 かくある事を、よくよく見聞(けんぶん)するに、「かたわ子[やぶちゃん注:ママ。]」をうみ、八才にして死(しゝ)たりしかども、何《なん》の報《むくひ》とも、おもはず、しらず、或は、せなかに、文字(もんじ)、すはりけるを見て、其まゝ得心(とくしん)して、それより、後世(ごせ)ぼだひ[やぶちゃん注:ママ。]を祈りけり。

「是、天道の見せしめなり。」

と、のちにぞ、おもひしられけり。

[やぶちゃん注:本篇には挿絵はない。]

「善惡報はなし」正規表現オリジナル注 始動 / 序・「卷一 目錄」・「卷一 㐧一 前世にて人の物をかりかへさゞる報(むくひ)により子生れ來て取りてかへる事」

[やぶちゃん注:「善惡報はなし」(ぜんあくむくひはなし)の全正字電子化注を始動する。同書は編著者不詳で、五巻五冊。挿絵は元禄期に活躍し、井原西鶴の浮世草子の挿絵などを描いた奈良出身の蒔絵師源三郎の画風である。諸事実を勘案すると(以下に示す参考底本の一書の編者吉田幸一氏の解題に拠った)、挿絵は元禄六(一六九三)年から同末の十七(一七〇四)年に描かれたものであり、板元の萬屋庄兵衛は大よそ元十年頃までの板元であることから、本書の開板は元禄一〇(一六九七)年以前と推定されている。本書には、後の享保年間(一七一六年~一七三六年)に板行された改題本「續御伽はなし」がある。

 底本であるが、私は活字化された正字正仮名の完本の書籍を所持していない。新字正仮名の抄録されたものを、岩波文庫の高田衛編・校注「江戸怪談集」(上)所収のそれで所持しているだけである。そこで、まず、

全文が新字正仮名で載る、国立国会図書館デジタルコレクションの吉田幸一編「近世怪異小説」(『近世文芸資料』第三・一九五五年古典文庫刊)を第一の参考底本とする(リンクは「序」のページ)

こととした。しかし、私は、基本、「第二次世界大戦以前の本邦の作品は、正字正仮名でなければ、電子化する価値はない。」と考える人種である。さても、ここで、幸いなことに、

改題本「續御伽はなし」の原画像(関西大学図書館本)を「国書データベース」で総て視認出来ることを知ったのでそれを前者と同等のレベルで第二参考底本とする

こととした。前者を後者で視認比較することで、正しい正規表現に直せるからである。なお、時間を節約するために、岩波文庫「江戸怪談集」(上)所収のものは、OCRで読み込み、加工データとして使用させて頂いた。それ以外は、視認してタイピングした。また、そこに附されてある挿絵についても、画像で取り入れ、適切と思われる箇所に挿入した。但し、岩波文庫版に収録されていない話の挿絵は、国立国会図書館デジタルコレクションのものも、国書データベースのものも、それぞれ、許諾申請を行わないと掲載出来ないので、それぞれをリンクさせるに留めた。

 二種を参考底本にするが、第二参考底本で、新字と同じものの一部は、私の判断で正字に代えた。それは、特に注記しない。例えば、以下の「序」や第一話では、「寛永」となっているが、「寬」にしたこと、「目錄」の二箇所の「継母」を「繼母」としたことを指す。

 なお、書名は岩波文庫では、一貫して「善悪報ばなし」となっているが、第一参考底本は「善𢙣報はなし」、第二参考底本は「續御伽はなし」と、一貫してすべて清音であるので、それで表字した。

 読みは、基本は第二参考底本に拠ったが、読みが振れないものは、原則、略した(「序」は別)。逆に、読みが振れるのに、ルビがない箇所は、《 》で私の推定で歴史的仮名遣で添えた。

 句読点は、参考底本二本と、岩波文庫を参考にしつつ、独自に打った(「序」は例外で、第二底本の句点のみを採用した)。段落成形は、岩波文庫を参考にしつつ、独自に増加させてある。直説話法やそれに準ずるものは、改行し、括弧・二重鍵括弧を添えた。括弧類は単語その他として区別する必要がある箇所にも、適宜、配した。「・」等の記号も附した。踊り字「〱」「〲」は生理的に厭なので、正字に直した。

 注はストイックに附す。「江戸怪談集」(上)の高田先生の脚注も参考にさせて戴いた。合せてここに御礼申し上げる。

 ここのところ、『「和漢三才圖會」植物部』が、なかなかに手間の掛る電子化注であるため、新規プロジェクトを遠慮していたのであるが、昨日、私の大好きな古い連れ合いの女性の教え子二人と、横浜でランチを共にしたのだが、二人がそれぞれにパワフルに生活しているのを見るに、『私も頑張らねば!』という思いが強くした故、かく、急遽、開始することとしたことを言い添えておきたい。【二〇二四年六月二十三日未明 藪野直史】

 

 

善惡報はなし 序

倩(つらつら)愚案(ぐあん)を以て世中(よのなか)の事を思ひくらぶるに。善𢙣(ぜんあく)をまく田地(でんぢ)は人倫(じんりん)日用(にちよう)のまじはり也。故(かるがゆへ[やぶちゃん注:ママ。])人には慈愛(しあい)の心を專(もつはら)として。何事に付ても。むさぶらずいからず。かたくなゝらず。角(かど)なくまんまろくして。親(おや)には孝行(かうかう)の誠(まこと)をつくし。夫(をつと)につかへるに道(みち)有。子(こ)をそだつるに法(ほう[やぶちゃん注:ママ。])有。兄弟一族(けいていちぞく)には。それそれにしたがひ家内(かない)の僕(やつこ)には情(なさけ)ふかく。或は乞食(こつじき)非人(ひにん)烏雀(うじやく)犬鼠(けんそ)だにも憐(あはれ)む心あるを。明德佛性(めいとくぶつしやう)とす。いにしへより今にいたるまで貴(たつとき)も賤(いやしき)も知(ち)あるも愚(をろか)なるも。いきとしいける人善𢙣(ぜんあく)をしらぬはなし。然どももとむるにまようひあり。明德佛性(めいとくぶつしやう)のいはれを。きけどもきかざるがごとし。皆(みな)人かしこがほにして善をすてゝ𢙣をもとむる。却而(かへつて)夏(なつ)の虫(むし)のともし火(ひ)に入。江河(がうが)の𩵋(うを)のゑばをむさぶるにひとし。就中(なかんづく)寬永より以來(このかた)。諸國在〻(しよこくざいざい)に人の善𢙣の報(むくひ)を聞書(きゝかぎ[やぶちゃん注:ママ。])にし。其名(な)を善𢙣報ばなしと号(かう[やぶちゃん注:ママ。])して五卷(くわん)にあみて今(いま)爰(こゝ)に仝ㇾ板行畢。且(かつ)は心ある人の一覽(らん)。または女郞花(をみなへし)のくねり心のわろわろよくもなりなんかし

 

[やぶちゃん注:以上の「序」は、第一参考底本はここ、第二参考底本はここから、である。後者は改題本であり、初版とは異同があるが(特に読み)、後者を優先してある。ここでは、読みは、総て、第二参考底本に従って附した。

「明德佛性」は江戸初期の陽明学者で「近江聖人」と称えられた中江藤樹(とうじゅ 慶長一三(一六〇八)年~慶安元(一六四八)年)が唱えた、儒教に基づく陽明学の「明徳思想」(唯一無二の聰明な徳、真に正しく公明絶対な徳を果敢に実行すること。良知と心学の合体したもの)と仏教の「仏性(ぶっしょう)思想」(仏の唯一無二の性質。仏としての本性。仏となる可能性としての因子。大乗では、総ての生きとし生けるものにそれが備わっているとする)を一体とした思想を指す。

「寬永」一六二四年から一六四四年まで。徳川家光の治世。

 以下、「卷一」相当の目録。以下、読みは、誤読するものに限って附した。]

 

 

善𢙣報はなし目錄

 

㐧 一 前世(ぜんせ)にて人の物をかりかへさゞる報により子生(うま)れ來(き)て取りてかへる事

㐧 二 殺生人口(くち)ばし有《ある》子を產《うむ》事幷《ならびに》父《ちち》背(せなか)に文字(もんじ)すはる事

㐧 三 繼母(けいぼ)娘を殺(ころす)事柱(はしら)に虫くひうたの事

[やぶちゃん注:当該話を見ると判るが、「虫くひうた」は虫食いで歌一首が刻まれていたことを指す。]

㐧 四 親のむくひにより子共三人畜生の形をうくる事

㐧 五 正直の夫婦たからを得る事

㐧 六 商人(あきひと)盜人(ぬす《びと》)に殺(ころさる)る事犬の告(つぐる)事

㐧 七 蟹(かに)女の命をたすくる事

㐧 八 女の口ゆへ夫(をつと)死罪の事

㐧 九 商人人の目をくらまし己(をのれ[やぶちゃん注:ママ。])盲目と成《なる》事

㐧 十 𢙣念ある者うしに生(うま)るゝ事

㐧十一 ねたみふかき女の口ゟ《より》蛇出《いづ》る事

㐧十二 怨㚑(をんれう[やぶちゃん注:「をんりやう」が正しい。])來(きたつ)て繼母(けいぼ)を取(とり)ころす事

㐧十三 女房下女殺(ころす)事大鳥(だいてう)來りて女をつかみころす事

 

 

善𢙣報はなし卷一

 

  㐧一前世にて人の物をかりかへさゞる報(むくひ)に

    より子生れ來て取りてかへる事

〇寬永中年(ちうねん)[やぶちゃん注:「年中」に同じ。]の比、攝州に、さる百姓あり。四十にあまるまで、子を持たず、子孫、繁昌せざらん事を、ふかくなげき、

『いかなる佛神へも、祈り、縱(たとひ)、女子にても、あれかし。子といふものを見ざらん事、くちおしき事。』

におもひ、明暮(あけくれ)、是をねがふに、誠に諸天のめぐみにや、いつの比より、妻(つま)、懷妊し、しかも男子(なんし)を產(うめ)り。

 夫婦、かぎりなくよろこびけり。

 されども、此の子、五、七才になれども、あし、たゝずして、

「ひた」

と、いざりありきしが、親、かなしくおもひ、さまざま、醫藥をつくし、或は、「くすりぐひ」[やぶちゃん注:投薬することではなく、滋養となるとされた魚肉・獣肉などを食わせる食事療法を指す。]などをさせ、いろいろ、療治すれども、其《その》しるしなく、はや、漸々《やうやう》、廿一になれども、終(つひ)に、腰、たたず。

 或時、夫婦、うちよりて、申すやう、

「扨〻《さてさて》、あさましき我々が仕合《しあはせ》[やぶちゃん注:自分たちの不幸な身の成り行き・有様の意。]かな。たまに一人の子を持つといへども、剩(あまつさへ)、『かたわ』にてあるに、甲斐なき事かな。」

と、つぶやきけるを、「こしぬけ」[やぶちゃん注:「腰拔け」。息子を指す。]、つくづくと聞《きき》て、

申《まふし》けるは、

「親のおほせ、もつともなり。さりながら、我、今、望《のぞむ》事、あり。叶へ給はば、立たん。」

と云ふ。

 夫婦、聞きて、

「汝、ただ今、立つならば、縱(たとひ)我〻が身にかへてなりとも、所望をかなへ得させむ。はや、とく、とく、」

と、あれば、「こしぬけ」、聞き、「さもあらば、米一俵、錢(ぜに)三ぐわんもん[やぶちゃん注:「三貫文」。銀五十文。一両の四分の三。米換算で現在の三万円ほど。]給はれ。それを力にして立たん。」

といふ。

 親、かぎりなく喜び、

「それこそ、いと易き事也。」

とて、やがて、米・錢、取出《とりいだ》し、彼《かれ》がまへに置《おく》時に、「こしぬけ」、居《ゐ》ながら、米、引《ひつ》たて、かたにをき[やぶちゃん注:「肩に置き」。]、三ぐわんもんの錢を引つかみ、

「づん」

ど、[やぶちゃん注:「づんど」は、岩波文庫脚注に『すっくと。中世口語の語法』とある。一種のオノマトペイアと私は採るので、分離した。]立つて、表へ、はしり出《いづ》る。

 夫婦、なゝめに[やぶちゃん注:「非常に」。]、よろこび、

「汝、よし、よし、かへれ、かへれ、」

といふに、こくうむはう[やぶちゃん注:「虛空無法に」。岩波文庫脚注に『めったやたらに』とある。]、山を目がけ、はしりゆく。

 

11

[やぶちゃん注:岩波文庫のものをトリミング補正した(汚損が激しいので、完全にはクリーニングはしていない)。第一参考底本ではここ、第二参考底本ではここ。それぞれのリンク先を見て頂くと判るが、原本画像の劣化が激しい。後者が改題本であるので、鬼の顔がかなり鮮明に視認出来る。後者では、下方にキャプションのようなもの二箇所にあり、右側は墨塗りで潰してあるが、これは、江戸時代の旧蔵者が書き入れた落書である。]

 

 二人の親、あとをしたふてゆく程に、山中《さんちゆう》さして、ゆく。

「是はいかん[やぶちゃん注:「如何」。]。」

と、共に行(ゆく)時、かの「こしぬけ」、

『立(たち)かへる。』

と見ければ、其の長(たけ)、一丈ばかりの鬼(おに)となり、親に向ひて、申(まふす)やう、

「我を、子とおもふて、今まで育てつるこそ、愚(おろか)也。なんぢに、前世《ぜんせ》にて、錢米《ぜにこめ》をかしけるが、終(つひ)にすまさず。是をとらんがため、我れ、汝が子となり、廿一まで、汝が物を喰ひつくし、其のあまりは、此の米錢《こめぜに》也。今、取《とり》て、かへる。とくとく、かへるべし。」

とて、猶《なほ》、山深く、入《いり》にける。

 親、大きにおどろき、はしりかへり、妻に、

「かく。」

と語る。

 されば、今世《こんぜ》にて、なすわざは、皆、前世《ぜんせ》の報《むくひ》なりと、知るべし。おそるべし、おそるべし。

 

2024/06/22

「和漢三才圖會」植物部 卷第八十三 目録・喬木類 桐

 

Kiri

 

きり     白桐  黃桐

       泡桐  椅桐

【音同】

       榮桐 白花桐

トン     【岐利乃木】

 

本綱桐喜生朝陽之地因子而生者一年可起三四尺由

根而出者可五七尺其葉圓大而尖長有角光滑而毳最

昜生長先花後葉三月開花如牽牛花而白色花心微紅

結實大如巨棗長寸餘内爲兩房房內有肉肉上有薄片

卽其子也輕虛如楡莢葵實之狀老則殼裂隨風飄揚其

木輕虛皮色粗白故名之白桐不生蟲蚟琴作瑟及噐物

屋柱甚良

△按桐木作筝及箱櫃輕而不蚟以爲上品性不黏堅故

 不堪爲屋柱而已最昜長有幼女家可栽之當嫁之頃

 則宜作櫃板 凡桐子種者宜剪孽早茂長

 

   *

 

きり     白桐《はくとう》  黃桐《わうたう》

       泡桐《はうたう》  椅桐《いたう》

【音「同《とう》」。】

       榮桐《えいとう》 白花桐《はくくわとう》

トン     【「岐利乃木《きりのき》」。】

 

「本綱」に曰はく、『桐、喜(この)んで朝陽《ていやう》の地に生ず。子(み)に因りて、生《はゆ》る者は、一年にして起《たつ》るべきこと、三、四尺。根に由りて、出づる者は五、七尺なるべし。其の葉、圓大にして、尖り、長く、角《さや》、有り。光、滑かにして、毳《やはらかきけ》≪あり≫。最も生長し昜《やす》く、花を先にし、葉を後にす。三月、花を開く。「牽牛花(あさがほのはな)」のごとくにして、白色。花の心《しん》、微《やや》、紅《くれなゐ》なり。實《み》を結ぶ。大いさ、巨(をほ[やぶちゃん注:ママ。])きなる棗《なつめ》のごとし。長さ、寸餘。内に兩《ふたつ》の房《ばう》を爲《なし》、房の內に、肉、有り、肉の上に薄(うす)き片(へぎ)、有り。卽ち、其れ子《たね》なり。輕虛にして、楡-莢《にれ》・葵(あをひ[やぶちゃん注:ママ。])の實の狀《かたち》のごとく、老する時は[やぶちゃん注:「時」は送り仮名にある。]、則ち、殼(から)、裂(さ)けて、風に隨ひて飄揚《へうやう》す。其の木、輕虛≪にして≫、皮の色、粗《ほぼ》、白し。故《ゆゑ》、之れを「白桐」と名づく。蟲蚟(むしくひ)を生ぜず、琴《きん》・瑟《しつ》、及び、噐物に[やぶちゃん注:この「に」は不要。]・屋柱と作りて、甚だ、良し。』≪と≫。

△按ずるに、桐の木、筝(こと)、及び、箱・櫃《ひつ》に作る。輕くして、蚟(むしは)まず。以つて、上品と爲す。性、黏(ねば)く堅からず[やぶちゃん注:ここは、「黏からず、堅からず」の意。]。故、屋柱《やばしら》と爲(す)るに堪へざるのみ。最も長《ちやう》じ昜《やす》し。「幼女有る家は、之れを栽ふ[やぶちゃん注:ママ。]べし。當《まさ》に嫁(よめいりす)の頃(ころ)には、則ち、宜《よろ》しく櫃板《ひついた/たんす》作るべし。」と云云《うんぬん》。凡そ、桐の子種(みばへ)は、宜(よろ)しく、剪孽(わかばへ)、早く茂り、長《ちやう》ずべし。

 

[やぶちゃん注:日中ともに、真正のタイプ種である「桐」は、

双子葉植物綱シソ目キリ科キリ属キリ Paulownia tomentosa

である。現行の中文名は「毛泡桐」で別名を「紫花泡桐」とする。当該ウィキを引く(注記号は省略した)。『漢語の別名として白桐、泡桐、榮がある。初夏に特徴的な淡紫色の花を咲かせる花木で知られる。日本における経済的価値は高く、林業の特用樹種である。アメリカの国立公園では外来種として駆除の対象。日本では軽くて狂いや割れも少ない材の特性を活かして、高級家具の桐箪笥や、琴、琵琶が作られる』。『属名はシーボルト』(フィリップ・フランツ・バルタザール・フォン・ズィーボルト:Philipp Franz Balthasar von Siebold 一七九六年~一八六六年)が「日本植物誌」(‘Flora Japonica’:一八三五年(天保六年))に於いて『アンナ・パヴロヴナ』(Анна Павловна Романова:ラテン文字転写:Anna Paulowna Romanowa 一七九五年~一八六五年:オランダ王ウィレムⅡ世の王妃で、ウィレムⅢ世の母。ロシア大公女。ロシア皇帝パーヴェルⅠ世と皇后マリア・フョードロヴナの第六皇女、アレクサンドルⅠ世の妹でニコライⅠ世の姉)『に献名したもの』。但し、『シーボルトが与えた学名は』 Paulownia imperialisで、『後にツンベルク』(スウェーデンの植物学者・博物学者・医学者カール・ペーテル・ツンベルク(Carl Peter Thunberg 一七四三年~一八二八年:カール・フォン・リンネの弟子として分類学に於いて大きな功績を残した。また、出島商館付医師として鎖国期の江戸日本に、一年間、滞在し、日本に於ける植物学や蘭学、西洋に於ける東洋学の発展に寄与した、出島の三学者の一人)『が』一七八三年に)『ノウゼンカズラ科ツリガネカズラ属として Bignonia tomentosa と命名していたことが判明し』たため、一八四一『年に現在のものに改められた』。『和名キリの語源は、一説には木材となる木の栽培技術である「台切り」を行って育てられるから、キリの名が生まれたといわれる』。『台切りとは、材を取るための栽培技法のひとつで、キリの苗木を植えてから肥料を十分に与えて幹を太らせた』後、『一度』、『根元で切って、切り株から再び勢いのある芽を出させて、その部分を木材用の幹として無節』(むぶし:節が一つもない無地の木を言う語)『で育てることである』。『江戸時代に貝原益軒が編纂した本草書』「大和本草」には『「此の木、切れば早く長ずる故にキリという」と書かれている』。

   *

同書「草卷之十一 木之中」の「藥木」の中の「白桐」を指す。オリジナルに国立国会図書館デジタルコレクションの原本の当該部の画像を視認して以下に電子化しておく。カタカナをひらがなに改め、句読点・記号・濁点と、送り仮名及び読みの一部を推定で挿入した。

   *

白桐 此木、切れば、早く長ず。故に「きり」と云ふ。桐の類、多し。「梧桐」は「靑ぎり」也。「白桐」は、つねの桐なり。世に「白桐」を、多く、用(もちひ)て噐とす。良材なり。花、淡紫あり、白きあり。實は桃に似て、内に、薄片、多し。是れを、うふれば、生ず。時珍云はく、『其材輕虛、色白而有𦂶文、故俗謂之白桐。』。女子の初生に、桐の子を、うふ[やぶちゃん注:ママ。]れば、嫁する時、其裝具の櫃材となる。子(み)を、うえ[やぶちゃん注:ママ。]、枝を、さすべし。早く長じやすし。凡(およそ)、「さし木」は、「實うへ[やぶちゃん注:ママ。]」にしかず。荏桐(じむとう)は「油ギリ」也。「海桐」は、「はり」、あり、「はうだら」と云ふ。「梓(あづさ)[やぶちゃん注:原本のルビ。]」も「楸(ひさぎ)」も、皆、桐の類也。又、「犬きり」と云ふものあり、其の木、理(きめ)、朴(ほゝ)[やぶちゃん注:原本のルビ。モクレン目モクレン科モクレン属ホオノキ節ホオノキ Magnolia obovata のこと。]の木の如し。これ、「白楊」なり。是れも、器に作るべし。「頳桐(ていとう)」は「ひぎり」也。花、紅(くれなゐ)なり。「けらの木」、あり、實、紅なり。是れ、皆、一類なり。

   *

ここの後半部で、益軒が、まるまる総てを「桐」と同類とするものは、全部が誤りで、以下の引用にも出る通り、総てが、キリ属ではないだけでなく、近縁でもない、全然、無縁な種である。以下に全部纏めて「晒し首」にしておく。

「荏桐(じむとう)は「油ギリ」也」キントラノオ目トウダイグサ科アブラギリ属アブラギリ Vernicia cordata

『「海桐」は、「はり」、あり、「はうだら」と云ふ』セリ目トベラ科トベラ属トベラ Pittosporum tobira

「梓(あづさ)」既に先行する「梓」で考証したが、双子葉植物綱シソ目ノウゼンカズラ科キササゲ属キササゲ Catalpa ovata 、或いは、キササゲ属トウキササゲ Catalpa bungei 、又は、キントラノオ目トウダイグサ科エノキグサ亜科エノキグサ連アカメガシワ属アカメガシワ Mallotus japonicus の複数種を指す。

「楸(ひさぎ)」前注のキササゲ属トウキササゲ Catalpa bungei に限定出来る。先行する「楸」を参照。

「犬きり」前掲アブラギリの異名。

「白楊」この異名は二種に与えられている。キントラノオ目ヤナギ科ヤマナラシ属ヨーロッパヤマナラシ変種ヤマナラシ Populus tremula var. sieboldii(日本固有種)と、日本・朝鮮及び中国に分布する、ヤマナラシ属ドロノキ Populus suaveolens である。葉の形状ならホオノキと似るのは、ドロノキの方である。

『「頳桐」は「ひぎり」也』シソ目シソ科キランソウ亜科クサギ属ヒギリ Clerodendrum japonicum

「けらの木」ヤナギ科イイギリ属イイギリ Idesia polycarpa

   *

引用に戻る。

『英語の「princess tree」は、属名の Paulownia の語源であるアンナ・パヴロヴナがロシア大公女であったことに基づく』。なお、『キリの名前は、他の大きく横広の葉を持つ樹木にもつけられているが、実際にはこれらは遠縁の別種である。同じキリ科の近縁種は』九『種ほどしか知られておらず』、『日本には分布もしていない』。『古くから知られるアオギリ(アオイ科)もまったく異なる種である。中国で古くから両方に「桐」の字を用いているために混乱が生じている』。「斉民要術」では、『アオギリを「青桐」、キリを「白桐」と呼び分けている』。『現在の中国ではアオギリを「梧桐」、キリを「泡桐」と呼ぶ』。『この他イイギリ(ヤナギ科)、アブラギリ(トウダイグサ科アブラギリ属)、ナンヨウアブラギリ(同ナンヨウアブラギリ属)』(キントラノオ目トウダイグサ科ハズ亜科Jatropheae 連ナンヨウアブラギリ属ナンヨウアブラギリJatropha curcas 。中南米原産であるが、十六世紀以降、スペイン商人などの手によって世界中に伝播した)『などもまったく別種である』。『中国の揚子江流域、韓国の鬱陵島、日本では大分・宮崎県境の山岳地帯に自生地があるが、原産地は不明である。中国の中部が原産との説もある。日本にはかつて自生はなかったというが、現在各地で見られるものはすべて栽培されたもので、日本各地に野生化したものがみられる。特に東北地方、関東北部、新潟県などにおいて植栽され、中でも福島県の会津桐や青森県と岩手県のの南部桐などが有名である』(中略)。『落葉広葉樹。高木で、成長すると高さ』十~十五『メートル』、『幹の直径は』五十『センチメートル』『になる。丸く横広がりの樹形になり、樹皮は灰白色、あるいは灰褐色で波状に浅く裂ける。一年枝は太く、緑褐色や褐色で枝先は枯れることが多い。ごく若い幹は、皮目がよく目立つ。生長して太くなるにつれ、樹皮の色も変わり、皮目は縦に裂けて筋状になっていく。日当たりの良いところを好む性質で、短期間で早く生長する』。『葉は長い葉柄がついて対生し、葉身は長さ』十~二十センチメートル『ほどの広卵形である。若木の葉は特に大きくなる。葉縁は全縁または浅く』三『裂し、葉の表面は粘り気のある毛が密生する』。『花期は』五~六月。『両性花で、枝の先に大きな円錐花序が直立し、淡い紫色の花を円錐状につける。花冠は長さ』五センチメートル『ほどの筒状鐘形で、先は口唇状に裂ける。突然変異で生まれたと考えられている白い花を咲かせる品種に、シロバナノキリ( Paulownia tomentosa f. virginea )がある』。『果期は』七月から翌年一月頃まで。『果実は割れて種子が撒布され、枯れ残った果序も、冬までよく枝に残る』。『翼(よく)のついた小さい種子は風でよく撒布され、発芽率が高く』、『生長が早いため、随所に野生化した個体が見られる。アメリカ合衆国では観賞用に輸入したものが野生化し、伐採しても根株を残すと』、『旺盛に繁殖する外来種として駆除に手を焼いて農薬を用いる』。『冬芽はいぼ状でごく小さく芽鱗』四~六『枚に包まれており、枝先に頂芽、枝には側芽が対生する。花芽は丸く、茶褐色の毛が密生し、花序にたくさんついて冬はよく目立つ。葉痕は円形や心形で大きく、冬芽よりも目立ち、維管束痕が輪状に並ぶ』。『キリは古くから良質の木材として重宝されており、下駄や箪笥、箏(こと)、神楽面の材料となる。また、伝統的に神聖な木とみなされ、家紋や紋章の意匠に取り入れられてきた』。『キリは日本国内でとれる木材としては最も軽』く、『また光沢が出て、材質は広葉樹や針葉樹の繊維構造とは異なる独立気泡構造をなし、湿気を通さず、割れや狂いが少ないという特徴がある。日本の建具、家具、箪笥や楽器、下駄などの材料とされてきたが、ヨーロッパやアメリカでは用材としての特性を活かした利用は進んでいない』。『桐箪笥を高級家具の代名詞とする日本には中田喜直作曲』の「桐の花」が『描いているように、娘が生まれるとキリを植え、結婚する際にはそれを伐採して作った箪笥に着物を詰めて嫁入り道具に持たせるということがよく言われた。箪笥としては、キリ材は軽くて加工がしやすい上に、材が湿気や熱気を防ぐ性質で虫害を受けることが少ないことが注目された。湿気を遮る能力が高いと同時に熱気を遮断することは、材の断熱効果が高いことを意味し、火事に遭っても箪笥の外側だけが焦げて、中の衣類は損傷を受けなかったという事例も少なくないという。家具として仕上げたときの磨き上げ効果も高いことも特徴で、白木が美しいことは日本で評価された。日本では江戸時代から桐箪笥が全国各地で作られ、江戸時代後期の安政の大地震のあとでは、キリの燃えにくさや、洪水に遭っても浮いて流れ』、『中身を守ってくれる特性が確かめられたので、桐箪笥がよく売れたといわれている』。『また』、『桐材を使い』、『琴や琵琶などの弦楽器を作り、軽量性は釣具の浮子(うき)にも利用された。キリ材は軽い上に摩滅しにくいことも、材として有用な点として認められている。箱や和机にもキリが使われ、木目の美しさと共に火に強い性質から火鉢にも使われている。羽子板の重要な材料にもなっている。また』、『発火しづらいキリは金庫の内側にも用いられ、金沢大学が耐火性を実証実験した』。『もっぱら』、『材の性質に注目され、その品種ごとに、青桐、赤桐、白桐、紫桐などと区分された。産地としては福島県会津地方が最も著名で、良質な材が採れるといわれる。これに次ぐのは青森県・岩手県の南部地方で、日本以外の中国や台湾産のものは材が軟らかすぎて箪笥用には下級品とされる。日本では各地で材を採ることを目的に植栽されていたが、需要の高まりや産業構造の変化により』、『北米、南米、中国、東南アジアから輸入されることも多い』らしい。『しかし』、『日本以外の国では、もっぱら花を観賞するために植えられる』。『桐炭は研磨用、火薬用、化粧用の眉墨(アイブロー)に利用された。また』、『桐灰は古くは懐炉(カイロ)にも用いられ、桐灰化学の屋号の由来となっている。キリから作った炭は、軟らかい性質で均質なものができるので、デッサン用や懐炉灰用には向いていると言われ、最初からその目的用で製造される』。桐花紋」の項があるが、興味がないので、カットする。

 良安の「本草綱目」のパッチワーク引用は、「卷三十五上」の「木之二」「喬木類」(「漢籍リポジトリ」)の「(ガイド・ナンバー[085-24b]以下)からだが、かなりあっさりとしている。

「朝陽《ていやう》の地」太陽光がすぐにあたる東向きの地面。

「牽牛花(あさがほのはな)」ナス目ヒルガオ科サツマイモ属アサガオ Ipomoea nil 。漢字表記は、もともとは、七夕の牽牛星とは関係ない。当該ウィキによれば、『朝顔は別名「牽牛」といい、これは中華文化圏での名称でもあるが、朝顔の種が薬として非常に高価で珍重された事から、贈答された者は牛を引いて御礼をしたという謂れである。平安時代に日本にも伝わり、百薬の長として珍重された』。ところが、『その後、江戸時代には七夕の頃に咲く事と、牽牛にちなみ』、『朝顔の花を「牽牛花」と以前から呼んでいたことから、織姫を指し、転じて朝顔の花を「朝顔姫」と呼ぶようになり、花が咲いた朝顔は「彦星」と「織姫星」が年に一度出会えた事の具現化として縁起の良いものとされた。これらの事により、夏の風物詩としてそのさわやかな花色が広く好まれ、鉢植えの朝顔が牛が牽く荷車に積載されて売り歩かれるようになった』とあった。

「棗《なつめ》」バラ目クロウメモドキ科ナツメ属ナツメ Ziziphus jujuba var. inermis (南ヨーロッパ原産、或いは、中国北部の原産とも言われる。伝来は、奈良時代以前とされている。

「琴《きん》・瑟《しつ》」前項「楸」で既出既注。

「筝(こと)」小学館「日本国語大辞典」より引く。『弦楽器の一つ。長さ五尺(約一・五メートル)から六尺(約一・八メートル)の木(桐が普通)の胴に』十三『本の弦を張り、各弦を山形の柱(じ)という駒で支え、その位置によって音高を整え、右手の爪で弾くもの。現在「こと」といえば、普通これをさす。もと、十数本の弦をもつものが中国で発達し、奈良朝前に日本に伝来し、雅楽に用いられていたが、室町時代に筑紫流箏曲が起こり、近代箏曲のもととなっている。雅楽で用いるものを楽箏(がくそう)、一般に行なわれているものを俗箏(ぞくそう)と称している。平安時代には「箏(そう)のこと」といって他の弦楽器(琴(きん)など)から区別した。しょうのこと。しょう。』とある。]

2024/06/21

「和漢三才圖會」植物部 卷第八十三 目録・喬木類 檍

 

Motinoki

 

あはき   萬年樹

      【和名「阿波木《あはき》」。】

【音益】

 

 

說文云檍梓之屬二月花白子似杏葉亦似杏而尖白色

皮正赤其理多曲少直材可爲弓弩幹

 西の海あはきか原波間よりあらはれ出し住吉の神

[やぶちゃん注:最後の和歌は「續古今和歌集」に収録されている卜部兼直の一首なのであるが、表記に複数の問題があるため、後注はするが、先に訓読では正しい表記に修正を加えておいた。]

 

   *

 

あはき   萬年樹

      【和名、「阿波木」。】

【音「益」。】

 

 

「說文」に云はく、『檍は梓《し》の屬。』≪と≫。二月、花《、開き》、白く、子《み》、杏《あんず》に似て、葉も杏に似て、尖りて、白色。皮、正赤《せいせき》。其の理(きめ)、多≪く≫、曲り、少《すくなく》、直《すぐ》に≪して≫、材、弓弩の幹(しん)に爲《す》るべし。

 西の海や

    あはきの浦の

   しほぢより

       あらはれ出でし

           住吉の神

 

[やぶちゃん注:和訓本邦の日本原産で、本邦で普通に見かけるものに、

双子葉植物綱ガリア目 Garryalesガリア科 Garryaceaeアオキ(青木)属アオキ変種アオキ Aucuba japonica var. japonica

がある。さても、私は、その「靑木」だろうと愚劣にも安易に思い込み、『良安は、中国で現存する最古の字書である後漢の許慎著になる永元一二(一〇〇)年成立の「說文」を引いているのだから、そこでは、

――アオキ属 Aucuba の中国産種の孰れかの種、或いは、種群――

ということになるだろう。』と思ったのだが、どうも「あはき」の訓に引っ掛かったから、調べてみたら――あらまっちゃんデベソの宙返り!――で、大修館書店の「廣漢和辭典」を引いたところが、そこには――「アオキ」の意味は一字も載らず、「もち」「もちのき」のみの意味があるだけで、「ビックリ仰天、怒髪天、どうなってんじゃ!」と独りごちたのである。しかも、『𣚍は古字』とあって、その直下に、使用例として、まさに「說文」が引かれてあるのだが、

   *

𣚍、梓屬。大ナルㇾ爲棺椁、小ナル者ハ可ㇾ爲弓材。從ㇾ木𠶷聲。

   *

となっているのである(「棺椁(くわんかく)」は「柩」(ひつぎ)の意)。さらに言っておくと、同辞典では、音として『オク・ヨク』と『イ』しかなく、「益」(音「エキ・ヤク」)と音通しないのである。最早、生きながら御棺の中に閉じ込められた棺、基! 感に落ちたのであった――

 さても、この「もち」「もちのき」というのは、

双子葉植物綱バラ亜綱ニシキギ目モチノキ科モチノキ属モチノキ Ilex integra

を指すのであった。ウィキの「モチノキ」を引く(注記号は省略した)。『モチノキ(餅の木・黐の木・細葉冬青』『)とは、モチノキ科モチノキ属の植物の一種。別名ホンモチ、単にモチともよばれる。 和名は樹皮から鳥黐(トリモチ)が採れることに由来する。中国名は、全緣冬青 (別名:全緣葉冬青)』(同種の中文ウィキを参照されたい。記載は貧しい)。『日本では東北地方中部以南(宮城県・山形県以西)の本州、四国、九州、南西諸島に分布し、日本国外では朝鮮半島南部、台湾、中国中南部に分布する。沿岸の山地や、暖地の山地に自生する。葉がクチクラ層と呼ばれるワックス層に覆われていることから』、『塩害に強く、寒気の強い内陸では育ちにくいため、暖かい地方の海辺に自生する。人の手によって、庭などに植栽もされる』。『常緑広葉樹の中高木』にして『雌雄異株で、株単位で性転換する特性がある。樹皮は灰色で、皮目以外は滑らか。一年枝は緑色で無毛である』。『葉は互生するが、枝先はやや輪生状に見える』。『葉身は長さ』四~七『センチメートル』、『幅』二~三センチメートルの『楕円形・倒卵状楕円形で、革質で濃緑色をしている。葉は水分を多く含んでいる』。『開花期は春』四月頃で、『雄花・雌花ともに直径約』八『ミリメートル』『の黄緑色の小花が、葉の付け根に雄花は数個ずつ、雌花は』一、二『個ずつつける。花弁はうすい黄色でごく短い枝に束になって咲く。雄花には』四『本の雄蕊、雌花には緑色の大きな円柱形の子房と退化した雄蕊がある』。『果実は直径』十~十五ミリメートルの『球形の核果で、内部に種子が』一『個ある。はじめは淡緑色だが、晩秋』十一月頃、『熟すと』、『赤色になり、鳥が好んで食べる。果実の先端には浅く裂けた花柱が黒く残る。実は冬まで残り、長く枝に残るものは黒くなる』。『冬芽のうち、花芽は雄株・雌株ともに葉の付け根につき、雄株のほうが花芽は多い。頂芽は円錐形で小さい。葉痕は半円形で、維管束痕は』一『個つく』(以下の「天敵」「栽培」の項は略す)。『樹皮から鳥黐(トリモチ)を作ることができ、これが名前の由来ともなった。まず春から夏にかけて樹皮を採取し、目の粗い袋に入れて秋まで流水につけておく。この間に不必要な木質は徐々に腐敗して除去され、水に不溶性の鳥黐成分だけが残る。水から取り出したら』、『繊維質がなくなるまで臼で細かく砕き、軟らかい塊になったものを』、『流水で洗って細かい残渣を取り除くと鳥黐が得られる。モチノキから得られる鳥黐は色が白いため、ヤマグルマ(ヤマグルマ科)を原料とするもの(アカモチ)と区別するために「シロモチ」または「ホンモチ」と呼ぶことがある』。『材は堅く緻密であるので、細工物に使われる』。『刈り込みに強いことから公園、庭などに植栽される。また、防火の機能を有する樹種(防火樹)としても知られる』。『日本では古くから庭に欠かせない定番の庭木として親しまれ、さまざまな形に仕立てることができるため』、『玉仕立て』(人工的に刈り込んで半円形の樹形にすることを言う)『にするほか、列植して目隠しにも利用してきた。潮風や大気汚染にも耐えるため、公園樹としてもよく用いられる』。『御神木として熊野系の神社の中にはナギ』(裸子植物植物門マツ綱ナンヨウスギ目マキ科ナギ属ナギ Nageia nagi 。私の好きな樹で、葉は縁結びのお守りとされる)『の代用木として植えている場合がある』とあった。東洋文庫訳には、一切の現在の種同定が出来る割注も後注も、全く、ない。植物に人並みに冥い私ではあるが、この記載を見る限り、出版当時(一九九〇年)の一般的日本人は、その殆んどは、この記載がモチノキを指すと判って読んでいた読者は、二割にも満たなかったのではないかとさえ考える。そうして、それは、当該部の訳者竹島淳夫氏と、総監修をした島田勇雄氏に極めて重い責任があると言わざるを得ないと感じている。百科事典の翻訳は、相応の現存在的解釈なしには、絶対に、あり得ない、と私は信ずるものだからである。

「西の海やあはきの原(はら)しほぢよりあらはれ出でし住吉の神」鎌倉時代の勅撰集「續(しよく)古今和歌集」所収。当該ウィキによれば、『藤原為家が、正元元』(一二五九)年三月に『後嵯峨院から勅撰集撰進の命を受けた』『が、弘長二』(一二六二)年九月、『後嵯峨院の勅宣により、九条内大臣基家・衣笠内大臣家良・六条行家』『・葉室光俊(真観)の』四『名が新しく撰者として加わ』り、『鎌倉将軍宗尊親王と懇意だった光俊が為家に対抗するため』、或いは『後嵯峨院が』「新古今和歌集」に『倣って複数撰者の形式にするためと考えられる』が、「井蛙抄」に『よれば、憤懣やるかたない為家は』、四『人が加わって以降、撰歌を嫡男為氏に任せたと』され、文永二年十二月二十六日(ユリウス暦一二六六年二月二日)に『奏覧』、『同三年三月十二日竟宴』したが、『撰者』五『人のうち、家良は完成を待たず、文永元』(一二六四)年に『没した』とある。本歌は「卷七 神祇」にある一首。「日文研」の「和歌データベース」のこちらで確認した。ガイド・ナンバー「00727」が、それ。]

「和漢三才圖會」植物部 卷第八十三 目録・喬木類 楸

 

Hisagi

 

ひさぎ   楸

      【和名比佐木】

【音秋】

 

ツユウ

 

本綱楸卽梓之木赤者也有行列莖幹直聳可愛至上埀

條如線謂之楸線其木濕時脆燥則堅良材也宜作棋枰

其葉大而早脫故謂之楸唐時立秋日京師賣楸葉婦女

兒童剪花戴之取秋意也擣楸葉傅瘡腫煮湯洗膿血冬

取乾葉用之

農政全書云楸山谷中多有之甚髙大其木可作琴瑟葉

類梧桐葉而薄小葉稍作三角尖叉開白花味甘

 新六ひさき生ふる庭の木蔭の秋風に一聲そそく村時雨かな爲家


刺楸

本綱刺楸卽楸之屬其樹髙大皮蒼白上有黃白斑㸃

枝梗間多大刺葉似楸而薄味甘嫩時𤉬熟水淘過拌食

[やぶちゃん注:「𤉬」は「煠」(「焼く・炒める・茹でる」の意)の異体字で、原本では、「グリフウィキ」のこれ((つくり)が「棄」の字体)であるが、表字出来ないので、最も近いと判断した「𤉬」とした。]


 【檟同】

本綱榎卽楸之類葉大而早脫者謂之楸葉小早秀故

謂之榎二木共皵【皵音鵲皮粗也】

△按榎字今俗以爲惠乃木者無拠

 

   *

 

ひさぎ   楸《しう》

      【和名「比佐木」。】

【音「秋」。】

 

ツユウ

 

「本綱」に曰はく、『楸、卽ち、梓《し》の木の赤き者なり。行列、有り。莖・幹、直(す)ぐに聳(そび)へ[やぶちゃん注:ママ。]て、愛すべし。上に至りて、條(ゑだ[やぶちゃん注:ママ。])を埀《た》れ、線(いと)のごとし。之れを「楸線《しうせん》」と謂ふ。其の木、濕(うるほ)ふ時、脆(もろ)く、燥(かは)く時は[やぶちゃん注:「時」は送り仮名にある。]、則ち、堅し。良材なり。宜しく、棋(ごばん)・枰(すごろくばん)に作るべし。其の葉、大にして、早く脫(お)つる。故《ゆゑ》、之れを「楸」と謂ふ。唐《たう》≪の≫時、立秋の日、京師、楸の葉を賣る。婦女・兒童、花を剪(き)りて、之れを戴《いた》だく。「秋」≪てふ≫意を取るなり。楸の葉を擣(つ)きて、瘡腫《さうしゆ/できもの》に傅(つ)け、湯に煮て、膿血(うみち)を洗ふ。冬、乾ける葉を取りて、之れを用ふ。』≪と≫。

「農政全書」に云はく、『楸、山谷の中に、多く、之れ、有り。甚だ、髙大なり。其の木、琴《きん》・瑟《しつ》を作るべし。葉、梧桐の葉に類す。《→して、》薄く、小《ち》さく、葉の稍(すゑ)、三角の尖-叉(とがり)を作《な》し、白花を開き、《→く。》味、甘。

 「新六」

     ひさぎ生ふる

       庭の木蔭の

      秋風に

        一聲そそぐ

       村時雨《むらしぐれ》かな

                   爲家


刺楸(はりひさぎ)

「本綱」に曰はく、『刺楸、卽ち、「楸」の屬。其の樹、髙大にして、皮、蒼白《あをじろ》く、上に、黃白の斑㸃、有り。枝-梗(えだ)の間に、大なる刺《とげ》、多く、葉、楸に似て、薄く、味、甘く、嫩(やはら)かなる時、𤉬熟(えふじゆく)し、水-淘-過-拌《すいたうくわはん》[やぶちゃん注:「水で以って十分に淘(よな)げる(水に入れて攪拌し、細かい物などを揺らして選り分ける)こと」の意。原本では「過-拌」の間には熟語を示すバーがないが、それでは、屋上屋になってしまうので、かく、した。]≪して≫食ふ。』≪と≫。

[やぶちゃん注:「𤉬」は「煠」(現代仮名遣の音は「ヨウ」で、「焼く・炒める・茹でる」の意)の異体字で、原本では、「グリフウィキ」のこれ((つくり)が「棄」の字体)であるが、表字出来ないので、最も近いと判断した「𤉬」とした。]


(こひさぎ) 【「檟」、同じ。】

「本綱」に曰はく、『榎は、卽ち、「楸」の類。葉、大にして、早く脫(を[やぶちゃん注:ママ。])つる者を[やぶちゃん注:「を」は不要。]、之れを、「楸」と謂ふ。葉、小にして、早く秀(ひいで)る。故、之れを、榎《こひさぎ》と謂ふ。二木、共《とも》に、「皵(かはあら)」なり。【「皵」、音、「鵲《シヤク》」。「皮、粗《あらし》。」≪の意≫なり。】』≪と≫。

△按ずるに、「榎」の字、今、俗、以つて、「惠乃木(ゑのき)」と爲《す》るは、拠(よりどころ)、無し。

 

[やぶちゃん注:これは、事実上、前項の「梓」の続きと言えるものであるから、直にここに来られた方は、まず、そちらを読まれた上で、こちらに、再度、来られたい。そうしなければならない理由は、これらの記載中の樹種漢字は、日中で、種が全く異なるからであり、しかも、それを良安は認識していないで書いているというトンデモ記載だからである。而して、この「楸」は、そちらの注で迂遠に比定同定した通り、

双子葉植物綱シソ目ノウゼンカズラ科キササゲ属(唐楸)トウキササゲ Catalpa bungei 、或いは、広義に、民間で、キササゲ属 Catalpa の複数の種を総称する語

であったと、私は推定している。それらの種及び種群に就いても、「梓」の私の注の冒頭で詳細に考証したので繰り返さない。但し、時珍が「梓」の次に、この「楸」を、わざわざ独立項として据えたからには、「キササゲ属 Catalpa の複数の種の総称」とは、ここでは、相応しくないから、前者の、

トウキササゲに限定比定するのが正しい

と言える。但し、その場合、

トウキササゲの近縁種・亜種・雑種・品種が含まれる可能性は、ある

とすべきではあろう。トウキササゲに亜種があるかどうかは、判らないが、

中文の当該ウィキには、「分布」の項の最後に、『目前尚未由人工引種栽培』(「未だ人工的に導入され、栽培されては、いない」の意であろう)とある

から、少なくとも

――トウキササゲには品種はない――

と思われる。

 良安の「本草綱目」のパッチワーク引用は、「卷三十五上」の「木之二」「喬木類」(「漢籍リポジトリ」)の「(ガイド・ナンバー[085-23a]以下)から。

「行列、有り」東洋文庫の後注には、『上原敬二著『樹木大図説』Ⅲ(有明書房)のノウゼンカズラ科トウキササゲの項に「多く並木状に列植するので列楸、列梓の名がある」とある。このことをいうのであろうか。』とある。

「枰(すごろくばん)」雙六盤。本邦のものは、中国から渡来したものだが、中国のそれは、日本の双六盤に比べると、遙かに大きい。「大阪電気通信大学学術リポジトリ」の木子香氏の「中国における盤双六研究の現状について」(『研究論集(人間科学研究)』第二十号・二〇一八年九月発行所収・PDFをダウンロードされたい。複数の写真図像を見ることが出来る。

「農政全書」明代の暦数学者でダ・ヴィンチばりの碩学徐光啓が編纂した農業書。当該ウィキによれば、『農業のみでなく、製糸・棉業・水利などについても扱っている。当時の明は、イエズス会の宣教師が来訪するなど、西洋世界との交流が盛んになっていたほか、スペイン商人の仲介でアメリカ大陸の物産も流入していた。こうしたことを反映して、農政全書ではアメリカ大陸から伝来したサツマイモについて詳細な記述があるほか、西洋(インド洋の西、オスマン帝国)の技術を踏まえた水利についての言及もなされている。徐光啓の死後の崇禎』十二『年』(一六三九年)『に刊行された』とある。光啓は一六〇三年にポルトガルの宣教師によって洗礼を受け、キリスト教徒(洗礼名パウルス(Paulus))となっている。以下は、同書の「第五十六 荒政」(「荒政」は「救荒時の利用植物群」を指す)にある。「漢籍リポジトリ」のここの、ガイド・ナンバー[056-14b] に、

   *

楸樹 所在有之今宻縣梁家衝山谷中多有樹甚髙大其木可作琴瑟葉類梧桐葉而薄小葉稍作三角尖乂開白花味甘

  救飢 採花煠熟油鹽調食及將花晒乾或煠或炒皆可食

   *

とあった。

「琴《きん》」中国の古い琴(こと)の一種である「古琴(クーチン)」。当該ウィキによれば、『中国の古い伝統楽器』で、『七弦琴(しちげんきん)、瑶琴(ようきん)とも呼ぶ』三千『年の歴史がある撥弦楽器で、八音の「糸」に属し』七『本の弦を持つ。箏』(そう)『などと違い、琴柱(ことじ)はなく徽(き)と呼ばれる印が』十三『あり、これに従い、左指で弦を押さえて右指で弾く』とある。

「瑟《しつ》」中国の古い弦楽器「瑟(スゥーァ)」。当該ウィキによれば、『古代中国のツィター属』(ドイツ語:Zither)『の撥弦楽器。古筝に似て、木製の長方形の胴に弦を張り、弦と胴の間に置かれた駒(柱)によって音高を調節するが、弦の数が』二十五『本ほどと』、『多い。八音の糸にあたる楽器のひとつで、後世には祭祀の音楽である雅楽専用の楽器になった』。『瑟の歴史はきわめて古』く、『文献では』、『古琴とともに「琴瑟」と併称され、最も古くから見える弦楽器で』、「詩經」・「書經」を始め、『先秦の文献にしばしば見える』。「禮記」の「明堂位篇」には『大瑟と小瑟の』二『種類の瑟について記述しており、複数の種類の瑟があったことがわかる』とある。また、「伝説」の項に、『瑟の起源について、さまざまな伝説があ』り、「呂氏春秋」には、『炎帝のときに』五『弦の瑟が作られ、堯のときに』十五『弦に増し、舜のときに』二十三『弦に増したという』「史記」は、『もと』五十『弦あったが、音が悲しすぎたので』、『黄帝が半分に割いて』、二十五『弦にしたという話が見える』。また、『伏羲が瑟を作ったとも』伝える、とあった。

「梧桐」(ごとう)は、現行ではアオイ目アオイ科 Sterculioideae亜科アオギリ属アオギリ Firmiana simplex を指すが、これは現在のシソ目キリ科キリ属キリ Paulownia tomentosa であった可能性も排除出来ない。事実、サイト「跡見群芳譜」の「あおぎり(青桐)」を見ると、『日本では、『万葉集』に梧桐で作った日本琴の記事が出る』。『しかし、これはキリの漢名を梧桐と誤解したものであって、実際にはキリであったであろう』とあり、当該ウィキにも、『中国の伝説ではアオギリの枝には』十二『枚の葉がつくが、閏月のある年には』十三『枚つくといわれた』。『また』、『中国では鳳凰が住む樹とされた』。『伏羲がはじめて桐の木を削って古琴を作ったという伝説がある(ただしアオギリかキリか不明)』とある。

「白花を開き、《→く。》味、甘」と読みを変えたのは、葉やの味とは思われないからである。東洋文庫も句点で切っている。アオギリだった場合は、サイト「跡見群芳譜」の「あおぎり(青桐)」を見ると、『種子は蛋白質・脂肪に富み、梧桐子と呼んで薬用・食用にする』。『第二次世界大戦中の日本では、コーヒー豆の代用にした』とあり、『「四月花をひらき、六月に実を結び、秋熟して、生(なま)ながらも食し、炒りても食すべし。めづらしき菓子なり』。『又梧桐月を知ると云ふ事あり。閏月まで知る物なり。下よりかぞへて十二葉あり。一方に六葉づゝ也。閏月ある年は十三葉なり。小き所則ち閏としるべし。又立秋の日をも知る。其日に至りて一葉先づ落つ。花もきれいに見事なる物にて、庭にうへ置きても愛すべき木なり。無類なる霊木なり」(宮崎安貞』「農業全書」(元禄一〇(一六九七)年刊)とあるからである。

「新六」既出既注。以下の一首は、日文研の「和歌データベース」の「新撰和歌六帖」で確認したが、そこでは、

   *

ひさきおへる-にはのこかけの-あきかせに-ひとこゑそそく-むらしくれかな

   *

となっている。「第六 木」のガイド・ナンバー「02502」である。

「刺楸(はりひさぎ)」これは、

バラ亜綱セリ目ウコギ科ハリギリ(針桐)属ハリギリ Kalopanax septemlobus

であるから、目タクソンで異なるので、時珍の『「楸」の屬』は大ハズれである。当該ウィキによれば(注記号は省略した)、『別名、センノキ(栓の木)、ミヤコダラ、テングウチワ、ヤマギリなどがある。肥沃な土地に自生することから、開拓時代は農地開墾の適地の目印とした。材はケヤキに似た年輪模様が美しく、建築材や家具材としても貴重である。若芽は山菜としての利用もある』。『和名「ハリギリ」は、若い枝に大型の鋭いトゲがあることに由来し、葉がキリに似るため「針のある桐」の意味である。「キリ」については、材質がキリに似ているというところから来たものだという説もある』。『ハリギリにはいくつか別名があり、センノキ、ミヤコダラでもよばれる。ニセゲヤキという別名があり、ハリギリとケヤキは板にしたときに年輪模様が似ているため』、『名付けられたとされる』。『また』、『芽が山菜として有名なタラノキに似ていることから、ハリギリの別名には「タラ」がついたものが多く、アクダラ、オオダラ、アホダラなどの異名もある』。『山菜としての地方名にオオバラ(中部地方)などがある。大きなサイズのカエデと見まごうほどの大きな葉は天狗の羽団扇にも例えられ、地域によってはテングノハウチワやテングッパという呼び名もある。宮城県の地方名でセノキという呼び名がある』。『アイヌ語では「アユㇱニ(ayusni)」と呼ばれる。これは「アイウㇱニ(ay-us-ni)」(とげ・多くある・木)という意でついた名である』。『日本、朝鮮半島、中国の原産。日本全土(特には北海道)、千島列島、朝鮮半島・中国に分布する。平地から山地(深山、高山)まで分布し、雑木林や、肥沃な土地に自生する』。『落葉広葉樹の高木で、幹は直立し、高さ』十~二十『メートル』、『大きいものは』三十メートルに『なる。幹は直径』一『メートル』『にも達する。成木は大きな枝が比較的まばらに張り出し、枝先は棒状になる。若木は、枝や樹幹に太くて鋭いとげがあるが、老木になるに従い鋭さを失いトゲはなくなる。幹の樹皮は褐色から黒褐色で、粗くて深く縦に裂け目が入りコルク質で厚く、この樹木を特徴づける。枝は灰色を帯びる。一年枝は、太くて皮目がありトゲがまばらに生えるが、トゲがないものもある』。『葉は互生し、枝先に集まってつく。葉柄は長さ』七~三十『センチメートル』、『葉身は円形で掌状で』五~九『裂し、カエデのような姿で』、『径』十~三十センチメートルと『と大きく、天狗の団扇のような形をしている。そこから「テングウチワ」と呼ばれることもある。葉の切れ込みは浅いものからヤツデのように深いものまで変化がある。葉縁には細かい鋸歯がある。秋には黄褐色に紅葉する。薄い黄色に黄葉するが、緑色が抜けきらない場合や、すぐ褐色になることが多く地味である。条件によっては紅葉の仕方は変化し、一枚の葉の中に紫褐色や褐色が混じったり、緑色や他の色が葉脈に沿って残ったりと、様々な柄が見られる』。『花期は』七~八月で、『枝の先に花柄が傘状に伸びて散状花序をつくり、淡黄色から黄緑色の小花が多数つく。花はかなり細かい印象で、径』五『ミリメートル』『ほどで、たくさん咲いている様は目立って見える。果期は』十『月で、直径』五ミリメートル『ほどの丸い果実がたくさん集まってつき、黄葉するころに藍黒色に熟す。果実は冬でも残り、のちに果序の柄だけが散形状に枝に残る』。『冬芽は卵形から円錐形で長さ』五~十ミリメートル、『暗紫褐色、無毛でつやがあり、芽鱗』二、三『枚に包まれる。枝の頂につく冬芽(頂芽)は大きく、側芽は枝に互生してあまり大きくない。葉痕はV字形で、維管束痕が多数つく。春になると太い幹からも葉が芽吹いてくる』。『若芽は食用、根や樹皮は漢方薬になる。食用について古くは、中国・明の時代に書かれた飢饉の際に救荒食物として利用できる植物を解説した本草書』「救荒本草」(一四〇六年)に『記載がみられる。材は木目が美しく、建築材や家具材、器具、彫刻など幅広く利用される』。『春に芽吹いたばかりの新芽は、同じウコギ科のタラノキやコシアブラ、ウドなどと同様に山菜として食用にされる』。『採取時期は』普通は五~六月頃で、『暖地』では四月頃、『平地では』三月頃から、『高地では』五『月、高山では』七『月』頃までが『適期とされ、若芽をつけ根からもぎ取って採取し、食べるときは』、「はかま」を『取り去る』。『林内のものは樹高が高く、採取がむずかしい』。『見た目は「たらの芽」としてよく知られる近縁のタラノキの芽やコシアブラに良く似るが、苦味やえぐみとして感じられる』「アク」が『やや強く、灰汁抜きを必要とする』。『そのため』、『タラの芽と区別して食用にしない地方もあり、たとえば長崎方言では「イヌダラ」と呼んでタラノキと区別される。アクが強い山菜であるが、揚げると気にならなくなる。かつてはタラの芽の代用のように扱われていたが、脚光を浴びてタラの芽とは別の風合いがあるとして好まれているという。また、採取する時期によってアクの強弱はかなり異なる』。『灰汁抜きは、熱湯に塩を入れて茹であげてから水にさらす。灰汁抜き後は調理するが、強いクセのため、ごま・クルミ・酢味噌の和え物など味の濃いものに合い、汁の実などにして食べられる。生のまま、天ぷらや煮付けにしても食べられる。天ぷらにすると、タラノキほどではないが』、『タラの芽に似た』、『ほどよい香りとアクがあり、遜色がない味があるとも評されている』(以下、中略)。『木材としては「センノキ」、あるいは「栓(せん)」と呼ばれるが』、『名前の由来についてはよくわかっていない。木肌が深く裂け、黒ずんだ褐色の木から取れる「オニセン」(鬼栓)と、木肌がなめらかな木から取れる「ヌカセン」(糠栓)、白っぽい材が多い中でも特に赤みを帯びているのを「アカセン」(赤セン)とよぶ。鬼栓は加工には向かず、沈木に用いられる。一方、糠栓の材は軽く軟らかく加工がしやすいため、建築、家具、楽器(エレキギター材や和太鼓材)、仏壇、下駄、賽銭箱に広く使われる。耐朽性はやや低い。環孔材で肌目は粗いが』、『板目面の光沢と年輪が美しく海外でも人気がある。材の色は白く、ホワイトアッシュ』(White Ash:落葉広葉樹のシソ目モクセイ科トネリコ属アメリカトネリコ  Fraxinus americana の英名)『に似ていることから』、『ジャパニーズ・アッシュという名称で呼ばれることもある。材の白さを活かして、薄く削って合板の表面材としても使われる』。『材は柾』(まさめ)『が通っていて美しく、漆を塗ると』、『ケヤキに似た木目を持つことから』、『欅』(けやき)『の代用品としても使用される』。『この場合は』、『着色した上で』「新欅」「欅調」と『表記されることもある。年輪に沿って大きな道管が円形に並ぶ典型的な環孔材であり、ハリギリは道管の直径が』百七十~三百五十『マイクロメートル (μm)と』、『ケヤキやヤマザクラのそれよりも直径が一際大きく』、一『列に並んで年輪がはっきりと出るのが特徴である。材の美しさから、木彫りの伝統工芸品に利用されることも多い』。『北海道には大きな木が多く、明治末には下駄材として本州に出荷された。現在でも国内産の栓』(これは、ただの木製の「栓」ではなく、「木材の継手や仕口の箇所で部材間の貫通穴に差し込む細木」としての「栓」のことであろう)の九『割は北海道産である』。『アイヌの文化においても、カツラなどとともに丸木舟の主要な材のひとつとして北海道全域で用いられ、このほか』、『木鉢や臼、杵、箕が作られた』。以下、「アイヌの口頭伝承」の項。『北海道日高地方沙流川流域のアイヌの口頭伝承で、ハリギリの丸木舟(アユㇱニチㇷ゚)に関する禁忌を扱ったものがある。話の内容は採録された時代などにより差異があるが、以下に概要を示すものは』、一九九六年三月二十五日に『平取町のアイヌ、上田トシから聞き取り採録された「カツラの舟とハリギリの舟のけんか」と題された昔話である。概要は以下の通り』。

   *

『ある男がランコチㇷ゚(カツラの丸木舟)とアユㇱニチㇷ゚を作ったものの、いつしか軽く扱いやすいランコチㇷ゚ばかりを使っていた』。『いつしか夜に川の方で物音がするようになった。ある晩、男はランコチㇷ゚とアユㇱニチㇷ゚が人間のように立ち上がり跳ね上がる様子を目撃する。その後、夢にランコチㇷ゚の女のカムイ(神)が現れ、ランコチㇷ゚のカムイに嫉妬したアユㇱニチㇷ゚の男のカムイが、夜になるとランコチㇷ゚のカムイを虐める旨、アユㇱニチㇷ゚のカムイが悪い心を持っている旨を話し、故にアユㇱニは舟から倒木、木片に至るまで燃やさなければ村に危害を与える、と伝えた』。『男はそれを父親に伝えたところ』、『父親は「チㇷ゚を燃やせ」と言ったため、男はアユㇱニのチㇷ゚や木片を残らず燃やした。その後父親は「その煙がどこへ向かったかを見ておくように」と言った。煙は海へ向かったことから、父親は「決して海で漁をしないように」と忠告した』。『しかししばらく経ち、男は禁忌を破り別の男と漁に出た。すると、舟のようなものにたくさん棘が出た姿の化け物が現れた。男らはタコのカムイ(神)と海波のカムイに助けを求め、村まで帰ることこそできたが、髪や髭が抜け落ち、全身が腫れ上がり肉も腐り、化け物のような姿となってしまった。その後、村を通りかかった男が化け物のような姿になった男に訪ねたところ、ことの顛末とアユㇱニで舟をつくらないほうがよいことを話した』。

   *

『しかし』、『本田』優子氏は、『実際には道内各地でハリギリ製の丸木舟が出土、あるいは現存していることを踏まえ、かつては丸木舟の用材を特定の樹種に限定するようなことは行われておらず、むしろスギなどが自生しない北海道内における丸木舟制作においては主要な材としての地位を占めていたと考察している』。『加えて、本田』『は』、『物語自体の変容についても考察している。上田のほか』二つの昭和時代の『記録を確認したところ』、一九三六『年の記録では女神は「作った以上、わたしと同じ程度に、そちらも使ってやったらよかったのに」と述べたうえで「センノキほど憑き神(カシ・カムイ)の悪い木はない」としていたが、その後の記録では、悪いのはハリギリの憑き神ではなく』、『ハリギリそれ自体』『とされ』、『強調されていった。また』、一九三六『年の記録ではハリギリの舟を作ることを禁忌する内容はない』『以上より』、『本田』『は、本来』、『この物語は「人間が道具としてなにかを作った以上は、その道具が役割を全うできるようにきちんと使わねばならない」ということが主題であり、カツラと対立させる樹木は』、『ハリギリ以外でも良かったのであるが、ハリギリの鋭利な刺、それで傷を作ってしまうと時として体中がはれ上がってしまうことが強く意識されるようになった結果、ハリギリの舟を禁忌とする物語に置き換り、沙流川流域のアイヌの生活、ひいては』、『近年の情報の流れの中で他地域のアイヌの生活にも影響を与えるようになったと推察している。また、本田の私見として、本来各地で用途や河川の様相によって見合った樹種が決められていた丸木舟についての伝承が変容し、ハリギリの舟のタブー視、他の樹種の神聖視が進んでいることを指摘している』。『なお、現在では再びハリギリを用いた丸木舟の復元も行われている。例えば』二〇二〇『年』四『月に白老町にオープン』した『国立アイヌ民族博物館・国立民族共生公園(ウポポイ)での丸木舟と板綴舟(イタオマチㇷ゚)制作・展示にあたっては、東京大学附属北海道演習林から、ハリギリが提供されている』とあった。

「𤉬熟(えふじゆく)し」割注した通り、「𤉬」は「煠」(現代仮名遣の音は「ヨウ」で、「焼く・炒める・茹でる」の意)の異体字であるが、東洋文庫訳では、『蒸熟して』と訳してある。私は採れない。

「榎(こひさぎ)」『【「檟」、同じ。】』先行する𣾰で注したが、「檟」は「トウキササゲ」=「楸」の古名である(別にチャノキの意もある)。東洋文庫でも、一切、種名を示す割注などはない。漢字の熟語や「こひさぎ」「こいさぎ」(後者はあり得ないだろう。「小楸」だろうから)で調べても、ネットでは掛かってこない。日中辞書で「小榆花楸」というのがあったが、これは、バラ亜綱バラ目バラ科ナシ亜科アズキナシ属アズキナシ Aria alnifolia のことを指す。「維基百科」の当該種を見ると、このアズキナシ属が「花楸屬」とあった。これかも(あくまで「かも」のレベル)知れん。日本語のウィキは記載が詳しい。どうぞ、ご覧になられて、貴方の御判断にお任せする。

『「榎」の字、今、俗、以つて、「惠乃木(ゑのき)」と爲《す》るは、拠(よりどころ)、無し』当然、ここで良安が指示する「榎」はバラ目アサ科エノキ属エノキ Celtis sinensis であるから、この良安に附記全体が、全く無効である。因みに、ウィキの「エノキ」によれば、『和名「エノキ」の由来については諸説あり』、・『縁起の良い木を意味する「嘉樹(ヨノキ)」が転じてエノキとなった』説(良安が一蹴するが、この説は記者が頭に載せるからには、有力な説の一つなんだろう)・『秋にできる朱色の実は野鳥などが好んで食べることから、「餌の木」からエノキとなった』説、・『枝が多いことから枝の木(エノキ)と呼ばれるようになった』説『など』『がある』。他にも、『鍬などの農機具の柄に使われたからという説があるが』、これは、『奈良時代から平安時代初期には、エノキの「エ」はア行のエ』で、『柄(え)や』、『それと同源の語とされる「エ」はヤ行のエ』(イェ)『で表記されており、両者はもともと発音が異なっていたことが明らかなので、同源説は成り立たない』とある(但し、最後の否定解説には「要出典」要請が掛っている)。なお、この後に、『漢字の「榎(エノキまたはカ)」は夏に日陰を作る樹を意味する和製漢字であ』り、『音読みは「カ」。「榎」は、中国渡来の漢字ではなく、日本の国字の一つである』というのは、既に𣾰の注で述べた通り、大嘘であるので注意されたい。中国に「榎」の漢字は古くに存在しており、「檟」と同義である。

2024/06/20

「和漢三才圖會」植物部 卷第八十三 目録・喬木類 梓

 

Adusa

 

あづさ   木王

      實名豫章

      【楠樟亦名豫

       章與此同名】

【音子】

      和名阿豆佐

ツウ

 

本綱梓宮寺人家園亭亦多植之爲百木長屋室有此木

則餘材皆不震其爲木王可知其木似桐而葉小花紫生

角其角細長如箸其長近尺冬後葉落而角猶在樹其實

名豫章其花葉飼豬能肥大

 有三種木理白者爲梓赤者爲楸梓之美文者爲𬃪小

 者爲榎

△按梓桐之屬其花深黃色古者彫此木爲書版故有繡

 梓鍥梓之名倭版多用櫻木

 

   *

 

あづさ   木王《もくわう》

      實《み》を「豫章《よしやう》」と名づく。

      【楠《くすのき》・樟《たぶ》、亦、「豫章」

       と名づく。此れと、名、同じ。】

【音「子《し》」。】

      和名「阿豆佐」。

ツウ

[やぶちゃん注:割注の「楠樟」以下の文に相当するものは、「本草綱目」にないので、良安の補塡であるから、和訓しておいた。但し、日中の種の違いから、これは、後述する通り、誤りである。

 

「本綱」に曰はく、『梓、宮寺・人家・園亭にも亦、多く、之れを植う。「百木の長」と爲《な》す。屋室に、此の木、有る時は[やぶちゃん注:「時」は送り仮名にある。]、則ち、餘材、皆、震(ふる)はず。其れ、「木の王」たること、知るべし。其の木、桐に似て、葉、小《ちさ》く、花、紫にて、角《つの:長い莢(さや)》を生ず。其の角、細長くして、箸(はし)のごとし。其の長さ、尺に近く、冬の後《のち》、葉、落ちて、角、猶を[やぶちゃん注:ママ。]、樹に在り。其の實を「豫章」と名づく。其の花・葉、豬《いのこ:豚》に飼(か)へば、能く肥《こえ》て、大≪となれり≫。』≪と≫。

『三種、有り、木の理(すぢ)、白き者をば、「梓《し》」と爲し、赤き者を、「楸《しう》」と爲す。「梓」の美文なる者を、「𬃪《い》」と爲し、小さき者、「榎《か》」と爲す。』≪と≫。

△按ずるに、梓《あづさ》・桐《きり》の屬、其の花、深黃色なり。古き者、此の木を彫(ほり)て、書版と爲す。故《ゆゑ》、「繡梓《しゆくし》・「鍥梓《けいし》」の名、有り。倭の版には、多く、櫻の木を用ふ。

 

[やぶちゃん注:この「梓」(シ)は、日中で、指す種が異なり、同じものとして書いている以上の全文は、全体としては大きな誤認がごちゃ混ぜになってしまっている。更に、現代の日中での種同定についても、それぞれの国で微妙な種の違いがあるようで、なかなか「聊難物」である。まず、現代中国語の「梓樹」は、

双子葉植物綱シソ目ノウゼンカズラ科キササゲ属キササゲ Catalpa ovata

である。それは中文ウィキの「梓樹」で確認出来るのであるが、その右上の多言語から日本語を選ぶと、そこでは、キササゲではなく、

キササゲ属トウキササゲ Catalpa bungei

という同属異種のページになっているのである。而して、これについては、当該ウィキに、『「梓」は本来』、『アズサではなく』、『本種と同属のキササゲ Catalpa ovata であるとされるが、牧野富太郎は正確には本種トウキササゲであると』したことに拠るのである。『ただし、現代中国語では、「梓」はキササゲのことで、同じ「きささげ」の訓のある「楸」が本種』(=トウキササゲ)『のことである』。『中国ではキササゲと共に、街路樹や木材として利用される』。『実は生薬となる。日本薬局方は、本種とキササゲをともに生薬「キササゲ」として認める』。『これはまた「梓実(しじつ)」とも呼ばれる』と続くのだが、そこで、中文ウィキの「楸樹」を見ると、確かに、そこに掲げられた学名はCatalpa bungei で、トウキササゲなのである。しかし、以上の記載から推定するに、日本の記事が、殊更に「現代中国語」と限定する点から、

「梓」は中国では、古くは、キササゲ属 Catalpa 複数の種を総称する語として存在した

と考えるべきであろう。それはキササゲ属 Catalpa 相当の中文ウィキの「梓木」を見ると判る。然して、その記載の「中國梓木」の項を見ると、『中国で「梓木」とは主に「梓樹」=キササゲCatalpa ovata を指す。東北地方では「臭梧桐」とも称され、主に黄河から長江流域に広く分布し、良質な材質を持つ。過去の王朝に於いて、最も広く用材にされた一種であり、各種の道具の製造にも用られた。硬さと密度は、中程度で、木肌が美しく、光沢があり、割れず、伸びがなく、平滑な表面を持ち、強い耐食性を有する。彫刻・各種の型の材料に用い、平滑で、伐り出し・加工に非常に適している。古代中国の帝王・女王の棺在としても、常用された』とあることから、中国では、歴史的には――名に負うトウキササゲではなく――キササゲこそが、「梓」の代表種であったことが読める内容となっているのである。なお、「楸」を問題にしないのに不満がある方がおられようが、「楸」は実は、次で、本書の立項「楸」があるためである。悪しからず。

 問題は、本邦の「梓」である。これは、中国の「梓」・「楸」とは全く異なる、「梓弓(あづさゆみ)」で古代から知られる、

双子葉植物綱マンサク亜綱ブナ目カバノキ科カバノキ属ミズメ Betula grossa

である。良安は、それに気づかず――というか、寧ろ、ここまでの「本草綱目」記載の樹種が、本邦の同漢字の示す樹とは、形態や材質・薬効に於いて、一致しない部分が恐ろしく多いことに、悩み、異同甚だしきを見出しながらも、江戸時代には、本草書のバイブルであった「本草綱目」の記載に正面切って疑義を唱えることに、ちょっと遠慮というか、精神的に疲れてきたのではないか――と、強く感ずるのである。

 取り敢えず、まず、中国の「梓」の昔のタイプ種と私が考えたウィキの「キササゲ」を引く。本邦での漢字表記は「木大角豆」・「楸」・「木豇」で、『落葉高木。別名では、カミナリササゲ』・『カワギリ』・『ヒサギ』『ともよばれる。生薬名で梓実(しじつ)と呼ばれる。日本で「梓(し)」の字は一般に「あずさ」と読まれ、カバノキ科のミズメ(ヨグソミネバリ)』(双子葉植物綱マンサク亜綱ブナ目カバノキ科カバノキ属ミズメ Betula grossa :水芽・水目)『の別名とされるが、本来はキササゲのことである。和名は、果実がササゲ(大角豆)』(マメ目マメ科ササゲ属ササゲ亜属ササゲ Vigna unguiculata var. unguiculata )『に似るのでキササゲ(木大角豆)と呼ばれる。『中国原産といわれ、日本には古くに渡来し、一部は日本各地の河川敷などの湿った場所に野生化している帰化植物である』。『植栽としても利用されており』、『かつては、雷よけになるとして城や神社仏閣に植えられた。樹皮は灰褐色で縦に裂け目がある』。『落葉広葉樹の高木で』、『高さ』五~十『メートル』であるが、『多く見られるものは、高さはせいぜい』三メートル『ほどであるが、大きなものでは幹径』五十『センチメートル』、『高さ』十五メートルにも『にもなるといわれる』。『樹皮は灰褐色で、縦に浅く裂ける』。『一年枝は太く、褐色や暗褐色をしており、無毛である』。『若木の樹皮は褐色で、皮目があり、細かい縦筋がある』。『葉は大きく、直径』二十センチメートル『ほどの幅の広い広卵形で、浅く』三~五『裂する』。『葉縁は全縁で、基部はハート形』。『葉柄は長く』二十センチメートル『ほどあり、つけ根に濃紫褐色の蜜腺がつく』。『花期は』五~七『月』で、『枝の先から円錐花序を出して、漏斗状で淡い黄色の内側に紫色の斑点がある花を』十『個ほど咲かせる』。『果実は長さ』三十センチメートル『ほどある細長い蒴果で』、一『か所からまとまって』十『本ほど垂れ下がる』。『果実の中には種子が詰まっており』、『莢が割れて』、『種子が風に飛ばされる』。『種子を飛ばした後、冬でもササゲ』『に似た細長い果実が残り、よく目立つ』。『冬芽はバラの花状に芽鱗が重なるのが特徴的で、枝に三輪生や対生し、仮頂芽が小さい』。『葉痕は円く』。『中央が凹み、大きくて目立つ』。『維管束痕は小さく、多数が輪になってつく』。『庭木として植栽されるほか、花材としても使われる』。『茶花』(ちゃばな:茶道で茶会の席に飾る花のこと)『では、子孫繁栄の意味を込めて、果実を』十二『月末から』一『月初旬にかけて利用する』。『実は利尿剤になり、材は中国では版木にした』とある。時珍の記載と極めてよく一致を見ることが判る。

 一方、日本の「梓」を、小学館「日本大百科全書」(同書では見出しを「ヨグソミネバリ」とする)から引く。高さは二十『メートルに達する。樹皮は暗灰色、滑らかで横に長い皮目が点在し、サクラの樹皮に似る。枝を折ると』、『強いサリチル酸メチルの匂いがするので、ヨグソミネバリの名がある。葉は互生し、卵状楕円形で長さ』五~八『センチメートル、縁(へり)に重鋸歯(じゅうきょし)がある。雌雄同株。雄花穂は秋から長枝の先につく。雌花穂は冬芽中で越冬し、早春、短枝の先に開く。果序は直立し、堅果に翼がある。温帯の山地の広葉樹林内で他樹種に混じって生え、本州から九州に分布する。材はサクラに似て、器具材、家具材など用途は広い。昔、弓材として用いられ、梓弓として知られたアズサは本種とされる』とある。ウィキの「ミズメ」もリンクさせておく。なお、個人サイト「庭木図鑑 植木ペディア」の「ミズメ/みずめ/水芽」が、画像、多く、ヴィジュアルにもいいのだが、その解説に、『岩手県以南の本州、四国及び九州(高隅山まで)の山地に分布するカバノキ科の落葉高木。樹皮を傷付けると水のような樹液が出てくるためミズメと名付けられた。この樹液や枝葉にはサロンパス(湿布薬)のような匂いがあるが、かつては不快な匂いとされ「ヨグソミネバリ(夜糞峰榛)」という別名がある』。『ミズメの枝は弾力性が高く、古来より儀式で巫女が使う「梓弓」の材料となり、別名をアズサ、アズサノキという。かつてはキササゲやアカメガシワをアズサとする説もあったが、現在ではアズサ=ミズメであることが正倉院の宝物によって証明されている。弓に使ったのは、ミズメの材に含まれる独特の香りに魔除け効果も期待してとのこと』。『別名のアズサは、雄花が並んで垂れ下がる様を、馬具を装飾する「厚総(あつぶさ)」に見立てたことに由来するという』とあって、さらに、『幹は最大で直径』七十センチメートル『ほど。樹皮は灰色で横皴が入り、サクラ類に似る。材は良質で仕上がりがよく、フローリングや敷居などの建材、家具、器具、合板、漆器の木地、靴の木型に使われる。出版を意味する「上梓」は本種で製本用の版木を作ったことに由来する。木材業界では本種をミズメザクラと呼んでおり、サクラ材として数多く流通するが』、『サクラの仲間ではない』とあった。良安が、時珍の記載を批判しなかったのは、一途に、この版木仕様材の――偶然の大きな一致――に拠るものと、私は考えるのである。

 良安の「本草綱目」のパッチワーク引用(「楸」がぞろぞろ出て来るので、張り接ぎにかなり苦労している)は、「卷三十五上」の「木之二」「喬木類」(「漢籍リポジトリ」)の「(ガイド・ナンバー[085-21a]以下)から。

「豫章《よしやう》」実の漢方生薬名かと思ったが、違うようだ。本邦の諸辞書では、樟(くすのき:)の漢名とするが、中文のクスノキ当該の「樟樹」を見ても、この異名はない。というより、中文に限って検索しても、現在の中国語圏の記事には、この「豫章」の単語が出現しないのである。割注で述べたが、以下の「楠《くすのき》・樟《たぶ》、亦、「豫章」と名づく。此れと、名、同じ」とあるのは、「本草綱目」の「梓」の「集解」に現われる『角、猶在樹、其實亦、名豫章。』とあるのを参考にして、良安が作文したものである。されば、この「楠」は先行する「楠」の項で示した通り、中国のクスノキならぬ「楠」=クスノキ目クスノキ科タブノキ(椨の木)属ナンタブ(南椨)  Machilus nanmuではなく、クスノキ科ニッケイ(肉桂)属クスノキ Cinnamomum camphora であり、「樟」も、同じく、先行する「樟」で示した通り、中国のクスノキ科ニッケイ(肉桂)属クスノキ Cinnamomum camphora ではなく、クスノキ科タブノキ属タブノキ Machilus thunbergii なのである。而して、この標題下の割注は、良安が神経症的行き詰まりを誤魔化すための仕儀のように思われてならないのである。

「震(ふる)はず」この場合は、「揮」の漢字の方が判りがよい。「幅を利かして優勢に成長することが出来ない」の意である。

「桐」これは日中ともに、シソ目キリ科キリ属 Paulownia 、或いは、揚子江流域にも分布する本邦のキリ Paulownia tomentosa としてもよい。

『三種、有り、木の理(すぢ)、白き者をば、「梓《し》」と爲し、赤き者を、「楸《しう》」と爲す。「梓」の美文なる者を、「𬃪《い》」と爲し、小さき者、「榎《か》」と爲す。』またまた、新手が出てきた。「𬃪」である。この漢字は「椅」の異体字で、「廣漢和辭典」を見ると、引用例から、確実にキントラノオ目ヤナギ科イイギリ属イイギリ Idesia polycarpa であることが判明した。当該ウィキによれば、「飯桐」で、『和名の由来は、昔はこの葉で飯を包むのに使われ、また、葉がキリに似ていることから』『といわれる』。『果実がナンテンに似ており、別名ナンテンギリ(南天桐)ともいう』。『イイギリ属の唯一の種』。『日本(本州、四国、九州、沖縄)』、『朝鮮半島、中国、台湾に分布』し『山地に生え』、『湿気のある肥沃な暖地に多く自生す』。『落葉高木で、樹高』八~二十一『メートル』、『幹径』五十『センチメートル』『程度になる。枝は下の方から輪状に出て斜めに真っ直ぐに伸び、特徴的な枝振りになる』。『樹皮は灰白色から淡灰褐色で滑らかであるが、皮目が多くざらざらしている』。『枝の落ちた跡が』、『大きな目玉模様になって残る』、『一年枝は太くて無毛である』。『シュート』(Shoot:茎と、その上に生じた多数の葉からなるものを一纏りとした単位の呼称)『は灰褐色で太い髄がある』。『葉は互生、枝先に束性する。葉柄を含めた葉の長さは』三十~四十センチメートルにも『なり、長くて赤い葉柄がつくのが特徴』。『葉身はキリやアカメガシワ』(キントラノオ目トウダイグサ科エノキグサ亜科エノキグサ連アカメガシワ属アカメガシワ Mallotus japonicus )『にも似ている幅広い心形で』、『長さ』八~二十センチメートル、幅は七~二十センチメートル。『アカメガシワよりもハート形に近く、丸みがある』。『表は暗緑色、裏は白っぽい。縁には粗い鋸歯がある。葉柄は』四~三十センチメートルと『長くて赤く、先の方に』一『対の蜜腺がある(アカメガシワもこの点似ているが、蜜腺は葉身の付け根にある)。秋には黄葉し、明るい黄色に色づく』。『花期は春』四~五月頃で、『花は小さく』、『黄緑色で、香気があり、ブドウの房のように垂れ下がった』十三~二十センチメートルの『円錐花序をなす』。『花弁はなく、萼片の数は』五『枚前後で一定しない。雌雄異株で雄花は直径』十二~十六『ミリメートル』、『雌花は』九ミリメートルで、『子房上位。雄花には多数の雄蕊があり、雌花にも退化した雄蕊がある』。『果期は秋で、黄葉のころに熟して橙色から濃い赤紫になり、たくさんの実を房状にぶらさげる』。『果実は液果で直径』五~十ミリメートルで、『多数の』二~三ミリメートルの『褐色の種子を含む。赤く熟した果実は落葉後も長く残り、遠目にも良く目立つ』。『冬に落ちた果実は黒くなって残る』。『冬枯れの中、枝にたくさん実った果実は野鳥の食料となる』。『冬芽は鱗芽で、枝先の頂芽は半球形で三角形の芽鱗に包まれており、ややつやがあって粘る』。『側芽は頂芽よりも小さく、枝に互生する』。『葉痕は大きな円形で、維管束痕が』三『個つく』。『公園樹や街路樹として利用される』。『果実は生食可で、加工して食べられることもある』。『秋から冬に熟す多数の赤い果実が美しいので、観賞用樹木として、ヨーロッパ等を含む他の温帯域でも栽培される』。『また』、『生け花や装飾などの花材としても使われる』。『白実の品種もある』とあったので、これで間違いない。さて! この終りに至って(もうちょっと早く見つけていたら、私の以上な迂遠な注も圧縮出来たかと思ったが)、強力な寺井泰明氏の論文『「楸」「梓」「榎」と「きささげ」「あずさ」「えのき」』を発見した(桜美林大学紀要『日中言語文化』巻三・二〇〇五年三月発行/「桜美林大学学術機関リポジトリ」のここPDFで入手出来る)。是非、詳細な考証を玩味して戴きたいが、最終的に寺井氏は、『漢語の「楸」と「梓」に当てられた「ひさぎ」と「あづさ」は、キササゲとミグソミネバリであったと結論づけることができた。「楸」「梓」のー方がキササゲであるならば、トウキササゲとすべき他方を、トウキササゲが日本に存在しなかったがために別の木、即ちミグソミネバリに当てざるを得なかったものと思われる』と述べておられる。私の遠回りの一人旅も、満更、見当違いでなかったことが、甚だ嬉しい。

「倭の版には、多く、櫻の木を用ふ」特に浮世絵の版木として桜材が好まれた。]

柴田宵曲「古句を觀る」正規表現版電子化注 / 「冬」(14) / 柴田宵曲「古句を觀る」正規表現版電子化注~了

 

   裁物にせばき一間や冬籠 夕 市

 

 一間にあつて裁物をする。裁板も置かねばならず、裁つた布もあたりにひろがるから、自然一間のうちは狹くなる。平凡だと云へばそれまでであるが、その裏に平凡ならざる何者かを藏している。

 この句にあつて一間を狹しと感ずるのは、必ずしも裁物をする人自身ではない。作者は裁物の人と同じ一間にあつて、傍から觀察してゐるものの如く感ぜられる。卽ち裁物の爲に一間が狹くなることは共通であつても、自ら裁物をひろげつゝある人の感じとは若干の距離がある。この場合衣を裁つ者は當然女であらうから、作者はその外に求めなければならぬのである。

 冬籠る一間は廣きを要せず、狹くとも暖きを條件とする。居間の狹くなることを喞つた[やぶちゃん注:「かこつた」。]やうなこの句も、その條件には外れてゐない。しづかにこの句を誦すると、裁たれる布の華かな色は勿論、座邊の火鉢に火のかんかんおこつてゐる樣まで、連想として浮んで來る。

 

   湯のぬるき居風呂釜を脚婆かな 還 珠

 

 この句は冬の季にはなつてゐるが、何の季題に分類すべきかといふことになると、ちよつと判斷に苦しまざるを得ぬ。第一下五字はどう讀んだらいゝのか、よくわからない。俳句の振假名はかういふ場合に最も必要なのだけれども、却つてそれがついてゐないのである。

 さういふ問題はしばらく措いて、この句の意味はどうかと云へば、格別面倒なこともない。居風呂[やぶちゃん注:「すゑぶろ」。]に入つたところが、いさゝか湯がぬるいので、脚を直接風呂釜に當てゝ見た、といふ意味らしく見える。五右衞門風呂の中に浮いてゐる板の用途がわからないで、蓋の類と心得て取つてしまつた爲、直接釜に觸れる足の熱さに堪へず、下駄穿[やぶちゃん注:「げたばき」。]のまゝ風呂に入つて、遂に釜を踏み破る話が「膝栗毛」の一趣向になつてゐるが、この句は湯がぬるくなつてゐるから、釜に足を觸れても熱くないのである。

 俳諧では湯婆と書いてタンポと讀んでゐる。この上に更に一字を添へた「湯たんぽ」といふ言葉が一般に通用してゐるのは、幸田露伴博士が考證したチギ箱の例のやうに、一つ言葉を補はなければわかりにくい爲かも知れぬ。湯婆と風呂とは目的を異にするが、湯で身體を溫める點に變りは無い。湯婆の如く釜で脚を溫めるといふ意味から、脚婆といふ語を造り出したのではあるまいか。湯の字と婆の字とが一句の中にあり、かつ脚を溫める作用をも取入れてゐるので、强ひて分類すれば湯婆の範圍にでも入るべきかと思ふ。但これは臆測である。正解があれば何時いつでもそれに從ふことにする。

[やぶちゃん注:『五右衞門風呂の中に浮いてゐる板の用途がわからないで、蓋の類と心得て取つてしまつた爲、直接釜に觸れる足の熱さに堪へず、下駄穿[やぶちゃん注:「げたばき」。]のまゝ風呂に入つて、遂に釜を踏み破る話が「膝栗毛」の一趣向になつてゐる』国立国会図書館デジタルコレクションの十返舎一九の「東海道中膝栗毛」(昭和二(一九二七)年三盟舎書店刊)のここの右ページが、同シークエンスである。

「幸田露伴博士が考證したチギ箱の例」「箱」に、やや違和感を感じるが、これは、露伴の本邦の文字音を独自に解読した考証書「音幻論」の「シとチ」の一節を指しているようである。国立国会図書館デジタルコレクションのここが当該部である。この単行本は戦後の昭和二二(一九四七)年に洗心書林から刊行されているが、この「シとチ」は「發表年月」には、昭和十九年八月とする。しかし、本「古句を觀る」は昭和十八年十二月発行で、おかしい。露伴の「序」の後半部のここを読むと、『文藝』に他者に筆記させたものを『與へた』とあることから、謂わば、この「シとチ」は、前年の、十二月よりも前に、分割されて載ったものの一つであったろうと、推理した。以下、視認して起こした。

   *

〇チギ

チギは 古代建築に於て屋根に交叉したる木材を置きて風の爲に吹き剝されることを防ぐ木、即ち風木である。千木比木は共に肱木(ひぢき)の上略・中略といふ說があるが、寧ろ葺きたる家の屋根をとゞむる物をチギといつたのであらう。肱の形に似たる故に肱木なりといふは、建築的に無理がある。堅魚木といふのも堅魚の尾のやうな形に交叉した木をいふのである。委しくは別に說がある。チギが垂木(タリキ)・交本(チガヒキ)の轉または略とする說は承けがたい。

   *]

 

   鐵砲の水田になりて里の冬 蘆 文

 

 稻を刈つた跡の田が刈田で、それが冬に入れば冬田になるといふのが、季題の上の常識になつてゐる。こゝにある「水田」は普通にいふスイデンの意味もあるかも知れぬが、同時に稻を刈つた跡の田が暫く水を湛へてゐることを現したものではないかと思ふ。

 さういふ水田に雁鴨その他の鳥が何か求食り[やぶちゃん注:「あさり」。]に下りる。それを目がけて頻に[やぶちゃん注:「しきりに」。]鐵砲を擊つ。蕭條たる冬の里には日々何事もなく、たゞ水田に谺する鐵砲の音が聞えるのみだといふのであらう。吾々も少年の頃、東京郊外の田圃で屢〻かういふ感を味つた。「鐵砲の水田になりて」といふだけで、直に右のやうな趣を感じ得るのは、過去の經驗が然らしむるのかも知れない。

 

 

[やぶちゃん注:以上を以って、本書本文は終っている。以下、奥附。字配・ポイントは再現せず、以下のようにした。画像を、まず、確認されたい。太字にした「停」は底本では、○で囲んである。これは当時の商工・農林省の「暴利取締令」改正(昭和一五(一九四〇)年六月二十四日附)により価格表示規程が書籍雑誌にも適用されたもので、一般商品に対しては「九・一八価格停止令」以前の製品であることを示すものらしい。]

 

昭和十八年十二月    日 印刷

昭和十八年十二月十五日 發行

        (初刷五、〇〇〇部)

[やぶちゃん注:以下は、上記下方にある。]

 

 定 價 二 圓 六 十 錢

            合計 二圓八十錢

特別行爲裞相當二十錢

 

    古 句 を 觀 る

   出版會承認イ260679

 

[やぶちゃん注:以上二行は、ページ上方に左から右へ記されてある。この見慣れない「出版會承認イ260679」というのは、以下のようなものである。本書出版の三年前の昭和一五(一九四〇)年、政府は、情報局の指導の下、『日本出版文化協會』(略称「文協」)、及び、『洋紙共販株式會社』を創立し、出版物統制を実行し、昭和十六年五月には、全国の出版物取次業者二百四十社余を強制的に統合した一元的配給会社『日本出版配給株式會社』を設立させ、商工省と情報局の指導監督で、『文協』の配給指導の下、『日本文化の建設、國防國家の確立』をモットーに、出版社(『文協』会員)が発行する全書籍雑誌の一元的配給を強制した。参照した、ウィキの「日本出版配給」によれば、『型式上は株式会社で、本社(本店)は東京市神田区淡路町二丁目九番地』『の大東館に設置、支店は内地では大阪支店、名古屋支店、九州支店(福岡市)、外地では朝鮮支店(京城府)、台湾支店(台北市)に設置され』、『この他に九段、駿河台、錦町等に営業所を設置した。取締役社長には有斐閣店主・江草重忠が就任、役員も旧取次の店主等が横すべりで就任し、一見』、『民営のように見えるが、役員の選任や重要事項の決定には監督官庁(商工省・情報局)の承認が必要とされるなど、実質的には政府の統制下に置かれていた』とあり、『当時の出版物は、情報局による指導監督の下』、『文協が文協会員である出版社に対して出版指導を行っており、出版社の発行届及び企画届を基に発行承認・不承認を通知した。発行承認されないと』、『出版社及び洋紙共販に対して用紙割当通知が届かず、出版社は洋紙共販傘下の各元受用紙店や各用紙店から印刷用紙が購入できなかった。また、情報局による検閲を受けた後』、『奥付に配給元である日配と出版社の住所を明記しなければ』、『日配は配本しないと定められ、日配は言論統制のための一翼を担った』とある。また、別な、ある論文には、昭和 十六年 六月二十一日に「出版用紙配給割當規定」が施行され、書籍は、その総てが、発行承認制とされ、一つ一つの書籍に「承認番號」を与え、その番号を本の奥附に印刷しなければ、出版は出来なかった、とあった。

 以下は、下方で、四つの角が丸い一本囲みの罫線の中にあり、縦書。]

 

 著 作 者  柴 田 宵 曲(しばたせうきよく)

[やぶちゃん注:読みは、各字のルビ。]

 

 發 行 者  渡 邊   新

      東京都神田區小川町三ノ八

 

 印 刷 者  大 熊   整

      東京都豐島區池袋二ノ九二四

 

發 行 所  七 丈 書 院

     東京都神田區小川町三ノ八

     會員番號一二七〇三六

     電話神田一二二五・二三〇五

     振替東京一七四五五〇

 

[やぶちゃん注:以下は、罫線左外で縦書。]

 

配給元  日本出版配給株式會社

       東京都神田區淡路町二ノ九

 

[やぶちゃん注:以下は、罫線の外の下方に、左から右へ記されてある。]

 

   (東京1.901 大熊整美堂第三工場)

 

[やぶちゃん注:この裏には同書院の出版物広告であるが、省略する。

 以下、裏表紙。下方に、「七 丈 書 院」「売価」(異体字の「グリフウィキ」のこれ)「¥2.40(裞共)」とある。]

 

Urabyousi

 

2024/06/19

柴田宵曲「古句を觀る」正規表現版電子化注 / 「冬」(13)

 

   煤の湯を流しかけたり雪の上 里 東

 

「としのくれに」といふ前書がついてゐる。煤掃をしたあとの湯を雪の上にこぼす。「流しかけたり」といふので、ざぶりとこぼさずに徐に[やぶちゃん注:「おもむろに」。]あける樣子がわかる。强ひて風流を衒ふ[やぶちゃん注:「てらふ」。]わけではないが、一面に積つた雪の上に、煤に汚れた湯をこぼすのは、多少氣が引けるやうなところがある。槪念的にかういふ趣を弄ぶのではない。作者の實感から生れてゐるところに一種の力を持つてゐる。

 昔の煤掃は今の大掃除と違ふから、天氣都合で延すなどといふことは無かつたかも知れず、又北國のやうに雪に降りこめられるところだつたら、晴天を待つわけにも行かぬであらう。さういふ雪の中でも、年中行事の一として、家の内の煤だけは拂ふ。この作者は膳所の人だから、必ずしも北國情景と見るに當らぬが、

 

   煤はきや手鑓てやりたてたる雪の上 不 玉

 

になると、作者が東北の人だけに、そう解しても差支ない理由がある。「手鑓」は短槍ともいふ。槍の細く短いものゝ稱である。何でそんな槍を雪の上に突立てたか、まさか雪の深さを測る意味でもあるまい。暫時の置場として雪の上に立てたものであらうか。手槍を立て得ることによつて、その雪の深さもわかり、現在雪の降りつゝある場合でないことも想像出來る。

 煤掃に雪などといふ趣向は、大掃除に慣れた吾々にはちよつと思ひもよらない。同じく「雪の上」を捉へた元祿の句が、全然異つた世界を見出してゐるのは面白い。

[やぶちゃん注:「煤掃」(すすはき)は、煤や誇り等を払って綺麗にすること。特に正月の準備として、普段は手の届かないようなところまで大掃除をすることを言う。江戸時代には公家・武家ともに十二月十三日に行なうのが恒例で、民間でも、多くこれに倣った。起源は少なくとも平安後期に遡る。

「里東」「不玉」ともに「新年」(全)で既注。]

 

   寒夜や棚にこたゆる臼の音 探 志

 

「寒夜」は「サムキヨ」と讀むのであらう。鄰が搗屋でその臼の響がこたへるのだとすれば、小言幸兵衞そつくりだが、さう限定する必要は無い。臼はどこの臼で、何を搗くのでも構はぬ。たゞづしりづしりといふ響が棚にこたへて、棚の上に置いてあるものがその震動を感ずる。若しこれが「壁をへだつる臼の音」とでもあつたら、臼の所在は明になるけれども、句そのものの働きは單純になつて來る。臼の音を臼の音で終らしめず、棚にこたへる點に著眼したのがこの句の特色である。

 はじめて人を訪れた夜など、近く通る汽車の響を地震かと思ひ誤ることがある。住慣れた人は平氣で談笑を續けてゐても、はじめての者には汽車か地震かの判別がつかぬのである。この臼の音ははじめての驚きではない。棚の物が微に[やぶちゃん注:「かすかに」。]こたへるのを見て、又例の臼だなと合點する、稍〻慣れた心持が現れてゐる。それが冬の夜長の闃寂たる氣分と合致してゐるやうに思ふ。

 

   炒豆に鳩をなつけん雪の上 一 秀

 

 一面に降積つた雪の上に、鳩が飛んで來て何かあさつてゐる。彼等の食物も雪の爲に蔽はれてゐるので、手許にある炒豆でも雪の上に投げてやらう、さうして鳩を自分に馴付かせよう[やぶちゃん注:「なつかせよう」。]、といふのである。

 同じ雪の降積つた場合にしても、その上に米を撒いて、寄つて來る雀を捕らうといふのとは違ふ。餌の無い鳩を憐んで豆を投げ與へ、これを馴付けて自分の友にしようといふ、閑居徒然の人らしい趣が窺はれる。菓子の乏しい昔にあつては、炒豆なども座邊に置いてぽつぽつ食べる料の一であらう。その豆を與へるところに、「なつけん」といふ親しい心持がある。鳩に豆は極めて陳腐な取合[やぶちゃん注:「とりあはせ」。]のやうであるが、この句は決してさうではない。寧ろ實感によつてその取合を新に活かしたところがある。

 

   爐びらきや鏝でつきわる灰の石 孟 遠

 

 久しぶりに爐を開いて見ると、寂然たる灰の中に小石のやうに固まつたのが交つてゐる。それを鏝の先で突割つたといふだけのことである。

「灰の石」といふ言葉は、作者の造語らしく思はれる。說明的に云へば「石のやうな灰」であるが、それでは文字が多過ぎる。「石の灰」では石灰と混同せぬまでも、石が燒けて灰になつたやうに取られ易い。或は不十分かも知れぬが、この場合「灰の石」以上に適切な言葉は見當らぬのである。

「末若葉」に「爐びらきやまた形ある雹灰 夜錦」といふ句がある。「雹」は多分「アラレ」とでも讀むのであらう。霰のやうに小粒に固まつた灰の形容らしい。爐を開くに當つて灰に目を留めるのは、格別不思議もないが、灰の固まつたのを「灰の石」と云ひ「雹灰」と云ふのには若干の工夫を要する。精緻な觀察は古人に緣が無いやうに思ふ人は、此等の句を玩味しなければなるまい。

[やぶちゃん注:「末若葉」は「うらわかば」と読む。其角編で元禄一〇(一六九七)年刊。当該句は国立国会図書館デジタルコレクションの『俳人其角全集』第二巻(勝峯晋風編・昭和一〇(一九三五)年彰考館刊)のここで確認出来るが、そこでの表記は、

   *

 爐開やまだ形ある雹灰    夜 錦

   *

となっている。そもそも、岩波文庫版も「また」のままなのだが、この一句を読んだ際、私は、「また」に、激しく躓いた。私は、直感的に、『「爐開き」なのだから、去年の固まった小さな「霰」のような「灰」の塊りが「まだ」そこにあったと、クロース・アップした以外には、考えられない。』と、独り、呟いたのを思い出したのである。一応、他の所収表記を見てみたところ、原本は見られなかったが、検索結果によって、前記全集より以前の、昭和五(一九三〇)年十二月號茶道月報社発行の『茶道月報』に『まだ』の表記で載ることが判った。誰の記事かは判らないが、目次を見るに、一つ、有力なのは、佐々木三味氏の「茶の湯句解(九)」かとも思われる。宵曲が誤記した可能性は、まず、百%、これ、ない! 初版時の誤植(濁音落ち)と考えて間違いない。……九十一年も経って、誰も気づかなかったのだ! 宵曲が、哭くぜ!! これはもう、「岩波文庫さんよ、改版せずんばあらず!」だぜ!!!

柴田宵曲「古句を觀る」正規表現版電子化注 / 「冬」(12)

 

   餅つきや臼も柱も松臭し    諷竹

 

 ちよつと變つた句である。臼も柱も新しいのであらう、餅を搗ついてゐると、松の木の匂がする。住み古りた所帶、持ち傳へた臼では、こんな匂がしさうもない。

 新しい木の香といふものは爽快に相違ないが、云ひ現し方によつては少しく俗になる。作者が鼻に感じた通り、「松臭し」と云つてのけたのは、却つてよく趣を發揮してゐる。「臼も柱も」の一語で、家も臼も新しいことを現したのも、巧な敍法といふべきであらう。

 

   麥まきの寒さや宿はねぶか汁 鼠 彈

 

 蕭條たる冬枯の野に出て麥蒔をする。日和が定つて暖いことも無いではないが、曇つたり、風が吹いたりすれば甚しく寒い。假令さういふ條件が加はらないにしても、日が傾けば寒さはひしひしと迫つて來る。冬郊に働くことは、この一點だけでも慥に樂ではない。

 この句はさういふ麥蒔の人の寒さと、その人たちがやがて歸る家で、葱汁を拵へて待つてゐるといふ事實を描いたのである。麥を蒔く野良の寒さを想ひやつて、歸つて來たら之を犒ふ[やぶちゃん注:「ねぎらふ」。]べく葱汁を拵へた、といふ風にも解せられる。併し宿の方を主にして、野良の寒さは想ひやつただけのものとすると、いさゝか感じの弱められる虞がある。麥蒔を了へて寒い野良から歸つて來る。宿では葱汁を拵へてくれたと見えて、暖さうな匂が鼻をうつ、といふ風に解釋したらどんなものであらう。この葱汁は膳に向つて啜るところまで描かれないでも差支無い。野良の寒さが强ければ强いほど、宿の葱汁の暖さも亦强く感ぜられるのである。

 

   初しぐれ爰もゆみその匂ひかな 素 覽

 

「爰も」といふのは稍〻漠然たる言葉であるが、かういふことだけは想像し得る。

 初時雨の降つてゐる時、町なら町を步いてゐる。今しがたどこかで柚味噌を燒く匂を嗅いだと思つたら、亦こゝでもそれらしい匂がする、といふのであらう。「爰も」といふ以上、何箇所だかわからぬけれども、とにかく複數であることは疑を容れぬ。彼處[やぶちゃん注:「かしこ」。]でも柚味噌の匂を嗅ぎ、こゝでも柚味噌の匂を嗅ぐといふ意味かと思はれる。たゞその彼處此處は、果して町を步きつゝある時に嗅いだものかどうか、句の上に現れて居らぬから、斷定することは出來ない。便宜上さう解したまでである。

 柚味噌といふものは、昔にしても一般的な食物とは思はれぬ。併し時雨の趣を解するやうな人が、初時雨を愛でて柚味噌を燒いてゐるといふほど、殊更な趣向とも解したくない。この句の眼目は時雨の降る冷い空氣と、柚味噌を燒く高い匂との調和に在るので、作者もそこに興味を感じたのであらう。「爰も」といふ言葉は、一句を複雜にすると同時に、多少漠然たるものにした。それは柚味噌が稍〻一般的ならざる食物だからで、鰯や秋刀魚を燒く匂だつたら、平俗を免れぬ代りに「爰も」といふことについて、格別の問題は起らぬかも知れない。

 

柴田宵曲「古句を觀る」正規表現版電子化注 / 「冬」(11)

 

   天井に取付蠅や冬籠 紫 道

 

 生殘りの蠅が天井にとまつて動かぬ。それを「取付」[やぶちゃん注:「とりつく」。]といふ言葉で現したのである。其角が憎まれてながらへる人に擬した通り、冬の蠅は已に活力を失つてゐるが、暖を求めてどこかに姿を現す。天井に見出すのは多くは夜のやうである。天井を離れまいとして、ぢつと取付いてゐる冬の蠅は、憎むといふよりは憐むべきものであらう。

 天井の蠅もぢつとしてゐる。下にいる主人も――恐らくはぢつとしてゐるに相違無い。さういふ冬籠の一角を捉へたのがこの句の眼目である。

[やぶちゃん注:紫道の句は、一読、梶井基次郎の名作「冬の蠅」を想起させる(リンク先は私の古いサイト版)。

「其角が憎まれてながらへる人に擬した」其角編「續虛栗」(貞享(一六八七)年刊)所収の一句。そこでは前書は「寒蠅」(かんばへ)であるが、以下は「五元集」のものを示した。

   *

  寒蠅爐をめぐる

憎まれてながらふる人冬の蠅

   *]

 

   胸に手を置て寢覺るしぐれかな 水 颯

 

 胸に手を置くといふのは、熟考の際にも用ゐられるが、この句のはさうではない。胸の上に手を置いて寢ると、苦しい夢を見てうなされるから、手を載せないやうにしろ、と子供の時分よく云はれた。意識して手を置く筈も無いが、寢てゐる間に自然とさういふ姿勢になるのであらう。子供がうなされた時に注意して見ると、やはり胸に手を載せてゐることが多いやうである。

 この句の中には夢のことは云つてない。併し胸に手を置いて寢た結果、苦しくなつて目が覺めたことは慥である。目を覺して氣がつくと、小夜時雨が庇に寂しい音を立てゝゐる。夜の寢覺に時雨を聞くなどは、陳腐の嫌を免れぬが、たゞさういふ姿勢を取つて寢た爲、目が覺めたといふところに、多少常套を破るものがある。胸苦しい夢を見て目が覺めた刹那の氣持と、小夜時雨といふものとの間にも、何等か調和するところがあるやうに思ふ。

 

   たゝひろき庭も拂はずむら時雨 舍 羅

 

「何がしの院にまかりて」といふ前書がついてゐる。上五字は「たゞひろき」と讀むのか、今の俗語で「だだツ廣い」といふに當るのか、いづれにしても相當廣い庭と思はれる。その庭が掃除も行屆いて居らず、落葉なども拂はずにある。といふのであらうか。「拂はず」といふ言葉は尙他の意にも解せられるが、この場合きちんと片づいてゐないことだけは明である。

 一塵もとゞめず掃き淸められた廣庭に、時雨が降るといふのも一の趣である。片づかぬ庭に時雨が降るといふのも亦一の趣である。兩者共に自然であつて、その間に時雨と撞著するところは無い。强ひて時雨趣味を限定して、統一を圖るなどは無用の沙汰である。

 

柴田宵曲「古句を觀る」正規表現版電子化注 / 「冬」(10)

 

   凩の殘りや松に松のかぜ 十 丈

 

 一日吹きまくつた木枯が、夕方になつて漸く衰へたやうな場合かと思はれる。大分凪いでは來たが、まだ全く吹き止んだわけではない。その名殘の風が松の梢を吹いて、所謂松風らしい音を立てゝゐる。松を吹く風なら何時でも松風であるに相違ないやうなものゝ、木枯の吹き荒む[やぶちゃん注:「すさむ」。]最中では、これを松風と稱しにくい。吹き衰ふるに及んで、はじめて松風らしいものを感じ得るのである。

 北原白秋氏の「雀の卵」に「この山はたゞさうさうと音すなり松に松の風椎に椎の風」といふ歌があつた。ひとり松と椎ばかりではない、吹かるゝものの相異によつて、風の音も自ら異つて來る。それを聞き分けるのが詩人の感覺である。同じ松を吹く風であつても、そこに差別があるなどといふことは、理窟の世界では通用しないかも知れぬが、吾人情感の世界では立派に成立する。風と云へば直に風速何十メートルで計算するものと考へるのは、科學者の天地で吾々の與る[やぶちゃん注:「あづかる」。]ところではない。

[やぶちゃん注:白秋の「雀の卵」は大正三(一九一四)年夏から同六年に至る小笠原・麻布・葛飾での生活で得た歌集(長歌を含む)と詩二篇からなる作品集で、大正十年八月アルス刊。「白木蓮花(はくもくれんくわ)」の中の一首。「夕」という前書で、三首あるものの第一首。三首を並べて示す。国立国会図書館デジタルコレクションの原本の当該部で表記を確認した。

   *

 この山はたゞさうさうと音すなり松に松の風椎に椎の風

 松風の下(した)吹く椎のこもり風なほし幽(かす)かなり雨もかもかかる

 雜木(ざうき)の風ややにしづもれば松風のこゑいやさらに澄みぬ眞間の弘法寺

   *

二首目の「し」は、強意の副助詞で、「かも」は係助詞の結合したもので、疑問の意。「眞間の弘法寺」の「弘法寺」は「ぐはふじ」と読み、千葉県市川市真間にある日蓮宗の由緒寺院である本山真間山弘法寺(グーグル・マップ・データ。以下同じ)。かの寺の守護神は、かの悲恋の少女「真間の手児奈」で、同寺門前に「真間の井」があり、その東直近に「手兒奈靈神」として手児奈霊神堂がある。大学一年の時、高校時代、古典を教えて下さった蟹谷徹先生に手児奈の井戸の写真を見せたく、市川に住む友人の案内で訪れたことがある。]

 

   摺小木の細工もはてず冬籠 蘆 文

 

 冬籠の徒然に任せて摺粉木の細工を思ひ立つた。無論自家用か何かの手輕なものであらう。素人の手に合ふものだけに、わけもないつもりで著手したが、なかなか出來上らない。今日も削り、明日も削り、摺粉木一本が容易に完成せぬ狀態を詠んだものと思はれる。

 普通の内職などでは面白くない。冬籠中にふと思ひついた摺粉木細工で、それが思つたほど捗らず、冬籠の日々を消す、といふところにこの句の妙味がある。摺粉木の細工も長ければ、冬籠の月日も長いのである。

 

   蟲の音も枯て麥ほる烏かな 沙 明

 

 野に鳴く蟲の聲といふものは、夏の末から冬の初に亙る。夜は全く聲がしなくなつてからでも、日當りのいゝところでは、生殘りの蟲が幽に聲を立てることがある。この句はさういふ蟲の聲さへなくなつた冬枯の野で、百姓が折角蒔いた麥を烏が掘りに來る、といふ意味らしい。

 蟲の聲さへ枯れ果てゝ、といふやうなことは歌の方にもありさうな氣がする。たゞ冬枯の畑に烏が下りて麥を掘るといふよりも、蟲の聲も全く聞えなくなつたといふ事實のある方が、時間的な推移を窺ひ得る效果がある。すぐれた句といふわけではないけれども、蕭條たる冬野の空氣を描き得た點において、やはり棄てがたいやうに思ふ。

 

「和漢三才圖會」植物部 卷第八十三 目録・喬木類 𣾰

 

Urusi

 

うるし     桼【本字】

        【和名宇留之】

𣾰

        𩮥物色潤美

        之畧也

ツイ     木蠟【𣾰子也】

 

本綱𣾰木髙二三丈其身如柹其葉如椿皮白花似槐其

子似牛李子木心黃也春分前移栽則易成有利六七月

以竹筒釘入木中取滴汁則成𣾰其汁可以𩮥物金州者

爲佳以物亂之試之微扇光如鏡懸𮈔急似鈎撼成琥珀

色打着有浮漚凡𣾰物難乾得陰濕雖寒月亦乾昜

一種有黃𣾰 出於廣浙中樹似小榎而大六月取汁其

 𣾰物黃澤如金凡入藥當用黑乾𣾰【半夏爲之使畏雞子忌油】

乾𣾰【辛温有毒】 殺蟲行血破日久凝結之瘀血【須炒熟不爾損人腸胃】

 治喉痺欲絕不可針藥者【乾𣾰燒烟以筒吸之】

 漆得蟹而成水蟹見𣾰而不乾葢物性相制也

 凡畏𣾰者嚼蜀椒塗口鼻則可免 生𣾰瘡者杉木

 湯紫蘓湯𣾰姑草湯蟹湯浴之皆良

  夫木紅のをのが身に似ぬ𣾰の木ぬると時雨に何かはるらん爲家

[やぶちゃん注:「をのが」はママ。訓読では、訂した。]

△按𣾰樹陸奧出羽下野𠙚𠙚關東之產稱世之女𣾰爲

 最上日向米良之產次之眞黑塗及小細工家可用之

 和州吉野𣾰者朱及䵮朱必可用中國西國北國皆有

 之而越前之産最下凡入藥可用唐乾𣾰𩮥物唐𣾰不

 佳也凡木噐磁噐破者以𣾰接繼之則不可離如欲復

 離之者蕎麥稈灰汁中投漬其噐則可離

一種波世𣾰【正字未詳】 樹葉似𣾰而瘦小莖赤生山中其木

 𣾰不堪用子亦爲蠟不佳

 大明一統志云朝鮮亦有黃𣾰樹似棕六月取汁𣾰物

 如金本朝黃𣾰未曾有伹以藤黃和𣾰塗則爲黃而已

𣾰子  本草唯謂治下血本朝人採未熟者搾爲木蠟

 作蠟燭再晒煉爲髮油【如膏藥而名伽羅油】其木蠟出於諸國備

 前爲上會津次之凡搔𣾰樹不結子故収子者不取𣾰

 

   *

 

うるし     桼《しつ》【本字。】

        【和名「宇留之」。】

𣾰

        「物を𩮥(ぬ)りて、色、

        潤-美(うるは)し。」

        の畧なり。

ツイ     木蠟(きらふ)【𣾰の子《み》なり。】

 

「本綱」に曰はく、『𣾰《うるし》≪の≫木、髙さ、二、三丈。其の身、柹《かき》のごとく、其の葉、椿《ちん》の皮のごとし。白き花、槐《えんじゆ》に似、其の子《み》、「牛李《ぎうり》」の子に似≪る≫。木≪の≫心、黃なり。春分の前に、移し栽《うう》る時は[やぶちゃん注:「時」は送り仮名にある。]、則ち、成り易き利、有り。六、七月に竹の筒を以つて、木の中に釘《くぎ》≪の如く打ち≫入れ、滴《した》たる汁を取る。則ち、𣾰と成る。其の汁、以つて、物を𩮥《ぬり》するべし。金州の者、佳《よ》しと爲《なす》≪も、僞≫物を以つて、之れを亂す。之れを試るに、微《やや》、扇《あふ》≪れば≫、光《ひかり》、鏡のごとく、𮈔《いと》を懸≪くれば≫、急≪に≫、鈎《かぎ》に似る。撼《ゆら》≪げば≫、琥珀色と成る。打≪ち≫着《つけ》て、浮≪ける≫漚《あは》、有り。凡そ、物を𣾰《ぬ》りて、乾き難≪けれども≫、陰濕を得《え》ば、寒月と雖も、亦、乾き昜《やす》し。』≪と≫。

『一種、「黃𣾰《きうるし》」、有り。』≪と≫。 『廣・浙の中《うち》より出づ。樹、小≪さき≫榎《か》[やぶちゃん注:後述するが、決して「えのき」と読んではいけない]に似て、大なり。六月に汁を取る。其れ、物に𣾰《ぬ》るに、黃≪に≫澤《うるほ》ひて、金のごとし。凡そ、藥に入《いる》るに、當(まさ)に黑く乾《ほし》たる𣾰を用ふべし。【「半夏《はんげ》」、之れの使《し》と爲《な》す。雞子《にはとりのたまご》を畏れ、油を忌む。】。』≪と≫。

『乾𣾰(かんしつ)【辛、温。毒、有り。】 蟲を殺し、血を行《めぐ》らす。日≪の≫久しき凝結の瘀血《おけつ》を破る【須らく、炒熟《いりじゆく》べし。爾《し》からざれば、人の腸胃を損ず。】』≪と≫。

『喉《のど》≪の≫痺《しびれ》、絕えんと欲して、針・藥すべからざる者≪を≫治す【乾𣾰を燒き、≪其の≫烟《けぶり》を、筒を以つて、之れを吸ふ。】。』≪と≫。

『漆、蟹《かに》を得て、水と成る。蟹は𣾰を見て、乾《かは》かず。葢し、物性、相《あひ》、制すなり。』≪と≫。

『凡そ、𣾰を畏《おそれ》る者、蜀椒《しよくしやう》を嚼(かん)で、口・鼻に塗るには、則ち、免《まぬか》る。』≪と≫。『𣾰瘡《うるしかぶれ》を生ずる者、「杉木湯《さんぼくたう》」・「紫蘓湯《しそたう》」・「𣾰姑草湯《しつこさうたう》」・「蟹湯《けいたう》」にて、之れを浴(あ)びれば、皆、良《りやう》なり。』≪と≫。

 「夫木」

   紅(くれなゐ)の

      おのが身に似ぬ

     𣾰の木

    ぬると時雨(しぐれ)に

           何かはるらん 爲家

△按ずるに、𣾰の樹、陸奧・出羽・下野、𠙚𠙚《ところどころ》、關東の產、「世之女𣾰(せしめ《うるし》)」と稱す《→して》、最上と爲す。日向の米良(めら)の產、之れに次ぐ。眞黑塗(しん《くろぬり》)、及び、小細工家(《こざいく》や)、之れを、用ふべし。和州吉野の𣾰は、朱、及び、䵮朱(うるみ《しゆ》)、必ず、用ふべし。中國・西國・北國、皆、之れ、有≪といへども≫、越前の産、最も下《げ》なり。凡そ、藥に入《いる》るには、唐(もろこし)の乾𣾰(かんしつ)を用ふべし。物を𩮥(ぬ)るには、唐𣾰《たうしつ》、佳《か》ならざるなり。凡そ、木噐・磁噐、破(わ)れたる者、𣾰を以つて、之れを接-繼(つぎつ)ぐ。則ち、離《はな》るべからず。如《も》し、復《また》、之れを離たんと欲する者≪は≫、蕎-麥-稈(そばがら)の灰-汁(あく)の中へ、其の噐《うつは》を投≪じ≫漬《つけ》れば、則ち、離るべし。

一種、「波世𣾰《はぜうるし》」【正字、未だ詳かならず。】 樹・葉、𣾰に似て、瘦≪せて≫、小《ちさ》く、莖、赤≪し≫。山中に生ず。其の木の𣾰、用《もちひ》るに堪へず。子(み)も亦、蠟に爲《なし》て《→なすと雖も》、佳《か》ならず。

「大明一統志」に云はく、『朝鮮にも、亦、「黃𣾰≪の≫樹」、有り。棕(しゆろ)に似、六月、汁を取りて、物に𣾰《ぬ》る。金のごとし。』と云《いへ》り[やぶちゃん注:「云」は送り仮名にある。]。本朝に、「黃𣾰」、未だ曾《かつ》て、有らず。伹し、「藤黃(きわう)」を以つて、𣾰に和(ま)ぜて、塗《ぬる》は、則ち、黃《き》と爲《な》すのみ。

𣾰の子(み)  「本草」[やぶちゃん注:「本草綱目」。]、唯《ただ》、『下血を治す。』と謂ふのみ。本朝の人、未だ熟せざる者を採りて、搾(しぼ)りて木蠟に爲《なし》、蠟燭に作る。再たび、晒煉《さらしね》りて、髮の油と爲す【膏藥のごときにして、「伽羅《きやら》の油」と名づく。】。其の木蠟、諸國より出づ。備前を上と爲す。會津、之れに次ぐ。凡そ、𣾰を搔《かき》たる樹、子《み》を結ばず。故《ゆゑ》、子を収《をさむ》る者は、𣾰を取らず。

 

[やぶちゃん注:𣾰」(=漆)は、日中ともに、タイプ種は、

ムクロジ目ウルシ科ウルシ属ウルシ Toxicodendron vernicifluum

である(学名を音写すると「トクシコデンドロン・ヴァーニシフルウム」である)。私は、四十代後半に、伊豆高原を散策中、葉に一瞬触れただけで、翌日、突如、かぶれた。結果して、類似物質を持つ、大好物であったマンゴーも、キウイも、食せなくなった関係上、恨み骨髄である。当該ウィキを引く。『和名の由来は、紅葉する葉の美しさから「うるわしの木」と言ったのがウルシになったという説がある』。中文名の樹名は「漆樹」である(中文当該ウィキをリンクさせたが、思いの外、極めて記載が少ない)。『樹高』は三~十メートル 『以上になり、太さは樹齢が高いもので直径』一メートル『以上にもなる』。『雌雄異株。樹皮は灰白色』。『葉は奇数羽状複葉で、卵形か楕円形の小葉は』三~九『対からなり、秋には紅葉する』。『花は』六月頃で、『葉腋に黄緑色の小花を『多数』、『総状につける』。『果実はゆがんだ扁平の核果で』十月頃、『成熟して黄褐色となる。近似種のヤマウルシ』(ヤマウルシ Toxicodendron trichocarpum :種小名音写「トリコカルプム」)『と比較して果実に毛が無い』。『アジアが原産。中国・朝鮮・日本で漆を採取するため』、『古くから広く栽培されていた。特に渓谷沿いなど』、『比較的湿潤な環境に植栽されることが多く、野生化した個体も見られる』。『日本には中国経由で渡来したという説がある』。『しかし、中国より古い時代の漆器が日本の縄文時代の遺跡から発掘されており、また』、『自然木と考えられるウルシも縄文時代より日本各地で出土していることから』。『中国から持ち込まれたのではなく、日本国内に元々自生していた可能性も考えられる。また、採取法の違いなどから、日本の漆器を独自のものとする説もある』。一九八四『年に福井県若狭町の鳥浜貝塚で出土した木片を』、二〇一一『年に東北大学が調査したところ、およそ』一万二千六百『年前のものであることが報告されているが、これが』、『いまのところ』、世界『最古のウルシである』。『古くから、樹皮を傷つけて生漆を採り、果実は乾かした後に絞って木蝋を採ることができる商品作物として知られており、江戸時代には広島藩などで大規模な植林が行われていた記録が残る』。『北海道の網走にあるウルシ林は、幕末の探検家、松浦武四郎がアイヌの人々に漆塗りを伝えようとの考えで植えたものが伝わったといわれる』。『塗料としての漆は、塗りが美しいばかりではなく、保ちがよく』、『劣化しにくい長所がある』。『寒い地方のものが漆としての品質が優れるとされ、津軽塗や会津塗などが有名である』。『材は、耐湿性があり、黄色で箱や挽き物細工にする』。『若い新芽の部分は食べることができ、味噌汁や天ぷらにすると美味しく食べられるとも言われるが、後述するようにウルシかぶれが発生する事が考えられるので、食べない方が無難である』。『また、「東医宝鑑」』(李氏朝鮮時代の医書。全二十三編二十五巻。許浚著。一六一三年(日本:慶長十八年/中国:明(晩期)萬曆四十一年)に刊行され、朝鮮第一の医書として評価が高く、中国・日本を含めて広く流布した)『においては』、『ウルシを材料とした漢方薬や、薬効に関しての記述があり、本書では固形化したウルシの樹液をじっくり煎って粉末にしたものを「乾漆」として漢方薬の材料として記載している。 このことから、古くからウルシは』、『それがもたらす薬効が期待され、医学の面でも利用があったといえる』。『中国の雲南省怒江では』、『実の』三十『%を占める油を食用にする』。『アレルゲンが含まれているため』、『リスクがあるが』、二『つの方法で克服している。ひとつは加工で、もうひとつは体質である。加工とは』、『まず』、『漆の実を粉砕し、煮詰めてアレルゲンを揮発させる方法である』。『このあと』、『圧搾し』、『油を得る』。『このようにして得たウルシの油には蝋の成分も含まれるため』、四十七『度以下で凝固するが、これは保存に有利となり』、一『年はもつ』。『体質は長い歴史の中で現地の人々が環境に適応し、耐性を得たもの』を言う。『本種をはじめ、近縁種はアレルギー性接触性皮膚炎』『(いわゆる「ウルシかぶれ」)を起こしやすいことで有名である。これは、ウルシオール』(Urushiol)『という物質によるものである。人によっては、ウルシに触れなくとも、近くを通っただけでかぶれを起こすといわれている。また、山火事などでウルシなどの木が燃えた場合、その煙を吸い込むと』、『気管支や肺内部がかぶれて呼吸困難となり、非常に危険である』。以下、「ウルシ属」として十四属亜種二種のリストがある。それらの内、中国に分布して本邦に自生しない種もあろう。

 良安の「本草綱目」のパッチワーク引用(本文はかなり長い)は、「卷三十五上」の「木之二」「喬木類」(「漢籍リポジトリ」)の「漆」(ガイド・ナンバー[085-18a]以下)から。良安の原文が盛んに字空けを施してので判る通り、かなり、あちこちの部分を切り出して繋げてあることが判明する。

「𩮥(ぬ)りて」この漢字は、「黒い」「赤黒い」形容詞、また、「やや黒みがかった赤色の漆」という名詞、而して、「その漆を塗る」という動詞でもあり、ここは最後のそれである。

「木蠟(きらふ)」通常は「もくらう(もくろう)」と読む。ウィキの「木蝋」によれば、『木蝋(もくろう)(Japan wax)とは、生蝋(きろう)とも呼ばれ、ウルシ科のハゼノキ(Japanese wax tree)』(ウルシ属ハゼノキ  Toxicodendron succedaneum :音写「サクスィデイニアム」:漢字表記「櫨の木」「櫨」「黄櫨の木」「黄櫨」)『やウルシの果実を蒸してから、果肉や種子に含まれる融点の高い脂肪を圧搾するなどして抽出した広義の蝋。果実全体の約』二十『%を占める』。『化学的には狭義の蝋であるワックスエステル』(Wax ester)『ではなく、中性脂肪(パルミチン酸、ステアリン酸、オレイン酸)を主成分とする。また粘性の高い日本酸(Japanic acid)を含んでいる』。『搾ってから』、『そのまま冷却して固めたものを「生蝋」(きろう)と呼ぶ。収穫した果実をすぐに抽出した生蝋は褐色であるが、半年程度寝かせた果実を抽出すると黄土色に近い色の生蝋になる』。一『年程度寝かせたものからは緑がかった色の生蝋が抽出できる。櫨の種類により生蝋の緑色の程度や風合いが異なる』。『蝋燭、特に和ろうそく(Japanese candle)の仕上げなどには、生蝋をさらに天日にさらすなどして漂白した白蝋(はくろう)を用いる。かつては蝋燭だけでなく、びんつけ、艶(つや)出し剤、膏薬などの医薬品や化粧品の原料として幅広く使われていた。このため』、『商品作物として明治時代まで西日本各地で盛んに栽培されていた』。『長崎県では島原藩が藩財政の向上と藩内の経済振興のため、特産物として栽培奨励をしたため、島原半島で盛んにハゼノキの栽培と木蝋製造が行われた。特に昭和になってから選抜された品種である「昭和福櫨」』(ショウワフクハゼ:品種学名は調べてみても発見出来なかった)『は、果肉に含まれる蝋の含有量が多く、島原半島内で広く栽培された。木蝋製造は島原市の本多木蝋工業所が伝統的な玉絞りによる製造を続け、伝統を守っている』。『愛媛県では南予一体、例えば内子(現:内子町)や川之石(現:八幡浜市、旧・西宇和郡保内町)は、ハゼノキの栽培が盛んであった。中でも内子は、木蝋の生産が盛んで、江戸時代、大洲藩』六『万石の経済を支えた柱の一つであった。明治期には一時、海外にも盛んに輸出された』。『第二次世界大戦以前は、日本国外にも通用する輸出品としても重要視されており』、昭和一五(一九四〇)『年には』、「重要輸出品取締法」に『基づく重要輸出品目に木蝋が加えられて』あった、とある。

「椿《ちん》」ツバキではなく、双子葉植物綱ムクロジ目センダン科Toona属チャンチン Toona sinensisであることは、先の「椿」で立証済み。

「槐《えんじゆ》」マメ目マメ科マメ亜科エンジュ属エンジュ Styphnolobium japonicum 。中国原産で、当地では神聖にして霊の宿る木として志怪小説にもよく出る。日本へは、早く八世紀には渡来していたとみられ、現在の和名は古名の「えにす」が転化したもの。

「牛李《ぎうり》」東洋文庫訳では、割注して、『(李(すもも)の一種)』とするのだが、中文サイトで調べてみても、「牛李」の熟語は見当たらない。ただ、「維基百科」でラテン語の科と属の学名と、関わりそうな漢語フレーズの検索を繰り返しやっているうちに、一つ、目が留まったのは、バラ目バラ科スモモ亜科スモモ属 Prunus ではないが、同じバラ目バラ科Rosaceaeのサクラ属カラミザクラ Cerasus pseudo-cerasus であった。同種の「維基百科」の中文名は「中國櫻桃」であるが、そこに、同種の古称として、『牛桃』が挙がっていたからである。御存知とは思うが、実は、国によって、サクラ属Cerasus、或いは、スモモ属 Prunus とする違いが発生しており、広義には、この異なった種が、広義には、同一グループに属するとする立場があるのである(詳しくはウィキの「サクラ属」を見られたい)。私は「牛李」をカラミザクラと同定するというのではない。一つの可能性としてここに示しておくに過ぎない。

「金州」現在の陝西省。

「之れを試るに、微《やや》、扇《あふ》≪れば≫、光《ひかり》、鏡のごとく、𮈔を懸≪くれば≫、急≪に≫、鈎《かぎ》に似る。撼《ゆら》≪げば≫、琥珀色と成る。打≪ち≫着《つけ》て、浮≪ける≫漚《あは》、有り。」この部分、何を言いたいのか、私にはよく判らない箇所がある。東洋文庫訳は、

   《引用開始》

本ものかどうかを試す要点は、本ものなら微(かす)かに扇(あお)ると光って鏡のようで、糸状に垂下させると急に鈎のようになる。ゆらぐと琥珀(こはく)色になる。打ちつけると泡が浮く。

   《引用終了》

とあるのだが、担当訳者竹島淳夫氏も、訳に困って、ここを後注して、『いちおうこのように訳しておいたが、よく分からない。原文は「微扇光如鏡。懸糸急似鈎。撼成琥珀色。打着有浮漚」である』とされておられるのである。ここの「本草綱目」の原文は、「漆」の「集解」の終り近く(「漢籍リポジトリ」のここの[085-18b]の五行目以下)に当たる。竹島氏が引用された前後の部分(終りは「集解」の最後まで)を含めて、以下に引いておく(推定で句点を入れた)。

   *

金州者為佳、故世稱金漆人多、以物亂。之試訣有云、「微扇、光如鏡、懸絲急似鈎、撼成琥珀色。打著有浮漚。」。今廣浙中出一種、漆樹似小榎而大、六月取汁、漆物黄澤、如金。即唐書所謂黄漆者也。入藥仍當用黑漆、廣南漆作飴、糖氣沾沾無力。

   *

「黃𣾰」不詳。ウルシ属の一種かと思われるが、中国での同属群のリストがないので、判らない。なお、本邦の辞書で「黄漆」を引くと、バラ亜綱セリ目ウコギ科カクレミノ属カクレミノ Dendropanax trifidus のことと出るが、このカクレミノ(当該ウィキはここ)は日本と台湾にしか分布しないので、当たらないので、注意されたい。但し、当該ウィキによれば、カクレミノの『樹脂は古代には塗料として利用されていたと推定されており、「金漆」と呼ばれていた。この塗料は「漆」の名前はつくものの、ウルシオールを主成分とする漆とは異なり、主成分はポリアセチレンである』。『光により硬化するとの寺田晁による報告がある。(漆は酵素による硬化なので反応機構も異なる。)漆の成分と混同されてかぶれるとの言説が広がっているが、かぶれるとは考えにくく、また、かぶれるにしても、ウルシオールが原因ではないことは確実である』とあった。因みに、私は、カクレミノの木を、今月の初めに行った伊東の温泉の庭樹で、初めて見た。

「廣」「廣州」。現在の中国の広西省・広東省。

「浙」現在の浙江省の大部分を指す。

「小≪さき≫榎《か》」割注で述べた通り、これは、現在の日本語の「榎」(えのき:バラ目アサ科エノキ属エノキ Celtis sinensis )ではない。なお、ウィキの「榎」では、安易に『漢字の「榎(エノキまたはカ)」は夏に日陰を作る樹を意味する和製漢字である』。『音読みは「カ」。「榎」は、中国渡来の漢字ではなく、日本の国字の一つである』と断定しているが、これはトンデモない誤りである。中国語に「榎」は存在する。而して、その漢語「榎」は「檟」と同義であり、小学館「日中辞典」によれば、「檟」は「トウキササゲ」=「楸」の古名、或いは、「チャの木」=「茶」の古名とあるのである。則ち、この時珍の言う「榎」が示す種は、

シソ目ノウゼンカズラ科キササゲ属トウキササゲ Catalpa bungei

か、

所謂、「茶」、ツツジ目ツバキ科ツバキ属チャノキ Camellia sinensis 

の孰れかとなる。この箇所、「小榎」となっており、前者のトウキササゲは実に三十メートルにも達する高木である。一方、チャノキの基準変種チャノキ(Camellia sinensis var. sinensis )で樹高は五・五メートルにしかならない。ウルシの木は三~十メートル以上だから、ここは、前者のトウキササゲを採りたい

「半夏《はんげ》」単子葉植物綱ヤシ亜綱サトイモ目サトイモ科ハンゲ属カラスビシャク Pinellia ternata のコルク層を除いた塊茎。嘔気や嘔吐によく使われる生薬である。私の「耳囊 卷之七 咳の藥の事」も参照されたい。

「使《し》」何度も出た「補助薬」の意。

「瘀血《おけつ》」血液が流れ難くなり、体の中に滞ってしまうことで起こる病態を言う。

「漆、蟹《かに》を得て、水と成る。蟹は𣾰を見て、乾《かは》かず。葢し、物性、相《あひ》、制すなり」この話、私のサイト版「和漢三才圖會 卷第四十六 介甲部 龜類 鼈類 蟹類」の「かに 蟹」の「本草綱目」の引用の中に、

    *

蟹黃能化漆爲水故塗漆瘡用之其螯焼煙可集鼠於庭也食鱓中毒者食蟹則解

   *

蟹の黃《こ》、能く、漆を化して、水と爲《せ》る。故に、漆-瘡(うるしまけ)に塗り、之れを用ふ。其の螫(はさみ)、煙りに燒きて、庭に鼠を集むるべし。鱓《せん》を食ひて毒に中《あた》る者、蟹を食へば、則ち、解す。

   *

とあったのだが、私は、仙術めいた話で、注するに当たらないと思い、『「鱓」はとりあえず「和漢三才圖會 卷第五十 魚類 河湖無鱗魚」の該当項に随うならば、タウナギ目タウナギ科タウナギ Monopterus aibus である。東洋文庫版では、これを根拠を示さずに、海産の「うみへび」と訓じている。しかし、これは爬虫綱有鱗目ヘビ亜目ウミヘビ科 Hydrophiidae では絶対にあり得ず、ウナギ目アナゴ亜目ウミヘビ科 Ophichthidae の一種を指すか、又は、現在、本字が一般的に指すところのウナギ目ウツボ亜目ウツボ科 Muraenidae のウツボ類の一種を指しているのであろうと思われる。私は、中国で、食ってあたると普通に言う場合の魚種としては、タウナギ以外には考えられない気がする』という注を附しただけで、お茶を濁していた。今回、調べてみたところ、素敵な記事を発見した。ブログ・サイト「note」の漢学者川口秀樹氏の『中国科学説話雑識~古代中国のSF的記述~ 4 「漆と蟹」』である。やはり、根っこは、仙道にあることが、川口氏の非常に解りやすい訳で示されているので、是非、読まれたい(私はページ全体を保存した)が、その最後で、実は、私が、信ずるに足らないと無視した「蟹」と「漆」の関係を化学的に考証されている箇所に至って驚いた! 以下、引用させて戴く。

   《引用開始》

 さて、それでは蟹が漆を駄目にすると言うことは事実なのでしょうか、そして、化学的に説明ができるのでしょうか。

 実は、ジョセフ・ニーダムが『中国の科学と文明』の中で、甲殻類の殻に含まれる成分が、ラッカーゼの作用を阻害して漆を固まらなくする、という趣旨のことを書いています。しかも重合も妨げられるので、加熱しても「焼漆」にもならないということです。つまり、蟹の甲羅には、非常に強力なラッカーゼ阻害物質(今回の調査では具体的なところまで探れませんでした)が含まれているということです。

 しかし、そうすると、「蟹治漆」の話のように、漆を溶かすことができるかどうかは疑問あります。「蟹治漆」の記述から判断する限り、固まった漆を溶かしているように見えるからです。これだと、ラッカーゼの作用を阻害しようにも、もうその余地はありませんから、主成分であるウルシオールそのものを分解することができなければなりません。しかし、いくら蟹でもそのような成分は含んでないでしょう。先にも述べたように、漆はきわめて安定した物質なのです。

 あるいは、里長が訪れたときには、まだ漆を眼に塗られただけで固まっていなかったのかもしれませんが、飛躍した空想としておくのが無難なところでしょう。

 これで、「蟹治漆」最大の焦点には一応の説明が付きました。しかし、もう一つの蟹の作用が残っています。蟹の汁が傷を治すという部分です。

 最近はキチンとか甲殻類から抽出した成分が医薬品や健康食品などに使われています。別にキチンが傷に効くわけではないですが、そう考えると薬効がありそうな気もします。

 実は、この「蟹の汁が傷を治す」というのも、唐以前にすでに言い伝えられていたようなのです。

 唐代の『冥報記』という仏教関係の小説を集めた書物に、比丘尼の修行という女性が死後 に幽霊となって現れたという話があります。その中で修行は姉に対して、「私は子供の頃に病気になった時、一匹の蟹を殺して、その汁を瘡に塗ったら治った」と話しています(『太平広記』巻103)。この場合、「瘡」と書いてありますから、ある種の出来物なのでしょう。

 日本にも、比較的新しいですが、漆を蟹で治療する例はあって、曲亭馬琴の『南総里見八犬伝』には、「漆は蟹を忌もの也。されば、漆を掻く家にて、もし蟹を烹ることあれば、漆ながれてよらずとなん。よりて思ふに、今その瘡は、漆の毒に觸たるのみ。内より發きしものならぬに、蟹をもてその毒を觧ば、立地に愈もやせん。用ひて見よ」と、「蟹が漆をダメにする」「蟹が漆かぶれを治療する」と記されています。

 人間国宝の故・松田権六氏の『うるしの話』の中にも、漆によるかぶれを治すのに沢蟹をつぶして塗る、という話が見え、漆を扱う人々の間では、古くから伝えられ、実際に行われてきたことのようです。

 また、中国医学の処方を調べると、蟹を使って骨折や打撲による傷の治療を行うという記述がいくつか見られます。鬱血を散らし、経絡を通じさせて、筋骨の修復を促し、熱を下げる効果があるとされています。使い方は簡単で、蟹を焼いてから砕いて粉末にして、酒で飲むというものです。

   《引用終了》

「蜀椒《しよくしやう》」双子葉植物綱ムクロジ目ミカン科サンショウ Zanthoxylum piperitum の果皮が「花椒」「蜀椒」と呼ばれて健胃・鎮痛・駆虫作用を持つ。日本薬局方ではサンショウ Zanthoxylum piperitum 及び同属植物の成熟した果皮で種子を出来るだけ除去したものを生薬山椒としている。

「杉木湯《さんぼくたう》」『杉本商店(杉本うるし/うるし工芸の杉本)のホームページ運営責任者が開設するブログ』とある「うるし屋さんの独り言」の「漆かぶれについて(発症率)」の「コメント」にあるブログ主の答えの中に、「漆聖」と呼ばれた人間国宝蒔絵師松田権六の「うるしの話」(旧・岩波新書(一九六四年:多分、持っているが、書庫藻屑となり、サルベージ不能)・現・岩波文庫(二〇〇一年)の中に、『蟹汁という話は良く聞きます』。『(松田権六著 うるしの話P70にも記述あり。)』。『同著には海水、ホウ酸、杉の葉などの記述もあります』。『他には栗や桔梗なんていう話も聞きます』とあった。

「紫蘓湯《しそたう》」シソ目シソ科シソ属エゴマ変種シソ Perilla frutescens var. crispa の、葉が赤いものを、湯に入れたもの。入浴法に実際にある。

「𣾰姑草湯《しつこさうたう》」「𣾰姑草」は、ごく一般に見られるナデシコ目ナデシコ科ツメクサ属ツメクサ Sagina japonica で、中国にも分布する。それを入れた湯。

「蟹湯《けいたう》」前の仙道系の話を受けたものであろうが、蟹の汁を附ける程度ならいいが、浴槽に入れるのは、ちょっと臭過ぎて、遠慮したい。

「夫木」「紅(くれなゐ)のおのが身に似ぬ𣾰の木ぬると時雨(しぐれ)に何かはるらん」「爲家」「夫木和歌抄」の「卷廿九 雜十一」にある一首。「日文研」の「和歌データベース」のこちらで確認した。ガイド・ナンバー「14070」が、それ。

「世之女𣾰(せしめ《うるし》)」「日本国語大辞典」に、「石漆・瀬〆漆」とし、『切って水にひたしておいた漆の木の枝からかき取った漆汁。粘りが強く、接着力が強い。転じて、「せしめる」にかけて、うまく手に入れる、自分の物にするの意に用いられた』とあり、初出例は談林の俳諧撰集「點滴集」(延宝八(一六八〇)年序)の「三」とあった。「和漢三才圖會」は正徳二(一七一二)年成立であるから、この前後の半世紀には定着していた語と読める。東洋文庫後注では、『せしめ漆とは漆の枝を小刀で傷つけて掻きとった液。ねばり强くて上級品とされる』とある。

「日向の米良(めら)」現在の宮崎県児湯(こゆ)郡西米良村(にしめらそん:グーグル・マップ・データ航空写真)。当該ウィキによれば、『九州山地のただ中に位置し、面積の』九十六『%を森林が占める山村で』、『宮崎県内では最も総人口の少ない基礎自治体でもある』とある。

「眞黑塗(しん《くろぬり》)」黒漆で塗った工芸品。黒漆は、嘗つては、「透き漆」(上質の生漆(きうるし) から水分を除去して透明度を高めたもの)に油煙などを混ぜて黒くしたが、現代では鉄分や鉄の化合物を用いてつくる。

「䵮朱(うるみ《しゆ》)」東洋文庫訳の割注に、『(黒みがかった朱)』とある。

「唐(もろこし)の乾𣾰(かんしつ)」「唐𣾰《たうしつ》」調べる限り、中国の漆は基原植物に大きな違いはないように思われる。恐らくは、処理・精製工程に違いはあるとは思われる。

「蕎-麥-稈(そばがら)」蕎麦殻。ソバ(タイプ種はナデシコ目タデ科ソバ属ソバ Fagopyrum esculentum当該ウィキの「原産地」に拠れば、『ソバの原産地は中国北部からバイカル湖付近であるという説』が、一『世紀以上に』亙って)『信じられていた』が、一九八〇年代から二〇〇〇年代に『かけて植物学者の大西近江ら』が、『インド、チベット、四川省西部など各地に自生するソバを採集し』、『集団遺伝学的研究を行った結果、中国南部に野生祖先種 Fagopyrum esculentum ssp. ancestraleなど』の『ソバ属の植物が自生していることなどを見出し、「ソバの原産地は雲南省北部の三江併流と呼ばれる地域」であると唱えた。現在、これが有力視されている』とあった)を収穫して、数日間、天日乾燥させ、ソバの実を取り去った後に残った殻で、当該ウィキによれば、『蕎麦粉を精製するときに、実とともに引いて風味を出す場合もある』。『寝具の枕の中身として使われることが多い。近年は蕎麦アレルギー他の理由で、蕎麦殻枕の需要は伸びていない』。『そのため、多くが産廃として処分され、その有効利用が課題となっている。例えば、蕎麦殻燻炭として土壌改良材として利用されたり、菌床の添加剤として茸栽培に用いられる。最近は、バイオ燃料利用のために家畜用の飼料トウモロコシ他が高騰して以来、その代替自給飼料として、利用されている』とあるのみで、蕎麦殻の灰汁(あく)と漆のフレーズ検索をしても、漆で接合した器を、分離させる効果があるというのは、見出せなかった。実際にやってみたい気もするが、ソバとウルシ――アレルギー繋がりと関係するのは、民俗社会の類感呪術的ニュアンスを、ちらりと私は感じたことを附記しておく。

『「波世𣾰《はぜうるし》」【正字、未だ詳かならず。】』良安は正式な本邦での漢字表記を知らないとするが、以下に見る通り、現行では「櫨漆」或いは「黄櫨漆」である。彼は既出の「黃櫨」とダブってしまうので、それを認めない立場をとったのであろう。注で既出のムクロジ目ウルシ科ウルシ属ハゼノキ Toxicodendron succedaneum から採取した漆である。既に「黃櫨」の冒頭で注したが、再掲しておく。現代の中文名は「野漆」で、同中文ウィキでは、異名を「野漆樹「大木漆」「山漆樹」「癢漆樹」「漆木」「檫仔漆」「山賊子」と挙げるのみで、「黃櫨」は記されていない。同種は中国・インドシナ原産で、琉球から最初に渡来したので、「リュウキュウハゼ」の名もある。本邦の当該ウィキによれば(注記記号は省略した)、『ハゼノキ(櫨の木・櫨・黄櫨の木・黄櫨)『はウルシ科ウルシ属の落葉小高木。単にハゼとも言う。東南アジアから東アジアの温暖な地域に自生する。秋に美しく紅葉することで知られ、ウルシほどではないがかぶれることもある。日本には、果実から木蝋(Japan wax)を採取する資源作物として、江戸時代頃に琉球王国から持ち込まれ、それまで木蝋の主原料であったウルシの果実を駆逐した』。『「ハゼ」は古くはヤマウルシ』(ウルシ属ヤマウルシ Toxicodendron trichocarpum )『のことを指し、紅葉が埴輪の色に似ていることから、和名を埴輪をつくる工人の土師(はにし)とし、それが転訛したといわれている』。『別名にリュウキュウハゼ(紅包樹)、ロウノキ、トウハゼなど。果実は』「薩摩の実」(薩摩藩が不当に琉球を実行していたことによる)『とも呼ばれる。中国名は、野漆 (別名:木蠟樹)』。『日本では本州の関東地方南部以西、四国、九州・沖縄、小笠原諸島のほか、朝鮮半島南西沖の済州島、台湾、中国、東南アジアに分布する。低地で、暖地の海に近い地方に多く分布し、山野に生え、植栽もされている。日本の山野に自生しているものは、かつて果実から蝋を採るために栽培していたものが、それが野生化したものが多いともいわれる。明るい場所を好む性質があり、街中の道端に生えてくることもある』。『ときに、庭の植栽としても見られる』。『雌雄異株の落葉広葉樹の小高木から高木で、樹高は』五~十『メートル』『ほどになる。樹皮は灰褐色から暗赤色で、縦に裂けてやや網目状の模様になる。一年枝は無毛で太く、縦に裂ける皮目がある』。『葉は奇数羽状複葉で』、九~十五『枚の小葉からなる。小葉は少し厚くて細長く、長さ』五~十二『センチメートル』『の披針形で先端が尖る。小葉のふちは鋸歯はついていない。表面は濃い緑色で光沢があるが、裏面は白っぽい。葉軸は少し赤味をおびることがある。秋には常緑樹に混じって、ウルシ科特有の美しい真っ赤な色に紅葉するのが見られる。秋にならないうちに、小葉の』一~二『枚だけが真っ赤に紅葉することもある』。花期は』五~六『月』で、『花は葉の付け根から伸びた円錐花序で、枝先に黄緑色の小さな花を咲かせる。雄花、雌花ともに花弁は』五『枚。雄花には』五『本の雄しべがある。雌しべは』三『つに分かれている』。『秋に直径』五~十五『ミリメートル』『ほどの扁平な球形の果実が熟す。果実の表面は光沢があり無毛。未熟果実は緑色であり、熟すと黄白色から淡褐色になる。中果皮は粗い繊維質で、その間に高融点の脂肪を含んだ顆粒が充満している。冬になると、カラスやキツツキなどの鳥類が高カロリーの餌として好んで摂取し、種子散布に寄与する。核は飴色で強い光沢があり、俗に「きつねの小判」、若しくは「ねずみの小判」と呼ばれる』。『冬芽は互生し、頂芽は円錐状で肉厚な』三~五『枚の芽鱗に包まれており、側芽のほうは』、『小さな球形である。落葉後の葉痕は心形や半円形で、維管束痕が多数見える』。『個人差はあるものの、樹皮や葉に触れても普通はかぶれを起こさないが、葉や枝を傷つけると出てくる白い樹液が肌に触れると、ひどくかぶれをおこす。また、枝や葉を燃やしたときに出る煙でも、かぶれることがある』。『よく似ている樹種に』同属の『ヤマハゼ』( Toxicodendron sylvestre:種小名音写「シルベストオル」)『があり、ヤマハゼは葉の両面に細かい毛が生えていて、紅葉が赤色から橙色で、鮮やかさはハゼノキよりも劣る印象がある。ハゼノキは葉の表裏ともに毛がない点で、日本に古来自生するヤマハゼと区別できる』。『果実を蒸して圧搾して採取される高融点の脂肪、つまり木蝋は、和蝋燭(Japanese candle)、坐薬や軟膏の基剤、ポマード、石鹸、クレヨン、化粧品などの原料として利用される。日本では、江戸時代に西日本の諸藩で木蝋をとる目的で盛んに栽培された。また、江戸時代中期以前は時としてアク抜き後焼いて食すほか、すり潰してこね、ハゼ餅(東北地方のゆべしに近いものと考えられる)として加工されるなど、救荒食物としての利用もあった。現在も、食品の表面に光沢をつけるために利用される例がある』。二十『世紀に入り安価で大量生産可能な合成ワックスにより、生産が低下したが、近年』、『合成ワックスにはない粘りや自然品の見直し気運などから需要が増えてきている』。『木材は、ウルシと同様心材が鮮やかな黄色で、工芸品、細工物、和弓、櫨染(はじぞめ)などに使われる。櫨染は、ハゼノキの黄色い芯材の煎じた汁と灰汁で染めた深い温かみのある黄色である。なお、日本の天皇が儀式に着用する櫨染の黄櫨染御袍(こうろぜんのごほう)』同ウィキがあり、画像もあるので見られたい)『の色素原料は同じウルシ属のヤマハゼになる』。『美しい黄緑色の木蝋が採取でき、融点が高いため、和蝋燭の上掛け蝋(手がけ和蝋燭の一番外側にかける蝋)として利用される』。『通常、櫨に含まれる蝋分は』二十『%程度であるが、この櫨の実に占める蝋分は』三十~三十五『%と圧倒的に高いため、採取効率が最も良いとされる。以下、「主な種類」として、長崎県島原市原産の「マツヤマハゼ(松山櫨)」、松山櫨から品種改良された福岡県小郡市が原育成地で主産地を熊本県水俣市とする「イキチハゼ(伊吉櫨)」、愛媛県の優良品種「オウハゼ(王櫨)」が挙げられているが、品種と言いながら、学名は他で調べても見当たらない。『日本への渡来は安土桃山時代末の』天正一九(一五九一)年に『筑前の貿易商人 神屋宗湛や島井宗室らによって中国南部から種子が輸入され、当時需要が高まりつつあった蝋燭の蝋を採取する目的で栽培されたのが始まりとされる。他方、大隅国の』武将『禰寝重長』(天文五(一五三六)年~天正八(一五八〇)年)『が輸入して初めて栽培させたという説もある』。『江戸時代は藩政の財政を支える木蝋の資源植物として、西日本の各藩で盛んに栽培された』。『その後、江戸時代中期に入って中国から琉球王国を経由して、薩摩藩でも栽培が本格的に広まった。薩摩藩は幕末開国後の』慶応三(一八六七)年には、『パリ万国博覧会に』、『このハゼノキから採った木蝋(もくろう)を出品している』。『広島藩では』、一七〇〇『年代後半から藩有林を請山として貸出し、商人らがハゼノキをウルシノキとともに大規模に植林、製蝋を行っていた記録が残る』。『今日の本州の山地に見られるハゼノキは、この蝋の採取の目的で栽培されたものの一部が野生化したものとみられている』とあった。

「大明一統志」複数回既出既注だが、再掲すると、明の全域と朝貢国について記述した地理書。全九十巻。李賢らの奉勅撰。明代の地理書には先の一四五六年に陳循らが編纂した「寰宇(かんう)通志」があったが、天順帝は命じて重編させ、一四六一年に本書が完成した。但し、記載は、必ずしも正確でなく、誤りも多い。「維基文庫」の同書の「卷八十九」の「外夷」の「朝鮮國」を見ると、「土産」の項に(表記に手を加えた)、

   *

黃漆【樹似棕六月取汁漆物如金】

   *

とあった。

「藤黃(きわう)」「きわう」の読みは不審。東洋文庫訳でも注を附さない。「藤黄」は現代仮名遣で「とうおう」で、サイト「Premium Japan」の「日本の伝統色を知る」の「藤黄」には、『東南アジアを原産とするオトギリソウ科の常緑高木・海藤(ガンボージ)から出る植物性の顔料で染めた、暖かみのある鮮やかな黄色。その歴史は大変古く、奈良の正倉院に収蔵されている出陳宝物「漆金薄箔絵盤(うるしきんぱくえのばん)」にも藤黄色が使われて』おり、『古名として「しおう」とも呼ばれてい』るとあった。この「海藤(ガンボージ)」は英語“gamboge”で(カンボジア由来)、インドシナに分布するキントラノオ目オトギリソウ科 Hypericaceae(新体系APGではフクギ科Clusiaceae)フクギ属ガンボジ Garcinia hanburyi 、及び、その近縁種から採取される、濃い黄色の顔料を指す。日本語ウィキは存在せず、英文当該ウィキ(顔料の方)が詳しい。言わずもがなだが、本邦には自生しない。

「伽羅《きやら》の油」小学館「日本国語大辞典」に、『鬢(びん)付け油の一種。胡麻油に生蝋(きろう)、丁子(ちょうじ)を加えて練ったもの。近世初期に京都室町の髭(ひげ)の久吉が売り始めた』とある。]

2024/06/18

柴田宵曲「古句を觀る」正規表現版電子化注 / 「冬」(9)

 

   門々や子供呼込雪のくれ 野 童

 

 雪が降つて元氣がよくなるのは、子供に犬と相場がきまつてゐる。寒さにめげず、外へ出て遊んでゐるうちに、いつか夕暮近くなつて來た。もう御飯になるから御歸りとか、寒いから内へ御入りとか云つて子供を呼ぶ聲が、彼方[やぶちゃん注:「あつち」。]の家からも此方[やぶちゃん注:「こつち」。]の家からも聞える。「門々」の一語によつて、その家が複數であることも、うち續いた家竝であることもわかる。吾々もこの句を讀むと、遊びほうけて夕方まで戶外にいた少年の日のことが、なつかしく心に浮ぶのである。

 平凡な句のやうでもある。併かし一槪にさう云ひ去るわけにも行かぬのは、必ずしも少年の日の連想があるためばかりとも思はれぬ。

 

   鳶尾の葉はみなぬれにけり初しぐれ 鼠 彈

 

「鳶尾」はシヤガと讀むのであらう。あやめに似て小さい花をつける、菖蒲の種類としては最も見ばえのせぬものである。花は夏の季になつて居り、俳句の材料にも屢〻用ゐられてゐるが、葉を取上げたのはあまり見たことが無い。

 シヤガの葉は冬を凌いで枯れぬ。その靑い葉が時雨に濡れて、ほのかに光を帶びてゐる。見るからに寒げな趣である。これが石蕗[やぶちゃん注:「ツハブキ」。]の葉か何かであると、形も大きいし、冬の季のものでもあるから、さほどのことも無いけれども、花が咲いてゐてさへ見ばえのせぬシヤガの、遺却されたやうな葉に時雨が降る。そこに初冬らしいもののあはれが感ぜられる。秋を經て枯れ枯れになつた植物にそゝぐ時雨よりも、冬に到つて猶綠を變へぬところに、却つて目立たぬシヤガの寂しさがある。「みなぬれにけり」といふ言葉も率直にこの感じを悉して[やぶちゃん注:「つくして」。]ゐるやうに思ふ。

[やぶちゃん注:「シヤガ」単子葉植物綱キジカクシ目アヤメ科アヤメ属シャガ Iris japonica 。種小名はこうだが、中国原産である。当該ウィキによれば、『かなり古くに日本に入ってきた帰化植物で』、『三倍体のため』、『種子が発生しない』。『このことから日本に存在する全てのシャガは同一の遺伝子を持ち、またその分布の広がりは人為的に行われたと考えることができる。したがって、人為的影響の少ない自然林内にはあまり自生しない。スギ植林の林下に一大自生地のような光景を見ることもしばしばだが、そうした場所は現在では人気が全くない鬱蒼とした場所であったとしても、かつては、そこに人間が住んでいたか、あるいは人の往来があって、その地にシャガを移植した場所である可能性が高い。このためシャガの自生地では』、茶の木『などの人為的な植物が同じエリアに見られたり、かつての民家の痕跡と思える物などが見てとれることも多い。中国には二倍体の個体があり花色、花径などに多様な変異がある』とある。漢字表記は「射干」「著莪」「胡蝶花」の他、「鳶尾」もあるが、この「鳶尾」は同属のアヤメ属イチハツ Iris tectorum の異名としても知られ、しかもイチハツとシャガは、本邦で古くより藁屋根に植えると大風や火災を防ぐと信じられ、所謂、「屋根菖蒲」として藁屋根に植えられた経緯もあり、親和性がある(最近のものでは、『南方熊楠「江ノ島記行」(正規表現版・オリジナル注附き) (8)』の「イチハツ」の私の注を見られたい)。因みに、現代中国語では、「日本鳶尾」「開喉箭」「蘭花草」「扁竹」「劍刀草」「豆豉草」「扁擔葉」「扁竹根」「鐵豆柴」と多彩な異名がある(同種の中文ウィキを参照した)。なお、サイト「跡見群芳譜」の「しゃが(射干)」を見ると、『和名シャガは、漢語の射干(ヤカン:yègàn)の、漢土における俗読み shègān の、日本における訛り。ただし、漢名を射干という植物はヒオウギ』(アヤメ属ヒオウギ Iris domestica )『であり、シャガではない。したがって』、本種『を「しゃが」と呼び、「射干」と書くのは、音義ともに本来は不当』であるとあった。母が好きで、家の斜面に植えられている。私の大好きな花である。]

 

   買切と馬にのり出すしぐれかな 雪 芝

 

「馬市」といふ前書がついてゐる。馬の値がきまつて自分の所有に歸するが早いか、直にその背に跨つて乘出す、といふのである。折から時雨が降つて來た爲、急いで歸る意味もあるかも知れぬが、氣に入つた馬を買ひ得たといふ、意氣揚々たるところが窺はれるやうに思ふ。已にこの馬を買い得た以上、時雨の如きは深く意に介する必要はあるまい。

 かつて「馬かりてかはるがはるに霞みけり」といふ蓼太の句を講じた時、借馬であらうといふ解釋もあつたが、「旅行」といふ前書によつて、その場合が明になつたことがある。この句の「馬市」といふ前書はそれほど必要とも思はれぬが、前書無しにこの句を讀むと、買切つたものが何であるか、多少不明瞭になつて來る。何か他の物を買つて、而して馬背に跨つて去るものとしては、少しく省略が多過ぎるから、結局馬を買つたといふところに落著くであらう。併し馬市の前書を置いて見れば、買い得た馬に直ぐ跨り去る樣子が眼前に躍動するのみならず、時雨の中の馬市の喧騷を背景的に浮立たせる效果がある。この意味に於て前書あるに如くはない。面白い場合を見つけたものである。

[やぶちゃん注:「蓼太」与謝蕪村・加舎白雄などとともに「中興五傑」の一人に数えられる(後の二人は高桑闌更と加藤暁台)大島蓼太(享保三(一七一八)年~天明七(一七八七)年)のこの句、たいした句とも思えぬが、恐らく妙な一茶の残した怪しい語りで、蓼太の代表句のようになってしまったらしい。国立国会図書館デジタルコレクションの雑誌信濃教育会発行『信濃教育』一三二〇号(一九九六年十一月発行)の小林計一郎著「人間一茶」のここの左ページ上段の最終行から下段の半ばまでの記事を読まれたい。

2024/06/17

柴田宵曲「古句を觀る」正規表現版電子化注 / 「冬」(8)

 

   こほる夜や燒火に向ふ人の顏 岱 水

 

「燒火」は「タキビ」とよむのであらう。寒夜火を焚いて暖を取る。作者は何も委しいことを敍して居らぬが、屋外の光景らしく思はれる。燃え盛さかる赤い燄が人の顏を照して、面上に明暗を作る。人の顏の赤く描き出された背後には、闃寂たる寒夜の闇が涯しなく橫はつてゐる。平凡なやうで力强い句である。

 

   はつ雪の降出す比や晝時分 傘 下

 

 讀んで字の如しである。何も解釋する必要は無い。こんなことがどこが面白いかと云ふ人があれば、それは面白いといふことに捉はれてゐるのである。芭蕉の口眞似をするわけではないが、「たゞ眼前なるは」とでも云ふより仕方があるまい。

 音もなく夜の間に降出して、朝戶をあけると眞白になつてゐるといふこともあれば、朝から曇つてゐる空が午頃[やぶちゃん注:「ひるごろ」。]に至つてちらちら雪を降らしはじめることもある。この句は後者で、さういふ初雪の降出す場合を、そのまゝ句にしたのである。

[やぶちゃん注:「芭蕉の」「たゞ眼前なるは」というのは、宝井其角の編になる俳文集「雜談集(ざふたんしふ)」(全二巻。元禄四(一六九一)年成立で翌年刊。上巻は俳論などの文章を、下巻は連句を中心に収録したもの)の「上卷」巻頭に記されてある。国立国会図書館デジタルコレクションの『俳人其角全集』第一巻(勝峯晋風編・昭和一〇(一九三五)年彰考館刊)の当該部を視認して電子化した(多少、手を加えた。歴史的仮名遣の誤りはママである)。

   *

一 伏見にて一夜、俳諧もよほされけるに、かたはらより芭蕉翁の名句、いづれにや侍る、と尋出られけり。折ふしの機嫌にては、大津尙白亭にて、

   辛崎の松は花より朧にて

と申されけるこそ、一句の首尾、言外の意味、あふみの人もいまだ見のこしたる成べし。其けしきここにも、きらきらうつろひ侍るにやと申たれば、又かたはらより、中古の頑作(けんさく)にふけりて、是非の境に本意をおほはれし人さし出て、其句、誠に誹諧の骨髓得たれども、慥なる切字なし。すべて名人の格的には、さやうの姿をも、發句とゆるし申にやと不審(フシン)しける。答へに、哉とまりの發句に、にてどまりの第三は、嫌へるによりてしらるべきか。おぼろ哉と申句なるべきを、句に句なしとて、かくは云下し申されたる成べし。朧にてと居(スヘ)られて、哉よりも猶ツシたるひゞきの侍る。是、句中の句、他に適當なかるべしと。此論を再ビ翁に申述侍れば、一句の問答に於ては然るべし。但シ、予が方寸の上に分別なし。いはゞ、さゞ波やまのゝ入江に駒とめてひらの高根のはなをみる哉。只、眼前なるはと申されけり。

   *

「辛崎の」の句は「甲子吟行」で、貞享二(一六八五)年三月の作で、恐らく大津の千那の別邸での詠。「さゞ波やまのゝ入江に駒とめてひらの高根のはなをみる哉」は、かの源従三位頼政のものである。]

 

   をし船の沙にきしるや冬の月 素 覽

 

「をし船」といふ言葉はよくわからぬが、句の意味から考へて、淺瀨か何かで船を押すことではあるまいかと思ふ。

 えいえいと押す船の底が、沙に軋つて寒さうな音を立てる。皎々たる寒月の下、船を押す人の姿が沙上に黑々とうつゝてゐるやうな氣がする。夏の月夜ならば、かういふ出來事も一興として受取れるが、天地一色の冬の月ではさう行かない。一讀骨に沁みるやうな寒さを感ぜしめるところに、この句の特色がある。

 

「和漢三才圖會」植物部 卷第八十三 目録・喬木類 椿

 

Tin

 

ひやんちゆん  𮓙目樹

        大眼樹

椿【杶同】

       【今云知也牟知牟

        唐音之訛也】

        樗【臭椿也

          和名沼天】

チユン     栲【山樗也】

[やぶちゃん字注:「𮓙」は「虎」の異体字。]

 

本綱椿樗栲乃一木三種也皆亦類𣾰樹其葉脫𠙚有痕

如𮓙之眼目又如樗蒲子故名之其木易長而多壽考故

有椿拷之稱莊子言大椿以八千歳爲春秋是矣

椿 皮細肌堅實而赤嫩葉香甘可茹

樗 皮粗肌虛而白其葉臭𢙣其木最爲無用莊子所謂

 吾有大木人謂之樗其木擁腫不中繩墨小枝曲拳不

 中規矩者也樗之有花者無莢有莢者無花其莢夏月

 常生樗木未見椿之有莢者【然世俗不辨之而呼樗莢爲椿莢爾】

拷 卽樗之生山中者亦虛大然爪之如腐朽故以爲不

 才之木不似椿木賢實可入棟梁

椿根皮【色赤而香入血分而性濇】 樗根皮【色白而臭入氣分而性利】 其主治

 功雖同而濇利之效則異正如伏苓芍藥赤白頗殊也

 凡血分受病不足者宜用椿根皮氣分受病有欝者宜

 用樗根皮凡女子血崩産後血不止月信來多或赤帶

 下及小兒疳痢宜用椿根皮

鳳眼草 卽椿樹上所生莢也【蓋謂椿不莢生乃樗之莢也】燒灰淋水

 洗頭經一年眼如童子加椿根皮灰尤佳

 正月【七日】二月【八日】三月【四日】四月【五日】五月【二日】

 六月【四日七日】七八月【三日】九月【二十日】十月【二十三日】十一月【二十

 九日】十二月【十四日】可洗之

△按椿葉似𣾰而初生二三年者未分枝椏至秋莖葉皆

 落盡如立一棒其莖脫處有窪痕春梢生葉𬄡隨長而

 莖葉亦隨分經四五年者生枝椏最昜長葉香採嫩葉

[やぶちゃん注:「昜」は「易」の異体字。]

 噉之相傳黃蘗禪師始將來之呼曰香椿

[やぶちゃん注:「黃蘗禪師」は「黃檗禪師」の誤字。まあ、こんな草木の記載を蜿蜒と続けていれば、このうっかりも、同情出来るね。訓読では、良安先生のために、訂しておくことにする。]

 倭名抄椿【和名豆波木】爲海石榴之訓樗【和名沼天】爲五倍子樹

 之訓者並非也凡香椿及溙葉横理透背鮮明頗似橿

[やぶちゃん注:「溙」は「漆」の異体字。]

 葉而小兩兩對生【香椿折枝有香氣放臛汁食𣾰木折枝有汁粘人生𣾰瘡】

[やぶちゃん字注:「對」は「グリフウィキ」のこれに近い((へん)の上部が「北」のようになっている)が、表示出来ないので、正字で示した。]

 

   *

 

ちやんちゆん  𮓙目樹《こもくじゆ》

        大眼樹

椿【「杶《チユン》」≪に≫同じ。】

       【今、云ふ、「知也牟知牟《ちやんちん》」。

        唐音の訛《なまり》なり。】

        樗《ちよ》【臭椿《しうちん》なり。

              和名、「沼天《ぬるで》」。】

チユン     栲《かう》【山樗《さんちよ》なり。】

[やぶちゃん字注:「𮓙」は「虎」の異体字。]

 

「本綱」に曰はく、『椿《ちん》・樗《ちよ》・栲《かう》は、乃《すなはち》、一木≪にして≫三種なり。皆、亦、𣾰《うるし》の樹に類す。其の葉、脫《ぬく》る𠙚、痕(あと)、有り、𮓙《とら》の眼目のごとく、又、「樗蒲(カルタ)の子(め)」のごとし。故《ゆゑ》、之れ、名づく。其の木、長《ちやう》じ易くして、壽考《じゆかう》[やぶちゃん注:「寿命」。]、多し。故、「椿拷《ちんかう》」の稱、有り。「莊子《さうじ》」に言《いは》く、『大椿《だいちん》、八千歳を以つて、春秋と爲《な》す。』と≪は≫、是れなり。』≪と≫。

『椿《ちん》 皮、細《こまやか》、肌、堅實にして、赤し。嫩葉《わかば》、香《かぐはし》く、甘《かん》にして、茹《く》ふべし。』≪と≫。

『樗 皮、粗《あら》く、肌、虛《きよ》にして、白し。其の葉、臭く、𢙣《あ》し。其の木、最《もつとも》用ふること、無しと爲《な》す。「莊子」に所謂《いはゆ》る、『吾《われ》に、大木、有り。人、之れを「樗」と謂ふ。其の木、擁腫《ようしゆ》にして[やぶちゃん注:瘤(こぶ)があって。]、繩墨《じようぼく》に中《あた》らず、小枝、曲-拳(まが)りて、規矩(さしがね)に中らず。』と云ふ者なり[やぶちゃん注:「云」は送り仮名にある。]。樗の、花、有る者は、莢《さや》、無く、莢、有る者は、花、無し。其の莢、夏月、常に樗木《ちよぼく》に生ず。未だ、椿《ちん》の、莢、有る者は、見ず【然《しか》れども、世俗、之れを辨《わきま》へずして、樗≪の≫莢を、呼んで、「椿≪の≫莢」と爲《な》すのみ。】。』≪と≫。

『拷は』、『卽ち、樗の山中に生≪ずる≫者なり。亦、虛大《きよだい》なり。然れども、之れを、爪(つめ)りけ≪れ≫ば、腐-朽(く)ち≪たるが≫ごとし。故《ゆゑ》、以《つて》、「不才の木」と爲す。椿木《ちんぼく》の賢實≪にして≫、棟《むね》・梁《はり》に入≪るるに≫似ず。』≪と≫。

『椿根皮《ちんこんぴ》【色、赤にして、香《かをり》、血分《けつぶん》に入りて、性、濇《しぶし》。】 樗根皮《ちよこんぴ》は[やぶちゃん注:ママ。]【色、白にして、臭く、氣分に入りて、性、利《とほ》す。】 其の主治の功、同じと雖も、濇《しよく》・利《り》の效は、則ち、異《い》なり。正に、伏苓《ぶくりやう》・芍藥《しやくやく》の、赤きと、白きと、頗《すこぶ》る殊《こと》なるがごとし。凡そ、血分に病《やまひ》を受けて、不足の者、椿根皮を用ふるに、宜《よろ》し。氣分に病を受けて、欝、有る者、樗根皮を用ふるに、宜《よろ》し。凡そ、女子の血崩、産後≪の≫血≪の≫止《や》まざる、月信《つきのおとづれ》來ること多く、或いは、「赤-帶-下(こしけ)」、及び、小兒の疳痢、椿根皮を用ふるに、宜し。』≪と≫。[やぶちゃん注:最後の部分の「宜」は、配された送り仮名から、再読文字として読むことは不可能である。]

『鳳眼草《ほうがんさう》 卽ち椿樹《ちんじゆ》の上に生ずる所の莢なり。』≪と≫【蓋し、椿《ちん》は莢を生ぜず。乃《すなはち》、≪ここで謂ふ所の「莢」は、≫樗の莢を謂ふなり。】。[やぶちゃん注:この上の割注は「本草綱目」にはない。されば、良安が挿入したものである。東洋文庫訳が問題なのは、既に何ヶ所もあった、こうした良安の挿入した部分を、全く明らかにしていない点である。私も嘗てはそうだったが、恐らく読者の半数以上は、「△」の前の「本綱」以下となっているものは、総てが時珍の記述だと思い込んで無批判に読んでいるに違いないからである。]『灰に燒きて、水を淋《そそぎ》、頭を洗へば、一年を經て、眼、童子のごとし。椿根皮の灰を加へて、尤も佳≪なり≫。』≪と≫。

『正月【七日。】・二月【八日。】・三月【四日。】・四月【五日。】・五月【二日。】・六月【四日・七日。】・七、八月【三日。】・九月【二十日。】・十月【二十三日。】・十一月【二十九日。】・十二月【十四日。】、之れを洗ふべし。』≪と≫。

△按ずるに、椿《ちん》の葉、𣾰《うるし》に似て、初生二、三年の者は、未だ枝椏《えだまた》を分たず。秋に至りて、莖・葉、皆、落盡《おちつくし》て、一棒《いちぼう》を立つるがごとし。其の莖の脫《ぬけ》たる處に、窪(くぼ)き痕(あと)、有り。春、梢に、葉を生じて、𬄡(しん)に隨ひて長《ちやう》じて、莖・葉も亦、隨ひて分《わか》つ。四、五年を經《へ》る者、枝椏を生じ、最も長じ昜《やす》く、葉≪の≫香《かんば》し。嫩葉《わかば》を採りて、之れを噉《くら》ふ。相≪ひ≫傳≪へて≫、「黃檗禪師、始めて、之れを將來す。呼んで「香椿(ヒヤンチユン)」と曰ふ」≪と≫。

「倭名抄」に、『椿【和名、「豆波木《つばき》」。】』≪と≫、「海石榴(つばき)」の訓と爲《な》し、『樗【和名、「沼天《ぬるで》」。】』≪と≫、「五倍子樹(ぬるでの《き》)」の訓を爲すは、並びに、非なり。凡そ、「香椿(ヒヤンチユン)」及び「溙《うるし》」の葉の横-理(よこすぢ)、背に透(とほ)り、鮮-明(あざやか)≪にして≫、頗《すこぶ》る橿(かし)の葉に似て、小さく、兩《ふた》つ兩《づつ》、生ず【「香椿」は、枝を折れば、香氣、有り、臛汁《にくじる》≪のごとき汁(しる)を≫放ち、食ふ。𣾰の木は、枝を折れば、汁、有≪れども≫、人に粘《つ》≪けば≫、𣾰瘡《うるしかぶれ》を生ず。】。

 

[やぶちゃん注:この困難な項(原文と訓読だけで、延べ六時間を要した)は、今までのような、日中の種の違いを、良安は、全文を通して、重要な核心部分に就いては、ほぼ正しく認識して叙述していると言ってよいだろう(現行の植物学から見れば、当然、細部の誤りあるが)。まず、彼が、医師・本草学者として、真の「椿」を『椿《ちん》・樗《ちよ》・栲《かう》』の三種に分け、本邦の椿(つばき=藪椿:ツツジ目ツバキ科 Theeae 連ツバキ属ヤブツバキ Camellia japonica )を、ここでは、排除した点が素晴らしい。順に見てゆこう。

①椿(ちん)は、双子葉植物綱ムクロジ目センダン科Toona属チャンチン Toona sinensis

である。当該ウィキによれば、『センダン科』Meliaceae『の落葉高木。中国中部・北部原産』で、Cedrela sinensis は『シノニム』である。『高さは』十『メートルほど。葉は卵形の多数の小葉からなる羽状複葉で、若芽は赤褐色を帯び、茎・葉・花に独特のにおいがある。花期は』七『月頃。枝頂から房状に白い小花が密生して』、『多数』、『咲く。実は果で』、『秋に熟して』五『裂する。庭木や街路樹とされ、材は堅く、家具や器具用材などに用いる』。『若芽は中華圏で春の野菜として食べられる』。『中国では「椿」のみでチャンチンを表しており、逆に中国語で「ツバキ」は「山茶花」「日本椿花」などと表記されている』とある。同種の中文当該ウィキ「香椿」の記載は、瘦せた日本の記事の十倍以上あるので、参照されたい。時珍の引いた「荘子」の話も記されてある。

②―1樗(ちょ)は、まず、クロッソソマ目 Crossosomatalesミツバウツギ科ミツバウツギ属ゴンズイ Staphylea japonica

を考えた。(この漢字は本邦では、ムクロジ目センダン科センダン属センダン変種センダンMelia azedarach var. subtripinnata の古名でもあるが、ここでは、無関係。因みに、私はセンダンの花が大好きだ)。当該ウィキによれば、『和名「ゴンズイ」の由来には諸説あり、判然としない。植物学者の清水建美』『は以下の』四『説を挙げている』。『役に立たない魚のゴンズイ』(海産のナマズ類である硬骨魚綱ナマズ目ゴンズイ科ゴンズイ属ゴンズイ Plotosus japonicus 。よく知らない方は、私の「大和本草卷之十三 魚之下 海𫙬𮈔魚 (ゴンズイ)」を読まれたい)『になぞらえて、それと同様に材が役に立たないため』。『熊野権現の守り札を付ける牛王杖(ごおうづえ)がなまったもの。この杖を本種で作ったため』。『赤い果実から真っ黒の種子が出るのが天人の「五衰の花」を思わせることから(中村浩の説)』。『ミカン科』Rutaceae『の植物であるゴシュユ』ムクロジ目ミカン科ゴシュユ(呉茱萸)属ゴシュユ Tetradium ruticarpum )『に似ていることから(深津正の説)』。『「日本の植物学の父」ともよばれる牧野富太郎』『は魚のゴンズイ説を採り、本種にかつてニワウルシ(やはり役に立たない木)と混同されたことを根拠としてあげている』。『なお、沖縄ではミハンチャギ』・『ミィハジキー』『などの方言名が伝わる。果実が裂けることに関するものと思われる』『中国名は「野鴉椿」』(翻って、当該中文ウィキは話にならないほど、記載がない)。『日本では本州の関東地方(茨城県)から富山県より西、四国、九州、琉球列島に産する』。『日本国外では朝鮮南部、台湾北部、及び中国中部に分布する』。『山地に自生し』、『二次林や林縁部に生える』。『落葉広葉樹の小高木』。『高さは普通』三~六『メートル』『だが』、『時に』十メートルに『達する』。『樹皮は紫黒色や黒緑色を帯びた灰褐色で、細長い割れ目状の皮目が縦に走って』、『割れ目が入る』。『樹皮の白い縦の筋は次第に黒っぽくなる』。『一年枝は緑褐色や紫褐色で太く、無毛で白い線形の皮目がある』。『普通は頂芽ができず』、一『対の仮頂芽から有花枝、あるいは無花枝を伸ばして成長する』。『さらに側芽から枝を伸ばすことは少ない。有花枝は』二~三『対の葉と、先端に花序を付け、無花枝は』二~三『対の葉のみを付ける』。『葉は対生し、奇数羽状複葉で全体の長さは』十~㉚『センチメートル 』、『幅は』六~十二センチメートル。『葉柄は長さ』三~十センチメートル『あり、複葉の軸とともに無毛』。『小葉の葉柄は、側小葉では長さ』二~十二『ミリメートル 』、『頂小葉では』、『より長くて』二~三センチメートルで、『短い毛がある』。但し、『時に頂小葉がない場合がある。小葉の葉身は狭卵形で、長さ』四~九センチメートルで、幅は二~五センチメートル。『硬くて表面につやがあり、先端は尖り、基部は丸みを帯びるかやや広い楔形』。『裏面の中脈や側脈の上に短い毛がある』。『葉縁には細かい鋸歯がある』。『秋に紅葉するが、日当たりのよい木では、しばしば葉全体が濃い紫色になる』。『これは、葉緑素の色素がなかなか抜けず、アントシアニンの赤い色素と重なって紫色に見える現象で、やがて緑色が抜ければ赤色や橙色になる』。『花期は』五~六月で、『枝先から出る円錐花序は長さ』十五~二十センチメートルで、『よく分枝して多数の花をつける』。『花は淡黄緑色で、径』四~五ミリメートル。『花柄は長さ』一~二ミリメートル。『萼裂片と花弁はいずれも楕円形で長さ約』二ミリメートル。『雄蕊、雌蕊は花弁とほぼ同長、子房は』二『室』、乃至、三『室からなり、同数の柱頭と花柱が互いに接着する』。『果期は』九~十月。『果実は袋果で半月形』で、一『つの花から』一~三『個生じ、長さ』一~一・三センチメートルに『なる』。『これは子房の心皮がその数だけに裂け、反り返ったもので』、『果実の各部分は肉質で熟すると赤くなり』、『鎌形に曲がって反転し、太い条がある。それが裂けると中から』一~三『個の種子が顔を出す』。『裂けて見える子房の内側も鮮紅色で美しい』。『種子はほぼ球形で径約』五ミリメートル、『黒色で強い光沢がある』。『また、種子は当初、赤い仮種皮に包まれている』。『葉や実には臭気がある』(本文の異名「臭椿」と合致するように感じはした)。『冬芽は鱗芽で、芽鱗は暗紅紫色で』二~四『枚つく』。『枝先に仮頂芽が』二『個、または』一『個つき、側芽は枝に対生する』。『葉痕は半円形で、維管束痕が』七~九『個輪状に並ぶ』。以下、「分類」の項だが、記載が古いのでカットする。『材は黄白色で、軽く柔らかいが』、『割れにくい。材としての利用価値はない。キクラゲ栽培の原木には使える』。『沖縄で』、『枝をお祭りの際に使用したと言う』。『庭園樹などとして栽培されることがある。若芽は食用になり、茹でてお浸しなどにされる』。『中国では果実や種子を腹痛や下痢止めとして用いる』とあった。

 ところが、本文の注を進めている内に、全くの別種の有力候補が出現してきたのであった。それは、

◎②―Ⅱムクロジ目ニガキ科ニワウルシ属ニワウルシ Ailanthus altissima

である。当該ウィキによれば、本種の異名として「庭漆」・「樗」「臭椿」が挙げてあり、『落葉高木。別名、シンジュ(神樹)。和名に「ウルシ」がついているが、ウルシ(ウルシ科)とは全くの別種』であり、『ウルシのようにかぶれる心配はない。ニワウルシの和名は、ウルシに似ているが、かぶれないので庭に植えられることから。シンジュは英語名称の』“Tree of Heaven”(ツリー・オブ・ヘヴン:「天国の木」)、『ドイツ語名称の』“Götterbaum”(ゲッターバウム:「神の木」)の『和訳による。中国原産で、中国名は臭椿(別名:樗)』ときちまったので、こちらが比定同定として正しいということになった(決定打は後注「樗根皮《ちよこんぴ》」を参照)。『原産は中国北中部。日本には明治初期に渡来し』、現在では、『街路樹などにされ、野生化しており、河川敷などで群生している』。『ガ(蛾)の一種であるシンジュサン』(鱗翅(チョウ)目ヤママユガ科シンジュサン(蚕・神樹蚕)属シンジュサン Samia cynthia pryeri :朝鮮半島・中国・日本に分布)『の食樹としても知られ、シンジュサンでの養蚕目的に栽培されたことも各地に野生化する原因となった。近年では』、『道端などに広く野生化しており、日本同様に導入されたアメリカなどでは問題化している』。『農業害虫のシタベニハゴロモ』(半翅(カメムシ)目同翅(ヨコバイ)亜目ビワハゴロモ科 Lycorma 属シタベニハゴロモ Lycorma delicatula )『が繁殖することでも知られ、アメリカや日本』『に帰化して問題となっている』。『落葉広葉樹の高木で、樹高は』十~二十『メートル』『になる』。『幹は真っ直ぐで枝は太い』。『樹皮は灰色で皮目があり、滑らかであるが、のちに縦波状の筋ができる』。『一年枝は赤褐色で太く、皮目が多く、枝先に毛が残ることがある』。『葉は大型の奇数羽状複葉を互生し、生長すると長さ』一メートル『近くなる』。『花期は』六月。『雌雄異株で、夏に緑白色の小花を多数円錐状につける。果実は秋に褐色に熟し』、『披針形で中央に種子がある。枯れて白っぽくカサカサになった翼果が、冬でも枝によく残る』。『冬芽は平たい半球状で小さい鱗芽で、芽鱗』三~四『枚に包まれる』。『枝先の仮頂芽と、枝に互生する側芽はほぼ同じ大きさである』。『葉痕は大きくて目立つ心形で、維管束痕は葉痕の縁に並ぶ』。『アレロパシー効果』『で他の植物の成長を阻害する』。『成長が早く、庭木、街路樹、器具材などに用いられる』。(これも――ダメ押し決定打――となった☞)『中国では根皮や樹皮を樗白皮(ちょはくひ)の名で解熱・止瀉・止血・駆虫などに用いる』とあった。

③栲(こう)は、ブナ目ブナ科シイ属カスタノプシス・ファルギシイ Castanopsis fargesii

である。本種は中国以外には、フィリピンの一部や、ボルネオ島の東北の諸島にしか分布しないようである。当該中文ウィキには、『本種は安徽省、福建省、広東省、広西チワン族自治区、貴州省、湖北省、湖南省、江蘇省、江西省、四川省、台湾、雲南省、浙江省に分布し、通常は標高二百~二千百メートルの常緑広葉樹林で見られる』とあった。この種は記載が少ない。本邦種の記載しかないないが、ウィキの「シイ」をリンクさせておく。

 良安の「本草綱目」のパッチワーク引用は、「卷三十五上」の「木之二」「喬木類」(「漢籍リポジトリ」)の「椿樗」(ガイド・ナンバー[085-13b]以下)から。

「𮓙」(虎)「目樹」「大眼樹」後者は、上記の原文を見ても、また、中文当該ウィキ「香椿」でも判る通り、良安の引用ミスで「大眼桐」が正しい。サイト「TERRARIUM」の「チャンチン(香椿)」の左から二枚目の木肌の写真を見られたい。何やらん、この二つの異名が、私には、腑に落ちた。

「杶《チユン》」この漢字は先に出したセンダンを指す漢語であるが、良安が大項目名の直下に配する割注は、発音を示しているに過ぎないので、何らの問題は、ない。

「唐音」「黃蘗」で既出既注。

「樗蒲(カルタ)の子(め)」中国渡来の賭博 の一種である「樗蒲一(ちよぼいち)」で使う骰子(さいころ)のこと。一個の骰子で出る目を予測し、予測が当たれば、賭け金の四倍、又は、五倍を得る賭博。「樗蒲」は、中国古代の賭博で、後漢頃から唐まで流行った。但し、その頃の道具は、骰子ではなく、平たい楕円板を五枚投げて、その裏表によって双六のように駒を進めるゲームであったらしい。「一」は骰子を一個しか使用しないことに由来する。

『「莊子《さうじ》」に言《いは》く、『大椿《だいちん》、八千歳を以つて、春秋と爲《な》す。』と≪は≫、是れなり』「荘子」の「逍遙遊第一」にある以下。注を附すのが面倒になるので、前半部をカットした。

   *

 小知不及大知、小年不及大年。奚以知其然也。朝菌不知晦朔、蟪蛄不知春秋。此小年也。楚之南有冥靈者、以五百歲爲春、五百歲爲秋。上古有大椿者、以八千歲爲春。八千歲爲秋。而彭祖乃今以久特聞、衆人匹之、不亦悲乎。湯之問棘也是已。

   *

 小知は大知に及ばず、小年は大年に及ばず。奚(なに)を以つて、其の然(しか)るを知るや。朝菌(てう)は晦朔(かいさく)を知らず、蟪蛄(けいこ)は春秋を知らず。此れ小年なり。楚の南に、冥靈(めいれい)なる者あり、五百歲を以つて春と爲し、五百歲を秋と爲(な)す。上古に大椿(たいちん)なる者あり、八千歲を以つて春と爲し、八千歲を秋と爲す。而るに彭祖(はうそ)は、乃-今(いま)、久(きう)を以つて、特(ひと)り、聞こえ、衆人、之れに匹(くら)ぶ、亦、悲しからずや。湯(たう)の棘(きよく)に問(と)へるや、是れのみ。

   *

 小(ち)さき知は、大いなる知には及ばず、短い寿命は、大いなる寿命には及ばない。どうしてそのことが判るかと言うか? 朝に生まれたある虫は、夕方を知らずして死に、夏蟬はひと夏の命で、春と秋を知らぬ。これが短い生命の時間だ。さて、楚の国の南には、「冥霊(めいれい)」という木がある。五百年の間が、成長し、繁茂する「春」であり、また、さらに、五百年の間が、紅葉・落葉の「秋」に当たる。遙か古えには、「大椿(だいちん)」という木があり、これは、八千年の間が、成長し、繁茂する「春」であり、さらに、八千年の間が、紅葉・落葉の「秋」に当たる。ところが、今や、僅か八百年を生きたというだけの彭祖(ほうそ)ばかりを引き合いに出す。たかが、僅か八百年だ! 何んと、悲しいことではないか?! 殷の湯王(とうおう)が賢臣の夏棘(かきょく)に訊ねたことも、これに他ならぬ。

   *

「彭祖」中国の神話の中で長寿の仙人とされ、伝説中では「南極老人星」(カノープス:りゅうこつ座α星)の化身とされており、八百歳の寿命を保ったことで知られる。姓は彭、名は翦(せん)で、籛鏗(せんこう)とも呼ぶ。詳しくは、参考にした当該ウィキを見られたい。「湯王」は、夏の暴君桀王を討って、殷を建国した聖王。「列子」の「湯王問」に似たものが見えるが、「荘子」との関係には問題がある、岩波文庫「荘子」(一九七一年刊)の金子治の注にあった。「荘子」は、私が金子氏のそれで完全に精読した唯一の漢籍の哲学書である。

「肌、虛《きよ》にして」木肌が、ガサガサとして虚(うつ)ろな部分が多いことを言っていよう。

『「莊子」に所謂《いはゆ》る、『吾《われ》に、大木、有り。人、之れを「樗」と謂ふ。其の木、擁腫《ようしゆ》にして、繩墨《じようぼく》に中《あた》らず、小枝、曲-拳(まが)りて、規矩(さしがね)に中らず。』と云ふ者なり』同前の篇の終りの部分にある、所謂「無用の用」のパラドクスである。

   *

 惠子、謂莊子曰、「吾有大樹、人謂之樗、其大本擁腫而不中繩墨、其小枝卷曲而不中規矩、立之塗匠者不顧、今、子之言大而無用、衆所同去也。」。莊子曰、「子獨不見狸狌乎、卑身而伏、以候敖者、東西跳梁不避高下、中於機辟、死于罔罟、今夫𤛆牛、其大若埀天之雲、此能爲大矣、而不能執鼠、今、子有大樹患其無用、何不樹之于無何有之鄕・廣莫之野、彷徨乎無爲其側、逍遙乎寢臥其下、不夭斤斧、物無害者、無所可用、安所困苦哉。

   *

 惠子、莊子に謂(い)ひて曰はく、

「吾に大樹あり、人、之れを『樗(ちよ)と謂ふ。其の大本(だいほん)、擁腫(ようしゆ)にして、繩墨(じようぼく)に中(あた)らず、小枝、卷曲(けんきよく)して規矩(きく)に中らず。之れを塗(みち)に立つるも、匠者(しやうしや)、顧みず。今、子(し)の言は、大にして無用、衆の同(とも)に去(す)つる所なり。」

と。

 莊子曰はく、

「子は、獨(ひと)り、狸牲(りせい)を見ざるか。身を卑(ひく)くして伏し、以つて、敖者(がうしや)を候(うかが)ひ、東西に跳梁して、高下(かうげ)を避(さ)けざるに、機辟(きへき)に中(あた)りて、罔罟(まうこ)に死す。今、夫(か)の𤛆牛(りぎう)は、其の大なること、埀天(すいてん)の雲のごとし。此れ、能く、大(だい)たるも、而(しか)も、鼠(ねずみ)を執(と)らふること、能(あた)はず。今、子に大樹有りて、其の無用を患(うれ)ふ。何ぞ、これを『無何有(むかいう)』の鄕(きやう)、廣漠の野(や)に樹(う)ゑ、彷徨乎(ほうかうこ)として、其の側(そば)に無爲(むゐ)にし、逍遙乎(しやうやうこ)として、其の下に寢臥(しんぐわ)せざるや。斤斧(きんふ)に夭(たちき)られず、物の害する者、なし。用ふべき所なくも、安(なん)ぞ困苦する所、あらんや。」

と。

   *

 恵子が荘子に向かって話しかけて言うことには、

「私の地所に大木があって、人々は、これを『樗(ちょ)』と呼んでおりますが、その幹たるや、節くれ立った、瘤(こぶ)だらけ、直線も、引けず、その小枝に至っては、曲がりくねっていて、規(ぶんまわし:コンパス)や矩(さしがね)は使えません。されば、道端に立てて置いても、大工も、振り向きも致しません。ところで、貴方の話も、みな、これ、大袈裟過ぎて、用いようがありませんから、人々みんなに、そっぽを向かれるのですよ。」

と。

 荘子の言うことには、

「貴方は、あの鼬(いたち)を見たことがありませんかねえ? 姿勢を低くして、隠れていて、ふらふらと出てくる小さな獲物(えもの)に狙いをつけ、あちらこちらへ、跳びはね、高い所へも、低い所へもゆく奴ですよ。しかし、結局のところ、その器用さが仇(あだ)になって、罠(わな)や捕り網(あみ)に掛って殺されていますね。ところで、あの唐牛(からうし)は、その大きいこと、まるで大空一杯に広がった雲のようであり、全く以って、大きいのですが、小さな鼠を捕まえたりすることは、出来ませんね。今、貴方のところに大木があって、用いようが全くないと、ご心配されておるようですが、それを、物一つない世界、人一人おらぬ曠野のど真中に立てて、その側(かたわ)らにあって、勝手気儘にやすらい、その樹の木蔭あって、のびのびと腹這いになって眠ることを、どうして、なさなないのか? 鉞(まさかり)や斧で断ち斬られることなく、そして、何物も害を加えることが出来ない。用いようがないからと言って、何の悩むことがあると言うのです?」

と。

   *

この「惠子」は戦国時代の政治家・思想家で諸子百家の「名家」(一種の論理学派)の筆頭荘子の友にして、後者の厭味たっぷりの慇懃無礼で判る通り、「荘子」の中で荘子に屁理屈に近い理詰めで挑んでくるトリック・スター役を務める惠施(けい し 紀元前三七〇年頃~紀元前三一〇年頃)である。詳しくは当該ウィキを見られたい。

「爪(つめ)りけ≪れ≫ば」「爪で以って、こぞり削ると」。

「虛大《きよだい》なり」東洋文庫訳では、『木は大きく、材質は虚で、』と訳されてある。

「椿根皮《ちんこんぴ》」漢方生薬サイト「イアトリズム」の「椿根皮」を参照されたい。

「濇《しぶし》」東洋文庫訳は『濇(しぶ)る』。確かに、辞書を見ると、「渋る」「滞(とどこお)る」といった動詞の意味が頭にあるが、後に「滑らかでないさま」「渋い」という形容詞の意味もある。ここは、薬剤作用の様態を言っているので、私は「澁し」という訓読みを採用した。

「樗根皮《ちよこんぴ》」同前サイトに「樗木根皮」があるので参照されたいが、そこでは基原植物として、『ニガキ科ニワウルシ属ニワウルシの根皮』を挙げてあり、これが冒頭で②―Ⅱとして有力候補として挙げた理由である。

「伏苓」「茯苓」が普通。菌界担子菌門真正担子菌綱ヒダナシタケ目サルノコシカケ科ウォルフィポリア属マツホド Wolfiporia extensa の漢方名。中国では食用としても好まれる。詳しくは「三州奇談卷之二 切通の茯苓」の私の冒頭注を参照されたい。

「芍藥」ユキノシタ目ボタン科ボタン属シャクヤク Paeonia lactiflora 或いは近縁種の根から製した生薬。消炎・鎮痛・抗菌・止血・抗痙攣作用を有する。

「女子の血崩」東洋文庫訳で割注して、『(至急からの急な多量出血)』とある。

「月信《つきのおとづれ》來ること多く」メンスの出血が尋常より多い状態を指す。

「小兒の疳痢」幼児の神経性或いは心身症を起因とする下痢。

「鳳眼草《ほうがんさう》」ダメ押しのダメ押し。「ニワウルシ」の中文当該ウィキ「臭椿」に『臭椿的翅果』(ニレやカエデで見られる「つばさ」のようなツクバネ型の「翼果」のこと)『也用於現代中藥』、『叫做』(「~と称されている」の意)『「鳳眼草」』とあった。

「眼、童子のごとし」東洋文庫訳に『眼は童子のように生き生きとする』とある。

『正月【七日。】・二月【八日。】……』これは日の指定に単純ではない法則性がありそうなので、古くからの旧暦法に対応した易や、五行説、民間の曆(こよみ)との関係があるのだろうが、占いに興味関心ゼロの私は調べる気にならない。悪しからず。

「𬄡(しん)」木の幹の芯。

「黃檗禪師」明からの来朝僧隠元隆琦 (一五九二年~寛文一三(一六七三)年)。福建省出身で、本邦の黄檗宗の祖とされる。承応三(一六五四)年に同じ明の渡来僧逸然性融(いつねんしょうゆう)らの招きで来日した。山城宇治に土地を与えられ、万福寺を開いた。建築・書画・詩文・料理などに明の文化を齎した。「隠元禅師語録」は有名。

『「倭名抄」に、『椿【和名、「豆波木《つばき》」。】』≪と≫、「海石榴(つばき)」の訓と爲《な》し、『樗【和名、「沼天《ぬるで》」。】』≪と≫、「五倍子樹(ぬるでの《き》)」の訓を爲す』「和名類聚鈔」の「卷二十」の「草木部第三十二」の「木類第二百四十八」に「椿」が(以下二本ともに国立国会図書館デジタルコレクションの寛文七(一六六七)年版を視認して参考とし、推定訓読した。清音部はママである)、ここで、

   *

椿(つはき) 「唐韻」に云はく、『椿【敕」「倫」反。和名「豆波木」。】。木の名なり。「楊氏漢語抄」に云はく、『海石榴【和名、上に同し。「本朝式」等、之れを用ゆ。】』。

   *

とあり、それより前に、「樗」が、ここ

   *

樗(ぬて) 陸詞か「切韻」に云はく、『樗は【「勅」「居」の反。「和名本草」に云はく、「沼天」。】𢙣木なり。』。「辨色立成」に云はく、『白膠木は【和名、上に同じ】。』。

   *

「溙《うるし》」狭義の「漆」はムクロジ目ウルシ科ウルシ属ウルシ Toxicodendron vernicifluum 。因みに、次の項が「𣾰(うるし)」(ウルシ)である。

「橿(かし)」ブナ目ブナ科 Fagaceaeの一群の総称。狭義にはコナラ属 Quercus 中の常緑性の種を呼ぶ。]

2024/06/16

柴田宵曲「古句を觀る」正規表現版電子化注 / 「冬」(7)

 

   煤掃や埃に日のさす食時分 千 川

 

 煤掃[やぶちゃん注:「すすはき」。]が一わたり濟んで晝飯になる。まだ片づききらぬ家の中で飯を食ふ。がらんとした室内に冬の日光がさし込んで、こまかい埃の浮動するのが見える、といふ意味であらう。「埃に日のさす」といふ言葉から見ると、一隅に掃寄せられたごみに日が當るといふ意味に解せられぬこともないが、それでは趣が少い。飯時分になつて稍〻落著いた室內に、さし入る日光をしみじみと見る。その中に浮動する埃にも或美しさを感ずる、といふことでなければならぬと思ふ。

「食時分」は「メシジブン」とよむのである。

 特に煤掃の時といふ記憶は無いが、日光に浮動する埃の美しさを感じたことは、吾々も子供の時分にある。美に對する子供の感じは存外早く發達するのである。あの中に無數の黴菌があるといふやうなことばかり敎へて、何ものの中にも美の存することを知らしめぬのは、果して子供の爲に幸福であるかどうか。――この句を讀んでそんな餘計なことを考へた。

 

   冬枯や物にまぎるゝ鳶の色 吏 明

 

 冬になつて天地が蕭條たる色彩に充される。さういふ天地の間に在る時、茶褐色の鳶の姿が物にまぎれて見えるといふのであらう。保護色などといふ面倒な次第ではない。鳶も亦冬枯色の中に存するのである。

 作者は冬枯の中に鳶を點じ去つただけで、鳶そのものの狀態に就ては何も說明してゐない。飛んでゐるか、とまつてゐるかといふことも、句の表には現してゐないが、冬枯を背景とし、その色彩に紛るゝとある以上、これはとまつてゐる鳶と見るを至當とする。「物にまぎるゝ」といふ七字が簡單にこれを悉してゐる[やぶちゃん注:「つくしてゐる」。]。

 

   麥まきや風にまけたる鳶烏 吏 明

 

 寒い畑に出て麥を蒔まきつゝある。强い風が野一面に吹きまくる。先程まで飛んでゐた鳶も烏も、風に堪へられなくなつたと見えて、そこらに影が見えなくなつた、といふ意味かと思はれる。

「風にまけたる」といふ言葉は上乘のものではないかも知れない。たゞ現在風に吹かれつゝある――吹き惱まされつゝある狀態だけでなしに、今し方まで飛んでゐたのが、いつか見えなくなつたといふ時間的經過を現し、その上に風の强い意味まで含ませるとすれば、やはりかういふ意味の言葉を使はなければをさまらぬのであらう。この種の言葉も元祿期の一特徵である。

 

   初雪や桐の丸葉の片さがり 路 健

 

 雪に對して桐の葉を持出したところに特色がある。桐一葉は秋の到るを現すのに恰好なものであるが、それだからと云つて、桐の葉は冬を待たずに全部落ち盡すわけではない。かなり遲くまで枝についてゐる葉がある。同じ作者の句に「初雪や桐の葉はまだ落果ず」といふのがあるが、これは桐の梢がまだ幾葉もとゞめてゐることを現したのである。「片さがり」の句はその葉の一に目をとめて、片さがりになつてゐる狀態を捉へた。「丸葉」は今の人だつたら「廣葉」といふところかも知れない。

 俳句は或傳統の上に立つ詩である。季題趣味といふものも、傳統の上に立たなければ解し得ぬ點がいくらもある。併しそれが爲に、桐の葉は秋に落ちるものだから、雪に配するのは常磐木か枯木に限るといふやうな既成觀念を生じて來ると、多少の危險を伴ふことを免れぬ。句の趣は直に自然に就て探るべく、歲時記や既成觀念に支配される必要は少しも無い。古人も夙にそれを實行してゐることは、雪中の桐の葉がよく之を證してゐる。

 

   栴檀の實にひよ鳥や寒の雨 蘆 文

 

 この栴檀は二葉より馨しい[やぶちゃん注:「かんばしい」。]名木ではない。アフチの實である。嘗て新年に伊勢神宮に參拜した時、黃色い實のなつてゐる木があつて、センダンだと敎へられた。「栴檀のほろほろ落つる二月かな」といふ子規居士の句を成程と合點したが、今度はこの句を讀んであの木のことを思ひ出した。

 寒の雨の降る中を、鵯[やぶちゃん注:「ひよどり」。]が栴檀の實を食ひに來る。鵯も栴檀の實も等しく雨に濡れつゝある。寒いながら何となく親しい感じのする句である。

[やぶちゃん注:「ひよ鳥」スズメ目ヒヨドリ科ヒヨドリ属ヒヨドリ Hypsipetes amaurotis 。博物誌は私の「和漢三才圖會第四十三 林禽類 鵯(ひえどり・ひよどり) (ヒヨドリ)」を見られたい。

「栴檀は二葉より馨しい名木」双子葉植物綱ビャクダン目ビャクダン科ビャクダン属ビャクダン Santalum album の中国語の異名。

「アフチ」ムクロジ目センダン科センダン属センダン変種センダンMelia azedarach var. subtripinnata 。私は花が大好き。

「栴檀のほろほろ落つる二月かな」明治二七(一八九四)年、満二十六歳の時の作。表記は、

   *

 栴檀のほろほろ落る二月かな

   *

である。]

「和漢三才圖會」植物部 卷第八十三 目録・喬木類 杜仲

 

Totyu

 

とちう  思仲  思仙

     木綿  檰

      【和名波比末由美】

杜仲

     【昔有杜仲者服此

      得道因名之思仲

トウ チヨン   思仙皆由此義】

 

本綱杜仲生深山中樹髙數丈葉似辛夷及柘葉其皮折

之銀𮈔相連如綿故名木綿初生嫩葉可食其花實苦澀

其子名逐折【與厚朴子同名】

皮【甘微辛温】 肝經氣分藥潤肝燥補肝虛葢肝主筋腎主骨

 腎𭀚則骨強肝𭀚則筋健屈伸利用皆屬于筋杜仲能

[やぶちゃん字注:「𭀚」は「充」の異体字。]

 入肝而補腎治腰膝痛み以酒行之則爲効容易矣【惡玄參】

△按杜仲本朝古有之今亦有稱杜仲者皮相似而無𮈔

 入藥來於中𬜻者佳

 

   *

 

とちう  思仲  思仙

     木綿《もくめん》  檰《めん》

      【和名、「波比末由美《はひまゆみ》」。】

杜仲

     【昔し、杜仲と云ふ者、有り、此れを服

      して、道≪を≫得。因りて、之れを名

      づく。「思仲」「思仙」、皆、此の義の由

トウ チヨン   《よし》。】

 

「本綱」に曰はく、『杜仲、深山の中に生ず。樹の髙さ、數丈。葉、辛夷(こぶし)、及び、柘《しや》の葉に似る。其の皮、之れを折るに、銀𮈔《ぎんし》、相《あひ》連りて、綿《わた》のごとし。故に「木綿《もくめん》」と名づく。初生の嫩葉《わかば》、食ふべし。其の花實《くわじつ》、苦く澀《しぶ》し。其の子《たね》を「逐折《ちくせつ》」と名づく【「厚朴《かうぼく》」の子と名を同じくす。】。』≪と≫。

『皮【甘、微辛、温。】 肝經《かんけい》の氣分の藥にて、肝の燥(かは)くを潤《うるほ》し、肝の虛を補ふ。葢し、肝は、筋を主《つかさど》り、腎は、骨を主る。腎、𭀚(み)つれば、則ち、骨、強く、肝、𭀚《みつ》れば、則ち、筋、健(すくや)かなり。屈伸の利用、皆、筋に屬す。杜仲、能く、肝に入りて、腎を補ひ、腰・膝の痛みを治す。酒を以つて、之れを行(めぐら)す。則ち、効(しるし)を爲《なす》こと、容-易(たやす)し【「玄參《げんじん》」を惡《い》む。】。』≪と≫。

△按ずるに、杜仲、本朝、古《いに》しへ、之れ、有り。今に亦、杜仲と稱する者、有り、皮、相ひ似て、𮈔≪は≫、無し。藥に入るに≪は≫、中𬜻より來たる者、佳《よ》し。

 

[やぶちゃん注:真の漢方の「杜仲」の基原植物は、一科一属一種である、

双子葉植物綱トチュウ目トチュウ科トチュウ属トチュウ Eucommia ulmoides

である(新しいAPG分類体系ではガリア目Garryalesに分類されているが、このガリア目もガリア属 Garrya とアオキ属 Aucuba との三属二十種足らずの小世帯である)。中国大陸原産で、本邦には自生しない。当該ウィキによれば、『日本にトチュウが導入されたのは』大正七( 一九一八)年、或いは、『一説には』明治三二(一八九九)年と『されている』とあるので、良安の言っている、本邦にも、古くに杜仲が自生していた、というような文々は誤りである。而して、同前ウィキに『日本では平安時代に貴族階級で「和杜仲」という強壮剤が使われていたが、これはトチュウ科のトチュウではなく』、『ニシキギ科』Celastraceae『のマサキとされている』とあったので、考証する手間が省けた。その「マサキ」(柾・正木)とは、

ニシキギ目ニシキギ科ニシキギ属マサキ Euonymus japonicus

で、中国・朝鮮半島・日本に自生する。現在のマサキの中文名は「冬青衛矛」である。

 良安の「本草綱目」のパッチワーク引用は、「卷三十五上」の「木之二」「喬木類」(「漢籍リポジトリ」)の「杜仲(ガイド・ナンバー[085-11b]以下)。

「波比末由美《はひまゆみ》」小学館「日本国語大辞典」に、『植物「とちゅう(杜仲)」または、「まさき(柾)」の古名』とし、「杜仲」の本邦の使用例の初出を「出雲風土記」とし、他に「新撰字鏡」(平安前期末に書かれた漢和字書。昌住(しょうじゅう)著で昌泰年間(八九八~九〇一年)成立)が挙げられてある。

「杜仲と云ふ者、有り、此れを服して、道≪を≫得」言わずもがな、元は太古の仙人の名とする。かの秦の始皇帝が、晩年に、不老不死の妙薬の探索を徐福に命じ、仙人の名を持つ「杜仲」を服用していたという逸話もあるという。

「辛夷(こぶし)」良安は、もう、確信犯で「コブシ」と振っているだが、これは、厳密には「シンイ」と読んでおくべきで(東洋文庫訳も『しんい』とルビする)、所謂、諸人の知る所の、私の好きな花である、モクレン目モクレン科モクレン属ハクモクレン節コブシ Magnolia kobus ではないからである。同種の中文ウィキを見られると、標題が「日本辛夷」となっている通り、日本、及び、韓国の済州島の温帯から暖帯上部にのみ分布するからである(一九二〇年に青島(チンタオ)に導入されたとある)。されば、ここはモクレン属Magnolia に留めねばならないのである

「柘《しや》」これも日中で異なるので、音で読んでおいた。中国では、

バラ目クワ科ハリグワ連ハリグワ属ハリグワ(中文名「柘」) Maclura tricuspidata

である。平凡社「世界大百科事典」他によれば、中国・朝鮮に原産し、時に栽培される棘のあるクワ科Moraceaeの落葉小高木で、若枝は、よく伸び、また、腋芽は短くまっすぐ伸びて棘となる。葉は互生し、ほぼ楕円形。全縁で、表面はつやのある緑色、裏面は淡緑色。雌雄異株で、六月頃に開花する。雄花序は葉腋に出て、短い柄に頂生し、ほぼ球形、多数の花が密生する。花は四枚の花被と、それに対生する雄蕊四本からなる。雌花序も球形で,花には花被四枚と雌蕊一本があり、長い花柱が、花被の隙間から超出する。花被片は肉質となり、赤く熟し、食べられる。樹皮や根は薬用に、材は黄色の染料に、果実は食用に、樹皮は製紙材料になる。また、葉はクワより堅いが、カイコの餌とする。なお、同属種カカツガユ Maclura cochinchinensis は、やや蔓性の常緑木本で、暖帯南部から亜熱帯に広く分布し、本邦でも、山口県・四国南部・九州・琉球に自生する、とあった。一方、本邦の「柘」は、古名で二種に当たり、

ツゲ(柘植)目ツゲ科ツゲ属ツゲ変種ツゲ Buxus microphylla var. japonica

バラ目クワ科クワ属ヤマグワ Morus bombycis

である。前者は当該ウィキを、後者はウィキの「クワ」にある「ヤマグワ」を見られたい。後者は中国のハリグワの近縁種ではある。

「初生の嫩葉《わかば》、食ふべし」いろいろ読んでみたが、確実に同種の「葉」を食用にすることがちゃんと記されてあるのは、サイト「Botanic薬草LAB.」の「杜仲について」であった。そこには、漢方薬剤のガチガチの説明としてではなく、『ここでは特に、食品として楽しむことができる「杜仲葉」について主にまとめました』とあって、『漢方の分類五味五性では「甘」「温」になります。(一部で、皮を「辛」と分類している文献もありますが、甘が一般的)』とし、「杜仲葉」の項に、『葉をお茶にした杜仲茶には、血流を良くし、交感神経に働きかけ、血圧を下げる効果が最も知られています。杜仲葉配糖体(ゲニポシド酸)』(Geniposidic Acid)『が血圧に効果が有るといわれていて、医学的に実験し査読を通って発表されている論文があります。その成果を元に、特定保健用食品に認定された商品も市販されています』。『そのほか「肝腎から来る冷え」「頻尿」、さらに「ダイエット」にも効果があると言われ、体脂肪率や体重が減ったという報告も』あり、『ノンカフェインで妊婦さんや幼児でも安心して飲むことができます』とあった。

『其の子《たね》を「逐折《ちくせつ》」と名づく【「厚朴《かうぼく》」の子と名を同じくす。】。』前項「厚朴」を参照されたい。

「玄參《げんじん》」中国の真正の基原植物はシソ目ゴマノハグサ科ゴマノハグサ属玄參Scrophularia ningpoensis で、浙江省と四川省に分布する。

「藥に入るに≪は≫、中𬜻より來たる者、佳《よ》し」「日本薬学会」公式サイト内の「ゴマノハグサ」に、『江戸時代に小野蘭山が、玄参の原植物としてゴマノハグサを当てたことから、日本ではゴマノハグサ』(ゴマノハグサ属ゴマノハグサ Scrophularia buergeriana 当該ウィキによれば、『日本では、本州の関東地方南部・中部地方・中国地方、九州に分布し、やや湿り気にある草地、草原などに生育』し、『国外では、朝鮮半島、中国大陸北部・東北部に分布する』とあった)『の根が用いられてき』たとあり、また、『現在、市場で流通している玄参の多くは、中国産のものとなってい』るとあった。]

柴田宵曲「古句を觀る」正規表現版電子化注 / 「冬」(6)

 

   朝霜に摺餌摺なり步長屋 梨 月

 

「步長屋」は「カチナガヤ」と讀むのであらう。「カチ」は徒侍[やぶちゃん注:「かちざむらひ」。]、普通にオカチといふやつである。徒士とも書き、步行とも書くやうに聞いてゐる。こゝで徒侍の分限などに就て、武家生活の方から何か云ふのは、吾々の任でもなし、又この句にさう必要なわけでもない。步長屋は徒侍の住んでゐる長屋と解してよさゝうに思ふ。

 霜の白く置いた朝、さういふ步長屋で小鳥にやるべき摺餌を摺つてゐる。小鳥は朝起だから、無論早旦に相違無い。ゴロゴロ摺る摺餌の音と、朝霜との間には感じの上の調和があるが、朝早く鳥の摺餌なんぞを摺つてゐるところに、武家生活の或斷面が現れてゐるやうな氣がする。但それは眼前の小景を捉へたまでで、さう面倒な知識を要するほどのものではない。

 

   更る夜や舟の咳きく橋の霜 雩 木

 

 深更の趣である。橋の上には已に白く霜の置いてゐるのが見える。そこを通りかゝつた時、圖らずも寒夜に咳く[やぶちゃん注:「しはぶく」。]聲を耳にした、それは橋の下あたりに泊つてゐる舟人の咳であつた、といふのである。「置く霜の白きを見れば夜ぞ更けにける」――橋の上を踏む行人の姿よりも、水上を家として舟に寐る人の生活が思ひ浮べられる。

 店月橋霜は詩歌の題材として古來云ひ古された觀があるが、この句をして力あらしむるものは、深夜の水に響く舟人の咳である。この咳一聲あるが爲に、霜夜の天地の闃寂[やぶちゃん注:「げきせき」。]たる感じが却つて强くなる。行人の咳でなしに、姿は見えぬ舟人の咳であるだけに、一層あはれを感ぜしめる。

[やぶちゃん注:「雩木」「うぼく」と読んでおく。「雩」の原義は「雨乞い。夏の日照りの時に雨が降るように祈る祭祀」の意があるが、ここは「虹」の意であろう。

「置く霜の白きを見れば夜ぞ更けにける」言わずもがな、「百人一首」六番歌で、中納言家持の一首。「新古今和歌集」の「卷第六 冬」に何故か入っているもので(六二〇番)、

   *

 かさゝぎの渡せる橋にをく霜の

    白きを見れば夜ぞふけにける

   *

「をく」はママ。

「店月橋霜」晩唐の温庭筠(おんていいん 八一七年~八六六年)の五言律詩、

   *

  商山早行   溫庭筠

 晨起動征鐸

 客行悲故鄕

 雞聲茅店月

 人迹板橋霜

 槲葉落山路

 枳花明驛牆

 因思杜陵夢

 鳧雁滿囘塘

   商山の早行(さうかう)

  晨(あした)に起き 征鐸(せいたく)を動かす

  客行(きやくかう) 故鄕を悲しむ

  雞聲(けいせい) 茅店(ばうてん)の月

  人迹(じんせき) 板橋(ばんきやう)の霜(しも)

  槲葉(こくえふ) 山路(さんろ)に落ち

  枳花(きくわ) 驛牆(えきしやう)に明らかなり

  因(よ)りて思ふ 杜陵(とりやう)の夢

  鳧雁(ふがん) 回塘(くわいたう)に滿つるを

   *

の第三句の「茅店月」と、第四句の「板橋霜」から。サイト「note」の高松仙人氏の『幸田露伴の随筆「蝸牛庵聯話 月・霜」』によれば、この二句を、北宋の政治家文人として知られる『欧陽脩』(一〇〇七年~一〇七二年)『が感賞して、「これは梅聖兪」(せいゆ:北宋中期の詩人で官僚の梅堯臣(一〇〇二年~一〇六〇年)の字(あざな))『の云うところの表しがたい状景で、目前に在るようだが』、『表せない意(おもい)を、言外に見えるようにしたものである。」として、自身も「鳥声梅店雨、野色版橋春」の一聯を作ることになったと云う』とあった。

「闃寂」「げきじやく」(げきじゃく)とも読む。「ひっそりと静まって寂しいさま」を言う。]

 

   火のきえておもたうなりぬ石火桶 蘭 仙

 

 理窟屋に聞かせたら、火の有無は重量に關係はない、といふかも知れぬ。そこは感じの問題である。炭のおこつてゐる時はさほどに思はぬのが、火が消えて冷たくなつたら、ひどく重く感ずる。石火桶であれば、その冷たさも、重さも、二つながら普通の火鉢以上であらう。

 

   底寒く時雨かねたる曇りかな 猿 雖

 

「底寒く」といふことは「底冷え」などといふ言葉と同じく、しんしんと底から寒いやうな場合を云ふのであらう。空が曇つて時雨でも來さうになつたが、遂に降らず、依然としてどんより曇つてゐる。さうして底寒い。何となく凝結したやうな狀態である。

 時雨は關東の地に絕無といふわけでもあるまいが、山に遠い關東平野の中にゐる吾々は、さつと來て直に去る初冬の時雨なるものに緣が無い。その代り京都の冬を談ずる者の必ず口にする「底冷え」なるものからも免れてゐる。時雨は底冷えのする土地の產物だと云つたら、或は語弊があるかも知れぬが、いづれも山近い土地の現象であるだけに、相互關係を否定出來まい。この句は時雨の降りかねた場合の寒さを、的確に現し得てゐる。

[やぶちゃん注:「猿雖」は「えんすい」と読む。窪田猿雖(寛永一七(一六四〇)年~宝永元(一七〇四)年)は伊賀蕉門の最古参の一人として、芭蕉から信頼された人物で、伊賀上野の富商であった。屋号は内神屋(うちのかみや)。元禄二(一六八九)年に出家し、俳諧に専念し、撰集「猿蓑」に二句、「續猿蓑」に七句、入集している。別号に意専がある。この句は、路健編「旅袋」に所収する。]

「和漢三才圖會」植物部 卷第八十三 目録・喬木類 厚朴

 

Hounoki

 

かうぼく   烈朴 赤朴

 ほゝのき  厚皮 重皮

厚朴

        樹名榛

        子名逐折

      【和名保々加之波乃木

       今云保々乃木】

 

本綱厚朴生山谷中梓州龍州者爲上其木髙三四丈徑

一二尺膚白肉紫春生葉如槲葉四季不凋皮鱗皺而厚

紫色多潤者良五六月開細紅花結細實如冬青子生青

熟赤有核

皮【苦辛温】 其用有三平胃【一也】去腹脹【二也】孕婦忌之【三

 也】雖除腹脹若虛弱人宜斟酌用之誤服脫人元氣乃

 結者散之之神藥能瀉胃中之實平胃散用之佐以蒼

 术瀉胃中之濕平胃土之太過以致於中和而已非謂

[やぶちゃん注:」は「木」の異体字であるが、これは、諸漢方記事を見るに、「朮」の誤字である。訓読では、後の部分も「朮」に訂した。

 温補脾胃也蓋與枳實大黃同用則能泄實滿與陳皮

 蒼术同用則能除濕滿與解利藥同用則治傷寒頭痛

 與瀉痢藥同用則厚腸胃

 【不以薑製則棘人喉舌乾薑爲

  之使惡澤瀉忌豆食之動氣】

[やぶちゃん注:以上の割注は、以上のように、改行している。珍しい書式であるが、これは、続けて書くと、次の行に二字のみとなるのを嫌って、かく、したものと推定される。]

 新六 何そこの西の軒はのほゝかしは山のはまたて月そかくるゝ 知家

 六帖 みちのくの栗狛の山のほゝの木の枕はあれと君か手枕 人丸

△按厚朴葉大者近尺似槲葉而無刻齒淺綠色冬凋春

 生嫩葉夏開花狀似牡丹花而淺紫色大一尺許隨結

 實似冬靑子而熟則殻自裂裏赤中子黒老木皮有鱗

 皺剥入藥用膚白理宻微帶黃作刀劔鞘或釐等奩蓋

 其葉四季不凋者花紅細者並不當

 

   *

 

かうぼく   烈朴 赤朴

 ほゝのき  厚皮《かうひ》 重皮

厚朴

        樹を「榛《しん》」と名づく。

        子《み》を「逐折」と名づく。

      【和名、「保々加之波乃木《ほほかしはのき》」。

       今、云ふ、「保々乃木《ほほのき》」。】

 

「本綱」に曰はく、『厚朴、山谷《さんこく》の中に生ず。梓州《ししう》・龍州の者、上と爲《なす》。其の木、髙さ、三、四丈。徑《めぐ》り、一、二尺。膚《はだへ》、白く、肉、紫。春、葉を生ず、槲(かしは)の葉のごとく、四季、凋まず。皮に鱗《うろこ》の皺(しわ[やぶちゃん注:ママ。])ありて、厚し。紫色。多く、潤《うるほ》ふ者、良し。五、六月、細《こまやか》なる紅≪の≫花を開き、細《こまやか》なる實《み》を結ぶ。「冬青(まさき)」の子(み)のごとし。生《わかき》は、青く、熟《じゆくせ》ば、赤く、核《たね》、有り。』≪と≫。

『皮【苦辛、温。】 其の用、三《みつ》、有り。胃を平《たひ》らぐ【一《いつ》なり。】。腹の脹《は》りを去る【二なり。】。孕婦には、之れを忌む【三なり。】。腹の脹りを除くと雖も、虛弱の人のごときは、宜しく斟酌《しんしやく》して之れを用ふべし。誤り、服すれば、人の元氣を、脫す。乃《すなはち》、結する者、之れを散ずるに、之《これ》、神藥にて、能く、胃中の實《じつ》を瀉《しや》す。「平胃散」に、之れを用ひて、佐《さ》するに、「蒼朮《さうじゆつ》」を以つて、胃中の濕《しつ》を瀉し、胃土の太過《たいくわ》を平らげ、以つて、中和を致すのみ。脾胃を温補《おんほ》すると謂ふに非ざるなり。蓋し、「枳實《きじつ》」・「大黃《だいわう》」と、同じく用ゆれば、則ち、能く、實滿《じつまん》を泄《せつ》す。「陳皮《ちんぴ》」・「蒼朮」と同じく用ふれば、則ち、能く濕滿《しつまん》を除く。解利の藥と同じく用ふれば、則ち、傷寒・頭痛を治し、瀉痢の藥と、同≪じく≫用ふれば、則ち、腸胃を厚くす。』≪と≫。

『【「薑《きやう》」≪にて≫製《せい》≪を≫以つてせざれば、則ち、人の喉《のど》・舌を、棘(いらつ)かす。「乾薑《けんきやう》」を、之れが「使」に爲《な》す。澤瀉《たくしや/おもだか》を惡《い》み[やぶちゃん注:「忌み」に同じ。]、豆を忌む。之れを食へば、氣を動かす。】』≪と≫。

 「新六」

   何《なに》ぞこの

       西の軒ばの

    ほゝかしは

      山のはまたで

       月ぞかくるゝ 知家

 「六帖」

   みちのくの

       栗狛(くりこま)の山の

    ほゝの木の

      枕はあれと

       君が手枕(たまくら) 人丸

△按ずるに、厚朴、葉の大なる者は、尺に近く、槲(かしは)の葉に似て、刻齒《きざみば》、無く淺綠色。冬、凋≪み≫、春、嫩葉(わか《ば》)を生ず。夏、花を開く。狀《かたち》、牡丹の花に似て、淺紫色。大いさ、一尺許《ばかり》。隨ひて、實を結ぶ。「冬靑(まさき)」の子《み》に似て、熟すれば、則ちお、殻、自《おのづか》ら、裂(さ)け、裏、赤《あかし》。中の子《たね》、黒し。老木の皮、鱗皺《うろこじは》、有り。剥(は)ぎて、藥用に入《いるる》。膚《はだへ》、白く、理(きめ)、宻(こまか)にして、微《やや》、黃を帶ぶ。刀劔の鞘(さや)、或いは、釐-等(でぐ)の奩(いえ[やぶちゃん注:ママ。「家(いへ)」で「箱」のこと。「釐-等の奩」の私の注を見られたい。])に作る。蓋し、「其の葉、四季、凋まざる。」と云≪ひ≫[やぶちゃん注:「云」は送り仮名にある。]、花、紅にして、細きなり。」と云ふは[やぶちゃん注:同前。]、並びに、當たらず。

 

[やぶちゃん注:これは、良安の種の類推に、非常に、問題がある。それについて、東洋文庫では後注で、「冬青(まさき)の子に似て」という部分を指摘にして、『良安は冬青をマサキと認識して話をすすめているが、中國の冬青は現在ではナナメノキとされている』とあるからである。この以下に続く痙攣的誤謬の堆積物を、まず、「腑分け」しなければならない。

「冬青」は本邦に於いては、現行、双子葉植物綱バラ亜綱ニシキギ目モチノキ科モチノキ属ソヨゴ Ilex pedunculosa の漢字表記

である。当該ウィキによれば、ソヨゴは『常緑樹で』、『冬でも葉が青々と茂っていることから「冬青」の表記も見られる』しかし、『「冬青」は常緑樹全般にあてはまることから、これを区別するために「具柄冬青」とも表記され』、『中国』の『植物名でも』「具柄冬青(刻脈冬青)」『と表記される』とあり、当該中文ウィキでも、そうなっている(他に別名として「長梗冬青」も挙げられてある)。ところが、良安は、この「冬青」に『マサキ』とルビしてしまっている。しかし、「マサキ」は、

ニシキギ目ニシキギ科ニシキギ属マサキ Euonymus japonicus

であって、上位の科タクソンで異なる、全くの異種なのである。翻って、本標題の「厚朴」は、現行では、「ナナメノキ」の異名を持つ、

〇モチノキ目モチノキ科モチノキ属モチノキ亜属ナナミノキ Ilex chinensis

を指すのである。中文名も正しく「冬青」である。Wikispecies」の「Ilex chinensisの終わりにある「一般名」に「中文:冬青」とあるので、間違いない。従って、

「本草綱目」で時珍が記述している「厚朴」はのナナミノキと断定してよい

ということになるのである。こうした多重錯誤が行われているため、話しが全く噛み合わなくなってしまっており、結果、ドン尻で、良安は、『蓋し、「其の葉、四季、凋まざる。」と云、花、紅にして、細きなり。」と云ふは、並びに、當たらず。』と不満をブチ挙げるに至っているのである。

 良安の「本草綱目」のパッチワーク引用は、「卷三十五上」の「木之二」「喬木類」(「漢籍リポジトリ」)の「厚朴」(ガイド・ナンバー[085-8a]以下)はかなり長いので、各自で見られたい。

 以上で比定同定した「厚朴」=「ナナミニノキ」について、小学館「日本大百科全書」から引用しておく(当該ウィキは、失礼乍ら、記載が頗る貧困で、樹形等の写真ぐらいしか役に立たない)。『ななみのき』は『七実木』であり、『モチノキ科』Aquifoliaceae『の常緑高木。高さは』十『メートルに達する。幹は灰褐色、若枝は緑色で稜がある。葉は厚く、長卵状楕円形、長さ』七~十三『センチメートル、低い鋸歯がある。花は』六『月、葉腋から出た集散花序につき、淡紫色。雌雄異株。核果は球形、径約』六『ミリメートルで、赤く熟す。静岡県以西の本州、四国、九州』、及び、『中国に分布し、山地に生える。美しい実が多くなるので』、『この名がある。材は器具材とし、樹皮から』「トリモチ」や『染料をとる』とあった。中文ウィキは存在しない。英文の当該種のウィキを見るに、『冬青は伝統的な中医学で使われる五十種の基本的な生薬の一つで、「冬青」(中国語名「冬青」)という名前で呼ばれている。中医学では、血行を促進し、鬱血を取り除いて、熱と毒素を排除するとされている。狭心症・高血圧・ぶどう膜炎(眼の中の「虹彩」・「毛様体」・「脈絡膜」から成る非常に血管の多い組織を総称して「ぶどう膜」と呼び、そこに炎症が起こる病気を指すが、実際には、「ぶどう膜」だけではなく、脈絡膜に隣接する「網膜」や、眼の外側の壁となっている「強膜」に生じる炎症も含んで総称する)、・咳・胸部圧迫感・喘息等の症状を改善すると信じられている。また、本種の根は、皮膚感染症・火傷・外傷に局所的に塗って効果がある。中国やヨーロッパの多くの都市で街路樹として使用されている』といった内容が記されてあった。これらの対応疾患は、時珍の記述によく一致することが判る。

「榛《しん》」「本草綱目」の「厚朴」の「釋名」に出てしまっているのだが、これもコマッタちゃんで、現行では、

ブナ目カバノキ科ハシバミ属ハシバミ変種 Corylus heterophylla var. thunbergii

を指す。

「逐折」中文の「中醫世家」のここに見つけた。『杀鼠,益气明目。一名百合。浓实,生禾间,茎黄,七月实黑,如大豆。』とあるので、この「益气明目」は「当たり」である。

『和名、「保々加之波乃木《ほほかしはのき》」。今、云ふ、「保々乃木《ほほのき》」。』これもまた、ダブル・コマッタちゃんだ! これは、「ホオ」「ホオガシワ」の異名を持つ、ジェンジェン違う、

モクレン目モクレン科モクレン属ホオノキ節ホオノキ Magnolia obovata

だがね!!

「梓州《ししう》」南北朝時代から宋代にかけて、現在の四川省綿陽市(グーグル・マップ・データ。以下、無指示は同じ)南部に設置された州名。

「龍州」南北朝時代から明代にかけて、現在の四川省の綿陽市北部と、同省の広元市西部に跨る地域に設置された州名。

「槲(かしは)」繰り返さないが、先行する「柏」の項では、良安は、そこでは、この「槲」を「くぬぎ」と読んじゃってるのだ。やり過ぎのドタバタ・コメディを見てるような呆れたありさまである。

「冬青(まさき)」このルビを以って、「マサキ」が「厚朴」とイコールと断じて「本草綱目」の記載を読んでしまった良安の認識こそが地獄の坩堝落ちの大脱線の始まりであったのである。

「平《たひ》らぐ」平静な状態に戻す。

「胃中の實《じつ》を瀉《しや》す」胃の内部にある、異常な食物の固まったものを排泄・除去する。

「平胃散」サイト「おくすり110番」の「平胃散」を見られたい。「Ⅰ作用」の「働き」に『平胃散(ヘイイサン)という方剤』は、『胃の働きをよくして、水分の停滞を改善し』、『その作用から、消化不良による胃もたれ、胃のチャポチャポ、お腹のゴロゴロ、下痢などに適応し』、『体力が中くらいの人を中心に広く用いることができ』るとあって、「組成」の項に、『平胃散の構成生薬は、胃腸によい下記の』六『種類で』あるとして、「厚朴」を『健胃作用』があるとし、蒼朮・厚朴・陳皮・生姜(ショウキョウ:薑(ショウガ))・大棗(タイソウ)・甘草をリストする。

「佐《さ》するに」「主薬の補助剤とし」の意。

「蒼朮《さうじゆつ》」はキク目キク科オケラ属ホソバオケラ Atractylodes lancea の根茎の生薬名。中枢抑制・胆汁分泌促進・抗消化性潰瘍作用などがあり、「啓脾湯」・「葛根加朮附湯」などの漢方調剤に用いられる。参照したウィキの「ホソバオケラ」によれば、『中国華中東部に自生する多年生草本。花期は』九~十『月頃で、白〜淡紅紫色の花を咲かせる。中国中部の東部地域に自然分布する多年生草本。通常は雌雄異株。但し、まれに雌花、雄花を着生する株がある。日本への伝来は江戸時代、享保の頃といわれる。特に佐渡ヶ島で多く栽培されており、サドオケラ(佐渡蒼朮)とも呼ばれる』とある。

「胃土」東洋文庫訳では、割注があって、『(胃は五行の土にあたる)』とある。

「太過《たいくわ》」「大過」とも書く。ここは、易(えき)の六十四卦の一つ。「沢風大過」とも称し、「四陽」が「中(ちゅう)」に集まり、「二陰」が外にあるために、陽が盛大に過ぎる状態を指す語であろう。

「枳實《きじつ》」ミカン・ダイダイ・ナツミカン等の未熟果実を乾燥させたもの。漢方で健胃・胸痛・腹痛・鎮咳・去痰などに薬用とする。

「大黃《だいわう》」ダイオウ。タデ目タデ科ダイオウ属 Rheum の一部の種の根茎の外皮を取り去って乾燥したもので、健胃剤・潟下剤とする。「唐大黄」と「朝鮮大黄」との種別がある。

「實滿《じつまん》を泄《せつ》す」消化器系で閉塞を起こしているものを、排泄させる。

「陳皮《ちんぴ》」中国では熟したムクロジ目ミカン科ミカン属マンダリンオレンジ Citrus reticulata の果皮を観想させたものであるが、本邦では熟したミカン属ウンシュウミカン Citrus unshiu のそれで代用する。

「濕滿《しつまん》を除く」「漢方で言う体内の病的な湿気(しっき)の膨満状態を取り除く」の意。

「解利の藥」東洋文庫の割注に、『(利き目のするどいのを緩める薬)』とある。

「傷寒」漢方で「体外の環境変化により経絡が冒された状態」を指し、具体には、「高熱を発する腸チフスの類の症状」を指すとされる。

「薑《きやう》」「乾薑」漢方生薬としては「良姜」で、ショウガ目ショウガ科ハナミョウガ属 Alpinia の根茎を乾したものを指す。

「澤瀉《たくしや/おもだか》」ここは正しくは「たくしや」(たくしゃ)で読むのが正しいが、良安が「おもだか」と読んでいた可能性を完全には排除出来ないので、かく、した。本邦で「澤瀉」は、

単子葉植物綱オモダカ目オモダカ科オモダカ属オモダカ Sagittaria trifolia

を指すのであるが、中国では、

オモダカ科サジオモダカ属ウォーター・プランテーン変種サジオモダカ Alisma plantago-aquatica var. orientale

属レベルで異なる別種の塊茎を乾燥させたものを「澤瀉」と言うからである。詳しくは、私の「大和本草卷之八 草之四 水草類 澤瀉(をもだか) (オモダカ)」を参照されたい。

「新六」「何《なに》ぞこの西の軒ばのほゝかしは山のはまたで月ぞかくるゝ」「知家」「新六」は「新撰和歌六帖(しんせんわかろくぢやう)」で「新撰六帖題和歌」とも呼ぶ。寛元二(一二四三)年成立。藤原家良(衣笠家良)・藤原為家・藤原知家(寿永元(一一八二)年~正嘉二(一二五八)年:後に為家一派とは離反した)・藤原信実・藤原光俊の五人が、寛元元年から同二年頃に詠んだ和歌二千六百三十五首を収録した類題和歌集。奇矯・特異な詠風を特徴とする。日文研の「和歌データベース」の「新撰和歌六帖」で確認した。「第六 木」のガイド・ナンバー「02483」である。

「六帖」「みちのくの栗狛(くりこま)の山のゝの木の枕はあれと君が手枕(たまくら)」「人丸」「六帖」は「古今和歌六帖」のこと。全六巻。編者は紀貫之、或いは、「和名類聚鈔」で知られる源順(したごう)とも言われる。草・虫・木・鳥等の二十五項、五百十六題について和歌を掲げた類題和歌集。十世紀の終わり近く、円融・花山・一条天皇の頃の成立か。成立年代は未詳であるが、貞元元(九七六)年から永延元(九八七)年まで、又は源順の没年である永観元(九八三)年までの間が一応の目安とされる。日文研の「和歌データベース」の「古今和歌六帖」で確認した。「第五 服飾」のガイド・ナンバー「03237」である。「栗狛の山」とは山体が宮城・秋田・岩手の三県に跨る栗駒山(くりこまやま:標高千六百二十六メートル)のこと。なお、「夫木和歌抄」にも載るが、そちらでは「読人不知」である。

「釐-等(でぐ)の奩(いえ《✕→いへ》)」割注したが、まず、後半を順序立てて言うと、「奩」は音「レン」で、古くは、漢代の化粧用具の入れ物を指した。青銅製と漆器とがり、身と蓋とから成り、方形や円形のものがある。この中に、鏡や小さな容器に詰めた白粉(おしろい)・紅・刷毛・櫛などを入れる。また,身が二段重ねになっており、上段に鏡を,下段に白粉などを入れるタイプもある。長沙の馬王堆一号漢墓や楽浪の王光墓などから出土している。という訳でここは、まずは、ざっくりと「箱」のことと捉えて欲しい。さて、問題は前の部分で、始めは意味が判らなかった。まず、「釐等」を調べると、小学館「日本国語大辞典」に、「れいてんぐ」で「釐等具・厘等具」と漢字表記し、『「れい」「てん」はそれぞれ「釐」「等」の唐宋音』とし、『釐(りん)・毫(ごう)のような少量までを量るのに用いる秤(はかり)。明治初年頃まで、金銀などの貴重品の重さを量るのに用いた』とある。さすれば、金銀の重量を計る器具を入れる「奩」=「箱」? なんか、今一、ピンと来ない。ところが、後に読みが続き、「れいてん。れてぐ。れいてぐ。れていぐ。れてん。」とあった。而して、良安は「釐等」に対して「テグ」とルビしている。――決定打は東洋文庫の訳で――『釐等奩(にんぎょうばこ)』――とあったので、瞬時に氷解した。「テグ」は「デグ」で、その発音を用いただけであり、「でぐ」の意味は「木偶」(でく・でぐ)のことで、大道芸人が操る木彫りの「人形」や、仕掛けを施した「操り人形」を指し、「その芸人が木偶人形を入れて旅をし、人形操りの台にもした奩」=「人形箱」の意なのだった。]

2024/06/15

「和漢三才圖會」植物部 卷第八十三 目録・喬木類 波牟乃木

 

Hannoki

 

はんのき  正字未詳

波牟乃木

 

 

△按波牟乃木生山中髙者二三丈葉似栗而輭花亦似

[やぶちゃん注:「輭」は「軟」の異体字。]

 栗花而褐色實似杉實其木肌心白色見日則變赤今

 染家用梅木煎汁中投此木屑經宿以染赤色

 

   *

 

はんのき  正字、未だ詳かならず。

波牟乃木

 

 

△按ずるに、波牟乃木、山中に生ず。髙き者、二、三丈。葉、栗に似て、輭《やはらか》。花も栗の花に似て、褐色。實、杉の實に似≪て≫、木肌・心、白色。日《ひ》を見れば、則ち、赤に變ず。今、染家(そめものや)、梅≪の≫木の煎汁《せんじじる》を用ひて、中≪に≫此の木屑(《き》くず[やぶちゃん注:ママ。])を投じて、宿を經て、以て、赤色を染む。

 

[やぶちゃん注:「はんのき」「波牟乃木」は、

双子葉植物綱ブナ目カバノキ科ハンノキ属ハンノキ Alnus japonica

である。良安は、「正字、未だ詳かならず」と言っているが、当該ウィキによれば、『古名を榛(はり)といい、ハンノキという名称はハリノキ(榛の木)が変化したものである』。現在の『中国名は「日本榿木」。別名はヤチハンノキで』、『湿地のハンノキの意味でよばれている』。『岩手県の地方名にヤチバがある』。但し、『漢字表記に用いる「榛」は』、本来、『ハシバミ』(ブナ目カバノキ科ハシバミ属ハシバミ Corylus heterophylla var. thunbergii )『の漢名で』、『ハンノキに用いるのは日本独自の用法であ』り、『また、漢名に赤楊』(これは『を当てたが、これ』も『本来』(これは文字列から「赤い、枝が垂れずに立ち上がるヤナギ科 Salicaceaeの柳の一種」の意になってしまう)、『誤用である』とする(以下、注記記号はカットした)。『日本の北海道から九州、沖縄まで、朝鮮半島、台湾、中国東北部、ウスリー、南千島に分布する。低地の湿地や低山の川沿いに生え、日本では全国の山野の低地や湿地、沼に自生する。湿原のような過湿地において森林を形成する数少ない樹木。田の畔に植えられ、近年では水田耕作放棄地に繁殖する例が多く見られる。普通の樹木であれば、土壌中の水分が多いと酸欠状態になり生きられないが、ハンノキは耐水性を獲得したことで湿地でも生き残ることができる』。『落葉高木で、樹高は』四~二十『メートル』、『直径』六十『センチメートル』『ほど。湿地周辺部の肥沃な土地では、きわめてよく生長を示すものがあって、高さ』三十『メートル、幹回りの直径』一『メートルを超す個体もあるが、湿地中央部に生える個体は成長は減退して大きくならない。樹皮は紫褐色から暗灰褐色で、縦に浅く裂けて剥がれる。葉は有柄で互生し、長さ』五~十三センチメートルの『長楕円形から長楕円状卵形』で、『葉縁には浅い細鋸歯があり、側脈は』七~九『対。葉の寿命は短く、緑のまま次々と落葉する。春先に伸びた』一『葉や』二『葉(春葉)の寿命は、以降に延びた葉(夏葉)よりも短いため』六『月から』七『月になると』、『春葉が集中的に落葉する事が報告されている』。『花期は冬』から初春の十一~四『月頃で、葉に先だって単性花をつける。雌雄同株で、雄花穂は枝先に』一~五『個』、『付き、黒褐色の円柱形で尾状に垂れ下がる。雌花穂は楕円形で紅紫色を帯び、雄花穂の下部の葉腋に』同じように一~五『個』を『つける』。『花はあまり目立たない。また、ハンノキが密集する地域では、花粉による喘息発生の報告がある』。『果実は松かさ状で』同数『個ずつ』、『つき』、十『月頃』、『熟すと長さ』十五~二十『ミリメートルの珠果状になる。松かさに似た小さな実が翌年の春まで残る』。『冬芽は互生して、枝先につく雄花序と、その基部につく雌花序はともに裸芽で柄があり、赤みを帯びる。仮頂芽と測芽はどちらも葉芽で、有柄で』三『枚の芽鱗があり、樹脂で固まる。葉痕は半円形で維管束痕は』三『個ある』。『水田の畔に稲のはざ掛け用に植栽されている。しばしば』、『公園樹として、公園の池のそばに植えられる』。『伝統的な水ワサビの栽培においては』、『木々に囲まれた山の沢を再現するためにわさび田の中に植えられた。現在ではハンノキの代わりに日除けを設置することが多くなった』。『良質の木炭の材料となるために、以前にはさかんに伐採された。材に油分が含まれ生木でもよく燃えるため、北陸地方では火葬の薪に使用された。葉の中には、根粒菌からもらった窒素を多く含んでいて、そのまま葉が散るため、葉の肥料木としても重要である』。『材は軟質で、家具や器具に使われる』。『樹皮や果実は、褐色の染料として有効に使われている。また、抗菌作用があり、消臭効果が期待されている。ハンノキには造血作用のある成分が含まれるため』、『漢方薬としても用いられる』とある。

「宿を經て」「一晩、おいて」。]

「和漢三才圖會」植物部 卷第八十三 目録・喬木類 黃櫨

 

Hajinoki

 

はじのき  和名波𨒛之

       俗云波時乃木

黃櫨

 

ハアン ロウ

[やぶちゃん字注:「𨒛」は「邇」の異体字。]

 

本綱黃櫨生山谷葉圓木黃可染黃色

木【苦寒】 治黃疸目黃水煮服之洗赤眼及湯火𣾰瘡

[やぶちゃん字注:「𣾰」は「漆」の異体字。]

△按黃櫨以染黃色天子御袍稱黃櫨染是也染帛上用

 砥水畧染則爲黑茶色其葉小淺青色莖微赤三四月

 開小白花結細子至秋紅葉

  新古今鶉なくかた埜にたてるはじ紅葉ちらぬばかりに秋風そふく親隆

[やぶちゃん注:最後の和歌の「ちらぬばかりに」は「ちりぬばかりに」の誤りであるので、訓読では訂した。]

 

  *

 

はじのき  和名、「波𨒛之《はにし》」。

       俗、云ふ、「波時乃木」。

黃櫨

 

ハアン ロウ

[やぶちゃん字注:「𨒛」は「邇」の異体字。]

 

「本綱」に曰はく、『黃櫨《くわうろ》、山谷に生《しやうず》。葉、圓《まろ》く、木、黃にして、黃色に染むべし。』≪と≫。

『木【苦、寒。】 黃疸≪がため≫、目、黃なるを治す。水≪にて≫煮て、之れを服す。赤眼《あかめ》、及び、湯火(やけど)・𣾰瘡(うるしまけ)を洗ふ。』≪と≫。

△按ずるに、黃櫨は、以つて、黃色を染む。天子の御袍(《ご》はう)、「黃櫨染(くわうろせん)」と稱す、是れなり。帛《きぬ》を染めて、上《うへ》に砥水《とみづ》を用ふ。畧《やや》染まれば、則ち、黑茶色を爲《なす》。其の葉、小さく、淺青色。莖、微《やや》、赤≪し≫。三、四月、小≪さき≫白≪き≫花を開く。細≪かなる≫子《み》を結ぶ。秋に至《いたり》、紅葉す。

  「新古今」            親隆

    鶉なくかた埜にたてるはじ紅葉

       ちりぬばかりに秋風ぞふく

 

[やぶちゃん注:「黃櫨」(くわうろ(こうろ))「はじのき」は、日中ともに、

双子葉植物綱ムクロジ目ウルシ科ウルシ属ハゼノキ Toxicodendron succedaneum

を指す。但し、現代の中文名は「野漆」で、同中文ウィキでは、異名を「野漆樹「大木漆」「山漆樹」「癢漆樹」「漆木」「檫仔漆」「山賊子」と挙げるのみで、「黃櫨」は記されていない。同種は中国・インドシナ原産で、琉球から最初に渡来したので、「リュウキュウハゼ」の名もある。本邦の当該ウィキによれば(注記記号は省略した)、『ハゼノキ(櫨の木・櫨・黄櫨の木・黄櫨)『はウルシ科ウルシ属の落葉小高木。単にハゼとも言う。東南アジアから東アジアの温暖な地域に自生する。秋に美しく紅葉することで知られ、ウルシほどではないがかぶれることもある。日本には、果実から木蝋(Japan wax)を採取する資源作物として、江戸時代頃に琉球王国から持ち込まれ、それまで木蝋の主原料であったウルシの果実を駆逐した』。『「ハゼ」は古くはヤマウルシ』(ウルシ属ヤマウルシ Toxicodendron trichocarpum )『のことを指し、紅葉が埴輪の色に似ていることから、和名を埴輪をつくる工人の土師(はにし)とし、それが転訛したといわれている』。『別名にリュウキュウハゼ(紅包樹)、ロウノキ、トウハゼなど。果実は』「薩摩の実」(薩摩藩が不当に琉球を実行していたことによる)『とも呼ばれる。中国名は、野漆 (別名:木蠟樹)』。『日本では本州の関東地方南部以西、四国、九州・沖縄、小笠原諸島のほか、朝鮮半島南西沖の済州島、台湾、中国、東南アジアに分布する。低地で、暖地の海に近い地方に多く分布し、山野に生え、植栽もされている。日本の山野に自生しているものは、かつて果実から蝋を採るために栽培していたものが、それが野生化したものが多いともいわれる。明るい場所を好む性質があり、街中の道端に生えてくることもある』。『ときに、庭の植栽としても見られる』。『雌雄異株の落葉広葉樹の小高木から高木で、樹高は』五~十『メートル』『ほどになる。樹皮は灰褐色から暗赤色で、縦に裂けてやや網目状の模様になる。一年枝は無毛で太く、縦に裂ける皮目がある』。『葉は奇数羽状複葉で』、九~十五『枚の小葉からなる。小葉は少し厚くて細長く、長さ』五~十二『センチメートル』『の披針形で先端が尖る。小葉のふちは鋸歯はついていない。表面は濃い緑色で光沢があるが、裏面は白っぽい。葉軸は少し赤味をおびることがある。秋には常緑樹に混じって、ウルシ科特有の美しい真っ赤な色に紅葉するのが見られる。秋にならないうちに、小葉の』一~二『枚だけが真っ赤に紅葉することもある』。花期は』五~六『月』で、『花は葉の付け根から伸びた円錐花序で、枝先に黄緑色の小さな花を咲かせる。雄花、雌花ともに花弁は』五『枚。雄花には』五『本の雄しべがある。雌しべは』三『つに分かれている』。『秋に直径』五~十五『ミリメートル』『ほどの扁平な球形の果実が熟す。果実の表面は光沢があり無毛。未熟果実は緑色であり、熟すと黄白色から淡褐色になる。中果皮は粗い繊維質で、その間に高融点の脂肪を含んだ顆粒が充満している。冬になると、カラスやキツツキなどの鳥類が高カロリーの餌として好んで摂取し、種子散布に寄与する。核は飴色で強い光沢があり、俗に「きつねの小判」、若しくは「ねずみの小判」と呼ばれる』。『冬芽は互生し、頂芽は円錐状で肉厚な』三~五『枚の芽鱗に包まれており、側芽のほうは』、『小さな球形である。落葉後の葉痕は心形や半円形で、維管束痕が多数見える』。『個人差はあるものの、樹皮や葉に触れても普通はかぶれを起こさないが、葉や枝を傷つけると出てくる白い樹液が肌に触れると、ひどくかぶれをおこす。また、枝や葉を燃やしたときに出る煙でも、かぶれることがある』。『よく似ている樹種に』同属の『ヤマハゼ( Toxicodendron sylvestre )があり、ヤマハゼは葉の両面に細かい毛が生えていて、紅葉が赤色から橙色で、鮮やかさはハゼノキよりも劣る印象がある。ハゼノキは葉の表裏ともに毛がない点で、日本に古来自生するヤマハゼと区別できる』。『果実を蒸して圧搾して採取される高融点の脂肪、つまり木蝋は、和蝋燭(Japanese candle)、坐薬や軟膏の基剤、ポマード、石鹸、クレヨン、化粧品などの原料として利用される。日本では、江戸時代に西日本の諸藩で木蝋をとる目的で盛んに栽培された。また、江戸時代中期以前は時としてアク抜き後焼いて食すほか、すり潰してこね、ハゼ餅(東北地方のゆべしに近いものと考えられる)として加工されるなど、救荒食物としての利用もあった。現在も、食品の表面に光沢をつけるために利用される例がある』。二十『世紀に入り安価で大量生産可能な合成ワックスにより、生産が低下したが、近年』、『合成ワックスにはない粘りや自然品の見直し気運などから需要が増えてきている』。『木材は、ウルシと同様心材が鮮やかな黄色で、工芸品、細工物、和弓、櫨染(はじぞめ)などに使われる。櫨染は、ハゼノキの黄色い芯材の煎じた汁と灰汁で染めた深い温かみのある黄色である。なお、日本の天皇が儀式に着用する櫨染の黄櫨染御袍(こうろぜんのごほう)』(☜同ウィキがあり、画像もあるので見られたい)『の色素原料は同じウルシ属のヤマハゼになる』。『美しい黄緑色の木蝋が採取でき、融点が高いため、和蝋燭の上掛け蝋(手がけ和蝋燭の一番外側にかける蝋)として利用される』。『通常、櫨に含まれる蝋分は』二十『%程度であるが、この櫨の実に占める蝋分は』三十~三十五『%と圧倒的に高いため、採取効率が最も良いとされる。以下、「主な種類」として、長崎県島原市原産の「マツヤマハゼ(松山櫨)」、松山櫨から品種改良された福岡県小郡市が原育成地で主産地を熊本県水俣市とする「イキチハゼ(伊吉櫨)」、愛媛県の優良品種「オウハゼ(王櫨)」が挙げられているが、品種と言いながら、学名は他で調べても見当たらない。『日本への渡来は安土桃山時代末の』天正一九(一五九一)年に『筑前の貿易商人 神屋宗湛や島井宗室らによって中国南部から種子が輸入され、当時需要が高まりつつあった蝋燭の蝋を採取する目的で栽培されたのが始まりとされる。他方、大隅国の』武将『禰寝重長』(天文五(一五三六)年~天正八(一五八〇)年)『が輸入して初めて栽培させたという説もある』。『江戸時代は藩政の財政を支える木蝋の資源植物として、西日本の各藩で盛んに栽培された』。『その後、江戸時代中期に入って中国から琉球王国を経由して、薩摩藩でも栽培が本格的に広まった。薩摩藩は幕末開国後の』慶応三(一八六七)年には、『パリ万国博覧会に』、『このハゼノキから採った木蝋(もくろう)を出品している』。『広島藩では』、一七〇〇『年代後半から藩有林を請山として貸出し、商人らがハゼノキをウルシノキとともに大規模に植林、製蝋を行っていた記録が残る』。『今日の本州の山地に見られるハゼノキは、この蝋の採取の目的で栽培されたものの一部が野生化したものとみられている』とあった。私の家の無駄にある斜面にも、かなりの大きさのそ奴が生えている。私は、四十代後半にウルシにかぶれになった(大好きだったマンゴーも、はたまた、キウィも食べられなくなった)ので、なるべく、その木の傍には行かないことにしている。

 「本草綱目」の引用は、「卷三十五上」の「木之二」「喬木類」(「漢籍リポジトリ」)の「黄櫨で、ガイド・ナンバー[085-7b]以下である。短いので、全原文を手を加えて転写しておく。

   *

黃櫨【宋、嘉祐。】

集解【藏器曰、「黃櫨、生商洛山谷四川界。甚有之葉、圓。木、黃可染黃色。】

木 氣味、苦寒無毒。主治除煩熱解酒疸目黄水煮服之【藏器。】。洗赤眼及湯火漆瘡【時珍。】

附方【「新一」。】大風癩疾【黃櫨木、五兩、剉用新汲水一斗浸、二七日、焙硏、蘇枋木五兩、烏麻子一斗、九蒸九暴、天麻二兩、丁香乳香一兩、爲末、以赤黍米一升、淘淨用浸黃櫨木煮、米粥搗、和丸梧子、大每服、二、三十丸、食後漿水下日二夜、一聖【「濟總錄」。】】。

   *

「赤眼」疲れや病気などのために目が赤く充血した状態を指す。

「砥水《とみづ》」刃物を砥石で研ぐ時に使う水。ここは、その研いだ後の混濁した水。なお、別に、濁っている色がそれに似ているところから「味噌汁」を指す大工仲間の隠語があるが、ここは本来の用法であろう。ウィキの「天然砥石」によれば、『原料は主に堆積岩や凝灰岩などであり、荒砥は砂岩、仕上げ砥は粒子の細かい泥岩(粘板岩)から作られ、中でも放散虫の石英質骨格が堆積した堆積岩が良質であるとされる』とあり、その成分が恐らく絹に染み込んだハゼノキの色素成分を固定させる性質があるのであろう。

「新古今」「親隆」「鶉なくかた埜にたてるはじ紅葉ちりぬばかりに秋風ぞふく」は、「新古今和歌集」の「卷第五 秋歌下」の平安後期の公卿藤原親隆(康和元(一〇九九)年~永万元(一一六五)年)の一首(六三九番)、

   *

  法性寺入道前關白太政大臣家歌合に 前參議親隆

 うづらなく

     交野(かたの)に立てる

    櫨(はじ)もみぢ

         散りぬばかりに

               秋風ぞふく

   *

「うづら」キジ目キジ科ウズラ属ウズラ Coturnix japonica 。博物誌は「和漢三才圖會第四十二 原禽類 鶉 (ウズラ)」を見られたい。私の歌語としては、「憂づ」を匂わせるものである。「交野」交野ヶ原(かたのがはら)。河内国の歌枕。皇室の狩場があり、花の名所であった。現在の大阪府枚方市から交野市にかけて広がる丘陵地の慣習的な古地名。この南北の広域で、当該ウィキによれば、『広大な原野で大きな川が流れていたこともあり、多くの野鳥が集っており、貴族の遊猟地として栄えたとされている』とある。ここ(グーグル・マップ・データ航空写真)の中央の南北の広域に相当する。]

柴田宵曲「古句を觀る」正規表現版電子化注 / 「冬」(5)

 

   爐びらきや障子の穴の日のこぼれ 東 耕

 

 爐開の疊の上に――疊でなくても構はぬが、先づ疊と解するのが妥當であらう――障子の穴から日がさしてゐる。ぽつりと落ちたやうな日影を「こぼれ」と云つたのである。いさゝか巧を弄した言葉のやうでもあるが、最も簡潔にその感じを現したものと見ることが出來る。

 疊にさす小さな日影に目をとめる。そこに爐開頃にふさはしい、落著いた氣分が窺はれる。

 

   筆や氷る文のかすりのなつかしき 機 石

 

 人から來た手紙を讀んでゐると、ところどころ筆のあとのかすれたところがある。寒い夜半などに筆を執つて、穗先が氷つた爲にかすれたのであらうか、と想ひやつた句である。「文のかすり」と云つただけで、手紙の字がかすれてゐることを現し、その手紙を書く場合の寒さを想ひやるあたり、云ふべからざる情味を含んでゐる。

 蕪村の「齒豁[やぶちゃん注:「あらは」。]に筆の氷をかむ夜かな」といふ句は、自ら筆をかむ場合であり、身に沁み通るやうな寒さを現してゐる點において、特色ある句たるを失はぬ。機石の句はその點から云へば寧ろ平凡であらう。たゞ平凡の裡に何となく棄てがたいものがある。

[やぶちゃん注:蕪村の句は「蕪村句集 槇卷之下」に載る。表記は、

   *

 齒豁(アラハ)に筆の氷を嚙む夜哉

   *

である。]

 

   もの買に折敷をかぶる霰かな 燕 流

 

 折敷[やぶちゃん注:「をしき」。]といふ言葉は地方によつては使はれてゐるかも知れぬが、現在の吾々には稍〻耳遠い。『言海』には「飯器を載する具。片木へぎ作りの角盆」とあるから、あまり上等なものではなさそうである。買物に行くのにそれを持つて行くのは、何か載せて歸るためであらう。丁度霰が降つて來たので、笠か帽子の代りに折敷を頭にかぶつた、といふのである。霰が降つている中を買物に出るのに、傘をさすほどのこともないから、折敷をかぶると解しても差支ない。

 木導の句に「鍋屋からかぶつて戾る時雨かな」といふのがある。鍋を買ひに行つたか、修繕にやつたのを取りに行つたか、いづれにしても鍋屋から鍋を持つて歸る、折からの時雨に頭から鍋をかぶつて歸るといふので、この方が働いてゐるかと思ふ。折敷をかぶつて買物に出るといふよりも、鍋屋から鍋をかぶつて駈け戾るといふ方が、輕い卽興的なところがあつて面白い。

[やぶちゃん注:「鍋屋からかぶつて戾る時雨かな」この句は、「日本人の笑 文學篇」(池田孝次郎・柴田宵曲・森銑三共著/昭和一七(一九四二)三省堂刊)でも、採用している。この本は所持するが、共著者森銑三が著作権存続であるため、電子化は出来ない。国立国会図書館デジタルコレクションのここで原本の当該部をリンクさせておく。]

2024/06/14

柴田宵曲「古句を觀る」正規表現版電子化注 / 「冬」(4)

 

   麥まきの藪をへだつる西日かな 吾 仲

 

 現在麥を蒔きつ窶ある畑の向うに藪があつて、その向うに夕日がかゝつている。藪があるだけ、日の傾くことも多少早いわけであるが、同時にその藪によつて平野の單調を破つてゐる感がある。單に傾きつゝある西日といふよりも、藪の秀[やぶちゃん注:「ほ」。]がこれを隔てるといふ方が、景色の上に或まとまりを作ることになるからである。

 麥蒔に夕日を配した句は、この外にも猶「麥蒔のうしろ淋しき入日かな 支庸」「麥蒔の影法師長き夕日かな 蕪村」の如きものがある。冬の日の暮れ易いことも固よりではあるが、麥蒔頃の野良の寒さが、何となく夕日の名殘を惜しませるのではないかと思ふ。

[やぶちゃん注:このパースペクティヴは、タルコフスキイの「鏡」のような遠近法の魔術的なスカルプ・イン・タイムを思わせる、優れた一句と思う。

「麥蒔のうしろ淋しき入日かな 支庸」どの派かは判らぬが、俳人麓庵支庸かと思われる。「安永六丁酉歲」という俳諧撰集を安永六(一七七七)年に板行している。以下の蕪村の句が無関係ではないとすれば、蕪村の一派であろうか。

「麥蒔の影法師長き夕日かな」蕪村の安永七(一七七八)年の句として「蕪村遺稿」に載る。但し、そこでも表記は、

   *

 麥蒔の罔兩(かげぼし)長き夕日かな

   *

である。]

 

   時雨るゝや古き軒端の唐辛 爐 柴

 

 草家の軒などに眞赤な唐辛子が吊してある。そこに時雨が降るのである。

「古き軒端の」といふ言葉は、百人一首を連想せしめさうなものであるが、この場合、そんな事を顧慮する必要は無い。古ぼけた軒端に吊した唐辛子だけが、たゞ赤々と著しく眼に入る。その色が赤ければ赤いだけ、侘びた趣が增すのである。言葉は雅馴であつて、內容に一種の新しい感じがある。然も時雨と古き軒端と、極めて陳腐な配合を竝べた末に、突如として唐辛子を點出することは、決して凡庸の手段でない。芭蕉の「春雨や蜂の巢つたふ屋根の漏」の句が、春雨と軒の雫といふ尋常な配合を用ゐながら、蜂の巢によつて全く新なものにしてゐるのと、稍〻相似た筆法である。俳諧の妙味はこの邊に存するのであらう。

[やぶちゃん注:錯雑物がない、鮮やかに見事なズーム・アップである。

『芭蕉の「春雨や蜂の巢つたふ屋根の漏」』は元禄七(一六九四)年の作で、「炭俵」に所収する。そこでは、

   *

 春雨や蜂の巢つたふ屋ねの漏

   *

の表記である。]

 

   冬旅や足あたゝむる馬の首 誐々

 

 馬上旅行といふものは、未だ曾て經驗したことが無いが、冬日風に向つて馬を驅るなんぞは、あまり難有いこととは思はれない。芭蕉が伊良胡に杜國を訪ねた時の句に「すくみ行くや馬上に氷る影法師」とあるのを見ても、その寒さは略〻想像出來る。

 この句は馬上の旅を續けてゐる人が、足のつめたさに堪へず、馬の首に觸れてあたゝめる、といふことらしい。溫め鳥[やぶちゃん注:「ぬくめどり」。]と同じやり方である。馬の體溫によつて足をあたゝめるといふのは、馬上の寒さを裏面から現したやうで、實はさうでない。吾々も作者と同じく、足を觸れる馬の首のあたゝかさを如實に感じ、併せて昔の旅人の侘しさをしみじみと感ずる。珍しい句である。

[やぶちゃん注:私のブログの「芭蕉、杜国を伊良湖に訪ねる (分量膨大に附き、ご覚悟あれかし)」を参照されたい。サイト版で一括した「芭蕉、杜国を伊良湖に訪ねる(「笈の小文」より 藪野唯至附注)PDF縦書版」もある。]

「和漢三才圖會」植物部 卷第八十三 目録・喬木類 小蘗

 

Megi

 

いぬきはだ  子蘗

 しこのへい 山石榴

小蘗

       【金櫻子杜鷗

        花並名山石

        榴同名異物

        也】

スヤウ゜ポツ

 

本綱小蘗生山石間小樹也枝葉與石榴無別伹花異子

赤如枸杞子兩頭尖其皮外白裏黃如蘗皮而薄小也

氣味【苦大寒】 治口瘡殺諸蟲去心腹熱氣

△按小蘗葉似柹而狹長其子大如豆生青熟淡紫色中

 有三子黑色似山椒子【苦辛甘】名志古乃倍伊用洗眼良

 樹皮可以染黃僞𭀚黃栢不可不辨其材爲板旋箱

[やぶちゃん字注:「𭀚」は「充」の異体字。]

 

   *

 

いぬきはだ  子蘗《しはく》

 しこのへい 山石榴《さんせきりう》

小蘗

       【「金櫻子(ざくろ)」・「杜鷗

        花(さつき)」、並びに、「山

        石榴《やまざくろ》」、同名

        異物なり。】

スヤウ゜ポツ

 

「本綱」に曰はく、『小蘗《しやうはく》、山石の間に生ず。小樹なり。枝葉、「石榴《ざくろ》」と、別、無し。伹《ただし》、花、異なり、子《み》、赤く、「枸杞《くこ》」の子、ごとし。兩頭、尖る。其の皮、外、白く、裏、黃にして、「蘗《きはだ》」の皮のごとくにして、薄く、小さし。』≪と≫。

『氣味【苦、大寒、】 口瘡《こうさう》を治し、諸蟲を殺し、心腹の熱氣を去る。』≪と≫。

△按ずるに、小蘗、葉、柹に似て、而≪れども≫、狹《せば》く、長し。其の子《み》、大いさ、豆のごとく、生《わかき》は、青く、熟≪せ≫ば、淡(うす)紫色。中に、三《みつ》、子《み》、有り、黑色。「山椒」の子に似る【苦、辛甘。】。「志古乃倍伊《しこのへい》」と名づく。用ひて、眼を洗ひて、良し。樹の皮、以つて、黃を染む。僞りて、「黃栢《わうばく》」に𭀚《あ》つ。辨ぜざらんは、あるべからず。其の材、板と爲《なし》、箱に旋(さ)す。

 

[やぶちゃん注:「いぬきはだ」「しこのへい」「小蘗」(歴史的仮名遣「しやうはく」)は、日中ともに、

双子葉植物綱キンポウゲ目メギ(目木)科メギ属メギ Berberis thunbergii

を指す。当該ウィキによれば、『別名では、コトリトマラズ』・『ヨロイドオシ』『ともよばれる』。『和名メギの由来は、茎や根を煎じて洗眼薬に利用されていたので』、『「目木」の名がある』。『枝に鋭い棘を多く生やし、鳥がとまれそうにないことから、コトリトマラズの別名でも呼ばれる』。『落葉広葉樹の低木で』、『樹高』二『メートル』『ほどまで成長し、よく枝分かれする』。『樹形は株立ち』。『樹皮は灰褐色から褐色で、縦にやや不規則な割れ目がある』。『枝は赤褐色から褐色で、顕著な縦の溝と稜が目立つ』。『枝の節や葉の付け根には長さ』五~十二『ミリメートル』『の棘があり』、『徒長枝』(樹木の幹や太い枝から上方に向かって真っ直ぐに長く太く伸びる枝を指す園芸用語)『の葉の付け根には』三『本に分かれた棘がある』。『樹皮は黄色の染料になる』。『葉は単葉で』、『新しく伸びた長枝には互生し』、二『年枝の途中から出た短枝には束生する』。『葉身は長さ』一~五『センチメートル』、『幅』〇・五~一・五センチメートルの『卵倒形から狭卵倒形、または』箆『形で』、『先端は鈍頭または円頭、基部は次第に細くなって短い葉柄になり』、『最大幅は先寄り』。『葉縁は全縁で、表面は薄い紙質で無毛、裏面は色々を帯び無毛』。四~五『月に若葉を出す』。『開花時期は』四~五月で、『新葉が出るころに単枝から小形の総状花序または散形花序を出し、直径約』六ミリメートルの『淡黄色から緑黄色の花を『二~四個、『下向きに付ける』。『花弁の長さは約』二ミリメートルで六個。『萼片は』六『個あり、長楕円形で花弁より大きく、淡緑色にわずかに紅色を帯びる』。『雄蕊は』六『個で』、『花柱は太く』、『触ると』、『葯が急に内側に曲がる』。『雌蕊は』一『個』。『果実は液果で、長さ』七~一〇ミリメートルの『楕円形』を成し、十~十一月に『鮮やかな赤色に熟す』。『アルカロイドの』(alkaloid:古くから向精神物質知られる一種の麻薬)一『種のベルベリン』(berberine:名はまさにメギ属の属名 Berberis に由来する。当該ウィキによれば、『抗菌・抗炎症・中枢抑制・血圧降下などの作用があり、止瀉薬として下痢の症状に処方されるほか、目薬にも配合される。タンニン酸ベルベリンを除いて強い苦味がある。腸管出血性大腸菌O157などの出血性大腸炎、細菌性下痢症では、症状の悪化や治療期間の延長をきたすおそれがあるため』、『原則として禁忌である』とある)『を含む』。『秋は熟した赤い果実と紅葉が美しく』、『冬になっても果実が残る』。『冬芽は枝に互生し、棘の基部につく』。『冬芽の大きさは小さく、長さは』二ミリメートル『ほどで、赤褐色をした数枚の芽鱗に包まれている』。『ブラジルでは』、『この植物は』「日本のメギ」(ポルトガル語:Berbére-japonês)として『広く知られており、生垣や花壇で広く栽培されてい』るという。『日本では、本州の東北地方南部』『から、四国と九州にかけての温帯』『地域に分布する』。『山地から丘陵にかけての林縁』『や原野に生育し、蛇紋岩の地でもよく生育する』。『自然分布の他、人の手によって植栽されて生垣としての庭木や公園樹として利用されている』。『秋田県では分布域が限定され、個体数が希少であることからレッドリストの絶滅危惧種IB類(EN)の指定を受けていて、森林伐採や道路工事による個体数の減少が危惧されている』。『新潟県』『と鹿児島県甲子夜話卷之では、絶滅危惧II類(VU)の指定を受けている。大阪府では準絶滅危惧の指定を受けている』が、『国レベルではレッドリストの指定を受けていない』。「品種」の項。『葉が赤紫色の栽培品種(アカバメギ)』( Berberis thunbergii f. atropurpurea )『があり、黄金葉や歩斑入りの栽培品種もある』。「近縁種」には、オオバメギ Berberis tschonoskyana(「大葉目木」。『メギよりも葉が大きく、棘が少なく、枝に稜がない』)や、ヘビノボラズ Berberis sieboldii(「蛇登らず」。葉に鋸葉があり、湿地周辺のやせ地に生育する』)があるとある。因みに、同種の維基百科を見ると、中文名を「日本小檗」とし、『日本及び中国本土の殆んどの省や地域に分布し、現在では、園芸植物として広く利用されている』とあった。

「金櫻子(ざくろ)」バラ科バラ属ナニワイバラ Rosa laevigata 。中国原産の蔓性常緑低木。本邦には宝永年間(一七〇四年~一七一一年)に渡来し、観賞用に植栽されるが、四国・九州では野生化もしている。枝は、よくのびて、棘が多い。葉は三出複葉で、三個の小葉は厚く、上面に光沢がある。五月に、径六〜八センチメートルの白色の五弁花を開く。萼筒には長い棘が密生する。果実は洋梨形で長さ三・五〜四センチメートル、暗橙赤色に熟す。花が淡紅色のものを「ハトヤバラ」と称する(以上は平凡社「百科事典マイペディア」に拠った)。本書「和漢三才圖會」は正徳二(一七一二)年成立であることからも判る通り、この冒頭標題の割注は、「本草綱目」からの引用である(後注参照)。従って、良安が「ザクロ」というルビを当てたのは、誤りである。

「杜鷗花(さつき)」現行の中文では、ツツジ目ツツジ科ツツジ属 Rhododendron を指す漢語である。維基百科のこちらを見られたい。言うまでもないが、「サツキ」というルビは良安が勝手に附したものである。これもまた、言うまでもないことだが、本邦ではツツジ属の中に含まれる「ツツジ」・「サツキ」・「シャクナゲ」を別種(群)のように弁別して呼ぶ慣習があるが、これは学術的上の分類とは全く無縁である。

「山石榴《さんせきりう》」本邦では、「サツキツツジ」(皐月躑躅)とも呼ばれる、ツツジ目ツツジ科ツツジ属サツキ Rhododendron indicum の異名であるが、本種は日本固有種であるからして、時珍の言う「山石榴」というのは同種ではなく、現在のツツジ属 Rhododendron 全般、或いは、同属の中国産のどれかの種を指している。

 「本草綱目」の引用は、「卷三十五上」の「木之二」「喬木類」(「漢籍リポジトリ」)の「小蘗で、ガイド・ナンバー[085-7a]以下である。以上の問題から、全原文を手を加えて転写しておく。

   *

小蘗【唐「本草」。】

釋名【子蘗、𢎞景、『山石榴』。時珍曰、『此與、金櫻子・杜鵑花、並、名山石榴、非一物也』。】

集解【𢎞景曰、『子蘗樹小、狀如石榴、其皮黄而苦。又一種、多刺皮、亦黄。並主口瘡。』。恭曰、『小蘗生山石間。所在皆有襄陽峴。山東者為良。一名山石榴。其樹枝葉、與石榴無别。但花異子、細黒圓如牛李子及女貞子爾。其樹皮、白陶云、皮黄、恐謬矣。今太常所貯乃小樹、多刺而葉細者、名刺蘗、非小蘗也。』。藏器曰、『凡是蘗木皆皮黄。今既不黄非蘗也。小蘗如石榴、皮黄、子赤、如枸杞子、兩頭尖。人剉枝以染黄若云。子黑而圓恐是别物非小蘗也。』。時珍曰、『小蘗、山間時有之。小樹也。其皮外白裏黄、狀如蘗皮而薄小』。】

氣味 苦大寒無毒。主治口瘡疳䘌殺諸蟲去心腹中熱氣【唐「本」。】。治血崩【時珍、茄婦人良方。治血崩。阿陀丸方中用之。】

   *

「枸杞《くこ》」ナス目ナス科クコ属クコ Lycium chinense 。

「蘗《きはだ》」前出の「黃蘗」に同じ。但し、日中で種がことなるので、そちらを見られたい。

「口瘡」既出既注であるが、再掲すると、口腔内の炎症や感染症。知られたものでは、新生児・乳児に見られる「鵞口瘡」(がこうそう)で、口の粘膜に発生する黴であるカンジダ(菌界子嚢菌門半子嚢菌綱サッカロミケス目 Saccharomycetalesサッカロミケス科カンジダ 属 Candida )感染症がある。口腔の内側の粘膜・舌・口唇に、白色のミルクの滓(かす)のように隆起する粘膜斑で、擦っても剝がすことが難しく、無理に剝そうとすると出血する。

「山椒」ムクロジ目ミカン科サンショウ属サンショウ Zanthoxylum piperitum 

「志古乃倍伊《しこのへい》」標題にも出た和名「しこのへい」だが、不詳。但し、先に示した通り、枝に鋭棘が多く生えていることからの異名「コトリトマラズ」「ヨロイドオシ」から類推するに、「醜(しこ)の兵(へい)」の文字列を私は想起した。

「黃栢《わうばく》」先行する「黃蘗」の私の冒頭注を参照されたい。但し、ここは良安の言葉であるから、キハダ属キハダ変種キハダ Phellodendron amurense var. amurense と限定してよい。

「旋(さ)す」東洋文庫訳では、『つくる』と訳すが、「旋」には「作る」の意はない。「めぐる・めぐらす・まわる」の意を、「変化させる」の意で用いたか、或いは、単に使役の助動詞代わりに、この字を当てたのかも知れない。]

柴田宵曲「古句を觀る」正規表現版電子化注 / 「冬」(3)

 

   炭竈や兩膝(モロヒザ)抱(ダキ)て髭男 散 木

 

 炭竈を守るためであらう、ぼうぼう髭を生はやした男が、兩膝を抱いてそこに居る、といふのである。「炭燒のひとりぞあらん竈の際」といふ其角の句は、炭竈の樣子を想ひやつたのであるが、これは炭竈のところにゐる男の樣子を、的確に現した點に特色がある。

「兩膝抱て」といふ中七字は、その男の樣子を描き得て妙である。「蓆敷いて長臑[やぶちゃん注:「ながすね」。]抱きぬ夜水番[やぶちゃん注:「よみづばん」。] 泊月」などといふ句も、この意味に於て軌を同じうするものであらう。

[やぶちゃん注:三句、孰れも、フランスの初期自然主義小説のワン・シーンをスカルプティングした強いリアリズムを感ずる。大正期以降のプロレタリア俳句のようなメッセージさえ伝わってくるとも言えよう。但し、調べたが、作者や収録本は判らなかった。

「炭燒のひとりぞあらん竈の際」は俳論・俳諧発句・連句集を合わせた「雜談集(ざふだんしふ)」(元禄四(一六九一)年刊)に、

   *

 炭燒のひとりぞあらん釜の際(キハ)

   *

と載るのを、国立国会図書館デジタルコレクションの『俳人其角全集』第一巻(勝峯晋風 編・昭和一〇(一九三五)年彰考館)のここで見つけた(下巻・左ページ下段二行目)。

「蓆敷いて長臑抱きぬ夜水番」これは極めて不親切。近現代のもので、作者は、野村泊月(明治一五(一八八二)年~昭和三五(一九六一)年)。当該ウィキによれば、『兵庫県出身の俳人。本名勇』。『竹田村(現丹波市)生。酒造家西山騰三の次男で兄は西山泊雲』。明治三〇(一八九七)『年、早稲田大学英文科卒。同年結婚して野村姓となる。中国の杭州で教職についたが、病により帰国し』明治四三(一九一〇)『年より』、『大阪九条で日英学館を経営した。在学中』から『高浜虚子に師事。兄泊雲とともに』「丹波二泊」と『呼ばれた』。大正一一(一九二二)『年、田村木国、皆吉爽雨と』『山茶花』を『創刊、雑詠選者』となった。昭和一一(一九三六)年、『山茶花』を『辞し』て、自ら『桐の葉』を創刊し、主宰した。『豪放磊落な性格で酒豪であった』とし、『ホトトギス』の『停滞期の作家で、三村純也は「虚子の提唱を忠実に守りぬき、平明な写生句が実を結ぶ先駆けをなした」としている』(「現代俳句大事典」)とあった。本書を読む者なら、当然、知っていると考えて、かく書いたものとは思われるが、現在では、近代定型俳句に詳しい方でないと、それほど有名な人物ではない(自由律俳句から無季語俳句に移った私は全く知らなかった)。因みに、兄泊雲は『「秋」(8)』の宵曲の解説で既出既注である。]

 

   前髮に雪降かゝる鷹野かな 吏 明

 

 鷹野の趣は、獵銃以後に生れた吾々には十分にわからない。同じ狩であつても、飛道具に鷹を用ゐるとなると、雅致と餘裕と竝び生ずるやうな感じがする。一度呑ませたあとで吐かせる鵜飼とは同日の談でない。

 御小姓などであらう、鷹野の御供をする若衆の前髮に、霏々として雪が降りしきる。勿論雪はあたり一面降り埋めつゝあるのであるが、美しい若衆の前髮に降りかゝるところを見つけたのが、この句の主眼であり、鷹野の景色に或ポイントを與へたことになつてゐる。炭竈の髭男はもともとそこに一人しかいない役者であらうが、これは鷹野における人數の中から、特に若衆役を持出した點に一種の技巧がある。畫のやうな趣である。

 

   餅搗や捨湯流るゝ薄氷 晚 柳

 

 餅搗の場合に湯をこぼす。その湯が白い湯氣を立てながら、薄氷の方へ流れて行く、といふだけのことであらう。薄氷のミシミシと音して解ける樣、一面に立つ湯氣の白さまで、眼に浮んで來るやうに思はれる。

 元祿時代のかういふ句を見る每に、吾々はいつも眞實の力を痛感する。寫生と云つても、實感と云つても畢竟同じことである。如何に句を作る技術上の練磨が發達したところが、それだけでかういふ句を得ることは不可能であらう。

 

2024/06/13

柴田宵曲「古句を觀る」正規表現版電子化注 / 「冬」(2)

 

   石竹の一花咲る冬野かな 桃 里

 

 蕭條たる冬野の中に、たつた一輪石竹の花が咲いてゐる。かういふ光景には未だ逢著したことが無いが、實際には屢〻あるのかも知れない。尙白にも「よろよろと撫子殘る枯野かな」といふ句がある。趣は略〻似たやうなものであるが、句としては尙白の方が遙にすぐれてゐる。「よろよろと」の一語が枯野に殘る撫子の樣子を如實に現してゐるのみならず、强ひて一花と限定しないのも、却つて風情が多いからである。

 嘗て定家の「拾遺愚草」を點檢して「霜冴ゆるあしたの原のふゆがれに一花さけるやまとなでしこ」の一首を發見した時、尙白の句と比較すると、數步を讓らなければなるまいと老へたことがあつた。今にして思へば、尙白の句は寧ろ獨立して考へらるべきで、それよりはこの桃里の句の方が、よほど定家の歌に似てゐる。桃里は定家の歌によつて、この趣向を立てたものではないかも知れぬ。たゞ定家の歌以上の働きを、この句に認め難いのを遺憾とする。

[やぶちゃん注:「石竹」双子葉植物綱ナデシコ目ナデシコ科ナデシコ属セキチク Dianthus chinensis

「尙白」の句は、調べた限りでは、

   *

よろよろと撫子殘る枯野哉

   *

の表記である。

「霜冴ゆるあしたの原のふゆがれに一花さけるやまとなでしこ」文治二(一一八六)年の「二見浦百首」の中の一首。]

 

   大きなる雪折々の霙かな 旭 芳

 

 霙[やぶちゃん注:「みぞれ」。]が降るのを見ていると、時々大きな雪片がまじつてゐる、と云つたのである。平凡な事柄のやうで、一槪にさう云ひ去ることの出來ぬものがある。

 由來霙などといふ句は、配合物を主にしたものが多く、霙そのものを見詰めたものは少い。この句はその少い一例である。折々まじる大きな雪片は、直に讀者の眼にはつきりうつるやうな氣がする。

 

   膳棚へ手をのばしたる火燵かな 溫 故

 

 火燵を無性箱[やぶちゃん注:「ぶしやうばこ」。]と云ひ出したのは誰か知らぬが、頗る我意を得てゐる。物臭太郞にも或點で興味を持つ吾々は、勿論火燵を以て亡國の具と觀ずるわけではない。無性を直に道德的功過に結びつけるのは、少くとも俳人の事ではあるまいと思ふ。

 この句は火燵に於ける無性の一斷片を現したものである。火燵は第一に人の起居の動作を懶くする。膳棚へ手をのばしたといふのは、立つて取るのが面倒だから、無性中に事を行はうといふに外ならぬ。

 

   火燵からおもへば遠し硯紙 沙 明

 

といふ句なども、やはり同じやうな心持を現してゐる。作者は火燵に在つて何か書くべき硯や紙の必要を感じながら、取りに行くのが懶いために、その「硯紙」の距離を遠く感ずるのである。句としては特に見るに足らぬが、無性箱の消息を傳へたものとして、前句と併看の價値はあるかも知れない。

[やぶちゃん注:「膳棚」膳や椀などの食器をのせる棚。

「功過」「功罪」に同じ。]

「和漢三才圖會」植物部 卷第八十三 喬木類 目録・黃蘗

[やぶちゃん注:底本・凡例その他は、初回を参照されたい。「目録」の読みはママである。本文同様、濁点落ちが多い。]

 

和漢三才圖會卷第八十三目録

   喬木類

黃蘗(わうへき)【きはだ】

小蘗(こきはだ)【しこのへい】

黃櫨(はじのき)

波牟木(はんのき)

厚朴(かうぼく)【ほゝのき】

杜仲(とちう)

椿(ひやんちゆん)【椿根皮(チユンコンヒ) 鳳眼草】

𣾰(うるし)

(あづさ)

(ひさぎ)

刺楸(はりひさき)

(こひさき)

(あはき)

(きり)

岡桐(おかきり)[やぶちゃん注:「おか」はママ。]

梧桐(ことうきり)

油桐(あふらきり)

海桐(しまきり)

赬桐(たうきり)

菜盛葉(さいもちは)

(あふち)【せんたん】

黃棟樹(わうれんしゆ)

(ゑんじゆ)

(まゆみ)

莢蒾(けうめい)

秦皮(とねりこのき)

合歡木(ねふのき)

皂莢(さいかし)【皂⻆子 皂⻆刺】

[やぶちゃん字注:「⻆」は「角」の異体字。]

肥皂莢(ひさうけう)

無患子(つぶ)

木欒子附リ菩提樹】

沒石子(もしくし)

訶黎勒(かりろく)

(けやき)【石欅(いしけやき) 槻(つき)】

[やぶちゃん字注:「いしけやき」の「け」は「ケ」の第三画しか見えないが、原本当該部と東洋文庫の当該項のルビから「ケ」と決した。]

波太豆(はたつ)

(ゑのき)

(やなき)

檉柳(いとやなき)【したれ柳】

水楊(かはやなき)

白楊(まるはのやなき)

扶栘(ふいのやなき)

杞柳(きりう)

贅柳(こぶやなき)

美容柳(ひようやなき)

(むきのき)

(にれ)

蕪荑仁(ふいにん)

蘓方木(すはうのき)

[やぶちゃん字注:「蘓」は「蘇」の異体字。]

鳥木(こくたん)

[やぶちゃん字注:「鳥」はママ。当該項では「烏」になっているので、誤刻である。]

黒柹(くろかき)

(かば)

華櫚(くはりん)

椶櫚(しゆろ)

烏臼木(うきうほく)

巴豆(はづ)

海紅豆(かいかうづ)

相思子(たうあづき)

豬腰子(ちやうし)

石瓜(せきくわ)

鐵樹(たがやさん)

美豆木(みつき)

扇骨(かなめ)

奈岐乃木(なぎのき)

古賀乃木(こがのき)

娑羅雙樹(しやらさうしゆ)

梖多羅(ばいたら)

多羅葉(たらえう)

(よう)

 

 

和漢三才圖會卷八十二

         攝陽 城醫法橋寺島良安尙順

   香木類

 

Kihada

 

[やぶちゃん注:右の樹の上に『本草必讀之圖』(「本草必讀」の圖)、左の樹の上に『三才圖會之圖』(「三才圖會」の圖)のキャプションが記されてある。「本草必讀」は「楓」その他で、 既出既注。「三才圖會」の原図は、国立国会図書館デジタルコレクションの萬暦三七(一六〇九)年序刊のものの、ここの「蘗木」で視認出来る。

 

わうへき  黃栢【俗稱】

 きはだ  蘗木

      【和名岐波太】

黃蘗

      今專曰黃栢

唐音

 ハアン ポツ

 

本綱黃蘗樹髙數丈葉似呉茱萸亦如紫椿經冬不凋其

皮外白裏深黃色緊厚二三分鮮黃者爲上根結塊如松

下茯苓名之檀桓【百歳者根長三四尺別在一旁以小根綴之又名檀桓芝】

氣味【苦寒】 入足少陰腎經爲足太陽膀胱引經藥

 【生用則降實火熟用則不傷胃酒制則治上鹽制則治下蜜制則治中也】惡乾𣾰伏硫黃其

[やぶちゃん字注:「蜜」は「グリフウィキ」のこれだが、表示出来ないので、かく、した。]

 用有六瀉膀胱龍火【一也】利小便結【二也】除下焦濕腫【三也】治痢疾先見血【四也】治臍中痛【五也】補腎不足壯骨髓【六也】乃癱疾必用之藥治口瘡如神

[やぶちゃん字注:「臍」は原本では十七画((つくり)の下方の横画の二本目)が十六画の中心から縦に下に下がる。異体字にも見えないので、正字で示した。]

黃蘗無知毋猶水母之無蝦也葢黃栢能制膀胱命門陰

[やぶちゃん字注:「毋」は「母」の異体字であるが、同一行の中で「母」が使用されいるから、明らかに差別化(恐らくは植物と動物の違いを意識して)している意図が明白なので、敢えて用いた。]

中之火知毋能清肺金滋腎水之化源故皆以爲滋陰降

火要藥然必少壯氣盛能食者宜用之若中氣不足而邪

火熾甚者久服則有寒中變

檀桓【苦寒】 治心腹百病安魂魄不饑渴久服通神

△按黃栢藥用外可以染黃色日向加賀之產最良和州

吉野奧州會津之産次之

 

  *

 

わうへき  黃栢《わうばく》【俗稱。】

 きはだ  蘗木《はくぼく》

      【和名「岐波太《きはだ》」。】

黃蘗

      今、專ら、「黃栢」と曰ふ。

唐音

 ハアン ポツ

 

「本綱」に曰はく、『黃蘗樹の髙さ、數丈。葉、「呉茱萸《ごしゆゆ》」に似たり。亦、「紫椿《しちん》」のごとし。冬を經て、凋まず。其の皮、外、白く、裏、深黃色なり。緊《しまりて》、厚さ、二、三分。鮮(あざや)かに黃なる者を、上と爲《な》す。根、結塊≪して≫松の下の茯苓《ぶくりやう》のごとく、之れを「檀桓《だんくわん》」と名づく【百歳の者、根の長さ、三、四尺。別に、一旁《いつばう》、在りて、小≪さき≫根を以つて、之れを綴り、又、「檀桓芝《だんくわんし》」と名づく。】』≪と≫。

『氣味【苦、寒。】 足≪の≫「少陰腎經」に入りて、足≪の≫「太陽膀胱引經」の藥と爲《な》る。』≪と≫。

 『【生にて用ふれば、則ち、實火(じつくわ)を降《くだ》す。≪煮≫熟《にじゆく》して、用ふれば、則ち、胃を傷めず。酒≪もて≫制すれば、則ち、≪體內の≫上《うへ》を治す。鹽≪もて≫制すれば、則ち、≪體內の≫下を治す。蜜≪もて≫制すれば、≪體內の≫中《ちゆう》を治ずるなり。】。乾𣾰《かんしつ》を惡《い》み[やぶちゃん注:「忌み」に同じ。]、硫黃《いわう》を伏《ぶく》す。其の用[やぶちゃん注:ここは「効用」の意。]、六つ、有り。膀胱の龍火を瀉《くだ》す【一《いち》なり。】。小便≪の≫結≪せる≫を利す【二なり。】。下焦《かしやう》の濕腫《しつしゆ》を除く【三なり。】。痢疾≪にて≫、先づ、血を見るものを治す【四なり。】。臍《へそ》の中《うち》≪の≫痛みを治す【五なり。】。腎の不足を補ひ、骨髓を壯《さかん》にす【六なり。】。乃《すなは》ち、癱疾《たんなん》≪の≫必用の藥≪にして≫、口瘡《こうさう》を治すること≪も、また≫、神《しん》のごとし。』≪と≫。

『黃蘗、「知毋《ちも》」、無ければ、猶ほ、水母(くらげ)の、蝦(ゑび[やぶちゃん注:ママ。])、無きがごとくなり。葢し、黃栢、能く、膀胱命門の陰中の火《くわ》を制す。「知毋」は、能く、肺金《はいきん》を清《きよらかにす》、腎水の化源を滋《やしなふ》。故《ゆゑ》、皆、以つて、「滋陰降火《じいんかうくわ》」の要藥たり。然れども、必ず、少壯≪にして≫、氣、盛んにして、能く、食する者、宜(よろ)しく之れを用ふべし。若《も》し、中氣、不足して、邪火《じやくわ》、熾(も)ゆること、甚しき者≪は≫、≪これを≫久しく服すれば、則り、寒中の變、有り。』≪と≫。

『檀桓【苦、寒。】 心腹≪の≫百病を治し、魂魄を安んじ、饑渴せず、久≪しく≫服すれな、神に通ず。』≪と≫。

△按ずるに、黃栢は、藥用の外、以つて、黃色を染むべし。日向・加賀の產、最≪も≫良し。和州・吉野・奧州會津の産、之れに次ぐ。

 

[やぶちゃん注:「黃蘗」は、

被子植物門双子葉植物綱ムクロジ目ミカン科キハダ属Phellodendron

で、基本、日中でも基原種は同じで、

キハダ属キハダ変種キハダ Phellodendron amurense var. amurense

である。但し、中国では、同属の、

川黃檗 Phellodendron chinense

(現行の中文名では「蘗」は「檗」である)も広く分布しており、

同種の基原変種川黃檗  Phellodendron chinense var. chinense

及び、

禿葉黃檗 Phellodendron chinense var. glabriusculum

が自生するので、「本草綱目」の引用では、それらを総て比定種とする必要がある。小学館「日本大百科全書」によれば、『黄色の色素をもつ植物染料の一つ』で、『キハダは山地に生じる高木で、内皮は黄色。「きわだ」の名称は、きはだ(黄膚)から出たものという。漢方の薬用植物で、苦味のある内皮を黄蘗皮(おうばくひ)と称して、胃の薬とする。染色には、この黄色の部分を煎じて用いる。媒体を必要としない直接染料で、色は白みを帯びた品のいい色であるが、堅牢性に乏しく、とくに直射日光には弱い』とある。当該ウィキもリンクさせておく。

 「本草綱目」の引用は、「卷三十五上」の「木之二」「喬木類」(「漢籍リポジトリ」)の冒頭の「蘗木」

「唐音」勘違いしている生徒が多かったので、言っておくと、一般に知られる「漢音」は、平安時代初氣頃までに、遣唐使・留学僧などによって伝えられた、唐の首都長安の北方標準音に基づくものを指す。次いで、「呉音」というのは、元来は「和音」と呼ばれていたが、平安中期以後に「呉音」とも呼ばれるようになった。北方系の漢音に対して、南方系であるとされ、特に仏教関係の語などに多く用いられている。而して、「唐音」は、狭義には、江戸時代になって、長崎を通じて伝えられた、明から清の初期の中国語の発音によるものを指す。禅僧・長崎通事・貿易商などによって伝えられた。また、広義には、江戸時代以前から広まった宋音をも含めた「唐宋音」を包含する。孰れも、中国の歴史的王朝・国名とは、関係がないので、注意が必要である。昔、生徒が「唐音」を唐王朝当時の発音と採っていたので、敢えて、ここで言っておく。

「呉茱萸《ごしゆゆ》」「ごしゅゆ」はムクロジ目ミカン科ゴシュユ属ゴシュユ Tetradium ruticarpum 当該ウィキによれば、『中国』の『中』部から『南部に自生する落葉小高木。日本では帰化植物。雌雄異株であるが』、『日本には雄株がなく』、『果実はなっても種ができない。地下茎で繁殖する』八『月頃に黄白色の花を咲かせる』。『本種またはホンゴシュユ(学名 Tetradium ruticarpum var. officinale、シノニム Euodia officinalis )の果実は、呉茱萸(ゴシュユ)という生薬である。独特の匂いと強い苦みを有し、強心作用、子宮収縮作用などがある。呉茱萸湯、温経湯などの漢方方剤に使われる』とあった。漢方薬剤としては平安時代に伝来しているが、本邦への本格的渡来は享保年間(一七一六年から一七三六年まで)とされる。

「紫椿《しちん》」驚いたことに、東洋文庫では、そのまま訳文に使用して、何の注も附していないが、これは「ツバキ」とは縁も所縁もないもので(因みに言っておくと、現代中国語でツバキは「山茶花」「日本椿花」と漢字表記される)、ムクロジ目センダン科チャンチン属 Toona ciliata である。アフガニスタンからインド・パプアニューギニア・オーストラリアにかけての南アジア全域に植生する。当該英文ウィキをリンクさせておく。

「松の下の茯苓《ぶくりやう》」菌界担子菌門真正担子菌綱ヒダナシタケ目サルノコシカケ科ウォルフィポリア属マツホド Wolfiporia extensaウィキの「マツホド」によれば、アカマツ(球果植物門マツ綱マツ目マツ科マツ属アカマツ Pinus densiflora)・クロマツ(マツ属クロマツ Pinus thunbergii)等のマツ属 Pinus の植物の根に寄生する。『菌核は伐採後』二~三『年経った切り株の地下』十五~三十センチメートルの『根っこに形成される。子実体は寄生した木の周辺に背着生し、細かい管孔が見られるが』(oso(おそ)氏のキノコ図鑑サイト「遅スギル」のこちらで画像で見られる)、『めったには現れず』、『球状の菌核のみが見つかることが多い』。『菌核の外層をほとんど取り除いたものを茯苓(ブクリョウ)と呼び、食用・薬用に利用される。天然ものしかなかった時代は、松の切り株の腐り具合から』、『見当をつけて』、『先の尖った鉄棒を突き刺し』、『地中に埋まっている茯苓を見つける「茯苓突き」と言う特殊な技能が必要だった。中国では昔から栽培されていたようだが』、一九八〇『年代頃より』、『おがくず培地に発生させた菌糸を種菌として榾木に植え付ける(シイタケなどの木材腐朽菌と同様の)栽培技術が確立され、市場に大量に流通するようになって価格も下がった。現在ではハウス栽培で大量生産されて』おり、『北京では茯苓を餅にしてアンコをくるんだ物が「茯苓餅」または「茯苓夾餅」の名で名物となっている。かつては宮廷でも食された高級菓子で、西太后も好物だったという。現在は北京市内のスーパーでも購入することができる』。『薬用の物では、雲南省に産する「雲苓」と呼ばれる天然品が有名であるが、天然物は希少であるため』、殆んど『見ることはできない』。『日本は』、『ほぼ全量を輸入に頼っていたが』、二〇一七年に『石狩市の農業法人が漢方薬メーカーの』「ツムラ」(「夕張ツムラ」)との『協力で、日本初となるハウス量産に成功した』とある。『菌核の外層をほとんど取り除いたものは茯苓(ブクリョウ)という生薬(日本薬局方に記載)で、利尿、鎮静作用等があ』り、『多くの漢方方剤に使われ』ているとあった。

「檀桓芝」「霊芝」でご存知の通り、実は、この「芝」と言う漢字は、まさに担子菌門真正担子菌綱タマチョレイタケ目マンネンタケ科マンネンタケ属レイシ Ganoderma lucidum を指す漢字として作られたものなのである。「シバ」ではなく、「神聖なキノコ」を示す漢語なのである。レイシに就いては、私の「日本山海名産図会 第二巻 芝(さいはいたけ)(=霊芝=レイシ)・胡孫眼(さるのこしかけ)」を参照されたい。

『足≪の≫「少陰腎經」』東洋文庫の後注に、『身体をめぐる十二経脈の一つ。巻八十二肉桂の注一参照のこと』とある。このプロジェクトで先行している「肉桂」の私の注を見られたい。

『足≪の≫「太陽膀胱引經」』同前で、『身体をめぐる十二経脈の一つ。卷八十二肉桂の注三參照のこと』とある。リンク同前。

「實火(じつくわ)」東洋文庫の割注に、『(激しい陽性の熱)』とある。

「龍火」東洋文庫の割注に、『(陰火。うちにこもった熱?)』と、疑問符附きである。

「小便≪の≫結≪せる≫」「結」は「結滯」の意。排尿困難。

「下焦」中医学が仮想した器官「三焦」の一つで、「五臓六腑」の名数にも入っている。生命の根幹たる気と水液を司り、五臓六腑にそれらを送りだす最重要の働きがあるとされた。上焦・中焦・下焦の三つに分けられる。上焦は「心」・「肺」で飲食物を送り込むことを、中焦は「脾胃」の消化運動を、下焦は「肝」・「腎」にあって排泄を司るとされた。しばしば、比喩として用いられる「病膏肓に入る」の「膏肓」の「膏」は心臓の下部、「肓」は隔膜の上とされ、身体の一番奥で生命維持機能を統括する場所を指す語であり、この三焦がその臓器であるという話を嘗て聴いたことがあった。

「濕腫」体内に溜まった過剰な水分や湿気によって生ずる水腫や腫物。

「癱疾《たんなん》」東洋文庫の割注に、『(激しい陽性の熱)』とある。

「口瘡《こうさう》」口腔内の炎症や感染症。知られたものでは、新生児・乳児に見られる「鵞口瘡」(がこうそう)で、口の粘膜に発生する黴であるカンジダ(菌界子嚢菌門半子嚢菌綱サッカロミケス目 Saccharomycetalesサッカロミケス科カンジダ 属 Candida )感染症がある。口腔の内側の粘膜・舌・口唇に、白色のミルクの滓(かす)のように隆起する粘膜斑で、擦っても剝がすことが難しく、無理に剝そうとすると出血する。

「知毋《ちも》」単子葉植物綱キジカクシ目キジカクシ科リュウゼツラン亜科ハナスゲ属ハナスゲ Anemarrhena asphodeloides の根茎の生薬名「知母」。当該ウィキによれば、『中国東北部・河北などに自生する多年生草本』『で』、五~六『月頃に』、『白黄色から淡青紫色の花を咲かせる』。『根茎は知母(チモ)という生薬で日本薬局方に収録されている』。『消炎・解熱作用、鎮静作用、利尿作用などがある』。「消風散」・「桂芍知母湯」(ケいしゃくちもとう)・「酸棗仁湯」(さんそうにんとう)『などの漢方方剤に配合される』とある。

「水母(くらげ)の、蝦(ゑび)、無きがごとくなり」東洋文庫の割注に、『水母と蝦は共生し、蝦は水母の涎(よだれ)を飲んで生き、その代り水母の眼の役割をして水母の移動に力を貸しているという。また黄栢は腎経血分の藥、知母は腎経気分の藥で、相俟って効力を発揮する』とあった。前半部、クラゲ・フリークである私から見ても、頑張って注してあると思う。私は、フリークの海産生物以外でも、寄生している種と、寄生されている種との、完全な「共生」(相互共生)というのは、なかなか無批判に納得出来るケースは、そう多くないと感じている人種である。旧来、安易に「共生」という言い方をする学者や一般人には、必ず、眉に唾つけて「片利共生なんじゃないの?」と突っ込むトンデモ男なのである。確かに、私が海産無脊椎動物に目覚めた小学校二年生に知った、名にし負う、

エビクラゲ刺胞動物門鉢虫綱根口クラゲ目イボクラゲ科ビクラゲ属エビクラゲ Netrostoma setouchianum の口腕に、多くの

節足動物門甲殻亜門軟甲綱真軟甲亜綱ホンエビ上目十脚目抱卵亜目コエビ下目タラバエビ上科タラバエビ科クラゲエビ属クラゲエビ Chlorotocella gracilis が共生している

という子供向けの読物には、ひねこびていなかった私は、大いに素直に感動したものだったのは事実ではあった(しかし、そこに描かれたイラストでは、あろうことか――どっしり海底に鎮座したエビクラゲの下に、これまた、茹でた如き紅色の、大きな、如何にもな「エビ」が触手の間にデンと隠れている――というトンデモ画であったことも、いっかな、忘れないのだが)。けれども、高校時代頃には、『これらは、他の生物社会に対して、安っぽいヒューマニティを安易且つ独善的に及ぼしたものも多いのではないか?』と、頗る懐疑的になって今に至っていたのであった。しかし、今回、仕切り直して調べてみた結果、林健一・坂上治郎・豊田幸詞共作になる学術論文「日本海および東北地方の太平洋岸に出現したエチゼンクラゲに共生するクラゲモエビ」(雑誌『Cancer』二〇〇四年五月発行所収・PDF)に於いて、

『クラゲモエビとエチゼンクラゲとの共生については正確に報告されたことはなかった』『今回』、『潜水観察を行い』、『さらに水槽での短期飼育を行った』結果、『クラゲモエピの形態と共生関係を観察することができた』

とあるのを見た以上、相互共生を、この二種間には、確かに認められると確信した。この「エチゼンクラゲ」とは、大型になるクラゲの筆頭である、

口クラゲ目ビゼンクラゲ科エチゼンクラゲ属エチゼンクラゲ Nemopilema nomurai

で、本邦では主に東シナ海から日本海にかけて分布し、実に最大個体では傘の直が二メートル、湿重量は百五十キログラにも達する。古くは瀬戸内海に有意に入り込んでいたものか備前国(岡山県)を産地としたことに和名は由来する(但し、私は実はそれは、エチゼンクラゲの近縁種である、ビゼンクラゲ科ビゼンクラゲ属ビゼンクラゲ Rhopilema esculenta を指していたのではないかと秘かに思っている)。なお、これ以外にも、香川県水産課のスタッフが執筆しているブログ「うどん県おさかな課」の「アナタはダレ?ワタクシはエビクラゲです、か?」に、試験場での現認になる、エビクラゲに『共生』していた小エビとして、クラゲエビ以外に、「タコクラゲエビ」という種も挙げてあった。但し、この和名、そこに記された『広島大学総合博物館研究報告』(第三号・二〇一一年十二月発行)の、大塚攻・近藤裕介・岩崎貞治・林健一論文『瀬戸内海産エビクラゲNetrostoma setouchiana に共生するコエビ類』によって(ここでPDFでダウンロード出来る)、この種は、正しくは、

コエビ下目テッポウエビ上科モエビ科ホソモエビ属タコクラゲモエビ Latreutes mucronatus

であることが、判明した。

「肺金《はいきん》」東洋文庫の割注に、『(肺は五行の金に属する)』とあった。

「中氣、不足して、邪火《じやくわ》、熾(も)ゆること、甚しき者≪は≫、≪これを≫久しく服すれば、則り、寒中の變、有り」この部分、あんまり、言っている意味が解らないことを正直に告白しておく。]

2024/06/12

「和漢三才圖會」植物部 卷第八十二 木部 香木類 瑞香 / 卷第八十二 木部 香木類~了

[やぶちゃん注:本篇を以って、「卷第八十二 木部 香木類」は終っている。『「和漢三才圖會」植物部』の始動は、本年、二〇二四年四月二十七日であるから、巻第八十二の全項目を十五日で終わったことになる。亡父の後片付けの最中の中で、この一巻五十三項を終えることが出来たのは、気の遠くなる「植物部」全千百十九項に光明が見えてきた気が、強くしている。維持は難しいものの、このペースだと、単純にドンブリすると、数年、七十歳になる遙か以前に、完遂出来る気がしてきたのである。

 

Jintyouge

 

ちんちやうけ 𪾶香【五雜組】

       【俗云沈丁花

         誤曰里牟

         知也宇介】

瑞香

 

ツイ ヒヤン 【本草芳草類有

        之今改移于此】

 

本綱瑞香南方山中有之枝幹婆娑柔條厚葉四時不凋

冬春之交開花成簇長三四分如丁香狀有黃白紫三色

其高者三四尺有數種有枇杷葉者楊梅葉者柯葉者毬

子者攣枝者惟攣枝者花紫香烈其節攣曲如斷折之狀

也枇杷葉者乃結子其始出於廬山宋時人家栽之始著

名其根綿軟而香【味甘鹹】

五雜組云相傳廬山一比丘晝寢山石下開異香覺而尋

之得此花故名𪾶香後好事者以爲祥瑞改爲瑞香

古今醫統云用浣衣灰汁澆瑞香根去蚯蚓以𣾰査壅根

[やぶちゃん字注:「𣾰」は「漆」の異体字。]

撏雞鵞水澆之皆盛長此花悪濕畏日不可露根

△按瑞香人家多栽之疑此山礬之類此云沈丁花也春

 揷之能活一二尺亦開花髙者四五尺枝幹婆娑葉似

 無齒梔子葉及楊梅葉春著花形如丁香而紫既開則

 四出外淡紫內白十余朶攅簇其香烈如沉香丁香相

 兼故俗曰沈丁花然濕濃不如蘭花之艶【未見黃色花者未審】

 

   *

 

ぢんちやうげ 𪾶香《すいかう》【「五雜組」。】

       【俗、云ふ、「沈丁花」。

        誤りて、

        「里牟知也宇介(ぢんちやうげ)」

        と曰ふ。】

瑞香

 

ツイ ヒヤン 【「本草」、「芳草類」に、之れ、有り。

        今、改≪めて≫此《ここ》に移す。】

 

「本綱」に曰はく、『瑞香、南方山中、之れ、有り。枝・幹、婆娑《ばさ》たり。柔《しなやかなる》條《えだ》、厚≪き≫葉、四時、凋まず。冬・春の交(あはひ)、花を開き、簇《むれ》を成す。長さ、三、四分、丁香《ちやうかう》の狀《かたち》のごとく、黃・白・紫の三色、有り。其の高き者、三、四尺。枇杷≪の≫葉の者、楊梅《やまもも》≪の≫葉の者、柯《しひ》の葉の者、毬-子《まり》の者、攣《かがまれる》枝の者、數種、有り。惟《ただ》、攣《かがまれる》枝の者は、花、紫にして、香、烈なり。其の節《ふし》、攣曲《れんきよく》にして、斷-折(うちを)りたる狀《かたち》のごとし。枇杷の葉の者には、乃《すなはち》、子《み》を結ぶ。其の始め、廬山より出づ。宋の時より、人家に之れを栽ゑて、始めて、名を著《あら》はす。其の根、綿≪の如く≫軟《やはらか》にして、香《かんば》し【味、甘、鹹。】。』≪と≫。

[やぶちゃん注:「本草綱目」からの引用は、ここまでである。]

「五雜組」に云はく、『相ひ傳ふ、「廬山の一比丘、山石の下に晝寢(ひるね)して、異香を開く。覺(さ)めて、之れを尋ねて、此の花を得たる故、「𪾶香」と名づく。後《のち》、好事(こんず[やぶちゃん注:ママ。])の者、以つて、祥瑞《しやうずい》と爲《な》し、改めて、「瑞香」と爲す」≪と≫。』≪と≫。

「古今醫統」に云はく、『衣《ころも》を浣《あら》ふ、灰-汁(あく)を用ひて、瑞香の根に澆(そゝ)ぎ、蚯蚓(みゝづ)を去り、𣾰《うるし》の査(かす)を以つて、根に壅(を)き[やぶちゃん注:ママ。「置き」。但し、「壅」に「置く」の意はなく、ここは「塞ぐ」の意である。]、撏(と)りて、雞《にはとり》・鵞《がてう》の水[やぶちゃん注:小水。小便。]を之れに澆げば、皆、盛《さかんに》長《ちやう》ず。此の花、濕《しつ》を悪《にく》む。日を畏《おそ》る。根を露(あらは)すべからず《→露(あらは)にすべからず》。』≪と≫。

△按ずるに、瑞香は、人家、多く、之れを栽う。疑ふらくは、此れ、「山礬」の類にして、此《ここ》に云ふ、沈丁花なり。春、之れを揷して、能く、活《かつ》≪すること、≫一、二尺。亦、花を開く。髙き者、四、五尺。枝・幹、婆娑として、葉、齒の無き梔子《くちなし》の葉、及び、楊梅《やまもも》の葉に似る。春、花を著《つ》く。形、丁香《ちやうかう》ごとくにして、紫。既に開けば、則ち、四《よつ》、出づ。外(そと)、淡紫、內、白。十余朶、攅-簇(こゞな)り、其の香、烈≪なり≫。沉香《ぢんかう》・丁香、相ひ兼ぬるごとし。故、俗に「沈丁花」と曰ふ。然《しか》≪れども≫、濕(しつ)、濃(こ)く、蘭花の艶(やさし)きにしくならず【未だ黃色の花の者、見ず。未だ審らかならず。】。

 

[やぶちゃん注:「瑞香」は、「沈丁花」であるが、「本草綱目」以下二書の引用は、中国のものであるから、

双子葉植物綱フトモモ(蒲桃)目ジンチョウゲ科ジンチョウゲ属 Daphne

まで、である。何故かと言えば、ジンチョウゲ科Thymelaeaceaeは、五十属五百種を数えるからである。小学館「日本大百科全書」の「ジンチョウゲ科」に拠れば、『離弁花類。低木または小高木。樹皮の靭皮繊維は強く』丈夫で、『ちぎれにくい。葉は互生または対生し、鋸歯がない。花は束生するか』、『頭状花序をつくり、萼筒は細長くて子房を包み、先は』四~五『裂する。子房は上位。一般に花弁を欠く。果実は核果または堅果で』一『個の種子がある。熱帯から温帯に分布し、日本にはガンピ属』十『種、ジンチョウゲ属』三『種が自生し、ジンチョウゲ』(本邦の最も知られたフトモモ(蒲桃)目ジンチョウゲ科ジンチョウゲ属ジンチョウゲ Daphne odora 。良安の言っている種もこれ、若しくは、その品種と考えてよいだろう)や、同属の『フジモドキ』( Daphne genkwa )『が観賞用に、高級紙の原料としてミツマタ』(ジンチョウゲ科ミツマタ属ミツマタ Edgeworthia chrysantha )『が栽培される。また』、『ガンピからは雁皮紙をつくる』。『APG分類』(既出既注)『でもジンチョウゲ科とされる。日本にはジンチョウゲ属、シャクナンガンピ属』( Daphnimorpha )、『ガンピ属』( Diplomorpha )、『アオガンピ属』( Wikstroemia )『が自生し、ミツマタ属が野生化する』とある。一応、ジンチョウゲ Daphne odora 当該ウィキを引いておく。『別名でチンチョウゲともいわれる』。『中国名は瑞香』。『別名』に『輪丁花。原産地は中国南部で、中国から日本に渡来して、室町時代にはすでに栽培されていたとされる』。『クチナシ』(リンドウ目アカネ科サンタンカ(山丹花)亜科クチナシ連クチナシ属クチナシGardenia jasminoides )、『キンモクセイ』(シソ目モクセイ科オリーブ連モクセイ属モクセイ変種キモクセイ品種キンモクセイ Osmanthus fragrans var. aurantiacus f. aurantiacus )『とともに、日本の三大芳香木の一つに数えられる』。『「沈丁花」という漢字名は、香木の沈香(ジンコウ)のような良い匂いがあり』、チョウジノキ『丁子(クローブ)』(Clove:フトモモ目フトモモ科フトモモ属チョウジノキ Syzygium aromaticum )『の香りを合わせたような香木という意味で名付けられた』。『また、沈丁は沈香から転訛したものという説もある』。『学名の』『属名 Daphne(ダフネ)はギリシア神話の女神ダフネ』(当該ウィキを見られたい)『にちな』み、『種小名の odora(オドラ)は「芳香がある」を意味する』。『常緑広葉樹の低木』で、『樹皮は褐色で滑らか』にして、『葉は互生し』、『濃緑色をしたツヤのある革質で、長さ』六『センチメートル』、『幅』二センチメートルの『倒披針形で』、『ゲッケイジュ』(クスノキ目クスノキ科ゲッケイジュ属ゲッケイジュ Laurus nobilis )『の葉に似ているが、ゲッケイジュよりも軟弱』である。『雌雄異株であるが、日本にある木は雄株が多く、雌株は』殆んど『見られない』。『花期は』二~四月で、『枝先から濃紅色の花蕾が、集まって出てくる』。『花は花弁がない花を』二十~三十『個、枝の先に手毬状に固まってつく』。『花弁のように見えるものは』四『枚の萼片で』、『外側が淡紅色、内側が白色で、中にはすべて白色のものもある』。『雄蕊は黄色、花から強い芳香を放つ。花を囲むように葉が放射状につく』。『果期は』六『月』で、『赤く丸い果実をつけるが、実を噛むと辛く』、『有毒である。日本には雌株が少ないため、あまり結実しないが、ごく稀に実を結ぶこともある』。『冬芽は前年枝の先につき、そのほとんどが花芽で、多数の総苞に包まれている』。『側芽は枝に互生し、かなり小さく、葉が落ちると見えるようになる』。『葉痕は半円形で、維管束痕が』一『個ある』。『関東地方以南では、庭木や公園樹として親しまれており、墓に植えられることも多い』。但し、『移植は好まず』、『耐寒性には乏しい性質がある』。『日本にあるものは』殆んどが『雄株のため、挿し木で増やす』。『花の煎じ汁は、歯痛・口内炎などの民間薬として使われる』。『全体にメゼレインなどの有毒成分を含み、特に果実や樹皮の毒が強い。誤食した場合には口唇や舌の腫れ・のどの渇き・嚥下困難・悪心・嘔吐・血の混じった下痢を伴う内出血・衰弱・昏睡などの症状が出て、死に至る可能性もある。また、汁液に触れた場合には皮膚に炎症などが生じる恐れがある』とある。以下、「品種」として主な三種が挙げられてある。

「五雜組」既出既注

『「本草」、「芳草類」に、之れ、有り。今、改≪めて≫此《ここ》に移す』この良安のオリジナルな変更の意図は、前の「山礬」の私の傍注を参照されたい。「本草綱目」の「卷十四」の「草之三芳草類」(「漢籍リポジトリ」)の独立項「山礬」。ガイド・ナンバー[041-70b]以下である。短いので、手を加えて転写しておく。

   *

瑞香【「綱目」。】

集解【時珍曰、南土處處山中有之。枝幹婆娑柔條、厚葉四時不凋。冬春之交開花成簇。長三四分、如丁香狀。有黄白紫三色。「格古論」云、瑞香髙者三四尺。有數種、有枇杷葉者、楊梅葉者、柯葉者、毬子者、攣枝者。惟攣枝者、花紫香烈。枇杷葉者、結子。其始出于廬山、宋時人家栽之始著名。攣枝者、其節、攣曲、如斷折之狀也。其根綿軟而香。】

 根。氣味、甘鹹、無毒。主治急喉風、用白花者、研水灌之。時珍曰、出「醫學集成」。

   *

「婆娑《ばさ》たり」原義は「舞う人の衣服の袖が、しどけなく、美しく翻るさま。」で、他に「影などが乱れ動くさま」「樹竹の葉などに雨や風があたってガサガサと音がするさま」を言う。ハイブリッドにとってよかろう。

「丁香《ちやうかう》」バラ亜綱フトモモ目フトモモ科フトモモ属チョウジノキ Syzygium aromaticum 。先行する「丁子」を参照。

「楊梅《やまもも》」ブナ目ヤマモモ科ヤマモモ属ヤマモモ Morella rubra 。複数回、既出既注。

「柯《しひ》」中国では、ブナ目ブナ科シイ属 Castanopsis の樹木、本邦ならば、ツブラジイ( C. cuspidata )・スダジイ( C. sieboldii )、及び、近縁のブナ科マテバシイ属マテバシイ Lithocarpus edulis 等も、「しい」と呼ぶ。私の好物。

『「五雜組」に云はく、『相ひ傳ふ、「廬山の一比丘、山石の下に晝寢(ひるね)して、異香を開く。覺(さ)めて、之れを尋ねて、此の花を得たる故、「𪾶香」と名づく。後《のち》、好事(こんず[やぶちゃん注:ママ。])の者、以つて、祥瑞《しやうずい》と爲《な》し、改めて、「瑞香」と爲す」≪と≫。』』「中國哲學書電子化計劃」ここから、電子化されたものをそのままで転写する(最近、このサイトの影印本画像が見られなくなってしまった)。

   *

瑞香原名睡香相傅廬山一比丘信畫寢山石下夢寐之中但聞異香酷烈覺而尋之因得此花故名睡香後好事者苛其事以篇祥瑞迺改為瑞余謂山谷之中苛卉異花城市所不及知者何限而山中人亦不知賞之二吳最重玉蘭金陵天界寺及虎丘有之每開時以篇青睹而支提太妹道中彌口滯谷一望林際酷烈之氣衡入頭眩又延平山中古桂夾道上參雲漢花墮狼藉地上入土數尺固知荊山之人以玉抵鵲良木誣也

   *

「古今醫統」既出既注だが、再掲すると、明の医家徐春甫(一五二〇年~一五九六)によって編纂された一種の以下百科事典。全百巻。「東邦大学」の「額田記念東邦大学資料室」公式サイト内のこちらによれば、『歴代の医聖の事跡の紹介からはじまり、漢方、鍼灸、易学、気学、薬物療法などを解説。巻末に疾病の予防や日常の養生法を述べている。分類された病名のもとに、病理、治療法、薬物処方という構成になっている』。『対象は、内科、外科、小児科、産婦人科、精神医学、眼科、耳鼻咽喉科、口腔・歯科など広範囲にわたる』とある。

「山礬」前項の「山礬」を参照されたい。

「攅-簇(こゞな)り」孰れの漢字も「群がり集まる」の意。

「沉香《ぢんかう》」先行する「沈香を参照されたい。

「濕(しつ)、濃(こ)く」「香りが濃厚に過ぎて、しつこく」の意。]

「和漢三才圖會」植物部 卷第八十二 木部 香木類 山礬

 

Sanban

      芸香 七里香

      柘花  掟花

      春桂  瑒花

山礬

     【本草灌木類有之

サンハン  今改移于此】

 

本綱山礬山野叢生甚多而花繁香馥故名芸【音云盛多也】大

者株髙丈許其葉似巵子葉生不對節光澤堅強畧有齒

凌冬不凋三月開花白如雪六出黃蕋甚芬香結子大如

椒青黒色熟則黃色可食其葉取以染黃及收豆腐或雜

入茗中又采葉燒灰以染紫爲黝不借礬而成故名山礬

[やぶちゃん字注:「茗」は「茶」の異体字。]

葉【酸濇微甘】 治久痢止渴殺蚤蠧

 畫譜云其花細小而繁香馥甚遠故名七里香

△按山礬【未詳】蓋沈丁花之類也而曰似梔子葉凡梔子

 葉有齒與無齒有二種山礬葉有齒沈丁花葉似無齒

 梔子葉有花四出與六出色白與淡紫子有與無之違

 

   *

 

      芸香《うんかう》 七里香《ひちりかう》

      柘花《しやくわ》  掟花《ていくわ》

      春桂《しゆんけい》 瑒花《やうくわ》

山礬

     【「本草」、「灌木類」に、之れ、有り。

サンハン  今、改めて、此《ここ》に移す。】

 

「本綱」に曰はく、『山礬は、山野に叢生し、甚だ多くして、花、繁く、香、馥《かぐは》しき故、「芸《うん》」と名づく【音、云《ふこころは》、「盛≪んにして≫多き」なり。】。大なる者、株の髙さ、丈許《ばか》り。其の葉、「巵子(くちなし)」の葉に似て、生《は》≪ゆるに≫、節《ふし》を對《たい》せず。光澤、堅強《かたくつよく》、畧(ちと)、齒、有り。冬を凌ぎて、凋まず。三月、花を開き、白くして、雪のごとく、六《むつつ》、出づ。黃≪の≫蕋《しべ》、甚だ、芬香《ふんかう》≪す≫。子《たね》を結ぶ。大いさ、椒《しやう》のごとく、青黒色。熟する時は[やぶちゃん注:「時」はルビにある。]、則ち、黃色。食ふべし。其の葉、取りて、以つて、黃を染め、及び、豆腐を收め、或いは、茗(ちや)の中に雜-入《まぜいれ》、又、葉を采り、灰に燒きて、以つて、紫を染むれば、黝(あをぐろ)に爲《な》る。礬(みやうばん)を借《か》らずして、成る故《ゆゑ》、「山礬」と名づく。』≪と≫

『葉【酸濇《さんしよく》、微甘。】 久痢を治し、渴《かはき》を止め、蚤《のみ》・蠧《きくひむし》を殺す。』≪と≫。

『「畫譜」に云はく、『其の花、細く、小にして、繁く、香、馥《かぐはし》。甚だ、遠≪くへ薫る≫。故、「七里香」と名づく。』≪と≫。』≪と≫。

△按ずるに、山礬【未だ詳かならず。】、蓋し、沈丁花の類なり。而して、梔子の葉に似ると曰ふ。凡そ、梔子の葉、齒、有ると、齒、無きと、二種、有り。山礬の葉には、齒、有り、沈丁花の葉は、齒、無き、梔子の葉に似たり。花、四《よつ》、出《いづる》と、六《むつ》、出づると、色、白きと、淡紫と、子、有ると、無きとの違ひ、有り。

 

[やぶちゃん注:ここで恐らく、良安は、「本草綱目」の「香木類」が、どうも、日中では樹種名が違うということに、何となく気づいてきたのであろう、と私は踏んだ。さればこそ、時珍の分類を仕切り直して、この「山礬」を、敢えて、ここへ繰り入れて、自身の分類法をよしとしたのであろう、と推理した。実は、次の「瑞香」も「芳草類」から、配置換えをしているからである。而して、それは、すこぶる正しいのである。さて、「山礬」とは、常緑、又は、落葉の低木、または、高木の、

双子葉植物綱カキノキ目ハイノキ科ハイノキ属 Symplocos

である。同属は約四百種が熱帯・亜熱帯を中心に、アジア・オーストラリア・南北アメリカの広い範囲に分布するが、アフリカには植生しない。日本にも二十数種が植生する。ウィキの「ハイノキ科」によれば、『ハイノキ科にはアルミニウムを含む種が多くあり、各地で染色に用いられてきた。日本語科名の「灰の木」も、日本に分布するハイノキの灰汁を媒染剤に使ったことによる』。因みに、『ラテン語の科名は「一緒になる」の意味で、多数あるおしべが、それぞれまとまって』五『組の束になっていることによる』とあった。されば、「本草綱目」の記すものは、同属ではあるが、種は違う。ただ、維基文庫の「山礬」があったのだが、この山礬 Symplocos sumuntia というのは、ハイノキ属クロバイ Symplocos prunifolia のシノニムであり、中国には自生せず、本州関東以西の四国・九州・沖縄、及び、済洲島に分布するので、違う。現行の中国語の「山礬」は、近代以降に当てられたものということになる。ただ、中国に分布するハイノキ属はリストがないので、種同定は残念ながら、出来ない。而して、本邦産の代表種は、

ハイノキ Symplocos myrtacea

となる。当該ウィキによれば、『和名「ハイノキ」の由来は、この樹木の木灰が、近縁のクロバイ同様、染色の媒染剤として利用されたことから「灰の木」の名がある』。『九州ではイノコシバ(猪の子柴)と呼ばれた。狩りで獲た猪を縛るのに、この木の丈夫な枝を用いたためという』。『日本の本州(近畿地方以西)、四国、九州に分布』し、『南限は屋久島。暖地の山地に生える』。『常緑広葉樹の低木から高木で、高さは』十二『メートル』『ほどになる』。『樹皮は暗視褐色』、『葉は互生し、長さ』四~七『センチメートル』『の狭卵形から長楕円形』、『葉身には光沢があり、短い葉柄がついて、葉縁には浅い鋸歯がある』。『花期は』四~五『月』で、『前年』の『枝の葉腋から総状花序を出して、小さな白い花をたくさん咲かせる』。一『つの花序には花が』三~六『個つく』。『花冠は』五つに『深裂し、直径は』十二『ミリメートル』『ほどある』。『雄蕊は多数で花冠の外に突き出して』おり、『雌蕊は』一『個』。『果期は』十~十一『月』で、『果実は長さ』六~八ミリメートルの『狭卵形で、秋に黒紫色に熟す』とあった。

「芸香《うんかう》」この「芸」は「藝」の字の新字「芸」とは、相同字形にして、全く異なる古くからある漢字であるので、注意されたい。正確には「芸」ではなく、(くさかんむり)が、中央で切れる字体である。私は大学で図書館司書の目録法の授業で絞られた前島重方先生(特に英文目録法での半角空けをテツテ的にチェックされたのは強烈だった。それでも全部、「優」を下さった)に、奈良末期の石上宅嗣(いそのかみのやかつぐ)が作った日本最初の図書館の名、「芸亭」(ウンテイ)を教わったのを、今も、よく覚えている。この字は、

一 ①香草の名。ヘンルーダ(バラ亜綱ムクロジ目ミカン科ヘンルーダ属ヘンルーダ Ruta graveolens )。そこから「書物」の意ともなった。これはヘンルーダを書物の除虫草として使ったことに拠る。

  ②芳香を持った野菜の名。

  ③「盛んな」或いは「多い」様子の形容。(時珍は、「釋名」で、これで説明している)

  ④くさぎる。草を刈る。

二 「黄ばむさま」。木の葉が枯れかけて黄変するさま。

の意である。

「七里香」以下の異名から、中国産の樹種を比定同定出来るかと思ったのだが、ネットでは、それらしいものは見当たらなかった。残念至極!

『「本草」、「灌木類」に、之れ、有り』「本草綱目」の「卷三十六」の「木之三灌木類」(「漢籍リポジトリ」)の独立項「山礬」。ガイド・ナンバー[088-44a]以下である。

「巵子(くちなし)」リンドウ目アカネ科サンタンカ(山丹花)亜科クチナシ連クチナシ属クチナシGardenia jasminoides

「生《は》≪ゆるに≫、節《ふし》を對《たい》せず」東洋文庫訳では、『節のところで対生しない』とある。これは、グーグル画像検索で、「クチナシの葉」と、「ハイノキ属の葉」を比べて見ると、一瞬で意味が明確になる。則ち、葉の中肋(中央脈)の左右に出現する側脈がクチナシでは、明瞭に左右対称にはっきり見えるのに対し、ハイノキ属では、明瞭に見えない、殆んど視認出来ないことを言っているのである。

「椒《しやう》」ムクロジ目ミカン科サンショウ属 Zanthoxylum 、及び、そのうちで、香辛料として使われるものを指すか、又は、ナス目ナス科トウガラシ属 Capsicum(タイプ種はトウガラシ Capsicum annuum )、或いは、コショウ目コショウ科コショウ属 Piper(タイプ種はコショウ Piper nigrum )を指す。

「豆腐を收め」前述の通り、ハイノキ属にはアルミニウムを多く含む種があり、豆腐の「にがり」には、塩化アルミニウムが、豆腐の固形化に効果があると、論文にあった。

「礬(みやうばん)」硫酸カリウムアルミニウム十二水和物。

「酸濇《さんしよく》」今まで、「和漢三才圖會」の私のプロジェクトでは、この「五味」に関わる熟語は見かけたことは、記憶では、ないが、「濇」は本邦の略字「渋」、中国語の略字「涩」の異体字で、意味は同じであるから、「酸っぱさと渋みの合わさった味」を指すものと思われる。

「畫譜」既出既注だが、再掲すると、東洋文庫の巻末の「書名注」によれば、『七巻。撰者不詳。内容は『唐六如画譜』『五言唐詩画譜』『六言唐詩画譜』『七言唐詩画譜』『木本花譜』『草木花譜』『扇譜』それぞれ各一巻より成っている』とあった。

「沈丁花」フトモモ(蒲桃)目ジンチョウゲ科ジンチョウゲ属ジンチョウゲ Daphne odora 。]

2024/06/11

「和漢三才圖會」植物部 卷第八十二 木部 香木類 扉木

 

Tobera

 

とべら    正字未詳

とひらのき  【倭名抄用石

        楠草三字】

扉木

       俗云止比良乃木

       今云止閉良

 

△按此樹山中多今人家庭園植之樹葉狀似楊梅而有

 臭香相傳云除夜揷之門扉能辟疫鬼故名扉木矣四

 月開小白花結實四五顆櫕生青色稍熟自裂中有子

 赤色似水木犀子而大

治牛病 用葉擂揉鹽少許和與之良

 

   *

 

とべら    正字、未だ詳かならず。

とびらのき  【「倭名抄」、「石楠草」の

        三字を用ふ。】

扉木

       俗、云ふ、「止比良乃木《と

       びらのき》」と。今、云ふ、

       「止閉良《とびら》」。

 

△按ずるに、此の樹、山中に多し。今、人家≪の≫庭園、之れを植ふ。樹葉の狀《かたち》、楊梅(やまもも)に似て、臭(くさ)き香(か)、有り。相≪ひ≫傳へて云ふ、「除夜、之れを門扉に揷せば、能く、疫鬼を辟《さ》く。故《ゆゑ》≪に≫、「扉木」と名づく。」≪と≫。四月、小≪さき≫白≪き≫花を開き、實を結ぶこと、四、五顆、櫕(こゞな)り生(な)る。青色、稍《やや》熟して、自《おのづか》ら裂(さ)け、中に、子《たね》、有り。赤色。「水木犀(もつこく)」の子に似て、大なり。

牛の病《やまひ》を治す。 葉を用ひて擂揉《するもみ》て、鹽《しほ》、少し許り、和して、之れを與《あた》へて、良し。

 

[やぶちゃん注:これは、良安のオリジナル項目であり、「扉木」は、

セリ目トベラ科トベラ属トベラ Pittosporum tobira

である。小学館「日本大百科全書」によれば、『常緑の大形低木。高さ約』三『メートルに達する。葉は枝先近くに密に互生し、楕円状倒卵形で長さ十センチメートル、幅約三センチメートル、革質で光沢があり、先は丸い。六月頃、枝先に集散花序を作り、白色花を開く。花は単性花で芳香があり、雌雄異株。萼片は五枚、卵形で縁(へり)に毛がある。花弁は箆(へら)形で平開し、先端は、しばしば反り返る。雄しべは、雄花では、長く稔性であるが、雌花では、小さく、不稔性。雌花には、三枚の心皮からなる雌しべが一本ある。果実は球形で、径一・二~一・六センチメートル、熟すと、三裂開し、赤色の種子を裸出する。和名は、節分の日に、この果実を扉に挟み、魔除けとすることに由来し、別名を「トビラノキ」とも称する。海岸に生え、関東地方以西の本州から沖縄、及び、朝鮮半島南部・中国大陸南部・台湾に分布するが、中国のものは自生ではない可能性がある。近縁のコヤスノキ(子安木)Pittosporum illicioides は常緑低木で、葉質はトベラほど厚くなく、先は鋭く尖る。花柄は毛がなく、細長い。兵庫県・岡山県の山地の林内に生え、台湾と中国大陸中部にも分布する。神社の林に多く見られ、安産祈願をすることから、「コヤスノキ」の名がある。トベラ属は約百五十種あり、一部はアジアにあるが、分布の中心はポリネシア及びオーストラリアである。小笠原にはトベラの近縁種が四種あり、狭い地域で著しく種分化が起こっていることで知られる。トベラ科PittosporaceaeはAPG分類(一九九八年に公表された被子植物の新しい分類体系。「被子植物系統グループ」(Angiosperm Phylogeny Group)とは、この分類を実行する植物学者の団体名で、この分類は、現在は特に命名されておらず、「APG体系」・「APG分類体系」などと呼称されている)でもトベラ科とされる。この分類によると、アジア・アフリカ・オーストラリアの暖帯から熱帯に九属約二百五十種あり、日本には一属六種が分布する、とある。画像のある当該ウィキもリンクさせておく。

『「倭名抄」、「石楠草」の三字を用ふ。』「和名類聚鈔」では、「卷二十」の「草木部第三十二」の「木類第二百四十八」に、

   *

石楠草(トヒラノキ/クサナムサ) 「本草」に云はく、『石楠草【「楠」、音「南」。和名「止比良乃木」。俗に云ふ、「佐久奈無佐」。】。』。

   *

「楊梅(やまもも)」ブナ目ヤマモモ科ヤマモモ属ヤマモモ Morella rubra 。同じく「日本大百科全書」から引くと、『ヤマモモ科』Myricaceae『の高木。高さ』十五~二十『メートル。枝はもろく、多くの細枝がある。葉は長さ』五~十『センチメートルで広倒披針形または倒披針形、革質で先が』尖る。『成木は全縁または浅い鋸歯があり、実生の幼苗期は葉縁の切れ込みが深い。雌雄異株』三月頃、『葉腋に発育した花穂は、雌花序は長さ』一~二『センチメートルの棒状になり、柱頭は紅色で』二『裂した雌しべを』四~五『個つけ、雄花序は長さ』三『センチメートルの長い筆の穂先状になり、多量の花粉を飛ばす。果実は径』一・五~二『センチメートルの球形で』、六~七『月に成熟する。果色は濃紅赤色、赤色、帯淡紅白色などがある。甘・酸味が強く多汁で、生食のほか、砂糖漬け、焼酎漬けにする。ジュースは淡紅色になる。樹皮は乾燥し』て、『楊梅皮とし、下痢や打撲症に効く。また諸媒染剤により、茶、黄、黄金、褐、緑黒色などの染料にする。関東地方以西から九州』及び『台湾を含む中国暖地に分布し、山地に生える』とある。画像のある当該ウィキもリンクさせておく。

「臭(くさ)き香(か)、有り」当該ウィキによれば、『枝葉は切ると悪臭を発するため、節分にイワシの頭などとともに鬼を払う魔よけとして戸口に掲げられた風習があった』とし、『根の皮や枝には悪臭がある』とある。

「櫕(こゞな)り生(な)る」群がって実を結ぶ。

「水木犀(もつこく)」江戸五木の一つで、「庭木の王」と称されるツツジ目モッコク科モッコク属モッコク Ternstroemia gymnanthera 。詳しくは、当該ウィキを見られたい。]

「和漢三才圖會」植物部 卷第八十二 木部 香木類 返魂香

 

Hangonkaou

 

はんごんかう 附

        兠木香

返魂香

 

ハン フヲン ヒヤン

[やぶちゃん字注:「兠」は「兜」の異体字。]

 

本綱漢書及博物志所謂靈香是也返魂樹西域有之狀

如楓栢花葉香聞百里采其根水煑取汁錬之如𣾰乃香

[やぶちゃん字注:「𣾰」は「漆」の異体字。]

成也凡有疫死者燒豆許熏之再活

漢武帝時月氏國貢此香三枚大如燕卵黑如桑椹値長

 安大疫西使請燒一枚辟之宮中病者聞之卽起香聞

 百里數日不歇疫死未三日者𤋱之皆活乃返生神藥

 也此說雖渉詭怪然理外之事容或有之


兠木香

 漢武故事云西王母降燒兠木香未《✕→末》【兠渠國所進者也】如大豆

 塗宮門香聞百里關中大疫死者相枕聞此香疫皆止

 死者皆起此乃靈香非常物也

 

   *

 

はんごんかう 附《つけた》り

        兠木香《ともつかう》

返魂香

 

ハン フヲン ヒヤン

[やぶちゃん字注:「兠」は「兜」の異体字。]

 

「本綱」に曰はく、『「漢書」及び「博物志」≪の≫、所謂る、「靈香」、是れなり。返魂樹《はんごんじゆ》、西域に、之れ、有り。狀《かたち》、楓《ふう》・栢《はく》のごとく、花・葉、香《かぐはし》く、百里に聞《にほ》ふ。其の根を采り、水もて、煑て、汁を取り、之れを錬《ね》る。𣾰《うるし》のごとく、乃《すなはち》、香《かう》、成るなり。凡そ、疫死《せる》者、有≪らば≫、豆(まめつぶ)許《ばかり》を燒きて、之れを熏《くん》じて、再たび、活《いけ》り。』≪と≫。

『漢の武帝の時、月氏國より、此の香、三枚を貢《みつぎ》す。大いさ、燕≪の≫卵のごとく、黑くして、桑椹(くわのみ[やぶちゃん注:ママ。])のごとし。≪時に≫長安の大疫に値《あたる》。西使、請《こひ》て、一枚を燒きて、之れを辟《さ》く。宮中の病者、之れを聞きて、卽ち、起(た)つ。香、百里に聞《にほひ》、數日《すじつ》、歇(や)まず。疫死≪して≫、未だ三日ならざる者、之れを𤋱《かげば》、皆、活《かつ》す、乃《すなはち》、生《しやうを》返す。神藥なり。此の說、詭怪《きくわい》に渉(わた)ると雖も、然《しか》も、理外の事、容(まさ)に、或いは、之れ、有るべし。』≪と≫。[やぶちゃん注:この場合の「容」は再読文字である。]


『兠木香(とりつかう)

 「漢武故事」に云はく、『西王母《せいわうぼ》、降《くだ》りて、兠木香の末《まつ》を燒きて【兠渠《ときよ》國より進ぜらる者なり。】、大豆のごとく≪して≫、宮門に塗りて、香、百里に聞《にほ》ふ。關中、大いに疫死する者、相《あひ》枕《まくら》す。此の香を聞《きく》て、疫、皆、止む。死する者、皆、起つ。此れ、乃《すなはち》、靈香にして常物《つねのもの》に非ざるなり。』≪と≫。』≪と≫。

 

[やぶちゃん注:「返魂香」は良安が附言しないように、実在の香ではない。本記事としっかり対応しているので、ウィキの「反魂香」を全文引く。『反魂香、返魂香(はんこんこう、はんごんこう)は、焚くとその煙の中に死んだ者の姿が現れるという伝説上の香』。『もとは中国の故事にあるもので、中唐の詩人・白居易の』「李夫人詩」『によれば、前漢の武帝が李夫人を亡くした後に道士に霊薬を整えさせ、玉の釜で煎じて練り、金の炉で焚き上げたところ、煙の中に夫人の姿が見えたという』。『日本では江戸時代の』「好色敗毒散」・「雨月物語」『などの読本や、妖怪画集の』「今昔百鬼拾遺」、『人形浄瑠璃・歌舞伎の』「傾城反魂香」『などの題材となっている』「好色敗毒散」には、『ある男が愛する遊女に死なれ、幇間の男に勧められて反魂香で遊女の姿を見るという逸話があり、この香は平安時代の陰陽師・安倍晴明から伝わるものという設定になっている』。『また、落語の「反魂香」「たちぎれ線香」などに転じた』(私は「たちぎれ線香」が好き)。『なお』、『明朝の万暦年間』(一五七三年~一六二〇年)『に書かれた体系的本草書の決定版』「本草綱目」の「木之一」の「返魂香」では、『次のとおり記載されている』。『按の『内傳』では』(このウィキの記者、漢文が苦手らしく、いきなり、冒頭から、おかしい。「返魂香」の項の「集解」の冒頭部だが、これ「珣曰按漢書云」とあるので、「珣(しゆん)が曰はく、『按ずるに「漢書」に云はく、『武帝の時……』と読まねばならんがね! 「珣」は盛唐の文学者にして本草学者であった李珣で、「安禄山の乱」(七五五年)の際、蜀に亡命し、その後は梓州(四川省三台)に移住した。唐末期から著名な人物として知られた。しょっぱなからガックりきたので、以下にある原本文は「漢籍リポジトリ」のここのガイド・ナンバー[083-70b]から、項ごと、全文を引くことにする。一部の表記に手を加えた)

   *

返魂香【「海藥」】

集解【珣曰按漢書云武帝時西國進返魂香内傳云西域國屬州有返魂樹狀如楓柏花葉香聞百里采其實於釡中水煑取汁鍊之如漆乃香成也其名有六曰返魂驚精回生振靈馬精却死凡有疫死 者燒豆許薫之再活故曰返魂時珍曰張華博物志云武帝時西域月氏國度弱水貢此香三枚大如燕卵黑如桑椹值長安大疫西使請燒一枚辟之官中病者聞之卽起香聞百里數日不歇疫死未三日者薫之皆活乃返生神藥也此說雖渉詭怪然理外之事容或有之未可便指爲謬也】

附録 兠木香【藏器曰漢武故事云西王母降燒兠木香末乃兠渠國所進如大豆塗宫門香聞百里關中大疫死者相枕聞此香疫皆止死者皆起此乃靈香非常物也】

   *

『西海聚窟州にある返魂樹という木の香で楓または柏に似た花と葉を持ち、香を百里先に聞き、その根を煮てその汁を練って作ったものを返魂といい、それを豆粒ほどを焚いただけで、病に果てた死者生返らすことができると記述している』。『張華の』「博物志」『では』、『武帝の時』、『長安で疫病が大流行していたおり、西域月氏国から献上された香には病人に嗅がせるだけで』、『たちどころにその生気を甦えらせるという効能で知られていたが、上質なものになると死に果てた者でも』三『日の内であれば』、『必ず』、『この香で蘇らせることができた』『と記述されている』。但し、『これについて』「本草綱目」の著者である』『李時珍は』「此の說、詭怪(きくわい)に渉(わた)ると雖も、然(しか)も、理外の事、容(まさ)に、或るいは、之れ、有るべし。」(ここは本書の終りの訓読に代えた)『と批判している』とある。最後も時珍の『批判』という表現は、おかしいぞ? ここは、訳すなら、「この説は偽り・騙しを含んでいる語りのようにしか、一見、見えないものだが、しかし、尋常の理屈の範疇の外で、或いは、実際に起こったものであったのかも知れない。」という、疑義を含みながらも、微妙に留保している謂いである。

「返魂樹《はんごんじゆ》」ダメ押しで、小学館「日本国語大辞典」を引いておく。『反魂香の原料になるといわれる想像上の香木』。

「楓」本邦の「楓」とはちゃいまっせ! 「かえで」ではなく、「フウ」と読んでおくれやっしゃ! 先行する「楓」を見ておくれやす!

「栢」同前で「かしわ」なんて読んだら。もう、あきまへん! 何度か言うてますが、まんず、始動冒頭の「柏」を、どんぞ!

「百里」明代の一里は短いかい、おます。五百五十九・八メートルどす。五十五・九八キロメートルで、ごんす。

「漢の武帝の時」在位は紀元前一四一年から紀元前八七年。

「月氏國」月氏は紀元前三世紀から一世紀頃にかけて、東アジア・中央アジアに存在した遊牧民族と、その国家名。紀元前二世紀に、匈奴に敗れてからは、中央アジアに移動し、大月氏と呼ばれるようになった。大月氏時代は東西交易で栄えた。「漢書」の「西域伝」によれば、羌(きょう)に近い文化や言語を持つとあるが、民族系統については諸説ある。以下は、参照にした当該ウィキを見られたい。

「西使」「西」の「月氏國」から来た使節の公式の使者。

「聞きて」本邦でも「香」は「きく」と申しますやろ?

「漢武故事」底本の巻末の「書名注」に、『一巻。後漢の班固撰と伝えるが、後人の偽作といわれる。もと二巻。『史記』『漢書』の武帝記の記述と合致するところもあるが、妖妄(ようもう)』(奇怪で出鱈目なこと)『の話が多い』とある。

「西王母」中国古代の仙女。崑崙 (こんろん) 山に住み、不老不死の薬を持つ神仙とされ、仙女世界の女王的存在として長く民間で信仰された。

「兠渠《ときよ》國」不詳。

「關中」現在の陝西省の西安を中心とした一帯。思い出すね、漢文の「鴻門之会」。

柴田宵曲「古句を觀る」正規表現版電子化注 / 「冬」(1)

 

 

        

 

 

   水鳥のかたまりかぬる時雨かな 良 長

 

 時雨の降る中に浮んだ水鳥が、一團となりさうに見えながら、かたまりきらずにゐる。かたまるべくしてかたまらぬ樣子を「かたまりかぬる」と云つたのであらう。時間は必ずしも限定するには當らぬが、何となく寂しい夕方の景色を想像せしめる。

 水鳥は時として岸の上などに群れてゐることもある。この句は岸の上としても解釋出來ぬことはないけれども、「かたまりかぬる」といふ語勢から考へると、やはり水上に浮びながら、かたまりあえぬもののやうな氣がする。

 

   霜しろく荷になひつれけり肴ふご 鶴 聲

 

 肴賣が荷ふ魚畚[やぶちゃん注:「さかなふご」。]の上に霜が白く置いてゐるといふだけの句であるが、「荷ひつれけり」の一語によつて、この肴賣が一人でないことがわかる。肴の荷を曳ひいて走る魚河岸の若い者では、「霜しろく荷ひつれけり」はうつるまい。但一人でないから、幾分賑な樣子はこの句からも窺ふことが出來る。

 鳴雪翁の句に「初霜をいたゞきつれて黑木賣[やぶちゃん注:「くろきうり」。]」といふのがあつた。同巧異曲であるが、霜を帶びたものを荷ふといふ點から云へば、或は黑木の方がふさはしいかも知れない。

 鶴聲の句は「霜しろく」で意味を切つて、霜白き朝を肴賣が畚を荷ひつれて行く、といふ風に解することも或は可能であらう。卽ち「霜しろし荷ひつれたる肴畚」の意に取るのであるが、これには多少の無理がある。「霜しろく荷ひつれけり」と續く以上、霜白き畚を荷ひつれた意に解する方が、先づ妥當であらうと思ふ。

[やぶちゃん注:「初霜をいたゞきつれて黑木賣」古いものでは、国立国会図書館デジタルコレクションの「明治四大家俳句集 秋冬」(寒川鼠骨編・明三九(一九〇六)年大学館刊)のここで視認出来る。「黑木賣」の「黑木」は薪(たきぎ)を指す。皮のつたままの材木、皮つきの丸木(「榑(くれ)の木」と称した)洛北八瀬大原の婦女が、これを京都の市上に売った。婦女を「黑木賣」と呼んだ。所謂、知られた「大原女」「小原女」である。]

 

   水風呂に戶尻の風や冬の月 十 丈

 

 水風呂[やぶちゃん注:「すいふろ」。]といふのはもと蒸風呂[やぶちゃん注:「むしぶろ」。]に對した言葉だ、といふ說を聞いたことがある。橋本經亮などは、鹽浴場に對する水浴湯といふことから起つたので、居風呂[やぶちゃん注:「すゑふろ」。]といふ名は誤だろうと云つてゐる。いづれにしても現在吾々の入るのは水風呂のわけである。この句もスイフロで、ミヅブロではない。

 風呂に入つてゐる場合、戶尻[やぶちゃん注:「とじり」。]が透いてゐて、寒い風が吹込んで來る。そこから冬の月の皎々と照つてゐるのが見える。一讀身に沁むやうな冬夜の光景である。「戶尻の風」の一語が極めて適切に働いてゐる。

[やぶちゃん注:「橋本經亮」(つねあきら/つねすけ 宝暦五(一七五五)年~文化二(一八〇五)年:生没年には異説がある)は江戸後期の国学者で有職故実家。本姓は橘。通称は肥後守。号は橘窓・香果堂。父は梅宮(現在の京都市右京区の梅宮大社)の神官橘昆経。家職を継ぎ、正禰宜となり、宮中に出仕して非蔵人を兼務した。有職の学は高橋図南(となん)に学び、図南の著書の多くを校正した。また、和歌を小沢蘆庵に学び。上田秋成・伴蒿蹊らとも親しかった。豪放不羈、奇行を以って知られ、自宅から宮中に至る途上も、読書しながら往来し、田畑に落ちて衣服を汚しても気にかけなかったという。考証を得意としたが、特に古絵図を拠り所とするところにその特色があった。著書に「橘窓自語」・「梅窓筆記」などがある(以上は朝日新聞出版「朝日日本歴史人物事典」に拠った)。この記事は「梅窓筆記」(文化二(一八〇五)年十月平安丘思純の序がある)の「卷之一」にある。国立国会図書館デジタルコレクションの『日本隨筆大成』第三期第三巻(日本随筆大成編輯部編・昭和四(一九二九)年日本随筆大成刊行会刊)のここで視認出来る(右ページ二行目から)。短いので、電子化しておく(底本では二行目以降は一字下げ)。

   *

〇今人ノ入湯ノ湯ハ、水湯(ミヅユ)ト云モノナリ。水風呂ト云名アルモ遺風ナリ。台記、久安三年[やぶちゃん注:一一四七年。]二月二十六日。(取要)自今日始潮湯正法須水湯。七日後始ㇾ之。同月廿七日。(辛酉)復浴水湯。トアリ。潮湯(シホユ)ニ對シテ水湯ト云ナリ。

   *]

柴田宵曲「古句を觀る」正規表現版電子化注 / 「秋」(22) / 「秋」の部~了

 

   蕣や桃の下葉のちり初る 之 道

 

 つくろはぬ庭などの樣であらう。朝顏の花が咲いてゐるほとりに桃の木があつて、已に色づいた下葉をはらはらと落す、といふ光景である。朝顏と桃とは近くにあるといふだけで、格別深い交涉があるわけではない。季題は勿論朝顏に在るけれども、朝顏の咲く時に當つて桃の下葉が散りはじめるといふ、交錯した事實を描いた爲に、子規居士の所謂二箇中心の句のやうな趣になつてゐる。

「あさましき桃の落葉よ菊畠」といふ蕪村の句は、菊畠に溜る桃の落葉を詠んだので、どこまでも菊畠が中心になつて居り、落葉はその景物に過ぎない。之道の句は寧ろ「桃の下葉のちり初る」といふ推移に興味を置いたものの如く、それだけ句としては蕪村のほど纏つてゐないけれども、又その纏らぬところが自然だとも云へる。元祿と天明との相異は、この邊にも存するのであらう。

[やぶちゃん注:『「あさましき桃の落葉よ菊畠」といふ蕪村の句』「蕪村句集」の「卷之下」の「秋之部」に載る。安永七(一七七八)年から天明三(一七八三)年の間の作。因みに、「自筆句帳」では「落葉よ」は「落葉や」となっている。]

 

   雲高き野分の跡の入日かな 空 能

 

 野分[やぶちゃん注:「のわき」。]がやみ方になつて、一しきり赤い夕日が西の空を染める。その赤い入日の空を、野分の名殘の風に乘つて、斷雲[やぶちゃん注:「ちぎれぐも」。]が高く飛んで行く、といふ光景を句にしたものかと思ふ。

 但「雲高き」といふ言葉は、必ずしも高く飛ぶ場合には限らぬかも知れない。野分のあとが何時の間にか晴渡つて、澄んだ空高く雲が浮んでゐるものとも解される。飛ぶにしても、浮ぶにしても、その雲が入日の朱を帶びてゐることは慥である。

「野分の跡の入日」だけでは格別のことも無いが、「雲高き」の一語を點じたため、濶然たる秋の夕空が直に眼に浮んで來るやうな氣がする。

 

   化兼る狐とびゆく野分かな 一 空

 

 一疋の狐が何者かに化けるつもりで、先刻からいろいろ工夫してゐるが、未熟なせゐか、あまり風が强過ぎるせゐか、たうとううまく化けられないで、野分の中を向うへ飛んで行つた、といふやうなところであらうか。句には現れてゐないが、夕方らしい情景である。

 日本の文學には屢〻未熟の狐とか、化損ひの狐とかいふものが出て來る。妖氣を伴うべき狐魅談に愛敬を生じ、滑稽が生れるのは全くかういふ未熟な、化損ひの徒が介在する爲である。この野分の中で化けかねた先生なども、狐の爲に氣を吐くに足らぬにせよ、文學的材料としては一顧の價値がある。

 狐は蕪村に至つて大に獨得の趣味が發揮された觀があるが、この句はその先蹤と見るべきものである。若干の滑稽味を伴ふ點に於て、特にその感を强うする。

[やぶちゃん注:「化兼る狐とびゆく野分かな」この句、岩波文庫版では、上五のを「化兼(ばけかね)る」とルビを振っている。しかし、私は「ばけかぬる」と読む。

「狐は蕪村に至つて大に獨得の趣味が發揮された觀がある」蕪村の「新花摘」には、五篇の狐狸談を収録しており、蕪村が狐狸の怪を信じ、好んでいたことは、よく知られている(私の「柴田宵曲 俳諧博物誌(13) 狸 二」は参考になろう)。蕪村の狐の句を拾うのは、ちょっと厄介だなと思って、検索を掛けたところ、幸い、個人ブログ「猫まち 俳句的つれづれ日記」の「蕪村の狐の句」に拾われてあった。所持する同引用句集(岩波文庫)で表記を確認し、一部に読みを追加し、漢字を恣意的に正字にして以下に示す。

     *

   公達に狐化たり宵の春

   小狐の何にむせけむ小萩はら

   石を打(うつ)狐守(もる)夜のきぬた哉

   草枯(かれ)て狐の飛脚通りけり

   春の夜や狐の誘ふ上童(うへわらは)

   短夜や金(かね)も落さぬ狐つき

   飯盜む狐追(おひ)うつ麥の秋

   巫女(かんなぎ)に狐戀する夜寒(よさむ)かな

   水仙に狐あそぶや宵月夜

     *]

 

   はれきるや光に曇る月の影 旦 藁

 

 晴れ渡つた、明皎々たる月である。併し中天にかゝつた圓い影を見ると、その明な光の中にほのかな曇がある。霧が立つとか、薄雲がかゝるとかいふわけではない。晴れた光の中の曇である。その感じを現すのに「光に曇る」の語を以てしたのであらう。

 秋の夜の月の隈なきをのみ愛ずるめでたき人々には、到底かういふ觀察は出來ない。さうかと云つて皎々たる月では平凡だから、殊更に光の中の曇を發見しようといふわけでもない。ぢつと月の光に眺め入る時、そこに一點の曇を感じた、といふのが自然の姿なのである。深夜の月の光の中に、潤んだやうな曇を感ずるのは、何人にも味ひ得べき趣であつて、而も容易に句にし得ぬところのやうに思ふ。「光に曇る」の語も云ひ得て妙である。

 

   めいげつや客をむかひに里離れ 探 志

 

 あまり月がいゝので、急に人を呼んで酒でも飮まうと思ひ立つて、ぶらぶら月下の道を里離れた[やぶちゃん注:「さとはなれた」。]あたりまで步いて行つた、といふ風にも解せられる。

 名月のことだから、かねて人を會する約があつたが、漫然家にあつて待つに堪へず、來る道はわかつてゐるので、迎え旁〻出かけて行く。月竝な歌よみなら「月を見がてら」とか何とかいふところとも解せられる。

 客の性質や客との關係は、さう僉議を加へるほどのことも無い。この句の興味は、名月の夜に當つて客を迎へに行くといふこと、その迎へる道がいつか里離れたところまで來てゐた、といふことに在る。月に浮れたといふほどでないにしても、輕い氣分の下に步いてゐることは想像出來る。

 

   午の貝おくる木玉や三井の秋 探 志

 

 何かの合圖に貝を吹くといふことは、現代の吾々には殆ど沒交涉である。法螺貝を手に取つたことはあつても、未だかつて吹いたことは無い。山伏にも因緣が無いから、貝の音に耳を驚かされた記憶も持合せて居らぬのである。

 この句の貝は時刻を報ずるものらしく思はれる。食事の合圖かどうかわからぬが、午[やぶちゃん注:「ひる」。]になつて貝を吹き鳴らす。その音が遠く谺して聞えて來る。場所が三井寺だけに、秋天の下にひろがる大湖を背景にして、谺も遠きに及ぶのであらう。

 三井の秋は日本畫の題材になりさうな舞臺である。併し湖を畫き、雲を畫き、寺を畫き得ても、そこに「午の貝おくる木玉」を添へることは、丹靑の技のよくするところであるまい。詩の獨自の境地はこの邊にも存する。

[やぶちゃん注:老婆心乍ら、句は、「ひるのかひおくるこだまやみゐのあき」である。

「丹靑」「たんせい」・「たんぜい」両用に読む。「絵画」また、「絵の具で描くこと」。]

 

   御明の消て夜寒や轡むし 里 東

 

 轡蟲は秋鳴く蟲の中でも最も景氣のいゝ、哀感に乏しいもののやうな氣がするが、この句は妙にうら寂しい情景を持出した。

 神前か、佛前か、今まで上げてあつた御明(みあかし)がふつと消えて、あたりは暗くなつた。と同時に俄に夜寒を感ずる、轡蟲が鳴いてゐる、といふのである。

 御明が消えて、俄に夜寒を感ずる、といふ風に限定して解釋しないでも、寂然たる夜寒の屋內に、今までついてゐた一點の燈が消えた、と見てもいゝのであるが、この句の表現には或動きがあるので、その動きに基いて前のやうに說いたのである。いづれにしても句の世界に大した變りがあるわけではない。

 轡蟲の聲も最初のうちは四鄰を惱ますだけの威力を具へてゐるが、秋が深くなるにつれて、かすれたやうな聲に變つて來る。この轡蟲もいさゝか聲の衰へた場合、從つて夜寒も身に入む[やぶちゃん注:「しむ」。]頃と解していゝかも知れない。

 

   捻上て友待顏や雁の首 諷 竹

 

「友待顏」といふ言葉から考へると、この雁は一羽のやうに見える。首を捻上げるやうにして友を待つといふ以上、これは飛んでゐる雁ではない。水の上か、田圃か、何かの上に下りてゐるらしい。作者はさういふ雁の恰好を見て「友待顏」と解したので、さういふ感じを起させたのは、雁が一羽きりで寂しげに見えたからだらうといふことになる。

 詩歌に取入れられた雁の多くは空を飛んでゐるか、或は雁聲を耳にするかで、雁そのものの姿に及んだものはあまり見當らない。俳諧には往々雁の姿を捉へたものがあるが、それにしても捻上げた雁の首などは、異色あるものたるを失はぬ。「月の出や皆首立てゝ小田の雁」といふ子規居士の句は、この句に比べると繪畫的であり、趣向も複雜になつてゐる。諷竹の句の興味は雁の形だけを描いた、單純な點に在るかと思ふ。

 

   秋ふかし人切り土堤の草の花 風 國

 

「人切り土堤」は地名といふよりも、寧ろ俗稱の部類であらう。「人切り土堤」と稱する以上、嘗てそこで人が斬られたとか、よく人の斬られることがあるとか、何かさういふ由來があるに相違無い。現在は何事も無いにしても、そんな名があるだけに、何となく寂しい感を與へる。もう秋も深くなつた「人切り土堤」に草の花が咲いてゐる、といふのがこの句の見つけどころである。

 鳴雪翁の自敍傳に、今の芝公園と愛宕山の界のところを「切通し」といふ、晝間から宵の口までは相當賑であつたが、夜が更けると寂しくなり、辻斬なども屢〻行はれた、翁は子供心に、始終人を斬るから「切通し」だと思つてゐた、といふことが見えてゐる。「人切り土堤」に至つては、その上に更に人の字がついてゐるのだから、連想のそこに及ぶのは當然である。生々しい人斬の噂なども傳はつてゐるとすれば、寂しい以上に凄愴な感じさへ伴つたであらう。けれども「人切り土堤」に附會して、この草の花は赤い方がいゝとまでは考へない。「秋ふかし」といふ季節に照應する、寂しい感じのものであればよからうと思ふ。

[やぶちゃん注:以上の内藤鳴雪の「鳴雪自叙傳」は国立国会図書館デジタルコレクションの原本(大正一一(一九二二)年刊岡村書店刊)のここで視認出来る(右ページ最終行から)。]

 

   二階からたばこの煙秋のくれ 除 風

 

 たゞ眼前の景である。煙草を吹かしてゐる以上、そこに人間のゐることはいふまでもないが、どんな人間かわからず、又どんな人間であつてもいゝわけである。作者は秋の暮の中に一軒の二階家を認め、その二階に吹かす煙草の煙を描いただけで、他の消息を傳へてゐない。「煙草ふかす二階の人や秋のくれ」とでもいえば、人間の姿が句の上に現れるが、さういふ點に一向重きを置かず、煙だけで用を濟してしまつた。

 煙につきものの「立昇る」といふ言葉も、「なびく」といふ言葉も、この場合に用ゐるものとしては强きに失する。ふはりと宙に浮ぶやうな煙の狀態は、「二階からたばこの煙」といふ無造作な表現によつて、却つてよく現し得るのかも知れない。

 

   夜寒哉煮賣の鍋の火のきほひ 含 粘

 

 煮賣屋の鍋の下を焚き立てる火が、旺に赤々と燃えてゐる。鍋の內のものは食欲を刺激するやうな匂をさせることであらうが、作者はその句にも、ぐつぐつ煮える鍋の音にも、格別感覺を働かしてゐない。赤々と燃え盛さかる火そのものに興味を集中して居り、それが夜寒の感を强からしむる結果になつてゐる。

「夜寒哉」といふ風な言葉を上五字に置く句法は、俳句に於て非常に珍しいといふほどでもないが、下五字に置いたのよりは遙に例が少い。それだけ用ゐにくいといふことにもなるが、詠歎的な氣持は下五字を「かな」で結ぶよりも强く現れるやうな氣がする。この句は「火のきほひ」の一語によつて、上の「夜寒哉」を引緊めてゐるやうである。

 

   朝顏や皆實みになして引たぐる 玄 梅

 

 大輪朝顏か何かの貴重な種類であれば、自ら咲かせる花を制限して、多く實などを結ばせぬやうにするのであらうが、これはそんな面倒なものではない。莟の出來ただけを悉く花にし、その花も千切つたりせずに、皆實になるに任せて置いて、蔓ごと引たぐるといふ意味であらう。平凡なる駄朝顏である。

 これと同樣なことは、人生の各方面において認められる。敎育方針などといふことも、畢竟この朝顏に臨む態度と似たものかも知れぬ。秀才を產み、貴重な花を作るのも固より結構であるが、花の咲くに任せ、實のなるに任す態度には、自らなる氣安さがある。そこに安心の地を見出すのは、或は吾々に與へられた使命であらう。

[やぶちゃん注:これを以って、「秋」の部は終っている。]

2024/06/10

柴田宵曲「古句を觀る」正規表現版電子化注 / 「秋」(21)

 

   殘る蚊に袷著てよる夜さむかな 雪 芝

 

 殘る蚊と、秋の袷と、夜寒と三つの材料から成立つてゐる。しかしそのために五目飯や三題噺のやうなことにはならず、渾然として一體になつてゐるのが、この句の手際であらう。

 漸く夜寒を感ずる頃である。何かの集りがあつて、來た人が皆袷を著てゐる。が、その座には秋の蚊が殘喘を保つてゐて、時々人の肌を襲ひに來る、といふ意味の句らしい。夜寒と殘る蚊とが一句の上に交錯するなどは、ちよつと思ひつかぬ趣であるが、自然の上にはいくらもある事實である。一面夜寒を感じ、一面殘る蚊を見る。秋の或季節の趣は、殆どこの一句に悉されてゐるやうに思ふ。

「袷著てよる」の「よる」といふ言葉は、見方によつていろいろに解されるが、しばらく右のやうに解して置いた。人の集りと云つたところで、さう大勢の會合ではあるまい。たゞ袷を著てゐるといふだけでなしに、「よる」の一語があるため、一句をちよつと複雜なものにしてゐる。平淡なやうで手の込んだ句である。

 

   うら道の露の深さや猫の腹 夕 兆

 

 この裏道は草などの生はえた、狹い道らしく思はれる。さういふ道に現在猫がゐるわけではない。猫の腹がしとどに濡れてゐるのを見て、裏道を步いて來たものと推定し、草に置く露の如何ばかり[やぶちゃん注:「いかばかり」。]深いかを想ひやつたのであらう。

 眼前の光景を現したやうな「うら道の露の深さや」といふ言葉が、想像の上に立つてゐるところに、この句の特色がある。猫の毛は一體に他の獸に比して水をはじく力が乏しいから、露の草むらなどを步けばぐつしより濡れてしまふ。裏道の露の深さは、この猫の腹の濡れ工合によつて想像されるのである。「露の深さ」と猫の腹との間に、想像的意味が含まれてゐるものと見れば、必ずしも無理な表現とも思はれぬ。

 

   瓢簞の軒端にさがる日あしかな 爲 有

 

 軒端に瓢簞[やぶちゃん注:「へうたん」。]がぶらりと下つてゐる、稍〻傾いた秋の日脚がその邊に明るくさしてゐる、といふ光景らしい。作者はかう描き去つたのみで、瓢簞の影も點じなければ、他の配合物も持つて來ない。手の込んだ後世の句から見ると、その點は羨うらやましい位大まかである。

「日あし」といふ言葉に限定された時間は無いわけだから、かう云つただけでは傾いた日脚かどうかわからぬやうなものの、軒に下つた瓢簞にさす日脚とすれば、外の時間では工合が惡い。西へ廻つた秋の日脚で、明るい中に漸く日の詰つたことを思はせる光線が眼に浮んで來る。當然あう解して差支無いやうに思はれる。

 

   外屋敷や野分に殘る柿の蔕 野 童

 

「外屋敷」はトヤシキと讀むのかと思ふが、よくわからない。「野分[やぶちゃん注:「のわき」。]に殘る」といふ言葉から考へると、野分の直後のやうだけれども、實際はもう少し時間の距離があるので、野分に吹落された柹の蔕が梢に殘つてゐる、秋もかなり闌けた[やぶちゃん注:「たけた」。]場合ぢやないかといふ氣もする。批評の發達した近頃の句は、電車の交叉點を突切る時のやうに、前後左右を見廻して作るから、言葉の現す意味も自ら考慮されてゐるが、昔の人はさういふ點にあまり頓著せず、眼中の印象を悠々として一句に收めてゐる。この「柹の蔕」なども慥にその一例と見るべきもので、どこにどう殘つてゐるのか、深く問はぬやうな趣がある。

 

   篠深く梢は柹の蔕さびし 野 水

 

    三線からむ不破の關人 重 五

 

といふ附合の句は、ずつと以前七部集を耽讀した頃から、頭に沁み込んで離れぬものの一であるが、これが先入主になつているせゐか、野童の柹の蔕も直に梢にあるものと解釋した。外屋敷の背景の下に、この蔕のあるところを考へれば、柿の木の梢より外にはあるまいと思ふ。

 子供の時分、父が柹の木を二本買つて植ゑたことがあつた。一本の百目柹には大きな實が一つ二つ殘つてゐたが、一本の方は葉も何も悉く落盡して、枯木のやうになつてゐた。その梢に點々と黑いものの殘つてゐるのを、何かと思つて竹竿で落して見たら、固く干からびた蔕であることがわかつた。この柹は庭に植ゑてから、一度もならずに枯れてしまつたと記憶してゐる。嘗て「篠深く」の句に興味を感じ、今又この柹の蔕を取上げたのも、畢竟この少年の時の事が土臺になつてゐるのかも知れない。人間といふものは他の句を解釋するに當つても、自己の世界を脫却出來ぬものと見える。

[やぶちゃん注:宵曲の自己分析は見事!

「野水」と「重五」のそれは、「冬の日」の(前後を少し附した)、

    *

 櫛ばこに餅すゆるねやほのかなる かけい

  うぐひす起(おき)よ帋燭(しそく)とぼして 芭蕉

 篠(ささ)ふかく梢は柹の蔕さびし 野水

  三線からん不破のせき人 重五

 道すがら美濃で打ける碁を忘る 芭蕉

  ねざめねざめのさても七十 杜國

   *

の表記である。]

 

   炭竈をぬりて冬待つ嵐かな 吏 明

 

 山家[やぶちゃん注:「やまが」。]の句であらう。冬が近くなつたので、炭を燒くべく炭竈を塗り、もう何時[やぶちゃん注:「いつ」。]冬が來ても差支無い用意がとゝのつた。若し「炭竈をぬりて冬待つ山家かな」だつたら、それこそ平凡極るものだけれども、作者は句に一轉化を與へるため、嵐といふものを持出して來た。冬が近づくに從つて、山は屢〻嵐が吹く。「いかばかり吹く峯の嵐ぞ」といふやうな、詠歎的なものではない。現實に山家の人の心を搖る[やぶちゃん注:「ゆする」。]寒い嵐である。この嵐あるによつて、この句ははじめて魂が入つたことになる。

 俳諧の要諦はこの「嵐」の呼吸に在る、と云つただけでは、未だ意を悉さぬ[やぶちゃん注:「つくさぬ」。]嫌があるかも知れぬが、この嵐の如きものがあつて、畫龍點晴の妙を發揮する場合が多いといふことは、斷言してよからうと思ふ。

[やぶちゃん注:「いかばかり吹く峯の嵐ぞ」は「新古今和歌集」の「卷第六 冬歌」の藤原資宗朝臣の一首、

   *

   後冷泉院御時、上(うへ)のをのこども

   大井河にまかりて、「紅葉浮ㇾ水」と

   いへる心をよみ侍(はべり)ける

 いかだ士よ待てこととはん水上(みなかみ)は

          いかばかり吹く山のあらしぞ

   *

である。]

 

   はつ秋や小袖だんすの銀の鎰 巴 水

 

「鎰」といふのはカギのことである。普通の鍵とどう違ふかわからぬが、その邊は專門家に一任してよからうと思ふ。第一この句では鍵がどうなつてゐるのか、それからして明瞭でない。「小袖だんす」といふものを句の中に持出した以上、腰にぶら下げたりしてゐるのでないことは慥だけれども、今少し立入つて、この場合鍵がどうなつてゐるかといふ段になると、さつぱり見當がつかぬのである。

 この句の生命は「銀」の一字にある。もしこの句から銀の字を除いたならば、卒然として價値の半を失ふに相違ない。鍵は銀光を放つことによつて初秋と調和し、それが一句の中心をなしてゐるやうに思ふ。假にこの句から鍵の音を連想する人があるにしても、その音は銀光の範圍に屬するものでなければならぬ。

 

   蚊屋しまふ夜や銀屛のさびのよき 醉 竹

 

 蚊帳を釣らぬやうになつて、何となくぱつとした燈影が座邊を照す。そこに立てた屛風の銀が稍〻さびて、極めて落著いた色を見せてゐる。作者は句中に灯を點じてはゐないけれども、「さびのよき」銀屛がしづかに灯を受けてゐることは十分想像出來る。

 支考は芭蕉の「金屛の松のふるびや冬籠」の句について、「金屛は暖かに銀屛は涼し」と云ひ、「六月の炎天に金屛をたてんに、人の顏かゞやきてよからず、さる坐敷は道具知らぬ人に落ちぬべし、されば金銀屛の涼暖を今の人の見付けたるにはあらず、そも天地より成せる本情なり」と論じた。それほど面倒なことを云はなくてもいゝが、前の句と云ひ、この句と云ひ、初秋の季節に銀色を配したのは頗る感覺的である。銀の鍵は燦然たるところに、屛風は銀の色のやゝさびたところに、各〻秋の心を捉へてゐる。「銀の鎰」の方は時間を明にせぬが、やはり夜の燈下がふさはしいやうな氣がする。

[やぶちゃん注:『支考は芭蕉の「金屛の松のふるびや冬籠」の句について、……』芭蕉の元禄六年の十月九日附許六宛書簡初出だが、異形句が多い。

   *

 金屛の松の古さよ冬籠(「炭俵」)

   *

 金屛に松のふるびや冬籠り(「笈日記」)

   *

 金屛の松もふるさよ冬籠(「芭蕉庵小文庫」)

   *

 金屛の松のふるびや冬籠(「陸奥鵆(むつちどり)」)

   *

因みに、この句は富家の座敷を想起した想像句で、そこに侘びた芭蕉の冬籠りを通わせたのである。さて、さる方の論文によって、この支考の評は、俳論「續五論」の一節であることが判った。その引用を参考に正字で示すと、

   *

金屛はあたゝかに銀屛は涼し。 是をのづから金屛・銀屛の本情也。(略)[やぶちゃん注:論文者による。]金屛・銀屛のうち出たる本情は、貴品高家の千畳敷とおもひよるべし。それを松の古さよといはれたれば、牒つがひもはなればなれに兀(はげ)

かゝりて、ばせを庵六畳敷のふゆごもりと見え侍るか。是風雅の淋しき實なるべし。金屛のあたゝかなるは物の本情にして、松の古さよといふ所は二十年骨折たる風雅のさびといふべし。

   *

である。衒学的な支考らしい大上段で、微苦笑したくなるね。]

「和漢三才圖會」植物部 卷第八十二 木部 香木類 胡桐淚

 

Totourui

 

ことうるい 胡桐鹼

      胡桐律

胡桐淚

 

 

ウヽ トン レイ

 

本綱胡桐淚生西域肅州及凉州其木初生似柳大則似

桐蟲食其樹而汁出下流似眼淚又有入土石成塊如鹵

[やぶちゃん注:「鹵」は、底本では、「グリフウィキ」のこれに近い字体。]

鹸者形如小石片子黃土色爲上有夾爛木者

氣味【鍼苦大寒】 今治口齒家多用爲最要之藥能軟一切物

 瘰癧非此不能除又可爲金銀銲藥

 

   *

 

ことうるい 胡桐鹼《ことうけん》

      胡桐律

胡桐淚

 

 

ウヽ トン レイ

 

「本綱」に曰はく、『胡桐淚は、西域の肅州、及び、凉州に生ず。其の木、初生、柳に似たり。大なる時は、則ち、桐に似る。蟲、其の樹を食して、汁、出でて、下流す。眼≪の≫淚《なみだ》に似たり。又、土石を入れ、塊《かたまり》を成し、鹵鹸(しけん)のごとくなる者、有り。形ち、小さき石の片子(へげ)のごとく、黃土色≪のもの≫、上と爲《な》す。爛《ただ》≪れたる≫木を夾(はさ)む者、有り。』≪と≫。

『氣味【鍼、苦。大寒。】 今、口齒《こうし》を治≪する≫家《か》、多く用ひて、最要の藥と爲《な》す、能く、一切の物を軟《やはら》げ、瘰癧《るいれき》、此れに非ざれば、除くこと、能はず。又、金銀≪の≫銲藥《はんだやく》と爲す。』≪と≫。

 

[やぶちゃん注: 「胡桐淚」は、中文サイトの複数の記載を合わせて比較したところ、

キントラノオ目ヤナギ科ヤマナラシ属コトカケヤナギPopulus euphratica (中文名は「胡楊」)の樹脂

を指すと確定出来た。ウィキの「コトカケヤナギ」(琴掛け柳)によれば、『「ポプラ」の一種で、中央アジアから中東や北アフリカまでの乾燥地帯でよく見られる。沙漠などの乾燥に強く、タマリスク』(ナデシコ目ギョリュウ(御柳)科ギョリュウ属ギョリュウ Tamarix chinensis )『と』ヤナバグミ(バラ目グミ科グミ属ヤナギバグミ Elaeagnus angustifolia 。異名「スナナツメ」)『と共に「沙漠の』三『英雄(植物)」とも呼ばれ、特に長寿で、秋にはきれいに紅葉する』。『学名と英文名称が「ユーフラテスのポプラ」で、旧約聖書の詩編』一三七の『「バビロンの川のそばで、』……『そこの柳に竪琴を掛けて、シオンを思い出した。」(英文欽定訳聖書からの直訳)と関係あるため、和名も「琴掛け柳(楊)」と名付けられた』。『中国語名称は「胡楊」で、隣国・中国新疆ウイグル自治区のタリム川に沿って多く生育しているので、そこへの旅行者も含めて日本でも胡楊と呼ぶ人が多い』。『中央アジアのトルクメニスタンではトゥランガと呼ばれている』。『また、中国のことわざにも「胡楊」が登場し、「胡楊生而千年不死、死而千年不倒、倒而千年不爛」(胡楊は生きて千年枯れず、枯れて千年倒れず、倒れて千年腐らず)と記されている』。『中規模の落葉樹で』、『樹高は最大』十五センチメートルほど、『幹まわりは約』二・五メートル『ほどになる。陽光を好む。 幹は曲線的に分枝し、外皮は成熟すると』、『オリーブ色で荒い木肌の樹皮となる。木材の断面では外側の色の薄い辺材は白に近く、内側の色の濃い心材は赤色を帯び、中心部の髄にかけて黒くなる』。(☞)『幹に多量の水分が蓄えられており、穴を開けると』、『水が吹き出す現象は「胡楊の泪」と呼ばれる』(☜)。『根はそれほど深く張らず』、『横に広がるように根付く。根萌芽によっても繁殖する』。『 葉の形状は多様で、披針形、卵円形、鋸歯をもつ菱卵形など、同じ個体でもさまざまな形になる。花は尾状花序を形成し、雄花のものは』二・五~五センチメートル、雌花のものは五~七センチメートル『ほどの大きさになる。果実は、卵型披針形のカプセル状の実の内側になめらかな毛で』、『小さな複数の種子が包まれている。他のヤナギやポプラ同様、白い綿毛を持った種子が風に舞う柳絮(りゅうじょ)と呼ばれる現象もみられる』。『アフリカ北部から、中東、中央アジア、中国西部にかけての広い地域に分布する。 国名ではスペイン、モロッコ、アフガニスタン、インド、カザフスタン、パキスタン、タジキスタン、トルクメニスタン、ウズベキスタンなどの国に見られる。 中国では本種の』九十『%が新疆ウイグル自治区に集中し、さらにその』九十『%はタリム盆地に集中しており、絶滅危惧種に指定され保護区となっている』。『乾燥した気候に強く、海抜』四千メートル『程度までの高度で、熱帯・亜熱帯乾燥気候の広葉樹混交林などのなかにも本種が見られる。砂漠気候やステップ気候下の氾濫原においてはヤナギ、ギョリュウ、クワの木などと本種の混合林が代表的な例である。塩分濃度の高い土壌でもよく育つため、季節的に氾濫する川辺、特に淡水と海水が混在する汽水域周辺の土地に本種の森林が自然に形成される。だが、これらの地域では貴重な薪の資源として伐採され続けた結果、今日ではその』殆んどが『失われている』。『森林農業で植樹され、葉は家畜の飼料となる。幹は建築用の木材や、また製紙の原材料にも成り得る。樹皮には駆虫薬(虫下し)の作用があると伝えられ、小枝を噛んで歯磨きにも用いられる』。『特に塩害を伴う砂漠地域の植林計画に本種が選ばれ、防風林と土壌浸食の対策に用いられている。一方、今日の中国では禁伐のため』、『枯死した枝を薪にする程度である』とあった。

 「本草綱目」の引用は、「卷三十四」の「木之一」「香木類」の「胡桐淚」の独立項で(「漢籍リポジトリ」)、ガイド・ナンバー[083-69a]から始まる。上手くチョイスしてある。

「西域の肅州」現在の甘粛省酒泉市粛州区(グーグル・マップ・データ。以下同じ)。

「凉州」「肅州」の南東の、現在の甘粛省武威市凉州区

「柳」中国語では、ヤナギの中でも枝が垂れる種群を「柳」、枝が垂れない種群を「楊」と称している。名にし負うお馴染みのヤナギ科ヤナギ属シダレヤナギ Salix babylonica var. babylonica は中国原産である。

「桐」シソ目キリ科キリ属キリ Paulownia tomentosa

「鹵鹸(しけん)」東洋文庫訳では割注で、『(塩辛い土の塊り)』とある。

「片子(へげ)」欠片(かけら)。

「口齒《こうし》を治≪する≫家《か》」口腔科医・歯科医。東洋文庫には、ここ以下の一文に後注して、『土石の入った石涙は性が寒で熱を除く。またその味は鹹でよく骨に入り堅いものを軟らげる。それで齒牙痛・温熱による歯疼』(しとう:歯の疼(うず)き)『・齒牙痛の薬となる。(『本草綱目』胡桐涙)』とある。同項目の「發明」にある。「漢籍リポジトリ」のこちらの、ガイド・ナンバー[083-70a]以下を参照。

「瘰癧《るいれき》」東洋文庫訳では割注して、『(結核性の頸部リンパ腺のはれもの)』とある。

「銲藥《はんだやく》」「はんだ」は東洋文庫訳のルビを採った。「はんだ」は江戸時代初期からあった語である。当該ウィキを見られたい。]

「和漢三才圖會」植物部 卷第八十二 木部 香木類 盧會

 

Rokai

 

ろくはい   奴會 訥會

       象膽

盧會

       黒而苦故名

       象膽者隱語

ロウ ホイ  也

 

本綱盧會原在草部爪哇三佛齋諸國所出者乃草屬狀

如鱟尾采之以玉噐搗成膏生波斯國者乃樹脂也狀似

黒餳蓋二說不同豈亦木質草形乎

氣味【苦寒】 厥陰經藥其功專於殺蟲清熱故能治小兒

 癲癇驚風五疳殺三蟲𧏾齒甚妙

△按盧會難辨眞僞亞于阿魏其味苦而後微甘者爲眞

 然本草謂只甘

 

   *

 

ろくはい   奴會 訥會《とつくはい》

       象膽《ざうたん》

盧會

       黒くして苦す。故、「象膽」と

       名づく。隱語なり。

ロウ ホイ

 

「本綱」に曰はく、『盧會、原(もと)、「草の部」に在り。爪哇(ジヤワ)・三佛齋《さんぶさい》の諸國、出だす所≪の≫者、乃《すなはち》、草の屬にして、狀《かたち》、鱟(かぶとがに)の尾のごとし。之れを采るに、玉《ぎよく》の噐を以つて、搗きて、膏と成す。波斯(ハルシヤ)國に生ずる者、乃ち、樹の脂《やに》なり。狀、黒餳(《く》ろあめ)に似《にる》≪と≫。蓋し、二說、同じからず。豈に亦、木の質にて、草の形ちなるか。』≪と≫。

『氣味【苦、寒。】 厥陰經《けついんけい》の藥。其の功、蟲を殺し、熱を清《せい》するに專らなる故、能く、小兒癲癇・驚風・五疳を治し、三蟲を殺す。𧏾-齒(むしくいば[やぶちゃん注:ママ。])に、甚だ、妙なり。』≪と≫。

△按ずるに、盧會、眞僞を辨し難きこと、「阿魏」に亞(つ)ぐ。其の味、苦くして、後《のち》、微《やや》甘き者、眞と爲す。然≪れども≫、「本草」には、只、『甘し。』と謂ふ。

 

[やぶちゃん注:「盧會」は、中文の「維基文庫」の「蘆薈」により、

単子葉植物綱キジカクシ目ススキノキ科アロエ属シンロベラ(アロエベラ) Aloe vera

に比定される。当該の日本のウィキによれば、『アラビア半島南部、北アフリカ、カナリア諸島、カーボベルデが原産地だと考えられている。乾燥地帯でも育ち、アフリカ、インドやその他の地域に広く分布している。生薬としてもしばしば用いられる。アロエベラの薬効については多くの研究が行われている。その中には相反するものもあるが』、『抽出物は怪我・火傷・皮膚感染・皮脂嚢胞・糖尿病・高脂血症等に効くという証拠も多い』。『特にインスリン抵抗性の減少・レベル低下は、加齢関連の病態の予防に効果を発揮する可能性があると推測されている』。『これらの薬効は多糖・マンナン・アントラキノン・レクチン等の存在に依ると考えられている』。『治療用途に必要な成分抽出については品質管理が課題とされ、現在、流水で着色物質を洗い流し、特許取得済みの超乾燥システムを使用する方法が有効とされている』。『また、アロエ酪酸塩の免疫調節や慢性炎症に対する有用性も認められているものの、一方で新たな洞察が提出されることを期待する見方もある』。『増やし方は、挿し木、株分け。もっぱら葉挿しでも可能とされているが』、『真偽は不明である』。『茎がないか、非常に短い茎しかない多肉植物で』六十センチメートルから一メートルの『高さに育つ。葉は厚く、緑色から灰緑色で、表や裏に白い斑点が入っているもの等、様々な種類がある』。『葉の縁は鋸葉状で、白い小さなとげが付いている。葉の皮内細菌から抽出される酪酸発酵成分にはヒトの健康に対する予防的および治療的役割を発揮する可能性があるとされている』。『花は夏期に、高さ』九十センチメートルの『穂の上に咲く。それぞれの花には、黄色い』二、三センチメートルの『管状の花冠がぶら下がっている』。『他のアロエ属の種と同様にアーバスキュラー菌根』(arbuscular mycorrhiza:AM:は、根に菌類が共生した構造である菌根の一型)『を形成し、共生することによって土中の栄養分を効率的に得ている』。『多糖体のため保水力に優れており、腸内環境改善や摂取した栄養分の働きをサポートするなど、近年の研究により様々な特徴が明らかになりつつある』。『世界中で栽培されており、自生範囲は明確ではない。アラビア半島南部から北アフリカ(モロッコ、モーリタニア、エジプト)、スーダン、カナリア諸島、カーボベルデ、マデイラ諸島辺りが原産地だと考えられている』。『かつて硬葉植物の森林が広い範囲を覆っていたが、砂漠化によって急速に減少し、少数の種類の植物が残ったことが推測される』。十七『世紀に中国や南ヨーロッパに持ち込まれ』、『オーストラリア、バルバドス、ベリーズ、ナイジェリア、パラグアイ、アメリカ合衆国等の温帯地域から亜熱帯地域でも生育するようになった』。「医薬品」の項。『アロエベラの化粧品や医薬品としての効果に関しては限定されたものであり、しばしば議論になっている』。『現在熱傷や肝炎の治療に広く使用されてはいるものの、治療上の証拠が不足しており、その原因は、アロエベラゲル中の着色物質、成分が汚染によって変化する可能性にあるとされている』。『一方で、後述するようにアロエベラの鎮静効果、保湿効果、治癒効果について一定の有用性を認める研究結果もあり、化粧品や代替医療の業界は、これらの効果を用いた商品を取り扱うことがある』。『例えば、アロエベラのゲルは、流通しているローション、ヨーグルト、飲料、デザート等にも用いられている』。『アロエベラ』・『ジュースは胸焼けや過敏性腸症候群等の消化器疾患の解消のために飲用されている。実際に、治療が難しい過敏性腸症候群に対し、アロエベラが症状の改善に有効であることが米国消化器学会で発表されている』。『化粧品会社は、メーク、化粧水、増毛剤、ティッシュ、保湿剤』、『石けん、日焼け止め、香料、シャンプー等の製品にアロエベラの液汁等を添加している』。『その他には、ヒツジの人工受精で精液を薄めるために用いたり』、『生鮮食品の保存料』、『小さい畑の節水のためにも用いられている』。『長い間民間療法で用いられてきたが、医薬用としての利用がいつ頃から始まったのかは定かではない。紀元前』十六『世紀のエーベルス・パピルスには既に記述が見られる』。『また』、一『世紀中盤に書かれたペダニウス・ディオスコリデスの』「薬物誌」や『ガイウス・プリニウス・セクンドゥスの』「博物誌」にも『記述が見られる』。『アロイン』『という成分を除去したアロエベラは無毒で副作用も知られていないが、アロインを含むアロエベラを過剰に摂取すると様々な副作用が起こる』。『しかし、この種は中国、日本、ロシア、南アフリカ、アメリカ合衆国、ジャマイカ、インド等で伝統的な民間療法薬として広く用いられてきた』。『便秘、疝痛、皮膚疾患、寄生虫侵入、及び感染症に対する伝統的なインド医学に使用されている。また、トリニダード・トバゴでは高血圧に、メキシコ系アメリカ人の間では』、二『型糖尿病の治療に使用されている。中国医学では真菌性疾患の治療に推奨されることが多い』。『アロエベラは適切な用法を守ることで怪我の治療に一定程度有効だと言われている』。『例えば、ある研究では傷が治癒する速度を上げるという結果が得られているが』、『別の研究でアロエベラゲル(英:Aloe vera gel)を処置した傷は、他の伝統薬で処置した傷よりも効果的であるとは限らないことが指摘されているが』、『子供や幼児の間で一般的な炎症性疾患であるおむつ皮膚炎などの治療に研究結果も存在する』。『また、抗炎症作用として、紫外線による皮膚の炎症状態の局所治療に有用である可能性についても指摘されている』とし、近年の研究が続く。私は、ムカデ咬傷に効果があるという研究者の指摘を若き日に知り、たまたま、ムカデに咬まれた同僚の女性教諭が、痛みを訴え、保健師が困っているところに行き合わせ、窓辺にあったアロエの葉の肉を採取し、彼女の患部に塗布して、包帯を巻いていたところ、即時に痛みが消え、以来、私を怖がっていた彼女は、私を見直したのが、妙に忘れられない。

 「本草綱目」の引用は、「卷三十四」の「木之一」「香木類」の「盧㑹」の独立項で(「漢籍リポジトリ」)、ガイド・ナンバー[083-65b]から始まる。時珍にして、疑問を提示している部分は、特異点である。

「厥陰經《けついんけい》」東洋文庫の後注に、『体内をめぐる十二経脈の一つ。手の厥陰心包経と足の厥陰肝経とがある。足の厥陰経は足の親指から出て内股をあがり陰部へ、陰部から上行して肝、さらに側胸部から咽喉を通って眼、額から頭頂部へ。支脈は肝から肺へ。手の厥陰経は胸中から心包へ、次いで横隔膜を下って三焦につなぐ。また一支脈は、胸から側胸へ出て肢下から手を通って中指に至る。その病症は上熱下寒、胸苦しく煩悶を起こしたり、陰部が腫れたりする』とある。

「五疳」同前で、『小児の神経過敏症。それによって臓腑に病変がおこる。風疳(肝疳)・驚疳(心疳)・滾(こん)疳(肺疳)・気疳(肺疳)・急疳(腎疳)』とある。

「三蟲」東洋文庫訳では、割注して、『蛔(かい)虫・蟯(ぎょう)虫・条虫』とある。これらのヒト寄生虫が、果してちゃんと古くに認識されていたかどうかに、ちょっとクエスチョンを感じたのだが、薬学論文を見るに、後漢に成立した「神農本草本經」に既に「厚朴は三虫を殺す」という記載があり、その「三虫」について、以上の三種の寄生虫がちゃんと挙げられてあった(「厚朴」はモクレン目モクレン科モクレン属ホオノキ節ホオノキ Magnolia obovata 、或いは、シナホオノキ Magnolia officinalisの樹皮を乾燥させたもの)。]

「和漢三才圖會」植物部 卷第八十二 木部 香木類 阿魏