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2024/06/25

「善惡報はなし」正規表現オリジナル注 卷一 㐧七 かに女の命をたすくる事

[やぶちゃん注:底本・凡例等は初回を参照されたい。]

 

  㐧七 「かに」、女の命(いのち)をたすくる事

○寬永年中(ねんぢう)、六月中旬の比、江州、文五郞と申《まうす》ものあり。

 かれが、むすめ、なさけ、ふかく、じひありて、やり水の中に、ちいさき「かに」のありけるを、常に、やしない[やぶちゃん注:ママ。]けり。

 とし久しく、食物を、あたへけり。

 此むすめ、みめかたち、よろしかりけるを、虵(へび)、おもひかけて、或時、男(おとこ[やぶちゃん注:ママ。])にへんじ、來りて、親に、こひて、

「妻(つま)にすべき。」

よしを、いひて、かくす事なく、

「虵なる。」

よしを、ありのまゝに、いひける。

 父、此事をきゝ、返事なくして、たゞ、なげき、かなしみて、むすめに、此やうを、かたる。

 むすめ、心あるものにて、

「ちからおよばぬ事也。我身の『ごう報[やぶちゃん注:ママ。「業報(がうほう)」。]』にてこそ、候らはめ。『かなはじ』と仰《おほせな》らるゝならば、一つは、『親かうかう』のためにて侍る我身の、いたづらにくちはつる事は、うらみとも、さらにおもはず候。」

と、打《うち》くどき、なくなく、申ければ、父、かなしくおもひながら、「ことはり[やぶちゃん注:ママ。]」に、をれて、約束して、日どりまでぞ、しける。

 女、日比《ひごろ》、やしなひし「かに」ゝ、例(れい)の物をくはせて、いひけるは、

「年比(としごろ)、なんぢを、あはれみ、やしなひつるが、今は其日數(ひかず)も、はや、いくほどあるまじきこそ、あはれ也。かゝる『ふしやう』[やぶちゃん注:「不祥」で採る。「不詳」では程度が低過ぎる。]にあひて、虵に思ひかけられて、我は、いづくへ、とられてゆかんずらん。又も、やしなはずして、やみなん事こそ、ふびんなれ。」

とて、さめざめと、なく。人と物がたりするやうにいひけるを聞《きき》て、此《この》「かに」、物も、くはで、はひさりぬ。

 其後、かの「やくそく」の日、虵ども、大小、あまた、家の庭にはひ來りしは、おそろしなんど、いふばかりなし。

 爰(こゝ)に、また、山のかたより、「かに」、大小、いくらといふ數しらず、はひ來り、此虵を、一〻《いちいち》、皆、はさみころし、

「むらむら」

として、はひのきける。

 其後は、何の子細もなかりけり。

 されば、「虫(ちう)るい[やぶちゃん注:ママ。]」なりといへども、「をんどく[やぶちゃん注:ママ。「恩德」。]」のほどを、よく、しりて、おほくの虵共をころし、其なんを、すくふに、人間、なさけしらざるは かにゝは、はるかに、をとれりと、知《しる》べし。

[やぶちゃん注:本篇には挿絵がある。岩波文庫は本篇を採用していない。第一参考底本では、ここにあり、第二参考底本では、ここにあるが、後者は例の落書が激しく、障子の下や、縁側にぐちゃぐちゃ書いており、消した跡もあって、見るに堪えない。ひどいのは、娘の母親の顔(元々、左袖で顔を隠しているのだが)を、明らかに確信犯で塗り潰している。この落書を書いた餓鬼は、きっと母親嫌いだったんだろうなと思ったわい。

 さて。この話は、酷似した先行作品が複数ある。私のものでは、「諸國百物語卷之四 十二 長谷川長左衞門が娘蟹をてうあひせし事」で、挿絵まで、配置がよく似ている。同類話は「日本靈異記」や「日本法華驗記」に遡り、「今昔物語集」他にも、ワンサカ、ある。その辺りも読まれたい方は、私は、「南方熊楠 蟹と蛇」の注で、それらを神経症的に総て、正字正仮名で電子化してあるから、どうぞ、いらっしゃい。かなりの分量なので、心して読まれたいがね。

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