「和漢三才圖會」植物部 卷第八十三 喬木類 椿
ひやんちゆん 𮓙目樹
大眼樹
椿【杶同】
【今云知也牟知牟
唐音之訛也】
樗【臭椿也
和名沼天】
チユン 栲【山樗也】
[やぶちゃん字注:「𮓙」は「虎」の異体字。]
本綱椿樗栲乃一木三種也皆亦類𣾰樹其葉脫𠙚有痕
如𮓙之眼目又如樗蒲子故名之其木易長而多壽考故
有椿拷之稱莊子言大椿以八千歳爲春秋是矣
椿 皮細肌堅實而赤嫩葉香甘可茹
樗 皮粗肌虛而白其葉臭𢙣其木最爲無用莊子所謂
吾有大木人謂之樗其木擁腫不中繩墨小枝曲拳不
中規矩者也樗之有花者無莢有莢者無花其莢夏月
常生樗木未見椿之有莢者【然世俗不辨之而呼樗莢爲椿莢爾】
拷 卽樗之生山中者亦虛大然爪之如腐朽故以爲不
才之木不似椿木賢實可入棟梁
椿根皮【色赤而香入血分而性濇】 樗根皮【色白而臭入氣分而性利】 其主治
功雖同而濇利之效則異正如伏苓芍藥赤白頗殊也
凡血分受病不足者宜用椿根皮氣分受病有欝者宜
用樗根皮凡女子血崩産後血不止月信來多或赤帶
下及小兒疳痢宜用椿根皮
鳳眼草 卽椿樹上所生莢也【蓋謂椿不莢生乃樗之莢也】燒灰淋水
洗頭經一年眼如童子加椿根皮灰尤佳
正月【七日】二月【八日】三月【四日】四月【五日】五月【二日】
六月【四日七日】七八月【三日】九月【二十日】十月【二十三日】十一月【二十
九日】十二月【十四日】可洗之
△按椿葉似𣾰而初生二三年者未分枝椏至秋莖葉皆
落盡如立一棒其莖脫處有窪痕春梢生葉𬄡隨長而
莖葉亦隨分經四五年者生枝椏最昜長葉香採嫩葉
[やぶちゃん注:「昜」は「易」の異体字。]
噉之相傳黃蘗禪師始將來之呼曰香椿
[やぶちゃん注:「黃蘗禪師」は「黃檗禪師」の誤字。まあ、こんな草木の記載を蜿蜒と続けていれば、このうっかりも、同情出来るね。訓読では、良安先生のために、訂しておくことにする。]
倭名抄椿【和名豆波木】爲海石榴之訓樗【和名沼天】爲五倍子樹
之訓者並非也凡香椿及溙葉横理透背鮮明頗似橿
[やぶちゃん注:「溙」は「漆」の異体字。]
葉而小兩兩對生【香椿折枝有香氣放臛汁食𣾰木折枝有汁粘人生𣾰瘡】
[やぶちゃん字注:「對」は「グリフウィキ」のこれに近い((へん)の上部が「北」のようになっている)が、表示出来ないので、正字で示した。]
*
ちやんちゆん 𮓙目樹《こもくじゆ》
大眼樹
椿【「杶《チユン》」≪に≫同じ。】
【今、云ふ、「知也牟知牟《ちやんちん》」。
唐音の訛《なまり》なり。】
樗《ちよ》【臭椿《しうちん》なり。
和名、「沼天《ぬるで》」。】
チユン 栲《かう》【山樗《さんちよ》なり。】
[やぶちゃん字注:「𮓙」は「虎」の異体字。]
「本綱」に曰はく、『椿《ちん》・樗《ちよ》・栲《かう》は、乃《すなはち》、一木≪にして≫三種なり。皆、亦、𣾰《うるし》の樹に類す。其の葉、脫《ぬく》る𠙚、痕(あと)、有り、𮓙《とら》の眼目のごとく、又、「樗蒲(カルタ)の子(め)」のごとし。故《ゆゑ》、之れ、名づく。其の木、長《ちやう》じ易くして、壽考《じゆかう》[やぶちゃん注:「寿命」。]、多し。故、「椿拷《ちんかう》」の稱、有り。「莊子《さうじ》」に言《いは》く、『大椿《だいちん》、八千歳を以つて、春秋と爲《な》す。』と≪は≫、是れなり。』≪と≫。
『椿《ちん》 皮、細《こまやか》、肌、堅實にして、赤し。嫩葉《わかば》、香《かぐはし》く、甘《かん》にして、茹《く》ふべし。』≪と≫。
『樗 皮、粗《あら》く、肌、虛《きよ》にして、白し。其の葉、臭く、𢙣《あ》し。其の木、最《もつとも》用ふること、無しと爲《な》す。「莊子」に所謂《いはゆ》る、『吾《われ》に、大木、有り。人、之れを「樗」と謂ふ。其の木、擁腫《ようしゆ》にして[やぶちゃん注:瘤(こぶ)があって。]、繩墨《じようぼく》に中《あた》らず、小枝、曲-拳(まが)りて、規矩(さしがね)に中らず。』と云ふ者なり[やぶちゃん注:「云」は送り仮名にある。]。樗の、花、有る者は、莢《さや》、無く、莢、有る者は、花、無し。其の莢、夏月、常に樗木《ちよぼく》に生ず。未だ、椿《ちん》の、莢、有る者は、見ず【然《しか》れども、世俗、之れを辨《わきま》へずして、樗≪の≫莢を、呼んで、「椿≪の≫莢」と爲《な》すのみ。】。』≪と≫。
『拷は』、『卽ち、樗の山中に生≪ずる≫者なり。亦、虛大《きよだい》なり。然れども、之れを、爪(つめ)りけ≪れ≫ば、腐-朽(く)ち≪たるが≫ごとし。故《ゆゑ》、以《つて》、「不才の木」と爲す。椿木《ちんぼく》の賢實≪にして≫、棟《むね》・梁《はり》に入≪るるに≫似ず。』≪と≫。
『椿根皮《ちんこんぴ》【色、赤にして、香《かをり》、血分《けつぶん》に入りて、性、濇《しぶし》。】 樗根皮《ちよこんぴ》は[やぶちゃん注:ママ。]【色、白にして、臭く、氣分に入りて、性、利《とほ》す。】 其の主治の功、同じと雖も、濇《しよく》・利《り》の效は、則ち、異《い》なり。正に、伏苓《ぶくりやう》・芍藥《しやくやく》の、赤きと、白きと、頗《すこぶ》る殊《こと》なるがごとし。凡そ、血分に病《やまひ》を受けて、不足の者、椿根皮を用ふるに、宜《よろ》し。氣分に病を受けて、欝、有る者、樗根皮を用ふるに、宜《よろ》し。凡そ、女子の血崩、産後≪の≫血≪の≫止《や》まざる、月信《つきのおとづれ》來ること多く、或いは、「赤-帶-下(こしけ)」、及び、小兒の疳痢、椿根皮を用ふるに、宜し。』≪と≫。[やぶちゃん注:最後の部分の「宜」は、配された送り仮名から、再読文字として読むことは不可能である。]
『鳳眼草《ほうがんさう》 卽ち椿樹《ちんじゆ》の上に生ずる所の莢なり。』≪と≫【蓋し、椿《ちん》は莢を生ぜず。乃《すなはち》、≪ここで謂ふ所の「莢」は、≫樗の莢を謂ふなり。】。[やぶちゃん注:この上の割注は「本草綱目」にはない。されば、良安が挿入したものである。東洋文庫訳が問題なのは、既に何ヶ所もあった、こうした良安の挿入した部分を、全く明らかにしていない点である。私も嘗てはそうだったが、恐らく読者の半数以上は、「△」の前の「本綱」以下となっているものは、総てが時珍の記述だと思い込んで無批判に読んでいるに違いないからである。]『灰に燒きて、水を淋《そそぎ》、頭を洗へば、一年を經て、眼、童子のごとし。椿根皮の灰を加へて、尤も佳≪なり≫。』≪と≫。
『正月【七日。】・二月【八日。】・三月【四日。】・四月【五日。】・五月【二日。】・六月【四日・七日。】・七、八月【三日。】・九月【二十日。】・十月【二十三日。】・十一月【二十九日。】・十二月【十四日。】、之れを洗ふべし。』≪と≫。
△按ずるに、椿《ちん》の葉、𣾰《うるし》に似て、初生二、三年の者は、未だ枝椏《えだまた》を分たず。秋に至りて、莖・葉、皆、落盡《おちつくし》て、一棒《いちぼう》を立つるがごとし。其の莖の脫《ぬけ》たる處に、窪(くぼ)き痕(あと)、有り。春、梢に、葉を生じて、𬄡(しん)に隨ひて長《ちやう》じて、莖・葉も亦、隨ひて分《わか》つ。四、五年を經《へ》る者、枝椏を生じ、最も長じ昜《やす》く、葉≪の≫香《かんば》し。嫩葉《わかば》を採りて、之れを噉《くら》ふ。相≪ひ≫傳≪へて≫、「黃檗禪師、始めて、之れを將來す。呼んで「香椿(ヒヤンチユン)」と曰ふ」≪と≫。
「倭名抄」に、『椿【和名、「豆波木《つばき》」。】』≪と≫、「海石榴(つばき)」の訓と爲《な》し、『樗【和名、「沼天《ぬるで》」。】』≪と≫、「五倍子樹(ぬるでの《き》)」の訓を爲すは、並びに、非なり。凡そ、「香椿(ヒヤンチユン)」及び「溙《うるし》」の葉の横-理(よこすぢ)、背に透(とほ)り、鮮-明(あざやか)≪にして≫、頗《すこぶ》る橿(かし)の葉に似て、小さく、兩《ふた》つ兩《づつ》、生ず【「香椿」は、枝を折れば、香氣、有り、臛汁《にくじる》≪のごとき汁(しる)を≫放ち、食ふ。𣾰の木は、枝を折れば、汁、有≪れども≫、人に粘《つ》≪けば≫、𣾰瘡《うるしかぶれ》を生ず。】。
[やぶちゃん注:この困難な項(原文と訓読だけで、延べ六時間を要した)は、今までのような、日中の種の違いを、良安は、全文を通して、重要な核心部分に就いては、ほぼ正しく認識して叙述していると言ってよいだろう(現行の植物学から見れば、当然、細部の誤りあるが)。まず、彼が、医師・本草学者として、真の「椿」を『椿《ちん》・樗《ちよ》・栲《かう》』の三種に分け、本邦の椿(つばき=藪椿:ツツジ目ツバキ科 Theeae 連ツバキ属ヤブツバキ Camellia japonica )を、ここでは、排除した点が素晴らしい。順に見てゆこう。
①椿(ちん)は、双子葉植物綱ムクロジ目センダン科Toona属チャンチン Toona sinensis
である。当該ウィキによれば、『センダン科』Meliaceae『の落葉高木。中国中部・北部原産』で、Cedrela sinensis は『シノニム』である。『高さは』十『メートルほど。葉は卵形の多数の小葉からなる羽状複葉で、若芽は赤褐色を帯び、茎・葉・花に独特のにおいがある。花期は』七『月頃。枝頂から房状に白い小花が密生して』、『多数』、『咲く。実は果で』、『秋に熟して』五『裂する。庭木や街路樹とされ、材は堅く、家具や器具用材などに用いる』。『若芽は中華圏で春の野菜として食べられる』。『中国では「椿」のみでチャンチンを表しており、逆に中国語で「ツバキ」は「山茶花」「日本椿花」などと表記されている』とある。同種の中文当該ウィキ「香椿」の記載は、瘦せた日本の記事の十倍以上あるので、参照されたい。時珍の引いた「荘子」の話も記されてある。
✕②―Ⅰ樗(ちょ)は、まず、クロッソソマ目 Crossosomatalesミツバウツギ科ミツバウツギ属ゴンズイ Staphylea japonica
を考えた。(この漢字は本邦では、ムクロジ目センダン科センダン属センダン変種センダンMelia azedarach var. subtripinnata の古名でもあるが、ここでは、無関係。因みに、私はセンダンの花が大好きだ)。当該ウィキによれば、『和名「ゴンズイ」の由来には諸説あり、判然としない。植物学者の清水建美』『は以下の』四『説を挙げている』。『役に立たない魚のゴンズイ』(海産のナマズ類である硬骨魚綱ナマズ目ゴンズイ科ゴンズイ属ゴンズイ Plotosus japonicus 。よく知らない方は、私の「大和本草卷之十三 魚之下 海𫙬𮈔魚 (ゴンズイ)」を読まれたい)『になぞらえて、それと同様に材が役に立たないため』。『熊野権現の守り札を付ける牛王杖(ごおうづえ)がなまったもの。この杖を本種で作ったため』。『赤い果実から真っ黒の種子が出るのが天人の「五衰の花」を思わせることから(中村浩の説)』。『ミカン科』Rutaceae『の植物であるゴシュユ』ムクロジ目ミカン科ゴシュユ(呉茱萸)属ゴシュユ Tetradium ruticarpum )『に似ていることから(深津正の説)』。『「日本の植物学の父」ともよばれる牧野富太郎』『は魚のゴンズイ説を採り、本種にかつてニワウルシ(やはり役に立たない木)と混同されたことを根拠としてあげている』。『なお、沖縄ではミハンチャギ』・『ミィハジキー』『などの方言名が伝わる。果実が裂けることに関するものと思われる』『中国名は「野鴉椿」』(翻って、当該中文ウィキは話にならないほど、記載がない)。『日本では本州の関東地方(茨城県)から富山県より西、四国、九州、琉球列島に産する』。『日本国外では朝鮮南部、台湾北部、及び中国中部に分布する』。『山地に自生し』、『二次林や林縁部に生える』。『落葉広葉樹の小高木』。『高さは普通』三~六『メートル』『だが』、『時に』十メートルに『達する』。『樹皮は紫黒色や黒緑色を帯びた灰褐色で、細長い割れ目状の皮目が縦に走って』、『割れ目が入る』。『樹皮の白い縦の筋は次第に黒っぽくなる』。『一年枝は緑褐色や紫褐色で太く、無毛で白い線形の皮目がある』。『普通は頂芽ができず』、一『対の仮頂芽から有花枝、あるいは無花枝を伸ばして成長する』。『さらに側芽から枝を伸ばすことは少ない。有花枝は』二~三『対の葉と、先端に花序を付け、無花枝は』二~三『対の葉のみを付ける』。『葉は対生し、奇数羽状複葉で全体の長さは』十~㉚『センチメートル 』、『幅は』六~十二センチメートル。『葉柄は長さ』三~十センチメートル『あり、複葉の軸とともに無毛』。『小葉の葉柄は、側小葉では長さ』二~十二『ミリメートル 』、『頂小葉では』、『より長くて』二~三センチメートルで、『短い毛がある』。但し、『時に頂小葉がない場合がある。小葉の葉身は狭卵形で、長さ』四~九センチメートルで、幅は二~五センチメートル。『硬くて表面につやがあり、先端は尖り、基部は丸みを帯びるかやや広い楔形』。『裏面の中脈や側脈の上に短い毛がある』。『葉縁には細かい鋸歯がある』。『秋に紅葉するが、日当たりのよい木では、しばしば葉全体が濃い紫色になる』。『これは、葉緑素の色素がなかなか抜けず、アントシアニンの赤い色素と重なって紫色に見える現象で、やがて緑色が抜ければ赤色や橙色になる』。『花期は』五~六月で、『枝先から出る円錐花序は長さ』十五~二十センチメートルで、『よく分枝して多数の花をつける』。『花は淡黄緑色で、径』四~五ミリメートル。『花柄は長さ』一~二ミリメートル。『萼裂片と花弁はいずれも楕円形で長さ約』二ミリメートル。『雄蕊、雌蕊は花弁とほぼ同長、子房は』二『室』、乃至、三『室からなり、同数の柱頭と花柱が互いに接着する』。『果期は』九~十月。『果実は袋果で半月形』で、一『つの花から』一~三『個生じ、長さ』一~一・三センチメートルに『なる』。『これは子房の心皮がその数だけに裂け、反り返ったもので』、『果実の各部分は肉質で熟すると赤くなり』、『鎌形に曲がって反転し、太い条がある。それが裂けると中から』一~三『個の種子が顔を出す』。『裂けて見える子房の内側も鮮紅色で美しい』。『種子はほぼ球形で径約』五ミリメートル、『黒色で強い光沢がある』。『また、種子は当初、赤い仮種皮に包まれている』。『葉や実には臭気がある』(本文の異名「臭椿」と合致するように感じはした)。『冬芽は鱗芽で、芽鱗は暗紅紫色で』二~四『枚つく』。『枝先に仮頂芽が』二『個、または』一『個つき、側芽は枝に対生する』。『葉痕は半円形で、維管束痕が』七~九『個輪状に並ぶ』。以下、「分類」の項だが、記載が古いのでカットする。『材は黄白色で、軽く柔らかいが』、『割れにくい。材としての利用価値はない。キクラゲ栽培の原木には使える』。『沖縄で』、『枝をお祭りの際に使用したと言う』。『庭園樹などとして栽培されることがある。若芽は食用になり、茹でてお浸しなどにされる』。『中国では果実や種子を腹痛や下痢止めとして用いる』とあった。
ところが、本文の注を進めている内に、全くの別種の有力候補が出現してきたのであった。それは、
◎②―Ⅱムクロジ目ニガキ科ニワウルシ属ニワウルシ Ailanthus altissima
である。当該ウィキによれば、本種の異名として「庭漆」・「樗」・「臭椿」が挙げてあり、『落葉高木。別名、シンジュ(神樹)。和名に「ウルシ」がついているが、ウルシ(ウルシ科)とは全くの別種』であり、『ウルシのようにかぶれる心配はない。ニワウルシの和名は、ウルシに似ているが、かぶれないので庭に植えられることから。シンジュは英語名称の』“Tree of Heaven”(ツリー・オブ・ヘヴン:「天国の木」)、『ドイツ語名称の』“Götterbaum”(ゲッターバウム:「神の木」)の『和訳による。中国原産で、中国名は臭椿(別名:樗)』ときちまったので、こちらが比定同定として正しいということになった(決定打は後注「樗根皮《ちよこんぴ》」を参照)。『原産は中国北中部。日本には明治初期に渡来し』、現在では、『街路樹などにされ、野生化しており、河川敷などで群生している』。『ガ(蛾)の一種であるシンジュサン』(鱗翅(チョウ)目ヤママユガ科シンジュサン(樗蚕・神樹蚕)属シンジュサン Samia cynthia pryeri :朝鮮半島・中国・日本に分布)『の食樹としても知られ、シンジュサンでの養蚕目的に栽培されたことも各地に野生化する原因となった。近年では』、『道端などに広く野生化しており、日本同様に導入されたアメリカなどでは問題化している』。『農業害虫のシタベニハゴロモ』(半翅(カメムシ)目同翅(ヨコバイ)亜目ビワハゴロモ科 Lycorma 属シタベニハゴロモ Lycorma delicatula )『が繁殖することでも知られ、アメリカや日本』『に帰化して問題となっている』。『落葉広葉樹の高木で、樹高は』十~二十『メートル』『になる』。『幹は真っ直ぐで枝は太い』。『樹皮は灰色で皮目があり、滑らかであるが、のちに縦波状の筋ができる』。『一年枝は赤褐色で太く、皮目が多く、枝先に毛が残ることがある』。『葉は大型の奇数羽状複葉を互生し、生長すると長さ』一メートル『近くなる』。『花期は』六月。『雌雄異株で、夏に緑白色の小花を多数円錐状につける。果実は秋に褐色に熟し』、『披針形で中央に種子がある。枯れて白っぽくカサカサになった翼果が、冬でも枝によく残る』。『冬芽は平たい半球状で小さい鱗芽で、芽鱗』三~四『枚に包まれる』。『枝先の仮頂芽と、枝に互生する側芽はほぼ同じ大きさである』。『葉痕は大きくて目立つ心形で、維管束痕は葉痕の縁に並ぶ』。『アレロパシー効果』『で他の植物の成長を阻害する』。『成長が早く、庭木、街路樹、器具材などに用いられる』。(これも――ダメ押し決定打――となった☞)『中国では根皮や樹皮を樗白皮(ちょはくひ)の名で解熱・止瀉・止血・駆虫などに用いる』とあった。
③栲(こう)は、ブナ目ブナ科シイ属カスタノプシス・ファルギシイ Castanopsis fargesii
である。本種は中国以外には、フィリピンの一部や、ボルネオ島の東北の諸島にしか分布しないようである。当該中文ウィキには、『本種は安徽省、福建省、広東省、広西チワン族自治区、貴州省、湖北省、湖南省、江蘇省、江西省、四川省、台湾、雲南省、浙江省に分布し、通常は標高二百~二千百メートルの常緑広葉樹林で見られる』とあった。この種は記載が少ない。本邦種の記載しかないないが、ウィキの「シイ」をリンクさせておく。
良安の「本草綱目」のパッチワーク引用は、「卷三十五上」の「木之二」「喬木類」(「漢籍リポジトリ」)の「椿樗」(ガイド・ナンバー[085-13b]以下)から。
「𮓙」(虎)「目樹」「大眼樹」後者は、上記の原文を見ても、また、中文当該ウィキ「香椿」でも判る通り、良安の引用ミスで「大眼桐」が正しい。サイト「TERRARIUM」の「チャンチン(香椿)」の左から二枚目の木肌の写真を見られたい。何やらん、この二つの異名が、私には、腑に落ちた。
「杶《チユン》」この漢字は先に出したセンダンを指す漢語であるが、良安が大項目名の直下に配する割注は、発音を示しているに過ぎないので、何らの問題は、ない。
「唐音」「黃蘗」で既出既注。
「樗蒲(カルタ)の子(め)」中国渡来の賭博 の一種である「樗蒲一(ちよぼいち)」で使う骰子(さいころ)のこと。一個の骰子で出る目を予測し、予測が当たれば、賭け金の四倍、又は、五倍を得る賭博。「樗蒲」は、中国古代の賭博で、後漢頃から唐まで流行った。但し、その頃の道具は、骰子ではなく、平たい楕円板を五枚投げて、その裏表によって双六のように駒を進めるゲームであったらしい。「一」は骰子を一個しか使用しないことに由来する。
『「莊子《さうじ》」に言《いは》く、『大椿《だいちん》、八千歳を以つて、春秋と爲《な》す。』と≪は≫、是れなり』「荘子」の「逍遙遊第一」にある以下。注を附すのが面倒になるので、前半部をカットした。
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小知不及大知、小年不及大年。奚以知其然也。朝菌不知晦朔、蟪蛄不知春秋。此小年也。楚之南有冥靈者、以五百歲爲春、五百歲爲秋。上古有大椿者、以八千歲爲春。八千歲爲秋。而彭祖乃今以久特聞、衆人匹之、不亦悲乎。湯之問棘也是已。
*
小知は大知に及ばず、小年は大年に及ばず。奚(なに)を以つて、其の然(しか)るを知るや。朝菌(てう)は晦朔(かいさく)を知らず、蟪蛄(けいこ)は春秋を知らず。此れ小年なり。楚の南に、冥靈(めいれい)なる者あり、五百歲を以つて春と爲し、五百歲を秋と爲(な)す。上古に大椿(たいちん)なる者あり、八千歲を以つて春と爲し、八千歲を秋と爲す。而るに彭祖(はうそ)は、乃-今(いま)、久(きう)を以つて、特(ひと)り、聞こえ、衆人、之れに匹(くら)ぶ、亦、悲しからずや。湯(たう)の棘(きよく)に問(と)へるや、是れのみ。
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小(ち)さき知は、大いなる知には及ばず、短い寿命は、大いなる寿命には及ばない。どうしてそのことが判るかと言うか? 朝に生まれたある虫は、夕方を知らずして死に、夏蟬はひと夏の命で、春と秋を知らぬ。これが短い生命の時間だ。さて、楚の国の南には、「冥霊(めいれい)」という木がある。五百年の間が、成長し、繁茂する「春」であり、また、さらに、五百年の間が、紅葉・落葉の「秋」に当たる。遙か古えには、「大椿(だいちん)」という木があり、これは、八千年の間が、成長し、繁茂する「春」であり、さらに、八千年の間が、紅葉・落葉の「秋」に当たる。ところが、今や、僅か八百年を生きたというだけの彭祖(ほうそ)ばかりを引き合いに出す。たかが、僅か八百年だ! 何んと、悲しいことではないか?! 殷の湯王(とうおう)が賢臣の夏棘(かきょく)に訊ねたことも、これに他ならぬ。
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「彭祖」中国の神話の中で長寿の仙人とされ、伝説中では「南極老人星」(カノープス:りゅうこつ座α星)の化身とされており、八百歳の寿命を保ったことで知られる。姓は彭、名は翦(せん)で、籛鏗(せんこう)とも呼ぶ。詳しくは、参考にした当該ウィキを見られたい。「湯王」は、夏の暴君桀王を討って、殷を建国した聖王。「列子」の「湯王問」に似たものが見えるが、「荘子」との関係には問題がある、岩波文庫「荘子」(一九七一年刊)の金子治の注にあった。「荘子」は、私が金子氏のそれで完全に精読した唯一の漢籍の哲学書である。
「肌、虛《きよ》にして」木肌が、ガサガサとして虚(うつ)ろな部分が多いことを言っていよう。
『「莊子」に所謂《いはゆ》る、『吾《われ》に、大木、有り。人、之れを「樗」と謂ふ。其の木、擁腫《ようしゆ》にして、繩墨《じようぼく》に中《あた》らず、小枝、曲-拳(まが)りて、規矩(さしがね)に中らず。』と云ふ者なり』同前の篇の終りの部分にある、所謂「無用の用」のパラドクスである。
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惠子、謂莊子曰、「吾有大樹、人謂之樗、其大本擁腫而不中繩墨、其小枝卷曲而不中規矩、立之塗匠者不顧、今、子之言大而無用、衆所同去也。」。莊子曰、「子獨不見狸狌乎、卑身而伏、以候敖者、東西跳梁不避高下、中於機辟、死于罔罟、今夫𤛆牛、其大若埀天之雲、此能爲大矣、而不能執鼠、今、子有大樹患其無用、何不樹之于無何有之鄕・廣莫之野、彷徨乎無爲其側、逍遙乎寢臥其下、不夭斤斧、物無害者、無所可用、安所困苦哉。
*
惠子、莊子に謂(い)ひて曰はく、
「吾に大樹あり、人、之れを『樗(ちよ)と謂ふ。其の大本(だいほん)、擁腫(ようしゆ)にして、繩墨(じようぼく)に中(あた)らず、小枝、卷曲(けんきよく)して規矩(きく)に中らず。之れを塗(みち)に立つるも、匠者(しやうしや)、顧みず。今、子(し)の言は、大にして無用、衆の同(とも)に去(す)つる所なり。」
と。
莊子曰はく、
「子は、獨(ひと)り、狸牲(りせい)を見ざるか。身を卑(ひく)くして伏し、以つて、敖者(がうしや)を候(うかが)ひ、東西に跳梁して、高下(かうげ)を避(さ)けざるに、機辟(きへき)に中(あた)りて、罔罟(まうこ)に死す。今、夫(か)の𤛆牛(りぎう)は、其の大なること、埀天(すいてん)の雲のごとし。此れ、能く、大(だい)たるも、而(しか)も、鼠(ねずみ)を執(と)らふること、能(あた)はず。今、子に大樹有りて、其の無用を患(うれ)ふ。何ぞ、これを『無何有(むかいう)』の鄕(きやう)、廣漠の野(や)に樹(う)ゑ、彷徨乎(ほうかうこ)として、其の側(そば)に無爲(むゐ)にし、逍遙乎(しやうやうこ)として、其の下に寢臥(しんぐわ)せざるや。斤斧(きんふ)に夭(たちき)られず、物の害する者、なし。用ふべき所なくも、安(なん)ぞ困苦する所、あらんや。」
と。
*
恵子が荘子に向かって話しかけて言うことには、
「私の地所に大木があって、人々は、これを『樗(ちょ)』と呼んでおりますが、その幹たるや、節くれ立った、瘤(こぶ)だらけ、直線も、引けず、その小枝に至っては、曲がりくねっていて、規(ぶんまわし:コンパス)や矩(さしがね)は使えません。されば、道端に立てて置いても、大工も、振り向きも致しません。ところで、貴方の話も、みな、これ、大袈裟過ぎて、用いようがありませんから、人々みんなに、そっぽを向かれるのですよ。」
と。
荘子の言うことには、
「貴方は、あの鼬(いたち)を見たことがありませんかねえ? 姿勢を低くして、隠れていて、ふらふらと出てくる小さな獲物(えもの)に狙いをつけ、あちらこちらへ、跳びはね、高い所へも、低い所へもゆく奴ですよ。しかし、結局のところ、その器用さが仇(あだ)になって、罠(わな)や捕り網(あみ)に掛って殺されていますね。ところで、あの唐牛(からうし)は、その大きいこと、まるで大空一杯に広がった雲のようであり、全く以って、大きいのですが、小さな鼠を捕まえたりすることは、出来ませんね。今、貴方のところに大木があって、用いようが全くないと、ご心配されておるようですが、それを、物一つない世界、人一人おらぬ曠野のど真中に立てて、その側(かたわ)らにあって、勝手気儘にやすらい、その樹の木蔭あって、のびのびと腹這いになって眠ることを、どうして、なさなないのか? 鉞(まさかり)や斧で断ち斬られることなく、そして、何物も害を加えることが出来ない。用いようがないからと言って、何の悩むことがあると言うのです?」
と。
*
この「惠子」は戦国時代の政治家・思想家で諸子百家の「名家」(一種の論理学派)の筆頭荘子の友にして、後者の厭味たっぷりの慇懃無礼で判る通り、「荘子」の中で荘子に屁理屈に近い理詰めで挑んでくるトリック・スター役を務める惠施(けい し 紀元前三七〇年頃~紀元前三一〇年頃)である。詳しくは当該ウィキを見られたい。
「爪(つめ)りけ≪れ≫ば」「爪で以って、こぞり削ると」。
「虛大《きよだい》なり」東洋文庫訳では、『木は大きく、材質は虚で、』と訳されてある。
「椿根皮《ちんこんぴ》」漢方生薬サイト「イアトリズム」の「椿根皮」を参照されたい。
「濇《しぶし》」東洋文庫訳は『濇(しぶ)る』。確かに、辞書を見ると、「渋る」「滞(とどこお)る」といった動詞の意味が頭にあるが、後に「滑らかでないさま」「渋い」という形容詞の意味もある。ここは、薬剤作用の様態を言っているので、私は「澁し」という訓読みを採用した。
「樗根皮《ちよこんぴ》」同前サイトに「樗木根皮」があるので参照されたいが、そこでは基原植物として、『ニガキ科ニワウルシ属ニワウルシの根皮』を挙げてあり、これが冒頭で②―Ⅱとして有力候補として挙げた理由である。
「伏苓」「茯苓」が普通。菌界担子菌門真正担子菌綱ヒダナシタケ目サルノコシカケ科ウォルフィポリア属マツホド Wolfiporia extensa の漢方名。中国では食用としても好まれる。詳しくは「三州奇談卷之二 切通の茯苓」の私の冒頭注を参照されたい。
「芍藥」ユキノシタ目ボタン科ボタン属シャクヤク Paeonia lactiflora 或いは近縁種の根から製した生薬。消炎・鎮痛・抗菌・止血・抗痙攣作用を有する。
「女子の血崩」東洋文庫訳で割注して、『(至急からの急な多量出血)』とある。
「月信《つきのおとづれ》來ること多く」メンスの出血が尋常より多い状態を指す。
「小兒の疳痢」幼児の神経性或いは心身症を起因とする下痢。
「鳳眼草《ほうがんさう》」ダメ押しのダメ押し。「ニワウルシ」の中文当該ウィキ「臭椿」に『臭椿的翅果』(ニレやカエデで見られる「つばさ」のようなツクバネ型の「翼果」のこと)『也用於現代中藥』、『叫做』(「~と称されている」の意)『「鳳眼草」』とあった。
「眼、童子のごとし」東洋文庫訳に『眼は童子のように生き生きとする』とある。
『正月【七日。】・二月【八日。】……』これは日の指定に単純ではない法則性がありそうなので、古くからの旧暦法に対応した易や、五行説、民間の曆(こよみ)との関係があるのだろうが、占いに興味関心ゼロの私は調べる気にならない。悪しからず。
「𬄡(しん)」木の幹の芯。
「黃檗禪師」明からの来朝僧隠元隆琦 (一五九二年~寛文一三(一六七三)年)。福建省出身で、本邦の黄檗宗の祖とされる。承応三(一六五四)年に同じ明の渡来僧逸然性融(いつねんしょうゆう)らの招きで来日した。山城宇治に土地を与えられ、万福寺を開いた。建築・書画・詩文・料理などに明の文化を齎した。「隠元禅師語録」は有名。
『「倭名抄」に、『椿【和名、「豆波木《つばき》」。】』≪と≫、「海石榴(つばき)」の訓と爲《な》し、『樗【和名、「沼天《ぬるで》」。】』≪と≫、「五倍子樹(ぬるでの《き》)」の訓を爲す』「和名類聚鈔」の「卷二十」の「草木部第三十二」の「木類第二百四十八」に「椿」が(以下二本ともに国立国会図書館デジタルコレクションの寛文七(一六六七)年版を視認して参考とし、推定訓読した。清音部はママである)、ここで、
*
椿(つはき) 「唐韻」に云はく、『椿【敕」「倫」反。和名「豆波木」。】。木の名なり。「楊氏漢語抄」に云はく、『海石榴【和名、上に同し。「本朝式」等、之れを用ゆ。】』。
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とあり、それより前に、「樗」が、ここ。
*
樗(ぬて) 陸詞か「切韻」に云はく、『樗は【「勅」「居」の反。「和名本草」に云はく、「沼天」。】𢙣木なり。』。「辨色立成」に云はく、『白膠木は【和名、上に同じ】。』。
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「溙《うるし》」狭義の「漆」はムクロジ目ウルシ科ウルシ属ウルシ Toxicodendron vernicifluum 。因みに、次の項が「𣾰(うるし)」(ウルシ)である。
「橿(かし)」ブナ目ブナ科 Fagaceaeの一群の総称。狭義にはコナラ属 Quercus 中の常緑性の種を呼ぶ。]
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