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2024/06/24

「善惡報はなし」正規表現オリジナル注 卷一 㐧五 しやうぢきの人寳を得る事

 

[やぶちゃん注:底本・凡例等は初回を参照されたい。本篇には挿絵はない。]

 

  㐧五 しやうぢきの人寳(たから)を得る事

○河内(かわち)の国いし川と云《いふ》所に、いやしき夫歸あり。餅をうりて、世をわたりけり。

[やぶちゃん注:「河内(かわち)の国いし川」旧河内國石川郡。大阪府南河内郡の全域、及び、富田林市の一部(概ね新堂・富美ケ丘町・寿町・錦ケ丘町・常盤町・富田林町・山中田町・東板持町・佐備・龍泉・甘南備より北東)に相当する。郡域は参照したウィキの「石川郡」の地図を見られたい。]

 有《ある》時、道のほとりに出《いで》て、もちを、うりけるに、袋(ふくろ)を、一つ、ひろひけり。

 みれば、金(きん)六兩あり。

 ふうふ、ともに、むよく成《なる》ものにて、家に取《とり》てかへらず。

「此主(ぬし)、いかばかり、なげき給ふらん。我らは、かしよくあれば、ぜにゝ、ことも、かゝず。いざ、ぬしを尋ねて、かへさん。」

とて、あまねく、ふれければ、やがて、主(ぬし)、出《いで》て、もらいける。

[やぶちゃん注:「かしよく」「家職」家業。生業(なりわい)。「ふれ」「觸れ」。郡衙一帯に「拾い物」の「お触れ」を告げること。]

「扨〻《さてさて》、過分成《なる》心ざし、申《まうす》べきやうもなく候。あまりかたじけなく候まゝ、此内、二兩は其方《そのはう》へ參らせん。」

といふ。

 夫婦、申やう、

「いやいや、其《その》二兩をもらい[やぶちゃん注:ママ。]申《まうす》ほどならば、 此六兩を、何の用に、其方へかへし申さん。」

と云《いふ》。

「いや、あまり、ふうふの人〻、心のせつなるにかんじ、ぜひとも、參らせん。」

とて、取出《とりいだ》ししが、其間《そのあひだ》に、おもひかへし、おしくや、思ひけん、

「扨〻、此金《このかね》は、右(みぎ)、七兩、ありつるに、今、六兩かへし給ふやうは、さては、一兩、かくし給ひつらん。」

と云。

 夫婦、聞《きき》て、

「さる事は、しらず。もとより、六兩、あり。一兩、かくすほどならば、六兩を、皆、其方へ、かへすべきや。」

と。

 互(たがい[やぶちゃん注:ママ。])に、ろんじて 國守(くにのかみ)へ、兩人、出《いで》て、たいけつす[やぶちゃん注:「對決す」。]。

 目代(もくだ)、ちゑ、ふかく、ましまして、仰《おほせ》らるゝには、

「ふうふともに、正直のものにて、あり。一兩をかくすほどならば、六兩ながら、皆、我物(わがものに)こそ、しつらん。今、なんぢが、おとしたるは、七兩ならば、扨は、此かねは、なんぢが、かねには、あらず。其七兩あるを、もとめて、とるべし。さすれば、是は、別(べつ)のかねなり。夫婦のもの、取《とる》べし。」

とて、給はりけり。

 心、なをければ、天のあたへを、かうぶりけり。ふたう成《なる》ものは、をのがたから成《なれ》ども、よこしまなる心をもつて、人を、かすめば、めうのとがめにて、をのれ[やぶちゃん注:ママ。]がたからを、うしなふ事、よく心得べし。おそるべし、おそるべし。

[やぶちゃん注:「ふたう成もの」「太うなる者」。欲が出て、ずうずうしい者。

「めうのとがめ」。「めう」は「みやう」の誤りで、「冥(みやう)の咎め」で、「神仏の咎め」の意である。

 この話、所謂、後の「大岡政談物」の「三方一兩損」の類話と言ってよい。「三方一兩損」と、その当該類話は、私の『小酒井不木「犯罪文學研究」(単行本・正字正仮名版準拠・オリジナル注附) (6ー2) 三比事に書かれた特種の犯罪方法 二』を見られたい。ただ、私は、この話に酷似したものを、過去に電子化している記憶があるのだが、どうしても探し得ない。見つけたら、追記する。]

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