《芥川龍之介未電子化掌品抄》(ブログ版) 一茶句集の後に
[やぶちゃん注:初出単行本未詳(「一茶句集」不詳。国立国会図書館デジタルコレクションで調べたが、この執筆以前(後述)の同題の単行本は見当たらない。直近のものでは、前年の博文館明治三一(一八九八)年刊の『俳諧文庫』第十一編の中に「一茶全集」として「一茶發句集」・「一茶聯句集」・「俳文をらが春」があるから、これかとも思われる)。随筆集「點心」(龍之介最初の随筆集。大正一一(一九二二)年五月十五日金星堂刊。龍之介満三十歳)に収められている。大正一四(一九二五)年五月五日及び翌六日附の『東京日日新聞』に掲載されたもの。現在進行中の柴田宵曲「古句を觀る」の電子化注に必要となったので、急遽、作成した。
底本は岩波旧全集第七巻(一九七七年十二月刊)に拠った。その本文底本は「點心」。なお、底本の「後記」に、底本に先行する岩波普及版では、文末に『(大正十一年一月)』(西暦一九二三年)のクレジットがあるとする。これが脱稿のそれだとすると、満二十九(龍之介は三月一日生まれ)で、この年の元日の発表作は「藪の中」・「俊寬」・「將軍」・「神神の微笑」(リンクのあるものは私の古いサイト版)と傑作が目白押しである。また、前年の中国特派旅行の紀行「江南游記」(サイト一括版はこちらで、ブログ分割版はこちら)の『大阪毎日新聞』への連載も、この日に開始されている。
注は、改行の後に挟んだ。]
一茶句集の後に
一茶句集今日一讀過。一讀過、畢に慊焉たり。
[やぶちゃん注:「今日」「こんにち」であろう。「畢に慊焉たり」「つゐにけんえんたり」で、「慊焉」は、満足と不満足との二様の意があるが、この場合は、書き振りから、「あきたらず思うさま・不満足なさま」の意である。]
一茶の句は主觀句なり。元綠びとの句も主觀句なり。元綠びとと一茶と異るは、人生觀上の差違なるべし。元綠びとの人生は、自然に對する人生なり。一茶の人生は現世なり。今人の所謂「生活」なり。一茶を元綠びとと異らしむるは、この一點にありと云ふも誇張ならず。「明月や池をめぐりて夜もすがら」とは芭蕉が明月の吟なれども、一茶は同じ明月にも、「明月や江戶のやつらが何知つて」と、氣を吐かざるを得ざりしにあらずや。
現世に執するの俳人、一茶の外にも少しとせず。談林江戶座の俳人中には、或は數指を屈するものあるべし。但彼等は一茶の如く、娑婆苦を吟ずるの道に出でず。出づるも彼の如く深刻なる能はず。一茶をして獨步せしむる所以なり。一茶も亦好漢たらずとせず。
[やぶちゃん注:「江戶座」前の「談林」とは切れているので注意。こちらは、芭蕉の死後、江戸で、都会趣味的な洒落と機知とを主とする句を作った俳諧の一派を指す。芭蕉の門人宝井其角に始まる。]
されど人生に對する態度より云へば、一は生活を謳歌し、一は生活に惱めるにも關らず、一茶には談林江戶座の或者と、一味相通ずる特色あり。これ流俗も亦一茶を愛する所以、必しも一茶の爲に賀すべからず。
既に元綠びとの句境あり。又一茶等の句境あり。その間の折衷を試みしもの、卽ち所謂月並みなり。月並みは膚淺を意味するのみにあらず。又隣の隱居の如き人生觀を交ふるを云ふなり。
[やぶちゃん注:「膚淺」(ふせん)は浅墓なこと。浅薄・膚薄。]
更に人生に對する態度より云へば、元祿びとの法燈は、天明びとこれを繼ぎたりと云ふとも、一茶これを繼ぎたりと云ふべからず。天明びとは一茶よりも、直ちに自然に參したればなり。但予は夜半亭の屋高き事、俳諧寺の塔に勝れりとなさず。
[やぶちゃん注:「法燈」「ほふとう」と読む(「法」は一般語では歴史的仮名遣は「はう」であるが、仏教用語の場合は、「ほふ」と読む)。元語は「仏の正法が世の闇を照らすことを灯火に喩えて、一切衆生の迷いを救う仏法。」の意であるが、ここは、単に「作風」を言う。「夜半亭」は江戸時代の俳諧の一派の宗匠名。三代、続いた。一世は早野巴人(はやのはじん 延宝四(一六七六)年~寛保二(一七四二)年)で、名乗りは、晩年の元文二(一七三七)年に江戸日本橋本石町(ほんごくちょう)に「夜半亭」を構え、「夜半亭宋阿」と名乗ったことに始まり、二世は、かの与謝蕪村(享保元(一七一六)年~天明三(一七八四)年)で、明和七(一七七〇)年に宋阿の弟子であった蕪村が、宋阿の死後二十八年目に継承し名乗った。三世は蕪村の弟子であった高井几董(寛保元(一七四一)年~寛政元(一七八九)年)が、蕪村没後三年目の天明六年に継承した(ここは当該ウィキに拠った)。]
一茶には如上の特色あり。常世の人の一茶を愛する、亦故なきにあらずと云ふべし。石川啄木その歌集に題して「悲しき玩具」と云ふ。俳諧は恐らく一茶にも、「悲しき玩具」に過ぎざりしならん。一茶啄木の態度を以てせば、句を作り歌を作るは、委曲を盡して憾みなき事、終に小說を作るに若かず。予が句を讀み歌を讀むは、悲にあらず喜にあらず、人天相合する處、油然として湧く事雲の如き、無上の法味を甞めんが爲なり。試みに芭蕉を見よ。「秋深き隣は何をする人ぞ」這裡何處にか「生活」ある。ヴエルレエンの語を用ふれば「詩とはこれのみ、他は悉文學」にあらずや。一茶の句境未この醍醐を知らず。予の慊焉たる所以なり。
[やぶちゃん注:「如上」は「前に述べたこと・上述」の意。筑摩書房全集類聚版では、『じよじやう』とルビするが、確かにその読みもあるが、私は従えない。「によじやう」と読みたい。「甞めん」「なめん」。「這裡」(しやり(しゃり)で「這裏」とも書く。「這」は「此の」の意で、「このうち・この間(かん)」。]
[やぶちゃん後注:私はこの龍之介の見解には、非常に同感する。一茶は嫌いではないが、芭蕉と比しては、俗に執し過ぎて、話しにならない。なお、底本の「後記」によれば、
・「生活に惱めるにも」の部分は、普及版全集では『生活に苦惱せるにも』。
・「但予は夜半亭の屋高き事、俳諧寺の塔に勝れりとなさず。」の部分は普及版全集では『但夜半亭の屋高きか、俳諧寺の塔高きか、未疑なきにあらず。』。
であるとある。]