甲子夜話卷之八 25 町奉行依田豐前守、水戶邸の出火に馳入る事
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先に依田豐前守が事を記したるに、此頃(このごろ)又、一事を聞(きけ)り。
豐州、町奉行勤役のとき、水戶邸、自火ありしかば、出馬して、町人足の集りたるを指麾(しき)して、門に入(いら)んとしけるに、水府の人、出(いで)て、
「火は、手勢にて、消し候へば、暫く、猶予し玉はるべし。」
と申(まうし)ける。
そのとき、豐州、色を正しくし、詞(ことば)を改めて、
「彌(いよいよ)、御手勢にて消留(けしとめ)られ候はゞ、是に扣(ひか)へ候半(さふらはん)。もし、左無(さな)きときは、御定法(ごぢやうはふ)の通り、人數(にんず)をかけ候。」
とぞ申ける。
其中(そのうち)に、火勢、次第に盛(さかん)に成行(なりゆき)しかば、豐州、馬上に立揚(たちあが)りて、
「水戶殿にもせよ、火を出(いだ)したが、わるひ[やぶちゃん注:ママ。]ぞ。かゝれ、かゝれ。」
と云(いひ)ながら、馬に、鞭打(むちうつ)て、門內に馳入(はせいり)ければ、續ひ[やぶちゃん注:ママ。]て、
「ゑい、ゑい。」
聲を出(いだ)して、百千の町人足、一度に、
「どつ」
と走り込(こみ)、遂に其手(そのて)にて、火を消留し、となり。
■やぶちゃんの呟き
「町奉行依田豐前守」「先に依田豐前守が事を記したる」とあるのは、「甲子夜話卷之六 11 御留守居役依田豐前守の事蹟 / 12 同」のこと。そちらで、江戸中期の旗本依田政次(元禄一六(一七〇三)年~天明三(一七八三)年)の事績を詳細に注してあるので見られたい。因みに、彼は宝暦三(一七五三)年に北町奉行に就任、明和六(一七六九)年まで務めている。この火事の日時は、調べてみたが、判らなかった。
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