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2024/06/22

「和漢三才圖會」植物部 卷第八十三 喬木類 桐

 

Kiri

 

きり     白桐  黃桐

       泡桐  椅桐

【音同】

       榮桐 白花桐

トン     【岐利乃木】

 

本綱桐喜生朝陽之地因子而生者一年可起三四尺由

根而出者可五七尺其葉圓大而尖長有角光滑而毳最

昜生長先花後葉三月開花如牽牛花而白色花心微紅

結實大如巨棗長寸餘内爲兩房房內有肉肉上有薄片

卽其子也輕虛如楡莢葵實之狀老則殼裂隨風飄揚其

木輕虛皮色粗白故名之白桐不生蟲蚟琴作瑟及噐物

屋柱甚良

△按桐木作筝及箱櫃輕而不蚟以爲上品性不黏堅故

 不堪爲屋柱而已最昜長有幼女家可栽之當嫁之頃

 則宜作櫃板 凡桐子種者宜剪孽早茂長

 

   *

 

きり     白桐《はくとう》  黃桐《わうたう》

       泡桐《はうたう》  椅桐《いたう》

【音「同《とう》」。】

       榮桐《えいとう》 白花桐《はくくわとう》

トン     【「岐利乃木《きりのき》」。】

 

「本綱」に曰はく、『桐、喜(この)んで朝陽《ていやう》の地に生ず。子(み)に因りて、生《はゆ》る者は、一年にして起《たつ》るべきこと、三、四尺。根に由りて、出づる者は五、七尺なるべし。其の葉、圓大にして、尖り、長く、角《さや》、有り。光、滑かにして、毳《やはらかきけ》≪あり≫。最も生長し昜《やす》く、花を先にし、葉を後にす。三月、花を開く。「牽牛花(あさがほのはな)」のごとくにして、白色。花の心《しん》、微《やや》、紅《くれなゐ》なり。實《み》を結ぶ。大いさ、巨(をほ[やぶちゃん注:ママ。])きなる棗《なつめ》のごとし。長さ、寸餘。内に兩《ふたつ》の房《ばう》を爲《なし》、房の內に、肉、有り、肉の上に薄(うす)き片(へぎ)、有り。卽ち、其れ子《たね》なり。輕虛にして、楡-莢《にれ》・葵(あをひ[やぶちゃん注:ママ。])の實の狀《かたち》のごとく、老する時は[やぶちゃん注:「時」は送り仮名にある。]、則ち、殼(から)、裂(さ)けて、風に隨ひて飄揚《へうやう》す。其の木、輕虛≪にして≫、皮の色、粗《ほぼ》、白し。故《ゆゑ》、之れを「白桐」と名づく。蟲蚟(むしくひ)を生ぜず、琴《きん》・瑟《しつ》、及び、噐物に[やぶちゃん注:この「に」は不要。]・屋柱と作りて、甚だ、良し。』≪と≫。

△按ずるに、桐の木、筝(こと)、及び、箱・櫃《ひつ》に作る。輕くして、蚟(むしは)まず。以つて、上品と爲す。性、黏(ねば)く堅からず[やぶちゃん注:ここは、「黏からず、堅からず」の意。]。故、屋柱《やばしら》と爲(す)るに堪へざるのみ。最も長《ちやう》じ昜《やす》し。「幼女有る家は、之れを栽ふ[やぶちゃん注:ママ。]べし。當《まさ》に嫁(よめいりす)の頃(ころ)には、則ち、宜《よろ》しく櫃板《ひついた/たんす》作るべし。」と云云《うんぬん》。凡そ、桐の子種(みばへ)は、宜(よろ)しく、剪孽(わかばへ)、早く茂り、長《ちやう》ずべし。

 

[やぶちゃん注:日中ともに、真正のタイプ種である「桐」は、

双子葉植物綱シソ目キリ科キリ属キリ Paulownia tomentosa

である。現行の中文名は「毛泡桐」で別名を「紫花泡桐」とする。当該ウィキを引く(注記号は省略した)。『漢語の別名として白桐、泡桐、榮がある。初夏に特徴的な淡紫色の花を咲かせる花木で知られる。日本における経済的価値は高く、林業の特用樹種である。アメリカの国立公園では外来種として駆除の対象。日本では軽くて狂いや割れも少ない材の特性を活かして、高級家具の桐箪笥や、琴、琵琶が作られる』。『属名はシーボルト』(フィリップ・フランツ・バルタザール・フォン・ズィーボルト:Philipp Franz Balthasar von Siebold 一七九六年~一八六六年)が「日本植物誌」(‘Flora Japonica’:一八三五年(天保六年))に於いて『アンナ・パヴロヴナ』(Анна Павловна Романова:ラテン文字転写:Anna Paulowna Romanowa 一七九五年~一八六五年:オランダ王ウィレムⅡ世の王妃で、ウィレムⅢ世の母。ロシア大公女。ロシア皇帝パーヴェルⅠ世と皇后マリア・フョードロヴナの第六皇女、アレクサンドルⅠ世の妹でニコライⅠ世の姉)『に献名したもの』。但し、『シーボルトが与えた学名は』 Paulownia imperialisで、『後にツンベルク』(スウェーデンの植物学者・博物学者・医学者カール・ペーテル・ツンベルク(Carl Peter Thunberg 一七四三年~一八二八年:カール・フォン・リンネの弟子として分類学に於いて大きな功績を残した。また、出島商館付医師として鎖国期の江戸日本に、一年間、滞在し、日本に於ける植物学や蘭学、西洋に於ける東洋学の発展に寄与した、出島の三学者の一人)『が』一七八三年に)『ノウゼンカズラ科ツリガネカズラ属として Bignonia tomentosa と命名していたことが判明し』たため、一八四一『年に現在のものに改められた』。『和名キリの語源は、一説には木材となる木の栽培技術である「台切り」を行って育てられるから、キリの名が生まれたといわれる』。『台切りとは、材を取るための栽培技法のひとつで、キリの苗木を植えてから肥料を十分に与えて幹を太らせた』後、『一度』、『根元で切って、切り株から再び勢いのある芽を出させて、その部分を木材用の幹として無節』(むぶし:節が一つもない無地の木を言う語)『で育てることである』。『江戸時代に貝原益軒が編纂した本草書』「大和本草」には『「此の木、切れば早く長ずる故にキリという」と書かれている』。

   *

同書「草卷之十一 木之中」の「藥木」の中の「白桐」を指す。オリジナルに国立国会図書館デジタルコレクションの原本の当該部の画像を視認して以下に電子化しておく。カタカナをひらがなに改め、句読点・記号・濁点と、送り仮名及び読みの一部を推定で挿入した。

   *

白桐 此木、切れば、早く長ず。故に「きり」と云ふ。桐の類、多し。「梧桐」は「靑ぎり」也。「白桐」は、つねの桐なり。世に「白桐」を、多く、用(もちひ)て噐とす。良材なり。花、淡紫あり、白きあり。實は桃に似て、内に、薄片、多し。是れを、うふれば、生ず。時珍云はく、『其材輕虛、色白而有𦂶文、故俗謂之白桐。』。女子の初生に、桐の子を、うふ[やぶちゃん注:ママ。]れば、嫁する時、其裝具の櫃材となる。子(み)を、うえ[やぶちゃん注:ママ。]、枝を、さすべし。早く長じやすし。凡(およそ)、「さし木」は、「實うへ[やぶちゃん注:ママ。]」にしかず。荏桐(じむとう)は「油ギリ」也。「海桐」は、「はり」、あり、「はうだら」と云ふ。「梓(あづさ)[やぶちゃん注:原本のルビ。]」も「楸(ひさぎ)」も、皆、桐の類也。又、「犬きり」と云ふものあり、其の木、理(きめ)、朴(ほゝ)[やぶちゃん注:原本のルビ。モクレン目モクレン科モクレン属ホオノキ節ホオノキ Magnolia obovata のこと。]の木の如し。これ、「白楊」なり。是れも、器に作るべし。「頳桐(ていとう)」は「ひぎり」也。花、紅(くれなゐ)なり。「けらの木」、あり、實、紅なり。是れ、皆、一類なり。

   *

ここの後半部で、益軒が、まるまる総てを「桐」と同類とするものは、全部が誤りで、以下の引用にも出る通り、総てが、キリ属ではないだけでなく、近縁でもない、全然、無縁な種である。以下に全部纏めて「晒し首」にしておく。

「荏桐(じむとう)は「油ギリ」也」キントラノオ目トウダイグサ科アブラギリ属アブラギリ Vernicia cordata

『「海桐」は、「はり」、あり、「はうだら」と云ふ』セリ目トベラ科トベラ属トベラ Pittosporum tobira

「梓(あづさ)」既に先行する「梓」で考証したが、双子葉植物綱シソ目ノウゼンカズラ科キササゲ属キササゲ Catalpa ovata 、或いは、キササゲ属トウキササゲ Catalpa bungei 、又は、キントラノオ目トウダイグサ科エノキグサ亜科エノキグサ連アカメガシワ属アカメガシワ Mallotus japonicus の複数種を指す。

「楸(ひさぎ)」前注のキササゲ属トウキササゲ Catalpa bungei に限定出来る。先行する「楸」を参照。

「犬きり」前掲アブラギリの異名。

「白楊」この異名は二種に与えられている。キントラノオ目ヤナギ科ヤマナラシ属ヨーロッパヤマナラシ変種ヤマナラシ Populus tremula var. sieboldii(日本固有種)と、日本・朝鮮及び中国に分布する、ヤマナラシ属ドロノキ Populus suaveolens である。葉の形状ならホオノキと似るのは、ドロノキの方である。

『「頳桐」は「ひぎり」也』シソ目シソ科キランソウ亜科クサギ属ヒギリ Clerodendrum japonicum

「けらの木」ヤナギ科イイギリ属イイギリ Idesia polycarpa

   *

引用に戻る。

『英語の「princess tree」は、属名の Paulownia の語源であるアンナ・パヴロヴナがロシア大公女であったことに基づく』。なお、『キリの名前は、他の大きく横広の葉を持つ樹木にもつけられているが、実際にはこれらは遠縁の別種である。同じキリ科の近縁種は』九『種ほどしか知られておらず』、『日本には分布もしていない』。『古くから知られるアオギリ(アオイ科)もまったく異なる種である。中国で古くから両方に「桐」の字を用いているために混乱が生じている』。「斉民要術」では、『アオギリを「青桐」、キリを「白桐」と呼び分けている』。『現在の中国ではアオギリを「梧桐」、キリを「泡桐」と呼ぶ』。『この他イイギリ(ヤナギ科)、アブラギリ(トウダイグサ科アブラギリ属)、ナンヨウアブラギリ(同ナンヨウアブラギリ属)』(キントラノオ目トウダイグサ科ハズ亜科Jatropheae 連ナンヨウアブラギリ属ナンヨウアブラギリJatropha curcas 。中南米原産であるが、十六世紀以降、スペイン商人などの手によって世界中に伝播した)『などもまったく別種である』。『中国の揚子江流域、韓国の鬱陵島、日本では大分・宮崎県境の山岳地帯に自生地があるが、原産地は不明である。中国の中部が原産との説もある。日本にはかつて自生はなかったというが、現在各地で見られるものはすべて栽培されたもので、日本各地に野生化したものがみられる。特に東北地方、関東北部、新潟県などにおいて植栽され、中でも福島県の会津桐や青森県と岩手県のの南部桐などが有名である』(中略)。『落葉広葉樹。高木で、成長すると高さ』十~十五『メートル』、『幹の直径は』五十『センチメートル』『になる。丸く横広がりの樹形になり、樹皮は灰白色、あるいは灰褐色で波状に浅く裂ける。一年枝は太く、緑褐色や褐色で枝先は枯れることが多い。ごく若い幹は、皮目がよく目立つ。生長して太くなるにつれ、樹皮の色も変わり、皮目は縦に裂けて筋状になっていく。日当たりの良いところを好む性質で、短期間で早く生長する』。『葉は長い葉柄がついて対生し、葉身は長さ』十~二十センチメートル『ほどの広卵形である。若木の葉は特に大きくなる。葉縁は全縁または浅く』三『裂し、葉の表面は粘り気のある毛が密生する』。『花期は』五~六月。『両性花で、枝の先に大きな円錐花序が直立し、淡い紫色の花を円錐状につける。花冠は長さ』五センチメートル『ほどの筒状鐘形で、先は口唇状に裂ける。突然変異で生まれたと考えられている白い花を咲かせる品種に、シロバナノキリ( Paulownia tomentosa f. virginea )がある』。『果期は』七月から翌年一月頃まで。『果実は割れて種子が撒布され、枯れ残った果序も、冬までよく枝に残る』。『翼(よく)のついた小さい種子は風でよく撒布され、発芽率が高く』、『生長が早いため、随所に野生化した個体が見られる。アメリカ合衆国では観賞用に輸入したものが野生化し、伐採しても根株を残すと』、『旺盛に繁殖する外来種として駆除に手を焼いて農薬を用いる』。『冬芽はいぼ状でごく小さく芽鱗』四~六『枚に包まれており、枝先に頂芽、枝には側芽が対生する。花芽は丸く、茶褐色の毛が密生し、花序にたくさんついて冬はよく目立つ。葉痕は円形や心形で大きく、冬芽よりも目立ち、維管束痕が輪状に並ぶ』。『キリは古くから良質の木材として重宝されており、下駄や箪笥、箏(こと)、神楽面の材料となる。また、伝統的に神聖な木とみなされ、家紋や紋章の意匠に取り入れられてきた』。『キリは日本国内でとれる木材としては最も軽』く、『また光沢が出て、材質は広葉樹や針葉樹の繊維構造とは異なる独立気泡構造をなし、湿気を通さず、割れや狂いが少ないという特徴がある。日本の建具、家具、箪笥や楽器、下駄などの材料とされてきたが、ヨーロッパやアメリカでは用材としての特性を活かした利用は進んでいない』。『桐箪笥を高級家具の代名詞とする日本には中田喜直作曲』の「桐の花」が『描いているように、娘が生まれるとキリを植え、結婚する際にはそれを伐採して作った箪笥に着物を詰めて嫁入り道具に持たせるということがよく言われた。箪笥としては、キリ材は軽くて加工がしやすい上に、材が湿気や熱気を防ぐ性質で虫害を受けることが少ないことが注目された。湿気を遮る能力が高いと同時に熱気を遮断することは、材の断熱効果が高いことを意味し、火事に遭っても箪笥の外側だけが焦げて、中の衣類は損傷を受けなかったという事例も少なくないという。家具として仕上げたときの磨き上げ効果も高いことも特徴で、白木が美しいことは日本で評価された。日本では江戸時代から桐箪笥が全国各地で作られ、江戸時代後期の安政の大地震のあとでは、キリの燃えにくさや、洪水に遭っても浮いて流れ』、『中身を守ってくれる特性が確かめられたので、桐箪笥がよく売れたといわれている』。『また』、『桐材を使い』、『琴や琵琶などの弦楽器を作り、軽量性は釣具の浮子(うき)にも利用された。キリ材は軽い上に摩滅しにくいことも、材として有用な点として認められている。箱や和机にもキリが使われ、木目の美しさと共に火に強い性質から火鉢にも使われている。羽子板の重要な材料にもなっている。また』、『発火しづらいキリは金庫の内側にも用いられ、金沢大学が耐火性を実証実験した』。『もっぱら』、『材の性質に注目され、その品種ごとに、青桐、赤桐、白桐、紫桐などと区分された。産地としては福島県会津地方が最も著名で、良質な材が採れるといわれる。これに次ぐのは青森県・岩手県の南部地方で、日本以外の中国や台湾産のものは材が軟らかすぎて箪笥用には下級品とされる。日本では各地で材を採ることを目的に植栽されていたが、需要の高まりや産業構造の変化により』、『北米、南米、中国、東南アジアから輸入されることも多い』らしい。『しかし』、『日本以外の国では、もっぱら花を観賞するために植えられる』。『桐炭は研磨用、火薬用、化粧用の眉墨(アイブロー)に利用された。また』、『桐灰は古くは懐炉(カイロ)にも用いられ、桐灰化学の屋号の由来となっている。キリから作った炭は、軟らかい性質で均質なものができるので、デッサン用や懐炉灰用には向いていると言われ、最初からその目的用で製造される』。桐花紋」の項があるが、興味がないので、カットする。

 良安の「本草綱目」のパッチワーク引用は、「卷三十五上」の「木之二」「喬木類」(「漢籍リポジトリ」)の「(ガイド・ナンバー[085-24b]以下)からだが、かなりあっさりとしている。

「朝陽《ていやう》の地」太陽光がすぐにあたる東向きの地面。

「牽牛花(あさがほのはな)」ナス目ヒルガオ科サツマイモ属アサガオ Ipomoea nil 。漢字表記は、もともとは、七夕の牽牛星とは関係ない。当該ウィキによれば、『朝顔は別名「牽牛」といい、これは中華文化圏での名称でもあるが、朝顔の種が薬として非常に高価で珍重された事から、贈答された者は牛を引いて御礼をしたという謂れである。平安時代に日本にも伝わり、百薬の長として珍重された』。ところが、『その後、江戸時代には七夕の頃に咲く事と、牽牛にちなみ』、『朝顔の花を「牽牛花」と以前から呼んでいたことから、織姫を指し、転じて朝顔の花を「朝顔姫」と呼ぶようになり、花が咲いた朝顔は「彦星」と「織姫星」が年に一度出会えた事の具現化として縁起の良いものとされた。これらの事により、夏の風物詩としてそのさわやかな花色が広く好まれ、鉢植えの朝顔が牛が牽く荷車に積載されて売り歩かれるようになった』とあった。

「棗《なつめ》」バラ目クロウメモドキ科ナツメ属ナツメ Ziziphus jujuba var. inermis (南ヨーロッパ原産、或いは、中国北部の原産とも言われる。伝来は、奈良時代以前とされている。

「琴《きん》・瑟《しつ》」前項「楸」で既出既注。

「筝(こと)」小学館「日本国語大辞典」より引く。『弦楽器の一つ。長さ五尺(約一・五メートル)から六尺(約一・八メートル)の木(桐が普通)の胴に』十三『本の弦を張り、各弦を山形の柱(じ)という駒で支え、その位置によって音高を整え、右手の爪で弾くもの。現在「こと」といえば、普通これをさす。もと、十数本の弦をもつものが中国で発達し、奈良朝前に日本に伝来し、雅楽に用いられていたが、室町時代に筑紫流箏曲が起こり、近代箏曲のもととなっている。雅楽で用いるものを楽箏(がくそう)、一般に行なわれているものを俗箏(ぞくそう)と称している。平安時代には「箏(そう)のこと」といって他の弦楽器(琴(きん)など)から区別した。しょうのこと。しょう。』とある。]

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