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2024/06/28

「和漢三才圖會」植物部 卷第八十三 喬木類 楝

 

Outi

 

あふち    苦楝

       實名金鈴子

       俗云雲見艸

【音練】

 

俗云

 せんたん

 

本綱楝髙𠀋餘其長甚速三五年卽可作椽葉宻如槐而

長三四月開花紅紫色芬香滿庭有雌雄雄者無子根赤

有毒服之使人吐不能止時有至死者雌者有子根白微

毒其子正如圓棗又小鈴生青熟黃色

 歳時記言蛟龍畏楝故端午以葉包粽投江中𮁨屈原

[やぶちゃん字注:「𮁨は「祭」の異体字。」]

 今俗五月五日取葉佩之辟惡也

川楝子【苦寒有小毒】 導小腸膀胱之熱因引心包相火下行

 故熱厥心腹痛及疝氣爲要藥

苦楝根皮【苦微寒微毒】 宜用雌者治蚘蟲利大腸治小兒諸

 瘡燒灰傅之

△按楝其子入藥中𬜻四川產佳故名川楝子如川芎

 川鳥頭之類亦然其材微赤色有橒比於桐比於欅

 軟可以旋箱此樹昜生昜長故多栽塘堤

  新古今あふちさく外面の木陰露落て五月晴るゝ風渡る也忠良

  藻鹽山遠き軒端にかゝる雲見草雨とはならてとくそ暮ぬる

[やぶちゃん注:最初の一首は第四句目が「五月雨晴るゝ」の脱字である。訓読では訂しておいた。]

 

   *

 

あふち    苦楝《くれん》

       實《み》を「金鈴子《きんれいし》」と名づく。

       俗に云ふ、「雲見艸(くもみぐさ)」。

【音「練」。】 

 

俗に云ふ、

「せんだん」。

 

「本綱」に曰はく、『楝《れん》、髙さ、𠀋餘。其の長ずること、甚だ速《はやき》なり。三、五年にして、卽ち、椽(たるき)に作るべし。葉、宻《みつ》にして、槐《えんじゆ》のごとくにして、長し。三、四月、花を開く。紅紫色、芬香《ふんかう》、庭に滿つ。雌雄、有り。雄なり者、子《み》、無く、根、赤く、毒、有り。之れを服すれば、人をして吐かせ、止むること能はざる時、死に至る者、有り。雌なる者、子、有り、根、白く、微《やや》、毒あり。其の子、正《まさ》に圓《ま》るき棗《なつめ》のごとし。又、小鈴(《こ》すゞ)のごとく、生《わかき》は、青く、熟すれば、黃色。』≪と≫。

『「歳時記」に言《いは》く、『蛟龍《かうりゆう》、楝を畏る。故に、端午に、葉を以つて、粽《ちまき》に包み、江中《こうちゆう》に投じて、屈原を𮁨《まつ》る。今、俗、五月五日、葉を取り、之れを佩(お)びて、惡を辟《さ》く、となり。』≪と≫。』≪と≫。

『川楝子(せんれんし)【苦、寒。小毒、有り。】 小腸・膀胱の熱を導(みちび)き、因つて、心包《しんはう》の相火《さうくわ》を引く。下行する故、熱厥《ねつけつ》・心腹痛、及び、疝氣、要藥と爲《な》す。』≪と≫。

『苦楝根皮《くれんこんぴ》【苦、微寒。微毒。】 宜しく雌の者を用ふべし。蚘蟲《くわいちゆう》を治し、大腸を利し、小兒の諸瘡に《✕→を》治す。灰に燒きて、之れを、傅《つく》。』≪と≫。

△按ずるに、楝、其の子、藥に入《いるる》。中𬜻(もろこし)の四川の產、佳《よ》し。故に、「川楝子《せんれんし》」と名づく。「川芎《せんきゆう》」・「川鳥頭《せんうず》」の類《るゐ》のごときも、亦、然《しか》り。其の材、微《やや》赤色、橒(もく≪め≫)、有り。桐に比すれば、堅く、欅(けやき)に比すれば、軟(やはら)かにして、箱に旋(さ)すべし。此の樹、生(は)へ昜《やす》く、長じ昜し。故《ゆゑ》、多く、塘-堤《つつみ》に栽《う》ふ。

  「新古今」

    あふちさく

      外面《そとも》の木陰

     露落《おち》て

         五月雨《さみだれ》晴るゝ

        風渡る也

               忠良

  「藻鹽」

    山遠き

      軒端にかゝる

     雲見草《くもみぐさ》

         雨とはならで

        とくぞ暮《くれ》ぬる

 

[やぶちゃん注:「楝」「おうち」は、日中ともに、

双子葉植物綱ムクロジ目センダン科センダン属センダン Melia azedarach var. subtripinnata

である。

但し、中国では、漢方薬の基原植物としては、同属の、

トウセンダン  Melia toosendan

も挙げられてあるので(終りの方の注で後述する)、「本草綱目」の方では、そちらも挙げておく必要がある。以下、当該ウィキの「センダン」を引く(注記号はカットした)。『別名としてアフチ、オオチ、オウチ、アミノキなどがある。薬用植物の一つとしても知られ、果実はしもやけ、樹皮は虫下し、葉は虫除けにするなど、薬用に重宝された』。なお、『香木の栴檀はインドネシア原産のビャクダン』(双子葉植物綱ビャクダン目ビャクダン科ビャクダン属ビャクダン Santalum album )『のことを指し、センダンのほうは特別な香りを持たない』。『順応性の高い種であり、原産地のヒマラヤ山麓のほか、中国・台湾・朝鮮半島南部』及び『日本などの乾燥した熱帯から温帯域に分布する。日本では、本州(伊豆半島以西)、伊豆諸島、四国、九州、沖縄に分布する』。『温暖な地域の、海岸近くや』、『森林辺縁に多く自生する。庭木や公園、寺院、街路樹にも植えられていて、しばしば植えられたものが野生化もしている』。『落葉高木で、樹高は』五~二十『メートル』『ほどで、成長が早い。枝は太い方で、四方に広がって伸び、傘状あるいは、エノキに雰囲気が似た丸い樹形の大木になる。成木の幹は目通り径で約』二十五『センチメートル』『ほどになる。若い樹皮は暗緑色で楕円形の白っぽい皮目が多くよく目立つが、太い幹は黒褐色で樹皮は縦に裂け、顕著な凹凸ができる。夏の日の午後は梢にクマゼミが多数止まり、樹液を吸う様子が見られる』。『葉は』二『回奇数羽状複葉で互生し、一枚の葉全体の長さは』五十センチメートル『以上ある。小葉は』三~六センチメートルの『長さがあり、葉身は先が尖った卵状楕円形で革質で薄い。葉縁に浅い鋸歯があり、さらに大きく切れ込むことがある』。『花期は初夏(』五~六『月頃)で、本年枝の葉腋から花序を出して、淡紫色の』五『弁の花を多数、円錐状につける。花序の長さは』十~二十センチメートルで『花弁は長さ』八~九『ミリメートル』『で、表が白色、裏が薄紫色で』、十『個ある雄しべは濃紫色をしている。花は美しさが感じられ、アゲハチョウ類がよく訪れる。なお、南方熊楠が死の直前に「紫の花が見える」と言ったのはセンダンのことだったと言われている』。『果期は秋』十月頃で、『果実は長径』十七ミリメートル『ほどの楕円形の核果で、晩秋』(十~十二月頃)に『黄褐色に熟す。秋が深まり』、『落葉しても、しばらくは梢に果実がぶら下がって残るため』、『目立つ。果実は果肉が少なく核が』一センチメートル『前後と大きく、上から見ると星形をしている。果実はヒヨドリやカラスなどの鳥が食べに訪れ、種が運ばれて空き地や道端に野生化することもある。しかし』、界面活性作用が細胞膜を破壊し、赤血球を破壊する溶血作用を持つ『サポニン』(saponin)『を多く含むため、人や犬が食べると』、『食中毒を起こし、摂取量が多いと死亡する』。』『冬芽は落葉後の葉腋に互生し、半球状で細かい毛で覆われている。葉痕は倒松形やT字形で、維管束痕は』三『個あり、白くて大きいので』、『よく目立つ。冬芽がついた枝先には、星状毛が残ることもある』。『葉や木材には弱い芳香がある。背が高い上に、新芽・開花・実生・落葉と季節ごとの見かけの変化も大きく、森林内でも目立ちやすい』。『樹木は、街路樹、庭木、公園樹に植えられている。枝は横に大きく被さるように出ることから、街路樹としての機能性に優れている。材は建築・器具用材、家具にもなり、下駄の材や、仏像彫刻に使われたこともある。ミンディ』(Mindi)『材と書かれているのはこのセンダンのこと。ケヤキの模擬材として使われることもある。また核(種子)は数珠の珠にする』。『材を林業として利用する場合は、苗を植えて』十五~二十『年で木材に製材できる。このため』、『日本の熊本県天草市では、中山間地域にある耕作放棄地の活用策として植林されている』、『果実は生薬の』「苦楝子(くれんし)」、若しくは、「川楝子(せんれんし)」と『称して、ひび、あかぎれ、しもやけに外用し、整腸薬、鎮痛剤として煎じて内服した。樹皮は生薬の苦楝皮(くれんぴ)と称して、駆虫剤(虫下し)として煎液を内服した。樹皮には苦味成分があり、漁に使う魚毒にも使われた。葉は強い除虫効果を持つため、かつては農家において除虫に用いられていた』。『沖縄県に自生するセンダンの抽出成分が、インフルエンザウイルスを不活化させることが報告された』。また、『同成分ががん細胞のオートファジー(自食作用)を促進させ、死滅させること』が判っており、現在、七十『種類の』癌で『センダンの抗』癌『作用』が『確認』されている。本種の、その効『用は、マウス実験、犬への投与で実証され』ている、とあった。

 良安の「本草綱目」のパッチワーク引用は、「卷三十五上」の「木之二」「喬木類」(「漢籍リポジトリ」)の「(ガイド・ナンバー[085-30b]以下)からである。

「苦楝」センダンの中文の「維基百科」のタイトルが「苦楝」である。

「金鈴子」同前の中国語の異名の中に「金鈴子」がある。因みに、中国語の音写をすると、「ヂィンリィンヅゥ」。

「雲見艸(くもみくさ)」すたこら氏のブログ「すたこらの雁書」の「雲見草(クモミグサ)・・栴檀(センダン)」によれば、『遠目には紫雲がたなびいているように見えることに由来します』とあった。因みに、その前に、センダンの和名について、『名前は果実が丸く数が多いことから千珠(センダマ)の意味で、転訛したものです』と記しておられ、目から鱗であった。

「椽(たるき)」「垂木」とも書く。棟から軒に渡して屋根面を構成する材料。下から見えるものを「化粧垂木」。見えないものを「野垂木」と称する。社寺では二重に用いることが多く,上のものを「飛檐(ひえん)垂木」、下のものを「地垂木」と呼ぶ。

「槐《えんじゆ》」マメ目マメ科マメ亜科エンジュ属エンジュ Styphnolobium japonicum 。中国原産で、当地では神聖にして霊の宿る木として志怪小説にもよく出る。日本へは、早く八世紀には渡来していたとみられ、現在の和名は古名の「えにす」が転化したもの。因みに、次の次の項が「槐」である。

「棗《なつめ》」バラ目クロウメモドキ科ナツメ属ナツメ Ziziphus jujuba var. inermis (南ヨーロッパ原産、或いは、中国北部の原産とも言われる。伝来は、奈良時代以前とされている。

「歳時記」「荊楚歲時記」。南朝梁(六世紀)時に、江陵(湖北省)の宗懍(そうりん)によって著された荊楚地方(揚子江中流域の現在の湖北省・湖南省一帯)の年中行事記。原名は「荊楚記」であったともされる。七世紀になって、隋の杜公瞻(とこうせん)が注釈を附し、「荊楚俊時記」という書名とされるとともに、原書の内容が補足された。その内容は、正月年始の行事に始まり、「競舟」(けいしゅう)などの民俗行事、灌仏会(かんぶつえ)などの仏教関連の行事や諸種の風俗・習慣・民間信仰に至るまでのさまざまな範囲に及ぶ(小学館「日本大百科全書」に拠った)。

「蛟龍」中国古代以降の想像上のポスト龍の一種。水中に潜み、機縁を得て、雲雨に逢うと、それに乗じて、天上に昇って龍になるとされる。「蛟」は和訓では、「みづち」と読む。

「屈原を𮁨《まつ》る」戦国時代の楚の憂国の政治家にして詩人の屈原(紀元前三四三年頃~紀元前二七八年の旧暦五月五日頃)。秦の張儀の謀略を見抜き、踊らされようとしている懐王を必死で諫めたが、受け入れられず、楚の将来に絶望し、洞庭湖に注ぐ長江右岸の支流汨羅(べきら)で入水自殺した。懐かしいね、私の好きな「楚辭」の「漁父(ぎよほ)の辭」だ。サイト「WIKIBOOKS」の「高等学校古文/散文・説話/漁父辞」をリンクさせておく。ただ、屈原というと、反射的に私が直ぐに思い出すのは、決まって大学時代に故吹野安先生の漢文学演習で屈原の「漁父之辞」を習った際、先生が紹介してくれた、この大田蜀山人の、

 死なずともよかる汨羅に身を投げて

          偏屈原の名を殘しけり

である(第五句は「と人は言ふなり」とするものが多いが、私は吹野先生の仰ったものを確かに書き取ったものの方で示す。私は先生の講義録だけは今も大事に持っているのである)。東洋文庫の後注では、『楚の忠節な政治家屈原は讒言(ざんげん)に遭って流謫(るたく)され、国を憂えて五月五日、汨羅(べきら)に入水自殺した。人々は彼を哀れんで、この日になると粽を江中に投げて屈原を祭ったが、水中の蛟竜がそれを取って食べてしまう。そこで蛟竜に奪われないように、蛟竜の恐れる楝の葉を、粽を入れた筒に挿して水に投ずるようになったという話。』とある。

「心包《しんはう》の相火《さうくわ》」同前で、『心包は心を包んでまもるもの。心を君主とすると心包はそれをまもる宰相にあたる。心・心包ともに五行説では火に配当される。それで心の君火・心包の相火という。』とある。

「熱厥《ねつけつ》」東洋文庫訳の割注に、『四肢』が『冷え、体』に『は熱があり』、『口がかわく病症』とある。

「疝氣」漢方で「疝」は「痛」の意で、主として下腹痛を指す。「あたばら」などとも言う。

「苦楝根皮《くれんこんぴ》」「株式会社 ウチダ和漢薬」公式サイト内の「生薬の玉手箱 」の「クレンシ・クレンピ(苦楝子・苦楝皮)」に詳しいので、見られたい。なお、冒頭で私がトウセンダンを挙げたのは、東洋文庫訳の割注で、本「楝」を『トウセンダン』と同定比定していることから、このページを見出し、センダンと並べた次第である。

「蚘蟲《くわいちゆう》」前注で示したリンク先には、『現在の『中華人民共和国薬典』には、「川楝子」としてトウセンダンの成熟果実が、「苦楝皮」としてトウセンダンあるいはセンダンの樹皮および根皮が収載されています。果実は駆虫、鎮痛薬として、疝痛、脘腹脹痛、回虫症による腹痛などに応用し、樹皮および根皮は駆虫薬として内服し、また疥癬などの皮膚疾患に外用されます。回虫駆除効果は樹皮より根皮の方が高く、採集時期は冬もしくは春の発芽前がよいとする報告があります。一方、苦楝皮には毒性があり、めまい、頭痛、睡気、むかつき、腹痛などを引き起こします。重い中毒の場合には、呼吸中枢の麻痺、内臓出血、中毒性肝炎、精神異常、視力障害などがあらわれることがあります。また、苦楝子にはより強い毒性があるとされ、これらの服用には慎重な注意が必要です』。『日本では民間的にセンダンの果実、樹皮、根皮などが利用され、ひび、あかぎれ、しもやけに果実をすりつぶした汁あるいは酒で煎じた汁をつける、耳が腫れて痛む場合に果実をすりつぶして綿に包んで耳の中へ入れる、回虫の駆除に樹皮を煎じて飲む、口内炎に根皮を煎じた汁でうがいをする、疥癬に根皮を酒で煎じて塗るなどの方法が知られています』。『また、インド伝統医学アーユルヴェーダでは、同属のMelia azadirachta L.(英名:Neem)の樹皮、葉、果実などあらゆる部位を薬用にし、皮膚病、泌尿障害の治療や、解熱剤、駆虫剤として用いられています。インドでは、Neemは日常の生活衛生にも取り入れられ、やわらかい小枝は歯ブラシとして利用されます。その他、歯磨き粉や石鹸などにも利用されています。また、『ネパール・インドの聖なる植物』によれば、Neem には悪霊を追い払う力があるとされ、産屋の戸口の外でNeem の葉や枝を焚き、煙で悪霊が部屋に入り込むのを防ぐ風習のあることが記されています』。『厄除けに関しては、陶弘景が「五月五日に葉を取っておび、悪を避ける」と記しているように、中国でもセンダンの仲間に邪気を払う力があると信じられていました。日本でも端午の節句にセンダンの葉を菖蒲のように軒に挿したりしたと伝えられています』。『このように日本、中国、インドで、センダンの仲間が同じように駆虫薬また厄除けに利用されてきたことは、伝承医学の起源や伝播を考えるとき、たいへん興味深く思われます』とあり、回虫を始めとするヒト寄生虫の駆除薬としての、非常に古い歴史があること、さらに、民俗社会での霊薬とする古代からの風習があったことが判り、非常に興味深かった。

「川芎《せんきゆう》」センキュウ。セリ科の草木。その根茎が頭痛などの薬剤になる。薬用として栽培された』とある。当該ウィキによれば、『中国北部原産で秋に白い花をつける』『多年草』(セリ目セリ科ハマゼリ属)『センキュウCnidium officinaleの根茎を、通例、湯通しして乾燥したもので』、『本来は芎窮(きゅうきゅう)と呼ばれていたが、四川省のものが優良品であったため、この名称になったという。日本では主に北海道で栽培される。断面が淡黄色または黄褐色で、刺激性のある辛みと、セロリに似た強いにおいがある。主要成分としてリグスチリド』(Ligustilide)『などがあげられる』。『現在の分析では鎮痙剤・鎮痛剤・鎮静剤としての効能が認められ、貧血や月経不順、冷え性、生理痛、頭痛などに処方されて』おり、『漢方では』「当帰芍薬散」に『配合され』、『婦人病』、所謂「血の道」の『薬として』、『よく用いられる』とあった。

「川鳥頭《せんうず》」猛毒植物として知られるキンポウゲ目キンポウゲ科トリカブト属ハナトリカブト Aconitum carmichaelii を基原とする古い漢方生薬名と思われる。同種は「カラトリカブト」の異名がある。当該ウィキによれば、『ハナトリカブトの各部分には非常に強い有毒成分が含まれており、歴史的には矢に塗る毒として用いられ、塊根を加熱して毒性を減らしたものは「附子(ぶし)」や「烏頭(うず)」として鎮痛や強精などの目的で生薬として用いられてきた』とある。

「新古今」「あふちさく外面《とのも》の木陰露落《おち》て五月雨《さみだれ》晴るゝ風渡る也」「忠良」「新古今和歌集」の「卷第三 夏歌」の前大納言粟田口忠良(ただよし)の一首(二三四番。「をちて」はママ)、

   *

  百首歌たてまつりし時

 あふちさくそともの木(こ)かげ露をちて

   五月雨(さみだれ)はるゝ風わたるなり

   *

前書の「百首歌」は「五十首歌」の誤りで、建仁元(一二〇一)年二月の「老若五十首歌合」である(以上は所持する「新日本古典文学大系」版の本文と脚注を参考にした)。

「藻鹽」「山遠き軒端にかゝる雲見草《くもみぐさ》雨とはならでとくぞ暮《くれ》ぬる」「藻鹽」は「藻鹽草」で、室町時代の連歌用語辞書。二十巻。連歌師宗碩(そうせき 文明六(一四七四)年~天文二(一五三三)年)の著。永正一〇(一五一三)年頃の成立。連歌を詠むための手引として、天象・時節・地儀・山類・水辺・居所・国世界・草部・木部・鳥類・獣類・虫類・魚類・気形・人倫并異名・人事・雑物調度・衣類・食物・言詞の二十項目に分類して、歌語などを集めたもの。国立国会図書館デジタルコレクションの「藻しほ草」(室松岩雄校訂・明治四四(一九一一)年一致堂書店刊)のここ(左ページ下段の「樗十九」(「あふち」の別字)の五行目「雲見草」で、

   *

 山遠き軒はにかゝる雲見草雨とはならてとくそくれぬる

   *

と、視認出来る。]

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