「善惡報はなし」正規表現オリジナル注 卷一 㐧十二 死したる子來り繼母をころす事
[やぶちゃん注:底本・凡例等は初回を参照されたい。本篇には挿絵はない。]
㐧十二 死したる子來り、繼母(けいぼ)をころす事
ちくごの山下(やました)と云《いふ》所に、舛屋安兵衞と云《いh》もの、あり。
[やぶちゃん注:岩波文庫の高田氏の脚注に、『現熊本県玉名郡岱明町山下のあたり』とある。現在は熊本県玉名市岱明町(たいめいまち)山下。ここ(グーグル・マップ・データ)。]
はじめの妻(つま)の子を「五郞助」と云ひ、のちの妻の子を「四郞三郞」と、いひけり。此の繼母、あくまで邪見(じやけん)の者にて、我子は、いとをしみ[やぶちゃん注:ママ。]、まゝ子を、にくみ、そねみ、つらくあたる事、いふに、おろか也。
[やぶちゃん注:「四郞三郞」知ってる人には五月蠅いだけだが、これで一人の名前である。説明するのも阿呆くさいので、Q&Aサイト「Yahoo!JAPAN知恵袋」の高武蔵守師直氏の回答をリンクさせておく。]
もとより、此安兵衞、「ちゑ」、くらく、氣よはきものなれば、繼母、はゞかる所もなく、心にまかせて、「ざんあく」[やぶちゃん注:「慘惡」。]を、はたらきぬるに、まゝ子の五郞助を、さいなむ事、あげて、かぞへがたし。
かく、さいなむ事、年(とし)久しくあり。
五郞助、十七のとし、終(つゐ[やぶちゃん注:ママ。])に、かつやかし[やぶちゃん注:「渴つやかし」。高田氏脚注に『飢死にさせ。』とある。]、ころしてけり。
母、大きによろこび、
「今は、思ひのまゝなる世中《よのなか》なり。」
と、よろこぶ所に、五郞助、死《しし》て、廿日あまりして、俄に、家の内に、聲(こゑ)、ありて、いはく、
「我は、是《これ》、五郞助が怨㚑(をんれう[やぶちゃん注:ママ。])也。われ、罪なきに、繼母に、がいせられぬれば、此《この》むねん、終《つひ》に晴れやらず。我を、さいなむごとくに、汝と子とを、なやまし、ころすべし。いかに、まゝ母、思ひしれ。」
と云《いふ》聲、まさしく、五郞助、世にありし時の物ごしに、露(つゆ)も、たがはず。
家内のものども、おどろき見れども、其のすがたは、見へず。
かやうに、いひし事、たびたび也。
まゝ母、きもをけし、みこ・かんなぎ、或は、僧を、あつめ、さまざまのそなへ物などをして、わびぬれども、あざわらふ聲のみして、あるひは[やぶちゃん注:ママ。]、「家なり[やぶちゃん注:「家鳴(やな)り」。]」、おびたゞしくして、たちまち、家をくつがへすかと、うたがはる時も、あり。
[やぶちゃん注:「みこ・かんなぎ」孰れも「巫女」「巫」と漢字表記する。特に二種に区別はなく、生霊・死霊(しりょう)と交感し、その意中を伝えることを職業とする、特定寺院や神社に所属しない民間の呪術者を指す。特にこの二つで呼称されるのは、その殆んどが女性である(男性の場合は区別して「覡」(げき)とする場合がある)。恐らくは、神社に付属していた神前で神楽を奏する処女の舞姫である「神巫(いちこ)」からきた呼称とされている。]
また、或時は、
「家を、やき、ほろぼさん。」
と、いひて、火を出《いだ》し、家を一塵(《いち》ぢん)となさんとする事も、あり。
[やぶちゃん注:「一塵」同じく高田氏の脚注に『一摑みの灰。』とある。]
大をん[やぶちゃん注:「大音」。]にて、
「我を、ころして、をのれ[やぶちゃん注:ママ。]が子を世にたてんとおもふとも、只今、おや子もろともに、とりころさん。」
といふこゑ、しきりにして、終(つゐ[やぶちゃん注:ママ。])に、四郞三郞、六才にて、死《しし》けり。
母は、
『怨㚑、來りて、たゝく。』
と見へしが、一月ほどして、「うら口(ぐち)」にて、ころび、血を、はきて、死《しし》けり。
かなしきかな、報《むくい》、れきぜん、あらはれ、親子ともに、ほどなく、取《とり》ころされし事、おそれても、おそれ、有《あり》。
此《この》はなしは、正保(しやうはう)年中の事也。
[やぶちゃん注:「正保年中」一六四四年から一六四八年まで。徳川家光の治世。]
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