「和漢三才圖會」植物部 卷第八十三 喬木類 梧桐
ごとうぎり 櫬【音親】
五同桐
【以字音呼
梧桐 一名青如狼狸】
ウヽトン
本綱梧桐似桐而皮青不皵其木無節直生理細而性緊
葉亦似桐而稍小先滑有尖其花細蕋堕下如醭其莢長
三寸許五片合成老則裂開如箕謂之櫜鄂其子綴於櫜
鄂上多者五六少者二三子大如胡椒其皮皺伹晩春生
葉早秋卽凋其木昜生鳥啣子墮輙生其生山石間者用
爲樂噐更鳴響也古稱鳳凰非梧桐不棲豈亦食其實乎
遁甲書曰梧桐可知日月正閏生十二葉一邊有六葉從
下數一葉爲一月至上十二月有閏十三葉其小者爲閏
百敷や桐の梢に住む鳥の千とせは竹の色もかはらじ 寂蓮
青桐 卽梧桐之無實者又似青桐葉有椏者名𣗐桐
△按梧桐其子大如胡椒正圓故諸書謂丸藥大可如梧
桐子者是也
或書云推古帝時參河國山有神代桐木長四十九丈
太三十二尋枝過半枯中有虛洞本有洞口龍住時發
雲霧依曰桐生山【又云霧降山】
*
ごとうぎり 櫬【音「親」。】
五同桐《ごとうぎり》
【字の音を以つて、呼ぶ。
梧桐 一名、「青如狼狸(あをによろり)」。】
ウヽトン
「本綱」に曰はく、『梧桐、桐に似て、皮、青く、皵(あらかは)あらず。其の木、節《ふし》、無く、直《ちよく》に生ず。理(きめ)、細かにして、性、緊《かた》し。葉も亦、桐に似て、稍《やや》、小なり。先、滑《なめらか》んして、尖《とが》り、有り。其の花、細き蕋《しべ》、堕下《おちさが》りて、醭《かび》[やぶちゃん注:「黴」。]のごとく、其の莢《さや》、長さ、三寸許り。五片、合し、成《な》る。老する時は[やぶちゃん注:「時」は送り仮名にある。]、則ち、裂開《さけひらき》て、箕(みの)のごとし。之れを「櫜鄂(かうがく)」と謂ふ。其の子《み》、「櫜鄂」の上に綴(つゞ)り、多き者、五、六、少なき者、二つ、三つあり。子の大いさ、胡椒のごとく。其の皮、皺(《し》は)む。伹《ただし》、晩春、葉を生じ、早秋、卽ち、凋《しぼ》む。其の木、生《は》へ昜《やす》く、鳥、子《み》を啣(ふく)みて、墮《おと》せば、輙《すなは》ち、生ず。其の山石の間に生ずる者を、用ひて、樂噐と爲《な》す。更に鳴響《めいきやう》≪する≫なり。古《いにし》へに稱す、「鳳凰は、梧桐に非ざれば、棲まず。」と。豈に、亦、其の實を食すか。「遁甲書」に曰はく、『梧桐は日月《じつげつ》・正閏《せいじゆん》を知るべし。十二葉を生じ、一邊に、六葉、有り。下より一葉を數《かぞ》へて、一月と爲し、上、十二月に至る。閏《うるう》有れば、十三葉≪生じ≫、其の小さき者、閏と爲す。』≪と≫。』≪と≫。
百敷(ももしき)や
桐の梢に
住む鳥の
千とせは竹の
色もかはらじ 寂蓮
『青桐は、卽ち、梧桐の實の無き者なり。又、青桐に似て、葉に椏《また》の有る者を、「𣗐桐《えいとう》」と名づく。』≪と≫。
[やぶちゃん注:良安の和歌の挿入があるが、以上の「青桐」の一節は、「本草綱目」の引用であり、こうした書き方は、本書では特異点と言える。]
△按ずるに、梧桐は、其の子の大いさ、胡椒のごとく、正-圓(まんまる)なり。故に、諸書に、『丸藥の大いさ、梧桐≪の≫子《み》のごとくにす。』と謂ふ≪は≫、是れなり。
或書に云はく、『推古帝の時、參河國の山に、神代の桐の木、有り。長さ、四十九丈、太さ、三十二尋《ひろ》、枝、過半、枯れ、中に、虛洞《うつろなるほら》、有り。本《ねもと》に、洞の口、有り。龍、住んで、時〻《ときどき》[やぶちゃん注:原本の左下の訓点の踊り字は「〱」。]、雲霧《くもきり》を發す。依りて、「桐生山(きりふ《やま》)」と曰ふ。』と【又、「霧降山《きりふりやま》」と云ふ】。
[やぶちゃん注:「梧桐」は、日中ともに、
双子葉植物綱アオイ目アオイ科 Sterculioideae 亜科アオギリ属アオギリ Firmiana simplex
であるので、種同定の問題はない。本邦では「青桐」とも表記する。当該ウィキを引く(注記号はカットした)。『別名ではケナシアオギリともよばれる。和名の由来は、キリ科のキリ(桐)』(キリはシソ目キリ科キリ属キリ Paulownia tomentosa であり、種としては全く近縁性はないので注意)『が「白桐」とよぶのに対して、幹肌が青緑色で大きな葉がつく様子がキリに似ることから名付けられている。中国名の梧桐(ごとう)』中文の音写は「ウートゥン」)『も日本ではよく知られている。公園樹、街路樹に利用される』。『中国南部・東南アジア原産。日本では沖縄、奄美大島に自然分布し、日本国外では中国、台湾、インドシナに分布する。暖かい地域の沿岸地に生える。日本へは極めて古くに渡来し、広く各地に植えられて本州、四国、九州にも分布し、伊豆半島や紀伊半島などの暖地に野生化した状態でみられることもあるが、多くは街路樹や庭木などにして植えられる』。『落葉広葉樹の高木で、樹高は』十~二十『メートル』『になり、幹は直立する。幹や枝の樹皮は緑色で、小枝は太い。若木の樹皮は緑色で滑らかだが、生長と共に灰褐色を帯びて縦に浅い筋が入るようになる。春に芽吹いて、赤色の芽を勢いよく伸ばしていく』。『葉は互生し、大きな葉身に長い葉柄がついて全体の長さは』四十~五十『センチメートル』『にもなり、葉身は薄く卵形で掌状に浅く』三~五裂だが、通常は五裂である。『葉身の基部は心臓形で、縁に鋸歯はない。芽吹きはじめの葉は大きく、幼葉の表面、葉枝に淡い赤茶色の軟らかい毛があり、よく目立つ。秋には黄色に紅葉し、柄つきのまま落葉する。紅葉はやや薄い黄色に色づき、褐色を帯びるのが比較的早い』。『花期は初夏から夏』の五~七月で、『枝先に大形の円錐花序を出して、黄白色の雄花と赤色の雌花が混じり』、五『弁の小花を群生する。がく片は』五『個で、花弁はない』。『果実は蒴果で草質、秋』九~十月頃に『熟すが、完熟前に子房が』五『片に裂開し、それぞれ』一『片の長さが』七~十センチメートル『ほどある舟の形のような裂片(心皮)になる。その葉状の舟形片の縁辺に、まだ緑色のエンドウマメ(グリーンピース)くらいの小球状の種子を』一~五『個ほど付ける。種子は球形で径』四~六『ミリメートル』で、『のちに黄褐色から茶色に変化し、表面に皺があり硬い。冬でも、さやが割れて縁に丸い種子を付けた実を見ることができる』。『冬芽は枝の先端に頂芽を』一『個つけ、側芽は互生する』。『頂芽は径』八~十五ミリメートル『ほどある大きな半球形で、ビロード状の赤茶色の毛が密生した』十~十六『枚の芽鱗に包まれている。側芽は球形で小さく、枝に互生する。葉痕上部に托葉痕がある。葉痕はほぼ円形で大きく、小さな維管束痕が多数ある』。『よく水を吸い上げて、火に強い性質があ』り、『生命力が強く、潮水や潮風などの塩害や、大気汚染にもよく耐える』。『庭木、公園樹、街路樹にする。アオギリが庭木や街路樹によく使われるのは、その耐火性にあり、過去の震災においても』、『火災の延焼を食い止めた例もたくさんあった。樹皮の繊維は強健で、粗布や縄の材料にする。まっすぐな幹は建材などに用いられ、材を楽器、下駄などとするが、耐久性は低い。種子は古くは食用にされ、太平洋戦争中には炒ってコーヒーの代用品にした』。『栽培は、主に春に発芽前の若枝を長さ』三十『センチメートル』『ほどに切って、挿し木して育成される』。『種子は』「梧桐子」(ごとうし/ごどうし[やぶちゃん注:後者がウィキ記載。漢方サイトでは「ごとうし」の方が優勢だが、漢方記事には「ごとうし」の読みも確認出来る。])と『呼ばれる生薬として用いられ、胃痛、下痢の薬効作用がある。葉は浮腫、高血圧、コレステロールの低下などの民間薬として用いられ、初夏に採って洗い、陰干ししたものを』用いる。以下、「文化」の項。『中国の伝説ではアオギリの枝には』十二『枚の葉がつくが、閏月のある年には』十三『枚つくといわれた。また中国では鳳凰が住む樹とされた。伏羲がはじめて桐の木を削って古琴を作ったという伝説がある(ただしアオギリかキリか不明)』。『中国人の季節感と深い関係があり、七十二候のひとつに「桐始華」(清明初候)がある。またアオギリの葉が色づくのは秋の代表的な景色であり、王昌齢「長信秋詞」』の「其一」に『「金井梧桐秋葉黄」の句がある。また白居易「長恨歌」には「秋雨梧桐葉落時」という』。『日本では、広島の「被爆青桐」は有名で、爆心地から』一・三『キロメートルの地点で被爆して半身が焼け焦げたが、再び芽を出して人々に勇気を与えた』。『平和記念公園に移植されて、焼けた傷を包み込むように生長を続け、毎年多くの種子を成し、平和を願う生命力のシンボルとしてその種子が全国に配られる』。以下に「アオギリ属」が本種を除くと、四種が挙げられてある。日中で、それらの違いはあるであろうが、そこまで調べる気は、私には、ない。中文のウィキ「梧桐」をリンクさせておく。
良安の「本草綱目」のパッチワーク引用は、「卷三十五上」の「木之二」「喬木類」(「漢籍リポジトリ」)の「梧桐」(ガイド・ナンバー[085-27a]以下)からだが、最後の「青桐」の記載は、前の「桐」の項の「集解」([085-25a])からの転用である。それもあってか、和歌を挟むという仕儀があったのだと思う。良安の神経症的な一面の精神分析が出来るように私には思われた。
「青如狼狸(あをによろり)」不詳。「本草綱目」には載らない。ネットで上質のイタチ(「狼」は鼬を指す)の毛とアルビノのタヌキの毛を混ぜた、コシのしっかりした筆に「狼狸」があった。
「皵(あらかは)あらず」幹の表面には、ざらついた外皮がない。恐らくは、これ、別種である「桐」の木肌との比較で、時珍が述べたものと思われる。伝統的な博物誌の見かけ上の観察法である。
「櫜鄂(かうがく)」「櫜」は「弓矢や武器を入れておく袋」の意で、「鄂」は恐らくは、この場合、「臺・萼」と同義で「うてな」(花の「がく」)の意であろうと思われる。
「遁甲書」「奇門遁甲」で知られる「遁甲」は方術の一つで、神仙の術や一種の占星術・暦制による吉凶判断をすること。委しくはウィキの「奇門遁甲」を見られたい。
「百敷(ももしき)や桐の梢に住む鳥の千とせは竹の色もかはらじ」「寂蓮」は「夫木和歌抄」の「卷十五 秋六」にある一首。「日文研」の「和歌データベース」のこちらで確認した。ガイド・ナンバー「06085」が、それ。
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ももしきや-きりのこすゑに-すむとりの-ちとせはたけの-いろもかはらし
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「𣗐桐《えいとう》」「中國哲學書電子化計劃」のこちらで、清の愛新覺羅弘歷の「續通志」に『𣗐桐狀似青桐葉有椏人取皮以漚絲』とあった。
「或書に云はく、『推古帝の時、參河國の山に、神代の桐の木、有り。長さ、四十九丈、太さ、三十二尋《ひろ》、枝、過半、枯れ、中に、虛洞《うつろなるほら》、有り。本《ねもと》に、洞の口、有り。龍、住んで、時〻《ときどき》、雲霧《くもきり》を發す。依りて、「桐生山(きりふ《やま》)」と曰ふ。』と【又、「霧降山《きりふりやま》」と云ふ】」出典不詳。識者の御教授を乞う。「三十二尋」「尋」(ひろ)は、両手を左右に広げた際の幅を基準とする身体尺。当該ウィキによれば、『学術上や換算上など抽象的単位としては』一『尋を』六『尺(約』一・八『メートル)とすることが多いが、網の製造や綱の製作などの具体例では』一『尋を』五『尺(約』一・五『メートル)とする傾向がある』とあり、古代のそれは、当時の一般人の身長から後者を採るべきかと思う。それで換算すると、約四十八メートルになり、それでも現行のアオギリとしては、高過ぎる。上古の神木・大木は伝承上、驚くべき高さであるから、まあ、しょうがない。「桐生山」については、東洋文庫の後注に、『愛知県南設楽郡にある鳳来寺山(煙巌山)のことか』とあった。「声の仏法僧(ブッポウソウ)」=コノハズクで知られる。ここ(グーグル・マップ・データ)。旧名「煙巌山」は「えんがんさん」だが、寺である鳳来寺の山号は「えんごんざん」であるらしい。]
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