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2024/06/02

「和漢三才圖會」植物部 卷第八十二 木部 香木類 楓

 

Okatura

[やぶちゃん注:図の下方に実の図が配されてあり、右下方に「大楓子」(だいふうし)の実のキャプションが附されてある。]

 

おかつら   攝攝【爾雅】

       【和名乎加豆良】

【音風】

      【俗以爲蝦手

       樹者非也】

フヲン

 

本綱楓南方髙山中甚多其木枝幹修聳大者連數圍木

性甚堅有赤有白白者細膩葉圓而作岐有三角而香二

月有花白色乃連着實大如鴨卵其實成毬有柔刺至霜

後葉丹可愛其枝弱善𢳸故字從風五月斫其木爲坎十

[やぶちゃん注:「𢳸」は底本では(つくり)の下半分が「正」の字になっている。このような異体字は見当たらないので、これに代えた。]

一月采脂其脂爲白膠香【梵書謂之薩闍羅婆香】

爾雅注云楓脂入地千年爲琥珀【楓菌有毒食之令人笑不止地漿解之】

黃帝殺蚩尤於黎山之丘擲其械于太荒之中化爲楓木

 之林【楓木歳久生瘤如人形遇暴雷驟雨則暗長三五尺謂之楓人或云化爲羽人】

白膠香【辛苦平】 治一切癰疽瘡疥金瘡生肌止痛吐血咯

[やぶちゃん注:「咯」は「喀」の異体字。]

 血燒過揩牙永無牙齒疾爲外科要藥

[やぶちゃん注:ここは、「本草綱目」自体が杜撰で、良安は「治」を補っているが、それでも、後の方の「痛吐血咯血」の頭に「治」がないと読めない。訓読では補った。

大楓子【甘熱】 主癘風癰疥殺蟲

△按倭名抄云楓【和名乎加豆良】有脂而香【一名攝】桂【和名女加豆良】〕以爲

 楓與桂如雌雄矣然未知其𢴃也又本草綱目喬木下有大風子恐此大楓子重出者乎

大風子【辛熱有毒】 能治大風疾故名之南方有之大樹之子

 狀如椰子而圓其中有核數十枚大如雷丸子中有仁

 白色久則黃人取其油名大風油可以和藥

 本草必讀醫學入門皆以大風子附乎大楓樹下【丸藥去壳紙槌去油如瘡藥帶油】

[やぶちゃん字注:「壳」は「殼」の異体字。]

 近世倭方治癩病爲君藥以他藥佐之多有奇効其油

 和藥傅疥癬諸瘡及虱瘡亦有効藥肆僞稱雷丸油今

 禁虛名直稱大風子油暹羅交趾柬埔寨多來

 

   *

 

おかつら   攝攝《しようしよう》【「爾雅」。】

       【和名、「乎加豆良《をかつら》」。】

【音「風」。】

      【俗、以つて「蝦手《かへで》の

       樹」と爲《な》すは、非なり。】

フヲン

 

「本綱」に曰はく、『楓《ふう》は、南方、髙山の中、甚だ、多し。其の木、枝・幹、修聳《しゆうしよう》≪し≫、大なる者、數圍《すうゐ》を連《つら》≪ぬ≫。木の性、甚だ、堅く、赤き有り、白き有り、白きは、細≪やかなる≫膩《あぶら》なり。葉、圓《まどか》にして、岐(また)を作《なし》、三角、有りて、香《かんば》し。二月、花、有り、白色。乃(すなは)ち、實《み》を連着《れんちやく》す。大いさ、鴨(かも)の卵(たまご)のごとし。其の實、毬(まり)を成す。柔《やはらか》なる刺(はり)、有り。霜≪の≫後《のち》に至りて、葉、丹(もみぢ)して、愛しつべし。其の枝、弱くして、善《よ》く𢳸《ゆら》ぐ。故に、字、「風」に從ふ。五月、其の木を斫(はつ)り、坎《あな》を爲《つく》る。十一月、脂(やに)を采《と》るや、其の脂を「白膠香」と爲《な》す【梵書、之れを、「薩闍羅婆香《さつじやらば》」と謂ふ。】』≪と≫。

『「爾雅注」に云はく、『楓脂、地に入りて、千年して、「琥珀」と爲《な》る』≪と≫【楓菌、毒、有り。之れを食へば、人をして、笑《わら》ひて止まずせしむ。「地漿《ちしやう》」、之れを解す。】。

[やぶちゃん注:この割注は、恐らく良安の附記である。以下の一段は「本草綱目」からの引用ではない。出典は判らないが、割注を除く本文は、調べた限りでは、王瓘述 韓若雲撰になる「軒轅黃帝傳」に酷似した文字列があった。「維基文庫」の「軒轅黃帝傳」に『既擒殺蚩尤,乃遷其庶類善者於鄒屠之,其惡者以木械之。帝令畫蚩尤之形於旗上,以厭邪魁,名蚩尤旗。殺蚩尤於黎山之丘』。『擲械於大荒中宋山之上,其後化為楓木之林。』である。

『黃帝、蚩尤《しゆう》を黎山《れいざん》の丘に殺す。其の械(あしかせ)を太荒の中に擲(なげう)つ。化して楓木の林と爲《な》れり。』≪と≫【楓木の、歳《とし》久≪しくして≫、瘤《こぶ》を生ず。人≪の≫形《かたち》のごとし。暴雷・驟雨に遇へば、則ち、暗《ひとしれず》≪して≫、長《たけ》、三、五尺≪となれり≫。之れを「楓人」と謂ふ。或いは、云ふ、『化して、羽人《うじん》』と爲《な》る。」≪と≫。】。

[やぶちゃん注:以下は「本草綱目」に戻る。]

『白膠香【辛苦、平。】 一切の癰疽《ようそ》・瘡疥・金瘡《かなさう》を治す。肌を生《いきかへ》らせ、痛みを止め、吐血・咯血を治す。燒過《やきすご》して、牙《は》に揩《ぬ》れば、永く、牙齒《がし》の疾ひ、無し。外科の要藥と爲《な》す。』≪と≫。

[やぶちゃん注:以下は「本草綱目」に認められない。]

『大楓子【甘、熱。】 癘風《れいふう》・癰疥《ようかい》を主《つかさど》り、蟲を殺す。』≪と≫。

△按ずるに、「倭名抄」に云はく、『楓《ふう》【和名「乎加豆良《をかつら》」。】、脂《あぶら》有りて香し【一名「攝《しよう》」。】。桂《けい》【和名「女加豆良《めかつら》」。】〕』と以≪つて≫爲《し》、「楓」と「桂」とは雌雄のごとし。然れども、未だ其の𢴃《よりどころ》を知らざるなり。又、「本草綱目」、「喬木」の下に「大風子《だいふうし》」、有り。恐らくは、此れ、「大楓子」を重出する者か。

大風子【辛、熱。毒、有り。】 能く、大風疾を治する故、之を名づく。南方に、之れ、有り。大いなる樹の子(み)≪にして≫、狀《かたち》、椰子(やしぼ)のごとくにして、圓《まろ》く、其の中に、核《たね》、數《す》十枚、有り、大いさ、「雷丸《らいぐわん》」の子《み》のごとし。中に仁《さね》有り、白色。久《しくすれば》、則ち、黃なり。人、其の油を取りて、「大風油《だいふうゆ》」と名づく、以つて、藥に和すべし。

 「本草必讀」・「醫學入門」、皆、「大風子」を以つて「大楓樹」の下《もと》に附す【丸藥には、壳《から》を去り、紙槌《しつい》≪には≫、油を去り、瘡藥のごときは、油を帶《お》ぶ≪やうにさす≫。】

 近世、倭方≪にては≫、癩病を治する「君藥《くんやく》」と爲《な》し、他藥を以つて、之れを佐《たすけ》として、多く、奇効、有り。其の油、藥に和して、疥癬・諸瘡、及び、虱瘡《しつさう》に傅《つ》く。亦、効、有り。藥肆《くすりみせ》、僞りて、「雷丸《らいいぐわん》の油」と稱す。《→せしも、》今、虛名を禁じて、直《ぢき》に「大風子の油」と稱す。暹羅《シヤム》・交趾(カウチ)・柬埔寨(カボジヤ)≪より≫、多く來たる。

 

[やぶちゃん注:「楓」(フウ)は、良安が『俗、以つて「蝦手《かへで》の樹」と爲《な》すは、非なり』は、その点では、極めて正しい。これは我々に親しいムクロジ目ムクロジ科カエデ属 Acer のそれとは、全くの別種の、

ユキノシタ目フウ科フウ属フウ Liquidambar formosana

を指すからである。

 なお、東洋文庫では、訳の中で、『楓(マンサク科)』とするが、これは、嘗つての旧分類である「クロンキスト分類体系」(Cronquist system:一九八〇年代にアーサー・クロンキスト(Arthur Cronquist)が提唱した被子植物の分類体系)によるもので、一九九〇年代以降、DNA解析による分子系統学が大きく発展し、一九九八年に公表された被子植物の新しい分類体系「APG植物分類体系」(Angiosperm Phylogeny Group:「被子植物系統グループ」)ではユキノシタ目に統合され、フウ属と、その近縁の属は、「フウ科」に分離されたからである(東洋文庫版『和漢三才図会』全十八巻は、一九八五年から一九九一年にかけて全巻が刊行されたが、本項を含む第十五巻(私の所持するものは初版)は一九九〇年の発行)。

 ウィキの「フウ」によれば、『公園樹や街路樹にされる。別名、サンカクバフウ(三角葉楓)、タイワンフウ(台湾楓)』、『イガカエデ(伊賀楓)、カモカエデ(賀茂楓)。古名、オカツラ(男桂)』。『種小名 formosana は「台湾の」の意味』(「台湾語」は英語で“Taiwanese”又は“Formosan”である)で、『属名の Liquidambar はリキッド・アンバー(「液体の琥珀」の意)で、その樹皮から香りのよい樹脂が採れることにちなむ』。『そのため、中国名では楓香樹の名がある』(中文ウィキ「枫香树」を見られたい)。『また』、『中国名の別名では漢字で「楓」(楓樹』『)と書き、和名はその音読みを由来とする』。『日本では古来、「楓」の字を「カエデ」と訓むが、本来の楓は本項目のフウのことを指し』、『カエデを表す漢字は槭である』。『原産地は台湾、中国南東部』で、『日本には江戸時代中期、享保年間』(一七一六年~一七三六年)『に渡来し、珍しい樹として江戸城と日光に植えられたのが始まりである』。『植栽は日本全土に分布し』、『関東地方以南で使われている例が多い』とある。

 しかし、以上の渡来期が大いに問題であり、また、冒頭の和訓「をかつら」が、甚だ、気になるのである。何故なら、本「和漢三才圖會」の成立は正徳二(一七一二)年だからであり、「をかつら」は「楓」「男桂」「雄桂」「牡桂」であり、更に、良安は和名を「乎加豆良《をかつら》」としているからである。これらの日本語は、実は、

ユキノシタ目カツラ科カツラ属カツラ Cercidiphyllum japonicum

を指すからである。本草学者とはいえ、本書が完成したフウの渡来の四年前に良安がフウとカツラが異なる種であることを認識していた可能性は、絶望的に――ない――と思われるからである。それは、今までの本巻の多くが、日中である漢字が種を異なることを見てきた。ここも、それを良安が認識していない(「本草綱目」の記載の解説に変だなと思う部分はあったことは大いに感じられるが)ことは、明白々である。我々は、またしても、そうした部分を批判的に読まないと、墓穴を掘ることとなることを認識して、各自で、読まれたい。私は植物に冥く、漢方にも通じていない。されば、錯誤の総てを指摘することは、不可能であるからである。

「爾雅」既出既注だが、再掲しておくと、中国最古の類語辞典・語釈辞典・訓詁学書として知られるもの。漢字は形・意味・音の三要素から成るが、その意味に重点をおいて書かれたもので、著者は諸説あり、未詳。全三巻。紀元前二〇〇年頃の成立。以後の中国で最重視され、訓詁学・考証学の元となった。後世の辞典類に与えた影響も大きい書物である。

 「本草綱目」の引用は、未だ「漢籍リポジトリ」が一向に作動しないので、「維基文庫」の電子化物で調べたところ、「卷三十四」の「木之一」「香木類」の「楓香脂」の独立項であるが、既に原文で注した通り、良安は、「本草綱目」以外のものから投げ込んだり、彼自身の割注を入れ込んだりしている。

「修聳《しゆうしよう》」長く・高く(「修」)、聳(そび)えること。

「白膠香」本邦では「白膠木」というと、ムクロジ目ウルシ科ヌルデ属ヌルデ変種ヌルデ Rhus javanica var. chinensis を指すが、同種との関係ない。

「薩闍羅婆香」「大蔵経データベース」で検索したところ、「行林抄」と「傳受集」でヒットした。

「爾雅注」「爾雅注疏」。全十一巻。晋の郭璞注と、北宋の邢昺(けいへい)疏になる「爾雅」の注釈書。東洋文庫の書名注には、『大変すぐれたもので、後世の人々から注疏の手本とされている』とあった。

『楓脂、地に入りて、千年して、「琥珀」と爲《な》る』琥珀は地質時代の樹脂の化石であるから、「正しいですが、気の遠くなるドライヴが必要でっせ?」。

「楓菌」菌界担子菌門ハラタケ綱ハラタケ目オキナタケ科ヒカゲタケ属ワライタケ Panaeolus papilionaceus のことであろう。私の「耳囊 卷之三 楓茸喰ふべからざる事」の私の注を見られたい。ただ、ワライタケのことを、当時、「楓菌」(かえできのこ?)と俗で呼んでいたから、ただ「楓」繋がりだけで良安が要らぬ脱線割注をしたことが、これで知れる。

「地漿《ちしやう》」東洋文庫の割注では、『(地から湧き出る水)』とするが、どうも不審であったので、調べたところ、中文の「維基文庫」の「地浆水」(=地漿水)に、『伝統的な漢方薬の原料』とし、『製造方法は、地中を』九十一センチメートル『ほど掘り、黄土層に真水を注入して混合し、清澄後、取り出した水が地漿水となる』とする。そこで、「本草綱目」を引いて、『地漿水は中毒とそれによる煩悶を和らげ、総ての魚・肉・果物・野菜・薬物・諸種の細菌の毒素を和らげ』、また、『打ち身や食中毒の治療にも使われるとも言われている』とあった。「中國哲學書電子化計劃」の「本草綱目」の「水部」第五巻の「地水類」の「地漿」であった。国立国会図書館デジタルコレクションの読み易い現代語訳の『国訳本草綱目』第三冊(鈴木真海訳,・白井光太郎校注/一九七四年春陽堂書店刊)の当該部を示しておく。要らぬ割注に、要らぬお世話をしてしまったわい。

「黃帝」中国古代の伝説上の帝王。三皇五帝のひとり。姓は公孫。軒轅氏とも、有熊氏ともいう。蚩尤の乱を平定し、推されて天子となる。舟・車・家屋・衣服・弓矢・文字をはじめて作り、音律を定め、医術を教えたという。

「蚩尤」中国神話の戦闘神。斉国(現在の山東省)の神とされ、銅頭鉄額・人身牛蹄。黄帝と涿鹿(たくろく)の野で戦い、大風雨を起こしたが、黄帝は旱(ひでり)の神である魃(ばつ)の助けで、蚩尤を誅殺したとされる。

「黎山」一つのモデル候補は、陝西省西安市の郊外、秦嶺山脈の驪山(りざん)である(グーグル・マップ・データ航空写真)。なお、東洋文庫では、後注で、『『史記』五帝本紀の「索隠」には、黄帝が応龍に命じて蚩尤を殺させたのは凶黎の谷とある。『山海経』の「大荒東経」では凶犂土丘となっている』とある。

「楓人」小学館「日本国語大辞典」に、本邦では、『楓(かえで)の老木に生ずるこぶの大きなもの。その形が人に似ているところからいう』ある。なお、白居易の「送客春遊嶺南二十韻」に『雨黑長楓人』と使われている。中文の「古诗句网」のこちらを見られたい。

「羽人」仙人の別称。

「燒過《やきすご》して」充分に焼いて。

「癰疽」悪性の腫れ物。「癰」は浅く大きく、「疽」は深く狭いそれを指す。

「瘡疥」この場合は、前が前だから、現代の小児や若者の顔に生じる「はたけ」(疥・乾瘡:顔面単純性粃糠疹 (ひこうしん))ではなく、厚い痂皮(かひ)を生じて木の皮のようにポロポロと剥がれ落ちる乾燥性の強い重度の皮膚炎を指しているように思われる。

「大楓子【甘、熱。】 癘風《れいふう》」(癩病)「・癰疥《ようかい》」(瘡を生ずる重い腫れ物。東洋文庫訳は『疥癬(疥癬虫によって起こる皮膚病・ひぜん)』とするが、採らない)「を主《つかさど》り、蟲を殺す』ここは、既に「本草綱目」に認められないと注したが、良安は後の評で、わざわざ、『「本草綱目」、「喬木」の下に「大風子《だいふうし》」、有り。恐らくは、此れ、「大楓子」を重出する者か』と言っているところが、確信犯であるから、奇妙である。実は、「本草綱目」の「楓香脂」(結構、記載が長い)には、「附方」に、

   *

【新一】大風瘡【楓子木燒存ㇾ性研硏粉等分麻油調搽極妙章貢有二鼓角匠一病此一道人傳方遂愈 「經驗良方」】

   *

があり(以上は国立国会図書館デジタルコレクションの活字本の「本草綱目 補註 下卷一」(多紀永寿院安元著・多紀鶴郎・永島忠編/大正五(一九一六)年半田屋出版部刊)の当該部を視認した)があるので、これを良安が見間違えたか、或いは、本邦の版元が、誤って「瘡」を「子」と彫ったものかも知れないと、ちょっと、思った。

『「倭名抄」に云はく、『楓《ふう》【和名「乎加豆良《をかつら》」。】、脂《あぶら》有りて香し【一名「攝《しよう》」。】。桂《けい》【和名「女加豆良《めかつら》」。】〕』源順の「和名類聚鈔」のそれは、「卷二十」の「草木部第三十二」の「木類」の「第二百四十八」に二つを並べて、

   *

楓 「兼名苑」云、『楓、一名欇【「風」「摂」二音。和名「乎加豆良」。】「爾雅」云、有脂而香謂之楓。

桂 「兼名苑」云、『桂、一名梫【「計」「寑」二音。和名「女加豆良」。】。

   *

とあるのを、指す。この良安の不審は、如何にも御尤も、である。

「大風子」大風子油(だいふうしゆ)のこと。当該ウィキによれば、キントラノオ目『アカリア科(旧イイギリ科)ダイフウシノキ属』 Hydnocarpus 『の植物の種子から作った油脂』で、『古くからハンセン病の治療に使われたが、グルコスルホンナトリウムなどスルフォン剤系のハンセン病に対する有効性が発見されてから、使われなくなった』とあり、『日本においては江戸時代以降』、「本草綱目」『などに書かれていたので、使用されていた。エルヴィン・フォン・ベルツ、土肥慶蔵、遠山郁三、中條資俊などは』、『ある程度の』ハンセン病への『効果を認めていた』とある。

「大風疾」この「大風」は、中国で歴史的に梅毒の異名として用いた語である。中文の「ハンセン病」の「維基百科」の「麻风病」の「中国歷史的情况」を見られたい。

「椰子(やしぼ)」底本のルビは「ヤシホ」であるが、私は、これ、「椰子(ヤシ)ノ坊主(バウズ)」の当時の口語の短縮形であろう「ヤシノボウ」の「ノ」と「ウ」が省略したものと判断した。

「雷丸《らいぐわん》」竹に寄生するサルノコシカケ科カンバタケ属ライガンキンPolyporus mylittae の茸(きのこ)の菌体。直径一~二センチメートルの塊状を成す。回虫・条虫等の駆虫薬にされる。

「本草必讀」東洋文庫の巻末の「書名注」に、『「本草綱目必読」か。清の林起竜撰』とある。なお、別に「本草綱目類纂必讀」という同じく清の何鎮撰のものもある。この二種の本は中文でもネット上には見当たらないので、確認出来ない。

「醫學入門」明の李梃(りてい)撰の医学書。全七巻・首一巻。参照した東洋文庫版の書名注に、『古今の医学を統合し、医学知識全般について述べた書』とある。ネット検索では一五七五年刊とする。

「紙槌《しつい》」「鉄槌」から連想するに、紙で作った槌(つち)で、それに薬物を湿らせて患部を叩くものか。

「君藥」主薬。

「佐《たすけ》」補助薬。それにしても、良安先生、結局、「楓」とちゃう「大風子」の話で終わってるのは、ちょっとヘン!]

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