「善惡報はなし」正規表現オリジナル注 卷二 㐧二 女房死て馬に生るゝ事
[やぶちゃん注:底本・凡例等は初回を参照されたい。挿絵はない。]
㐧二 女房死《しし》て馬《むま》に生《うま》るゝ事
〇正保年中の比、三州、衣(ころも)と云《いふ》所に、ある商人(あきびと)あり。
[やぶちゃん注:一六四四年から一六四八年まで。徳川家光の治世。
「三州、衣(ころも)」現在の愛知県豊田市挙母町(ころもちょう)か(グーグル・マップ・データ)。]
母、死《しし》て、ある夜の夢に、其子に、つげていはく、
「我、存生(ぞんしやう)にありし時、米やのかねを、負(をい[やぶちゃん注:ママ。])すまさゞるが、いま、其家の『ろば』となりて、是を、つぐなふ事、數年《すねん》也。我を買ふものあらば、うりなんと云《いふ》。なんぢ、母を、おもはゞ、すみやかに來りて、命を、たすけよ。所は、何といふ所の町の米やなり。」[やぶちゃん注:「何といふ所」作者が意識的に特定出来ないようにぼかした表現。]
と、さだかに、かたる、と、おもへば、夢、さめぬ。
其子、
「何(なに)、ゆめの事也。」
と、いひて、うちすてぬ。
又、次の夜も、くだんのとをり[やぶちゃん注:ママ。]、ありありと告(つげ)けるに、
「扨は。ふしぎ也。」
とて、おどろき、其米屋を、たづねゆきて、何となく、とふに、夢に露もたがはずして、
「此ろば、一兩四錢に、ねなつて[やぶちゃん注:「價(ね)」に「成つて」。]、すでに、わたすべきに、きわまりぬ。」
と云(いふ)。折ふし、子の手まへに[やぶちゃん注:手元には。]、わづか五錢ならでは、なし。
「とやせん、かくや、」
と、あんじ、かへりて、親類に、夢のありさまを、かたるに、
「扨は。あはれ成《なる》ことなり。何《いか》ほどにても、用次第に參(まいら[やぶちゃん注:ママ。])せん。其馬《むま》を、もとめ給へ。」
と、すゝむる。
子、うれしくおもひ、又、米やがかたへゆき、かれが云《いひ》けるほどに、ねを、きはめをきて、扨、ろばのもとへ、ゆきみれば、ろ馬《ば》、此ものをみるとひとしく、なみだをながし、なつかしげなる風情(ふぜい)にて、物をいはぬばかりなり。
みる人、あはれにおもはざるもの、なし。
扨、一兩四錢に、かい[やぶちゃん注:ママ。]取《とり》てかへり、やしなひ、ころしけり。[やぶちゃん注:「ころしてけり」は言うまでもなく、「亡くなるまで、世話をし、看取ってやった」の意である。]
とかく、人は、男女(なんによ)ともに、「とんよく」[やぶちゃん注:「貪欲」。仏教用語の清音を採った。]ふかきものは、かく、「ちくしやう」の躰(あい)にうまれ、報(むくい)のほどを、あらはすと、みへ[やぶちゃん注:ママ。]たり。「れんちよく」[やぶちゃん注:「廉直」。心が清らかで私欲がなく、正直なこと。]の人には、かくのごときの果《くわ》をあらはす事、あるべからず。たとへば、よき「ち」に、よき「たね」を、まくがごとし。かやうの道理を、ごく、分別、あらんかし。
此はなしは、三州の人の、かたらるゝ、いつはりなき、よし。
[やぶちゃん注:米屋主人は、生前の母が残してしまった未払いの代金を負っているのであるから、当然以上に、決していた馬(驢馬)代以上に請求してもよい筈であるが、この息子の夢の話を聴いて、同じ値段でよいと申し出たのであろう。この話には、悪しき心の持ち主がいない、清々しい怪談と言える。先行する酷似する話(使用表現もほぼそっくり)「卷一 㐧十 𢙣念のものうしに生るゝ事」の二番煎じ感を持たないのは、その徹底した全体の映像の清涼感ゆえと言えると私は思う。]
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