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2024/06/07

「和漢三才圖會」植物部 卷第八十二 木部 香木類 安息香

 

Ansokukou

 

あんそくかう

 

安息香

 

アン スエ ヒヤン

 

本綱安息香生南海波斯國樹中脂也樹長二三丈皮黃

黑色葉有四角經冬不凋二月開花黃色花心微碧不結

實刻其樹皮其脂如餳六七月堅凝乃取之燒之通神辟

衆惡燒之能集䑕者爲眞【大明一統志云樹如若楝大而直葉似半桃而長木心有脂】

[やぶちゃん字注:この「若」は実は「苦」の同型異字の異体字である。本文では紛らわしいだけなので、訓読では「苦」に代えた。また「半桃」は「羊桃」の誤字であるので、訓読では訂正した。

五雜組云安息香能聚䑕其烟白色如縷直上不散又狼

烟亦直上也

氣味【辛苦】 治邪鬼魍魎鬼胎産後血運

△按安息香今出於莫臥爾咬𠺕吧蓋試燒之而不能䑕

 集未知謬說乎不𫉬眞者而然乎

 

   *

 

あんそくかう

 

安息香

 

アン スエ ヒヤン

 

「本綱」に曰はく、『安息香は、南海の波斯《パルシヤ》國に生ず。樹の中の脂《やに》なり。樹の長さ、二、三丈。皮、黃黑色。葉、四角《よつかど》有り。冬を經て≪も≫、凋まず。二月に、花を開き、黃色≪なり≫。花の心、微《わづかに》碧《みどり》にして、實を結ばず。其の樹の皮を刻《きざ》≪めば≫、其の脂《やに》、「餳(ぢわうせん)」のごとし。六、七月、堅く凝りて、乃《のち》、之れを取り、之れを燒≪けば≫、神《しん》に通ず。≪→じて、≫衆惡を辟《さ》く。之れを燒きて、能《よく》、䑕《ねずみ》を集むる者、眞と爲《な》す【「大明一統志」に云はく、『樹、苦き楝(あふち)のごとくして、大にして直なり。葉、「羊桃《やうたう》」に似て、長し。木の心《しん》、脂、有り。』≪と≫】。』≪と≫。

「五雜組」に云はく、『安息香、能く、䑕を聚む。其の烟《けぶ》り、白色≪にて≫、縷《ながきいと》のごとく、直つに上《のぼり》て、散らず。又、狼烟《のろし》も亦、直ちに上るなり。』≪と≫。

氣味【辛、苦。】 邪鬼・魍魎《まうりやう》・鬼胎・産後の血運《ちのめぐり》を治す。

△按ずるに、安息香、今、莫臥爾《モウル》・咬𠺕吧《ヂヤガタラ》より出づ。蓋し、試みるに、之れを燒きて≪も≫、能く、䑕、集まらざること、未だ知らず、謬說《びやうせつ》か、眞なる者を𫉬《え》ずして、然(しか)るか≪を≫。

 

[やぶちゃん注:「安息香」は、

双子葉植物綱ツツジ目エゴノキ科エゴノキ属アンソクコウノキ Styrax benzoin 、又は、その他の同属の植物が産出する樹脂

を指す。ウィキの「安息香」によれば、『名の由来にはいくつかの説がある。一説にはパルティア(漢名が安息)』(紀元前二四七年から紀元後二二四年まで存在した古代イランの王朝)『で用いられていた香りと』、『安息香の香りが似ていたのでこの名がついたという。また』、「本草綱目」では、後述する「安息香」の冒頭の「釋名」で時珍が、『諸邪を安息する効能があることから名づけられたとの記載がある。また、チンキの蒸気に呼吸器の粘膜を刺激して痰の排出を促進する作用があることから安息香と名づけられたという説もある』。『ベンゾインの名はガム・ベンジャミンと呼ばれていたものが訛ったものと考えられている。また』、『このベンジャミンは人名由来ではなく』、『ジャワから来た』「香」を『意味するアラビア語のルバーン・ジャーウィー』(「ジャワの乳香」の意)『が訛ったものという説がある』。『安息香の主な産地はタイ、ラオス、ベトナムの高原地方を中心とするインドシナ半島とインドネシア』の『スマトラ島である』。『インドシナ半島とインドネシアでは産出する樹木の種に違いがあり、前者はシャム安息香( S. tonkinensis )、後者はスマトラ安息香(アンソクコウノキ)と区別されている』。『産出量はスマトラ安息香の方がずっと多いが、香料としての品質はシャム安息香の方がすぐれている。これは安息香の香気に主要な寄与をしているバニリン』(vanillin。中国語「香草醛」。バニラの香りの主要な成分となっている物質)『の含有量がシャム安息香の方がずっと高いためである』。『安息香の主要な成分は芳香族カルボン酸とそのエステルである。シャム安息香では安息香酸とそのエステルが主成分である。バニリンは』三『%程度含まれる。スマトラ安息香ではケイ皮酸とそのエステルが主成分で、バニリンは』一『%程度と少ない』。『安息香は香料として使用される』『ほか、含まれる安息香酸の静菌作用により』、『食品添加物の保存料として使用されていたとの書籍上の記載もある』。但し、『食品添加物としての使用については、香料としての使用実績はあっても保存料としての使用実績は無いのではないかと疑問視する研究者もいる』とある。

 「本草綱目」の引用は、「卷三十四」の「木之一」「香木類」の「安息香」の独立項で(「漢籍リポジトリ」)、ガイド・ナンバー[083-56b]から始まる「集解」以下の部分引用である。

「安息香は、南海の波斯《パルシヤ》」(現在のイラン)「國に生ず」については、東洋文庫では、詳しい後注があって、『『酉陽雑俎』3(平凡社東洋文庫、今村与志雄訳)「広動植之三 安息香樹」の注で、今村氏は「中国では、唐、宋の時代、古代イラン方面で産出した一種の香料と、マライ半島を原産地とする小灌木 Styrax benzoir(ママ。斜体でないのもママ。種小名を転写し損なっている。正しくは「benzoin」である。)『からとれる香料(benenjoins Fr., benzoin, in Eng.)とを、同じ安息香の呼称で包括していたらしい」と述べておられる。また、同書「竜脳香樹」』(「安息香樹」の直前にある)『の注で今村氏は、『酉陽雑俎』に竜脳香樹の産地としてあげられている波斯国は、一般にいうイランのペルシアではなく、マライの波斯(ボースー)』(ルビ。但し、同書(一九八一年刊)は私も所持しているが、そこのルビは当て字「波」から容易に推定される通り、半濁音の「ポ」ではなく、濁音の「ボ」であり、ちゃんと『ボースー』となっているのである。これも転写ミスである。二箇所も誤るのは、礼儀としても、学術的にも、最早、最低である。当該部の担当者は竹島淳夫氏である。)『と解釈すべきである、とされている。すれば、ここにいう南海の波斯もマライの波斯と考えてよいということになろうか。』と記してある。上記の通り、杜撰の極みなので、より正確に今村先生の注を原本から確認しよう。

   《引用開始》

波斯国 「波斯」は、ふつう、イランをさすPersiaの転写とされているが、『酉陽雑俎』のこの例は、マライの波斯(ポースー)と解釈すべきである。一「忠志」一七話[やぶちゃん注:「一七」は原本では半角。『一「忠志」一七話』の「忠志」は同「酉陽雑俎」第一巻の篇名。]、交趾から龍脳を献上した話をしるすが、そこでも波斯では、老龍脳樹と呼ぶとしるし、交趾から距離的に近いことが示されている。B・ラウファーが、『シノ・イラニカ』で指摘しているとおり、唐の樊綽(はんしゃく)の『蛮書』に、そのマライの波斯は、驃(ビルマ)と境界を接しているある地域として記載されている。なお、F・ヒルト、W・W・ロックフィル『趙汝适』で、波斯国でも産するというのを、イラン――ペルシアの船舶で輸入される意味と解釈しているが、B・ラウファーは、その説を悪しき概括として批判した。

 なお、『蛮書』一〇には、「驃国は……波斯および婆羅門と隣接する」とある。また、同書六には「永昌城は、古の哀牢の地である。……さらに、南に、婆羅門、波斯、闍婆、勃泥、崑崙数種外道がある」という。闍婆は、いまのジャヴァ、勃泥はボルネオ、いまのインドネシアのカリマンタンである。向達の『蛮書校注』では、同書一〇に「大秦波羅門国」(向達は、大波羅門国とすべきで、秦はあるいは誤衍(えん)であろうという)、「小婆羅門国」とあるのをとりあげ、小婆羅門国は、いまのインド東部、アッサム南部一帯をさし、アッサム北部以西からガンジス河流域までが大婆羅門国に属するだろうと推定している。だとすれば、波斯は、マライ半島のある地域か、あるいは、ひろくいって南海のどこかの地域をさす[やぶちゃん注:下線太字は私が附した。]ことになる。向達は、フランスの東洋学者G・フェランの「南海の波斯」を引き、いわゆる「南海の波斯」はビルマのバセインBassein(イワラジ川下流流域の西)であるか、スマトラ東北岸のパセPasè,あるいはボルネオ、ジャヴァ、バンカなどの諸島のパシルPasirでもあり得るというその説を紹介している。[やぶちゃん注:以下略。]

   《引用終了》

この下線太字部が「波斯」の正しい比定地となると考えてよい。

「餳(ぢわうせん)」この漢字は音「トウ・ドウ・セイ」、中国語では、「飴・水あめ」を意味する。則ち、この「ぢわうせん」は和訓であり、ウィキの「地黄煎」によれば、『地黄(アカヤジオウ)』(キク亜綱ゴマノハグサ目ゴマノハグサ科アカヤジオウ属アカヤジオウ Rehmannia glutinosa )『の根を煎じた生薬、およびそれを添加して練った日本の飴である』とし、『江戸』『では』、「下り飴」・「くだり飴(くだりあめ)」とも称した』。『日本では膠飴(こうい)と表記し』、『「じおうせん」「じょうせん」と読む場合もある』とあった。但し、『地黄(アカヤジオウ)の地下茎に補血・強壮・止血の作用があることは、古く』「神農本草經」に『記載されて知られていた。地黄を日本では別名で「佐保姫」と、春の女神の名で呼ぶ』。『平安時代』、『宮内省典薬寮は、「供御薬」という宮中行事により、毎年旧暦』十一月一日に、『地黄煎を調達していた』。『このことにより』、『地黄煎の栽培・販売について、その後の供御人』(くごにん/くごんちゅ:中世に於いて、朝廷に属し、天皇・皇族等に山海の特産物などの食料や、各種手工芸品などを貢納した集団。後に貢納する物品の独占販売権を取得し、座に属する商人と同様の活動を行った。「禁裏供御人」とも言う)『の身分が形成された』。『典薬寮を本所とした、地黄煎の販売特権をもつ供御人による「地黄煎商売座」という座を形成、この座による販売人を「地黄煎売」(じおうせんうり)という』。『産地は摂津国、和泉国、山城国葛野郡であった』。『中世』『期の「地黄煎売」の姿は、番匠(大工)がかぶる竹皮製の粗末な笠である「番匠笠」、小型の桶を棒に吊るし振売のスタイルであった』。『室町時代』の明応三(一四九四)年に『編纂された』「三十二番職人歌合」には、『糖粽(とうそう)』(糖粽(あめちまき)。「飴粽」「餳粽」「粭粽」(あめちまき/あめぢまき)とも書く。ウィキの「糖粽売によれば、「糖粽」の定義は三説あり、①『飴色をした粽餅(茅巻餅)』、②『粽餅(茅巻餅)の表面に飴を塗布したもの』、③『固飴を茅萱(チガヤ)で巻いたもの』とあった)『を売る「糖粽売」とともに「地黄煎売」として紹介されている』。『このころ振売を行っていた「地黄煎売」は、「飴売」とみなされていた』。『江戸時代』『にも、飴としての「地黄煎」は製造・販売されており』元禄五(一六九二)年に『に井原西鶴が発表した』「世間胸算用」にも、『夜泣きに効くという趣旨で「摺粉に地黄煎入れて焼かへし」というフレーズで登場する』寛文元(一六六一)年の『加賀藩の資料によれば、石川県金沢市泉野町のあたりの旧町名は「地黄煎町」であった』。元禄八年に『に発行された』「本朝食鑑」には、『膠煎(じょうせん)として紹介され、これを俗に「地黄煎」という、としている』。正徳(しょうとく)二(一七一二)年に発行された「和漢三才圖會」に『よれば、膠飴(じょうせん)と餳(あめ)は湿飴(水飴)とは異なり、前者は琥珀色、後者は白色であり、煮詰めて練り固めて製造する膠飴のなかでも、切ったもの(切り飴)を「地黄煎」という、と説明している』(早稲田大学図書館「古典総合データベース」の私と同じ原本のこちらで視認出来る。「第百五」の「造釀類」の「飴」の項で、標題下方の最後に『膠飴』『【俗云地黃煎】』と出る)とある。

「大明一統志」明の全域と朝貢国について記述した地理書。全九十巻。李賢らの奉勅撰。明代の地理書には先の一四五六年に陳循らが編纂した「寰宇(かんう)通志」があったが、天順帝は命じて重編させ、一四六一年に本書が完成した。但し、記載は、必ずしも正確でなく、誤りも多い。東洋文庫訳では、ここに割注して、『(巻九十本文安南土産、安息香)とある。』とある。「維基文庫」の同巻を見ると、「安南」の項の、「土产」(=「土產」)の条に『安息香【樹脂其形色类核桃□』(表示不能字或いは判読不能字)『不宜于烧然能髮衆香故人取以和香】」、及び、『安息香【樹如苦練大而直叶類羊桃而長中心有脂作香】』(簡体字を繁体字に代えた)とあった。

「楝(あふち)」ムクロジ(無患子)目センダン(栴檀)科センダン属センダン Melia azedarach の別名「オウチ」。

「羊桃《やうたう》」東洋文庫訳では、割注して、『(ごれんし)』とする。カタバミ目カタバミ科ゴレンシ属ゴレンシ Averrhoa carambola 。「五斂子」。ウィキの当該同種を指す「スターフルーツ」を見られたい。

「五雜組」冒頭の「柏」で既出既注。以上は「卷十」の「物部二」の一節。「維基文庫」の電子化されたここで視認出来る。

「血運《ちのめぐり》」東洋文庫訳のルビを、そのまま用いた。

「莫臥爾《モウル》」「モール(ポルトガル語:mogol)インドにあったモグール(ムガル)帝国。

「咬𠺕吧《ヂヤガタラ》」何度も出ているが、再掲すると、インドネシアの首都ジャカルタの古称。また、近世、ジャワ島から日本に渡来した品物に冠したところから、ジャワ島のことをも指す。

「蓋し、試みるに、之れを燒きて≪も≫、能く、䑕、集まらざること、未だ知らず、謬說《びやうせつ》か、眞なる者を𫉬《え》ずして、然(しか)るか≪を≫」良安先生の、こういう事実確認、いいね!]

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