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2024/06/19

柴田宵曲「古句を觀る」正規表現版電子化注 / 「冬」(12)

 

   餅つきや臼も柱も松臭し    諷竹

 

 ちよつと變つた句である。臼も柱も新しいのであらう、餅を搗ついてゐると、松の木の匂がする。住み古りた所帶、持ち傳へた臼では、こんな匂がしさうもない。

 新しい木の香といふものは爽快に相違ないが、云ひ現し方によつては少しく俗になる。作者が鼻に感じた通り、「松臭し」と云つてのけたのは、却つてよく趣を發揮してゐる。「臼も柱も」の一語で、家も臼も新しいことを現したのも、巧な敍法といふべきであらう。

 

   麥まきの寒さや宿はねぶか汁 鼠 彈

 

 蕭條たる冬枯の野に出て麥蒔をする。日和が定つて暖いことも無いではないが、曇つたり、風が吹いたりすれば甚しく寒い。假令さういふ條件が加はらないにしても、日が傾けば寒さはひしひしと迫つて來る。冬郊に働くことは、この一點だけでも慥に樂ではない。

 この句はさういふ麥蒔の人の寒さと、その人たちがやがて歸る家で、葱汁を拵へて待つてゐるといふ事實を描いたのである。麥を蒔く野良の寒さを想ひやつて、歸つて來たら之を犒ふ[やぶちゃん注:「ねぎらふ」。]べく葱汁を拵へた、といふ風にも解せられる。併し宿の方を主にして、野良の寒さは想ひやつただけのものとすると、いさゝか感じの弱められる虞がある。麥蒔を了へて寒い野良から歸つて來る。宿では葱汁を拵へてくれたと見えて、暖さうな匂が鼻をうつ、といふ風に解釋したらどんなものであらう。この葱汁は膳に向つて啜るところまで描かれないでも差支無い。野良の寒さが强ければ强いほど、宿の葱汁の暖さも亦强く感ぜられるのである。

 

   初しぐれ爰もゆみその匂ひかな 素 覽

 

「爰も」といふのは稍〻漠然たる言葉であるが、かういふことだけは想像し得る。

 初時雨の降つてゐる時、町なら町を步いてゐる。今しがたどこかで柚味噌を燒く匂を嗅いだと思つたら、亦こゝでもそれらしい匂がする、といふのであらう。「爰も」といふ以上、何箇所だかわからぬけれども、とにかく複數であることは疑を容れぬ。彼處[やぶちゃん注:「かしこ」。]でも柚味噌の匂を嗅ぎ、こゝでも柚味噌の匂を嗅ぐといふ意味かと思はれる。たゞその彼處此處は、果して町を步きつゝある時に嗅いだものかどうか、句の上に現れて居らぬから、斷定することは出來ない。便宜上さう解したまでである。

 柚味噌といふものは、昔にしても一般的な食物とは思はれぬ。併し時雨の趣を解するやうな人が、初時雨を愛でて柚味噌を燒いてゐるといふほど、殊更な趣向とも解したくない。この句の眼目は時雨の降る冷い空氣と、柚味噌を燒く高い匂との調和に在るので、作者もそこに興味を感じたのであらう。「爰も」といふ言葉は、一句を複雜にすると同時に、多少漠然たるものにした。それは柚味噌が稍〻一般的ならざる食物だからで、鰯や秋刀魚を燒く匂だつたら、平俗を免れぬ代りに「爰も」といふことについて、格別の問題は起らぬかも知れない。

 

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