「善惡報はなし」正規表現オリジナル注 卷三 㐧四 虵女をおかす事
[やぶちゃん注:底本・凡例等は初回を参照されたい。]
㐧四 虵(へび)、女をおかす事
其比、寬永元年[やぶちゃん注:一六二四年。]に、河内(かはち)の「しき」と云《いふ》所の山里に、五八郞と申《まうす》もの、ありけり。
[やぶちゃん注:『河内の「しき」』河内国(かわちのくに)志紀郡(しきのこおり)。現在の大阪府八尾(やお)市志紀町(しきちょう)はここだが(グーグル・マップ・データ)、「山里」と言っているから、ここ近辺ではあり得ず、旧志紀郡の内、明らかな山間部は、ずっと東の奈良県に接する八尾市の一部、及び、その南に接する柏原(かしわら)市が該当する。この中央の南北附近である(グーグル・マップ・データ航空写真)。]
かれが他行《たぎやう》のひまに、妻、ひるねして、ひさしく、おきも、あがらず。
其間《そのあひだ》に、をつと、かへり、「ねや」へ、入《いり》て見ければ、五、六尺ばかりなる虵、まとはりて、口さし付《つけ》て、臥したり。
夫(をつと)、大きに驚きて、つえ[やぶちゃん注:ママ。以下同じ。]を持(もち)て、うちはなちて、申《まうし》けるは、
「『おやのてき』『宿世(しゆくせ)のてき』と、いひつれば、しさいにおよばず、せつがい[やぶちゃん注:「殺害」。]すべきなれども、今度ばかりはゆるす也。かさねて來《きた》る事あらば、命をたつべし。」
と、いひて、つえにて、すこし、うちなやまして、すてける。
[やぶちゃん注:岩波文庫の高田氏の脚注に、『不詳。女親(子をなした妻)を犯した敵は終生かけての敵、の意のことわざか。』とあった。]
[やぶちゃん注:第一参考底本はここ、第二参考底本はここ。後者は、這い上がり、鼻先に鎌首を接しかけている蛇が、明確に視認出来る。夫がその蛇を杖で引っ掛けて、今しも、払いのける瞬間を、スカルプティングした瞬間を描いてある。]
其の後《のち》、五、六日ありて、家内(かない)の男女(なんによ)、おどろき、さはぐ。
「何事やらん。」
と、とへば、
「虵の、おほくきたり候。」
と云《いふ》を、
「つ」
と、出《いで》て見ければ、一、二尺ばかりの虵、かしらをならべ、すきまもなく、四方《しはう》をかこみて、庭のきはまで、來《きた》る。
それより、少《すこし》づゝ、大き成《なる》虵、次㐧次㐧に、つゞき、いき千万といふ數(かず)を、しらず。
はてには、一丈二、三尺もあるらんとおぼしき虵、左右(さう)に、五、六尺ばかりなる虵、十ばかり、具して來《きた》る。皆、かしらをあげ、舌をうごかし、物いはざるばかり也。
[やぶちゃん注:「一丈二、三尺」三・〇六~三・六四メートル。本邦の最大種である青大将(爬虫綱有鱗目ヘビ亜目ナミヘビ科ナミヘビ亜科ナメラ属アオダイショウ Elaphe climacophora の♂)で間違いない。全長で三メートル超は稀れであるが、生体で這っている際の伸長で、そう見えたのであろう。私の家にも、このところ、よく出現する。連れ合いや、向かいの奥方が、遭遇して、驚愕しているから、二メートルは優にある個体らしい。私は大の蛇好きなのだが、残念ながら、未だ、そ奴には出逢っていない。]
女房は、「きもだましゐ[やぶちゃん注:ママ。「膽魂(きもだましひ)」。]」もなきていにて、『今は、こうよ。』とみえし所に、夫、申《まうし》けるは、[やぶちゃん注:「『今は、こうよ。』とみえし所」同じく、高田氏の「今は、こうよ」の注に、『今は命もたえるかと。』とある。]
「なんぢらは、何として、かく、あつまり來《きた》るぞ。女のふしてゐけるを、虵のおかしたる事、まのあたり、見しが、宿世(しゆくせ)の『てき』なるうへ、命をたつベかりしを、『じひ』をもつてたすけて、『かさねて來らば、命をたつべし。』とて、つえにて、すこし、うちなやめ、すてたる事、侍りき。此《この》『事はり[やぶちゃん注:ママ。]』を、めんめん、よく、ききわけ、それがしがひが事とばし[やぶちゃん注:「ばし」は副助詞で強調。]、思ひて來《きた》るか。『人畜、ことなり。』といへども、物の道理は、よも、かはり侍らじ。妻を、おかされて、はぢがましき事にあひぬれども、『なさけ』ありて、命をたすけながら、猶、ひが事に成《なし》て、よこさまに損ぜられん事こそ、むざん成《なる》次㐧にて侍れ。此《この》事、「めうしゆ三ぼう[やぶちゃん注:ママ。「冥衆三寶」。]」も、ちけん[やぶちゃん注:「知見」。]をたれ、天神地祇(てんじんちぎ)・ぼんわう・たいしやく[やぶちゃん注:「梵王・帝釋」。]、四大(しだい)天わう・日月《じつげつ》せいしゆく[やぶちゃん注:「星宿」。]も、御《ご》せうらん[やぶちゃん注:ママ。「照覽(しやうらん)」。]あるべし。一事《ひとこと》も、きよげん[やぶちゃん注:「虛言」。]、なし。」[やぶちゃん注:以下、私にはいらないが、若い読者のために、高田氏の脚注を纏めて示しておく。『冥衆 梵天・帝釈・閣魔王のような目に見えない神々』・『梵王帝釈 梵天王と帝釈天』・『四大天王 持國天・增長天・広目天・多聞天、いわゆる四天王』・『日月星宿 太陽や月や星など、廣く宇宙に散らばっています神々』。]
と、只、人に向つて申《まうす》やうに、いひければ、大虵をはじめ、かしらを、一度(ど)に下げて、大虵のそばにい[やぶちゃん注:ママ。]たる、くだんの虵とおぼしきを、一かみ、かみて、引《ひき》かへる。
是をみて、殘る虵共、一口づゝ、かみて、
「みそみそ」[やぶちゃん注:めちゃくちゃ。ぐちゃぐちゃ。]
と、かみなして、山のかたへ、みな、かくれぬ。
其後《そののち》は、別のしさいも、なかりけり。
さかさかしく[やぶちゃん注:「賢賢しく」。賢いさま。高田氏は『理性的に』と脚注する。]、道理を申《まうし》のべて、わざわい[やぶちゃん注:ママ。後も同じ。]をのがれけるこそ、かしこくも、おぼえけれ。道理をも申のべずして、とかく、ふせがん、とするならば、ゆゆしきわざわいなるべし。そうじて[やぶちゃん注:ママ。]、物の命を、さうなく[やぶちゃん注:無造作に。]がいする事、よくよく、つゝしむべし、つゝしむべし。
此のはなし、河内より來《きたる》る商人《あきびと》、僞りなきよし、大せいごんをもつて、かたり侍る。
[やぶちゃん注:「商人《あきびと》」読みは、本書の前例に従った。
「大せいごん」「大誓言」。既出既注の「大せいもん」(「大誓文」)に同じ。神仏に誓って間違いないという証文のこと。]
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