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2024/06/11

柴田宵曲「古句を觀る」正規表現版電子化注 / 「冬」(1)

 

 

        

 

 

   水鳥のかたまりかぬる時雨かな 良 長

 

 時雨の降る中に浮んだ水鳥が、一團となりさうに見えながら、かたまりきらずにゐる。かたまるべくしてかたまらぬ樣子を「かたまりかぬる」と云つたのであらう。時間は必ずしも限定するには當らぬが、何となく寂しい夕方の景色を想像せしめる。

 水鳥は時として岸の上などに群れてゐることもある。この句は岸の上としても解釋出來ぬことはないけれども、「かたまりかぬる」といふ語勢から考へると、やはり水上に浮びながら、かたまりあえぬもののやうな氣がする。

 

   霜しろく荷になひつれけり肴ふご 鶴 聲

 

 肴賣が荷ふ魚畚[やぶちゃん注:「さかなふご」。]の上に霜が白く置いてゐるといふだけの句であるが、「荷ひつれけり」の一語によつて、この肴賣が一人でないことがわかる。肴の荷を曳ひいて走る魚河岸の若い者では、「霜しろく荷ひつれけり」はうつるまい。但一人でないから、幾分賑な樣子はこの句からも窺ふことが出來る。

 鳴雪翁の句に「初霜をいたゞきつれて黑木賣[やぶちゃん注:「くろきうり」。]」といふのがあつた。同巧異曲であるが、霜を帶びたものを荷ふといふ點から云へば、或は黑木の方がふさはしいかも知れない。

 鶴聲の句は「霜しろく」で意味を切つて、霜白き朝を肴賣が畚を荷ひつれて行く、といふ風に解することも或は可能であらう。卽ち「霜しろし荷ひつれたる肴畚」の意に取るのであるが、これには多少の無理がある。「霜しろく荷ひつれけり」と續く以上、霜白き畚を荷ひつれた意に解する方が、先づ妥當であらうと思ふ。

[やぶちゃん注:「初霜をいたゞきつれて黑木賣」古いものでは、国立国会図書館デジタルコレクションの「明治四大家俳句集 秋冬」(寒川鼠骨編・明三九(一九〇六)年大学館刊)のここで視認出来る。「黑木賣」の「黑木」は薪(たきぎ)を指す。皮のつたままの材木、皮つきの丸木(「榑(くれ)の木」と称した)洛北八瀬大原の婦女が、これを京都の市上に売った。婦女を「黑木賣」と呼んだ。所謂、知られた「大原女」「小原女」である。]

 

   水風呂に戶尻の風や冬の月 十 丈

 

 水風呂[やぶちゃん注:「すいふろ」。]といふのはもと蒸風呂[やぶちゃん注:「むしぶろ」。]に對した言葉だ、といふ說を聞いたことがある。橋本經亮などは、鹽浴場に對する水浴湯といふことから起つたので、居風呂[やぶちゃん注:「すゑふろ」。]といふ名は誤だろうと云つてゐる。いづれにしても現在吾々の入るのは水風呂のわけである。この句もスイフロで、ミヅブロではない。

 風呂に入つてゐる場合、戶尻[やぶちゃん注:「とじり」。]が透いてゐて、寒い風が吹込んで來る。そこから冬の月の皎々と照つてゐるのが見える。一讀身に沁むやうな冬夜の光景である。「戶尻の風」の一語が極めて適切に働いてゐる。

[やぶちゃん注:「橋本經亮」(つねあきら/つねすけ 宝暦五(一七五五)年~文化二(一八〇五)年:生没年には異説がある)は江戸後期の国学者で有職故実家。本姓は橘。通称は肥後守。号は橘窓・香果堂。父は梅宮(現在の京都市右京区の梅宮大社)の神官橘昆経。家職を継ぎ、正禰宜となり、宮中に出仕して非蔵人を兼務した。有職の学は高橋図南(となん)に学び、図南の著書の多くを校正した。また、和歌を小沢蘆庵に学び。上田秋成・伴蒿蹊らとも親しかった。豪放不羈、奇行を以って知られ、自宅から宮中に至る途上も、読書しながら往来し、田畑に落ちて衣服を汚しても気にかけなかったという。考証を得意としたが、特に古絵図を拠り所とするところにその特色があった。著書に「橘窓自語」・「梅窓筆記」などがある(以上は朝日新聞出版「朝日日本歴史人物事典」に拠った)。この記事は「梅窓筆記」(文化二(一八〇五)年十月平安丘思純の序がある)の「卷之一」にある。国立国会図書館デジタルコレクションの『日本隨筆大成』第三期第三巻(日本随筆大成編輯部編・昭和四(一九二九)年日本随筆大成刊行会刊)のここで視認出来る(右ページ二行目から)。短いので、電子化しておく(底本では二行目以降は一字下げ)。

   *

〇今人ノ入湯ノ湯ハ、水湯(ミヅユ)ト云モノナリ。水風呂ト云名アルモ遺風ナリ。台記、久安三年[やぶちゃん注:一一四七年。]二月二十六日。(取要)自今日始潮湯正法須水湯。七日後始ㇾ之。同月廿七日。(辛酉)復浴水湯。トアリ。潮湯(シホユ)ニ對シテ水湯ト云ナリ。

   *]

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