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2024/06/27

「善惡報はなし」正規表現オリジナル注 卷二 目錄・㐧一 𢙣念の藏主火炎をふく事

[やぶちゃん注:底本・凡例等は初回を参照されたい。]

 

善惡報はなし二之目錄

 

㐧 一 𢙣念(あくねん)の藏主(ざうず)火炎(くわゑん)をふく事[やぶちゃん注:「藏主(ざうず)」本来は、寺院にあって「経蔵」(きょうぞう)を管理する僧を指すが、ここは普通に一般の「出家した者・僧」の意。]

㐧 二 女死(しゝ)て馬(むま)に生(うま)るゝ事

㐧 三 馬(むま)のむくひ來(きた)りて死(しす)事

㐧 四 れんちよくの女冨(とみ)栄(さかえ)る事

㐧 五 人をころし金銀(きんぎん)を取(とり)報(むくひ)をうくる事

㐧 六 獵師(れうし)虵(へび)にころさるゝ事

㐧 七 五りんより血(ち)の出《いづ》る事

㐧 八 あくぎやくの人うみへしづむ事鰐(わに)といふ𩵋(うを)にとらるゝ事

㐧 九 慈悲ある人利生(りしやう)ある事

㐧 十 与四郞の宮(みや)うちたへす事[やぶちゃん注:これは、二種の参考底本ともに、本文の標題は「与四郞の宮(みや)うちたやす事」となっており、内容からも「たやす」が正しいので、これは誤刻である。改題本でも同じということは、改題本刊行に際して、原版木をそ題名の部分のみ新刻しただけであることが、これで判明する。

㐧十一 盲目(もうもく)の母(はゝ)をやしなふ事

㐧十二 れうし虵(へび)をがいし忽(たちまち)頓死(とんし)する事

 

 

善惡報はなし卷二

 

 㐧一 𢙣念ある藏主火炎をふく事

〇明曆の比、らくぐわい[やぶちゃん注:「洛外」。]に「たいをう」と云《いふ》僧あり。諸國を修行し給ふが、或時、たんばぢ[やぶちゃん注:「丹波路」。]を通(とを[やぶちゃん注:ママ。])り給ふに、折ふし、行(ゆき)くれ、道もなき、「人ざと」とをき山中なれば、宿(やど)をとるべきもなくて、

「とやせん。」

と、しばらく立《たち》やすらふ所に、はるかむかふの山ぎはにあたつて、ともし火、かすかに見ゆる。

 かしこにゆきて、戶を、

「ほとほと」

と、おとづれ給ふ。

 あるじのぢい[やぶちゃん注:「爺」。]が、たち出《いで》、

「いかなる人やらん。」

と云《いふ》。

 そうのいはく、

「されば、それがしは、旅のざうずなるが ゆき暮(くれ)て候《さうらえ》ば、一夜をあかさせてたべ。」

 ぢい、聞《きき》て、

「やすきほどの事に候ヘども、此屋には、こよいかぎりの病人の候。物やかましく候とも、かんにん[やぶちゃん注:「堪忍」。]あらば、入《いり》給へ。」

とて、庭(にわ[やぶちゃん注:ママ。])のかたすみを、かしけり。

 たいをう、物さびしさに、念珠をくりてましますが、

『よゐ[やぶちゃん注:ママ。「宵(よひ)」。]の病人は何ものぞ。』

と見る所に[やぶちゃん注:見てみたところが。]、七十ばかりのばゝなるが 夜半すぎに、つゐ[やぶちゃん注:ママ。]に死(しゝ)けり たゞ、夫婦の事なれば、たれあつて、なにかと申《まうす》人も、なし。

 しばらくして、ぢい、申《まうし》けるは、

「それにましますしゆぎやうじや[やぶちゃん注:「修行者」。]、さいぜん、申たる病人は、それがしが女(つま)にて候が、只今、はてゝ候。御らんじ候ごとく 此山中に、夫婦ならでは、又、むつまじきものもなく候。『あはれ』と、とはせ給へ。此山のあなたにこそ、子共、あまた、もちて候。かれらにしらせたく候。御そうるすをたのみ申《まうす》。」

と、いひて、其身は、うらみちさして、ゆくほどに、

『はや、じこくも、うつりぬ。』

と、おもふ時分に、いづくより來《きた》るともしれず、其長(たけ)、六尺あまりもあるらんとおぼしき入道、來りて、かの死人のふしける所へ、

「つつ」

と、より、火(くわ)ゑんを、ふきかけ、食(くは)んとする事、度〻《たびたび》也。

 

[やぶちゃん注:挿絵は、第一参考底本はここ第二参考底本はここ。例によって、断然、後者がよい。

 

 たいをう、見給ひて、

『きやつは、房主(ばうず)の、よろこぶ一念の、來《きた》るぞ。』

と、おもひて、

「つつ」

と、より給ひ、死人《しびと》を、おさへ、「じゆず」をもつて、かの入道を、二つ、三つ、うち、佛號をとなへ給へば、かきけすやうに、うせぬ。

 其後《そののち》、ぢいと、同道して來《きた》る房主をみれば、さいぜん來る「ばうず」也。

 たいをう、ふびんに思ひ給ひ、かの「ばうず」を、ひそかに、かたはらヘ、よびて、くだんのむねを、具(つぶさ)に、かたり給ふ。

 此房主、さんげして、いはく、

「扨は。さやうの事の、ありつるこそ、はづかしくは候ヘ。今夜(こんや)、此死人の事を申來《まうしきた》るを、よろこび、『扨は、斎(とき)ふせを、たぶべき、うれしさよ。』と、おもふ一念、候へつるが、さだめて、其心の、きたりつらん。あら、あさましの我心《わがこころ》や。」

と、なみだを、

「はらはら」

と、ながし、

「扨〻、御そうは、佛のさいたん[やぶちゃん注:「再誕」であろう。]にてありつらん。かやうのわざを見給ふうへは、貴(たうと)き御心入《おんこころいれ》とぞんじ候。しからば、今日《こんにち》より御そうの弟子に、まかり成(なり)、ともに『しゆぎやう』いたさん。」

と、やがて師㐧(してい)のけいやくをぞ、しける。

 是は、正《まさ》しき、たいをう、かたり給ふ。

 名所(などころ)を、ふかくつゝみ給ふゆへ[やぶちゃん注:ママ。]、かくのごとく也。

[やぶちゃん注:「たいをう」不詳。彼は後の「卷二 㐧七 ごりんより血の出る事」にも登場するが、岩波文庫の高田氏の注でも、『不詳』とする。漢字表記も宗派も不明である。

「斎(とき)ふせ」僧侶に布施として捧げる食物や物品・金銭を広く「齋料(ときれう)」と呼ぶ。それであろう。但し、「斎(齋)布施」という熟語は、畳語であり、まあ、あってもおかしくはないが(泉鏡花の「草迷宮」の「十五」の終りにある)、あまり見かけない。]

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