「善惡報はなし」正規表現オリジナル注 卷二 㐧十 与四郞の宮をうちたやす事
[やぶちゃん注:底本・凡例等は初回を参照されたい。流石に、改題本では、総て確実に「与」であったので、「與」の字では表示しなかった。]
㐧十 与四郞の宮(みや)を、うちたやす事
○關東の内に、「与四郞のみや」と申《まうし》て、あり。
[やぶちゃん注:「与四郞の宮」不詳。]
每年(まいねん)、夏の比、此みやの神事なり。當番にあたるもの、たいこを、になふやくなり。
あるもの、やくにあたりしかども、何かといひて、其やくをも、つとめず、あまさへ、をのれ[やぶちゃん注:ママ。]が家に引《ひき》こもり、出《いで》ざれば、せんかたなくて、わきより[やぶちゃん注:別の者が。]、つとめ、漸〻(やうやう)、神事を、すましける。
[やぶちゃん注:挿絵がある。第一参考底本はここ、第二参考底本はここ。後者を見られたい。但し、遠景の山の眉毛・目・鼻・口や、障子のそれは、例の旧蔵者による落書であるので注意。]
其あくる夜、かれがまくらもとへ、五、六尺ばかりの虵(へび)、五、六十ばかり、來(きた)つて、「かしら」をならべ、なみい[やぶちゃん注:ママ。後も同じ。]たり。
此おとこ、もとより、邪見のものなれば、
「扨《さて》は、きなふ[やぶちゃん注:ママ。]、我、神事をつとめざるゆへ[やぶちゃん注:ママ。]、与四郞めが、ともを、かたらひ、我に、あだをせんがために來《きた》ると、おぼゆ。やすからぬ事かな。」
とて、みな、一〻《いちいち》に、うちころしてぞ、すてけり。
又、次の夜も、同じほど來《きたつ》て、まへの夜のごとく、なみいけるを、一つも、のこさず、うちころすに、同じごとくに來《きた》る事、三日三やが間に、ころすところの虵、をよそ[やぶちゃん注:ママ。]、五、六百もあるらん。
此男、つゐに[やぶちゃん注:ママ。]、四日目に、くるひじにゝ[やぶちゃん注:ママ。]しける。
其後《そののち》、此みやへ、「ゆ」を、たびたび、參らするに、つゐに[やぶちゃん注:ママ。]、有無のへんたふ[やぶちゃん注:ママ。]なければ、
「さては。かのばかものが、うちたやしけるか。」
と、皆人《みなひと》ごとに、いひあへり。
[やぶちゃん注:「ゆ」不詳。小学館「日本国語大辞典」に接頭語として「神聖な」「正常な」の意が挙げられてあるので(そういえば、「ゆつ玉串」という用法があるな)、神に捧げる供物、或いは、神託を乞い願うためのそれを言っているようである。]
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