「善惡報はなし」正規表現オリジナル注 卷二 㐧四 れんちよくの女冨貴に成事
[やぶちゃん注:底本・凡例等は初回を参照されたい。挿絵は、第一参考底本はここ、第二参考底本はここ。無論、後者を見られたい。手前の嫁の前にある舛が大舛、舅の方にあるものが、小さな舛であろう。]
㐧四 れんちよくの女冨貴(ふうき)に成《なる》事
○洛陽(らくやう)に、さる商買人《しやうばいにん》、あり。[やぶちゃん注:「洛陽」ここは「京都」の意。]
子に家をわたし、我は、ゐんきよぜんとしたくして[やぶちゃん注:「隱居然と仕度して」。]、舛(ます)を、二つ、取出《とりいだ》して、よめに、むかつて、いはく、
「なんぢ、今日《けふ》よりして、家を、わたす也。然《さ》れば、此《この》ちいさき舛にては、人に、わたし、大きなるますにては、おさむ[やぶちゃん注:ママ。]べし。」
とて、其「うけとり」・「わたし」のやう、くはしく、をしへければ、よめ、つくづく、聞《きき》て、いはく、
「さやうに、むつかしき所帶(しよたい)ならば 我、『さいばん』[やぶちゃん注:「裁判」。一般の商売に於ける正・不正の認識・判断を指す。]いたす事、かつて成《なし》がたかるべし。さあらば、我には、いとまを給はりて、家にかへらん。」
と、申《まうす》。
舅《しうと》、おどろき、
「なんぢ、さやうにいひし心ねは、いかに。」
と、問《とふ》。
よめ、こたへ、いはく、
「さればこそ、其方の兩舛をつかひ給ふ所、さりとては、天道にそむきぬれば、かならず、天のせめ、のがれがたくして、つゐに[やぶちゃん注:ママ。]は、此家、やぶるゝのみならず、子孫までも、其むくひ、のがれがたかるべし。ぜひ、われに、さいばんさせんと、おぼしめさば、向後《かうご》、兩舛を、やぶり給へ。」
と。
「しうと」の、いはく、
「扨も。女のちゑうすき事の、はかなさよ。『とくぶん』を得る事をしらずして、『いな。』といふ。然らば、なんぢ、はからひに、まかせをく[やぶちゃん注:ママ。]。ともかくも。」
と云《いふ》。
よめの、いはく、
「さ候はゞ、其兩ます、つかひ給ふ年數(ねんす)は、いくばく成《なる》ぞや。」
舅、こたへて、
「されば、廿四、五年余(よ)。」
と申。
よめ、申けるは、
「今より二十四五年の間、ちいさな舛にて取《とり》、大きなる舛にて出《いだ》し、今までの『とが』を、つぐのひてのち、舛一つに、し給はゞ、とゞまりて、家を、うけ取《とる》べし。」
と云。
しうと、聞て、
「それは、なんぢが『さいばん』にまかするうへは、ともかくも。」
と云て、家を、わたしける。
よめ、うけ收《をさめ》て、「れんちよく」して、家を、おさめ[やぶちゃん注:ママ。]ぬれば、其家、日〻《ひび》に、さかへ、男女《なんいよ》、六人まで、うめり。
子共、成人(せいじん)するにまかせ、次第次第に、それぞれの「かとく」、つぎ、一つとして、何事につきても、ふそくなくして、子孫の「はんじやう」、いふばかりなし。
されば、よのつねの人の「こゝろへ」には、
『むさぼる時は、財、あつまる。むさぼらざれば、財、あつまりがたし。』
とおもふもの、世に、おほし。「むさぼる」といふとも、財、あつまりがたし。たゞ、「れんちよく」は、かならず、財を、うしなはず。「とんよく」には、「がき」のむくひ、あるべし。「れんちよく」には、ふうきの報《むくひ》あり、となん。たれも、「とんよく」のけがれ、あるまじ[やぶちゃん注:「廉直に生きる者には」という条件文。]。舅、はじめは、兩舛の「とんよく」によつて、たから、あつまるとも、つゐに[やぶちゃん注:ママ。]は、まどはんずれども、よめの、「れんちよく」にして、家の、いよいよ、とめるをみる時は、兩ますの「とんよく」によつて、ふくぶんのおとれる事を、くゐ[やぶちゃん注:ママ。]ぬべし。されば、
『「とんよく」の人は、ひん[やぶちゃん注:「貧」。]のもとひ[やぶちゃん注:ママ。以下同じ。「基(もとゐ)」。]也。「れんちよく」の人は、ふつきのもとひなり。』
と、古人のことばを、守るべし。
此はなし、今(いま)、世にすめる人のうへなれば、くはしくは、のべがたし。
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