「善惡報はなし」正規表現オリジナル注 卷一 㐧十 𢙣念のものうしに生るゝ事
[やぶちゃん注:底本・凡例等は初回を参照されたい。本篇には挿絵はない。]
㐧十 𢙣念のもの、「うし」に生《うっま》るゝ事
○尾州に、酒を商《あきなふ》もの、あり。
しゝて[やぶちゃん注:「死して」。]、むすこの夢に、つげて云《いはく》、
「我は、存生(ぞんしやう)にありし時、ちいさき舛(ます)にて、『さけ』を、うり、大《おほ》き成《なる》舛にて、あたい[やぶちゃん注:ママ。]をとる事、數年(すねん)なり。其報《むくい》により、『うし』に生《うま》れ、同國、春日部(かかべ[やぶちゃん注:ママ。])と云《いふ》所の庄屋、『市助』と申《まうす》ものゝ家につかはれ、田をたがやし、くつうせし事、なゝめならず。」
と、かたると、みて、夢、さめぬ。
むすこ、まことしくおもはれざれども、さだか成《なる》ゆめのつげなれば、ふかく、なげき、其近所の者に、
「其方《そのはう》のあたりに、かやうかやうのもの、ありや。うしなども、持《もち》けるか。」
と問《とふ》に、
「さも候。」
とて、くはしくかたるをきけば、夢に、すこしも、たがはず。
むす子[やぶちゃん注:ママ。以下同じ。]、市助が家を尋ね行《ゆき》、
「うしを、もとめ得て、かへらん。」
と請(こふ)。
庄や、
「やすき事也。」
とて、「うしべや」へ、同道しければ、
「此うし、すぐれたる『人づき』にて、つかふもの、一人ならでは、なかりし。」
[やぶちゃん注:「と云へる」ぐらいを入れておきたい。]が、此むす子を、みて、なれなつくのみならず、淚を、ながしける。
[やぶちゃん注:「人づき」両参考底本ともに「人つき」であるが、濁音で採った。「人付(ひとづき)」で、この場合は、「素直に人間の言いなりになること」の原義を、否定の意に転じた「いっかな、人間に馴れず、使い勝手の劣悪な人嫌いの牛であること。」の意であろう。]
むす子、立《たち》よりければ いよいよ、此うし、かしらを、うなだれ、ねぶりて、只(たゞ)、ものいはざるばかりのありさまなり。
むす子、則《すなはち》、あたい[やぶちゃん注:ママ。]を、わたし、買(かい[やぶちゃん注:ママ。])とり、家に、かへり、やしなひ、ころしてけり。[やぶちゃん注:「ころしてけり」は言うまでもなく、「亡くなるまで、世話をし、看取ってやった」の意である。]
「とんよく[やぶちゃん注:そのまま仏教用語の清音の方を採った。「貪欲」。]」の人、かくのごとし。死《しし》て、ほどなく、「ちくしやう」の身を、うけ來りて、因果のほどをあらはし、むす子につぐる程の「つうりき」は、あるまじけれども、且(かつ)、神明《しんめい》の、かれに告(つげ)給ふと、おぼゆ。何《いづ》れも、世間、「とんよく」の人は、かく、あらはれざるか。二つのうちに、もるゝ事、なし。たゞ、かりにも、非道を、よくよく、「ぎんみ」すべし。
[やぶちゃん注:「二つ」「神明」は神道の神々を指すが、江戸以前の神仏習合にあっては、「神佛」の両義が混淆しているから、それを分けて「神と仏」で「二つ」と言ったものであろう。]
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