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2024/06/19

柴田宵曲「古句を觀る」正規表現版電子化注 / 「冬」(13)

 

   煤の湯を流しかけたり雪の上 里 東

 

「としのくれに」といふ前書がついてゐる。煤掃をしたあとの湯を雪の上にこぼす。「流しかけたり」といふので、ざぶりとこぼさずに徐に[やぶちゃん注:「おもむろに」。]あける樣子がわかる。强ひて風流を衒ふ[やぶちゃん注:「てらふ」。]わけではないが、一面に積つた雪の上に、煤に汚れた湯をこぼすのは、多少氣が引けるやうなところがある。槪念的にかういふ趣を弄ぶのではない。作者の實感から生れてゐるところに一種の力を持つてゐる。

 昔の煤掃は今の大掃除と違ふから、天氣都合で延すなどといふことは無かつたかも知れず、又北國のやうに雪に降りこめられるところだつたら、晴天を待つわけにも行かぬであらう。さういふ雪の中でも、年中行事の一として、家の内の煤だけは拂ふ。この作者は膳所の人だから、必ずしも北國情景と見るに當らぬが、

 

   煤はきや手鑓てやりたてたる雪の上 不 玉

 

になると、作者が東北の人だけに、そう解しても差支ない理由がある。「手鑓」は短槍ともいふ。槍の細く短いものゝ稱である。何でそんな槍を雪の上に突立てたか、まさか雪の深さを測る意味でもあるまい。暫時の置場として雪の上に立てたものであらうか。手槍を立て得ることによつて、その雪の深さもわかり、現在雪の降りつゝある場合でないことも想像出來る。

 煤掃に雪などといふ趣向は、大掃除に慣れた吾々にはちよつと思ひもよらない。同じく「雪の上」を捉へた元祿の句が、全然異つた世界を見出してゐるのは面白い。

[やぶちゃん注:「煤掃」(すすはき)は、煤や誇り等を払って綺麗にすること。特に正月の準備として、普段は手の届かないようなところまで大掃除をすることを言う。江戸時代には公家・武家ともに十二月十三日に行なうのが恒例で、民間でも、多くこれに倣った。起源は少なくとも平安後期に遡る。

「里東」「不玉」ともに「新年」(全)で既注。]

 

   寒夜や棚にこたゆる臼の音 探 志

 

「寒夜」は「サムキヨ」と讀むのであらう。鄰が搗屋でその臼の響がこたへるのだとすれば、小言幸兵衞そつくりだが、さう限定する必要は無い。臼はどこの臼で、何を搗くのでも構はぬ。たゞづしりづしりといふ響が棚にこたへて、棚の上に置いてあるものがその震動を感ずる。若しこれが「壁をへだつる臼の音」とでもあつたら、臼の所在は明になるけれども、句そのものの働きは單純になつて來る。臼の音を臼の音で終らしめず、棚にこたへる點に著眼したのがこの句の特色である。

 はじめて人を訪れた夜など、近く通る汽車の響を地震かと思ひ誤ることがある。住慣れた人は平氣で談笑を續けてゐても、はじめての者には汽車か地震かの判別がつかぬのである。この臼の音ははじめての驚きではない。棚の物が微に[やぶちゃん注:「かすかに」。]こたへるのを見て、又例の臼だなと合點する、稍〻慣れた心持が現れてゐる。それが冬の夜長の闃寂たる氣分と合致してゐるやうに思ふ。

 

   炒豆に鳩をなつけん雪の上 一 秀

 

 一面に降積つた雪の上に、鳩が飛んで來て何かあさつてゐる。彼等の食物も雪の爲に蔽はれてゐるので、手許にある炒豆でも雪の上に投げてやらう、さうして鳩を自分に馴付かせよう[やぶちゃん注:「なつかせよう」。]、といふのである。

 同じ雪の降積つた場合にしても、その上に米を撒いて、寄つて來る雀を捕らうといふのとは違ふ。餌の無い鳩を憐んで豆を投げ與へ、これを馴付けて自分の友にしようといふ、閑居徒然の人らしい趣が窺はれる。菓子の乏しい昔にあつては、炒豆なども座邊に置いてぽつぽつ食べる料の一であらう。その豆を與へるところに、「なつけん」といふ親しい心持がある。鳩に豆は極めて陳腐な取合[やぶちゃん注:「とりあはせ」。]のやうであるが、この句は決してさうではない。寧ろ實感によつてその取合を新に活かしたところがある。

 

   爐びらきや鏝でつきわる灰の石 孟 遠

 

 久しぶりに爐を開いて見ると、寂然たる灰の中に小石のやうに固まつたのが交つてゐる。それを鏝の先で突割つたといふだけのことである。

「灰の石」といふ言葉は、作者の造語らしく思はれる。說明的に云へば「石のやうな灰」であるが、それでは文字が多過ぎる。「石の灰」では石灰と混同せぬまでも、石が燒けて灰になつたやうに取られ易い。或は不十分かも知れぬが、この場合「灰の石」以上に適切な言葉は見當らぬのである。

「末若葉」に「爐びらきやまた形ある雹灰 夜錦」といふ句がある。「雹」は多分「アラレ」とでも讀むのであらう。霰のやうに小粒に固まつた灰の形容らしい。爐を開くに當つて灰に目を留めるのは、格別不思議もないが、灰の固まつたのを「灰の石」と云ひ「雹灰」と云ふのには若干の工夫を要する。精緻な觀察は古人に緣が無いやうに思ふ人は、此等の句を玩味しなければなるまい。

[やぶちゃん注:「末若葉」は「うらわかば」と読む。其角編で元禄一〇(一六九七)年刊。当該句は国立国会図書館デジタルコレクションの『俳人其角全集』第二巻(勝峯晋風編・昭和一〇(一九三五)年彰考館刊)のここで確認出来るが、そこでの表記は、

   *

 爐開やまだ形ある雹灰    夜 錦

   *

となっている。そもそも、岩波文庫版も「また」のままなのだが、この一句を読んだ際、私は、「また」に、激しく躓いた。私は、直感的に、『「爐開き」なのだから、去年の固まった小さな「霰」のような「灰」の塊りが「まだ」そこにあったと、クロース・アップした以外には、考えられない。』と、独り、呟いたのを思い出したのである。一応、他の所収表記を見てみたところ、原本は見られなかったが、検索結果によって、前記全集より以前の、昭和五(一九三〇)年十二月號茶道月報社発行の『茶道月報』に『まだ』の表記で載ることが判った。誰の記事かは判らないが、目次を見るに、一つ、有力なのは、佐々木三味氏の「茶の湯句解(九)」かとも思われる。宵曲が誤記した可能性は、まず、百%、これ、ない! 初版時の誤植(濁音落ち)と考えて間違いない。……九十一年も経って、誰も気づかなかったのだ! 宵曲が、哭くぜ!! これはもう、「岩波文庫さんよ、改版せずんばあらず!」だぜ!!!

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