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2024/07/01

「和漢三才圖會」植物部 卷第八十三 喬木類 槐

 

Enjyu

 

ゑんじゆ  櫰【音懷】

      【和名惠爾須】

【音回】

      槐黃中懷其

      美故三公位

      之倭三公者

      左大臣右大

      臣内大臣也

 

本綱槐虛星之精老槐生火生丹其神異如此槐之言歸

也古者聽訴於槐下使情歸實也其生也季春五日而兎

目十日而䑕耳二旬而葉成初生嫩芽可代茶其木堅重

有青黃白黑色四五月開黃花六七月結實其花未開時

狀如米粒其實作莢連珠中有黑子以子連多者爲好葉

細而青綠者伹謂之槐 葉大而黑者名櫰槐 晝合夜

開者名守宮槐 有數種而功用不言有別

實【苦寒】 肝經氣分藥也治證與桃仁同十月上巳日採

 槐子去皮納新甁中封口二七日初服一枚再服二枚

 日加一枚至十日又從一枚起而復始明目使髮不落

 延年益氣力【又有法】

槐花【苦平】以染黃色甚鮮又陽明厥陰血分藥治五痔一

 切血症凉大腸【未開時采收陳久者良入藥炒用】

枝葉【苦平】洗痔及陰囊下溼痒八月斷大枝俟生嫩蘖煮

 汁釀酒療大風痿痺甚効。

△按槐揷枝能生昜長有雌雄而雄者開花無子並其材

 堅實橒文美可以作噐盒古今醫統云人家庭院門逕

 宜栽之脩剪圓齋不數年長盛如蓋夏中綠陰可愛滿

 院清芬也

 

   *

 

ゑんじゆ  櫰【音「懷」。】

      【和名「惠爾須《ゑにす》」。】

【音「回《クワイ》」。】

      槐は、黃中《わうちゆう》に、其の

      美を懷《いだ》く。故(ゆゑ)、三公、

      之れ≪を≫位《くらゐ》にす。倭の三

      公は、「左大臣」・「右大臣」・「内大臣」

      なり。

 

「本綱」に曰はく、『槐《くわい》は虛星の精≪なり≫。老≪たる≫槐、火《くわ》を生じ、丹《たん》を生ず。其の神異、此くのごとし。「槐」の言(ことば)、「歸」なり。古-者(いにしへ)、槐の下に、訴へを聽く。情《じやう》をして實《じつ》に歸せしむなり。其の生《しやう》ずることや、季春五日にして、兎《うさぎ》の目《め》、十日にして、䑕《ねずみ》の耳、二旬[やぶちゃん注:二十日。]にして、葉、成る。初生、嫩《わか》なる芽(め)、茶に代《か》ふべし。其の木、堅≪く≫重≪くして≫、青・黃・白・黑色、有り。四、五月、黃花を開く。六、七月、實を結ぶ。其の花、未だ開かざる時、狀《かたち》、米粒のごとし。其の實、莢《さや》を作《な》し、連珠《れんしゆ》す。中に、黑≪き≫子≪たね≫、有り。子、連《つらな》り、多き者を以つて、好《よし》と爲《な》す。葉、細《さい》にして、青綠なる者、伹《ただ》、之れを、「槐」と謂ふ。葉、大にして黑き者を「櫰槐《くわいくわい》」と名づく。』≪と≫。 『≪葉を、≫晝《ひる》、合はし、夜、開く者を、「守宮槐《しゆきうくわい》」と名づく。』≪と≫。 『數種、有りて、功用、別《べつ》有ることを、言はず。』≪と≫。

『實【苦、寒。】 肝經氣分の藥なり。治證《ぢしやう》、「桃仁《たうにん》」と同じ。十月上巳《じやうし》の日[やぶちゃん注:陰暦十月の最初の巳の日。]、槐≪の≫子《み》を採り、皮を去り、新しき甁の中に納《い》れ、口を封ずること、二七日《ひたなぬか》[やぶちゃん注:十四日。]にして初服《しよふく》、一枚、再服、二枚、日(ひにひ)に[やぶちゃん注:訓点では踊り字「〱」に「ニ」を打つ。]、一枚、加≪へ≫、十日に至≪りて≫、又、一枚より起《おこし》て、復た、始《はじむ》る。目を明《あきらかに》し、髮をして落ちざらしむ。年《とし、》延び、氣力を益す【又、法、有り。】。』≪と≫。

『槐花【苦、平。】以つて、黃色を染め、甚だ鮮(あざや)かなり。又、陽明厥陰≪の≫血分の藥≪にして≫、五痔、一切≪の≫血症を治す。大腸を凉《すずやかに》す【未だ開かざる時、采收《さいしゆ》[やぶちゃん注:「採収」に同じ。]し、陳久《ちんきゆう》≪なる≫[やぶちゃん注:古くなった。]者、良し。藥に入≪るるには≫、炒《い》≪りて≫用ゆ。】。』≪と≫。

枝葉【苦、平。】痔、及び、陰囊の下、溼(しめ)り痒(かゆ)きを洗ふ。八月、大枝を斷(き)り、生《しやう》ずるを俟《まち》て、嫩-蘖(わかめ)[やぶちゃん注:「蘖」はこれで「ひこばえ」と訓ずる。樹木の切り株や根本から萌え出づる若い芽のことである。]を、汁に煮、酒に釀(つく)り、大風痿痺(たいふうゐひ)を療す。甚だ、効あり。

△按ずるに、槐、枝を揷して、能く生《しやう》じ、長《ちやう》じ昜《やす》し。雌雄、有りて、雄なる者、花を開かず、子《み》、無し。並≪びに≫、其の材、堅實にして、「橒文(もく《め》)」[やぶちゃん注:「木目」に同じ。]、美なり。以つて、噐《うつは》・盒[やぶちゃん注:この漢字は訓ずるなら、「ふたもの」(蓋附きの器)とも、「さら」(皿)とも読める。]を作るべし。「古今醫統」に云はく、『人家・庭院《ていゐん》[やぶちゃん注:「母屋の前にある庭」。]・門逕《もんけい》[やぶちゃん注:門から玄関に至るエントランス。]≪に≫、宜しく之れを栽うるべし。剪《きり》脩《をさめて》、圓《まどかなるやうに》齋《ひとしくす》[やぶちゃん注:以上の四字は、原本では、二字ずつを「-」で熟語として、一切の訓点はないが、そのまま音読みしたのでは、半可通にしかならないので、特異的に、一切、無視して上記のように勝手に訓じた。]。數年《すねん》ならざるに、長盛《ちやうせい》≪し≫、蓋(がい)[やぶちゃん注:「ふた」の意。]のごとし。夏≪の≫中《うち》、綠陰≪となりて≫、愛しつべし。滿院《まんゐん》、清芬《せいふん》なり。』≪と≫。

 

[やぶちゃん注:「槐」は、日中ともに、

双子葉植物綱バラ亜綱マメ目マメ科マメ亜科エンジュ属エンジュ Styphnolobium japonicum (シノニム: Sophora japonica L. (1767)

である。最初に言っておくと、学名の二つ(シノニムは御覧の通り、最初に、かのリンネが命名したものである)の種小名は孰れも「日本の」の意であるが、エンジュは中国原産である。当該ウィキを引く(注記号はカットした)。『中国原産。日本には古くに渡来し、花蕾や莢は生薬にして役立てられた』。『古くから台湾、日本、韓国などで植栽されている。日本へは』八『世紀』(飛鳥時代から奈良時代を経て平安初期相当)『には渡来していたとみられ、和名は古名えにすの転化したもの。別名でニガキとよばれることもある。中国植物名は槐』(中文音写「フゥアィ」)『または槐樹(かいじゅ)』(同前で「フゥアィシゥー」)『である。街路樹によく使われ、公園や学校などの庭木としても植えられる』。『マメ科の落葉高木で、樹高は』五~十五『メートル』『になる。成木の樹皮は暗灰白色で、細かく縦にはっきりと裂ける。若木の樹皮は濃緑色で、皮目がある。一年枝は暗緑色で、無毛または短毛がある』。『葉は奇数羽状複葉で互生し、小葉は』五~十『対あり、長さ』三~五『センチメートル』『の卵形で先端は尖り、全縁で、表面は緑色、裏面は緑白色で短毛があり』、『フェルトのようになっている。小葉は、対につくか、交互につくかは変異があるため、個体によりばらつきがある。よく似る植物にイヌエンジュ』(マメ科イヌエンジュ属イヌエンジュ Maackia amurensis )『があるが、イヌエンジュよりも葉は細身で、小葉の枚数は多い』。『花期は』七~八『月で、枝先の円錐花序に細かい白色の蝶形花を多数開き、蜂などの重要な蜜源植物となっている。花の咲き方は、ややまばらに咲く』。『果期は』十~十一『月。豆果の莢は長さ』五~八センチメートルで、『種子と種子の間が著しく、数珠のように大きく』、『くびれる。枝には豆果が残り、裂開せずに冬でもねばつく。種子はヒヨドリ等の果実食鳥により散布されるため、唐突に雑木として生えてくることもある』。『冬芽は葉柄内芽で、膨らんだ葉跡基部に隠れるように一部だけが露出しており、濃褐色の毛に覆われている』。『仮頂芽はあまり発達せず、測芽は互生する』。『また、シダレエンジュ(Styphnolobium japonicum var. pendulum、シノニム Sophora japonica var. pendula )という枝垂れる変種があり、公園などに植栽される』。『エンジュの幹は』黴(かび)の一種(担子菌門Basidiomycotaサビキン亜門Pucciniomycotina)である『さび病菌に寄生されると、こぶ状に膨らむ』。『街路樹として使われるほか、新芽は茶の代わりに、蕾と種子は染料になる。乾燥させた蕾や莢果は止血作用から伝統薬として使われる』。『日本をはじめ、中国や韓国でも街路樹として珍重されて』おり、『公園や庭園にも植えられている。韓国の世界遺産のひとつである昌徳宮には、大きなエンジュの木が植えられている。日本では中国での「縁起の良い木」とされるゆえんから、庭木として鬼門の方角や玄関先に植えることがある』。『花を乾燥させたものは、槐花(かいか)、蕾を乾燥させたものが槐花米(かいかべい)または槐米(かいべい)という生薬で、止血作用がある。莢を乾燥して生薬にしたものは槐角(かいかく)と称し、止血剤や高血圧に用いられる。花、蕾は』六~八『月、果実は』八~九『月に採集して天日乾燥して調製される』。『エンジュに含まれるルチンはサプリメントとして利用されている。抽出されたトロキセルチンは静脈瘤などの静脈疾患用医薬品として海外で利用されることがある』。『花・蕾にはルチンを多く含有する。他に、ゲニスタチンと』、『その配糖体のゲニステイン、ケンフェロール、ソフォリコシド(Sophoricoside)などが検出されている。アルカロイドのシチシンを含む』。『民間療法では、痔や目の充血に』、『花、蕾、果実を乾燥させたものを』、『水で煎じて』、『服用する用法が知られる。熱をとって止血する薬草として知られ、出血が主なときは花や蕾がよく、腫れが主なときは果実がよいといわれている』。『木質は堅硬で、中国では馬車や荷車、造船にも用いられる重要な木材であった。日本では釿(ちょうな)の柄として用いられる』。但し、『現在「エンジュ」の名で床柱などの美観材として流通しているのは別種のイヌエンジュで、本来のエンジュの方はこの面では』殆んど『顧みられていない』。『中国では、かつて朝廷の庭にエンジュが植えられていたことから、エンジュを品格の高い木として、また「出世の木」として大切にしており、「末は大臣に」と親は子に期待して、三公の位を「槐位」と称した。日本では、鎌倉時代前期の鎌倉幕府第』三『代征夷大将軍である源実朝の』「金槐和歌集」という書名は、『実朝が右大臣の位にあったので「槐」の字を用い、さらに鎌倉の金偏をとって「金槐」としている』。何ども述べているが、中国では、神聖にして霊の宿る木として、志怪小説にも、よく出る。なお、ネットを調べていると、エンジュの異名を、我々がよく知っている「ニセアカシア」とする記載を見かけたが、これは、とんでもない誤用である。「ニセアカシア」とは、北アメリカ原産のマメ亜科ハリエンジュ属ハリエンジュ Robinia pseudoacacia の異名であるので、注意されたい。

 良安の「本草綱目」のパッチワーク引用は、「卷三十五上」の「木之二」「喬木類」(「漢籍リポジトリ」)の「槐」(ガイド・ナンバー[085-34a]以下)からである。全体はかなり長い。

『和名「惠爾須《ゑにす》」』「ゑにす」は「槐子」或いは「槐樹」が和語化したものとされているようである。

「槐は、黃中《わうちゆう》に、其の美を懷《いだ》く」エンジュの白色の蝶形花の中央がぼうっと黄色を帯びるのを指していよう。

「三公、之れ≪を≫位《くらゐ》にす」東洋文庫の後注に、『周の時代、朝廷の庭に三本の槐を植え、そこを三公(太師・太傅(ふ)・太保)のつく位置とした』とある。

「虛星の精」虚宿(きょしゅく/とみてぼし)。二十八宿の一つ。北方玄武七宿の第四宿で距星(それぞれの星宿の中で、西端に位置する比較的明るい星)は「みずがめ座β星」。ウィキの「虚宿」を見られたい。それと一緒に、国立国会図書館デジタルコレクションの中近堂版「和漢三才圖會」の卷第二 天部」の「虛」を読めば、概ね、如何なる対象を支配するかは、判明する。私は今では、天文には殆んど興味を持っていないので、それを電子化する可能性は、零に近い。

「老≪たる≫槐、火《くわ》を生じ、丹《たん》を生ず」この「火」を五行の「火」(の象徴表現)かと思って、ネット検索しているうちに、「桜美林大学学術機関リポジトリ」内の寺井泰明氏の論文「槐の文化と語源」(『桜美林論考 人文研究』巻七・二〇一六年三月発行・PDF)を発見した。非常に素晴らしい内容であるから、エンジュ好き(私はそうである)の方は是非ともお薦めである。そこに、『虚宿には虚星や司命など多くの星官があり、その虚星が動揺すれば死喪哭泣があるとされる』。『これは槐の持つ陰の気に通じる』。『槐の神秘性は、原始以来の火との関係や樹陰の醸す雰囲気、或いはその生長力に始まり、薬効や各種の民間伝承が加わって、長い時間をかけて様々な信仰へと発展してきたことが分かる』とされ、「本草綱目」から、まさに良安が引いた箇所(以下は「漢籍リポジトリ」のものを使用した)、

   *

周禮秋取槐檀之火淮南子老槐生火天𤣥主物簿云老槐生丹槐之神異如此藏器曰子上房七月收之堪染皂

   *

を引かれ、『こうした神秘の雰囲気は小説、説話や様々な故事となって人口に膾炙し、今日に伝わる』と書かれた後、私の大好きな中唐末の李公佐の夢の中で槐安國に至る唐代伝奇「南柯記」を紹介されておられる。さらに、『槐の老木・大木が作る樹陰は民を育む天の賜物、あるいは“天” そのものであった』。『それが天命を受けた“天子” に置き替えられれば』、『為政者の政治姿勢を象徴し、延いては宮殿・宮苑の重要樹ともなる。一方、民間にあっては、樹陰の持つ神秘性や火との関係が冥界との関係を想起させ、神異譚とな』ったとされる。而して、実は、以上の前の部分で、この「老槐」の「火」について、言及されておられるのである。

   《引用開始》[やぶちゃん注:注記号は省略した。]

 そもそも、槐材は乾燥すると発火しやすいという性質があるらしい。『淮南子』氾論訓に、次のような一節がある。―雌雄陰陽が接して鳥が雛を産み、獣が子を生じても、人は怪しまない。水に蛖蜄(大きな貝)、山に金玉が生じても、どちらも貴重品ではあるが、人は怪しまない。老槐が火を生じ、死体の血が鬼火を放っても、どちらも不気味な怪異現象であるが、やはり人は怪しまない。しかし、木に畢方(木の精)が生じ井戸に墳羊(土の精)が現れると人はこれを怪しむ。なぜなら、それらについて見聞することが少なく知識が浅いためである。――

 この論の展開からすれば、老槐が火を生じることは、日常茶飯事ではないにしても、それほど驚き怪しむほどのことではない。それは、死体が鬼火を発するのと同程度に起こり得ることであった。槐も「老槐」であれば乾燥が進んでいて、強風による揺れや摩擦などで発火しやすかったのかも知れないし、大木は落雷を受けやすかったのかも知れない。ともかく、槐が火を生ずることはそれほど珍しいことではなかった。それで、冬の「改火」にも用いられたのであろう。ただ、ここで老槐の生ずる火が死体の燐火と並べて挙げられているところを見ると、槐火に怪異を感じたり、或いは敬畏の念を抱いたりすることがあったのかも知れない。『荘子』にも、陰陽の気が錯行して雷電が生じ、雨中の火が大槐を焼くことが人生の比喩として記されているが、なぜ槐が比喩となるのか。槐は大樹となり、雷が落ちやすいというだけなのか。思うに、雷が落ちるとは神が降臨することである。槐と天(神)との特別の関係が背景にあるようにも思われる。槐は「改火」の儀式に用いられる以前から、信仰の対象であった可能性は高い。そもそも火を起こす木であるということは、人間にとって既に十分に神秘的であり、畏敬の対象となって良いが、或いは、因果の順序が逆で、燃えやすいという理由以外の、何か別の理由から神聖視され、そのために「改火」に用いられるようになったのかも知れない。いずれにせよ、遅くも『論語』や『周礼』の舞台となる社会にあって、槐は既に神聖視されていたと思われる。

   《引用終了》

されば――実際に老いた槐が燃える――のである!――而して――霊木が燃えれば、そこには「鍊丹」が起こるのではないか?! 仙道術で用いる不老不死の仙薬である「丹」が得られるということだ、と、私には思われるのである。だからこそ、直後に「其の神異、此くのごとし」と続くことが、すこぶる納得されるのである。

『「槐」の言(ことば)、「歸」なり』同前の寺井氏の論文には、「6.字形・字音・語源」があり、そこには六つの説が纏められており、「 槐=帰」が以下のように記されてある。

   《引用開始》[やぶちゃん注:注記号は省略した。]

 『春秋元命苞』に「樹槐 聴訟其下」とあり、注に「槐之言 帰也 情見帰実也」とあることは既に述べたが、この考え方は『太平御覧』や『本草綱目』などにも引用され、広く受容された。

 槐は『説文』に言うとおり鬼声であり、鬼は同じ『説文』に「所帰」とあるから、槐を「帰」で説明する声訓も成り立つ可能性はある。しかし、それは「鬼」が人の死後に帰する所としてあったからで、情の帰する所といった意味を持っていたわけではない。いにしえ槐樹の下で民の訴えに耳を傾けたとするのは政治の理想の実践であり、現実にもあって良いことである。ただ、それが槐樹の下であるのは、情を実に帰せしめるためであったとの理由付けは如何にも観念的で、儒家思想が形成されてからの付会に見える。『五雑組』や『本草綱目』も、この〈槐=帰〉の説は〈槐=鬼〉や〈槐=懐〉の説の後に並べて示すのみで、語源説として全面的に支持しているとは思えない。

   《引用終了》

と寺井氏の評価は低い。確かに、如何にも話が合い過ぎていて、逆に信じ難いと言える。

「古-者(いにしへ)、槐の下に、訴へを聽く。情《じやう》をして實《じつ》に歸せしむなり。」東洋文庫の後注に、『『春秋元命苞』に、「樹ㇾ槐聴訟其下」とあり、注に、「槐之言歸也、情見歸ㇾ実也」とある。』とあった。「春秋元命苞」(しゅうんじゅうげんめいほう)は前漢末から後漢初期にかけて書かれた緯書(いしょ:漢代に儒家の経書を神秘主義的に解釈した書物群)の一つである魏と漢の学者によって注釈された「春秋魏」(「魏書」)の一つ。宋代に書かれた。作者不詳。

「季春」晩春で、旧暦の三月に相当する。

「櫰槐《くわいくわい》」同前の寺井氏の論文の「6.字形・字音・語源」には「⑶ 槐=懐」があり、以下のように記されてある。

   《引用開始》[やぶちゃん注:注記号は省略した。]

 槐の語義あるいは語源を「懐」で説明するのは『周礼』鄭注以来のことであった。ただ、その「懐」の捉え方は一つではない。無論、鄭注の「槐之言懐也 懐来人於此 欲與之謀」という文言をそのまま捉えて、人(民衆)に慕い集まらせて倶に語らう機運を醸す木とする解釈が代表である。但しこの解釈は、槐が何故に人を惹きつけるのか、魅力の原点は何かといった〈槐=懐〉説の根本問題を明確にはしていない。召伯の故事から樹陰の魅力を想起することは可能であるが、召伯の政治姿勢から槐に魅力が生じたとするのでは、語源説としては成り立たない。なぜなら、政治倫理や政治姿勢が問われるようになるのは文明が相当に開けてからのことで、文字も出来ていない原始にあって、懐と言わしめた根拠とはなり得ないからである。この意味では、王安石の「中に其の美を懐く」として臣下の政治倫理を象徴するという解釈も、語源説としては失格である。

 このように、「懐」を槐の語源とするには、槐の何が人を「懐」けるのかが改めて問題となる。本稿冒頭に記した槐の一種「櫰」について、「櫰」にはそもそも懐(念思)の義があり、壊・敗にも通じるから黒みを帯びた槐を「櫰」と称するという説がある。槐(櫰)は黒い(或いは暗い)から壊であり懐であるという解釈である。即ち、樹陰の魅力が人を懐けるのである。この説の妥当性は分からないが、ただ、槐陰の懐かしさ、樹陰が人を惹きつけるということは、大陸の厳しい自然を生きる人々を顧慮した時、分かりやすい。召伯がなぜ樹陰に宿ったことを考え合わせると、槐の魅力が浮かび上がるように思われる。

   《引用終了》

前に言った私の疑惑を別な言い方にするならば、先の説や、この説には、所謂、辛気臭い「載道」説に拠っており、訓詁学的な意味に於けるリアルな「言志」的なものが感じられないのである。

「守宮槐《しゆきうくわい》」調べたところ、既に古く「和名類聚抄」の「巻二十」の「草木部第三十二」の「木類第二百四十八」に以下のように載るのを見出した。国立国会図書館デジタルコレクションの寛文七(一六六七)年板本のここを視認して訓読した。

   *

槐(ゑにす) 「爾雅集注《じがしつちう》」に云はく、『葉、小にして、青きを、「槐」【音「廻」。和名「惠爾須」。】と曰ふ。葉、大にして黑きを「櫰《くわい》」【音、「懐」。一音、「瓌」。】と曰ふ。葉、晝《ひ》るは、合《あは》し、夜は、開く。之れを「守宮槐」謂ふ。』と。

   *

思うに、この「守宮」は百%「ヤモリ」のことである。私の家には、実に三十年以上の長きに同居する数代に上るヤモリの一族がいる。ほぼ、二、三日に一度は、夜、或いは、未明、トイレの窓に姿を見せる。この名は、昼は閉じてじっといて、夜になると、むくむくと広げる槐の葉を、まさしくヤモリの習性にミミクリーした謂いである。「維基百科」の「槐」には異名に「家槐」がある。これは、明らかに、「家」を「槐」の「木靈」が「守」ることを意味していると考えるものである。

「肝經」東洋文庫の後注に、『身体をめぐる十二経脈の一つ。足の厥陰肝経。足の拇指からはじまり、大腿内部をのぼって陰部へ入る。ついで下腹部を通り肝に入り、胆から側胸部に分布し、気管喉頭から眼球に達し頭頂に出る。支脈は眼球から頰・肩をめぐる。もう一つは肝から肺に入り、ついで胃のあたりまで下がる』とある。

「桃仁《たうにん》」言わずもがな、桃の実の核(たね)。生薬として知られ、主として血液の停滞・下腹部の膨満して痛むものを治すとされる。

「陽明厥陰≪の≫血分の藥」東洋文庫の後注に、『十二経脈のうち手の陽明大腸経、足の陽明胃経。手の厥陰心包経、足の厥陰肝経。それぞれの血の変調に係わる病症の薬』とある。

「五痔」東洋文庫の「丁子」の割注に、『内痔の脈痔・腸痔・血痔、外痔の牡痔・牝痔をあわせて五痔という』とあったが、これらの各個の症状を解説した漢方サイトを探したが、見当たらない。一説に「切(きれ)痔・疣(いぼ)痔・鶏冠(とさか)痔(張り疣痔)・蓮(はす)痔(痔瘻(じろう))・脱痔」とするが、どうもこれは近代の話っぽい。中文の中医学の記載では、「牡痔・牝痔・脉痔・腸痔・血痔」を挙げる。それぞれ想像だが、「牡痔・牝痔」は「外痔核」・「内痔核」でよかろうか。「脉痔」が判らないが、脈打つようにズキズキするの意ととれば、内痔核の一種で、脱出した痔核が戻らなくなり、血栓が発生して大きく腫れ上がって激しい痛みを伴う「嵌頓(かんとん)痔核」、又は、肛門の周囲に血栓が生じて激しい痛みを伴う「血栓性外痔核」かも知れぬ。「腸痔」は穿孔が起こる「痔瘻」と見てよく、「血痔」は「裂肛」(切れ痔)でよかろう。

「大風痿痺(たいふうゐひ)」東洋文庫の割注に、『(風邪がひどく』、『手足がなえ』、『しびれる症)』とある。

「剪《きり》脩《をさめて》、圓《まどかなるやうに》齋《ひとしくす》」割注した通りだが、因みに、東洋文庫訳では、『きれいに円く剪(き)りととのえる』とある。

「滿院《まんゐん》、清芬《せいふん》なり」東洋文庫訳では、『庭一杯に清らかな香りが満ちる』とある。]

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