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2024/06/29

「善惡報はなし」正規表現オリジナル注 卷三 㐧二 無益の殺生の事幷㚑來りて敵を取事

[やぶちゃん注:底本・凡例等は初回を参照されたい。標題「㚑(れう)」の読みはママ。]

 

 㐧二 無益(むやく)の殺生の事靈(れう)來りて敵(かたき)を取(とる)事

○慶安年中、春の比、「さが」の邊(へん)に、さる牢人、あり。

 下人、とりにげしけれども、少分《しやうぶん》の事なるがゆへ[やぶちゃん注:ママ。]、尋(たづぬ)る事もなく、其のぶんにて、うち過ぎぬ。

[やぶちゃん注:「慶安年中」一六四八年~一六五二年。徳川家光・家綱の治世。

「牢人」浪人に同じ。岩波文庫の高田氏の脚注に、『主を持たぬ武士。中には私領を持つ土豪もいた』とある。

「さが」京都の嵯峨野。現在の京都府京都市右京区の、この附近(グーグル・マップ・データ)。

「とりにげ」同じく高田氏のそれに、『何らかの物を無断で持ちさること』とある。

「少分]同前で、『些細なこと。「小部分、またはわずかな物」(『日葡辞書』)』とある。]

 一兩年[やぶちゃん注:一、二年。]ほども過ぎて、「とうじ」に居(ゐ)けるよし、「さが」へ聞え、やがて、家老の心得にて、

「かさねての爲もあり。」

とて、からめ取りて來り、主人へ、此のよし、うつたへければ、主人のいはく、

「よしよし。少分の事也。其上、年數(ねんす)へし事なれば、はなちやるべし。」

と仰せらるるを、家老、

『わたくしに、殺さん。』

とや、思ひけん、二、三日も、からめをき[やぶちゃん注:ママ。]て、ひそかに、かくして、害(がい)しけり。

[やぶちゃん注:「とうじ」「東寺」。ここ(グーグル・マップ・データ)。]

高田氏脚注に、『京都市の南部にある真言宗の大寺院。犯罪者が逃げ込めば俗権力の手はおよばないのが普通であった。』とあった。

「かさねての爲もあり」同前で、『今後のこともあり、みせしめに、の意。』とあった。されば、家老は忖度をし、彼の言を、そのままには受け取らず、『お前の判断で如何ようにも処分致せ。私は関知せぬぞ。』という含みとして受け取ったのである。]

 此もの、さいご[やぶちゃん注:「最期」。]に申《まうす》やう、

「さてさて、うらめしや。上(かみ)よりは、御じひ、ましましてたすけ給ふに、なんぞや、家老の、わたくしにころし給ふ事、いはれなし。ぜひ、我、三日の内にはをんれう[やぶちゃん注:ママ。「怨靈(をんりやう)」。]となつて來り、おもひしらせん物を。」

とをどりあがり、

「あら、口おしや[やぶちゃん注:ママ。]。」

と、いひ、齒をならし、ねぢかへり[やぶちゃん注:怒りに、体をはげしく捩じ曲げて。]、

「はた」

と、睨みしまなこ、さながら、すさまじくおぼえけり。

[やぶちゃん注:家老は、忖度であることをおくびにも出さず、あくまで「御君は、許してやれと仰せになった。しかし、それでは、示しがつかぬ。おのれの処断として、不届き千万なれば、お前を殺すのだ。」と言い放ったことが判る。]

 うたれて後《のり》、其《その》にらみしまなこ、家老の、おもかげに立《たち》、起おきふに見えて、すさまじき事、かぎりなし。

 ある時は、そら[やぶちゃん注:「上」の意。]を見れば、天井にうつりてみへ[やぶちゃん注:ママ。以下同じ。]、したには、「たゝみ」にあるやうにみへ、まどろめば、夢中(むちう)に來りて、せめけり。

 としても、かくしても[やぶちゃん注:高田氏脚注に『どんな事をしても』と注する。]此《この》おもかげの、はなれざれば、或は、みこ・かんなぎをめして、さまざま、きたうなどしけれども、其《その》しるし、なし。

 ほどなく、やみつき、うつゝにも、

「あれ、あれ、見よ、又、來《きた》れり。」

などゝ、いひては、其まま、をどり出《いづ》る事、三十日ばかり、なやみ、つゐに[やぶちゃん注:ママ。]、狂死(くるひじ)に、しけり。

「一たび、上(かみ)より、情(なさけ)ありて、たすかりけるを、をのれ[やぶちゃん注:ママ。]が、わたくしをもつて、殺す事は、何事ぞや。にくしと思ふ一念、來りて、とりころしける。はやくも、むくひのきたる物かな。」

と、人、口々(くちぐち)に申《まうし》あへり。

[やぶちゃん注:さて。真相はどちらであったか、これは、断定出来ない。字面上だけを見るなら、この「牢人」である主君は、あっさりしており、僅かな横領であったから、実際に、許してやれ、と言ったようには、確かに、見える。事実、下人の怨霊の恨みは、主君に向いては、全く発動していない。しかし、翻って、家老の死罪執行の後の重い精神障害と狂死を考えると、実は、この主人を家老は、長年、相応に捩じれた精神の持ち主と考えており、常に、『その言葉の裏の裏まで見通さぬと、いけない、いや、自分もどうなるか判らないという点でも、危ない。』と思い込んで来た、いや、事実、主人は、そうした異常性格者であった可能性も否定出来ないからである。寧ろ、斟酌と忖度の結果として、狂死した、家老こそが、フラットに考えた際、最も哀れであるように、私には感じられるのである。

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