柴田宵曲「古句を觀る」正規表現版電子化注 / 「冬」(10)
凩の殘りや松に松のかぜ 十 丈
一日吹きまくつた木枯が、夕方になつて漸く衰へたやうな場合かと思はれる。大分凪いでは來たが、まだ全く吹き止んだわけではない。その名殘の風が松の梢を吹いて、所謂松風らしい音を立てゝゐる。松を吹く風なら何時でも松風であるに相違ないやうなものゝ、木枯の吹き荒む[やぶちゃん注:「すさむ」。]最中では、これを松風と稱しにくい。吹き衰ふるに及んで、はじめて松風らしいものを感じ得るのである。
北原白秋氏の「雀の卵」に「この山はたゞさうさうと音すなり松に松の風椎に椎の風」といふ歌があつた。ひとり松と椎ばかりではない、吹かるゝものの相異によつて、風の音も自ら異つて來る。それを聞き分けるのが詩人の感覺である。同じ松を吹く風であつても、そこに差別があるなどといふことは、理窟の世界では通用しないかも知れぬが、吾人情感の世界では立派に成立する。風と云へば直に風速何十メートルで計算するものと考へるのは、科學者の天地で吾々の與る[やぶちゃん注:「あづかる」。]ところではない。
[やぶちゃん注:白秋の「雀の卵」は大正三(一九一四)年夏から同六年に至る小笠原・麻布・葛飾での生活で得た歌集(長歌を含む)と詩二篇からなる作品集で、大正十年八月アルス刊。「白木蓮花(はくもくれんくわ)」の中の一首。「夕」という前書で、三首あるものの第一首。三首を並べて示す。国立国会図書館デジタルコレクションの原本の当該部で表記を確認した。
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この山はたゞさうさうと音すなり松に松の風椎に椎の風
松風の下(した)吹く椎のこもり風なほし幽(かす)かなり雨もかもかかる
雜木(ざうき)の風ややにしづもれば松風のこゑいやさらに澄みぬ眞間の弘法寺
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二首目の「し」は、強意の副助詞で、「かも」は係助詞の結合したもので、疑問の意。「眞間の弘法寺」の「弘法寺」は「ぐはふじ」と読み、千葉県市川市真間にある日蓮宗の由緒寺院である本山真間山弘法寺(グーグル・マップ・データ。以下同じ)。かの寺の守護神は、かの悲恋の少女「真間の手児奈」で、同寺門前に「真間の井」があり、その東直近に「手兒奈靈神」として手児奈霊神堂がある。大学一年の時、高校時代、古典を教えて下さった蟹谷徹先生に手児奈の井戸の写真を見せたく、市川に住む友人の案内で訪れたことがある。]
摺小木の細工もはてず冬籠 蘆 文
冬籠の徒然に任せて摺粉木の細工を思ひ立つた。無論自家用か何かの手輕なものであらう。素人の手に合ふものだけに、わけもないつもりで著手したが、なかなか出來上らない。今日も削り、明日も削り、摺粉木一本が容易に完成せぬ狀態を詠んだものと思はれる。
普通の内職などでは面白くない。冬籠中にふと思ひついた摺粉木細工で、それが思つたほど捗らず、冬籠の日々を消す、といふところにこの句の妙味がある。摺粉木の細工も長ければ、冬籠の月日も長いのである。
蟲の音も枯て麥ほる烏かな 沙 明
野に鳴く蟲の聲といふものは、夏の末から冬の初に亙る。夜は全く聲がしなくなつてからでも、日當りのいゝところでは、生殘りの蟲が幽に聲を立てることがある。この句はさういふ蟲の聲さへなくなつた冬枯の野で、百姓が折角蒔いた麥を烏が掘りに來る、といふ意味らしい。
蟲の聲さへ枯れ果てゝ、といふやうなことは歌の方にもありさうな氣がする。たゞ冬枯の畑に烏が下りて麥を掘るといふよりも、蟲の聲も全く聞えなくなつたといふ事實のある方が、時間的な推移を窺ひ得る效果がある。すぐれた句といふわけではないけれども、蕭條たる冬野の空氣を描き得た點において、やはり棄てがたいやうに思ふ。
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