「和漢三才圖會」植物部 卷第八十三 喬木類 𣾰
うるし 桼【本字】
【和名宇留之】
𣾰
𩮥物色潤美
之畧也
ツイツ 木蠟【𣾰子也】
本綱𣾰木髙二三𠀋其身如柹其葉如椿皮白花似槐其
子似牛李子木心黃也春分前移栽則易成有利六七月
以竹筒釘入木中取滴汁則成𣾰其汁可以𩮥物金州者
爲佳以物亂之試之微扇光如鏡懸𮈔急似鈎撼成琥珀
色打着有浮漚凡𣾰物難乾得陰濕雖寒月亦乾昜
一種有黃𣾰 出於廣浙中樹似小榎而大六月取汁其
𣾰物黃澤如金凡入藥當用黑乾𣾰【半夏爲之使畏雞子忌油】
乾𣾰【辛温有毒】 殺蟲行血破日久凝結之瘀血【須炒熟不爾損人腸胃】
治喉痺欲絕不可針藥者【乾𣾰燒烟以筒吸之】
漆得蟹而成水蟹見𣾰而不乾葢物性相制也
凡畏𣾰者嚼蜀椒塗口鼻則可免 生𣾰瘡者杉木
湯紫蘓湯𣾰姑草湯蟹湯浴之皆良
夫木紅のをのが身に似ぬ𣾰の木ぬると時雨に何かはるらん爲家
[やぶちゃん注:「をのが」はママ。訓読では、訂した。]
△按𣾰樹陸奧出羽下野𠙚𠙚關東之產稱世之女𣾰爲
最上日向米良之產次之眞黑塗及小細工家可用之
和州吉野𣾰者朱及䵮朱必可用中國西國北國皆有
之而越前之産最下凡入藥可用唐乾𣾰𩮥物唐𣾰不
佳也凡木噐磁噐破者以𣾰接繼之則不可離如欲復
離之者蕎麥稈灰汁中投漬其噐則可離
一種波世𣾰【正字未詳】 樹葉似𣾰而瘦小莖赤生山中其木
𣾰不堪用子亦爲蠟不佳
大明一統志云朝鮮亦有黃𣾰樹似棕六月取汁𣾰物
如金本朝黃𣾰未曾有伹以藤黃和𣾰塗則爲黃而已
𣾰子 本草唯謂治下血本朝人採未熟者搾爲木蠟
作蠟燭再晒煉爲髮油【如膏藥而名伽羅油】其木蠟出於諸國備
前爲上會津次之凡搔𣾰樹不結子故収子者不取𣾰
*
うるし 桼《しつ》【本字。】
【和名「宇留之」。】
𣾰
「物を𩮥(ぬ)りて、色、
潤-美(うるは)し。」
の畧なり。
ツイツ 木蠟(きらふ)【𣾰の子《み》なり。】
「本綱」に曰はく、『𣾰《うるし》≪の≫木、髙さ、二、三𠀋。其の身、柹《かき》のごとく、其の葉、椿《ちん》の皮のごとし。白き花、槐《えんじゆ》に似、其の子《み》、「牛李《ぎうり》」の子に似≪る≫。木≪の≫心、黃なり。春分の前に、移し栽《うう》る時は[やぶちゃん注:「時」は送り仮名にある。]、則ち、成り易き利、有り。六、七月に竹の筒を以つて、木の中に釘《くぎ》≪の如く打ち≫入れ、滴《した》たる汁を取る。則ち、𣾰と成る。其の汁、以つて、物を𩮥《ぬり》するべし。金州の者、佳《よ》しと爲《なす》≪も、僞≫物を以つて、之れを亂す。之れを試るに、微《やや》、扇《あふ》≪れば≫、光《ひかり》、鏡のごとく、𮈔《いと》を懸≪くれば≫、急≪に≫、鈎《かぎ》に似る。撼《ゆら》≪げば≫、琥珀色と成る。打≪ち≫着《つけ》て、浮≪ける≫漚《あは》、有り。凡そ、物を𣾰《ぬ》りて、乾き難≪けれども≫、陰濕を得《え》ば、寒月と雖も、亦、乾き昜《やす》し。』≪と≫。
『一種、「黃𣾰《きうるし》」、有り。』≪と≫。 『廣・浙の中《うち》より出づ。樹、小≪さき≫榎《か》[やぶちゃん注:後述するが、決して「えのき」と読んではいけない。]に似て、大なり。六月に汁を取る。其れ、物に𣾰《ぬ》るに、黃≪に≫澤《うるほ》ひて、金のごとし。凡そ、藥に入《いる》るに、當(まさ)に黑く乾《ほし》たる𣾰を用ふべし。【「半夏《はんげ》」、之れの使《し》と爲《な》す。雞子《にはとりのたまご》を畏れ、油を忌む。】。』≪と≫。
『乾𣾰(かんしつ)【辛、温。毒、有り。】 蟲を殺し、血を行《めぐ》らす。日≪の≫久しき凝結の瘀血《おけつ》を破る【須らく、炒熟《いりじゆく》べし。爾《し》からざれば、人の腸胃を損ず。】』≪と≫。
『喉《のど》≪の≫痺《しびれ》、絕えんと欲して、針・藥すべからざる者≪を≫治す【乾𣾰を燒き、≪其の≫烟《けぶり》を、筒を以つて、之れを吸ふ。】。』≪と≫。
『漆、蟹《かに》を得て、水と成る。蟹は𣾰を見て、乾《かは》かず。葢し、物性、相《あひ》、制すなり。』≪と≫。
『凡そ、𣾰を畏《おそれ》る者、蜀椒《しよくしやう》を嚼(かん)で、口・鼻に塗るには、則ち、免《まぬか》る。』≪と≫。『𣾰瘡《うるしかぶれ》を生ずる者、「杉木湯《さんぼくたう》」・「紫蘓湯《しそたう》」・「𣾰姑草湯《しつこさうたう》」・「蟹湯《けいたう》」にて、之れを浴(あ)びれば、皆、良《りやう》なり。』≪と≫。
「夫木」
紅(くれなゐ)の
おのが身に似ぬ
𣾰の木
ぬると時雨(しぐれ)に
何かはるらん 爲家
△按ずるに、𣾰の樹、陸奧・出羽・下野、𠙚𠙚《ところどころ》、關東の產、「世之女𣾰(せしめ《うるし》)」と稱す《→して》、最上と爲す。日向の米良(めら)の產、之れに次ぐ。眞黑塗(しん《くろぬり》)、及び、小細工家(《こざいく》や)、之れを、用ふべし。和州吉野の𣾰は、朱、及び、䵮朱(うるみ《しゆ》)、必ず、用ふべし。中國・西國・北國、皆、之れ、有≪といへども≫、越前の産、最も下《げ》なり。凡そ、藥に入《いる》るには、唐(もろこし)の乾𣾰(かんしつ)を用ふべし。物を𩮥(ぬ)るには、唐𣾰《たうしつ》、佳《か》ならざるなり。凡そ、木噐・磁噐、破(わ)れたる者、𣾰を以つて、之れを接-繼(つぎつ)ぐ。則ち、離《はな》るべからず。如《も》し、復《また》、之れを離たんと欲する者≪は≫、蕎-麥-稈(そばがら)の灰-汁(あく)の中へ、其の噐《うつは》を投≪じ≫漬《つけ》れば、則ち、離るべし。
一種、「波世𣾰《はぜうるし》」【正字、未だ詳かならず。】 樹・葉、𣾰に似て、瘦≪せて≫、小《ちさ》く、莖、赤≪し≫。山中に生ず。其の木の𣾰、用《もちひ》るに堪へず。子(み)も亦、蠟に爲《なし》て《→なすと雖も》、佳《か》ならず。
「大明一統志」に云はく、『朝鮮にも、亦、「黃𣾰≪の≫樹」、有り。棕(しゆろ)に似、六月、汁を取りて、物に𣾰《ぬ》る。金のごとし。』と云《いへ》り[やぶちゃん注:「云」は送り仮名にある。]。本朝に、「黃𣾰」、未だ曾《かつ》て、有らず。伹し、「藤黃(きわう)」を以つて、𣾰に和(ま)ぜて、塗《ぬる》は、則ち、黃《き》と爲《な》すのみ。
𣾰の子(み) 「本草」[やぶちゃん注:「本草綱目」。]、唯《ただ》、『下血を治す。』と謂ふのみ。本朝の人、未だ熟せざる者を採りて、搾(しぼ)りて木蠟に爲《なし》、蠟燭に作る。再たび、晒煉《さらしね》りて、髮の油と爲す【膏藥のごときにして、「伽羅《きやら》の油」と名づく。】。其の木蠟、諸國より出づ。備前を上と爲す。會津、之れに次ぐ。凡そ、𣾰を搔《かき》たる樹、子《み》を結ばず。故《ゆゑ》、子を収《をさむ》る者は、𣾰を取らず。
[やぶちゃん注:「𣾰」(=漆)は、日中ともに、タイプ種は、
ムクロジ目ウルシ科ウルシ属ウルシ Toxicodendron vernicifluum
である(学名を音写すると「トクシコデンドロン・ヴァーニシフルウム」である)。私は、四十代後半に、伊豆高原を散策中、葉に一瞬触れただけで、翌日、突如、かぶれた。結果して、類似物質を持つ、大好物であったマンゴーも、キウイも、食せなくなった関係上、恨み骨髄である。当該ウィキを引く。『和名の由来は、紅葉する葉の美しさから「うるわしの木」と言ったのがウルシになったという説がある』。中文名の樹名は「漆樹」である(中文当該ウィキをリンクさせたが、思いの外、極めて記載が少ない)。『樹高』は三~十メートル 『以上になり、太さは樹齢が高いもので直径』一メートル『以上にもなる』。『雌雄異株。樹皮は灰白色』。『葉は奇数羽状複葉で、卵形か楕円形の小葉は』三~九『対からなり、秋には紅葉する』。『花は』六月頃で、『葉腋に黄緑色の小花を『多数』、『総状につける』。『果実はゆがんだ扁平の核果で』十月頃、『成熟して黄褐色となる。近似種のヤマウルシ』(ヤマウルシ Toxicodendron trichocarpum :種小名音写「トリコカルプム」)『と比較して果実に毛が無い』。『アジアが原産。中国・朝鮮・日本で漆を採取するため』、『古くから広く栽培されていた。特に渓谷沿いなど』、『比較的湿潤な環境に植栽されることが多く、野生化した個体も見られる』。『日本には中国経由で渡来したという説がある』。『しかし、中国より古い時代の漆器が日本の縄文時代の遺跡から発掘されており、また』、『自然木と考えられるウルシも縄文時代より日本各地で出土していることから』。『中国から持ち込まれたのではなく、日本国内に元々自生していた可能性も考えられる。また、採取法の違いなどから、日本の漆器を独自のものとする説もある』。一九八四『年に福井県若狭町の鳥浜貝塚で出土した木片を』、二〇一一『年に東北大学が調査したところ、およそ』一万二千六百『年前のものであることが報告されているが、これが』、『いまのところ』、世界『最古のウルシである』。『古くから、樹皮を傷つけて生漆を採り、果実は乾かした後に絞って木蝋を採ることができる商品作物として知られており、江戸時代には広島藩などで大規模な植林が行われていた記録が残る』。『北海道の網走にあるウルシ林は、幕末の探検家、松浦武四郎がアイヌの人々に漆塗りを伝えようとの考えで植えたものが伝わったといわれる』。『塗料としての漆は、塗りが美しいばかりではなく、保ちがよく』、『劣化しにくい長所がある』。『寒い地方のものが漆としての品質が優れるとされ、津軽塗や会津塗などが有名である』。『材は、耐湿性があり、黄色で箱や挽き物細工にする』。『若い新芽の部分は食べることができ、味噌汁や天ぷらにすると美味しく食べられるとも言われるが、後述するようにウルシかぶれが発生する事が考えられるので、食べない方が無難である』。『また、「東医宝鑑」』(李氏朝鮮時代の医書。全二十三編二十五巻。許浚著。一六一三年(日本:慶長十八年/中国:明(晩期)萬曆四十一年)に刊行され、朝鮮第一の医書として評価が高く、中国・日本を含めて広く流布した)『においては』、『ウルシを材料とした漢方薬や、薬効に関しての記述があり、本書では固形化したウルシの樹液をじっくり煎って粉末にしたものを「乾漆」として漢方薬の材料として記載している。 このことから、古くからウルシは』、『それがもたらす薬効が期待され、医学の面でも利用があったといえる』。『中国の雲南省怒江では』、『実の』三十『%を占める油を食用にする』。『アレルゲンが含まれているため』、『リスクがあるが』、二『つの方法で克服している。ひとつは加工で、もうひとつは体質である。加工とは』、『まず』、『漆の実を粉砕し、煮詰めてアレルゲンを揮発させる方法である』。『このあと』、『圧搾し』、『油を得る』。『このようにして得たウルシの油には蝋の成分も含まれるため』、四十七『度以下で凝固するが、これは保存に有利となり』、一『年はもつ』。『体質は長い歴史の中で現地の人々が環境に適応し、耐性を得たもの』を言う。『本種をはじめ、近縁種はアレルギー性接触性皮膚炎』『(いわゆる「ウルシかぶれ」)を起こしやすいことで有名である。これは、ウルシオール』(Urushiol)『という物質によるものである。人によっては、ウルシに触れなくとも、近くを通っただけでかぶれを起こすといわれている。また、山火事などでウルシなどの木が燃えた場合、その煙を吸い込むと』、『気管支や肺内部がかぶれて呼吸困難となり、非常に危険である』。以下、「ウルシ属」として十四属亜種二種のリストがある。それらの内、中国に分布して本邦に自生しない種もあろう。
良安の「本草綱目」のパッチワーク引用(本文はかなり長い)は、「卷三十五上」の「木之二」「喬木類」(「漢籍リポジトリ」)の「漆」(ガイド・ナンバー[085-18a]以下)から。良安の原文が盛んに字空けを施してので判る通り、かなり、あちこちの部分を切り出して繋げてあることが判明する。
「𩮥(ぬ)りて」この漢字は、「黒い」「赤黒い」形容詞、また、「やや黒みがかった赤色の漆」という名詞、而して、「その漆を塗る」という動詞でもあり、ここは最後のそれである。
「木蠟(きらふ)」通常は「もくらう(もくろう)」と読む。ウィキの「木蝋」によれば、『木蝋(もくろう)(Japan wax)とは、生蝋(きろう)とも呼ばれ、ウルシ科のハゼノキ(Japanese wax tree)』(ウルシ属ハゼノキ Toxicodendron succedaneum :音写「サクスィデイニアム」:漢字表記「櫨の木」「櫨」「黄櫨の木」「黄櫨」)『やウルシの果実を蒸してから、果肉や種子に含まれる融点の高い脂肪を圧搾するなどして抽出した広義の蝋。果実全体の約』二十『%を占める』。『化学的には狭義の蝋であるワックスエステル』(Wax ester)『ではなく、中性脂肪(パルミチン酸、ステアリン酸、オレイン酸)を主成分とする。また粘性の高い日本酸(Japanic acid)を含んでいる』。『搾ってから』、『そのまま冷却して固めたものを「生蝋」(きろう)と呼ぶ。収穫した果実をすぐに抽出した生蝋は褐色であるが、半年程度寝かせた果実を抽出すると黄土色に近い色の生蝋になる』。一『年程度寝かせたものからは緑がかった色の生蝋が抽出できる。櫨の種類により生蝋の緑色の程度や風合いが異なる』。『蝋燭、特に和ろうそく(Japanese candle)の仕上げなどには、生蝋をさらに天日にさらすなどして漂白した白蝋(はくろう)を用いる。かつては蝋燭だけでなく、びんつけ、艶(つや)出し剤、膏薬などの医薬品や化粧品の原料として幅広く使われていた。このため』、『商品作物として明治時代まで西日本各地で盛んに栽培されていた』。『長崎県では島原藩が藩財政の向上と藩内の経済振興のため、特産物として栽培奨励をしたため、島原半島で盛んにハゼノキの栽培と木蝋製造が行われた。特に昭和になってから選抜された品種である「昭和福櫨」』(ショウワフクハゼ:品種学名は調べてみても発見出来なかった)『は、果肉に含まれる蝋の含有量が多く、島原半島内で広く栽培された。木蝋製造は島原市の本多木蝋工業所が伝統的な玉絞りによる製造を続け、伝統を守っている』。『愛媛県では南予一体、例えば内子(現:内子町)や川之石(現:八幡浜市、旧・西宇和郡保内町)は、ハゼノキの栽培が盛んであった。中でも内子は、木蝋の生産が盛んで、江戸時代、大洲藩』六『万石の経済を支えた柱の一つであった。明治期には一時、海外にも盛んに輸出された』。『第二次世界大戦以前は、日本国外にも通用する輸出品としても重要視されており』、昭和一五(一九四〇)『年には』、「重要輸出品取締法」に『基づく重要輸出品目に木蝋が加えられて』あった、とある。
「椿《ちん》」ツバキではなく、双子葉植物綱ムクロジ目センダン科Toona属チャンチン Toona sinensisであることは、先の「椿」で立証済み。
「槐《えんじゆ》」マメ目マメ科マメ亜科エンジュ属エンジュ Styphnolobium japonicum 。中国原産で、当地では神聖にして霊の宿る木として志怪小説にもよく出る。日本へは、早く八世紀には渡来していたとみられ、現在の和名は古名の「えにす」が転化したもの。
「牛李《ぎうり》」東洋文庫訳では、割注して、『(李(すもも)の一種)』とするのだが、中文サイトで調べてみても、「牛李」の熟語は見当たらない。ただ、「維基百科」でラテン語の科と属の学名と、関わりそうな漢語フレーズの検索を繰り返しやっているうちに、一つ、目が留まったのは、バラ目バラ科スモモ亜科スモモ属 Prunus ではないが、同じバラ目バラ科Rosaceaeのサクラ属カラミザクラ Cerasus pseudo-cerasus であった。同種の「維基百科」の中文名は「中國櫻桃」であるが、そこに、同種の古称として、『牛桃』が挙がっていたからである。御存知とは思うが、実は、国によって、サクラ属Cerasus、或いは、スモモ属 Prunus とする違いが発生しており、広義には、この異なった種が、広義には、同一グループに属するとする立場があるのである(詳しくはウィキの「サクラ属」を見られたい)。私は「牛李」をカラミザクラと同定するというのではない。一つの可能性としてここに示しておくに過ぎない。
「金州」現在の陝西省。
「之れを試るに、微《やや》、扇《あふ》≪れば≫、光《ひかり》、鏡のごとく、𮈔を懸≪くれば≫、急≪に≫、鈎《かぎ》に似る。撼《ゆら》≪げば≫、琥珀色と成る。打≪ち≫着《つけ》て、浮≪ける≫漚《あは》、有り。」この部分、何を言いたいのか、私にはよく判らない箇所がある。東洋文庫訳は、
《引用開始》
本ものかどうかを試す要点は、本ものなら微(かす)かに扇(あお)ると光って鏡のようで、糸状に垂下させると急に鈎のようになる。ゆらぐと琥珀(こはく)色になる。打ちつけると泡が浮く。
《引用終了》
とあるのだが、担当訳者竹島淳夫氏も、訳に困って、ここを後注して、『いちおうこのように訳しておいたが、よく分からない。原文は「微扇光如鏡。懸糸急似鈎。撼成琥珀色。打着有浮漚」である』とされておられるのである。ここの「本草綱目」の原文は、「漆」の「集解」の終り近く(「漢籍リポジトリ」のここの[085-18b]の五行目以下)に当たる。竹島氏が引用された前後の部分(終りは「集解」の最後まで)を含めて、以下に引いておく(推定で句点を入れた)。
*
金州者為佳、故世稱金漆人多、以物亂。之試訣有云、「微扇、光如鏡、懸絲急似鈎、撼成琥珀色。打著有浮漚。」。今廣浙中出一種、漆樹似小榎而大、六月取汁、漆物黄澤、如金。即唐書所謂黄漆者也。入藥仍當用黑漆、廣南漆作飴、糖氣沾沾無力。
*
「黃𣾰」不詳。ウルシ属の一種かと思われるが、中国での同属群のリストがないので、判らない。なお、本邦の辞書で「黄漆」を引くと、バラ亜綱セリ目ウコギ科カクレミノ属カクレミノ Dendropanax trifidus のことと出るが、このカクレミノ(当該ウィキはここ)は日本と台湾にしか分布しないので、当たらないので、注意されたい。但し、当該ウィキによれば、カクレミノの『樹脂は古代には塗料として利用されていたと推定されており、「金漆」と呼ばれていた。この塗料は「漆」の名前はつくものの、ウルシオールを主成分とする漆とは異なり、主成分はポリアセチレンである』。『光により硬化するとの寺田晁による報告がある。(漆は酵素による硬化なので反応機構も異なる。)漆の成分と混同されてかぶれるとの言説が広がっているが、かぶれるとは考えにくく、また、かぶれるにしても、ウルシオールが原因ではないことは確実である』とあった。因みに、私は、カクレミノの木を、今月の初めに行った伊東の温泉の庭樹で、初めて見た。
「廣」「廣州」。現在の中国の広西省・広東省。
「浙」現在の浙江省の大部分を指す。
「小≪さき≫榎《か》」割注で述べた通り、これは、現在の日本語の「榎」(えのき:バラ目アサ科エノキ属エノキ Celtis sinensis )ではない。なお、ウィキの「榎」では、安易に『漢字の「榎(エノキまたはカ)」は夏に日陰を作る樹を意味する和製漢字である』。『音読みは「カ」。「榎」は、中国渡来の漢字ではなく、日本の国字の一つである』と断定しているが、これはトンデモない誤りである。中国語に「榎」は存在する。而して、その漢語「榎」は「檟」と同義であり、小学館「日中辞典」によれば、「檟」は「トウキササゲ」=「楸树」の古名、或いは、「チャの木」=「茶树」の古名とあるのである。則ち、この時珍の言う「榎」が示す種は、
シソ目ノウゼンカズラ科キササゲ属トウキササゲ Catalpa bungei
か、
所謂、「茶」、ツツジ目ツバキ科ツバキ属チャノキ Camellia sinensis
の孰れかとなる。この箇所、「小榎」となっており、前者のトウキササゲは実に三十メートルにも達する高木である。一方、チャノキの基準変種チャノキ(Camellia sinensis var. sinensis )で樹高は五・五メートルにしかならない。ウルシの木は三~十メートル以上だから、ここは、前者のトウキササゲを採りたい。
「半夏《はんげ》」単子葉植物綱ヤシ亜綱サトイモ目サトイモ科ハンゲ属カラスビシャク Pinellia ternata のコルク層を除いた塊茎。嘔気や嘔吐によく使われる生薬である。私の「耳囊 卷之七 咳の藥の事」も参照されたい。
「使《し》」何度も出た「補助薬」の意。
「瘀血《おけつ》」血液が流れ難くなり、体の中に滞ってしまうことで起こる病態を言う。
「漆、蟹《かに》を得て、水と成る。蟹は𣾰を見て、乾《かは》かず。葢し、物性、相《あひ》、制すなり」この話、私のサイト版「和漢三才圖會 卷第四十六 介甲部 龜類 鼈類 蟹類」の「かに 蟹」の「本草綱目」の引用の中に、
*
蟹黃能化漆爲水故塗漆瘡用之其螯焼煙可集鼠於庭也食鱓中毒者食蟹則解
*
蟹の黃《こ》、能く、漆を化して、水と爲《せ》る。故に、漆-瘡(うるしまけ)に塗り、之れを用ふ。其の螫(はさみ)、煙りに燒きて、庭に鼠を集むるべし。鱓《せん》を食ひて毒に中《あた》る者、蟹を食へば、則ち、解す。
*
とあったのだが、私は、仙術めいた話で、注するに当たらないと思い、『「鱓」はとりあえず「和漢三才圖會 卷第五十 魚類 河湖無鱗魚」の該当項に随うならば、タウナギ目タウナギ科タウナギ Monopterus aibus である。東洋文庫版では、これを根拠を示さずに、海産の「うみへび」と訓じている。しかし、これは爬虫綱有鱗目ヘビ亜目ウミヘビ科 Hydrophiidae では絶対にあり得ず、ウナギ目アナゴ亜目ウミヘビ科 Ophichthidae の一種を指すか、又は、現在、本字が一般的に指すところのウナギ目ウツボ亜目ウツボ科 Muraenidae のウツボ類の一種を指しているのであろうと思われる。私は、中国で、食ってあたると普通に言う場合の魚種としては、タウナギ以外には考えられない気がする』という注を附しただけで、お茶を濁していた。今回、調べてみたところ、素敵な記事を発見した。ブログ・サイト「note」の漢学者川口秀樹氏の『中国科学説話雑識~古代中国のSF的記述~ 4 「漆と蟹」』である。やはり、根っこは、仙道にあることが、川口氏の非常に解りやすい訳で示されているので、是非、読まれたい(私はページ全体を保存した)が、その最後で、実は、私が、信ずるに足らないと無視した「蟹」と「漆」の関係を化学的に考証されている箇所に至って驚いた! 以下、引用させて戴く。
《引用開始》
さて、それでは蟹が漆を駄目にすると言うことは事実なのでしょうか、そして、化学的に説明ができるのでしょうか。
実は、ジョセフ・ニーダムが『中国の科学と文明』の中で、甲殻類の殻に含まれる成分が、ラッカーゼの作用を阻害して漆を固まらなくする、という趣旨のことを書いています。しかも重合も妨げられるので、加熱しても「焼漆」にもならないということです。つまり、蟹の甲羅には、非常に強力なラッカーゼ阻害物質(今回の調査では具体的なところまで探れませんでした)が含まれているということです。
しかし、そうすると、「蟹治漆」の話のように、漆を溶かすことができるかどうかは疑問あります。「蟹治漆」の記述から判断する限り、固まった漆を溶かしているように見えるからです。これだと、ラッカーゼの作用を阻害しようにも、もうその余地はありませんから、主成分であるウルシオールそのものを分解することができなければなりません。しかし、いくら蟹でもそのような成分は含んでないでしょう。先にも述べたように、漆はきわめて安定した物質なのです。
あるいは、里長が訪れたときには、まだ漆を眼に塗られただけで固まっていなかったのかもしれませんが、飛躍した空想としておくのが無難なところでしょう。
これで、「蟹治漆」最大の焦点には一応の説明が付きました。しかし、もう一つの蟹の作用が残っています。蟹の汁が傷を治すという部分です。
最近はキチンとか甲殻類から抽出した成分が医薬品や健康食品などに使われています。別にキチンが傷に効くわけではないですが、そう考えると薬効がありそうな気もします。
実は、この「蟹の汁が傷を治す」というのも、唐以前にすでに言い伝えられていたようなのです。
唐代の『冥報記』という仏教関係の小説を集めた書物に、比丘尼の修行という女性が死後 に幽霊となって現れたという話があります。その中で修行は姉に対して、「私は子供の頃に病気になった時、一匹の蟹を殺して、その汁を瘡に塗ったら治った」と話しています(『太平広記』巻103)。この場合、「瘡」と書いてありますから、ある種の出来物なのでしょう。
日本にも、比較的新しいですが、漆を蟹で治療する例はあって、曲亭馬琴の『南総里見八犬伝』には、「漆は蟹を忌もの也。されば、漆を掻く家にて、もし蟹を烹ることあれば、漆ながれてよらずとなん。よりて思ふに、今その瘡は、漆の毒に觸たるのみ。内より發きしものならぬに、蟹をもてその毒を觧ば、立地に愈もやせん。用ひて見よ」と、「蟹が漆をダメにする」「蟹が漆かぶれを治療する」と記されています。
人間国宝の故・松田権六氏の『うるしの話』の中にも、漆によるかぶれを治すのに沢蟹をつぶして塗る、という話が見え、漆を扱う人々の間では、古くから伝えられ、実際に行われてきたことのようです。
また、中国医学の処方を調べると、蟹を使って骨折や打撲による傷の治療を行うという記述がいくつか見られます。鬱血を散らし、経絡を通じさせて、筋骨の修復を促し、熱を下げる効果があるとされています。使い方は簡単で、蟹を焼いてから砕いて粉末にして、酒で飲むというものです。
《引用終了》
「蜀椒《しよくしやう》」双子葉植物綱ムクロジ目ミカン科サンショウ Zanthoxylum piperitum の果皮が「花椒」「蜀椒」と呼ばれて健胃・鎮痛・駆虫作用を持つ。日本薬局方ではサンショウ Zanthoxylum piperitum 及び同属植物の成熟した果皮で種子を出来るだけ除去したものを生薬山椒としている。
「杉木湯《さんぼくたう》」『杉本商店(杉本うるし/うるし工芸の杉本)のホームページ運営責任者が開設するブログ』とある「うるし屋さんの独り言」の「”漆かぶれ”について(発症率)」の「コメント」にあるブログ主の答えの中に、「漆聖」と呼ばれた人間国宝蒔絵師松田権六の「うるしの話」(旧・岩波新書(一九六四年:多分、持っているが、書庫藻屑となり、サルベージ不能)・現・岩波文庫(二〇〇一年)の中に、『蟹汁という話は良く聞きます』。『(松田権六著 うるしの話P70にも記述あり。)』。『同著には海水、ホウ酸、杉の葉などの記述もあります』。『他には栗や桔梗なんていう話も聞きます』とあった。
「紫蘓湯《しそたう》」シソ目シソ科シソ属エゴマ変種シソ Perilla frutescens var. crispa の、葉が赤いものを、湯に入れたもの。入浴法に実際にある。
「𣾰姑草湯《しつこさうたう》」「𣾰姑草」は、ごく一般に見られるナデシコ目ナデシコ科ツメクサ属ツメクサ Sagina japonica で、中国にも分布する。それを入れた湯。
「蟹湯《けいたう》」前の仙道系の話を受けたものであろうが、蟹の汁を附ける程度ならいいが、浴槽に入れるのは、ちょっと臭過ぎて、遠慮したい。
「夫木」「紅(くれなゐ)のおのが身に似ぬ𣾰の木ぬると時雨(しぐれ)に何かはるらん」「爲家」「夫木和歌抄」の「卷廿九 雜十一」にある一首。「日文研」の「和歌データベース」のこちらで確認した。ガイド・ナンバー「14070」が、それ。
「世之女𣾰(せしめ《うるし》)」「日本国語大辞典」に、「石漆・瀬〆漆」とし、『切って水にひたしておいた漆の木の枝からかき取った漆汁。粘りが強く、接着力が強い。転じて、「せしめる」にかけて、うまく手に入れる、自分の物にするの意に用いられた』とあり、初出例は談林の俳諧撰集「點滴集」(延宝八(一六八〇)年序)の「三」とあった。「和漢三才圖會」は正徳二(一七一二)年成立であるから、この前後の半世紀には定着していた語と読める。東洋文庫後注では、『せしめ漆とは漆の枝を小刀で傷つけて掻きとった液。ねばり强くて上級品とされる』とある。
「日向の米良(めら)」現在の宮崎県児湯(こゆ)郡西米良村(にしめらそん:グーグル・マップ・データ航空写真)。当該ウィキによれば、『九州山地のただ中に位置し、面積の』九十六『%を森林が占める山村で』、『宮崎県内では最も総人口の少ない基礎自治体でもある』とある。
「眞黑塗(しん《くろぬり》)」黒漆で塗った工芸品。黒漆は、嘗つては、「透き漆」(上質の生漆(きうるし) から水分を除去して透明度を高めたもの)に油煙などを混ぜて黒くしたが、現代では鉄分や鉄の化合物を用いてつくる。
「䵮朱(うるみ《しゆ》)」東洋文庫訳の割注に、『(黒みがかった朱)』とある。
「唐(もろこし)の乾𣾰(かんしつ)」「唐𣾰《たうしつ》」調べる限り、中国の漆は基原植物に大きな違いはないように思われる。恐らくは、処理・精製工程に違いはあるとは思われる。
「蕎-麥-稈(そばがら)」蕎麦殻。ソバ(タイプ種はナデシコ目タデ科ソバ属ソバ Fagopyrum esculentum 。当該ウィキの「原産地」に拠れば、『ソバの原産地は中国北部からバイカル湖付近であるという説』が、一『世紀以上に』亙って)『信じられていた』が、一九八〇年代から二〇〇〇年代に『かけて植物学者の大西近江ら』が、『インド、チベット、四川省西部など各地に自生するソバを採集し』、『集団遺伝学的研究を行った結果、中国南部に野生祖先種 Fagopyrum esculentum ssp. ancestraleなど』の『ソバ属の植物が自生していることなどを見出し、「ソバの原産地は雲南省北部の三江併流と呼ばれる地域」であると唱えた。現在、これが有力視されている』とあった)を収穫して、数日間、天日乾燥させ、ソバの実を取り去った後に残った殻で、当該ウィキによれば、『蕎麦粉を精製するときに、実とともに引いて風味を出す場合もある』。『寝具の枕の中身として使われることが多い。近年は蕎麦アレルギー他の理由で、蕎麦殻枕の需要は伸びていない』。『そのため、多くが産廃として処分され、その有効利用が課題となっている。例えば、蕎麦殻燻炭として土壌改良材として利用されたり、菌床の添加剤として茸栽培に用いられる。最近は、バイオ燃料利用のために家畜用の飼料トウモロコシ他が高騰して以来、その代替自給飼料として、利用されている』とあるのみで、蕎麦殻の灰汁(あく)と漆のフレーズ検索をしても、漆で接合した器を、分離させる効果があるというのは、見出せなかった。実際にやってみたい気もするが、ソバとウルシ――アレルギー繋がりと関係するのは、民俗社会の類感呪術的ニュアンスを、ちらりと私は感じたことを附記しておく。
『「波世𣾰《はぜうるし》」【正字、未だ詳かならず。】』良安は正式な本邦での漢字表記を知らないとするが、以下に見る通り、現行では「櫨漆」或いは「黄櫨漆」である。彼は既出の「黃櫨」とダブってしまうので、それを認めない立場をとったのであろう。注で既出のムクロジ目ウルシ科ウルシ属ハゼノキ Toxicodendron succedaneum から採取した漆である。既に「黃櫨」の冒頭で注したが、再掲しておく。現代の中文名は「野漆」で、同中文ウィキでは、異名を「野漆樹「大木漆」「山漆樹」「癢漆樹」「漆木」「檫仔漆」「山賊子」と挙げるのみで、「黃櫨」は記されていない。同種は中国・インドシナ原産で、琉球から最初に渡来したので、「リュウキュウハゼ」の名もある。本邦の当該ウィキによれば(注記記号は省略した)、『ハゼノキ(櫨の木・櫨・黄櫨の木・黄櫨)『はウルシ科ウルシ属の落葉小高木。単にハゼとも言う。東南アジアから東アジアの温暖な地域に自生する。秋に美しく紅葉することで知られ、ウルシほどではないがかぶれることもある。日本には、果実から木蝋(Japan wax)を採取する資源作物として、江戸時代頃に琉球王国から持ち込まれ、それまで木蝋の主原料であったウルシの果実を駆逐した』。『「ハゼ」は古くはヤマウルシ』(ウルシ属ヤマウルシ Toxicodendron trichocarpum )『のことを指し、紅葉が埴輪の色に似ていることから、和名を埴輪をつくる工人の土師(はにし)とし、それが転訛したといわれている』。『別名にリュウキュウハゼ(紅包樹)、ロウノキ、トウハゼなど。果実は』「薩摩の実」(薩摩藩が不当に琉球を実行していたことによる)『とも呼ばれる。中国名は、野漆 (別名:木蠟樹)』。『日本では本州の関東地方南部以西、四国、九州・沖縄、小笠原諸島のほか、朝鮮半島南西沖の済州島、台湾、中国、東南アジアに分布する。低地で、暖地の海に近い地方に多く分布し、山野に生え、植栽もされている。日本の山野に自生しているものは、かつて果実から蝋を採るために栽培していたものが、それが野生化したものが多いともいわれる。明るい場所を好む性質があり、街中の道端に生えてくることもある』。『ときに、庭の植栽としても見られる』。『雌雄異株の落葉広葉樹の小高木から高木で、樹高は』五~十『メートル』『ほどになる。樹皮は灰褐色から暗赤色で、縦に裂けてやや網目状の模様になる。一年枝は無毛で太く、縦に裂ける皮目がある』。『葉は奇数羽状複葉で』、九~十五『枚の小葉からなる。小葉は少し厚くて細長く、長さ』五~十二『センチメートル』『の披針形で先端が尖る。小葉のふちは鋸歯はついていない。表面は濃い緑色で光沢があるが、裏面は白っぽい。葉軸は少し赤味をおびることがある。秋には常緑樹に混じって、ウルシ科特有の美しい真っ赤な色に紅葉するのが見られる。秋にならないうちに、小葉の』一~二『枚だけが真っ赤に紅葉することもある』。花期は』五~六『月』で、『花は葉の付け根から伸びた円錐花序で、枝先に黄緑色の小さな花を咲かせる。雄花、雌花ともに花弁は』五『枚。雄花には』五『本の雄しべがある。雌しべは』三『つに分かれている』。『秋に直径』五~十五『ミリメートル』『ほどの扁平な球形の果実が熟す。果実の表面は光沢があり無毛。未熟果実は緑色であり、熟すと黄白色から淡褐色になる。中果皮は粗い繊維質で、その間に高融点の脂肪を含んだ顆粒が充満している。冬になると、カラスやキツツキなどの鳥類が高カロリーの餌として好んで摂取し、種子散布に寄与する。核は飴色で強い光沢があり、俗に「きつねの小判」、若しくは「ねずみの小判」と呼ばれる』。『冬芽は互生し、頂芽は円錐状で肉厚な』三~五『枚の芽鱗に包まれており、側芽のほうは』、『小さな球形である。落葉後の葉痕は心形や半円形で、維管束痕が多数見える』。『個人差はあるものの、樹皮や葉に触れても普通はかぶれを起こさないが、葉や枝を傷つけると出てくる白い樹液が肌に触れると、ひどくかぶれをおこす。また、枝や葉を燃やしたときに出る煙でも、かぶれることがある』。『よく似ている樹種に』同属の『ヤマハゼ』( Toxicodendron sylvestre:種小名音写「シルベストオル」)『があり、ヤマハゼは葉の両面に細かい毛が生えていて、紅葉が赤色から橙色で、鮮やかさはハゼノキよりも劣る印象がある。ハゼノキは葉の表裏ともに毛がない点で、日本に古来自生するヤマハゼと区別できる』。『果実を蒸して圧搾して採取される高融点の脂肪、つまり木蝋は、和蝋燭(Japanese candle)、坐薬や軟膏の基剤、ポマード、石鹸、クレヨン、化粧品などの原料として利用される。日本では、江戸時代に西日本の諸藩で木蝋をとる目的で盛んに栽培された。また、江戸時代中期以前は時としてアク抜き後焼いて食すほか、すり潰してこね、ハゼ餅(東北地方のゆべしに近いものと考えられる)として加工されるなど、救荒食物としての利用もあった。現在も、食品の表面に光沢をつけるために利用される例がある』。二十『世紀に入り安価で大量生産可能な合成ワックスにより、生産が低下したが、近年』、『合成ワックスにはない粘りや自然品の見直し気運などから需要が増えてきている』。『木材は、ウルシと同様心材が鮮やかな黄色で、工芸品、細工物、和弓、櫨染(はじぞめ)などに使われる。櫨染は、ハゼノキの黄色い芯材の煎じた汁と灰汁で染めた深い温かみのある黄色である。なお、日本の天皇が儀式に着用する櫨染の黄櫨染御袍(こうろぜんのごほう)』(☜同ウィキがあり、画像もあるので見られたい)『の色素原料は同じウルシ属のヤマハゼになる』。『美しい黄緑色の木蝋が採取でき、融点が高いため、和蝋燭の上掛け蝋(手がけ和蝋燭の一番外側にかける蝋)として利用される』。『通常、櫨に含まれる蝋分は』二十『%程度であるが、この櫨の実に占める蝋分は』三十~三十五『%と圧倒的に高いため、採取効率が最も良いとされる。以下、「主な種類」として、長崎県島原市原産の「マツヤマハゼ(松山櫨)」、松山櫨から品種改良された福岡県小郡市が原育成地で主産地を熊本県水俣市とする「イキチハゼ(伊吉櫨)」、愛媛県の優良品種「オウハゼ(王櫨)」が挙げられているが、品種と言いながら、学名は他で調べても見当たらない。『日本への渡来は安土桃山時代末の』天正一九(一五九一)年に『筑前の貿易商人 神屋宗湛や島井宗室らによって中国南部から種子が輸入され、当時需要が高まりつつあった蝋燭の蝋を採取する目的で栽培されたのが始まりとされる。他方、大隅国の』武将『禰寝重長』(天文五(一五三六)年~天正八(一五八〇)年)『が輸入して初めて栽培させたという説もある』。『江戸時代は藩政の財政を支える木蝋の資源植物として、西日本の各藩で盛んに栽培された』。『その後、江戸時代中期に入って中国から琉球王国を経由して、薩摩藩でも栽培が本格的に広まった。薩摩藩は幕末開国後の』慶応三(一八六七)年には、『パリ万国博覧会に』、『このハゼノキから採った木蝋(もくろう)を出品している』。『広島藩では』、一七〇〇『年代後半から藩有林を請山として貸出し、商人らがハゼノキをウルシノキとともに大規模に植林、製蝋を行っていた記録が残る』。『今日の本州の山地に見られるハゼノキは、この蝋の採取の目的で栽培されたものの一部が野生化したものとみられている』とあった。
「大明一統志」複数回既出既注だが、再掲すると、明の全域と朝貢国について記述した地理書。全九十巻。李賢らの奉勅撰。明代の地理書には先の一四五六年に陳循らが編纂した「寰宇(かんう)通志」があったが、天順帝は命じて重編させ、一四六一年に本書が完成した。但し、記載は、必ずしも正確でなく、誤りも多い。「維基文庫」の同書の「卷八十九」の「外夷」の「朝鮮國」を見ると、「土産」の項に(表記に手を加えた)、
*
黃漆【樹似棕六月取汁漆物如金】
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とあった。
「藤黃(きわう)」「きわう」の読みは不審。東洋文庫訳でも注を附さない。「藤黄」は現代仮名遣で「とうおう」で、サイト「Premium Japan」の「日本の伝統色を知る」の「藤黄」には、『東南アジアを原産とするオトギリソウ科の常緑高木・海藤(ガンボージ)から出る植物性の顔料で染めた、暖かみのある鮮やかな黄色。その歴史は大変古く、奈良の正倉院に収蔵されている出陳宝物「漆金薄箔絵盤(うるしきんぱくえのばん)」にも藤黄色が使われて』おり、『古名として「しおう」とも呼ばれてい』るとあった。この「海藤(ガンボージ)」は英語“gamboge”で(カンボジア由来)、インドシナに分布するキントラノオ目オトギリソウ科 Hypericaceae(新体系APGではフクギ科Clusiaceae)フクギ属ガンボジ Garcinia hanburyi 、及び、その近縁種から採取される、濃い黄色の顔料を指す。日本語ウィキは存在せず、英文当該ウィキ(顔料の方)が詳しい。言わずもがなだが、本邦には自生しない。
「伽羅《きやら》の油」小学館「日本国語大辞典」に、『鬢(びん)付け油の一種。胡麻油に生蝋(きろう)、丁子(ちょうじ)を加えて練ったもの。近世初期に京都室町の髭(ひげ)の久吉が売り始めた』とある。]
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