柴田宵曲「古句を觀る」正規表現版電子化注 / 「秋」(11)
暮がたや次第次第にしろき菊 薄 芝
幸田露伴博士の「心のあと」といふ長詩の中に「夜に入つてたゞ鶴白く、桃李隱れて梅殘る」といふ句があつた。これは「人やゝ老いて神を知り、世念失せて詩を思ふ」といふ句の前提として置かれたものだから、單なる敍景の句ではない。白い色のはつきり見える點から云へば、やはり日光の下が一番なのであるが、周圍がだんだん薄暗くなつて、外の色彩が次第に力を失ふに及び、白い色が最後まで殘つてゐる。「次第次第にしろき菊」はその感じを捉へたので、菊が白くなるのではない、夕闇が次第に濃くなつたのである。
鳴雪翁に「灯ともせばたゞ白菊の白かりし」といふ句がある。闇中に燈を點じて、たゞ白菊の白きを見る方が印象も明であり、句としては巧であるが、次第に夕闇に沒する白菊の趣も棄て難い。元祿らしい自然なところがあるからであらう。
[やぶちゃん注:中七は「次第」の後に踊り字「〱」である。「々々」ではちょっと厭だから、かく、した。
「露伴」のそれは、国立国会図書館デジタルコレクションで原本である「心のあと」(幸田露伴(成行)著明三八(一九〇五)年一月春陽堂刊)のここで視認出来る。そこ(「第十七章」冒頭)では、
*
夜に入つて たゞ 鶴白く、
桃李隱れて 梅殘る!。
人や〻老いて 神を知り、
世念(セイネン)失せて 詩を思ふ!
[やぶちゃん注:以下略。]
*
となっている。因みに。「世念」は「せねん」と読むのが正しく、「俗世に執着する心」を意味する漢語である。
『鳴雪翁に「灯ともせばたゞ白菊の白かりし」といふ句がある』国立国会図書館デジタルコレクションのここ(右ページ一行目)で確認出来た。]
垣ごしや菊より出て長咄し 旦 藁
俳畫的小景である。垣根の向うに菊が作つてあつて、そこに菊作りの主が居る。菊の中から現れたその人と、思はずそこで長咄をした、といふ意味らしい。
「菊より出て」といふ言葉は、見方によつて二樣に解せられる。「畠より出で來る菊の主かな」の句のやうに、菊の咲いてゐる中から出て來て話をした、といふ風にも見えるが、「春寒や砂より出でし松の幹」のやうに見ると、滿開の菊の中からぬつと姿を現した、といふやうにもなる。垣越の人とはいづれ前から識つてゐるのであらう。何でもない話がつい長くなつてしまつたので、必ずしも菊の奴[やぶちゃん注:「やつこ」。]たる主が得々として菊作りの苦心を語るといふが如く、菊に卽して考へる必要は無さそうに思ふ。最初に俳畫的小景と云つたのは、菊の中から姿を現した方の解釋である。嘗てどこかでさういふ畫を見たやうな氣がするほど、この趣は一幅の畫として感ぜられる。
「畠より出で來る」式な解釋にすると、それから垣根のところへ步み寄つて、長咄に移る段取になるのであるが、作者は「菊より出て」と云つたのみで、長咄をする人間の何者であるかを明にしないのだから、これ以上は各自の想像に任すより外はあるまい。吾々はやはり菊の中からぬつと現れて話す俳畫的小景に心を惹かれるのである。
[やぶちゃん注:「畠より出で來る菊の主かな」句の存在は国立国会図書館デジタルコレクションの検索で『国文学 解釈と鑑賞』の中で確認出来たが、遠隔複写サービスで申し込まないと見ることが出来ない。但し、その記事は「蕉門俳風の変遷」という記事の中にあるので、蕉門の誰かの句ではある。
「春寒や砂より出でし松の幹」高濱虛子の大正二(一九一三)年の句。]
稻づまや晝寐のまゝの蚊帳の外 二 方
晝寐の時に釣らせた蚊帳がそのまゝになつてゐる。晝寐の人は一度起きて外へ出たのか、そのまゝぐつすり寢込んで夜に入つたのか、そこはわからぬ。若し一度起きたにしても、この場合は又その蚊帳に入つてゐるのである。さういふ蚊帳の外に稻妻が閃々と射す。蚊帳の中の人は暢氣にそれを見てゐる、と云つたやうな情景が想像される。
稻妻は秋の季になつてゐるが、夏にも無いことはない。蚊帳も晝寐も夏のものである。秋と夏との風物が交錯する初秋の空氣がよく現れてゐる。勿論雷を恐れて蚊帳に入つてゐるわけではない。
大かたは踊おぼえぬふた廻り 一 莊
はじめて踊に加つた場合らしい。唄につれ、人の拍子につれて、見やう見眞似で踊つて行く。踊の輪の二廻りも廻つた時分には、大方踊の手振もおぼえたといふのである。
踊の句には局外から見たものが多い。「一廻り待つ人おそき踊かな 尙白」などといふ句は第三者として踊の輪の廻るのを見る一例であるが、一莊の句は自ら踊の輪の中にあつて、二廻りも廻つてゐるところに特色がある。二廻り廻つてやつと踊をおぼえるあたりは、さすがに元祿人らしく、悠々たる趣があつていゝ。
秋風や葛屋はなれてひさご蔓 英 之
葛屋のことは前に書いた。草葺屋根の家に絡んでいる瓢の蔓の末が、離れて虛空にある場合を捉へたものであらう。
必ずしも秋風の爲に吹き離れたものと解釋しなくても差支無い。葛屋も、それに絡んだ瓢も、その蔓の末も、悉く秋風の中に在ると見ればいゝのである。
日ぐらしの聲に沓はく鞠場かな 一 琴
蹴鞠といふものはどういふ時間にやるものか、又どの位の時間やつてゐるものか、その邊の知識が無いからよくわからぬが、無識のまゝにこの句を解すると、蜩の聞える夕方になつて、そろそろ鞠でも蹴ようかといふ場合かと想像する。蜩も秋の季にはなつてゐるが、これは夏のうちから鳴いて居り、東京あたりでは普通の蟬より早く鳴きはじめる。從つてこの句は秋ではあつても、まだ暑い場合と解釋してよさゝうである。
暑い日脚が斜になつて、そこらで蜩が鳴き出す。もう鞠場の日もかげつて涼しくなつたから、少し鞠でも蹴ようとして沓を穿く、といふ風に解せられる。若しこの蜩の聲がさういふ明るいふちのものでなくて、薄暮を現すものとすると、反對に鞠場を引上げることにしなければならぬが、「沓はく鞠場」といふ續き樣は、鞠を蹴るために沓を穿くものと見た方が自然のやうに思ふ。要はこの句に於ける蜩の鳴く時間と、沓を穿くことに對する解釋によつて、自ら句意が異るわけである。蹴鞠に就てもう少しはつきりした觀念を得たら、この解釋は或はもう一度出直さなければならぬかも知れない。
« 「和漢三才圖會」植物部 卷第八十二 木部 香木類 乳香 | トップページ | 甲子夜話卷之八 24 淇園先生勇氣ある事 »