「善惡報はなし」正規表現オリジナル注 卷一 㐧四 親の報子共三人畜生の形をうくる事
[やぶちゃん注:底本・凡例等は初回を参照されたい。]
㐧四 親の報(むくひ)、子共三人、畜生の形(かたち)をうくる事
〇慶安年中[やぶちゃん注:一六四八年~一六五二年。]、秋の比《ころ》、西國みまさかの久米(くめ)といふ所の山里に、兄弟三人して、母一人を、まはりまはりに、はごくみけるが、此の三人のものども、あくまで、母に不孝にして、養ふ事を、むやくしく[やぶちゃん注:「無益しく」。「腹立たしく」。]おもひ、或時、三人、一所に、うちよりて、母に「どく」を與へ、殺すべき内談をぞ、しける上(うえ[やぶちゃん注:ママ。])、二人して、「どく」をあたへけるに、母、「うん」、つよくして、死せざりしが、末子(ばつし)が手にて、終に(つゐ)に[やぶちゃん注:ママ。]殺しけり。
[やぶちゃん注:「西國みまさかの久米(くめ)といふ所」美作国の旧久米郡。現在の岡山市・北区の一部(旭川以東のうち建部町福渡以北)・津山市の一部(吉井川以南)・久米南町の全域・美咲町の大部分に相当する。参照したウィキの「久米郡」の旧郡地図を見られたい。]
三人の者、
「今は、おもひの『ねん』[やぶちゃん注:「念」。]、はれたり。けふ[やぶちゃん注:「今日」。]よりしては、苦に成《なる》もの、一人も、なし。」
と、よろこびけり。
其後《そののち》、十日ばかりして、白晝(はくちう)、俄(にはか)に、そら、かきくもり、ひとつ、「かみなり」、とゞろきて、「いなづま」、ひかり、「むらさめ」、おびたゞしくして、まなこも、くらむばかりなりけるが、三人のもの共《ども》、「かうべ」は、もとのごとくにて、かたより下は、一人は「牛」と成《なり》、一人は「犬」となり、今一人は「馬」と成《なり》ぬ。
[やぶちゃん注:岩波文庫からトリミング補正した。雷公の顔が認知出来ないが、獣に化した不孝三兄弟はmかなりはっきりと視認出来るので、大判で示した。第一参考底本ではここであるが、以上と同じ画質である。しかし、第二参考底本のここでは、雷公の顔の細部がはっきりと視認出来るので、超お勧めである。]
此の事、かくれなければ、見物、ぐんじゆする事、其《その》家に、みてり。
かく、「はぢ」を、さらす事、月をかさねて、終(つゐ)に[やぶちゃん注:ママ。]命(いのち)さへ、たへにけり。
かく、親に不孝なるをさへあるに、あまさへ[やぶちゃん注:「剩(あまつさ)へ」に同じ。]、ころす程の「五ぎやく」のもの、誠《まこと》に、今生(こんじやう)にて、「ちくしやう」のかたちを、うくる事こそ、理(ことわり)也。
まして、未來[やぶちゃん注:「來世」に同じ。]の事は申《まふす》に及《およば》ず。
しかるに、此の三人、「ちくしやう」の心得、たくましきによつて、上帝(じやうてい)、雷公(らいこう)に「みことのり」して、「かは」を、はぎ取《とり》、「ちくしやう」の本躰(ほんたい)をあらはし、人の「かは」を、はりたる「ちくしやう」どもを、こらしめ給ふ物也。
それ、不孝のともがらは、今生(こんじやう)にて、畜生のかたちを變ぜずとも、當來(たうらい)、「ちくしやう道(だう)」に、おつべき事、よく、心得べき物也。おそるべし、おそるべし。
[やぶちゃん注:「五ぎやく」「五逆」。この場合は、仏教の正規のそれで、五種の最も重い罪を指す。一般には「父を殺すこと・母を殺すこと・阿羅漢(応供(おうぐ)。尊敬・施しを受けるに値する聖者)を殺すこと・僧の和合を破ること・仏身を傷つけること」を指し、一つでも犯せば、無間地獄に落ちると説かれる。
「上帝」天の神。
「當來」仏語。「当然、来るべきの時」の意で、「来世」(らいせ)を指す。]
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