柴田宵曲「古句を觀る」正規表現版電子化注 / 「冬」(9)
門々や子供呼込雪のくれ 野 童
雪が降つて元氣がよくなるのは、子供に犬と相場がきまつてゐる。寒さにめげず、外へ出て遊んでゐるうちに、いつか夕暮近くなつて來た。もう御飯になるから御歸りとか、寒いから内へ御入りとか云つて子供を呼ぶ聲が、彼方[やぶちゃん注:「あつち」。]の家からも此方[やぶちゃん注:「こつち」。]の家からも聞える。「門々」の一語によつて、その家が複數であることも、うち續いた家竝であることもわかる。吾々もこの句を讀むと、遊びほうけて夕方まで戶外にいた少年の日のことが、なつかしく心に浮ぶのである。
平凡な句のやうでもある。併かし一槪にさう云ひ去るわけにも行かぬのは、必ずしも少年の日の連想があるためばかりとも思はれぬ。
鳶尾の葉はみなぬれにけり初しぐれ 鼠 彈
「鳶尾」はシヤガと讀むのであらう。あやめに似て小さい花をつける、菖蒲の種類としては最も見ばえのせぬものである。花は夏の季になつて居り、俳句の材料にも屢〻用ゐられてゐるが、葉を取上げたのはあまり見たことが無い。
シヤガの葉は冬を凌いで枯れぬ。その靑い葉が時雨に濡れて、ほのかに光を帶びてゐる。見るからに寒げな趣である。これが石蕗[やぶちゃん注:「ツハブキ」。]の葉か何かであると、形も大きいし、冬の季のものでもあるから、さほどのことも無いけれども、花が咲いてゐてさへ見ばえのせぬシヤガの、遺却されたやうな葉に時雨が降る。そこに初冬らしいもののあはれが感ぜられる。秋を經て枯れ枯れになつた植物にそゝぐ時雨よりも、冬に到つて猶綠を變へぬところに、却つて目立たぬシヤガの寂しさがある。「みなぬれにけり」といふ言葉も率直にこの感じを悉して[やぶちゃん注:「つくして」。]ゐるやうに思ふ。
[やぶちゃん注:「シヤガ」単子葉植物綱キジカクシ目アヤメ科アヤメ属シャガ Iris japonica 。種小名はこうだが、中国原産である。当該ウィキによれば、『かなり古くに日本に入ってきた帰化植物で』、『三倍体のため』、『種子が発生しない』。『このことから日本に存在する全てのシャガは同一の遺伝子を持ち、またその分布の広がりは人為的に行われたと考えることができる。したがって、人為的影響の少ない自然林内にはあまり自生しない。スギ植林の林下に一大自生地のような光景を見ることもしばしばだが、そうした場所は現在では人気が全くない鬱蒼とした場所であったとしても、かつては、そこに人間が住んでいたか、あるいは人の往来があって、その地にシャガを移植した場所である可能性が高い。このためシャガの自生地では』、茶の木『などの人為的な植物が同じエリアに見られたり、かつての民家の痕跡と思える物などが見てとれることも多い。中国には二倍体の個体があり花色、花径などに多様な変異がある』とある。漢字表記は「射干」「著莪」「胡蝶花」の他、「鳶尾」もあるが、この「鳶尾」は同属のアヤメ属イチハツ Iris tectorum の異名としても知られ、しかもイチハツとシャガは、本邦で古くより藁屋根に植えると大風や火災を防ぐと信じられ、所謂、「屋根菖蒲」として藁屋根に植えられた経緯もあり、親和性がある(最近のものでは、『南方熊楠「江ノ島記行」(正規表現版・オリジナル注附き) (8)』の「イチハツ」の私の注を見られたい)。因みに、現代中国語では、「日本鳶尾」「開喉箭」「蘭花草」「扁竹」「劍刀草」「豆豉草」「扁擔葉」「扁竹根」「鐵豆柴」と多彩な異名がある(同種の中文ウィキを参照した)。なお、サイト「跡見群芳譜」の「しゃが(射干)」を見ると、『和名シャガは、漢語の射干(ヤカン:yègàn)の、漢土における俗読み shègān の、日本における訛り。ただし、漢名を射干という植物はヒオウギ』(アヤメ属ヒオウギ Iris domestica )『であり、シャガではない。したがって』、本種『を「しゃが」と呼び、「射干」と書くのは、音義ともに本来は不当』であるとあった。母が好きで、家の斜面に植えられている。私の大好きな花である。]
買切と馬にのり出すしぐれかな 雪 芝
「馬市」といふ前書がついてゐる。馬の値がきまつて自分の所有に歸するが早いか、直にその背に跨つて乘出す、といふのである。折から時雨が降つて來た爲、急いで歸る意味もあるかも知れぬが、氣に入つた馬を買ひ得たといふ、意氣揚々たるところが窺はれるやうに思ふ。已にこの馬を買い得た以上、時雨の如きは深く意に介する必要はあるまい。
かつて「馬かりてかはるがはるに霞みけり」といふ蓼太の句を講じた時、借馬であらうといふ解釋もあつたが、「旅行」といふ前書によつて、その場合が明になつたことがある。この句の「馬市」といふ前書はそれほど必要とも思はれぬが、前書無しにこの句を讀むと、買切つたものが何であるか、多少不明瞭になつて來る。何か他の物を買つて、而して馬背に跨つて去るものとしては、少しく省略が多過ぎるから、結局馬を買つたといふところに落著くであらう。併し馬市の前書を置いて見れば、買い得た馬に直ぐ跨り去る樣子が眼前に躍動するのみならず、時雨の中の馬市の喧騷を背景的に浮立たせる效果がある。この意味に於て前書あるに如くはない。面白い場合を見つけたものである。
[やぶちゃん注:「蓼太」与謝蕪村・加舎白雄などとともに「中興五傑」の一人に数えられる(後の二人は高桑闌更と加藤暁台)大島蓼太(享保三(一七一八)年~天明七(一七八七)年)のこの句、たいした句とも思えぬが、恐らく妙な一茶の残した怪しい語りで、蓼太の代表句のようになってしまったらしい。国立国会図書館デジタルコレクションの雑誌信濃教育会発行『信濃教育』一三二〇号(一九九六年十一月発行)の小林計一郎著「人間一茶」のここの左ページ上段の最終行から下段の半ばまでの記事を読まれたい。]
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