「和漢三才圖會」植物部 卷第八十二 木部 香木類 雞冠木
[やぶちゃん注:図の右下方に「花」とキャプションした二つの花の図が配されてある。]
かへで 鷄頭樹
【万葉】蝦蟇手木
雞冠木 【和名賀倍天乃木
一云加比留提乃
木】
もみち 俗通稱毛美知
△按本草綱目楓葉有岐作三角至霜後葉丹可愛則雞
冠木亦楓之屬乎然楓花白色實大如鴨卵則與雞冠
木花實迥異也猶朝鮮松子大而異常
鷄冠木有數種髙者二三丈葉有尖岐如蝦蟇手大抵
七八岐或九岐又有十三葉者謂之十二一重三四月
嫩葉紅色映滿山五六月復靑葉深秋其葉黃落經歲
者則五月開小黃花狀如飛蛾梢頭結實中子如牛蒡
子和州龍田雍州髙雄山最多至秋葉丹赫耀天下賞
美之凡草木秋乃紅葉者多有之而蝦手樹葉爲勝故
只稱紅葉卽蝦手葉也猶只稱花則櫻花也花與紅葉
左右之以悅人目者也然於中𬜻此二物似闕也
万葉我か宿に黃變蝦手見る每にいもをかけつつ戀ぬ日はなし
八入 春嫩葉正赤色而四月復青葉
青海 葉大岐深而色甚鮮明五月復青葉
毛氊 同青海而葉稍小
野村 葉大而深紫色
透明 葉岐深而纖色常青
唐蝦蟇手 葉最大有十二三岐而青
𮈔垂蝦蟇手 枝葉靭垂似𮈔垂柳狀
凡透明十二一重唐蝦蟇手之三種色青但在山中者
至秋紅葉
貫之
至秋紅葉 古今年毎に紅葉はなかす龍田川湊や秋のとまりらん
[やぶちゃん注:最終句は「とまりなるらん」であるが、どう見ても、「なる」はない。訓読では補った。]
*
かへで 鷄頭樹《けいとうじゆ》
【「万葉」。】蝦蟇手木(かえでの《き》)
雞冠木 【和名、「賀倍天乃木《かへでのき》」。
一《いつ》≪に≫云《いふ》、
「加比留提乃木《かひるでのき》」。】
もみぢ 俗、通《つう》して「毛美知《もみぢ》」と稱す。
△按ずるに、「本草綱目」、『楓《ふう》は、葉、岐《また》、有りて、三角《さんかく》を作《な》す、至霜≪の≫後《のち》、葉、丹《あか》く、愛すべし。』と云《いふ》時は、[やぶちゃん注:「云」「時」は送り仮名にある。後も同じ。]。則ち、雞冠木《かへで》も亦、楓《ふう》の屬か。然≪れども≫、『楓の花は、白色、實、大にして、鴨の卵のごとし。』と云《いふ》時は、則と、雞冠木の花・實と、迥(はる)かに異《こと》なり、猶を[やぶちゃん注:ママ。]、「朝鮮松」の子《み》、大にして、常に異なるか。
鷄冠木、數種、有り。髙き者、二、三丈、葉、尖り、岐、有り、蝦蟇(かへる)の手のごとし。大抵、七、八岐、或いは、九岐≪なり≫。又、十三葉の者、有り≪て≫、之れを「十二一重(《じふに》ひとへ)」と謂ふ。三、四月、嫩葉《わかば》、紅色≪べにいろ≫≪して≫、滿山≪に≫映ず。五、六月、靑葉に復《かへ》る。深秋、其の葉、黃《きば》み、落つ。歲《とし》を經《ふ》る者は、則ち、五月、小≪さき≫黃花を開く。狀《かたち》、飛≪ぶ≫蛾《が》のごとし。梢≪の≫頭《かしら》に、實《み》を結ぶ。中の子《たね》、牛蒡(ごばう)の子のごとし。和州の龍田・雍州の髙雄山、最も多く、秋に至りて、葉、丹《あか》く、赫-耀《かがやき》、天下、之れを、賞美す。凡そ、草木、秋は、乃《すなはち》、紅葉する者、多く、之れ、有《り》。而《しかれども》、蝦手《かへるで》≪の≫樹、葉、勝れりと爲《な》す。故《ゆゑ》≪に≫、只《ただ》、「紅葉(もみぢ)」と稱するは、卽ち、蝦手の葉なり。猶を[やぶちゃん注:ママ。]、只、「花」と稱する時は[やぶちゃん注:「時」は送り仮名にある。]、則ち、「櫻花」のごとし。花と、紅葉《もみぢ》と、之れを、左右《さう》にして、以つて人≪の≫目を悅ばしむ者なり。然るに、中𬜻《ちゆうくわ》に於いては、此の二物《にぶつ》、闕(か)けたるに似るなり。
「万葉」
我が宿に
黃變(もみづる)蝦手(かへるて)
見る每(ごと)に
いもをかけつつ
戀(こひ)ぬ日はなし
「八入(やしほ)」 春の嫩葉(わかば)、正赤色にして、四月、青葉に復(かへ)る。
「青海(せいかい)」 葉、大きく、岐《また》、深くして、色、甚だ、鮮-明(あざや)かなり。五月、青葉に復る。
「毛氊(もうせん)」 「青海」に同じくして、葉、稍(やゝ)小さし。
「野村」 葉、大にして、深≪き≫紫色。
「透明(すかし)」 葉、岐、深くして、纖(ほそ)く、色、常に青し。
「唐蝦蟇手(からかへで)」 葉、最≪も≫大きく、十、二三≪の≫岐、有りて、青し。
「𮈔垂蝦蟇手(しだれかへで)」 枝葉、靭-垂(しなへた)れ、「𮈔垂柳(しだれ《やなぎ》)」の狀《かたち》に似たり。
凡そ、「透明(すかし)」。・「十二一重」・「唐蝦蟇手」の三種は、色、青し。但《ただし》、山中に在る者≪は≫、秋に至りて、紅葉《もみぢ》す。
貫之
「古今」
年毎(としごと)に
紅葉(もみぢ)ばながす
龍田川(たつたがは)
湊(みなと)や秋の
とまりなるらん
[やぶちゃん注:この「雞冠木」は、完全に良安主導で記しており、
ムクロジ目ムクロジ科カエデ属 Acer の多数の種
を指す(主な種はウィキの「カエデ」を参照されたい)。一応、「本草綱目」の「楓(ふう)」の記載を二箇所で引用しているものの、良安は、ここでは、かなりはっきりと、その「楓(ふう)」と「雞冠木(ももぢ/かへで)」は、花と実の違いから、全くの別種であることを、ほぼ認知していることが判る。前項「楓」で、それは、殆んど、明らかに認知していた。だからこそ、「楓」の標題下で、良安がバシッと、『俗、以つて「蝦手《かへで》の樹」と爲《な》すは、非なり』と断言していることからも、既にして明白であったのである。
ここに出る「蝦蟇手の木」の表記には、ギョッとされた方も多いだろうが、当該ウィキにも本邦の漢字表記に「蛙手」を挙げており、冒頭でも、『名前の由来は、葉の形がカエルの手「蝦手(かへるで)」に似ていることから、呼び方を略してカエデとなった』とある。
「朝鮮松」裸子植物門マツ亜門マツ綱マツ亜綱マツ目マツ科マツ属 Strobus 亜属 Cembra 節チョウセンゴヨウ Pinus koraiensis の異名。所謂、「松の実」を採る種である。
「十二一重(《じふに》ひとへ)」
「和州の龍田」現在の奈良県生駒郡斑鳩町(いかるがちょう)龍田(グーグル・マップ・データ。以下同じ)。
「雍州の髙雄山」京都府京都市右京区梅ケ畑谷山川西(うめがはたたにやまかわにし)に頂上(四百二十八メートル)があり、その中腹に高野山真言宗の神護寺がある。
「中𬜻に於いては、此の二物、闕(か)けたるに似るなり」とあるが、無論、中国には桜も楓(かえで)もある。ただ、双子葉植物綱バラ亜綱バラ目バラ科サクラ亜科サクラ属 Cerasus(若しくはスモモ属 Prunus で、その場合は、その下にサクラ亜属 Cerasus を置く)は平安時代以後、特別な地位に立つようになり、盛んに栽培・品種改良が行われてきた歴史があり、その内、現代では、世界的に観賞用として広く植栽されているのが、圧倒的に江戸時代に生まれたソメイヨシノ Cerasus × yedoensis ‘Somei-yoshino’であるために、中国産のサクラは特に目立たないだけである。サクラはヒマラヤ原産と考えられているから、中国を経由して本邦に入ったものであろう。但し、中文ウィキの「樱花」は、明らかにベースを我が国の「サクラ」のウィキを基本ベースとしたものであり、菊とともに日本の国花の桜花が日本の侵略のイメージと通底しているためであろうから、文化的にはあっさりとしか書かれていない。カエデ属の中文の「枫属」も中国文化の記載は、ごく簡潔で、「賞楓」(本邦の「紅葉狩」)の項も、「中國」のパートには「八達嶺國家森林公園」・「香山公園」・「栖霞山」・「圭峰山國家森林公園」・「石门国家森林公园」・「西湖」の地域名を載せるにとどまっている。歴史の不幸な傷痕と言うべきか。
「万葉」掲げられた「万葉集」のそれは、「卷第八」の「大伴田村大孃(おほとものたむらのおほをとめ)の妹(いも)の坂上大孃(さかのうへのおほいらつめ)に與へたる二首」の二番目で(一六二三番)、
*
わが屋戶に
黃變(もみ)つ鶏冠木(かへるで)
見るごとに
妹を懸けつつ
戀ひぬ日は無し
*
である。
「八入(やしほ)」「八汐」とも。カエデの園芸品種の一つ。イロハモミジ( Acer palmatum )系の小葉のカエデ。若芽は紅色で、若葉は淡紅色を帯びる。
「青海(せいかい)」非常に古くからある園芸品種。芽吹きが美しく、新葉から赤く色づき、後に赤茶色から黄緑・緑に変化し、夏は濃緑となる。秋、赤から橙色に紅葉する
「毛氊(もうせん)」「毛氈」は「千染」・「血汐」・「紅八房」・「血潮」等、さまざまな異名がある。早春は赤芽、徐々に葉の中心が緑色になり、縁が赤く残る。さらに夏には、緑一色になり、秋の紅葉は橙から黄色を呈する。
「野村」「野村紅葉」。イロハモミジの園芸品種(オオモミジ Acer amoenum var. amoenum の変種という説もある)で、江戸時代から庭木として使われ、春先から秋まで、やや紫がかった紅色の葉をつけるため、庭のアクセントとして使われることが多い。地域や環境によっては季節に応じて色が変化していく。)「野村」は人名ではなく、濃い紫の葉の色に由来する。嘗つては「武蔵野」と呼ばれていた。
「透明(すかし)」不詳。
「唐蝦蟇手(からかへで)」不詳。
「𮈔垂蝦蟇手(しだれかへで)」枝垂れモミジ。ヤマモミジ(イロハモミジ変種ヤマモミジ(ホンドウジカエデ) Acer palmatum var. matsumurae )の園芸品種で、枝が垂れるもの。
「𮈔垂柳(しだれ《やなぎ》)」キントラノオ目ヤナギ科ヤナギ属シダレヤナギ変種シダレヤナギ Salix babylonica var. babylonica 。
「古今和歌集」の紀貫之の歌は、「卷第五」の「秋歌下」の以下(三一一番)、
*
秋のはつる心を龍田川に思ひやりてよめる
年ごとに
もみぢばながす
龍田川
みなとや秋の
とまりなるらむ
*
「みなと」は龍田川が大和川に入って、やがて下って大阪湾に注ぐ場所を指す。]
« 柴田宵曲「古句を觀る」正規表現版電子化注 / 「秋」(9) | トップページ | 柴田宵曲「古句を觀る」正規表現版電子化注 / 「秋」(10) »