「善惡報はなし」正規表現オリジナル注 卷三 「目錄」・㐧一 不淨の者あたご山にて鹿にかけらるゝ事
[やぶちゃん注:底本・凡例等は初回を参照されたい。]
善惡報はなし三之目錄
㐧 一 不淨(ふじやう)の者(もの)あたご山(さん)にて鹿(しゝ)にかけらるゝ事
㐧 二 無益(むやく)の殺生(せつしやう)の事幷㚑(れう)來(きたつ)てかたきをとる事
[やぶちゃん注:「れう」はママ。]
㐧 三 女房(によばう)はらみ女の腹を(はら)を燒破(やきやぶる)事
㐧 四 虵(へび)來て女を犯(をかす)事
[やぶちゃん注:「をかす」はママ。]
㐧 五 身をうり母を養(やしなふ)事
㐧 六 庭鳥(にはとり)の玉(たま)子をとりてひくふ事
㐧 七 房主(ばうず)の一念(ねん)虵(へび)に成木(き)をまとふ事
㐧 八 慈悲(じひ)ある人海上(かいしやう)にてかめにたすけららるゝ事
㐧 九 馬(むま)をとらんとて人を殺(ころし)むくふ事
㐧 十 三賢人(さんけんじん)の事
㐧十一 繼母(けいぼ)まゝ子(こ)を殺(ころし)土(つち)に埋(うづみ)あらはるゝ事
㐧十二 生(いき)ながらうしとなりて死(しぬる)事
㐧十三 死(しゝ)て犬(いぬ)に生(うま)るゝ事
㐧十四 女の愛執(あいしう)虵となる事
[やぶちゃん注:第二参考底本では、この後に『㐧十五』と「第十六」の項があるが(それぞれ下に標題あり)、これ、明らかに、例の落書野郎が書き加えたもので、位置もおかしく、字も汚い。無論、本文に当該話はないので、カットする。]
善惡報はなし卷三
㐧一 ふじやうのものあたご參詣し坂にて鹿(しゝ)にかけらるゝ事
○都のほとり、ふかくさの近邊に、三平と申《まうす》もの、あり。
しゝを、にて、くらひしかまにて、食(めし)をたかせ、くふて、あたごへ、まいりけるが、
『坂、三、四町ほども、あがらん。』
とおもふ程にて、俄に、まなこ、かすみて、あしもと、くらく成て、身、えわかず。
[やぶちゃん注:「ふかくさ」「深草」。この附近(グーグル・マップ・データ)。
「鹿(しゝ)」これは鹿(シカ)ではなく、猪(イノシシ)である。挿絵でも、そうなっている。終りのカタストロフからも、シカではない。
「あたご」愛宕山。現在の京都府京都市右京区嵯峨愛宕町にある山及び愛宕神社。ここ(グーグル・マップ・データ)。古くから信仰の山であった。私は山麓の参道入口にある「鮎茶屋平野屋」が大のお気に入りで、二度、行っている。「怪奇大作戦」の実相寺昭雄監督の名作「京都売ります」以来、ずっと訪ねたかった料理屋である。]
しかれども、我身のふじやう成《なる》事を、夢ほども、おぼえず、ひたと、ふしぎをたてゝ[やぶちゃん注:「ただ、ひたすら、『不思議じゃ。』という思いをしつつも、」の意か。]、あがるほどに、とび、一つ、來つて、かれがあたまを、けて[やぶちゃん注:「蹴て」。]ゆきぬ。
[やぶちゃん注:「とび」「鳶」。タカ目タカ科トビ亜科トビ属トビ亜種トビ Milvus migrans lineatus。「和漢三才圖會卷第四十四 山禽類 鳶(とび) (トビ)」の私の注を、是非、読んでいただきたいのだが、実は、愛宕神社の神使は、猪なのである。そして、その後、鳶も神使として加わったのだが、私は鳶の参入は、戦国時代以前に遡れるかどうかには、疑問を持っている。ともかくも、この話では、その二つの神使が、ともに撃退に活躍している点が、甚だ面白いのである。]
此男、
『あら、ふしぎや。今の、けてゆきしは、正(まさ)しく「とび」と、おぼゆ。いな事を、しつる物かな。』
と、おもふばかり、くにもならずして、ひたあがりに、あがる。
又、うしろより、一つ、來りて、けてゆく。
『是は、いかに。』
と、ふりかへり見る所に、さながら、目には見えずして、いづくより來《きた》るともなく、とび、二、三十ばかり、きたつて、八方より、ける。
[やぶちゃん注:挿絵は、第一参考底本はここ、第二参考底本はここ。後者がよい。但し、後者で二羽の鳶が刺されて、血を吹き出しているように見えるのは、例の落書である。第一参考底本と比較すれば、一目瞭然である。そもそも、原画では三平は、刀を抜いていないのだ! そう、左手が突き出している刀自体も、奴(きゃつ)が書き足したものなのだ!]
此男、さきへも、あとへも、ゆきやらずして、其まゝ、そこにとゞまりゐて、つえをもつて、とびを、はらはんとしけるうちに、むかふより、大の鹿《しゝ》、一つ、かけ來《きたつ》て、此男を、ひつかけ、おとしける。
なにかは、たまるべき、すせんじやう[やぶちゃん注:「數千丈」。言うまでもなく、誇張表現。]の、はるかの谷へ、かけおとしけるが、みぢんになつてぞ、はてにけり。
あはれといふも、をろか[やぶちゃん注:ママ。]也。
つたへきくにも、魔山(まさん)なれば、淸淨《しやうじやう》のうへにも、しやうじやうにあるべきに、なんぞや、しゝを、にたるなべにて、三日も立(たゝ)ざるうちに、ふじやうの食(じき)をして、まいる[やぶちゃん注:ママ。]くせものなれば、たちまち、けころされしは、ことはり[やぶちゃん注:ママ。]なり、と申ける。
されば、佛神へ參らざるばつは、あたらずして、參りて、ばつをうくるもの、世に、おほし。
とかく、しん・不信心の二つに、よるべし。よくよく、つゝしむべし。おそるべし、おそるべし。
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