柴田宵曲「古句を觀る」正規表現版電子化注 / 「冬」(7)
煤掃や埃に日のさす食時分 千 川
煤掃[やぶちゃん注:「すすはき」。]が一わたり濟んで晝飯になる。まだ片づききらぬ家の中で飯を食ふ。がらんとした室内に冬の日光がさし込んで、こまかい埃の浮動するのが見える、といふ意味であらう。「埃に日のさす」といふ言葉から見ると、一隅に掃寄せられたごみに日が當るといふ意味に解せられぬこともないが、それでは趣が少い。飯時分になつて稍〻落著いた室內に、さし入る日光をしみじみと見る。その中に浮動する埃にも或美しさを感ずる、といふことでなければならぬと思ふ。
「食時分」は「メシジブン」とよむのである。
特に煤掃の時といふ記憶は無いが、日光に浮動する埃の美しさを感じたことは、吾々も子供の時分にある。美に對する子供の感じは存外早く發達するのである。あの中に無數の黴菌があるといふやうなことばかり敎へて、何ものの中にも美の存することを知らしめぬのは、果して子供の爲に幸福であるかどうか。――この句を讀んでそんな餘計なことを考へた。
冬枯や物にまぎるゝ鳶の色 吏 明
冬になつて天地が蕭條たる色彩に充される。さういふ天地の間に在る時、茶褐色の鳶の姿が物にまぎれて見えるといふのであらう。保護色などといふ面倒な次第ではない。鳶も亦冬枯色の中に存するのである。
作者は冬枯の中に鳶を點じ去つただけで、鳶そのものの狀態に就ては何も說明してゐない。飛んでゐるか、とまつてゐるかといふことも、句の表には現してゐないが、冬枯を背景とし、その色彩に紛るゝとある以上、これはとまつてゐる鳶と見るを至當とする。「物にまぎるゝ」といふ七字が簡單にこれを悉してゐる[やぶちゃん注:「つくしてゐる」。]。
麥まきや風にまけたる鳶烏 吏 明
寒い畑に出て麥を蒔まきつゝある。强い風が野一面に吹きまくる。先程まで飛んでゐた鳶も烏も、風に堪へられなくなつたと見えて、そこらに影が見えなくなつた、といふ意味かと思はれる。
「風にまけたる」といふ言葉は上乘のものではないかも知れない。たゞ現在風に吹かれつゝある――吹き惱まされつゝある狀態だけでなしに、今し方まで飛んでゐたのが、いつか見えなくなつたといふ時間的經過を現し、その上に風の强い意味まで含ませるとすれば、やはりかういふ意味の言葉を使はなければをさまらぬのであらう。この種の言葉も元祿期の一特徵である。
初雪や桐の丸葉の片さがり 路 健
雪に對して桐の葉を持出したところに特色がある。桐一葉は秋の到るを現すのに恰好なものであるが、それだからと云つて、桐の葉は冬を待たずに全部落ち盡すわけではない。かなり遲くまで枝についてゐる葉がある。同じ作者の句に「初雪や桐の葉はまだ落果ず」といふのがあるが、これは桐の梢がまだ幾葉もとゞめてゐることを現したのである。「片さがり」の句はその葉の一に目をとめて、片さがりになつてゐる狀態を捉へた。「丸葉」は今の人だつたら「廣葉」といふところかも知れない。
俳句は或傳統の上に立つ詩である。季題趣味といふものも、傳統の上に立たなければ解し得ぬ點がいくらもある。併しそれが爲に、桐の葉は秋に落ちるものだから、雪に配するのは常磐木か枯木に限るといふやうな既成觀念を生じて來ると、多少の危險を伴ふことを免れぬ。句の趣は直に自然に就て探るべく、歲時記や既成觀念に支配される必要は少しも無い。古人も夙にそれを實行してゐることは、雪中の桐の葉がよく之を證してゐる。
栴檀の實にひよ鳥や寒の雨 蘆 文
この栴檀は二葉より馨しい[やぶちゃん注:「かんばしい」。]名木ではない。アフチの實である。嘗て新年に伊勢神宮に參拜した時、黃色い實のなつてゐる木があつて、センダンだと敎へられた。「栴檀のほろほろ落つる二月かな」といふ子規居士の句を成程と合點したが、今度はこの句を讀んであの木のことを思ひ出した。
寒の雨の降る中を、鵯[やぶちゃん注:「ひよどり」。]が栴檀の實を食ひに來る。鵯も栴檀の實も等しく雨に濡れつゝある。寒いながら何となく親しい感じのする句である。
[やぶちゃん注:「ひよ鳥」スズメ目ヒヨドリ科ヒヨドリ属ヒヨドリ Hypsipetes amaurotis 。博物誌は私の「和漢三才圖會第四十三 林禽類 鵯(ひえどり・ひよどり) (ヒヨドリ)」を見られたい。
「栴檀は二葉より馨しい名木」双子葉植物綱ビャクダン目ビャクダン科ビャクダン属ビャクダン Santalum album の中国語の異名。
「アフチ」ムクロジ目センダン科センダン属センダン変種センダンMelia azedarach var. subtripinnata 。私は花が大好き。
「栴檀のほろほろ落つる二月かな」明治二七(一八九四)年、満二十六歳の時の作。表記は、
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栴檀のほろほろ落る二月かな
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である。]
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