「善惡報はなし」正規表現オリジナル注 卷二 㐧十一 盲目の母をやしなふ事
[やぶちゃん注:底本・凡例等は初回を参照されたい。]
㐧十一 盲目の母をやしなふ事
○津国(つのくに)、「多田(たゞ)のまんぢう」のしやたう[やぶちゃん注:ママ。「社頭」。]ぞうりうの時、人夫、食物《しよくもつ》、たはら、おほく、つみかさねてをきけり。
[やぶちゃん注:『「多田(たゞ)のまんぢう」の』「しや」は、現在の 兵庫県川西(かわにし)市多田院多田所町(ただどころちょう)にある多田神社のこと(グーグル・マップ・データ)。清和源氏興隆の礎を築いた源満仲を筆頭に源頼光・源頼信・源頼義・源義家を祀る。「まんぢう」は「滿仲」を敬意を込めて音読みしたものである。]
ある時、たはらを、一つ、ぬすみ取《とり》て、にげゝるを、とらへてみれば、十六、七ばかり成《なる》わつばなり。
[やぶちゃん注:「わつば」現在、当たり前のものとして半濁音の「○」表記法は、江戸時代には、必ずしも一般的であったとは言えない。ウィキの「半濁音」によれば、『ポルトガル人宣教師によりキリシタン文献に導入されたのが最初とされる』とある。但し、江戸時代の口語としては、臨機応変に半濁音の発音をちゃんとしていたであろうから、ここも半濁音で読み替えてよい。]
奉行、是をみて、
「なんぢは、いか成《なる》ものぞ。」
と、とはれければ、わつば、こたへて、いはく、
「それがしは、あれにみへたる山のふもとに、まかりあるものにて候が、まづしく、かひなきものにて、殊に盲目の母を、一人、持て候が、たきゞを取て、はるか成《なる》里に出《いで》て、かへりて、母を、やしない[やぶちゃん注:ママ。]はぐゝみ候へば、身もつかれ、ちからも、つきて。はかばかしくたすけ、心やすくすぐるほども侍らねば、『此たはらを取て、はゝをたすけばや。』と、おもふばかりにて、かゝる「ふたう」を、つかまつりて、はぢをさらし候こそ、先業(せんごう)[やぶちゃん注:ママ。前世(ぜんせ)の業(ごう)で盲目になったという意で、歴史的仮名遣は「せんごふ」が正しい。]までも、今更、はづかしく、口おしく候。」
と申《まうし》て、
「さめざめ」
と、なきければ、奉行も、ことのしさいをきゝ、あはれにおもはれけれども、實否(じふふ[やぶちゃん注:ママ。])をしらんがために、此わつばが申狀《まうしじやう》につきて、母が居所を、たづねにつかはすに、つかい[やぶちゃん注:ママ。]、尋ねゆき、見ければ、山のふもとに、ちいさき「いほり」あり。
人をとしければ[やぶちゃん注:「人音(ひとおと)しければ」(人がいるような音がしたので)の誤りか。]、たちより、
「何成《いかなる》人ぞ。」
と問《とふ》に、うちに、こたへけるを見るに、盲目也。
かれが、いはく、
「すみわびて、此山のふもとにゐて、たきゞを取《とり》て、里に出《いで》て、はぐゝむしそく[やぶちゃん注:「子族(しぞく)」か。]、わらはの候を、たのみて、露の命を、おくり侍る也。きのふ、いでて、今日《けふ》も、かへらず、いかゞしける、おぼつかなく待《まち》くらす也。」
と、かたるを聞《きき》て、使《つかひ》、かへりて、有《あり》のまゝに、申上《まうしあぐ》る。
奉行、
「扨は。僞り、なし。なんぢ、かさねての、しをき[やぶちゃん注:「仕置き」。]のために[やぶちゃん注:処罰するための詮議のために。]、大小によらず、くせ事にも行《おこなは》んずれども[やぶちゃん注:「安易に罪の軽重を斟酌することなく、不正行為を致さんしたことは明白であるが故に、御政道に則り、厳しく断罪するところであるが」。]、おやに孝あるもの。其上、盲目のはゝを、やしなふ上は、命(いのち)を、たすくるなり。」
とて、あまさへ、五、六年もすぐるほど、はうびを、もらい[やぶちゃん注:ママ。]、かへりけり。
「孝行の心ざし、まことなれば、天のめぐみ、有て、命までも、たすかりけるこそ、ありがたき次㐧也。」
と、皆、きく人ごとに、かんじける。
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