甲子夜話卷之八 24 淇園先生勇氣ある事
8-24
淇園(きえん)先生は沈勇なる人なり。
一日、門生と與(とも)に祇園の二軒茶屋に遊ぶ。こゝは西都群會の地ゆへ[やぶちゃん注:ママ。]、諸人、皆、來て、宴飮す。
時に一人、醉(ゑひ)に乘じて、刄(やいば)を拔(ぬき)て、狂するもの、あり。
在る所の男女(なんによ)、駭怖(おどろきおそれ)て、亂走す。
狂人、その茶屋に近づく。
門生、言(いひ)て曰(いはく)、
「早く、避(さく)べし。」
先生、盃(さかづき)を把(とり)て、動(うご)かず。
門生、頻(しきり)に促(うなが)せども、自若たり。
狂、已(すで)に前(まへ)に來(きた)り、刄を振(ふるひ)て、簷下(のきした)の挑燈(てうちん)を斫(き)る。
燈(ともし)、三、四、中斷して、落つ。
門生、堪(たへ)ず、先生の肩を執(とり)て引く。
先生、嗤(わらひて)、曰(いはく)、
「すばらしきもの哉(かな)。」
とて、遂に起(た)たず。
狂、遂に、人の爲に縛(ばく)せられて止(やみ)ぬ。
後、門生、先生に言ふ。
「師、如ㇾ此(かくのごとき)とき、去(さら)ずして、若(もし)、かれが爲に害を受けば、都下の笑(わらひ)を惹(ひか)ん。
先生、曰、
「否、天、あらずや。狂、それ、如二予何一(よをいかんせん)。」
と答たり、となり。
■やぶちゃんの呟き
「淇園先生」儒学者皆川淇園(みながわきえん 享保一九(一七三五)年~文化四(一八〇七)年)。「甲子夜話卷之一 12 大阪天川屋儀兵衞の事」で既出既注。
「天、あらずや。狂、それ、如二予何一。」「論語」の「述而第七」の二十二章に引っ掛けて応じたもの。
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子曰、「天生德於予。桓魋其如予何。」。
(子、曰はく、「天、德を、予(われ)に生(しやう)ぜり。桓魋(くわんたい)、其れ、予(われ)を如何(いかん)せん。」と。)
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「桓魋」宋の大夫であった司馬(軍事長官)向魋(しょうたい)。紀元前四九二年、宋を訪ねた孔子を殺そうとした。当該ウィキを参照されたい。
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