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2024/06/23

「善惡報はなし」正規表現オリジナル注 始動 / 序・「卷一 目錄」・「卷一 㐧一 前世にて人の物をかりかへさゞる報(むくひ)により子生れ來て取りてかへる事」

[やぶちゃん注:「善惡報はなし」(ぜんあくむくひはなし)の全正字電子化注を始動する。同書は編著者不詳で、五巻五冊。挿絵は元禄期に活躍し、井原西鶴の浮世草子の挿絵などを描いた奈良出身の蒔絵師源三郎の画風である。諸事実を勘案すると(以下に示す参考底本の一書の編者吉田幸一氏の解題に拠った)、挿絵は元禄六(一六九三)年から同末の十七(一七〇四)年に描かれたものであり、板元の萬屋庄兵衛は大よそ元十年頃までの板元であることから、本書の開板は元禄一〇(一六九七)年以前と推定されている。本書には、後の享保年間(一七一六年~一七三六年)に板行された改題本「續御伽はなし」がある。

 底本であるが、私は活字化された正字正仮名の完本の書籍を所持していない。新字正仮名の抄録されたものを、岩波文庫の高田衛編・校注「江戸怪談集」(上)所収のそれで所持しているだけである。そこで、まず、

全文が新字正仮名で載る、国立国会図書館デジタルコレクションの吉田幸一編「近世怪異小説」(『近世文芸資料』第三・一九五五年古典文庫刊)を第一の参考底本とする(リンクは「序」のページ)

こととした。しかし、私は、基本、「第二次世界大戦以前の本邦の作品は、正字正仮名でなければ、電子化する価値はない。」と考える人種である。さても、ここで、幸いなことに、

改題本「續御伽はなし」の原画像(関西大学図書館本)を「国書データベース」で総て視認出来ることを知ったのでそれを前者と同等のレベルで第二参考底本とする

こととした。前者を後者で視認比較することで、正しい正規表現に直せるからである。なお、時間を節約するために、岩波文庫「江戸怪談集」(上)所収のものは、OCRで読み込み、加工データとして使用させて頂いた。それ以外は、視認してタイピングした。また、そこに附されてある挿絵についても、画像で取り入れ、適切と思われる箇所に挿入した。但し、岩波文庫版に収録されていない話の挿絵は、国立国会図書館デジタルコレクションのものも、国書データベースのものも、それぞれ、許諾申請を行わないと掲載出来ないので、それぞれをリンクさせるに留めた。

 二種を参考底本にするが、第二参考底本で、新字と同じものの一部は、私の判断で正字に代えた。それは、特に注記しない。例えば、以下の「序」や第一話では、「寛永」となっているが、「寬」にしたこと、「目錄」の二箇所の「継母」を「繼母」としたことを指す。

 なお、書名は岩波文庫では、一貫して「善悪報ばなし」となっているが、第一参考底本は「善𢙣報はなし」、第二参考底本は「續御伽はなし」と、一貫してすべて清音であるので、それで表字した。

 読みは、基本は第二参考底本に拠ったが、読みが振れないものは、原則、略した(「序」は別)。逆に、読みが振れるのに、ルビがない箇所は、《 》で私の推定で歴史的仮名遣で添えた。

 句読点は、参考底本二本と、岩波文庫を参考にしつつ、独自に打った(「序」は例外で、第二底本の句点のみを採用した)。段落成形は、岩波文庫を参考にしつつ、独自に増加させてある。直説話法やそれに準ずるものは、改行し、括弧・二重鍵括弧を添えた。括弧類は単語その他として区別する必要がある箇所にも、適宜、配した。「・」等の記号も附した。踊り字「〱」「〲」は生理的に厭なので、正字に直した。

 注はストイックに附す。「江戸怪談集」(上)の高田先生の脚注も参考にさせて戴いた。合せてここに御礼申し上げる。

 ここのところ、『「和漢三才圖會」植物部』が、なかなかに手間の掛る電子化注であるため、新規プロジェクトを遠慮していたのであるが、昨日、私の大好きな古い連れ合いの女性の教え子二人と、横浜でランチを共にしたのだが、二人がそれぞれにパワフルに生活しているのを見るに、『私も頑張らねば!』という思いが強くした故、かく、急遽、開始することとしたことを言い添えておきたい。【二〇二四年六月二十三日未明 藪野直史】

 

 

善惡報はなし 序

倩(つらつら)愚案(ぐあん)を以て世中(よのなか)の事を思ひくらぶるに。善𢙣(ぜんあく)をまく田地(でんぢ)は人倫(じんりん)日用(にちよう)のまじはり也。故(かるがゆへ[やぶちゃん注:ママ。])人には慈愛(しあい)の心を專(もつはら)として。何事に付ても。むさぶらずいからず。かたくなゝらず。角(かど)なくまんまろくして。親(おや)には孝行(かうかう)の誠(まこと)をつくし。夫(をつと)につかへるに道(みち)有。子(こ)をそだつるに法(ほう[やぶちゃん注:ママ。])有。兄弟一族(けいていちぞく)には。それそれにしたがひ家内(かない)の僕(やつこ)には情(なさけ)ふかく。或は乞食(こつじき)非人(ひにん)烏雀(うじやく)犬鼠(けんそ)だにも憐(あはれ)む心あるを。明德佛性(めいとくぶつしやう)とす。いにしへより今にいたるまで貴(たつとき)も賤(いやしき)も知(ち)あるも愚(をろか)なるも。いきとしいける人善𢙣(ぜんあく)をしらぬはなし。然どももとむるにまようひあり。明德佛性(めいとくぶつしやう)のいはれを。きけどもきかざるがごとし。皆(みな)人かしこがほにして善をすてゝ𢙣をもとむる。却而(かへつて)夏(なつ)の虫(むし)のともし火(ひ)に入。江河(がうが)の𩵋(うを)のゑばをむさぶるにひとし。就中(なかんづく)寬永より以來(このかた)。諸國在〻(しよこくざいざい)に人の善𢙣の報(むくひ)を聞書(きゝかぎ[やぶちゃん注:ママ。])にし。其名(な)を善𢙣報ばなしと号(かう[やぶちゃん注:ママ。])して五卷(くわん)にあみて今(いま)爰(こゝ)に仝ㇾ板行畢。且(かつ)は心ある人の一覽(らん)。または女郞花(をみなへし)のくねり心のわろわろよくもなりなんかし

 

[やぶちゃん注:以上の「序」は、第一参考底本はここ、第二参考底本はここから、である。後者は改題本であり、初版とは異同があるが(特に読み)、後者を優先してある。ここでは、読みは、総て、第二参考底本に従って附した。

「明德佛性」は江戸初期の陽明学者で「近江聖人」と称えられた中江藤樹(とうじゅ 慶長一三(一六〇八)年~慶安元(一六四八)年)が唱えた、儒教に基づく陽明学の「明徳思想」(唯一無二の聰明な徳、真に正しく公明絶対な徳を果敢に実行すること。良知と心学の合体したもの)と仏教の「仏性(ぶっしょう)思想」(仏の唯一無二の性質。仏としての本性。仏となる可能性としての因子。大乗では、総ての生きとし生けるものにそれが備わっているとする)を一体とした思想を指す。

「寬永」一六二四年から一六四四年まで。徳川家光の治世。

 以下、「卷一」相当の目録。以下、読みは、誤読するものに限って附した。]

 

 

善𢙣報はなし目錄

 

㐧 一 前世(ぜんせ)にて人の物をかりかへさゞる報により子生(うま)れ來(き)て取りてかへる事

㐧 二 殺生人口(くち)ばし有《ある》子を產《うむ》事幷《ならびに》父《ちち》背(せなか)に文字(もんじ)すはる事

㐧 三 繼母(けいぼ)娘を殺(ころす)事柱(はしら)に虫くひうたの事

[やぶちゃん注:当該話を見ると判るが、「虫くひうた」は虫食いで歌一首が刻まれていたことを指す。]

㐧 四 親のむくひにより子共三人畜生の形をうくる事

㐧 五 正直の夫婦たからを得る事

㐧 六 商人(あきひと)盜人(ぬす《びと》)に殺(ころさる)る事犬の告(つぐる)事

㐧 七 蟹(かに)女の命をたすくる事

㐧 八 女の口ゆへ夫(をつと)死罪の事

㐧 九 商人人の目をくらまし己(をのれ[やぶちゃん注:ママ。])盲目と成《なる》事

㐧 十 𢙣念ある者うしに生(うま)るゝ事

㐧十一 ねたみふかき女の口ゟ《より》蛇出《いづ》る事

㐧十二 怨㚑(をんれう[やぶちゃん注:「をんりやう」が正しい。])來(きたつ)て繼母(けいぼ)を取(とり)ころす事

㐧十三 女房下女殺(ころす)事大鳥(だいてう)來りて女をつかみころす事

 

 

善𢙣報はなし卷一

 

  㐧一前世にて人の物をかりかへさゞる報(むくひ)に

    より子生れ來て取りてかへる事

〇寬永中年(ちうねん)[やぶちゃん注:「年中」に同じ。]の比、攝州に、さる百姓あり。四十にあまるまで、子を持たず、子孫、繁昌せざらん事を、ふかくなげき、

『いかなる佛神へも、祈り、縱(たとひ)、女子にても、あれかし。子といふものを見ざらん事、くちおしき事。』

におもひ、明暮(あけくれ)、是をねがふに、誠に諸天のめぐみにや、いつの比より、妻(つま)、懷妊し、しかも男子(なんし)を產(うめ)り。

 夫婦、かぎりなくよろこびけり。

 されども、此の子、五、七才になれども、あし、たゝずして、

「ひた」

と、いざりありきしが、親、かなしくおもひ、さまざま、醫藥をつくし、或は、「くすりぐひ」[やぶちゃん注:投薬することではなく、滋養となるとされた魚肉・獣肉などを食わせる食事療法を指す。]などをさせ、いろいろ、療治すれども、其《その》しるしなく、はや、漸々《やうやう》、廿一になれども、終(つひ)に、腰、たたず。

 或時、夫婦、うちよりて、申すやう、

「扨〻《さてさて》、あさましき我々が仕合《しあはせ》[やぶちゃん注:自分たちの不幸な身の成り行き・有様の意。]かな。たまに一人の子を持つといへども、剩(あまつさへ)、『かたわ』にてあるに、甲斐なき事かな。」

と、つぶやきけるを、「こしぬけ」[やぶちゃん注:「腰拔け」。息子を指す。]、つくづくと聞《きき》て、

申《まふし》けるは、

「親のおほせ、もつともなり。さりながら、我、今、望《のぞむ》事、あり。叶へ給はば、立たん。」

と云ふ。

 夫婦、聞きて、

「汝、ただ今、立つならば、縱(たとひ)我〻が身にかへてなりとも、所望をかなへ得させむ。はや、とく、とく、」

と、あれば、「こしぬけ」、聞き、「さもあらば、米一俵、錢(ぜに)三ぐわんもん[やぶちゃん注:「三貫文」。銀五十文。一両の四分の三。米換算で現在の三万円ほど。]給はれ。それを力にして立たん。」

といふ。

 親、かぎりなく喜び、

「それこそ、いと易き事也。」

とて、やがて、米・錢、取出《とりいだ》し、彼《かれ》がまへに置《おく》時に、「こしぬけ」、居《ゐ》ながら、米、引《ひつ》たて、かたにをき[やぶちゃん注:「肩に置き」。]、三ぐわんもんの錢を引つかみ、

「づん」

ど、[やぶちゃん注:「づんど」は、岩波文庫脚注に『すっくと。中世口語の語法』とある。一種のオノマトペイアと私は採るので、分離した。]立つて、表へ、はしり出《いづ》る。

 夫婦、なゝめに[やぶちゃん注:「非常に」。]、よろこび、

「汝、よし、よし、かへれ、かへれ、」

といふに、こくうむはう[やぶちゃん注:「虛空無法に」。岩波文庫脚注に『めったやたらに』とある。]、山を目がけ、はしりゆく。

 

11

[やぶちゃん注:岩波文庫のものをトリミング補正した(汚損が激しいので、完全にはクリーニングはしていない)。第一参考底本ではここ、第二参考底本ではここ。それぞれのリンク先を見て頂くと判るが、原本画像の劣化が激しい。後者が改題本であるので、鬼の顔がかなり鮮明に視認出来る。後者では、下方にキャプションのようなもの二箇所にあり、右側は墨塗りで潰してあるが、これは、江戸時代の旧蔵者が書き入れた落書である。]

 

 二人の親、あとをしたふてゆく程に、山中《さんちゆう》さして、ゆく。

「是はいかん[やぶちゃん注:「如何」。]。」

と、共に行(ゆく)時、かの「こしぬけ」、

『立(たち)かへる。』

と見ければ、其の長(たけ)、一丈ばかりの鬼(おに)となり、親に向ひて、申(まふす)やう、

「我を、子とおもふて、今まで育てつるこそ、愚(おろか)也。なんぢに、前世《ぜんせ》にて、錢米《ぜにこめ》をかしけるが、終(つひ)にすまさず。是をとらんがため、我れ、汝が子となり、廿一まで、汝が物を喰ひつくし、其のあまりは、此の米錢《こめぜに》也。今、取《とり》て、かへる。とくとく、かへるべし。」

とて、猶《なほ》、山深く、入《いり》にける。

 親、大きにおどろき、はしりかへり、妻に、

「かく。」

と語る。

 されば、今世《こんぜ》にて、なすわざは、皆、前世《ぜんせ》の報《むくひ》なりと、知るべし。おそるべし、おそるべし。

 

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