「和漢三才圖會」植物部 卷第八十二 木部 香木類 返魂香
はんごんかう 附
兠木香
返魂香
ハン フヲン ヒヤン
[やぶちゃん字注:「兠」は「兜」の異体字。]
本綱漢書及博物志所謂靈香是也返魂樹西域有之狀
如楓栢花葉香聞百里采其根水煑取汁錬之如𣾰乃香
[やぶちゃん字注:「𣾰」は「漆」の異体字。]
成也凡有疫死者燒豆許熏之再活
漢武帝時月氏國貢此香三枚大如燕卵黑如桑椹値長
安大疫西使請燒一枚辟之宮中病者聞之卽起香聞
百里數日不歇疫死未三日者𤋱之皆活乃返生神藥
也此說雖渉詭怪然理外之事容或有之
兠木香
漢武故事云西王母降燒兠木香未《✕→末》【兠渠國所進者也】如大豆
塗宮門香聞百里關中大疫死者相枕聞此香疫皆止
死者皆起此乃靈香非常物也
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はんごんかう 附《つけた》り
兠木香《ともつかう》
返魂香
ハン フヲン ヒヤン
[やぶちゃん字注:「兠」は「兜」の異体字。]
「本綱」に曰はく、『「漢書」及び「博物志」≪の≫、所謂る、「靈香」、是れなり。返魂樹《はんごんじゆ》、西域に、之れ、有り。狀《かたち》、楓《ふう》・栢《はく》のごとく、花・葉、香《かぐはし》く、百里に聞《にほ》ふ。其の根を采り、水もて、煑て、汁を取り、之れを錬《ね》る。𣾰《うるし》のごとく、乃《すなはち》、香《かう》、成るなり。凡そ、疫死《せる》者、有≪らば≫、豆(まめつぶ)許《ばかり》を燒きて、之れを熏《くん》じて、再たび、活《いけ》り。』≪と≫。
『漢の武帝の時、月氏國より、此の香、三枚を貢《みつぎ》す。大いさ、燕≪の≫卵のごとく、黑くして、桑椹(くわのみ[やぶちゃん注:ママ。])のごとし。≪時に≫長安の大疫に値《あたる》。西使、請《こひ》て、一枚を燒きて、之れを辟《さ》く。宮中の病者、之れを聞きて、卽ち、起(た)つ。香、百里に聞《にほひ》、數日《すじつ》、歇(や)まず。疫死≪して≫、未だ三日ならざる者、之れを𤋱《かげば》、皆、活《かつ》す、乃《すなはち》、生《しやうを》返す。神藥なり。此の說、詭怪《きくわい》に渉(わた)ると雖も、然《しか》も、理外の事、容(まさ)に、或いは、之れ、有るべし。』≪と≫。[やぶちゃん注:この場合の「容」は再読文字である。]
『兠木香(とりつかう)
「漢武故事」に云はく、『西王母《せいわうぼ》、降《くだ》りて、兠木香の末《まつ》を燒きて【兠渠《ときよ》國より進ぜらる者なり。】、大豆のごとく≪して≫、宮門に塗りて、香、百里に聞《にほ》ふ。關中、大いに疫死する者、相《あひ》枕《まくら》す。此の香を聞《きく》て、疫、皆、止む。死する者、皆、起つ。此れ、乃《すなはち》、靈香にして常物《つねのもの》に非ざるなり。』≪と≫。』≪と≫。
[やぶちゃん注:「返魂香」は良安が附言しないように、実在の香ではない。本記事としっかり対応しているので、ウィキの「反魂香」を全文引く。『反魂香、返魂香(はんこんこう、はんごんこう)は、焚くとその煙の中に死んだ者の姿が現れるという伝説上の香』。『もとは中国の故事にあるもので、中唐の詩人・白居易の』「李夫人詩」『によれば、前漢の武帝が李夫人を亡くした後に道士に霊薬を整えさせ、玉の釜で煎じて練り、金の炉で焚き上げたところ、煙の中に夫人の姿が見えたという』。『日本では江戸時代の』「好色敗毒散」・「雨月物語」『などの読本や、妖怪画集の』「今昔百鬼拾遺」、『人形浄瑠璃・歌舞伎の』「傾城反魂香」『などの題材となっている』「好色敗毒散」には、『ある男が愛する遊女に死なれ、幇間の男に勧められて反魂香で遊女の姿を見るという逸話があり、この香は平安時代の陰陽師・安倍晴明から伝わるものという設定になっている』。『また、落語の「反魂香」「たちぎれ線香」などに転じた』(私は「たちぎれ線香」が好き)。『なお』、『明朝の万暦年間』(一五七三年~一六二〇年)『に書かれた体系的本草書の決定版』「本草綱目」の「木之一」の「返魂香」では、『次のとおり記載されている』。『按の『内傳』では』(このウィキの記者、漢文が苦手らしく、いきなり、冒頭から、おかしい。「返魂香」の項の「集解」の冒頭部だが、これ「珣曰按漢書云」とあるので、「珣(しゆん)が曰はく、『按ずるに「漢書」に云はく、『武帝の時……』と読まねばならんがね! 「珣」は盛唐の文学者にして本草学者であった李珣で、「安禄山の乱」(七五五年)の際、蜀に亡命し、その後は梓州(四川省三台)に移住した。唐末期から著名な人物として知られた。しょっぱなからガックりきたので、以下にある原本文は「漢籍リポジトリ」のここのガイド・ナンバー[083-70b]から、項ごと、全文を引くことにする。一部の表記に手を加えた)
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返魂香【「海藥」】
集解【珣曰按漢書云武帝時西國進返魂香内傳云西域國屬州有返魂樹狀如楓柏花葉香聞百里采其實於釡中水煑取汁鍊之如漆乃香成也其名有六曰返魂驚精回生振靈馬精却死凡有疫死 者燒豆許薫之再活故曰返魂時珍曰張華博物志云武帝時西域月氏國度弱水貢此香三枚大如燕卵黑如桑椹值長安大疫西使請燒一枚辟之官中病者聞之卽起香聞百里數日不歇疫死未三日者薫之皆活乃返生神藥也此說雖渉詭怪然理外之事容或有之未可便指爲謬也】
附録 兠木香【藏器曰漢武故事云西王母降燒兠木香末乃兠渠國所進如大豆塗宫門香聞百里關中大疫死者相枕聞此香疫皆止死者皆起此乃靈香非常物也】
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『西海聚窟州にある返魂樹という木の香で楓または柏に似た花と葉を持ち、香を百里先に聞き、その根を煮てその汁を練って作ったものを返魂といい、それを豆粒ほどを焚いただけで、病に果てた死者生返らすことができると記述している』。『張華の』「博物志」『では』、『武帝の時』、『長安で疫病が大流行していたおり、西域月氏国から献上された香には病人に嗅がせるだけで』、『たちどころにその生気を甦えらせるという効能で知られていたが、上質なものになると死に果てた者でも』三『日の内であれば』、『必ず』、『この香で蘇らせることができた』『と記述されている』。但し、『これについて』「本草綱目」の著者である』『李時珍は』「此の說、詭怪(きくわい)に渉(わた)ると雖も、然(しか)も、理外の事、容(まさ)に、或るいは、之れ、有るべし。」(ここは本書の終りの訓読に代えた)『と批判している』とある。最後も時珍の『批判』という表現は、おかしいぞ? ここは、訳すなら、「この説は偽り・騙しを含んでいる語りのようにしか、一見、見えないものだが、しかし、尋常の理屈の範疇の外で、或いは、実際に起こったものであったのかも知れない。」という、疑義を含みながらも、微妙に留保している謂いである。
「返魂樹《はんごんじゆ》」ダメ押しで、小学館「日本国語大辞典」を引いておく。『反魂香の原料になるといわれる想像上の香木』。
「楓」本邦の「楓」とはちゃいまっせ! 「かえで」ではなく、「フウ」と読んでおくれやっしゃ! 先行する「楓」を見ておくれやす!
「栢」同前で「かしわ」なんて読んだら。もう、あきまへん! 何度か言うてますが、まんず、始動冒頭の「柏」を、どんぞ!
「百里」明代の一里は短いかい、おます。五百五十九・八メートルどす。五十五・九八キロメートルで、ごんす。
「漢の武帝の時」在位は紀元前一四一年から紀元前八七年。
「月氏國」月氏は紀元前三世紀から一世紀頃にかけて、東アジア・中央アジアに存在した遊牧民族と、その国家名。紀元前二世紀に、匈奴に敗れてからは、中央アジアに移動し、大月氏と呼ばれるようになった。大月氏時代は東西交易で栄えた。「漢書」の「西域伝」によれば、羌(きょう)に近い文化や言語を持つとあるが、民族系統については諸説ある。以下は、参照にした当該ウィキを見られたい。
「西使」「西」の「月氏國」から来た使節の公式の使者。
「聞きて」本邦でも「香」は「きく」と申しますやろ?
「漢武故事」底本の巻末の「書名注」に、『一巻。後漢の班固撰と伝えるが、後人の偽作といわれる。もと二巻。『史記』『漢書』の武帝記の記述と合致するところもあるが、妖妄(ようもう)』(奇怪で出鱈目なこと)『の話が多い』とある。
「西王母」中国古代の仙女。崑崙 (こんろん) 山に住み、不老不死の薬を持つ神仙とされ、仙女世界の女王的存在として長く民間で信仰された。
「兠渠《ときよ》國」不詳。
「關中」現在の陝西省の西安を中心とした一帯。思い出すね、漢文の「鴻門之会」。]
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