「善惡報はなし」正規表現オリジナル注 卷三 㐧十 三賢人の事
[やぶちゃん注:底本・凡例等は初回を参照されたい。本篇の冒頭の部分三行は、第二参考底本の終りの部分が破れて、欠損しているので、第二底本のものを、一部で使用した。]
㐧十 三賢人(《さん》けんじん)の事
○寬文元年ころ、備州(びしう)の内の山さと、在所の名を失念(しつねん)しける。
[やぶちゃん注:「寬文元年」この年が閏八月があったため、一六六一年一月三十一日から一六六二年二月十八日まで。徳川家綱の治世。]
此所に、母子三人あり。ひんにして、世をわたるもの共、ありけり。
二人の子共、他行《たぎやう》しけるひまに、となりのもの、來りて、母に「はぢ」をあたふるのみならず、さんざん、てうちやくして、かへりぬ。
二人の子共、かへりける。
母、あまり、ふくりう[やぶちゃん注:ママ。「腹立(ふくりふ)」。]して、ありのまゝにかたるを聞《きき》え、
「母の『はぢ』を、すゝがん。」
ために、となりのものを、せつがい[やぶちゃん注:「殺害」。]しぬ。
すぐに、目代[やぶちゃん注:代官。]へ、ゆき、[やぶちゃん注:ここはマズい。主語に「兄」が絶対に必要。]
「しかじかの事にて候。母と弟《おとと》には、とが、なし。我一人を、はやく、とがに行(おこな)ひ給へ。」
と申《まうす》。
又、弟が、あとより、ゆき、申やう、
「兄(あに)と母とには、とが、なし。我こそ、『とがにん』にて候。我を、がいし給ヘ。」
といふ。
目代、母をめして、くはしく、とひ給ふに、母の、いはく、
「いやいや、二人の子共には、とが、なし。我身にこそ、とがの候へ。子共は、しらぬ事にて候へば、ねがはくは、只、わればかりを、とがに行ひたべ。」
と云《いふ》。
目代、きゝ給ひて、彼是(かれこれ)、ろんじ、何れを、どれと、いふべき義も、なし。
「たゞたゞ、二人の子の中、一人を、ちうすべし。たゞし、母がことばに、よるべし。」
とて、母に、
「かく。」
と仰せらるゝ。
[やぶちゃん注:目代の台詞は、「この場合、ただただ、二人の子のうち、一人を誅するのが、適当である。但し、母が、それについて、どう判断するかに、拠るべきである。」の意であろう。]
母、申さく、
「弟(をとゝ[やぶちゃん注:ママ。])をめし取《とり》て、兄をば、たすけさせ給ヘかし。」
と申。
奉行の、いはく、
「人の親の、子を、おもふならひ、おほくは、いとけなきを、あいするに、なんぢは、いかなれば、弟を、すつるぞ。」
と、とひ給へば、母の、いはく、
「さればこそ、弟は我《わが》實子(じつし)也。兄は繼子にて候。兄父(けいぶ)、命おはり[やぶちゃん注:ママ。]し時、『なんぢ、かならず、我子のごとく、はごくむべし。』と申しかば、其ことばを、わすれがたきゆへ[やぶちゃん注:ママ。]に、かれを、たすけんと、おもふ。我子なれば、弟をば、參らすべし。」
と、申ときに、奉行、大きに、かんじ給ひて、
「扨は、一門の中に、三賢、あり。一室の内に、三義、あり。」
とて、二人ながら、母共(とも)に、たすけられしと也。
『我身を、わすれて、我身、まづしく、なさけ、ふかく、義、有《あり》て、其名を得る。』とかや。人をおもふは、我身を、おもふなり。かくのごときの道理をしらずして、なさけなく、義をわするゝ人は、人のかわ[やぶちゃん注:ママ。]をきたる、「ちくしやう」なるべし。よくよく、心得べき事也。
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