平仮名本「因果物語」(抄) 因果物語卷之六〔三〕家の狗主の女房をねたみける事
[やぶちゃん注:底本・凡例その他は初回を見られたい。この回の底本はここから。本話には挿絵はない。]
因果物語卷之六〔三〕家(いへ)の狗(いぬ)、主(しう)の女房を、ねたみける事
津の国、兵庫(ひやうご)のあたりに、長七といふものあり。大坂より、酒を、とりよせて、あきなふ。
親は、ちかきころ、二人ながら、死《しに》けり。
長七は、いまだ、女房も、なし。
「さびしき、たよりの、なぐさみになるもの。」
とて、吠可(べいか)の女狗(めいぬ)を、もとめ、さまざま、藝(げい)を、させて、ことのほかに、かはゆがり[やぶちゃん注:ママ。]、かひけり。
[やぶちゃん注:「吠可(べいか)」岩波文庫の高田衛氏の注に、『矮狗(べいか)。狆(ちん)のような小型の犬。愛玩用の犬。』とある。「吠」の方には慣用音として「ベイ」があるが、「矮」にはないので当て字。しかし、「吠」と「矮」を見れば狆らしい。当該ウィキによれば、狆の『文字は和製漢字で』、『屋内で飼う(日本では犬は屋外で飼うものと認識されていた)犬と猫の中間の獣の意味から作られたようである』とあった。因みに、私が最も生理的に嫌いな犬種である。]
夜には、ふところに、ねさせ、あるひは[やぶちゃん注:ママ。]、わが朝夕、食(しよく)をいるゝ御器(ごき)[やぶちゃん注:人用の食器。]に、食を、いれて、くはせけり。
「さても、いつまで、獨りずみせらるべきや。女房を、むかへよ。」
とて、友だち、媒人(なかうど)して、あたりの人の娘を、よばせけり。
此《この》女房をむかへしより、かのいぬ、今の女房に、ほえかかり、くらひつかんと、するほどに、
「これは。さだめて、見しらぬゆへ[やぶちゃん注:ママ。]なるべし。」
とて、さまざま、食物を、あたへ、ちかづくれども、くひも、くはず、すこしも、なつかず、ほえかゝる事、ひま、なし。
あるとき、女房、昼(ひる)ねしてありしを、かのいぬ、ねらひよりて、のどぶえに、とびかゝりしが、おとがひ[やぶちゃん注:「頤」。]に、せかれて、小袖の袵(えり)を、くらひ、やぶる。
女房、
「これにては、此の家に堪忍(かんにん)なりがたし。いとまを、たまはれ。」
とて、
「出《いで》て、ゐな[やぶちゃん注:ママ。「去(い)な」。]ん。」
といふ。
「さらば、此いぬを、よそに、つかはせ。」[やぶちゃん注:「さらば」は、前の意を含みつつ、離縁するのが厭ならば、「では、」の意であろう。但し、岩波文庫版では、地の文としてある。しかし、それでも座りが悪い単語である。この発言は、女房のそれとしか、私は、採れない。]
と、いへども、
「さやうのいぬは、おそろし。」
とて、『もらはん』といふ人も、なし。
「しからば、すてよ。」
とて、里とをく[やぶちゃん注:ママ。]、すつれば、人より、さきに、かへる。
西国舟《さいごくぶね》に、のせて、やりぬれば、海へ、とび入《いり》て、をよぎ[やぶちゃん注:ママ。]かへる。
「いまは。すべきやう、なし。」
とて、いぬを、つなぎ、壁(かべ)に、ひきとをし[やぶちゃん注:ママ。]て、くびを、しめころして、木のもとに、うづみけり。
「今は、心やすし。」
とて、月日をかさぬるところに、女ばう、たゞならず、わづらひしが、「くわいにん」して、十月(とつき)になり、すでに產(さん)のけ、つきて、なやみける事、五日ばかりにて、やうやう、生れたり。
その子を、みれば、かたちは、女子《をなご》にて、人のごとくなりけれども、手足にも、身にも、
「ひし」
と、毛(け)、をひ[やぶちゃん注:ママ。]て、そのなくこゑ、いぬのごとし。
親ども、大いに、はぢ、おどろきけるが、此《この》子、いくほどなく、死(しに)けり。
さまざま、とぶらひければ、其後は、別の事、なかりき。
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