「善惡報はなし」正規表現オリジナル注 卷四 㐧七 箱根にて死たるものにあふ事
[やぶちゃん注:底本・凡例等は初回を参照されたい。]
㐧七 箱根にて、死《しし》たるものにあふ事
○わかさの者、武刕へ下りけるが、はこねの、「かしのき坂」をゆくに、かたはらを見れば、五、六でうじきほどの間《あひだ》、「くろけぶり」立《たて》て、もゆる所、ありけり。
[やぶちゃん注:「かしのき坂」岩波文庫で高田衛氏は『不詳。』の一言のみだが、不審。ここは、私は、よく知っており、若い頃に踏破したこともある。神奈川県足柄下郡箱根町畑宿にある橿木坂(かしのきざか)である。サイト「るるぶ&more.」のここに同坂のページがあり、地図もあって、『江戸時代の書物に東海道一番の難所と書かれた坂。つづら折りになった七曲りに沿って伸びている。あまりの苦しさに「樫の木の坂を越ゆれば苦しくてどんぐりほどの涙こぼるる」と歌われている』と短い解説がある。サイト「旧街道ウォーキング 人力」のここにも、『樫木坂 かしのきざか』のぺージがあり、「新編相模國風土記稿」『に「峭崖(高く険しい崖)に橿木あり、故に名を得」とある』とし、浅井了意の「東海道名所記」(リンク先では「東海道名所日記」と誤っている)には、「けわしきこと道中一番の難所なり。男、かくぞよみける。橿の木のさかをこゆればくるしくてどんぐりほどの淚こぼる」とあると記す。「新編相摸國風土記稿」の記載は、国立国会図書館デジタルコレクションのここ(昭和四(一九二九)年相武史料刊行会刊。左ページ後ろから四行目以降)で視認出来る。「東海道名所記」も同国立国会図書館デジタルコレクションの懐かしいガリ版刷の昭和堂版(昭和一一(一九三六)年刊)のここの左ページ冒頭で確認出来る。]
『あやしさよ。』
と、見る所に、もゆる中(なか)に、たけ、三、四、五尺ばかりの、くろき物、あり。
『ふしぎさよ。』
と、おもひながら、ゆく時、あとより、かれが名をいひて、ひたもの[やぶちゃん注:副詞。「無暗に」。]、よぶ。
[やぶちゃん注:掲げた岩波版も珍しく状態がよい。第一参考底本はここ、第二参考底本はここ。後者は、またまた、落書野郎が、黒い怨霊(火炎地獄で焼かれて黒炭(くろずみ)になっているものか)の右手に、わけ判らぬ(生前の姿か)亡霊一体を描いており、これが、また、かなり上手く描いているために、落書に見えず、二重体を持った霊かと見まごうものになっていて、ちょっと面白い。一見をお勧めする。]
此男、
『ここもとにて、我をよぶべきは、かつておぼえざれば、いか成《なる》ものやらん。』
と。ふりかへり見れば、くだんのもゆる中より、手を出して、
「ひた」
と、まねく。
此男、しばらくそこにとゞまりて、
「なんぢ、いか成ものぞ。われに、何の用ありて、よぶや。」
其時、かの、くろきものゝ、いふやうは、
「それがしは『えちぜん』の次郞作なり。三年いぜんに死《しし》たる事、なんぢも、しるべし。しかれば、我、『ぞんじやう』にありし時、小濱(をばま)にて、なんぢに、錢(ぜに)百文の、かし、あり。つゐに[やぶちゃん注:ママ。]、汝、すまさざれば、我も、とらずして、打過《うちすぎ》ぬ。今、𠙚《ここ》にて、あひぬるこそ、さいはい[やぶちゃん注:ママ。]なれ。其錢を、すまし、くれよ。」
と、のゝしりける。
此男、いかにも、おひぬる事、じつしやう[やぶちゃん注:「實正」、]おぼえながら、おしく[やぶちゃん注:ママ。]や思ひけん、きかぬがほにて、ゆきぬ。
一町ばかりもゆくと、おぼゆが、俄(にはか)に、足、すくみて、一あしも、ひく事、ならず。
『こは。いか成《なる》事ぞ。』
と思ふ所に、むかふを、みれば、又、くだんのくろき男、出《いで》て、
「なんぢ、我いふ事をもちゐ[やぶちゃん注:ママ。]ず、ゆくや。只今、其錢を、すまさぬにをいて[やぶちゃん注:ママ。]は、たちまち、是《ここ》にて、取《とり》ころすべし。」
とて、ゆく道を、ふさぎければ、とをる[やぶちゃん注:ママ。]べきやう、ならざれば、ぜひなくして、錢、百文、取出《とりいだ》し、わたしければ、きへきへと[やぶちゃん注:ママ。「消え消え」。]、なりて、うせぬ。
それより、此男、あし、かろくなりて、ゆきすぎぬ。
かくのごとく成《なる》事をおもへば、今世(こんぜ)にて、人の物をおひぬれば、未來(みらい)[やぶちゃん注:「來世」に同じ。]にてかへすといふも、まことなるかや。
此ものがたりは、則《すなはち》、此人のはなし也。
「僞りなき。」
とて、日天(につてん)を[やぶちゃん注:「おてんとうさま」に(誓って)。]「せいごん」[やぶちゃん注:「誓言」。]に入《いれ》て、語られける。
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