「和漢三才圖會」植物部 卷第八十三 喬木類 無患子
[やぶちゃん注:右手下方に、種子三個の拡大図が添えられてある。]
つぶ 桓 噤婁
木患子
無患子 肥珠子
菩提子
鬼見愁 油珠子
[やぶちゃん字注:「桓」は(つくり)の中部と下部が「且」となっているが、このような異体字はないので、正字とした。「婁」は「グリフウィキ」のこれだが、表示出来ないので、「婁」とした。]
本綱菩提子生髙山中樹髙大枝葉皆如椿葉對生【或曰葉似
欅柳葉】五六月開白花結實大如彈丸狀如銀杏及苦楝子
生青熟黃也老則文皺黃時肥如油煠之形其蔕下有二
小子相粘承之實中一核堅黑正圓如珠釋子取爲念珠
殻中有仁如榛子仁【味辛䐈】可炒食相傳以此木爲噐用以
厭鬼魅俗名爲鬼見愁【昔有神巫曰瑶㲘能符劾百鬼得鬼則以此木爲棒棒殺之】
子皮【卽核外肉也微苦有小毒】 治喉痙硏納喉中立開澣垢靣䵟
△按無患子【俗云無久呂之今俗云豆布】其樹膚似山茶花木葉似椿
及𣾰葉凡一椏十二三葉對生開小白花其子殻黃皺
蔕下二小子及中黑核之形色皆如上所說其黑核頂
有微白毛俗名呼豆布其小者爲念珠大者童女用代
錢或𮢶一孔植小羽以小板鼓上之則頡頑以爲遊戱
稱之羽子正月弄之也取鬼見愁之義乎其子皮煎汁
洗衣能去垢又漬水以管吹則泡脹起以爲戱【俗云奢盆】
無久呂之卽木欒子畧也誤爲無患子之名乎
*
つぶ 桓《くわん》 噤婁《きんろう》
木患子《ぼくくわんし》
無患子 肥珠子《ひしゆし》
菩提子《ぼだいし》
鬼見愁《きけんしう》 油珠子《ゆしゆし》
「本綱」に曰はく、『菩提子、髙山の中に生ず。樹髙、大にして、枝・葉、皆、椿(ヒヤンチユン)の葉のごとく、對生≪す≫【或いは曰はく、「葉、欅(けやき)・柳の葉に似る。」≪と≫。[やぶちゃん注:この良安の訓読は誤りである。ここは分離せずに「欅柳(きよりう)」であって、中国では、現在は、双子葉植物綱キントラノオ目ヤナギ科ヤナギ属コゴメヤナギ Salix dolichostyla ssp. serissifolia を指す。但し、これより、四つ後の「欅(けやき)」に異名として「欅柳」と出るのであるが、「本草綱目」の「欅」はバラ目ニレ科ケヤキ属ケヤキ Zelkova serrata ではなく、東洋文庫訳割注には、『(クルミ科カンポウフウ)』とあり、これは、異名で、中国原産のマンサク亜綱クルミ目クルミ科サワグルミ属シナサワグルミ Pterocarya stenoptera を指すらしい。その項で、考証する。]】。五、六月、白花を開き、實《み》を結ぶ。大いさ、彈丸のごとく、狀《かたち》銀杏、及び、苦-楝(あふち)の子(み)のごとし。生《わかき》は青く、熟せば、黃なり。老いる時は[やぶちゃん注:「時」は送り仮名にある。]、則ち、文《もん》、皺(しは)す。黃なる時、肥えて、油煠(あぶらげ)の形のごとし。其の蔕《へた》の下、二≪つの≫小≪さき≫子≪み≫、有り、相《あひ》粘《ねん》じて、之れを承《う》く、實の中に、一つ、核《たね》あり、堅く黑くして、正圓なること、珠《たま》のごとし。釋子《しやくし》[やぶちゃん注:仏教徒。]、取りて、念珠と爲す。殻の中、仁《じん》、有り、榛(はしばみ)≪の≫子《み》≪の≫仁のごとし【味、辛、≪氣は≫䐈《シヨク》[やぶちゃん注:「䐈」は、音「シヨク(ショク)」で、「粘る・粘つく・べとつく」の意。]。】。炒りて食すべし。相《あひ》傳ふ、「此の木を以つて、噐《うつは》≪の≫用と爲せば、以つて、鬼魅を厭《おさへつける》。」≪と≫。≪故に≫、俗、名づけて、「鬼見愁《きけんしう》」と爲す【『昔、神巫《かんなぎ》、有り、「瑶㲘(《やう》く)」と曰《い》≪へり≫。能く、百鬼を符劾《ふがい》す[やぶちゃん注:霊的な御符を以って責めること。]。鬼《き》を得れば、則ち、此の木を以つて、棒と爲し、棒もて、之れを殺す。』≪と≫。】。』≪と≫。
子皮《しひ/たねのかは》【卽ち、核《たね》の外《そと》≪の≫肉なり。微《やや》、苦、小毒、有り。】。』『喉《のど》≪の≫痙《しびれ》を治す。硏《けん》して、喉の中に納《いる》≪れば≫、立《たち》どころに、開く。垢《あか》を澣(あら)へば、靣䵟(をもくさ[やぶちゃん注:ママ。「靣(=「面」)䵟」(音「メンカン」)は顔のシミを言う語。])を去る。』≪と≫。
△按ずるに、無患子【俗に云ふ、「無久呂之《むくろじ》」。今、俗、云ふ、「豆布《つぶ》」。】は、其の樹膚《きはだ》、「山-茶-花(つばき)の木」に似、葉、椿(ヒヤンチユン)、及び、𣾰《うるし》の葉に似る。凡そ、一≪つの≫椏《きのまた》≪に≫、十二、三葉《やう》、對生《たいせい》す。小白花《しやうはくくわ》を開く。其の子《み》≪の≫殻《から》、黃《き》≪の≫皺《しは》≪ありて≫、蔕《へた》≪の≫下の二≪つの≫小≪とさき≫子《み》、及び中の黑≪き≫核《たね》の、形・色、皆、上に說《と》く所《ところ》のごとし。其の黑き核≪の≫頂《いただき》≪には≫、微白《ややしろき》毛、有り。俗に呼んで、「豆布《つぶ》」と名づく。其の小さき者は、念珠と爲し、大なる者は、童女、用ひて、錢《ぜに》に代《か》ふ[やぶちゃん注:遊び(商売遊びか)の際の銭の代わりにする。]。或いは、一≪つの≫孔《あな》を𮢶(ほ)り、小さき羽《はね》を植へて[やぶちゃん注:ママ。]、小さき板を以つて、之れを、鼓(う)ち上《あぐ》れば、則ち、頡-頑(とびあがり、とびあがり)、以つて、遊戱(たはぶれ)と爲す。之れを、「羽子(はご)」と稱す。正月、之れを、弄(もてあそ)ぶは《✕→「は」は不要。》なり。「鬼見愁」の義を取るか。其の子《たね》の皮、汁≪に≫煎じて、衣を洗へば、能く、垢を去る。又、水に漬けて、管《くだ》を以つて、吹けば、則ち、泡《あは》、脹《ふく》れ起≪こり≫、以つて、戱《たはむれ》と爲す【俗に云ふ、「奢盆《シヤボン》」。】。「無久呂之」は、卽ち、「木欒子(もくれんじ)」の畧なり。誤りて、「無-患(つぶ)≪の≫子《み》」の名と爲るか。
[やぶちゃん注:総標題の「無患子」と良安がチョイスした時珍の記載について言えば、日中共通で、
双子葉植物綱ムクロジ目ムクロジ科ムクロジ属ムクロジ Sapindus mukorossi
である。良安も、久しぶりに、本邦のムクロジと「本草綱目」の記載内容が一致するのに、甚だ安心したようで、彼自身の評も、とても余裕が感じられる自由な記載となっている。これは、ここまでの木本類の、日中の比定種が異なる鬱々とした森林のルング・ワンダリングの中では、特異点と言えるだろう。しかし乍ら、細かいことが気になる悪い癖のある杉下右京みたような御仁は、「ここで異名に『菩提子《ぼだいし》』を挙げているのは問題がある。」とツッコむかも知れない。但し、因みに、それは多くの読者がチラと頭を過ったであろうところの、
――「菩提樹」が、現代中国語の一解説によれば、アオイ目アオイ科 Tilioideae 亜科シナノキ属ボダイジュ Tilia miqueliana を意味しているから――ではない。
私が考えているのは、日中辞典で「菩提子」を引くと、あるものでは、
――ムクロジの、比較的、近縁種である「木患子」=モクゲンジ属モクゲンジ Koelreuteria paniculata を意味すると載るから――である。
無論、「本草綱目」の「無患子」の「釋名」の頭で「桓」「木患子」「噤婁」「肥珠子」「油珠子」「菩提子」「鬼見愁」と順に七つのムクロジの漢名を掲げており、しかも、この「菩提子」の他、「木患子」「肥珠子」「油珠子」の四つは、そもそもが、この「本草綱目」で正式に掲げられた異名なんだわさ(博物学的には、自分が正式命名したというのは、自分で自分に勲章を与える感じなんだろうが、本草学の中では、同一種に複数の名があるのは、混乱を招く元であり、よろしくない)。だから、良安に責任はないわけだ。しかも、時珍は他に、「集解」の中で、良安が引いた、「釋家取爲數珠故謂之菩提子」で使用しているだけなのである。従って、これは、確かにムクロジを指しているのである。――と言うかさ、実は、次の項の「木欒子(もくろじ)」つーのがさ、モクゲンジなんよ。――右京さんよ……。ウィキの「ムクロジ」を引く(注記号はカットした)。『東アジアから東南アジア・インドの温帯域に分布し、日本では寺社に植栽された巨木も見られる』。十『枚前後の偶数の小葉を持つ大型の羽状複葉で、秋は黄色に紅葉する。果実は石鹸代わりになり、soapberryとも呼ばれる。種子は羽根つきの羽根の玉に使われる』。『和名「ムクロジ」の由来は、実や種子に薬効があることから、中国名(漢名)で「無患子」といい、それを日本語で「ムクロシ」の読みを当てて、それが転訛したとされる。別名、ムク、シマムクロジ、ムニンムクロジ、セッケンノキともよばれる』。『ムクロジは』一七八八『年にドイツのヨーゼフ・ゲルトナー』(Joseph Gärtner 一七三二年~一七九一年:植物学者・医師)の「植物の果実と種子について」( De Fructibus et Seminibus Plantarum )で、『 Sapindus mukorossi という学名が与えられたが、種小名 mukorossi は日本語の俗称、つまりまさに「ムクロジ」の名に基づいたものであると考えられる。その後』、『ポルトガルの』イエズス会宣教師で、古生物学者・医師・植物学者であった『ジョアン・デ・ルーレイロが』、一七九〇『年に』「コーチシナ植物誌」( Flora Cochinchinensis )で記載した Sapindus abruptus 、イギリスのウィリアム・ロクスバラ』(William Roxburgh 一七五一年~一八一五年:スコットランドの医師・植物学者で、長年、インドの植物や気象の研究を行ったことで知られる)が、『ベンガル地方で見つけ』、『報告した Sapindus detergens 、ヒマラヤ地域やネパール、シレットに見られた Sapindus acuminatus 』、一九三五『年に日本の』『津山尚』(つやまたかし 明治四三(一九一〇)年~平成一二(二〇〇〇)年:植物学者)が『小笠原諸島母島の旧北村付近で採取された標本を基に『植物学雑誌』上で記載した Sapindus boninensis は、後にいずれも S. mukorossi のシノニムとして扱われるようになった』。『インドから東アジアの温帯およびインドシナにかけて分布し、具体的にはネパール、インド(旧ジャンムー・カシミール州、ヒマーチャル・プラデーシュ州、ウッタラーカンド州、アッサム州を含む)、ミャンマー、タイ、ラオス、ベトナム、中華人民共和国(海南省、南中央部、南東部)、台湾、朝鮮、日本(南西諸島、小笠原諸島、火山列島を含む)に自生し、パキスタンやジョージアにも持ち込まれている』。『日本では新潟県・茨城県以西の本州、四国、九州で見られる。低、あるいは山地に自生する。日本では、庭木にも植えられ、しばしば寺や神社に植えられている』。『落葉広葉樹の高木で、樹高は』七~十五『メートル』『ほどになり、中には』二十メートルを『超える巨木になる。樹形は逆円錐形になる。雌雄同株。樹皮は黄褐色で平滑、老木になると』、『裂けて』、『大きく剥がれる。一年枝は、太くて無毛、皮目が目立つ』。『葉は互生し』、四十~七十『センチメートル』『の偶数羽状複葉で、小葉は』八~十六『枚』、『つき、先端の小葉はない。小葉は長さ』七~十五センチメートル、『広披針形で全縁。葉軸に対して』、『小葉は完全な対生ではなく、多少』、『ずれてつく。晩秋になると葉は黄葉する。鮮やかな黄色から、次第に色濃くなって、葉が散るころには縮れながら』、『褐色が強くなる。枯れ葉も黄色を帯びた明るい褐色で、目立つ。ムクロジ目』Sapindales『の樹木は紅葉が鮮やかなものが多い』。『花期は』六『月ごろで、花は淡緑色で、枝先に』三十センチメートル『程度の大きな円錐花序となって』、『多数』、『咲く。花は直径』四~五ミリメートルで、『雄花には』八~十『個の長い雄蕊、雌花には短い雄蕊と雌蕊がある。花穂はほとんどが雄花である』。『果期は』十~十一『月ごろで、果実は直径』二センチメートルの『球形で、液果様で黄褐色に熟して、落葉後でも』一『月ごろまで残っている。果実のなかに黒くて大きな球状の種子を』一『個』、『含む』。『冬に落葉すると、葉痕の面は蝋質感があり、中央がやや色づいていて、維管束痕が』三『個あることから、笑った顔や猿の顔のようにも見える』(よしゆき氏のサイト「松江の花図鑑」の「ムクロジ(無患子)」のページがよい。多数の写真がある。猿顔のそれは「▼2011年3月5日 冬芽 城山公園」にある。拡大可能。ホンマ、猿やで!)『冬芽は葉痕に比べるとかなり小さい円錐形で、副芽を下に付ける。仮頂芽は側芽より小さく、芽鱗は』四『枚』、『つく』。『果皮はサポニンを含み、サポニンには水に溶かすと泡立つ成分があり、サイカチ同様』、『石鹸代わりに用いられる。種子は』、『かたく、数珠や羽根突きの羽根の元にある黒い玉の材料にされる』。『ムクロジの黒い果実の皮を、漢方薬では延命皮と称している。女性用避妊具として利用された』とある。
本篇の「本草綱目」の引用は、「卷三十五下」の「木之二」「喬木類」(「漢籍リポジトリ」)の四項目にある「無患子」(ガイド・ナンバー[086-15a]以下)からのパッチワーク。
「椿(ヒヤンチユン)」ツバキではないので、要注意。双子葉植物綱ムクロジ目センダン科 Toona 属チャンチン Toona sinensis である。委しくは、先行する「椿(ちやんちゆん)」を、必ず、参照されたい。
「苦-楝(あふち)」中国では、狭義には、双子葉植物綱ムクロジ目センダン科センダン属トウセンダン Melia toosendan を指す。本邦のセンダン Melia azedarach var. subtripinnata も含めてよい。先行する「楝」を参照のこと。
「油煠(あぶらげ)」の「煠」は、音「ヨウ・ チョウ・ソウ・ ジョウ」(現代仮名遣)で、意味は「やく・油で炒める・水で茹でる」の意。良安は現代の「油揚げ」の意で読みを振っているようである。
「『昔、神巫《かんなぎ》、有り、「瑶㲘(《やう》く)」と曰《い》≪へり≫。能く、百鬼を符劾《ふがい》す。鬼《き》を得れば、則ち、此の木を以つて、棒と爲し、棒もて、之れを殺す。』とあるのは、唐の段成式(八〇三年~八六三年)が撰した怪異記事を多く集録した「酉陽雜俎」(二十巻・続集十巻・八六〇年頃成立)の「續集」の「卷十 支植下」からである。原文は「中國哲學書電子化計劃」のこちらで、当該部の電子化されてある。私は、同書を東洋文庫版の今村与志雄訳注で所持する。当該部の訳を、まず、引用する。
《引用開始》
無患木は、焼くと、たいへん、香りがよく、悪気よけになる。一名、噤婁(きんろう)といい、一名、桓(かん)という。
むかし、瑶(よう)※[やぶちゃん注:「月」(へん)+「毛」(つくり)。]という不思議な力をそなえた巫(みこ)がいた。符(ふだ)をつかって百鬼を退治し、魑魅(ちみ)を捕虜にして、無患木でこれを撃ち殺した。世人は、きそってこの木を取って、道具をつくり、それでもって鬼を追いはらった。そこで無患木という。
《引用終了》
そして、「無患木」と「瑶(よう)※」について、今村氏の注が附されてある。前者では、同じくムクロジに比定同定され、「本草綱目」の異名も並べておられ、最後に『俗に鬼見愁というのは、道教の分野で禳解方に用いるからであり、仏教界で取って数珠にするから菩提子という』とある。この「禳解方」(じやうかいはう)とは、さまざまな災厄や魑魅魍魎から守るための厄払いの道教の術式を言う。而して、大切な部分なので、「瑶(よう)※」の注は全文を示す。
《引用開始》
案ずるに、晋の崔豹(さいひょう)の『古今注』下によると、「むかし、宝毦(じ)という名の不思議な力をそなえた巫(みこ)がいて、符でもって百鬼を退治した。鬼をつかまえると、この木で棒をつくり、鬼をなぐり殺した。世人はこの木は鬼たちにこわがられていると伝え、競ってこの木を取って器具をつくり、邪鬼をはらった。だから無患という」(『古今注・中華古今注・蘇氏演義』一九五六年四月、商務印書館刊、上海)。この条は、後唐の馬縞(こう)の集『中華古今注』下(左氏『百川学海』甲集)に収め、それでは、巫の名を「珤(ほう)※[やぶちゃん注:先の引用の字と同じ。以下も同じ。]」としている。巫の名が、時代によってかわって伝えられていたのであろう。『酉陽雑俎』の「瑶※」は、そのことを裏書きしている。
《引用終了》
とあった。さて、良安も、今村先生も、一貫して「みこ」と読みを附しているので、この「神巫《かんなぎ》」は女性のそれであり(そもそも本邦では男性のシャーマンは「覡(げき)」と区別される)、所謂、「巫女」(ふじょ)であったことが確定出来るのである。
「山-茶-花(つばき)の木」ここは、本邦の椿(つばき=藪椿:ツツジ目ツバキ科 Theeae 連ツバキ属ヤブツバキ Camellia japonica )でよい。少なくとも、中国語で「ツバキ」は「山茶花」「日本椿花」などと表記され、言っておくと、ツツジ目ツバキ科 Theeae 連ツバキ属サザンカ Camellia sasanqua は、日本固有種で、ご覧の通り、ツバキの仲間であって、両者は、よく似ており、判別は素人には難しい。花の散り方がツバキは丸ごと、ポトッと落ちるに対して、サザンカはパラパラと一枚ずつ落ちる。通常のツバキは香りがないのに対し、サザンカは香り豊かである。最後に、実の違いがある。椿の実はツルツルしているが、サザンカのそれは毛があり、ツバキは子房に毛がないのに対し、サザンカのそれには、毛があるのである。
「𣾰《うるし》」ムクロジ目ウルシ科ウルシ属ウルシ Toxicodendron vernicifluum 。先行する「𣾰」を参照されたい。
「奢盆《シヤボン》」シャボン・サボン。石鹸。スペイン語の「jabón」(音写すると、「ハボン(ヌ)」に近い)の古い発音からか。
「木欒子(もくれんじ)」割注したが、次項を俟たれたい。]
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