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2024/07/04

「善惡報はなし」正規表現オリジナル注 卷四 目錄 / 㐧一 慈悲ふかき房主の事幷いざり念仏といふ事

[やぶちゃん注:底本・凡例等は初回を参照されたい。]

 

善惡報はなし四之目錄

㐧一 慈悲(じひ)ふかき房主(ばうず)の事いざり念仏(ねんぶつ)といふ事

㐧二 不孝(ふかう)の女(むすめ)に犬(いぬ)のふんをすゝむる事

㐧三 夫(をつと)の田地を盗(ぬすみ)天罸(てんばつ)の事

㐧四 女房猿(さる)にころさるゝ事

㐧五 むよくのぢいうばの事

㐧六 人を訴人(そにん)して我身に報(むくふ)事

㐧七 箱根(はこね)にて死たるものにあふ事

㐧八 妄霊(まうれい)來(きたつ)て夫(をつと)女をたゝき殺(ころす)事

 

善惡報はなし・卷四

 㐧一 じひふかき房主(ばうず)の事幷《ならびに》いざり念仏といふ事

○遠江(とをとをみ)の国に、宗角(そうかく)と申《まうす》房主あり。

 じひ、ふかくして、つねに三河・とをとをみ、兩國のさかい[やぶちゃん注:ママ。]へ出《いで》て、日〻《ひにひに》に、ゆきゝの人の、になひもてる荷物をば、牛馬につけし上荷などを取《とり》て、たとへば、三里の逍を、一里づゝ、はこびて、人馬(じんま)のたすけとし、又は、ようせうの子共などの、まよひたるあれば、それをひろひ取て、我屋に、そだてをき[やぶちゃん注:ママ。]、ぬし、いづれば、わたしぬ。

 

[やぶちゃん注:挿絵は、第一参考底本はここ、第二参考底本はここ。孰れも、よいが、後者は、例の落書野郎が、勝手に、旅人の左手に抜身の太刀を描いているので(御丁寧に鞘まで附け足しているのだ!)、よろしくない。こいつ、一種の変態だな!

 

 かやうのわざをして、一生、年月(としつき)を、をくり[やぶちゃん注:ママ。]けり。

 ある時、あしを、わづらひ、ぎやうぶつゐ[やぶちゃん注:ママ。意味不明。これ、「ぎやうぶつゑ」で、「行・佛會」で、「仏道修行と仏会」の意か。]に、かなはずして、後(のち)には、いざり、ありきけり。

とし比《ごろ》、なす所のしよさも、ならず、道のほとりに、いほりを、かまへ、念佛一《いつ》ざんまいと成《なり》けり。

[やぶちゃん注:「念佛一《いつ》ざんまい」「ひたすら、念仏三昧に勤しむこととなった。」の意であろう。]

 其比(《その》ころ)、女《をんな》わらんべのことばに、「いざりねんぶつ」とぞ云《いひ》あへり。

 同国(どうこく)にある人、信州、「ぜんくわうじ」[やぶちゃん注:善光寺。]へ、まふで、一七日《ひとなぬか》、「つや」、申《まふし》けるに、七日目のまんずる夜(よ)の、御《おん》じげん[やぶちゃん注:「示現」。仏・菩薩が、衆生済度のために種々の姿に変じて、この世に現われることを言う。]に、いはく、

「なんぢ、はるばる、是まで、としまいり[やぶちゃん注:ママ。「年參(まゐ)り」であろう。毎年、定期に参詣して通夜をすること。]する心ざし、せつなり。かさねて參らんとおもはゞ、なんぢが同國の内(うち)に、「いざりねんぶつ」といふもの、あるべし。かれが、まへゝ、參るべし。しからば、我《わが》まへゝ、參るに、ひとしかるべし。」

と、あらたに、御《おん》つげ、ましましけり。

 夢、さめ、ありがたくおもひ、国に、かへりて、

「さるもの、ありや。」

と、人に尋《たづぬ》るに、其《それ》、かくれなし。

「扨は。如來(によらい)の御つげ也。」

とて、其身一代の、やしなひをぞ、をくら[やぶちゃん注:ママ。]れける。

 さるほどに、此《この》「いざり念佛」と申ものは、日比(ひごろ)の善心、しんじつなるがゆへ[やぶちゃん注:ママ。]に、佛智(ぶつち)に叶(かな)ふもの也。ぜんを、なして、善に、かへるとは、かやうの事をや、いふらん。現在を見るときは、當來(たうらい)は、猶、ありがたかるべし。

 是は、寬永年中の事かと、おぼゆ。毛頭(もうとう)、僞(いつは)りなき、よし。

[やぶちゃん注:「寬永年中」一六二四年から一六四四年まで。徳川家光の治世。]

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