「善惡報はなし」正規表現オリジナル注 卷四 㐧六 人をそにんして我身に報事
[やぶちゃん注:底本・凡例等は初回を参照されたい。標題の「そにん」は「訴人」で「訴え出ること」の意。]
㐧六 人をそにんして、我身に報(むくふ)事
○江州に、さる人、大名方(だいみやうがた)へ、下人に、狀(じやう)を、五、六通、もたせ、つかはしけるが、「かなや」の宿(しゆく)にて、何とかしたりけむ、文《ふみ》ども、おとしける。
[やぶちゃん注:『「かなや」の宿(しゆく)』東海道二十四番目の金谷宿。当該ウィキによれば、『現在の静岡県島田市金谷。大井川の右岸(京都側)にあり、牧之原台地が迫る狭隘な場所であるが、増水で大井川の川越が禁止されると、江戸へ下る旅客が足止めされ、島田宿と同様、さながら江戸のような賑わいをみせた』とある。ここ(グーグル・マップ・データ)。]
此男、
「此ふみ、なくしては、武州へ、くだりても、せんなし。本国へ、かへるべきやう、もとより、ならず。とやせん、かくや、」
と、あんじ、わづらひしが、それより、すぐに、丹波のかたへ、ゆき、五、六年も、すみけり。
市河(いちかわ[やぶちゃん注:ママ。以下、一部同じ。])藤十郞と申《まうす》もの、たんばへ、用ありて、ゆき、かの男を、見出(《み》いだ)し、かへりて、主人へ、ひそかに、申ける。
主人、きゝて、やがて、其先(《その》さき)の主(しゆ)へ、斷(ことわり)、引(ひき)わたし、成敗(せいばい)しけり。
此下人、さいごに申けるは、
「もつとも、我、あやまりあるゆへ[やぶちゃん注:ママ。]に、かけおちしけり。なんぞや、傍輩(はうばい)の身として、我を、そにんする事、うらみても、猶(なを[やぶちゃん注:ママ。])、うらみあり。我、死《しし》て、三日のうちに、『をんれう[やぶちゃん注:ママ。「怨靈(をんりやう)」。以下同じ。]』と成《なり》て、市河を取《とり》ころさん物を。」
と、あしずり、はがみをなして、きられけり。
ほどなく、かれがいひしに、たがはず、三日めに、市河(いちかは)が家に來りて、せめけり。
市河も、はじめのほどは、さもなくて、次㐧《しだい》に、「をんれう」、つのりければ、おそろしく、おもひ、あるひは、そう・山ぶしなどを、よびて、いのり、きたうするに、かなはず。
かの「をんれう」、來《きた》る時は、市河(いちかわ)が、あたまのけ、一すぢづゝ、「はりがね」などを立(たて)たるごとくに、
「すくすく」
と立《たち》けり。
見る人、をそれ[やぶちゃん注:ママ。最後の繰り返しも同じ。]て、ちかづかず。
とかくする事、廿日ばかりありて、つゐに[やぶちゃん注:ママ。]、くるひ死(じに)に、しけり[やぶちゃん注:作者の書き癖。]。
人を、そんじければ、たちまち、我身に、むくひけり。
誠に、よしなき事を、口に、いひ、手わざする事を、よくよく、つゝしみ、をそるべし、をそるべし。
[やぶちゃん注:頭髪が針の如くに立ち上がるというところは、なかなかにオリジナリティとリアリティがあるシークエンスではある。]
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