「善惡報はなし」正規表現オリジナル注 卷五 㐧十三 同行六人ゆどの山ぜんじやうの事幷内一人犬と成事
[やぶちゃん注:底本・凡例等は初回を参照されたい。標題の「ぜんじやう」(「禪定(せんぢやう)」:ここは、「修験道に於いて、白山・立山などの高い霊山に登って行う修行」を指す)はママ。]
㐧十三 同行(どうぎやう)六人、ゆどの山(さん)、ぜんじやうの事幷《ならびに》内《うち》、一人、犬と成《なる》事
○寬文元年[やぶちゃん注:一六六一年。]の事成《なる》に、「あふみ」のもの、三人、丹波(たんば)のもの、二人、「かわち」のもの、一人、以上、六人、同道(どうだう)にて、ゆどの山へ、あがりける。
[やぶちゃん注:「ゆどの山」湯殿山。現在の山形県鶴岡市、及び、同県西村山郡西川町にある、標高千五百メートルの山。月山・羽黒山とともに「出羽三山」の一つとして修験道の霊場である。ここ(国土地理院図。「出羽三山」を南北(南に湯殿山と月山、北に羽黒山)に入れた)。]
元來(もとより)、「れいげん」あらたなる[やぶちゃん注:「あらたかなる」に同じ。]山なれば、いづれも淸淨(しやうじやう)けつさい[やぶちゃん注:「潔齋」。]なり。
いづれも、をよそ[やぶちゃん注:ママ。]、坂(さか)、過半(かはん)あがると、おぼしき内に、江州(がうしう)のものゝうち、一人、かつて、見えず。
をのをの[やぶちゃん注:ママ。]、ふしぎの思ひを、なしける所に、いづくともなく、白き犬、一つ、來りて、さきだつて、ゆく。
何《いづ》れも、山を、めぐるに、此犬も、ともにはなれずして、
「ひた」
と、付《つき》まとひて、行く。
扨《さて》、「大日御はうぜん」[やぶちゃん注:湯殿山の別当寺であった両部大日如来を祀った湯殿山大日坊。明治になって、おぞましき廃仏毀釈の結果、湯殿山は没収され、さらに焼き討ちで焼失、昭和一一(一九三六)年に規模を縮小して移転している。その現在地の東南東直近の、この第十二代景行天皇の皇子であった御諸別皇子(みもろわけのおうじ)の陵墓に植えた県指定天然記念物の樹齢千八百年の老杉「皇壇(おうだん)の杉」(グーグル・マップ・データ)のある位置にあった。]に參りて、それより下向(げかう)しけるにも、かの犬、離れず。
いづれも、一人、見えざる事を、いよいよ、ふしぎにおもふ所に、くだんの犬、人の、物いふごとく、いひて、
「かたがたは、一人、見えざる事を、『ふしん』し給ふ事、もつとも也。其《その》見えざるは、我《われ》也。はづかしながらかたり參らせん。我、親に不孝の『つみ』、あり。其《その》『いしゆ』[やぶちゃん注:「意趣」。]は、親、ぞんしやう[やぶちゃん注:「存生」。]の時、さまざまの『なんぎ』[やぶちゃん注:「難儀」。]にあはする事、たびたびなり。されば、いつしやう[やぶちゃん注:「一生」。]の内、一日もやすからしめず。よろづにさからひ、こゝろに、つゐに[やぶちゃん注:ママ。]、親とおもふ事も、なく、ある時はあつかう[やぶちゃん注:「惡口」。]し、『いつまで、ながらへありけるぞ、はやくさり給へかし。』と、おもひ、かくのごとくの『ねんりよ』[やぶちゃん注:「念慮」。]、ふかくして、其むくひによりて、今、此《この》山にて、犬と、なりたり。我身の事は、身よりいだせる『とが』[やぶちゃん注:「咎」。]なれば、せんかた、なし。されども、心にかかる事は、故鄕(こきやう)にありつる妻子(さいし)の、なげかん事、ふびんに候。『われは、業力(ごうりき[やぶちゃん注:ママ。])の犬となりて、山に、ひとり、とゞまる也。我《わが》あと、ねんごろに、とふて、くれよ。』と、かたりて、たべ。なごり、おしく[やぶちゃん注:ママ。]候。」
と云ひて、きなるなみだ[やぶちゃん注:「黃なる淚」。嘆き悲しんで流す涙。多く、獣の涙に言う語で、既に南北朝期の「太平記」に用例がある。]を、
「はらはら」
と流して、猶、山深く、入《いり》にける。
いづれも、あはれにおもひ、皆、なみだをぞ、ながしける。じせつ[やぶちゃん注:「時節」。その時の彼の境涯の有様。]とは申《まうし》ながら、こきやうにて、「いぬ」ともならずして、此の山に詣でて、「いぬ」となりける事こそ、ふしぎなれ。
さればこそ、「しやうじやうけんご」の御山へ、不孝(ふかう)むざん[やぶちゃん注:「無慚」。]のともがらが、さんげ[やぶちゃん注:「懺悔」。]の心もなき身として、「ぜんぢやう」するこそ、もつたいなし。かるがゆへ[やぶちゃん注:ママ。]に、世の、みせしめに、やがて、むくひの犬と、なさしめ給ふ。
あさましき次㐧ならずや。をそるべし、をそるべし[やぶちゃん注:ママ。後半は原本では踊り字「〱」。]。
此のはなし、少しも、僞(いつは)りなき、よし。
[やぶちゃん注:この一篇、ロケーションもさりながら、私は、最後の道話を除いて、モノクロームの強いリアルな映像を見るような、静謐乍ら、強い印象を与える傑作と思う。個人的には、これが全話柄の内の白眉と言えると感じた。]
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