平仮名本「因果物語」(抄) 因果物語卷之六〔四〕非分にころされて怨をなしける事
[やぶちゃん注:底本・凡例その他は初回を見られたい。この回の底本はここから。本話には挿絵はない。標題の「非分に」は、この場合は、「不当に」の意。]
因果物語卷之六〔四〕非分《ひぶん》にころされて、怨(うらみ)をなしける事
伊駒讚岐守(いこまさぬきのかみ)家中に、山口彥十郞といふ侍(さぶらひ)、有《あり》けり。
[やぶちゃん注:「伊駒讚岐守」岩波文庫の高田氏の脚注に、『高松藩主生駒讃岐守高俊』(慶長一六(一六一一)年~万治二(一六五九)年)。『寛永十七』(一六四〇年)『年三十歳の時、家中不取締りによって、城地召しあげのうえ、出羽国由利へ迫放された。』とあった。当該ウィキ、及び、ウィキの「生駒騒動」を参照されたい。元凶は高俊の度を外れた男色嗜好で、藩政を顧みなかったことに起因する。]
とし久しく、奉公をつとめしか共《ども》、つひに[やぶちゃん注:ママ。]、知行(ちぎやう)の加增(かぞう)も、なかりしかば、彥十郞、
「くちおしき[やぶちゃん注:ママ。]こと也。われより、後に出《いで》たるもの共、大かた、立身(りつしん)するもの、おほきに、みな、これらに、こえられける事こそ、やすからね[やぶちゃん注:面白くないことだ。]。」
とて、述懷(じゆつくわい)いたし、(ぶはうかう)になり侍り。[やぶちゃん注:「無奉公」城への出仕を一切しないことを指す。]
讚岐の守、大きに、はらだち、にくみて、とらへて、「しばりくび」にせられ、女房・子共《こども》まで、みな、ころされたり。
[やぶちゃん注:「しばりくび」「絞り首」。高田氏の脚注に、『罪人を後ろ手に縛り、首を前にのべさせて斬首する刑。庶人、下民に対する処刑法。』とある。]
彥十郞、今を「さいご」[やぶちゃん注:「最期」。]のときに、いたつて、大いに、いかつて、いはく、
「それがし、述懷奉公いたしける事は、身におぼえたる科(とが)なれば、ちから、なし。わが妻子(さいし)は、科(とが)、なし。いかでか、ころし給ふべきや。いはんや、侍ほどの者を、切腹(せつぷく)せさせずして、しかも、『しばりくび』にせらるゝ事こそ、やすからね。」[やぶちゃん注:「述懷奉公」同前で、『公然とお上の非を訴えること。』とある。]
とて、又、うしろ、むきて、「太刀どり」[やぶちゃん注:首斬り役人。]、橫井(よこゐ)二郞右衞門を、
「はた」
と、にらみ、
「かまへて、切(きり)そこなふな。よく、きれ。ちかきうちに、わが此《この》念力《ねんりき》、むなしからずば、しるし、あるべし。」
と、いふ。
「心得たり。」
とて、くびを、うちをとし[やぶちゃん注:ママ。]ければ、二、三間(げん)[やぶちゃん注:三・六四~五・四五メートル。]ばかり、
「ころころ」
と、まろびて、こなたへ、切口(きりくち)、すはりて、まなこを見すへ[やぶちゃん注:ママ。]、橫井(よこゐ)を、
「きつ」
と、にらみて、目を、ふさぎけり。
二郞右衞門、家に、かへりてより、狂乱(けうらん[やぶちゃん注:ママ。「きやうらん」が正しい。])して、立居(たちゐ)・ねおきに、山口が「くび」、血まなこになりて、にらみ、面《おも》かげに立ちて、はなれず。
橫井、大いに、口《くち》ばしり、刀(かたな)を、ぬきて、切《きり》めぐりけるほどに、一門のもの共《ども》、めいわくして、やうやう、かたなは、うばひとりけり。
其後《そののち》は、
「あれ、あれ、彥十郞よ、われは、殿《との》のおほせによりてこそ、打ちたれ、ゆるし給へ、ゆるし給へ、」
と、いふて、手を、あはせ、あがきて、七日《なぬか》といふに、死(しに)けり。
其後、彥十郞がばうれゐ[やぶちゃん注:ママ。「亡靈(ばうれい)」。]、つねのごとく、はかま、かたぎぬ、きて、刀、わきざしを、さし、家中(かちう)の傍輩(はうばい)の目に、見ゆる事、たびたび也。
これに行《ゆき》あふ人は、そのまゝ、ふるひつき、わづらひ出《いだ》して、ほどなく、死(し)するもの、十四、五人に汲べり。
「これは、きどく[やぶちゃん注:「奇特」。滅多に聴かぬ、非常に不思議で異常なこと。]の事也。」
とて、家中より、「そせう」[やぶちゃん注:ママ。「訴訟」。ここは嘆願・哀訴の意。]を、いたし、山口があとを、とぶらはせらるゝに、しばしば、亡䰟(ばうこん)[やぶちゃん注:「䰟」は「魂」の異体字。]も、なだみけるか[やぶちゃん注:「宥(なだ)みけるか」。慰霊に効果があって、怒りや不満などを和らげられ、静められたものか。]、と、おぼえて、
人の目には、見えざりしかども、あるひは[やぶちゃん注:ママ。]、家中のながやのうち、ことの外に、屋嗚(やなり)、いたし、城中(じやうちう)の大木《たいぼく》、風、もふかざるに、うちをれ、其外、色々、あやしき事共《ことども》、おほかりけり。
讚岐守も、よこしまなる心、出來《いでき》て、いくほどなく、身上《しんしやう》、はてけり。
「山口が『ばうこん』の、うらみなり。」
と、諸人《しよにん》、申《まうし》あひけり。
[やぶちゃん注:「いくほどなく、身上《しんしやう》、はてけり」「生駒騒動」は寛永一〇(一六三三)頃が震源で、寛永十二年から寛永十六年にかけて泥沼状態となり、幕府による生駒讃岐守高俊の改易・流罪は寛永一七(一六四〇)年七月二十六日であるから(「身上」「はてけり」はこの結末を指していると考えてよい)、この話の時制は、寛政十四、五、六年辺りを設定しているものかと推定される。なお、高俊は流配地である出羽国由利郡にて享年四十九で亡くなっている。]
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