「善惡報はなし」正規表現オリジナル注 卷三 㐧十三 死たるもの犬に生るゝ事
[やぶちゃん注:底本・凡例等は初回を参照されたい。]
㐧十三 死(しゝ)たるもの、犬に生(うま)るゝ事
○江州守山(もりやま)のきん鄕(がう)に、甚六といふもの、あり。
[やぶちゃん注:「江州守山」現在の滋賀県守山市(グーグル・マップ・データ)。]
かれは、一生の間、けんどん・ぐち[やぶちゃん注:「慳貪・愚癡」。]にして、家内(けない)のものに、つれなくあたりけるが、俄(にはか)に、わづらひ付《つき》て、ほどヘて、つゐに[やぶちゃん注:ママ。]死(しに)けり。
甚六、しゝてより、あくる年より、いづくより來《きた》るともなく、犬、一つ、來りて、すみけり。
或時、ぬすみぐらひをしけるによつて、よめ、つえ[やぶちゃん注:ママ。]をもつて[やぶちゃん注:『以て』で採る。]、たゝきければ、此《この》犬、人のごとく、物いひて、
「我は是、なんぢが『しうと』[やぶちゃん注:「舅。]なり。我、『ぞんじやう』にありし時、人に、物を、おしみ[やぶちゃん注:ママ。]、家人に、つれなくあたり、もとより、乞食(こつじき)・『ひにん』にだに、一鉢(《いつ》ぱつ)の心ざしもなく、けんどん・邪心にして、先祖の『とむらひ』をだにも、なさず、只、『てうぼ』[やぶちゃん注:「朝晡」。「朝暮」に同じ。ここは、副詞的に用いて「朝から日ぐれまで・あけくれ・いつも」の意。]、おしく、ほしく[やぶちゃん注:ママ。「惜(を)しく、欲(ほ)しく」。]おもふばかりにて、かりにも、人に、ほどこすこと、なければ、何をもつて、一つとして、是を『ぜんこん』[やぶちゃん注:「善根」。]とせんや[やぶちゃん注:反語。]。しかれば、其《その》『ぐち』のむくひによつて、今、『ちくしやう』のかたちを、うけたり。なんぢ、我をうつこと、なかれ。かく、うたれて、『はぢ』をかくうへは、此家を、さるべし。」
と、いひて、はしり出《いで》ぬ。
よめ、是をきゝ、大きにおどろき、やがて、いだきとめて、のきのしたに、かれが「へや」を、つくりて、をし[やぶちゃん注:ママ。]入れければ、よろこび入《いり》て、さるべききしよく[やぶちゃん注:「氣色」。]も、なし。
每日、おやに食をあたふるごとくにして、やしなひけり。
其心ざし、せつなれば、つねに、此へやを、はなれずして、外(ほか)へ出《いづ》る事なく、人間の、家にすむごとくにぞ、ありける。
一、二年ほどありて後、ゆきがたしらず、うせぬ。
まことに、きだい[やぶちゃん注:「稀代」。]、ふしぎの事也。
それ、主人の、下人につれなきは、「ぐち」より、おこれり。
いかんとなれば、「ぐち」なる時は、貴賤一躰(きせん《いつ》たい)の理(ことはり[やぶちゃん注:ママ。])を、わきまへず、「とくしつりがい」[やぶちゃん注:「得失利害」。]の道理を、しらざるゆへ[やぶちゃん注:ママ。]に、下人をば、犬・にはとりのごとく思ひ、あなどり、「とくしつ」の念、おもければ、其くるしみを、いたはり、あはれまず、はげしく、つかひ、なやまし、少しのあやまりあれば、すさまじく、あたりぬ。
されば、「ぐち」は、「ちくしやう」の心なり。「ぐち」の心得、たくましく、家人に、つれなき報(むくひ)に、「いぬ」と、生れぬること、むべなり。つゝしむべし、はづべし。
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