「善惡報はなし」正規表現オリジナル注 卷三 㐧十三 女あひしうにより虵となる事 / 卷三~了
[やぶちゃん注:底本・凡例等は初回を参照されたい。「あひしう」はママ。言わずもがなだが、「愛執(あいしふ)」の誤りである。この後半の最終部分は、第二参考底本が破損しているため、第一参考底本に拠った。]
㐧十四 女、あひしうにより、虵(じや)となる事
○正保年中に、かまくらのぞう坊[やぶちゃん注:濁点はママ。「僧坊」。]に、みめかたち、すぐれ、世にたぐひなき「ちご」、あり。
[やぶちゃん注:「正保年中」一六四四年から一六四八年まで。徳川家光の治世。]
ある人のむすめ、此「ちご」を、こひて、やみふしけり。
母に、
「かく。」
と、つげしらせければ、かの「ちご」が父母も、さいわい[やぶちゃん注:ママ。]、しる人なりけるまゝに、此よし、互(たがい[やぶちゃん注:ママ。])に申《まうし》あはせて、時〻、「ちご」を、かよはしけれども、しんじつの志(こゝろざし)も、なかりけるにや、をのづから[やぶちゃん注:ママ。]、うとくなりゆくほどに、女、つゐに[やぶちゃん注:ママ。]、おもひ死《じ》にしけり。
父母、かなしみて、
「かの『こつ[やぶちゃん注:「骨」。]』を、『ぜんくはうじ[やぶちゃん注:ママ。「善光寺(ぜんくわうじ)」。]』へ、をく[やぶちゃん注:ママ。]らん。」
とて、箱に入《いれ》て、をき[やぶちゃん注:ママ。以下同じ。]けり。
其後、此「ちご」も、又、病付(やみつき)て、物ぐるはしく成《なり》ければ、一間(ひとま)成(なる)所に、をしこめ[やぶちゃん注:ママ。]てをくに、人と、物がたりするこゑ、しけるを、あやしみて、父母、物のひまより、見けるに、大きなる虵(へび)と、むかひて、
「ひた」
と、物がたりしけるかと思へば、ほどなく、死(しに)けり。
やがて、入棺(にうくわん)して、「わかみや」の、にしの山にて、さう[やぶちゃん注:「葬」。]するに、棺の中に、大きなる虵、ありて、「ちご」と、まとはりたり。
やがて、虵と共に、さうしてけり。
かの父母、
「むすめが『こつ』を、善光寺へ送るべし。」
とて、二つに、取《とり》わけ、
「半分は、鎌倉の、ある寺へをく[やぶちゃん注:ママ。]らん。」
として、見ける時に、「こつ」、小虵(こへび)になりたるも、あり、なから[やぶちゃん注:半分。]ばかり、成《なり》かかりたるも、あり。
をそろし[やぶちゃん注:ママ。]といふばかりなし。
此事を、其の父母の、ある「そう」に、くはしく、かたり、
「『けうやう』して、たべ。」[やぶちゃん注:「けうやう」はママ。「供養(くやう)」の誤読であろう。]
とて、たのまるゝよしを、さる人の、かべごしに、きゝて、
「まつたく、いつはりなき、はなし也。」
と、たしかに、はなされける。
近年の事なるがゆへ[やぶちゃん注:ママ。]、名もうけたまはりしかども、わざと、爰には、かゝざる也。
此物がたりは、おほく、當世の事をしるすゆへ[やぶちゃん注:ママ。以下同じ。]に、其所、その名をば、はゞかりて、申さず。
しかしながら、めづらしきはなし成《なる》がゆへに、しるす也。
[やぶちゃん注:本篇の主文は、「諸國百物語卷之三 十七 渡部新五郞が娘若宮の兒におもひそめし事」の、ほぼ、そのままの転用である(最後の部分は本書で附された、今までの諸篇の終りにあった、まことしやかな「実話である」ことのダメ押し添えである)。「諸國百物語」は第四代将軍徳川家綱の治世、延宝五(一六七七)年四月に刊行された、全五巻で各巻二十話からなる、正味百話構成の真正の「百物語」怪談集である。因みに、この後の「百物語」を名打った現存する怪談集には実は正味百話から成るものは一つもないから、これはまさに怪談百物語本の嚆矢にして唯一のオーソドックスな正味百物語怪談集と言えるのである。但し、著者・編者ともに不詳である。リンク先では、誰にも負けない(鎌倉史研究をしている自負から)私の詳細なオリジナル注(原拠「沙石集」も電子化注してある)を附してあるので、そちらを、是非、読まれたい。そちらで注したことは繰り返さない。]
« 「善惡報はなし」正規表現オリジナル注 卷三 㐧十三 死たるもの犬に生るゝ事 | トップページ | 「善惡報はなし」正規表現オリジナル注 卷四 目錄 / 㐧一 慈悲ふかき房主の事幷いざり念仏といふ事 »