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2024/07/21

「疑殘後覺」(抄) 巻七(第六話目) 女房手の出世に京へ上る事 / 「疑殘後覺」(抄)~了

[やぶちゃん注:底本・凡例等は初回を参照されたい。「目錄」では、「女房手の出世に京へ上る事」であるのに対し、本文の標題は「女房、手の出世に京へ下る事」になっている。ここは、「目錄」の方を採った。

 なお、本篇は、本書の掉尾に当たる。これを以って、「疑殘後覺」(抄)の電子化注を終わる。]

 

   女房、手の出世に京へ上る事

 中ごろの事なるに、

「信州より。」

とて、みめかたち、世にうつくしき上﨟《じやうらふ》女房、けつこうなる、のり物にのりて、

「日本一の手書きなる。」

に、よりて、みやこへ、出世のために、のぼり給ふ。

[やぶちゃん注:「上﨟女房」身分の高い女官。御匣殿(みくしげどの)・尚侍(ないしのかみ)、及び、二位・三位の典侍(ないしのすけ)、或いは、特別に禁裏から禁色(きんじき)を着ることを許された大臣の娘、又は、孫などを指す。中古以降、隠棲や左遷で地方に流れついた、そうした連中は、多くいた。

「手書き」名書家。]

「はやくのぼり給はで、かなはぬ『上らう[やぶちゃん注:ママ。以下同じ。]』ぞ。」

とて、どこともなく、しゆくをくり[やぶちゃん注:ママ。「宿送(しゆくおく)り」。]に、してのぼしけり。

[やぶちゃん注:「しゆくをくり」「宿送(しゆくおく)り」とは、岩波文庫の高田衛氏の脚注に、各『海道のそれぞれの宿場が、それぞれ次の宿場まで責任を持って送り屆ける輪送方法。』とある。]

 やうやう、のぼるほどに、草津につきにけり。

[やぶちゃん注:「草津」現在の滋賀県草津市にあった草津宿(グーグル・マップ・データ)。]

 ある大きなる宿に入《いれ》たてまつりけるに、あるじ、いでてみれども、のり物ともに、座敷へかきこみければ、上らうを見るべきやう、なし。

 あるじ、くわし[やぶちゃん注:「菓子」。]など、見事とゝのへて、御そば近く、まい[やぶちゃん注:ママ。]て、

「なかなかのたび、さこそ、御きうくつ[やぶちゃん注:ママ。「窮屈」。歴史的仮名遣は「きゆうくつ」でよい。]に候はん。御慰みに、なされ候へ。」

とて、御《おん》のり物のそばへ、まいられければ、

「よくこそ、たてまつれ。」[やぶちゃん注:自敬表現。]

とて、のり物、ほそめにあけ給ふ。

 そのひまより、見ければ、としのころは、はたち、なり。

 女らうのようぎ[やぶちゃん注:「容儀」。]、うつくしとも、いはんかたなく、らうたきが、かみは、ながながと、おしさげ、まゆ、ふとう、はかせ[やぶちゃん注:「刷(は)かせ。」]、かずかずのいしやう、七つ、八つ、引(ひき)かさね給ひ、てぶり[やぶちゃん注:素手。]の手を、さしのべ給ふ。

 にほひ、くんじわたりて、見へ[やぶちゃん注:ママ。]にける。

 あるじ、思ひけるは、

『さてもさても、これは如何なる人の、ひめぎみ、やらん。かばかりに、いみじく、あてやかなる上らうも、世におはしけるものかな。あはれ、この人の御手《おて》[やぶちゃん注:筆跡。]を所望して、一ふく、もつならば、子孫のたからなるベし。』

と、思ひて、又、まいり申《まうし》けるは、

「うけたまはれば、御《おん》まへには、御手を、うつくしくあそばすよしを、うけたまはりおよび候。あはれ、一筆、下され候はば、しそんのたからに、つたへ申《まうし》たく候。」

と、申ければ、上らう、のたまひけるは、

「みやこへ、のぼりつかぬうちは、一字も、かゝねども、あるじがこゝろざし、よに、たぐひなければ、ちからなく[やぶちゃん注:仕方ないですから。]、かきて、とらすべし。」

と、のたまへば、

「さてもさても、有《あり》がたき御事《おんこと》にこそ、候へ。」

とて、れうし[やぶちゃん注:「料紙」。]を、とゝのへ、御のりものゝうちへ、さし出《いだ》しければ、しばらくありて、「いせ物がたり」の歌を、二首、あそばして、たまはりけり。

 主、おしいたゞきて、やがて、所の目代《もくだい》[やぶちゃん注:代官。]に、みせ侍りければ、

「さてもさても、見事なる手跡かな。よはくして、つよく、風情《ふぜい》、やはらかにみへ[やぶちゃん注:ママ。]て、墨つき、うつり、いはんかた、なし。たからにこそは、あれ。」

とぞ、ほめたりける。

 さて、この家に、用心のために、大《おほき》なる犬を、こふ[やぶちゃん注:ママ。「飼(か)ふ」の口語化。]たりけるが、こののりものを、つくづく見て、ほゆること、たゞならず。

『いかなる事にや。』

と、あるじ、思ひて、せど[やぶちゃん注:「背戶」。宿の裏口。]へ、追《おひ》いだしけれども、ほゆるほどに、女ばう、の給ひけるは、

「いかに。あるじ。あの犬を、とをく[やぶちゃん注:ママ。]へ、のけたまへ。よに[やぶちゃん注:「世に」。副詞。たいそう。]、おろしくおぼゆるぞや。」

と、仰せければ、

「かしこまり候。」

とて、追《おひ》うしなへ[やぶちゃん注:「失へ」。「追い去れ」。]ども、立《たち》もどり、乘物を、みて、ほゆるほどに、女ばう、けしからず[やぶちゃん注:あるまじきさまであること。]思ひ給ひけるにや、

「あの犬、これに有《ある》ならば、よがた[やぶちゃん注:「餘方」。別の家。]へ、宿をかりかへ候。」

と申させ給へば、ていしゆ、

「それまでも候はず。」

とて、うらの藪へ、つれて行(ゆき)、つなぎてこそ、おきにける。

 是より、女ばうも、御《み》こゝろ、うちつきて[やぶちゃん注:落ち着いて。]こそ、見えにける。

 かくて、夜にいれば、らうそく、たてて、御《おん》とのゐ[やぶちゃん注:「殿居」。夜を通して、守(も)りをすること。]をぞ申ける。

 夜はん斗《ばかり》に、此の上らう、

「せうやう[やぶちゃん注:「小用」。小便。]、あり。」

とて、乘物より、いでたまひて、坪のうち[やぶちゃん注:宿の坪庭。]へ、いでさせ給ふが、なにとしけるやらん、いぬ、ほえいづる事、けしからず。

 ていしゆは、これを、きゝて、

「とかく、この犬めは、ゐ中[やぶちゃん注:ママ。「田舍」。]そだちにて、かゝる、うつくしき上らうを、みなれざるによつて、はたさず、あやしみ、ほゆると、みへ[やぶちゃん注:ママ。]たり。ことに、上らうなれば、いぬを、おそれさせ給ふに、にくきやゆめかな。それ、犬を、せいせよ[やぶちゃん注:「制せよ」。]。」

とて、うちに、めしつかふおのこ[やぶちゃん注:ママ。]を、うらへ、つかはしにける。

 この男《をのこ》、坪の內をさしのぞきて、

『上らうを、一め、みばや。』

と、思ひければ、見へ[やぶちゃん注:ママ。]給はず。

「あな、ふしぎや。」

とて、よくよく、みれども、おはせざりければ、立《たち》かへりて、あるじに、

「上らうは、おはしまさぬ。」

よしを、いひければ、

「いかでか、さるべき。」

とて、御のり物のあたりへ、ちかづき、

「いかに。御つれづれに、おはしますか。なにても[やぶちゃん注:ママ。「何(なに)にても」の脱字か。]、御用あらば、仰《おほせ》られ候へ。」

と申けれども、をと[やぶちゃん注:ママ。]も、せざりければ、

「あな、ふしぎや。」

とて、さしよりて、見ければ、乘物には、なかりけり。

「こは。まことにや、あやしゝ。」

とて、らうそくを、たてゝ、つぼのうちを見まはしけれども、なかりければ、それより、おどろきて、人々、うちより、山里を、かり[やぶちゃん注:「狩り」。]て、たづぬれども、なかりければ、

「さても、ふしぎにおぼゆるものかな。さて、是は、いづれのくに、いかなる所よりか。いで給ふぞ。さきざきを、とへ。」

とて、又、かの、のり物を、もときしかたへ、おしもどして、ひた物、あとをたづぬれども、いづちより、いでゝ、いづかたの人とも、かつて、しれざりければ、人々、めんめんに、

「これは。何としたるまがまがしき事ぞや。ばけものにて。ありけるが、世のすゑのふしぎにこそは、おぼゆれ。」

とて、とまりとまりにて、是を、あやしみけれども、かつて、もとを、わきまヘたるもの、なかりけり。

 このやどに、いぬの、ほゆるを、ことのほかに、この上らう、おそれ、おのゝき給ふが、

「もし、きつねなどにては、なきかや。そうじて[やぶちゃん注:ママ。]、狐は、いぬを、ことのほかに、おそるゝものなるが。」

と、いひければ、又、あるもの、いひけるは、

「さやうのへんげならば、ものかく事、あるべからず。是は、ことのほか、手書《てがき》にて、見事にかき給へるうへは、又、さやうのへんげにても、有《ある》べからず。」

と、いふほどに、

「さあらば、その手を、とりいでゝ、みせ給へ。ものゝ、ふしぎは、はれぬ事。」

とて、とりいださせて、みければ、さも、やふに[やぶちゃん注:ママ。「優(いう)に」。]、美しき手にて、有《ある》しが、悉《ことごとく》、きへ[やぶちゃん注:ママ。]て、䑕《ねづみ》のふん[やぶちゃん注:「糞」。]を、ならべ置《おき》たるごとくに、墨ばかり、つきて、何の形も、なし。さてこそ、狸《たぬき》の變化《へんげ》とは、しりてけり。

[やぶちゃん注:私には、厭な話だ。何故なら、『「想山著聞奇集 卷の四」 「古狸、人に化て來る事 幷、非業の死を知て遁れ避ざる事」』以来、私は、タヌキの変化を偏愛するからである。]

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