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2024/07/02

「善惡報はなし」正規表現オリジナル注 卷三 㐧八 じひある人海上をわたるに舟破損しかめにたすけらるゝ事

[やぶちゃん注:底本・凡例等は初回を参照されたい。]

 

 㐧八 じひある人、海上をわたるに、舟、破損し、かめにたすけらるゝ事

○或(ある)人、「わかさ」の「小濱(をばま)」にて、子共、四、五人あつまり、「かめ」を、一つ、取《とり》て、うちころさんとするを、此人、ゆきあはせ、子共を、すかし、「かめ」を、とつて、うみへ、はなちやりけり。

[やぶちゃん注:『「わかさ」の「小濱(をばま)」』現在の福井県小浜市(グーグル・マップ・データ)。]

 ある時、此人、商賣のために、北国ヘ下りけるが、すなはち、「をばま」より、舟に、のりけり。

 折ふし、風、はげしくして、すでに、ふね、くつがへしけり。

 「かこ」をはじめ、船中(せんちう)の人〻、五、六十、かい中[やぶちゃん注:「海中」。]の「みくづ」[やぶちゃん注:「水屑」。]と成《なり》うせぬ。

 

Kame

[やぶちゃん注:挿絵は、第一参考底本はここ第二参考底本はここ。汚損が激しいが、後者の方がよい。五匹のカメの「浮き橋」が細部まで観察出来る。カメには、総て、実在しない耳状突起が描かれているが、これは江戸期のカメの挿絵では、しばしば見られるもので、恐らくは、カメ類の大型の一部は、民俗社会(恐らく東アジアの広域で)では、どこかで「龍類」との通性を持った「霊獣」としてて認知されていたからではないかと、私は考えている。例えば、私の寺島良安「和漢三才圖會 卷第四十六 介甲部 龜類 鼈類 蟹類」でさえ、「龜類」の終りの奇ガメ三種には、「緑毛龜(みのがめ)」・「攝龜(へびくいがめ[やぶちゃん注:ママ。])」・「賁龜(=三足龜(みつあしのかめ))」の三種には、奇体な「耳」が描かれており、それは、甲羅を持ったポスト龍の様相を示しているのである。但し、後者では、溺死した人々の体や、複数の海上の死者の足が、例の落書野郎によって黒くベタ塗りにされている。さらに言うと、足は四本もあるが、原画では右の二本のみが描かれているのであって、左の短い足首二本は、落書で追加したものである。奥の伏せた上半身を塗ったのは、まずかったと思うが、屹立する四本の黒い足の群れは、怪奇談の雰囲気を、逆に、よく助けていると言えよう。

 

 中にも、かの「かめ」をたすけし人ばかり、只、一人、のこり、何のしさいもなくて、むかふまでは、一里ばかりもあるらんと、おもふみなとへ、

「さらさら」

と、平地(へいち)をゆくがごとくして、なんなく、うちあがりけり。

 されども、ふしぎのおもひをなし、跡を、かヘり見ければ、「かめ」ども、いく千万といふ、數しらず、「かう」[やぶちゃん注:「甲」。]を、

「ひし」

と、きしぎは[やぶちゃん注:「岸際」。]まで、ならべ、うちつゞき、ゐけり。

「扨《さて》は、『かめ』の、我をたすけけるよ。」

と、うれしくて、小濱にて、「かめ」一つ、たすけし事を、おもひ出《いだ》し、「をんどく」[やぶちゃん注:「恩德」。]のほどを、おもひけるが、人の、物をしらぬは、「ちうるい[やぶちゃん注:ママ。「蟲類(ちゆうるゐ)」。]」にも、はるかに、をとれ[やぶちゃん注:ママ。]り、と知《しる》べし。

 此はなしは、「わかさ」の人の、かたられける。

 明曆比《ごろ》の事也。

「明曆」一六五五年~一六五八年。第四代徳川家綱の治世。]

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