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2024/07/16

「和漢三才圖會」植物部 卷第八十三 喬木類 櫸

 

Sinasawagurumi

 

けやき    櫸柳 鬼柳

       【今介夜木】

【音拒】 【倭名抄訓久奴

       木者非也】

キユイ

[やぶちゃん注:「櫸」は「欅」の異体字。原本では、「グリフウィキ」のこれ((つくり)の下部の横画が、三本ではなく、二本のもの)であるが、表示出来ないので、最も近い「櫸」を使用した。]

 

本綱欅樹最大者髙五六𠀋合二三人抱其葉謂柳非柳

謂槐非槐其實如楡錢之狀其材紅紫作箱案之類甚佳

嫩皮取以緣栲栳及箕唇土人采其葉爲甜茶

木皮【苦大寒】 治時行頭痛療水氣斷痢安胎止姙婦腹痛

△按櫸生深山中形狀如上說其大者十五六𠀋其材帶

 紅紫色麁理堅實而凡堂城之柱牮用之經歳不蚟或

 作盌𣾰䰍爲飮食噐最上品作案几及階梯之板皆佳

 也伹不宜水濕耳出於四國西國𠙚𠙚日向之產爲良

 陶弘景曰皮似槐而葉如櫟檞者卽久奴木矣源順𢴃

 此以櫸爲久奴木訛也櫸有三種眞櫸石櫸槻櫸也其

 材有少異

石櫸   木理麁於眞櫸甚堅硬匠人勞于鐁錐

槻【和名豆木乃木】 木理麁似硬不硬不良材唐韻曰堪作弓

 俗曰槻櫸蓋檀弓槻弓古者多用弓乎

  夫木關守か弓にきるてふ槻の木のつきせぬ戀に我おとろへぬ顯季


 はだつ

 波太豆  波太豆毛利

△按其材似櫸今多用澤胡桃或波太豆爲板僞櫸

  六帖我戀はみやまにおふるはたつもりつもりにけらし

                     あふよしもなく

[やぶちゃん注:最後の一首の終句は「あふよしもなし」の誤り。訓読では訂しておいた。]

 

   *

 

けやき      櫸柳《きよりう》 鬼柳

         【今、「介夜木《けやき》」。】

【音「拒」】  【「倭名抄」、「久奴木」と

          訓《くん》ずるは、非なり。】

キユイ

[やぶちゃん注:「櫸」は「欅」の異体字。原本では、「グリフウィキ」のこれ((つくり)の下部の横画が、三本ではなく、二本のもの)であるが、表示出来ないので、最も近い「櫸」を使用した。]

 

「本綱」に曰はく、『櫸樹《きよじゆ》、最も大なる者、髙さ、五、六𠀋。二・三人抱《がかへ》、合《あふ》べし。其の葉、「柳《やなぎ》」と≪似ると≫謂ひて、柳に非ず、「槐《えんじゆ》」と≪似ると≫謂ひて、槐に非ず。其の實《み》、楡(にれ)の錢(み)の狀《かたち》ごとし。其の材、紅紫にて、箱・案(つくへ[やぶちゃん注:ママ。])の類に作るに、甚だ、佳なり。嫩《わかくやはらか》なる皮、取りて、以つて、栲栳《かうらう》[やぶちゃん注:東洋文庫割注に『(竹や柳を曲げて作った器)』とある。]、及び、箕《みの》≪の≫唇《くち》の緣(ふち)にす。土人、其の葉を采りて、甜茶(あま《ちや》)と爲《な》す。』≪と≫。

『木皮【苦、大寒。】 時-行《はやり》頭痛を治し、水氣《すいき》を療ず。痢を斷《たち》、胎《たい》を安《やすん》じ、姙婦の腹痛を止む。』≪と≫。

△按ずるに、櫸《けやき》は、深山の中に生ず。形狀、上の說のごとし。其の大なる者、十五、六𠀋。其の材、紅紫色を帶び、麁《あらき》理《きめ》≪は≫、堅實にして、凡そ、堂・城の柱・牮(うし[やぶちゃん注:ママ。この漢字は「支える柱」「つっかえ棒」=「つっぱり」の意であるから、私は「つつぱり」と訓じたく思う。])≪に≫之れを用ひて、歳《とし》を經て、蚟(むしい)らず。或いは、盌(わん)[やぶちゃん注:「椀」に同じ。]に作る。𣾰《うるし》を䰍(ぬ)りて、飮食の噐《うつは》と爲≪して≫、最も上品≪たり≫。案-几《つくえ》、及び、階-梯《はしご》の板に作≪るも≫、皆、佳《よ》し。伹《ただし》、水濕《すいしつ》、宜《よろ》しからざるのみ。四國・西國、𠙚𠙚《しよしよ》より出づる。日向《ひうが》の產、良《りやう》と爲す。陶弘景曰はく、『皮、槐に似て、葉、櫟-檞(とち)のごとし。』と云ふ[やぶちゃん注:「云」は送り仮名にある。]は、卽ち、「久奴木《くぬぎ》」か。源順《みなものとのしたごう》、此れに𢴃《よ》りて、「櫸(けやき)」を以つて、「久奴木」と爲《す》るは、訛《あやまり》なり。櫸、三種、有り。「眞櫸(まけやき)」・「石櫸《いしけやき》」・「槻櫸《つきけやき》」なり。其の材、少異《しやうい》有り。

石櫸 木理(きめ)、眞櫸より麁《あら》く、甚だ、堅硬≪たり≫。匠-人《だいく》、鐁《やりがんな》・錐《きり》≪を使ふに≫勞《らう》す。

槻(つき)【和名「豆木乃木《つきのき》」。】 木理、麁く、硬《かたき》に似て、硬からず。良材ならず。「唐韻」に曰はく、『弓(ゆみ)≪を≫作るに堪《たへ》たり。』≪と≫云≪ひ≫[やぶちゃん注:「云」は送り仮名位置にかなり大きめに打たれている。但し、中近堂版では、「云」はない。]、俗、「槻櫸(つきけやき)」と曰《い》ふ。蓋し、「檀弓(まゆみ)」・「槻弓(つきゆみ)」≪てふ語、あれば≫、古-者(いにしへ)、多《おほく》、弓に用ひしにや。

 「夫木」

   關守が

     弓にきるてふ

    槻《つき》の木の

       つきせぬ戀に

        我《われ》おとろへぬ 顯季


 はだつ

 波太豆  波太豆毛利《はだつもり》

△按ずるに、其の材、櫸(けやき)に似≪る≫。今、多《おほく》、「澤胡桃(《さは》ぐるみ)」、或いは、「波太豆《はたつ》」≪の材を≫用ひて、板と爲し、櫸に僞《いつは》る。

  「六帖」

    我《わが》戀は

       みやまにおふる

      はたつもり

          つもりにけらし

           あふよしもなし

 

[やぶちゃん注:これは、久々に――完全アウト――である(附録の「波太豆(はだつ)」を除く)。時珍の「櫸」と、良安が考え、我々もそれと考えるところの

「ケヤキ」ではない――全く分類学上も遙かに異な縁も所縁もない完全な別種――

なのである。繰り返す。ここで時珍が記している「櫸」は、現代の日本人の誰もが、それと考え、良安もそれと誤認している、

双子葉植物綱バラ目ニレ科ケヤキ属ケヤキ Zelkova serrata

ではなく、

――★現代中国語では、ケヤキを「榉树」(繁体字「欅樹」)とし、別名でも「櫸木」と書きはするが、時珍の時代のそれは、「ケヤキ」ではないのである)――

現代の中文名を、

枫杨(繁体字「楓楊」

とし、別名は、

「水麻柳」及び「柳」(繁体字「欅柳」)

である、中国中南部原産の落葉高木である、

◎双子葉植物綱マンサク亜綱クルミ目クルミ科サワグルミ属シナサワグルミ Pterocarya stenoptera

を指すのである。ネット上の記載は、殆んどが、極めて貧困である。私の最も信頼する「跡見群芳譜」の「しなさわぐるみ(支那沢胡桃)」で、別名(東洋文庫訳は「本草綱目」引用部分の本文の初出「欅」の箇所に『欅(きょ)』とし、割注して『(クルミ科カンポウフウ)』とするのだが、異名で出しているのはいただけない)「カンボウフウ」の漢字表記が漸く判った。「嵌寶楓」である別名を記載していない多くの学術的な植物記載をした方々よ、ちゃんと漢字表記を添えるべし! それが判らないのなら、安易に異名・別名を列挙するべきではないと私は思うのである。だって、一体、どれだけの日本人が「かんぼうふう」という字から正確な漢字名を想起出来るか、考えてみれば判ることだそれによれば、『漢語別名』を他に(カタカナの半角は全角にした)、

水麻柳(スイマリュウ,shuimaliu

麻柳

蜈蚣柳(ゴコウリュウ,wugongliu

元寶楓(ゲンホウフウ,yuanbaofeng

大葉柳(タイヨウリュウ,dayeliu

欅柳

嵌寶楓

馬尿騒

とあり、『臺灣・華東・河南・陝西・兩湖・兩廣・四川・貴州・雲南に分布』するとし、大切な一言、『葉は有毒』がある。『中国では、あるいは日本でも、各地で街路樹とする』とあり、『中国では、枝・葉を薬用にする』ともあった。なお、さらに調べたところ、

本邦に移入されたのは、明治時代とする(次のリンク先)ので、良安は知るべくもない種

であった。さても、恐らく、学術上の完璧に近い記載は、MOMO氏のサイト『「野山の草花・木々の花」植物検索図鑑』の同種のページである(画像も八枚ある)。以下に引用する。『中国原産で、公園樹や街路樹として植栽される落葉高木』。『樹高は』二十五~三十メートル、『幹径』は一メートルに『達する。樹皮は灰褐色で縦に深く裂けて剥がれる。葉は互生。長さ』二十~三十センチメートルの『の偶数羽状複葉。葉軸には』、普通、『ヌルデのような翼がある。小葉は』五~十『対』、『付き、長さ』四~十センチメートルの『長楕円形で無柄。先端は鈍く、基部は左右不相称。縁には先端が内側に曲がる鋸歯がある。雌雄同株。花期は晩春。雄花序も雌花序も垂れ下がり、小さな花が多数付く。雄花序は黄緑色で、長さ』五~七センチメートル。『雄花の苞は披針形で、上部の両側に小苞が付き、先端にやや赤味を帯びた花被片が』一『個付く。雄蕊は苞の下面に付く。雌花序は長さ』五~八センチメートル。『雌花の花柱は』二『裂して反り返り、柱頭は紅色で小さな突起が多い』。『花期は』五『月』。『果実は堅果。果穂は長さ』二十~三十センチメートル。『堅果には小苞が発達した翼があり』、七~八『月に熟す。翼はサワグルミ』(サワグルミ属サワグルミ Pterocarya rhoifolia )『に比べ細長く、長さ約』二センチメートルで、『堅果は径』六~七センチメートル。『サワグルミとの差異で特徴的なものは』、『葉軸に翼があることで、サワグルミには翼がない』。『明治時代初期に渡来した』とある。当該日本語のウィキは貧しくて見るに堪えない。原産地の「維基百科」も、この程度で失望だったが、一つ、そこに安徽省での地方名として「蜈蚣柳」(「むかでやなぎ」だ!)とあるのは、同種の若い果実の多数ぶら下がった写真を見ると、これ! 私には、ナットクだった!

 なお、当然の如く、良安は評で、ケヤキとして記載してしまっているので、当該ウィキを引かざるを得ない(注記号はカットした)。本邦では『ツキ(槻)ともいう。日本では代表的な広葉樹の一つで、枝ぶりが整った樹形が好まれて植栽や街路樹にも使われる。材は建築材として良材で、寺社建築によく使われる』。『和名「ケヤキ」の由来は、「ケヤ」は古語で「すばらしい」という意味があり、「けやしの木」が転訛したものだといわれる。中国名は「櫸樹」』。『朝鮮半島、中国、台湾と日本に分布し、日本では本州、四国、九州に分布する。山野に生え、丘陵から山地、平地まで自生する』。『自然分布の他に、人の手によって街路や公園、人家のまわりにも植えられたものもよく見られる。日本では特に関東平野に多く見られ、屋敷林に使われることが多い。北海道には自然分布はないが、函館や札幌などの都市部で、庭園樹や公園樹として植えられたものもある』(私は勤務した横浜翠嵐高等学校の大木が最も印象に残る)。『落葉広葉樹の高木で、高さ』十五~二十五『メートル』『になり、大きなものでは幹径』三メートル、『高さ』三十~五十メートル『ほどの個体もある。開けた場所に生える個体は、枝が扇状に大きく斜めに広がり、独特の美しい樹形になる。樹皮は灰白色から灰褐色で、若木のうちは滑らかで横長の皮目があるが、老木になるとモザイク状や鱗片状、あるいは大きく反り返って剥がれるなど、剥がれ方は一様ではなく、幹の表面はまだら模様になる。一年枝は褐色で無毛、ジグザグ状に伸びて皮目がある』。『花期は』四~五『月ごろ。開花は目立たないが、葉が出る前に本年枝に数個ずつ薄い黄緑色の花が咲く。雌雄同株で雌雄異花。本年枝の下部に数個ずつ雄花が、上部の葉腋に』一~三『個の雌花がつき、雄花と雌花をつけた短い枝を「着果短枝」という。花後に長枝が伸びて、本葉が出る』。『葉は互生し、葉身は長さ』三~十『センチメートル』『 の卵形から卵状披針形で、葉縁にある鋸歯は曲線的に葉先に向かう特徴的な形であり、鋸歯の先端は尖る。葉の正面はざらつく。春の新緑や秋の紅葉(黄葉)が美しい樹木でもある。都市部ではあまり鮮やかに紅葉せず黄褐色から褐色になって落葉してしまうが、寒冷地では個体によって色が異なり、黄色・橙色・赤色など色鮮やかに紅葉する。若木や徒長枝の葉は大きく、赤色に紅葉する傾向が強い。紅葉は褐色を帯びるのが比較的早く、落ち葉もすぐに褐色になる』。『果期は』十『月。果実は長さ約』五『ミリメートル』『の平たい球形をした痩果で、秋に暗褐色に熟す。小枝についた葉が翼となって、果実がついたまま長さ』十~十五センチメートルの『小枝ごと木から離れ、風に乗って遠く運ばれて分布を広げる』。『冬芽は互生し、小さな卵形で暗褐色の』八~十『枚の芽鱗に包まれており、横に副芽を付けることがある。枝先には仮頂芽がつき、側芽は枝に沿わずに開出してつく。冬芽の横には、しばしば副芽がつく。冬芽のわきにある葉痕は半円形で、維管束痕が』三『個ある』。『葉の裏と柄に短毛の密生する変種をメゲヤキ』(漢字表記不詳: Zelkova serrata f. stipulacea )『という』とあるが、一説に、このメゲヤキは、中国固有種であるトウゲヤキ Zelkova schneideriana (中文名「大叶榉树」)と同一種とする見解がある(則ち、それなら、外来種ということになる)。『箒を逆さにしたような樹形が美しく、街路樹や公園樹としてよく親しまれ、防火や防風の目的で庭木などとしてもよく植えられる。特に関東地方での利用が多い。巨木が国や地方自治体の天然記念物になっていることがある。朝鮮半島では、ケヤキの春の若葉を茹でて食べることもあり、餅にも入れられる』。『日本の材としては、ジャパニーズ・ウイスキーの樽に使われることで有名なミズナラ』(ブナ目ブナ科コナラ属コナラ亜属ミズナラ Quercus crispula var. crispula )『とともに、導管を塞ぐ「チロース」』(tylose・tylosis)『と呼ばれる物質が発達しており、水を通さない。そのため、材は狂いが少なく湿気に強いのが特徴で、幅広い用途に使われる。木目が美しく、磨くと著しい光沢を生じる。堅くて摩耗に強いので、家具・建具等の指物に使われる。日本家屋の建築用材としても古くから多用され、神社仏閣などにも用いられた。ケヤキ材からは仏像も作られる。現在は高価となり、なかなか庶民の住宅には使えなくなっている』。『寺社建築に盛んに使われるようになったのは、縦引き鋸が使われ出した室町時代以降のことである。ヒノキやスギは縦に割って使うことができたが、ケヤキの材はかたく、割るのは困難であったためである。材の強度は、ヒノキとは反対に伐採後から次第に低下していくといわれ、薬師寺東塔に使われたケヤキ材は』千二百『年を経過していて、破断状態にあったという。広葉樹、特にケヤキは道管が環状に並んで』、『年輪がはっきりと見える板となり、年輪幅が広い方がかたくて、重い良材となる』。『チロースが発達しているので、伐採後も長い間導管内に水分が閉じ込められたままになる。そのため、伐採してから、乾燥し枯れるまでの間、右に左にと、大きく反っていくので、何年も寝かせないと使えない。特に大黒柱に大木を使った場合、家を動かすほど反ることがあるので大工泣かせの木材である。また、中心部の赤身といわれる部分が主に使われ、周囲の白太は捨てられるので、よほど太い原木でないと立派な柱は取れない』。昭和一五(一九四〇)年、『戦時色の強まった日本では、用材生産統制規則により特定の樹種について用途指定を実施。ケヤキ材の使用用途については軍需、内地使用の船舶、車両用に限られることとなった』とある。

 本篇の「本草綱目」の引用は、「卷三十五下」の「木之二」「喬木類」(「漢籍リポジトリ」)の「(ガイド・ナンバー[086-21b]以下)からのパッチワークである。但し、検索する場合は、

「欅」

ではなく、

「櫸」

の異体字を用いているので、注意されたい。

「柳《やなぎ》」中国語では、ヤナギの中でも枝が垂れる種群を「柳」、枝が垂れない種群を「楊」と称している。名にし負うお馴染みのヤナギ科ヤナギ属シダレヤナギ Salix babylonica var. babylonica は中国原産である。

「槐《えんじゆ》」バラ亜綱マメ目マメ科マメ亜科エンジュ属エンジュ Styphnolobium japonicum 。先行する「槐」を参照されたい。

「嫩《わかくやはらか》なる」読みは東洋文庫のルビを参考にした。

「箕《みの》≪の≫唇《くち》の緣(ふち)」日本のケースだが、ウィキの「箕」によれば、『先端部の強度を高め滑らかな表面にするために桜皮を編み込んだものもある』(愛知県豊田市の例)とあった。

「甜茶(あま《ちや》)と爲《な》す」現在も中国で行われている。中文の「百度百科」の「枫杨茶」を見られたい。画像もある。

「時-行《はやり》頭痛」読みは東洋文庫のルビを採った。

を治し、水氣《すいき》を療ず。痢を斷《たち》、胎《たい》を安《やすん》じ、姙婦の腹痛を止む。』≪と≫。

「蚟(むしい)らず」虫が食い込んで食害することがない。

「䰍(ぬ)りて」この漢字は、音「キュウ」で、「漆・赤黒い漆」或いは「漆を塗る」の意。

「陶弘景曰はく、『皮、槐に似て、葉、櫟-檞(とち)のごとし。』と云ふは、卽ち、「久奴木《くぬぎ》」か」「本草綱目」の「櫸」の「集解」の冒頭で『弘景曰櫸樹山中處處有之皮似檀槐葉如櫟槲人多識之』とあるのを引用したもの(「漢籍リポジトリ」のそれとは表字が異なるが、同一種である)。従って、対象植物が異種であるから、無効である。さらに、「櫟-檞」「櫟槲」を良安は「トチ」としているが、この「櫟-檞」「櫟槲」は、

ムクロジ目ムクロジ科トチノキ(栃の木・橡の木)属トチノキ Aesculus turbinata

ではなく、

ブナ目ブナ科コナラ属ナラガシワ(檞櫟)Quercus aliena

である。更に良安は、「久奴木《くぬぎ》」を候補種として挙げているが、これまた、ナラガシワと同属であるが、異種の、

コナラ亜属クヌギ Quercus acutissima

なのであり、彼は、致命的に多重錯誤に堕ちてしまっているのである。最早、植物百科事典の項としては、シッチャカメッチャカのレッド・カードで、退場するしかないヒドさに至ってしまっているのである。なお、東洋文庫訳では、梁の武帝に抜擢された医師・科学者にして道教の茅山派の開祖でもあった陶弘景(四五六年~五三六年)の引用元は、「名醫別錄」(「神農本草經」の薬三六五種に、漢・魏以来の名医が用いた薬三百六十五種を加えた漢方書。全三巻)とする。

『源順《みなものとのしたごう》、此れに𢴃《よ》りて、「櫸(けやき)」を以つて、「久奴木」と爲《す》るは、訛《あやまり》なり。』漢字表記に問題があるが、順の「和名類聚鈔」の「卷第二十」の「草木部第三十二」の「木類第二百四十八」にある(国立国会図書館デジタルコレクションの寛文七(一六六七)年の板本のここの左丁の最後)、

   *

釣樟(クヌギ) 「本草」に云はく、『釣樟、一名は「鳥樟」【音「章」。和名「久沼木」。】』。

   *

とあるのを指す。「本草」は「本草和名」で、深根輔仁(ふかねのすけひと)の撰になる日本現存最古の薬物辞典(本草書)。「輔仁本草」(ほにんほんぞう)などの異名がある。当該ウィキによれば、『本書は醍醐天皇に侍医・権医博士として仕えた深根輔仁により』、『延喜』一八(九一八)年に『に編纂された。唐の』「新修本草」(高宗が蘇敬らに書かせた中国最古の勅撰本本草書。陶弘景の「神農本草經集注」(しんのうほんぞうきょうしっちゅう)を増訂したもの)を『範に取り、その他漢籍医学・薬学書に書かれた薬物に倭名を当てはめ、日本での産出の有無及び産地を記している。当時の学問水準』の限界のため、『比定の誤りなどが見られるが、平安初期以前の薬物の和名を』、『ことごとく記載しており』、且つ、『来歴も明らかで、本拠地である中国にも無い』所謂、『逸文が大量に含まれ、散逸医学文献の旧態を知る上で』も、『また』、『中国伝統医学の源を探る上でも貴重な資料である』。本書は、後の『丹波康頼の』知られた「医心方」にも『引用されるなど』、『後世の医学・博物学に影響を与えた。また、平安時代前期の国語学史の研究の上でも貴重な資料である』。後、永らく、『不明になっていたが、江戸幕府の医家多紀元簡が紅葉山文庫より上下』二『巻全』十八『編の古写本を発見し』、『再び世に伝えられるようになった。多紀元簡により発見された古写本の現時点の所在は不明であるが、多紀が寛政』八(一七九六)年に『校訂を行って刊行し』、六『年後に民間にも出された版本が存在する他、古写本を影写した森立之の蔵本が台湾の国立故宮博物院に現存する』とある。さて。にしても、ここで良安が『訛《あやまり》なり』とブチ挙げているのは、全体の良安自身の大訛(あやまり)を知ってしまったからには、寧ろ、哀れとさえ感じられるのである。

『櫸、三種、有り。「眞櫸(まけやき)」・「石櫸《いしけやき》」・「槻櫸《つきけやき》」なり。其の材、少異《しやうい》有り』ウィキの「ケヤキ属」を見ても、本邦にケヤキ属ケヤキ Zelkova serrata の別種・亜種・江戸時代当時の品種のものは見当たらない。個人サイトの「一枚板比較」の「ケヤキ(欅)の一枚板」に、『欅(ケヤキ)は、日本を代表するニレ科ニレ属の広葉樹です。欅(ケヤキ)は海外でも人気がある樹種で、海外では「ジャバニーズゼルコバ」』(Japanese zelkova)『の名で親しまれています。日本の気候は、世界でも稀な四季があるため、ケヤキに美しい杢目が出やすいという特徴がある点も海外からも人気の樹種である理由の一つです。ケヤキの杢目には、最高峰である如輪杢をはじめ、玉杢などの種類がよく出ます。また、ケヤキには青ケヤキと赤ケヤキがあります。欅(ケヤキ)の心材は、オレンジに近い褐色で、辺材は黄色に近い褐色をしています』。『欅(ケヤキ)には、青ケヤキと赤ケヤキがあります。青ケヤキは、年輪幅が大きく若い木なのに対して、赤ケヤキは、年輪幅が小さい樹齢が高い木になります』とあり、以下、豊富な写真で、「欅(ケヤキ)の杢目の種類」項が続くので見られたい。但し、されば、私は、この「三種」というのは、木材にした際の材質上の個体の別に過ぎないのだと思ったのだが、さにあらずで、

「眞櫸」はケヤキ

であろうが、

「石櫸」は、これ、ケヤキとは同じニレ科Ulmaceaeの、ニレ属アキニレ Ulmus parvifolia の異名

なのであった。当該ウィキによれば(注記号はカットした)、別名は『イシゲヤキ(石欅)』『カワラゲヤキ(河原欅)』が挙げられており、『東アジアから東南アジアに分布し、河原など水辺や湿ったところに生えることが多い。秋に花が咲き、晩秋に黄葉と実がなるのが特徴。性質は強健で、公園樹や街路樹として植栽もされる』。『和名「アキニレ」は「秋楡」と書き、これは初秋に花が咲き、晩秋に実がつくという生態的特徴からきているといわれる。「ニレ」の語源は、樹皮を剥がすとヌルヌルし、それを意味する古語「ぬれ」が転訛したものとされる。別名』『イシゲヤキやカワラゲヤキ』は、『形態的特徴、特に樹形や樹皮の様子がケヤキ( Zelkova serrata )に似ていること、イシ、カワラは木材が石のように硬いこと、生息地として河原を好むことからきている』とあった。『英名は樹皮の特徴をつかんだ lacebark elm(滑らかな樹皮のニレ)や分布地に因む Chinese elm(中国のニレ)、中国名は「榔楡」』である。『学名の種小名 parvifolia は「小さい葉」の意味で、ニレ属としては葉が小さめであることに由来する』。『中国大陸の広い範囲と朝鮮半島、インドシナ半島、日本、台湾に分布。日本では東海地方以西の本州、四国、九州で主に西日本に分布する。比較的水辺を好み谷の斜面下部や川沿いなどの肥沃湿潤な土地でよく見られる』。『落葉広葉樹の高木で、樹高』十三~十五『メートル』『直径』六十センチメートル『程度に達する。最高樹高』三十メートルを『超えるハルニレ』(春楡)『( Ulmus davidana var. japonica )』(単に「ニレ」と言った場合は、学術的には、この「ハルニレ」を指す)『に比べると小型で、葉も小さい。樹皮は灰褐色で小さな皮目があり、ハルニレのように縦に深く割れず平滑で、同じ科のケヤキ( Zelkova serrata、ニレ科ケヤキ属)の樹皮のようにまだらに剥がれる。樹皮が剥がれ落ちた跡は、灰緑色や淡橙色が混じり、特徴的な外観をもつ。別名のイシゲヤキ、カワラゲヤキはこれらの樹皮の特徴が語源である。一年枝は赤褐色で短毛があり、ニレ科共通でジグザグ状に伸びる(仮軸分枝)』。『葉は互生し、葉身は長さ』二~六『センチメートル』『弱と小さめで』、『倒卵型から長楕円形、普通の葉基部は左右非対称、葉縁には鋸歯があり二重鋸歯と呼ばれるタイプであるが、本種の葉は普通の鋸歯に見えることがしばしばある。ハルニレと比べると葉は小さい。秋には黄葉し、黄色や赤褐色に染まって、実が熟すころには落葉する。葉が地上に落ちると』、『やがて』、『褐色に変化する』。『開花時期は』九『月ごろ』で、『本年枝の葉腋から、淡黄色の両性花を束生する。花粉は風によって散布する風媒花である。花の咲く時期に特徴があり、ハルニレのように春に開花する種類が多いニレ属の中でも』、『珍しい秋開花の種で、和名の由来にもなっている。このような秋に開花する種は日本のニレ属で本種が唯一、世界的に見ても』、『本種の他にアメリカ南部に』二『種が知られるのみである』。『果期は』十一『月。果実は翼果で、長さ』七~十三『ミリメートル』『の楕円形の実は』、『晩秋には淡褐色に熟す。翼果は冬でも残ることがある』。『冬芽は卵形で小さく』、四、五『枚の芽鱗に包まれており』、『やや毛がある。横に副芽をつけることもある。枝先には仮頂芽をつけ、側芽は枝に互生する。花芽は一年枝につく。葉痕は半円形で、維管束痕が』三『個』、『つく』。『他のニレ類と』ともに『街路樹などに利用される。強健な性質で、日本では北海道南部まで植栽できる。ニレの並木は特に欧米で盛んであるが、欧米のニレはアジアから侵入したニレ立枯病』(黴(かび)の一種である真核生物ドメイン菌界子嚢菌門チャワンタケ亜門フンタマカビ綱ディアポルテ亜綱 Diaporthomycetidaeオフィオストマ目 Ophiostomatalesオフィオストマ科オフィオストマ属の内、現在は三種( Ophiostoma ulmi Ophiostoma himal-ulmiOphiostoma novo-ulmi )が原因菌として判っている)『に弱く』、『大量枯死が問題化している。本種は』、『この病気に対して特に高い抵抗性を見せるために、在来ニレの代替種として、もしくは抵抗性雑種の親木として利用されることがある。ただし、ファイトプラズマ』(細菌ドメインテネリクテス門Tenericutesモリクテス綱Mollicutesアコレプラズマ目Acholeplasmatalesアコレプラズマ科Acholeplasmataceaeファイトプラズマ属 Phytoplasma )『を病原とし』、『葉の黄化と萎縮を特長とするelm yellow病(和名未定)には比較的弱いとされる』。『日本の他のニレ属共通で』、『樹皮を結って縄にしたり、内樹皮を叩いて潰して接着剤として使ったという』とあった。一方、

「槻櫸《つきけやき》」については、ケヤキの別名

であるから、これは、前に示した個体の材質上の違いに過ぎないことが判った。而して、良安が大上段に振り被って挙げている「槻(つき)」=「豆木乃木《つきのき》」も、同じくケヤキであって、異なる種ではないことが判明した。

「匠-人《だいく》」東洋文庫訳のルビを採った。

「鐁《やりがんな》」「槍鉋」とも書き、「やりかんな」とも訓ずる。反った槍の穂先のような刃に、長い柄を付けた鉋で、突き摺るようにして、木材を削る。室町時代に現在知られる鉋(=台鉋)が現れるまで広く用いられ、今日では桶・簞笥作りで使う「前鉋」(まえがんな)が、この一種である。私も見たことがないものだったので、グーグル画像検索「やりがんな」をリンクさせておく。

「唐韻」唐代に孫愐(そんめん)によって編纂された「切韻」(隋の文帝の六〇一年の序がある、陸法言によって作られた韻書。唐の科挙の作詩のために広く読まれた。初版では百九十三韻の韻目が立てられてあった)の修訂本。七五一年に成ったとされるが、七三三年という説もある。参照した当該ウィキによれば、『早くに散佚し』、『現在に伝わらないが、宋代に』「唐韻」を『更に修訂した』「大宋重修広韻」が『編まれている』。『清の卞永誉』(べんえいよ)の「式古堂書畫彙考」に『引く』中唐末期の『元和年間』(八〇六年八月~八二〇年十二月)の「唐韻」の『写本の序文と各巻韻数の記載によると、全』五『巻、韻目は』百九十五『韻であったとされる。この数は王仁昫』(おうじんく)の「刊謬補缺切韻」に『等しいが、韻の配列や内容まで等しかったかどうかはわからない』。『蒋斧旧蔵本』の「唐韻」『残巻(去声の一部と入声が残る)が現存するが、韻の数が卞永誉の言うところとは』、『かなり異なっており、元の孫愐本からどの程度の改訂を経ているのかは』、『よくわからない。ほかに敦煌残巻』『も残る』。「説文解字」の『大徐本に引く反切は』「唐韻」に依っており、かの「康熙字典」が、「唐韻」の『反切として引いているものも』、「説文解字」大徐本の『反切である』とある。

「檀弓(まゆみ)」これで、ニシキギ目ニシキギ科ニシキギ属マユミ Euonymus sieboldianus var. sieboldianus の樹種を指す。当該ウィキによれば、『材質が強い上によくしなるため、古来より弓の材料として知られ、名前の由来になった』。『この木で作られた弓のことや、単なる弓の美称も真弓という』とある。

「夫木」「關守が弓にきるてふ槻《つき》の木のつきせぬ戀に我《われ》おとろへぬ」「顯季」既注の「夫木和歌抄」に載る藤原顕季の一首で、「卷二十九 雜十一」に所収する。「日文研」の「和歌データベース」で確認した(同サイトの通し番号で14017)。

「はだつ」「波太豆《はたつ/あけび》」「波太豆毛利《はだつもり》」今一つ信頼している植物サイト「GKZ 植物事典」のアケビのページに、「古名」の項に「ハタツ(波太豆)」とあった。だが……しかし……アケビ科Lardizabaloideae 亜科Lardizabaleae連アケビ属アケビ Akebia quinata は、蔓性落葉低木だ。良安は「其の材、櫸(けやき)に似≪る≫」と言ってるから、これは、違うのだ! さらに調べるうちに、これは、次の和歌から、「はたつもり」=「畑つ守」で、これは植物名で(以下の和歌では「積もり」を導いたに過ぎない)、

ツツジ目リョウブ(令法)科リョウブ属リョウブ Clethra barbinervis

であることが判った。当該ウィキによれば(注記号はカットした)、『リョウブ科 Clethraceaeの落葉小高木で』、『北海道から九州、中国、台湾までの山林に分布している。夏に長い総状花序に白い小花をたくさん咲かせる。若葉は山菜とされ、庭木としても植えられる。別名、ミヤマリョウブ、チャボリョウブ、リョウボ(良母)、サルダメシ、古名でハタツモリ。中国名は髭脈榿葉樹』。『高さは』七~九『メートル』『になる。樹皮は表面が縦長な形に薄く剥げ落ちて、茶褐色と灰褐色のまだら模様で、滑らかな木肌になる。樹皮がサルスベリ(ミソハギ科)のように剥げ落ちるので、「サルスベリ」と呼ぶ地方もある。若木の樹皮は灰褐色。一年枝は細く、枝先で星状毛が残る。樹皮はナツツバキにも似る』。『葉は長さ』十『センチメートル』、『幅』三センチメートル『ほどの楕円形から倒披針形で、先が尖り、葉縁には細かい鋸歯がある。葉の形はサクラに似ている。葉の幅は葉先に近い方で最大になる。表面にはつやがなく、無毛または微毛を生じる。葉は枝先にらせん状に互生するが、枝先にまとまる傾向が強い。新葉は』、『やや赤味を帯びる。秋には紅葉し、日光の当たり具合によって、黄色、橙色、赤色、赤褐色などいろいろな色になり、日当たりのよい葉は鮮やかな橙色から赤色になる。落ち葉は褐色に変わりやすく、乾くとすぐに縮れる』。『花期は真夏』(六~九月で『枝先に長さ』十五センチメートル『くらいの総状花序を数本出して、多数の白い小花をつけ、元の方から咲いていく。花弁は白く』五『裂する。果実は蒴果で』三『つに割れる。球形の果実は、秋に褐色に熟す。葉が散ったあと、冬でも長い果序がぶら下がってよく残る』。『冬芽は側芽は互生するが』、『小さくて』、殆んど『発達せず、頂芽は円錐形で芽鱗が傘状に開いて落ち、毛に覆われた裸芽になる。葉痕は三角形や心形で、枝先に集まる。維管束痕は』一『個』、『つく』。『北海道南部から本州、四国、九州、済州島、中国、台湾に分布する。低地や山地、丘陵の雑木林の中や、斜面などに自生する。日当たりのよい山地の尾根筋や林縁に多い。平地から温帯域まで広く見られるが、森林を構成する樹種というより、パイオニア的傾向が強い。庭木としても植えられている』。『リョウブ属には数十種あり、アジアとアメリカ大陸の熱帯・温帯に分布する』。『家具材や建材、庭木などに用いられる』(☜)。『春に枝の先にかたまってつく若芽は山菜になり』、『食用にする。採取時期は、暖地が』四『月、寒冷地は』四~五『月ごろが適期とされる。若芽は茹でて水にさらし、細かく刻んだものを薄い塩味をつけて、炊いた米飯に混ぜ込んでつくる「令法飯」などの材料にする。そのほか、おひたし、和え物、煮びたし、汁の実にしたり、生のまま天ぷらにする。昔は飢饉のときの救荒植物として利用されたといわれる。ただし、一度に多く食べ過ぎると』、『下痢を起こす場合がある』。『また』、五『年に一度しか採取できないが』、『ハチミツが市場に出ることも』あり、『結晶化せず、香り高い』。『令法という名は、救荒植物として育て蓄えることを法で決められたからといわれるが、花序の形から「竜尾」がなまったとの説もある。ハタツモリは畑つ守などの字が当てられるが、語源ははっきりしない』とある。

「六帖」「我《わが》戀はみやまにおふるはたつもりつもりにけらしあふよしもなし」「古今和歌六帖」のこと。既出既注。日文研の「和歌データベース」の「古今和歌六帖」で確認した。「第六 木」のガイド・ナンバー「04317」である。]

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