「善惡報はなし」正規表現オリジナル注 卷四 㐧四 猿の子をうしなひさるにころさるゝ事
[やぶちゃん注:底本・凡例等は初回を参照されたい。]
㐧四 猿の子を、うしなひ、さるに、ころさるゝ事
○えちぜんの「しの原」といふ所に、猿をつかふ者、あり。
[やぶちゃん注:『えちぜんの「しの原」』岩波文庫の高田衛氏の注に、『「越前」は加賀の誤り。現石川県江沼郡の内』とある。現在は石川県加賀市篠原町(しのはらまち)となっている(グーグル・マップ・データ)。]
子を、一つ、うみけり。是を「てうあい」[やぶちゃん注:ママ。「寵愛(ちようあい)」。]する事、なゝめならず。
猿の「ぬし」、
「『くわんじん』[やぶちゃん注:「勸進」。]に、つれて、いでん。」
と、すれど、子に、はなるゝ事を、かなしみて、いでざれば、女房、此の猿に申《まうす》やう、
「あんぢ、子に、はなるゝ事を、あかしめり。我、なんぢが、あへるまでは、あづかりをく[やぶちゃん注:ママ。]べし。心やすくおもひ、今日(けふ)より、「くわんじん」に出《いで》ざれば、われわれ、なんぢともに、かつゆる[やぶちゃん注:「渴ゆる」。]なり。」
と、人に、いひふくめるやうに、いひければ、畜生なれども、よく合点して、やがて、出《いで》けり。
[やぶちゃん注:「くわんじん」割注した通り、「勸進」なのだが、この場合は、辞書的な意味とはかけ離れた、被差別民であった大道芸人の中で用いられた、特殊な用法で使われたものである。岩波文庫の高田氏の注が、その肝心要(かんじんかなめ)の部分を、よく捉えている。以下である。『寺社や道端で芸をして金を稼ぐこと。』。]
女房、子猿を「ふびん」がりて、うらへ、連れ出《だし》て、遊びけり。
[やぶちゃん注:挿絵は、第一参考底本はここ、第二参考底本はここ。後者は例によって落書きがあるが、「猿廻し」夫婦や、申の母子の顔がはっきりと視認出来る。ただ、トビは殆んど「化鳥」(けちょう)の様相であるし、母猿の顔も、正直、エモい。]
折ふし、用の事ありて、内へ入り、暫くありしうちに、とび[やぶちゃん注:「鳶」。]、一つ、來て、かの猿を引《ひつ》つかんで、行(ゆき)ぬ。
女房、是をみて、
『さてさて、「ふびん」[やぶちゃん注:「不憫」。]の事かな。おやざるの、かへりなば、さぞ、かなしまん。何とか、いひて、よかるべき。』
と、思ふうちに、おやざる、かへりけるに、女房、さるに、いふやう、
「汝が子を、けふ[やぶちゃん注:「今日」。]、とびにとられ、我もかわゆく[やぶちゃん注:ママ。]おもへども、せむかた、なし。」
といへば、此《この》さる、つくづくと聞《きき》て、かなしむけしき、見えけるが、物をも、食はず、二、三日は、うちふしけるが、ある夜、女房の、よくへいりたるを、みて、小刀(こがたな)を、もつて、「のどぶゑ」を、つききりけり。
女房、こゑも、たてず、死《しし》けり。
夫(をつと)、ねいりて、知らず。
夜(よ)、明(あけ)れば、夫、おほきにおどろき、
「こは、いか成《なる》者の、しつらん。」
と、あはて、ふためきける。
されども、女の一門に、
「かく。」
といひければ、皆、うちよつて、「せんぎ」[やぶちゃん注:「詮議」。]するに、
「夫(をつと)ならでは、しるべきもの、なし。」
といひて、つゐに[やぶちゃん注:ママ。]、
「夫の、しわざ。」
にきはまりぬる所に、かの「さる」、がいしける小刀(こがたな)をもちて出《いで》、
「我《われ》が、ころしたり。」
と、いはぬばかり、さし出《いだ》す。
「扨《さて》は。きやつが、子を、うしなはれけるにより、其《その》「あだ」に、しつらん。」
と、「せんぎ」、きはまり、すでに夫は、死のなん[やぶちゃん注:「難」。]を、のがれける。
「ちくしやう」の「こゝろ」にも、我子《わがこ》をうしなはれ、「むねん」におもひ、其《その》「あだ」を、なしける。「ちくしやう」の手にかゝる事も、みな、是《これ》、因(いんぐわ)のむくひ、なるべし。死のゑん[やぶちゃん注:「緣」。]、むりやう[やぶちゃん注:「無量」。]なれば、いか成《なる》時、いかやうの死を、うけんも、いざ、しらず。心[やぶちゃん注:第二参考底本のこれ(左丁一行目下方)は、「心」の崩し字としても、かなり変わったもので(「へ」の字のようなものを、ズラして、上下に完全にバラしてある字体)、迷ったが、第一参考底本に従い、「心」の崩しと決した。]もとなき「きやうがい」[やぶちゃん注:「境涯」。]也。
此《この》はなしは、少《すこし》も、僞(いつは)りなきよし、さる、たつとき上人《しやうにん》の物がたり也。明曆(めいりやく)の比(ころ)の事なる、よし。
[やぶちゃん注:「明曆(めいりやく)年中」一六五五年~一六五八年。第四代徳川家綱の治世。但し、通常は「めいれき」と読む。]