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2024/07/19

「疑殘後覺」(抄) 巻六(第一話目) 於和州竒代變化の事

[やぶちゃん注:底本・凡例等は初回を参照されたい。「目錄」では、標題は「和州におゐて竒代變化の物事」(「おゐて」はママ)である。内容から見て、「變化」は「へんげ」である。取り敢えず、歴史的仮名遣その他を訂して、ここで、両標題を勘案して、

「和州(わしう)に於(お)いて竒代變化(きだいへんげ)の物(もの)の事(こと)」

と訓じておくこととする。「竒代」は「希代・稀代」に同じで、ここは、「奇怪千万」の意。]

 

   於和州竒代變化の事

 和州「かづさこほり」に、「伊勢福どの」とて、世、擧《あげ》て、まうづる事あり。

[やぶちゃん注:『和州「かづさこほり」』「和州上總郡」であろうが、こんな旧郡名は聴いたことがない。岩波文庫の高田衛氏の脚注でも、『大和国にこの地名なし。添上(そういがみ)郡をあて字で総上郡と記したさいの誤写か。添上郡は現在の奈良市およびその周辺部の古称。』とあった。ウィキの「添上郡」を見られたい。そこでは現代仮名遣で「そえかみぐん」とするが、「歴史」の「古代」の項で、『もとは「曾布(そふ)」あるいは「層富(そほ)」という地名であったが、これに「添(そふ)」の字が当てられ、2つに分けて添上郡・添下郡となった。9代開化天皇の春日率川宮が奈良市率川にあったと伝える。郡名は佐保川に由来する。奈良山丘陵南斜面の東側が「佐保」、西側が「佐紀」であり、古代のヤマト(磯城郡・十市郡を中心とする一帯)の北に位置する』とあった。なお、「和名類聚鈔」の「卷第五」の「國郡部第十二」の「畿内郡第六十」・「大和國」には、『添上(そふのかみ)【「曾不乃加美」。】』とあった。]

 此《この》來由を、たづぬるに、「かづさこほり」に、太郎左衞門と申す百姓、ありけり。一人の娘を、もつ。

 先年、十七歳のとし、あたり近き林にいでゝ、「せんだく[やぶちゃん注:「洗濯」。古くは濁音であった。]」をしけるに、俄《にはか》に、いゑ[やぶちゃん注:ママ。]にかへりていふやうは、

「我は、神明《しんめい》なり。はやく、屋のうちを、きよめ、『しやうじん』[やぶちゃん注:「精進」。]を『けつさい』[やぶちゃん注:「潔齋」。]に、せよ。三明六通《さんみやうろくつう》を得て、芥(ケシ)毛頭《もうとう》のこさず、三界《さんがい》一らんに、するなり。なになにでも、たづねたき事あらば、まいる[やぶちゃん注:ママ。]べし。ことには、病《やまひ》にをかさ[やぶちゃん注:ママ。]れて、うれうる[やぶちゃん注:ママ。]ものあらば、たちまち平癒さすべし。」

と、口《くち》ばしるによつて、人々、大《おほき》に驚き、「おや」どもを、はじめとして、

「これは。ひとへに、神明の、のりうつり給ふにこそあれ。」

とて、わがいゑ[やぶちゃん注:ママ。以下同じ。]のほとりに、いゑを、つくりて、おきにける。

[やぶちゃん注:「三明六通《さんみやうろくつう》」「三明」は、過去・現在・未来に関わる智慧で、「六通」は、それに「天耳通(てんにつう:六道衆生の声を聞くこと)、「他心通(たしんつう:六道衆生の心中を知ること)、「神足通(じんそくつう:種々の神変を現ずること)の三つを加えたもの(小学館「日本国語大辞典」に拠った)。

「芥(ケシ)毛頭《もうとう》のこさず」高田氏の脚注に、極小の『芥』(けし)『ひとつぶを見おとすことなく、の意。』とある。

「三界《さんがい》一らん」「三界」は仏教の世界観で、生きとし生けるものが生死流転する、苦しみ多き「迷い」の生存領域を、「欲界」・「色界(しきかい)」・「無色界(むしきかい)」の三種に分類したものを指す。「欲界」は最も下にあり、性欲・食欲・睡眠欲の三つの欲を有する生きものの住む領域である。ここには地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上の六種の生存領域(六趣・六道)があり、この世界の神々を「六欲天」という。「色界」は前記の三欲を離れた生きものの住む清らかな領域を指し、絶妙な物質(色)よりなる世界であるため、この名があり、「四禅天」に大別される。「無色界」は最上の領域であり、物質をすべて離脱した高度に精神的な世界である。ここの最高処を「有頂天」(非想非非想処)と称する(小学館「日本大百科全書」に拠った)。ここで言っているのは、それら仏教真理に於ける「全世界」の意。「一らん」は「一覽」で、それらの時空間を総て超越して見渡すことが出来ることを言う。実は、底本のここには、この「一らん」の右にママ傍注が附されているのだが、この注自体が、何を以って疑問としているのか、私には正直、よく判らない。]

 さるほどに、世に、この事、かくれなければ、しよこくの大みやう・小みやう、京・大坂・堺をいはず、きせん、ぐんじゆ[やぶちゃん注:「群衆」。]する事、なゝめならず。

 まづ御《おん》まへに、座とう[やぶちゃん注:「座頭」。]、十人も、廿人も、かしこまりゐて、申《まうす》やうは、

「我は、『そんじやうそのくに』より、うけたまはりおよびて、はるばると、參りたり。ねがはくは、この兩がんを、明《あけ》てたまはり候へ。」[やぶちゃん注:「そんじやうそのくに」高田氏の脚注に『「そんじやう」は、事物、場所などについて、具体的に名をあげず、それを示す接頭語』とされ、「そんじやうそのくに」『は「なにがしの国」の意。』とある。所謂、語り手が、意識的に特定の国名を伏字にしたというだけのことである。]

と申《まうし》ければ、「伊勢福どの」、きゝたまひて、

「これへ、近く、寄れ。」

と、のたまひて、よびよせ、めのうちを見給ひて、

「やすき事、いやして、とらせん。」

とて、「こがたな」を、もつて、目の内を、さんざんにきりて、「にくち」[やぶちゃん注:「肉血」。]を、いだし、さて、御符《ごふ》を、もみて、押《おし》こみ、そのゝち、扇を、ひろげて、

「これを、なにぞ。」

と、のたまふ。

 ざとうの、いはく、

「あふぎにて候。」

と申《まうす》。

「ゑ[やぶちゃん注:「繪」。]は、なにぞ。」

と、問へば、

「あるひは[やぶちゃん注:ママ。以下同じ。]、人形《ひとがた》[やぶちゃん注:人物。]、あるひは花・とり、山・はやし。」など、こたふ。

「一段、よし。はやく、かへれ。」

と、あるほどに、

「ありがたし。」

とて、つきてきたる杖どもを、御まへに、すてゝ、かへる。

 其のつえ[やぶちゃん注:ママ。]は、山のごとくに、つみあげたり。

 その外、「こしぬけ」・「みゝつぶれ」・「せむし」・「せんき」・「中風《ちゆうぶ》」などゝて、なげき、かなしみ、きたれるものどもをば、みなみな、たちわり[やぶちゃん注:患部を切開し。]、御ふう[やぶちゃん注:ママ。岩波文庫は本文補正して、『御符』(ルビなし)とする。]を、おしこみければ、立所《たちどころ》に、いえて、かへりけるほどに、よの中の人、きゝつたへに、

「神變竒妙。」

と、有《あり》がたがりしも、ことはり[やぶちゃん注:ママ。]なり。

[やぶちゃん注:「こしぬけ」「腰拔」。足が不自由で立てない人。所謂、下半身不随。古語の差別用語で「ゐざり」(躄:「躄(いざ)る」の連用形を名詞化したもの)。

「みゝつぶれ」「耳潰れ」。聾者(ろうしゃ)。聴力障碍者。同前で「つんぼ」。

「せむし」漢字表記は「傴僂」「背蟲」。一般には、背骨が後方に盛り上がり、弓状に湾曲する病気、及び、それに罹患した人。く現行では、「佝僂(痀瘻)病」(くるびょう)で、ビタミンD欠乏や、何らかの代謝異常によって発症した骨の石灰化障害疾患。典型的な病態は乳幼児の骨格異常で、小児期の病態を「くる病」と呼び、成長して骨端線閉鎖が完了した後の病態を「骨軟化症」と呼んで、区別している。「背蟲」は、昔、「背に虫がいるためになる」と思われていたところからの名とされる。他に卑称で「くぐせ」「くつま」「せぐつ」等とも呼んだ。

「せんき」「疝氣」。大腸・小腸・生殖器などの下腹部の内臓が痛む疾患を広く指す。

「中風《ちゆうぶ》」歴史的仮名遣では「ちゆうぶう」「ちゆうふう」「ちゆうぶ」とも読む。脳卒中発作の後に現われる半身不随のこと。運動神経の大脳皮質寄りの下行路の部分に脳血管障害が起きたために発生する症状。脳出血や脳梗塞によることが多い。「中氣」も同じ。]

 備前中納言どのゝ北の御方、例ならず、なやみ給ふほどに、御つぼね[やぶちゃん注:「御局」。大名の奥方に直に仕える老女。]、きゝおよび給ひて、騎馬・のり物、つゞけて、いみじくしてまいり[やぶちゃん注:ママ。以下同じ。]給ひ[やぶちゃん注:なみなみではない仕儀で訪ねてきたことを言う。]、御つぼね、御まへにむかひ給ひて、

「ちと申《まうし》あげたき御事《おんこと》の候ひて、これまでまいり候。」

と、のたまへば、「伊勢福どの」、聞《きき》給ひて、

「仰《おほせ》までもなし。御《み》こゝろのうち、申して、きかせん。御身の主君は、大名にてまします備前中納言どのと申す。御ようの事は、北の御《おん》かた、御なやみを、たづね給ふ御《ご》さん[やぶちゃん注:「御算」。ここは「手だて」の意であろう。]にてまします。この十一月には、しかも、わか君、いできたまふ。なに事もなく、めでたし。ちがう[やぶちゃん注:ママ。]たるか、いかが。」

と、の給ふほどに、御つぼねも、御もとのさぶらひたちも、「した」を、まきて、とかう、物も、いはれず。身の毛よだちてぞ、見えにける。

[やぶちゃん注:「備前中納言どの」本書の作者の識語は文禄五年三月(グレゴリオ暦一五九六年)であるが、高田氏の脚注に、『文禄期の備前岡山藩主は権中納言宇喜多秀家。』とある。史実に従うなら、この「奥方」は正室の前田利家の四女で、豊臣秀吉の養女となった豪姫(天正二(一五七四)年~寛永一一(一六三四)年)で、「わか君」は、謂いからして、秀家の嫡男宇喜多秀高(天正一九(一五九一)年~慶安元(一六四八)年)である。また、ウィキの「豪姫」には、文禄四(一五九五)年、『病弱で出産の度に大病にかかっていた豪姫だが、狐が憑いたのが原因だと言われ、養父』『秀吉は』十『月』二十『日、石田三成と増田長盛に命じて狐狩の文書を出した』。『この時は、内侍所御神楽が奏され、実父の利家も名刀三池伝太の威力で狐を落としたという』と、極めて興味深い事実が記されている。これは、恐らく、本話の以下を読んで頂ければ、これ、本篇の重要な根っこに相当する事実であるように思われる。

 そのゝち、御さん、たいらかにありしかば、

「まことに、ありがたし。」

とて、御禮のために、「金ぺい」[やぶちゃん注:「金幣」。高田氏の脚注に、『金色の幣帛(へいはく)。神前に置く聖具の一つ。』とある。]を一對、「すゞし」に「ぬいはく」[やぶちゃん注:「生衣の縫箔」。同前で、「すゞし」に『「生衣、ススシノキヌ」(『名義抄』)。軽く薄い絹布。』とあり、「縫箔」に『絹布に刺繡し、所々に金銀の箔を摺りつけたもの。貴婦人の礼服に用いる。』とある。]の小そで一かさね、まいらせ給ふ。

 また赤井善之丞と申《まうす》人、あるとき、まいり給ひて、申されけるは、

「うけたまはり及びて、これまで、まいり候。武運長久にして奉公無事に、つかまつり候やうに、御符を給はり候へ。」

と、申されければ、「伊勢ふく」、きゝたまひて、

「それこそ安き事なれども、御《ご》へんは『しゝ』[やぶちゃん注:「鹿(しし)」。]が近ひ[やぶちゃん注:ママ。]人なれば、來年、おはし候へ。當年は、かなふまじ。」

と、のたまふほどに、

『はつ。』

と、おもひ、身のけ、よだちて、かへりける。

 こぞ[やぶちゃん注:「去年(こぞ)」。]の冬、鹿《しし》を、くい[やぶちゃん注:ママ。]けるほどに、かく。いへり。

 

かくて、日々に、じはんじやうおはしけるほどに、宮居を、おびただしく造宮《ざうぐう》おはしまして、かたはらに、病人など、「こもり所」を、こしらへたり。

 しよはう[やぶちゃん注:「諸方」。]より、「ぬいはく」の「いるひ[やぶちゃん注:ママ。「衣類(いるゐ)」。]」を、まいらせければ、そのまゝ、「こがたな」にて、たちくだき、

「まほり[やぶちゃん注:ママ。「守(まも)り」。御守り。]にして、子どもに、かけさせよ。『とうそう』[やぶちゃん注:ママ。「痘瘡(とうさう)」。天然痘。]を一世のあいだ[やぶちゃん注:ママ。]、のがるべし。」

とて、しよにんに、是を、ほどこしけり。

 あるとき、參宮[やぶちゃん注:伊勢神宮参詣。]し給ふに、そのてい[やぶちゃん注:「態(てい)」。]、おびたゞしくて、道すがら、諸人、御ふう[やぶちゃん注:ママ。]を、こひたてまつり、海道に、市《いち》をぞ、なしにける。

 かくて、月日、ふるほどに、すでに、三とせも立《たち》けるに、この太郎左衞門、思ひけるは、

『ふしぎなる事かな。この「伊勢ふく」は、每夜、あかつき[やぶちゃん注:誤りではない。「曉」は「曙」の前の太陽光の回折も起こっていない完全に真っ暗な時間帯を指すから、一般庶民にとっては、所謂、既に翌日になっているが、闇である時間帯はざっくり言って「夜」なのである。]ごとに、もり[やぶちゃん注:「森」。]へ、いでて、百をけ[やぶちゃん注:「桶」。]の「ごり」[やぶちゃん注:「垢離」。水垢離。]を、かく。「あとを、かまひて[やぶちゃん注:ママ。「構へて」。呼応の副詞で「決して(~ない)」。]、見る事、なかれ。」と、せいする[やぶちゃん注:「制する」。]によりて、いまゝで、みず。なにとやらん、あやしければ、こよひは、つけて[やぶちゃん注:後をつけて。]、みばや。』

と思ゐ[やぶちゃん注:ママ。]て、まちをるところに、又、いつものごとく、あかつき、いでゝ行《ゆき》ければ、太郎左衞門、あとより、みへがくれ[やぶちゃん注:ママ。「見え隱れ」。]にゆき見ければ、森のうちヘ、いりぬ。

 さて、ほかより[やぶちゃん注:感づかれないように、遠回りに回って、別な方角から。]、忍びよりて、くわしく[やぶちゃん注:ママ。]みければ、狐ども、一、二百ばかりもあるらんとおぼへ[やぶちゃん注:ママ。]て、一しよ[やぶちゃん注:「一所」。]にかたまり、うなづきあひて、ゐたり。

 太郎さゑもん、これを見て、大《おほき》におどろき、それより、かえりて、

『扨《さて》こそ。このものは、狐のつきて、なすわざとこそ。いまゝで、かく、とも、しらざるよ。』

と、思ひ、

「このあかつき、かへらんところを、うつて、すてん。」

とて、「なぎなた」を、かまへて、いつもゆくみちに、相《あひ》まちけるが、又、いでゝ、森より、いゑにかへるをみれば、あたまのはげたる「ふるぎつね」の、かへるほどに、「なぎなた」にて、たゞ、一たちにぞ、のせたりける[やぶちゃん注:岩波文庫補正原文では、『除(のせ)たりける』とするものの、流石に脚注では、『「除」は「のぞく」で、殺すこと。「のせ」の表記(原文)は異例。』とする。]。

「さては、きつね、しとめたり。」

とて、たちよりてみければ、むすめの「いせふくどの」をぞ、がいしけり。

「こは、いかにしつる事ぞや。」

とて、千悔《せんくわい》、すれども、かひぞ、なき。

[やぶちゃん注:「千悔」非常に後悔すること。]

 かくて、三年《みとせ》、過《すぎ》ければ、そのあとかたもなく、雪のきえたるやうに、うせにけり。

 ことごとく、かたわ物・病人とみえしは、皆々、狐にてぞ、侍りける。

 又、まことの病人、ゆきければ、

「是は、過去より、『ゐんぐわ』の道理に「こくせつ」[やぶちゃん注:ママ。意味不明。岩波文庫では本文を『曲折』とした上で、脚注に『原文「こくせつ」。意によって漢字を当てた。本来の形を押し曲げられ、の意。』とある。]せられて、わが手に、あまれば。」

とて、もどしぬ。

「をよそ[やぶちゃん注:ママ。]、かかる『きつね』は、むかしの『玉ものまへ』このかたに、うけたまはりおよばず。」

とて、世の中、竒代のおもひを、なせり。

 さりながら、かれが得させし「まもり」、かけたる子どもは、「はうそう[やぶちゃん注:ママ。以下同じ。]」したるもの、一人も、なし。

 きゝをよび[やぶちゃん注:ママ。]て、もたたざる人は、あなたへ、こなたへ、かり、とゝのへて、ぬぐひまはせば、たとひ[やぶちゃん注:ママ。]、すれども、かろくして、一人も、けがをせぬこそ、ふしぎなれ。

「よのすゑとは、いへども、かゝる事こそ、奇代なれ。」

と、世、こぞりて、風聞せり。

[やぶちゃん注:「玉ものまへ」「玉藻の前」。鳥羽上皇の寵を得たとされる伝説上の美女で、大陸から飛び来った金毛九尾の狐が変じたもの、陰陽師に見破られ、那須の殺生石になったという伝説の妖狐。御伽草子「玉藻の草紙」・謡曲「殺生石」、浄瑠璃・歌舞伎・合巻(ごうかん)に広く脚色された。詳しくはウィキの「玉藻の前」がよい。

「ぬぐひまはせば」「その御符を、持ち廻りで、貸し渡してゆき、御符で、疱瘡に発疹の出来かけた顔や身体を拭っては、次の家へ、送ってやれば、」の意。]

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